今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。どんなヤツか知りたい人はまずブックマーク「山根一郎の世界」へどうぞ

卒論発表会

2015年01月31日 | お仕事

勤務先の大学の後期試験が終わり、今日は、大学院の修論の提出締切と、所属学科の卒論発表会。

そう、わが心理学科は、公式行事として卒論発表会を学会発表形式で実施している(自分も大学では発表会があった)。

卒論生は、論文執筆でワードを、図表の作成でエクセルを、データ分析でSPSSを(ホントは”R”を使わせたかった)、そして発表会でパワーポイントを駆使したわけだ。

もちろん質疑応答の時間もあり、学生からの質問がない場合は、司会の院生や教員が質問する。

それが終わると、このキャンパスでの最後の行事たる「懇親会」(といってもノンアルコール)。
卒論ゼミ生と歓談し、最後は1人ずつスマホで私とツーショット撮影。
学生は恥じらいながらも腕を回してくる。
今年の学生たちは、全員で感謝の意を表した寄せ書きのシートを渡してくれた。
学生に自発的に感謝されることは教師冥利に尽きる。
修論を提出した院生も研究室に来てお礼を言ってきた。
卒論や修論指導こそ、学生と面と向った真剣な指導が出来るためでもある。 

思えば、私自身は学校の先生に面と向かって感謝の意を示した記憶が、なんと小学校以来ない…
私を含めた男って、この手の感情をストレートに出すのが苦手だしな。
(小声で)今までの先生ありがとう。

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失せ物顛末

2015年01月26日 | 失敗トラブル

実は、昨年の暮、高校時代の仲間との飲み会に参加し、注がれるままに酒を飲んだせいで、不覚にも泥酔していしまい、タクシーに放り込まれて、なんとか家までたどり着いた。

翌朝、正気になってみると、まず着ていった上着(LLビーンのフィールド・コート)がない。
そして眼鏡もない。

両方ともお気に入りだったのに。
フィールド・コートは定番なのでいつでも買えるが、眼鏡の方は木製のテンプルで今は販売されていないと思う。
眼鏡はタクシーの中、上着は店に置き忘れたと思ったので、まず店に電話して確認したが、上着の忘れ物はないという。

タクシーはどこの会社かわからない。
とりあえず、警察署に紛失届けを出しに行った。

昼になって、昨日飲んだ一人から電話がかかってきた。
上着を預かっているという。
なんでも、彼が上着を店に取りにいっている間に、私が乗ったタクシーは走りだしてしまったという。
年明けに受取ることにして、これで上着は解決。

残るは眼鏡。
眼鏡なしでは生活に困るが、幸い、予備の眼鏡を名古屋から持参してきたので、さしあたってはなんとかなる。

ただ予備だけでは心もとないので、年明け早々に眼鏡店に行っておなじ度数の 眼鏡を新調した。
ただしテンプルは半分だけが木製のものしかなかった。

新調した眼鏡が手元に届くまで2週間待ち、その間に予備の眼鏡の方が壊れかけてきたが、なんとか間に合った。

その後、なくしてから約一ヶ月たって、眼鏡を見つけた。
東京宅の自分の部屋の中で…

ドアからベッドに至る直線上の床の上に。
酔ってベッドに直行する際に、服を脱ぎながら歩いたために、顔から落ちたのだろう。
もちろん意識もうろうだったので、またく記憶がない。

そこは使わない荷物の置きっ放しエリアだったため、いつもは動線外で足を踏み入れず、また眼鏡が荷物に隠れた状態になっていた。

まさかそこにあるとは夢にも思わなかった。

でもお気に入りの眼鏡だけに、見つかってよかった。

ただしこれは予備用とし、新調した眼鏡の方をメインに使うことにする。

 

