今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

紫外線測定三昧

2008年05月27日 | お天気
紫外線測定のオニとなっていろんな状況で測りまくるぞ!
その第一弾報告。

まず測定器は、「デジタル紫外線強度計 UV-1」というコンパクトな製品(5千円代)。
表示されるのはUVindexだが、具体的な紫外線の計測範囲は不明。
でも私設気象台の観測値との差が小さいので値は信用できる。

肌の強度とSPF値を入力して、日焼けするまでの時間も表示できるのが便利(つまりUVDoes計測の代わり)。
ただし、UVindexの精度はプラマイ1と大ざっぱなのが難。
精度が0.1となると値段が10倍する

この手の機器はセンサー部を正しく太陽に向けないと、過小な値となる。
なので、向きや角度を微妙に変えて数回測定し、その最大値を採用することにしている。

天空の方向
太陽に向けると7だが、センサーをそれよりずらすと値が次第に下ってきて、水平面(真横)だと1になる。

【日陰の効果】
日差しのある所では7であっても、日陰となると途端に1となる。
つまり直射日光の効果が絶大で、空や壁面の紫外線散乱・反射の効果はそれ自身ではとるに足らないようだ。

【ガラスの効果】
バスに乗って測ってみた(以下すべてセンサーを太陽に向けての測定)。
外が7の時、バス座席の遮光ガラス越しでは1になる。
遮光でない普通のガラス(バスの前面など)では2だった。
2以下は、安全値。
だが地下鉄の地上(藤ケ丘~上社間)では、5にしか下らなかった。

【メガネの効果】
自分が普段かけている眼鏡(透明の遠近両用)はUV効果が謳われているのでそれを確認すべく、
センサーのすぐ上に眼鏡のレンズをかざしてみた。
そしたら7のまま。
他社製の眼鏡のレンズでも同じ結果。
UV効果なんてないじゃないか!

サングラスではどうか。
眼鏡店で買ったきちんとした物は7を2(安全圏内)に下げた。
だがホームセンターで買った安物は