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この時期の「八甲田山」

2015年01月26日 | 歳時

1月下旬は一年で最も寒い時期。
なので、この時期の冬山は最も厳しい。

冬山にはとっくに足を洗った私が、
毎年、この時期に観る映画(DVD)は、「八甲田山」。

明治35年の1月下旬に八甲田山に雪中行軍に向った青森歩兵第五連隊が、吹雪の山中で迷い(雪山にはもともと道はない)、数日間さまよって199名もの死者を出した、世界的大遭難事故を映画化したものだ。
原作は新田次郎の『八甲田山死の彷徨』だが、映画自体が力作(史実や原作より、ややヒューマンドラマ方向への改作はあるが)。
凍傷者をだしたという雪山のロケも迫真だし、俳優が豪華(高倉健、北大路欣也、三国連太郎、緒形拳、大滝秀治、加山雄三、栗原小巻、加賀まりこなどなど)。
この映画、当時珍しく家族全員で見に行った(芥川也寸志の音楽が重要なのにモノラルだったのが不満。DVD版ではステレオ化されている)。

私自身、麓の幸畑(コウハタ)からレンタカーで行軍ルートを辿ったことがある(現地で史実の資料を入手した)。

そもそもなぜこのような大遭難が起きたのか。
一番の原因は、気象にあった。
この時、太平洋上を低気圧が発達しながら北上し、大発達して、北日本に空前絶後の寒波をもたらしたのだ。
1月23日に出発し、第五連隊が八甲田山中に閉じこめられていた25日、旭川で-41℃という日本最低気温を記録した(いまだ破られていない)。
当時は、天気予報がままらなかったと思うが、このタイミングでの雪中行軍は、伊勢湾台風接近時に洋上訓練をするような暴挙で、最悪の判断だった。
好天であれば、まったく問題なかったようだから(数日後弘前31連隊は逆コースを無事通過)、天気判断を誤ったのが第一の原因だ。

もっとも、冬山に入る登山者は悪天候を想定した準備をするのは必定(それでも遭難が起きる)。
日本にアルピニズムが普及しはじめた時代だっただけに、冬山登山の常識や遭難時の行動原則が北国の軍隊に広まっていなかったようだ。

毎年この時期、かように私なりに"八甲田忌”を送る。

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冬の熊谷・聖天堂

2015年01月25日 | 

熊谷といえば、埼玉北部を代表する市で、最近では”暑い”ことで有名。
その熊谷に日帰りで行ってきた。
もちろん、厳冬期なので暑くはなかった。 

実は私にとって熊谷は、一時期、通勤の地であった。
昔、立正大学(熊谷キャンパス)で非常勤をやっていた時、往きは東武で森林公園に行き、帰りはバスで熊谷に出て帰宅していたのだ。
ただ、授業は短大夜間部だったので、熊谷に着くのは毎回夜であり、駅ビル内で夕食を食べて電車に乗るだけで、駅の外に出たことはなかった。
短大の昼間部(こちらも担当)は女子ばかりだが、夜間部は逆に男子ばかりで、わが大学教員人生において唯一男子学生を相手にした授業だった(新鮮な気分)。

それはいいとして、なぜ今熊谷に行ったのかというと、
熊谷の北にある妻沼(メヌマ)聖天堂が、日光の陽明門に見まがう派手さいうことを知り、それを見に行こうと思ったから。
この聖天堂、築は江戸中期だが、最近の大々的な修理によって建築当時の彩色が復活したため、平成24年見事に国宝に指定された。

名実ともに陽明門に匹敵するわけだ(埼玉では唯一の国宝建築!)。 

熊谷に着いたのが正午だったので、駅そばでも食べようかと思ったが、バスの便がよすぎて、待ち時間なく聖天堂行きに乗る。 

昼を食べ損なったので、まずは境内脇の騎崎屋という店で「実盛公うどん」(650円)を食べる。
そういう名のうどん(寺で売っている)に、黒い海苔の上に地元のとろろの細切りが載っているのが、実盛(サネモリ)の白髪を模しているのだという。
その他に蒲鉾とシイタケもついてくる。
店の応対も丁寧だった。

この聖天堂、まさにその斎藤別当実盛(老齢の身で源平の戦に奮戦したことで有名)が建てた寺で、彼の銅像もある。

誰でも見れる聖天堂の拝殿にも彩色はあるがこちらは控えめ。
国宝の対象になっている奥の本殿は拝観料700円を払う(拝観料は今後の維持費に充てるという)。 

本殿に達すると地元ボランティアが数人の客に説明中だったので、一緒に聞き入る。
陽明門と、いや各地にある江戸時代のお堂と同じく、中国の故事・風俗が彫刻されているが、それが3方の壁一面にしかも彩色されている点がすごい。 
客の一人が発した「なんで中国ばかりで日本の話でないんだ」という文句には、少し共感。

日光の左甚五郎の彫刻には及ばないが、色彩が施されただけで見栄えがまったく異なる(写真)。
日本人は、いつからか、極彩色よりもさびてくすんだ色彩の方を格上の美としたが、仏像やお堂など造られた当初は皆極彩色だった。
既存の美意識にこだわらず、素直な心で観賞したい。

といっても観賞に値するのはここだけなので(これが日光と異なる)、昼食を入れても1時間あれば充分。

熊谷行きのバスで往路を戻る。
ただし、駅まで行かず、その手前の「気象台入口」で降りる。
ほんの数年間とはいえ、「暑さ日本一」の記録を保持した熊谷地方気象台を素通りするわけにはいかないからだ。

気象予報士にとって気象台は聖地。
残念ながら建物内にはふらりと入ることはできないが(要予約)、気象観測が行なわれている露場(ロジョウ)を拝めれば、聖地巡礼を果たしたことになる。 
周囲を歩きまわって、露場を遠望することができた(写真はズーム)。

ここは正しく土の上に芝が敷かれていて、地面がコンクリの”館林”(最近は熊谷より高温を出している)に比べてハンディがあると、地元では不満が表明されている。

ここから駅まで歩く。

まず熊谷の地名と関係ありそうなので気になっていた熊谷(ユウコク)寺。
だがここは念仏道場のため門が閉ざされ、立入できない。
隣接する伊奈利社を詣で、原っぱ的公園になっている千形神社に立寄り、最後に熊谷の鎮守たる高城神社に達する。

ここは女性が次々とおとずれ、丁寧に時間をかけて祈り、境内を出る時も深々を礼していく。
かように特に女性の崇敬を集めているようだ(縁結び、安産の御利益を謳っているためか)。

境内に熊野神社があり、そこの説明では、昔この地に猛熊が跋扈し人々を悩ませていたという。
それを熊谷次郎直実(クマガイジロウナオザネ)の父直貞が退治して、熊野社を築いたという(当初の社はこの地でない)。

熊谷直実(熊谷真実じゃないよ)といえば、斎藤実盛と並び、源平合戦で活躍した武蔵武士のホープ。
武蔵武士は、秩父平氏系統なので、同じ武蔵でも東京より埼玉が本拠地。
熊谷氏はここ熊谷を名字の地としたわけだから、地名の方が先だ。
その地名は、ホンモノの熊に由来していたということか。

熊谷駅に着いて、地酒「直実」と熊谷名物「五家宝」を実家の土産に買った。
母は「五家宝」を懐かしみ、私は「直実」を賞味した。

私なりの”熊谷”を堪能した一日だった。 

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生活改善①:即席麺の塩分カット

2015年01月24日 | 生活

頭ではわかっていながら実行に移せないのは、そこにすごいハードルが立ちはだかっているためではなく、
「やってみよう」という動機を起こすキッカケ(背中の一押し)が足りないだけのことがある。
そういう類いのことをやってみてよかったと思うことが続いているので、シリーズ化して紹介してみる。
私と同じく、実行する”きっかけ”をつかみ損ねている人は、これを機に実行してみてはいかがか。

ラーメンは好きだが、特につゆの塩分が濃すぎるため、店で食べるラーメンではつゆは残すようにしている。

ところが、自宅で即席麺を作ると、具をたっぷり入れるせいもあり、具と麺とつゆが”三味一体”となっておいしく、ついついつゆも平らげてしまう。
はっきり言って、家で作るラーメンの方が満足感が高いのだ
(器をラーメン用の陶器から、やや浅めの木鉢にしてからこうなった。木鉢で食べるラーメンは最高!)。

ただ、たっぷり入れたいメンマは、味付きでない生メンマを使う(もちろん塩分カットのため)。
生メンマで充分な理由は、つゆの塩味がたっぷり染みているからだ。
つまりそれだけつゆの塩分は濃いー。

つゆをおいしく飲み、しかもその塩分摂取を抑えるという理想的な方法はあるのか。

ある。

つゆの粉末を半分だけ入れるようにすればいい(当然塩分も半減)。

実は、この方法、昔から知っていた。

最初に体験したのは、はるか学生時代の山岳部の合コン。
我が大学は共学なのだが、山岳部は実質的に男子のみだったので、女子大との合コンが可能なわけだ。
女子大ワンゲルとの合コンは、山でテント泊りでやる(男女混合で寝る ただし各人寝袋)。

山の中で昼食の即席麺をでかい鍋にぶちこんで作る時、彼女たちは、つゆの袋を人数の半数分しか入れなかった。
理由をきくと、それで味に問題ないという。
実際に食べてみて、確かに味が薄いということはなく、それなりに納得した。
ただ、その頃は塩分カットなどまったく念頭になかったので、つゆ袋の節約のためと解釈した。
なので、私がこの行動を取り入れるキッカケにはならなかった
(私の対人関係が変化するキッカケにもならなかった…)。

実家で、母が私と2人分のラーメンや焼そばを作る時、同じようにつゆは1人分しか使わない。
それも知っていたが、私でなく母自身の塩分カットのためだと勝手に解釈していた。

直接のきっかけとなったのは、つい先日観たNHKの「ためしてガッテン」。
入れるつゆが半分でもまったく味に変化ないことを山瀬まみをはじめとする出演者たちが大きく頷いていた
(その後、やった行動はご承知の通り)。
それを見てやっと実行する気になった。
芸能人たちの演技力たっぷりの”感心”が必要だったようだ。  

マルちゃん正麺の「カレーうどん」でやってみた。
確かにまったく問題ない。
これなら、何の後ろめたさもなく、堂々とつゆを飲み干せる。
今後は、即席麺の摂取塩分は半減する(正確には麺の塩分はそのままなので2/3)。

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サッカーの試合

2015年01月23日 | 時事

アジアカップの日本対UAE戦を見ていて、日本が勝てる気がしなかった。

だってさんざん打ってるシュートが全然ゴールに入らないんだもん(1回以外は)。

パスの練習もいいけど、シュートの練習が何より必要だな。

なにしろPKで2本も外すし…。

日本のチームって昔から”ボール支配”が目標らしい。

今回の支配率は68%に達したから、さぞ満足だろう。

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表現者としてのつまづき

2015年01月21日 | 失敗トラブル

ブロガーというささやかな(ほとんど自己満足的な)”表現者”を自認している私は、そこは表現者の1人として、モラルを尊重し、堅持しているつもりだ。

たとえば公序良俗に反したり、他者を侮辱するような表現は謹む。

だから、犯罪的動画をアップすることも、異教の預言者を蔑むことも決してしない。

だがその一方で、読者のアクセスを期待し、耳目を集めそうな話題を提供したい気持ちは抑えることは難しい。

その欲がつまづきの原因となってしまった。

表現したいという気持ちが、それが禁忌であることを失念させてしまった。

その記事は急いで削除した。

抽象的な表現で申し訳ないが、何についての事なのかも明記できない。

この失敗を心に刻み、二度と繰りかえさないために、こうして記事にする。

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タラバ食べ放題

2015年01月18日 | 

昨日のハード?な入試業務の翌日、前々から予約していた「ホテルグリーンプラザ浜名湖」に泊る。

もちろん”慰労”のためである。

ただしこの宿は大浴場こそあれ温泉ではないので、慰労目的としてはベストではない。

ではなぜここにしたかというと、もちろん表題にあるように、この宿の夕食で「タラバ食べ放題」を堪能するため。

この宿は普段は”ズワイ”食べ放題なのだが、この時期に限ってタラバに変わる。

せっかくなら肉厚なタラバの方を食べ放題したい。

浜名湖周辺には、同じようにタラバを食べ放題できる宿(しかも温泉)があるが(数ヶ月前の記事で紹介。「温泉」カテゴリーで見つかる)、こちらはちゃんと焼いてくれるので味がいい(あちらは解凍しただけなので水っぽい)。
そして客室が和洋室なので、居住性もいい。宿代もそれなりだから。

その分、客層もこちらの方が若干だが上な感じがする。

ただ今回「タラバは1人1回あたり5本まで」と貼り紙がしてあったように、無節操が目に余る事態があったようだ。
無節操は、礼を破壊して法の強制に委ねてしまう、作法とは対極の行動様式。

たしかに同じ食べ放題でも”カニ”があると人は殺気立つ。

こういう本能全開になる場で節操を保つのが、真の文明人なのだが…

従業員は毎日この光景を見て、人間の醜さに辟易しているかも。

そんなことを思いながらも、自分も幾度か往復してタラバを堪能した。

ズワイはハサミの方に肉が集中しているが、タラバは脚に肉が充分にあり、ハサミはむしろ殻が固くて肉が取り出しにくい。
なので、ハサミ部分だけが客に取られず残っている。

カニ用の酢よりも、焼きイカ用に用意してあったマヨネーズを(控えめに)つけた方がおいしいことも発見。

もともとカニは日常的には食べないが、こうして食べ放題で充分に堪能すると、もうしばらくは食べなくていいという気分になる。

その気分になりにきた訳だ。

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大河ドラマの主人公はこの人を

2015年01月14日 | 作品・作家評

NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」が前評判どおり大苦戦している。

私も暇に任せて初回をチラ見したが(決して入り込めなかった)、それで私にとって今年の大河は終わった。

「篤姫」のタナボタ的成功体験が災いして、それが「八重」を経てさらにドツボにハマっているようだ。

これでいいかげん目が醒めるだろう、いや醒ませよ!

ネットでも我が周囲でも大河でやってほしい人物が時たま話題になるが、えてして、自分の歴史的オタク的知識をひけらかす場になり下がっているのが現状。
企画として採用したいものはない。 

 私個人は、太田道灌が活躍した前・戦国期の関東の争乱を描いてほしいのだが、これはちょっと地味なことは自覚している(道潅は無敗の名将で、文化人で、江戸の礎を築いたことは高く評価したいが)。

それなら小田原北条氏の方が大河として受けるだろう(謙信や信玄も登場する)。

 

ならば、推したいのは「武田勝頼」。

大河の主人公になっていない戦国武将で、彼に匹敵する人物はいない(あとは小物ばかり)。

武田家の滅亡は信玄以上にドラマチックなのに、これをきちんと描いたドラマは見たことない。

父信玄の存命中は諏訪氏を名乗らされ、武田氏の嫡流に列せられなかった(このへんの心理的葛藤をまずは描ける)。

だが父の死後は父以上に版図を拡げ、武田氏の最盛期を迎える(父も攻略できなかった高天神城を奪取。そして美濃へ侵攻し、なんと「女城主」が実現!)。

だが、「長篠の戦い」で大きくつまづき(長篠城攻めを含めたこの戦いも入念に描ける)、

そして信長の侵攻に伴なう周囲の裏切りの連続に遭う。

最後は大菩薩の山中・天目山にて妻子とともに自害(ここまで悲劇的要素がたっぷり)。

皮肉なことに、武田氏を滅ぼした当の信長もこの半年後に「本能寺の変」で最期を遂げる(これも後日譚として入れたい)。

信長・家康を憎き強敵として描く視点にも新鮮さがある。

そして何より、新田次郎の分厚い原作がある。

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中間レポートを採点

2015年01月12日 | お仕事

昨日は公募制入試のため休日出勤。

せっかくの連休を楽しめないため、
今日は名古屋宅に籠って、授業中に課した中間レポートのチェックに充てた。

私が課すのは、心理学のしかも体験や内面を書く内容なので、一人一人レポートの中身が異なり、また個人情報というか、抑圧された感情やトラウマ的内容まで書かれているので、気楽に流し読みもできず、時にはこちらの心まで重くなってしまう。
さらに受講者が多い授業3つ分なので、量的にもたいへんなため、土曜から1日づつ1つ分をこなしてきた。

このチェックを後期試験前にやっておかないと、最後の成績つけが地獄となるのだ。

もちろんチェックというのは読んでそれなりに”評点”をつけること。

午後2時前、それがやっと終わった。
とりあえず、目の前の壁は乗り越えたことになる。

気分転換に外出して、コーヒーブレイク用のシュークリームを買ってくる。
そして今晩は鍋だ!

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虹の色はいくつ?

2015年01月07日 | お天気

昨日、東京から新幹線で帰名中、相模平野を疾走中の車窓から、丹沢方面に虹がかっているのを見た。

南の相模湾側が晴れて、北のの丹沢側が雲に覆われていて、南からの太陽光が雲のスクリーンで分光したわけだ。手元のiPadminiで撮影した(上写真、クリックすると拡大するかも)。 

虹って幾色だろう。

「七色の虹」というが、皆は本当に7色見えるのか。
確かに、理屈上は、太陽光がプリズムなどで分光すると、スペクトル上の7つの純色(赤、橙、黄、緑、青、菫、紫) に分れる。
ただ、この7色の分布は、赤~黄の間が密で、緑周辺が疎になっていて色相間隔が均等でない。 

アフリカでは「3色」といわれる。

実際、私がこの虹を見ても、外から赤・黄・青の三色に見え、緑や紫は見えない。

だから私が虹の絵を描くとしたら、上の3色を使う
(幼稚園の時、太陽を白と黄色で描いたが、先生に「太陽の色は赤でしょ」といわれたものの、その色彩感覚にまったく納得できず、従わなかった。私は今でも日中の太陽が”赤く”は見えない)。

ただ、3色なら光の3原色の「赤・緑・青」であるべきなのに、なぜ緑の代わりに黄なのか。

色料の3原色CMY(シアン、マゼンタ、イエロー)が光学現象で見えるのもヘンだ。

人間の色覚細胞では、赤−緑、黄−青の反応系になっているから、この心理4原色が見えてもおかしくない。

赤と黄は誘目性が強いから目に留まりやすいとして、残りがなぜ緑でなく青なのか。

真ん中の黄はやや白みがかって明度が高い。すなわち両端の赤・青と明度差が強い。
そうなると明度差の対比効果によって、明度境界が強調されてしまい、色相的にも明度的にも中間色である橙や緑が見えにくくなってしまったのかもしれない。

 虹自体が神秘的だが、それが構成する色も不思議だ。

ついでに、虹を見つけたら、その虹の外周にうすい副虹があるはずなので、探してみよう。
すなわち、虹はいつも2重になっているのだ。 

副虹は、色の並びが逆になっている(赤が内側)。

今回は、左端の付け根付近にしか副虹は見えなかった(写真には写っていない)。 

 

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仕事始め

2015年01月06日 | お仕事

私にとっての仕事始めの今日、2週間ぶりに名古屋に戻る。

長期に名古屋宅を空ける時は、車のバッテリのマイナス側を外して帰るのだが、

今回はそれをやり忘れて帰省したので、心配だったが、エンジンはなんとかかかった(若干ヘタレ気味だった)。

軽く会議をこなして、あとは研究室内での雑用を済ませ、来年度の卒論ゼミの希望者の面談を受ける。

暗くなったので帰ろうとしたら、キーケース(研究室と車と家の鍵が入っている)が見当たらない。

何も考えずにポイと置いてしまうと、研究室内では探すのがたいへん。

なかなか見つからないので、ポイと置いた下のゴミ箱に入ったかも。
そしてそのゴミ箱は会議中に廊下に出しておいて、空にしてもらっていた。

急いで、管理人室に行って、事情を話し、ゴミ集積所に行き、ゴミをあさる。

見当たらないので、また研究室に戻り、再び探す。

そうしたら、書類の下にあった。

鍵のある平凡な生活のありがたみを痛感したひととき。

無事、自宅に帰り、シャワーを浴びて、体重計に乗る。

正月太りしていると思ったら、ちっとも増えていなかった。

あれほどお節をばくばく食べたのだが、お節の素材ってカロリーは低い。

やはり餅を控えめにしたためだろう。

というわけで、正月前と変わらない状況で新年の再出発。

 

 

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初詣はしご

2015年01月05日 | 東京

1月も5日(月)となり、世の中は平常モード初日となったが、
私は明日がその初日なので、今日は正月休みから平常モードへの移行日として、

そして食べ正月でなまった体に喝を入れるため、ウォーキングに出た。

といってもまだ出不精気分が残っているので、遠方に出かける気が起こらない(本当は栃木の佐野の唐沢山城跡などを考えていたのだが)。

そこで何も考えずに、自宅から徒歩でふらりと行けるわが地元の「谷中七福神」詣でに決めた。

まずは田端の東覚寺。
この寺の本堂に上がって、本尊や閻魔像などを拝す(本堂に上がることを勧める)。

谷中七福神巡りの人は、駅や寺で入手した案内地図を手にしているが、私は勝手知ったる界隈なので、タブレットの地図さえも見ずにすたすた歩く。

東覚寺以外にも幾つかの寺は、本堂に上がるので、靴は着脱しやすいものがいい。
それと、寺の参拝はもちろん”合掌のみ”なのだが、
いい歳した人でも、神社式の参拝(2礼、柏手)をしている。
こういう人は、正月くらいしか寺社に参拝しないのだろう。

最後の不忍池の弁天堂に難なく達したので、さらに延長して、湯島天神に向う。

湯島天神は意外に空いていた。もうじきセンター試験だが…。

小腹がすいたが、沿道の出店では買う気がおこらず、道脇のコンビニでコロッケと春巻きを買う。私にはこれで充分。

神田明神に達したが、背広姿のサラリーマンたちの大行列が境内の外の普通の道に途方もなく続いている。
周囲のオフィス街では仕事始めに神田明神を参拝するならわしがあることを思いだした。
この長大な行列の最後尾に並ぶ気にはなれないので、残念ながら神田明神(江戸の鎮守なのに)は省略。

その代わり、向い側の湯島聖堂に入る(写真)。

こちらはうって変わって静か。
でもちゃんと、門松が立てられ、絵馬が売られて”初詣”の対応がしてある。

堂内の孔子様に賽銭を投げ、合掌した(そういえば儒教式の参拝って知らないわ)。

実は神田(お茶の水)に向ったのは、書店に行きたかったから。

駿河台下の書店街に行く手前、お茶の水駅の裏側に丸善がある。
ここも本がそれなりに揃っているので、まずここに入る。

探していた本があったので、ここで買い、JRで帰宅した。

ウォーキングと初詣と欲しかった本を買えたので満足。

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餅は必ず焼く

2015年01月03日 | 歳時

今年もめでたいはずの正月に悲劇が起きている。

餅を喉に詰らせる事故だ。

防止策として「小さく切り分けて」というのが公式見解のようだが、

一向に事故が減らないのは、その対策が食べ方として不自然だからだろう。

昨年も書いたことだが、私は「必ず焼いて」を推奨する。

そうすれば、必然的に、歯で切り分ける。

喉を詰らせるのは、雑煮やぜんざいなど、煮込んだ場合のはず。

焼かずに餅を煮込むと餅の粘性が増し、噛み切れず、塊のまま喉を通り、私でもあぶない。

焼けば餅の表面が固くなるので、噛み切ることが必要となり、しかも柔らかいので、高齢者でも噛みきれる。

表面には粘性がないので、意思に反して大きな塊のまま喉に滑ることはない。

そして何より、焼いた方が固くなった表面に味がしみ込み、美味しくなるのだ。

いそべ巻にする場合も勿論焼く。

そのほうが醤油の乗りがよくておいしいからだ。

昔は餅は火鉢に網を掛けて焼いていた。

今なら、オーブントースタでいい(もちろんコンロに網をかけても焼ける)。

餅は正しく食べれば安全でおいしいのだ。

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三が日を過す

2015年01月02日 | 歳時

正月三が日はあえて無為ですごす。

元日に近所の鎮守には初詣をするが、基本は家に居て、昼から酒をのみ、お節料理を食べるだけ。

自宅での昼の飲酒を自分に許容しているのはこの三が日だけ。

夜になっても腹が空かないので、餅を2個ほど磯部巻にして食べる。

昔だったら、正月用の特別番組を観ていたが、今は「箱根駅伝」を見入ることなく、眺めるくらいか。

余った時間は、読書に費やす。

といっても研究書ではなく、このときばかりは歴史書、しかも15-16世紀の関東に絞る。

この頃の関東は、古河公方⇔両上杉の三つ巴から、後北条・上杉・武田の三国時代に続く混乱の極み。構造が複雑なだけに、いくら読んでも飽きない。

 

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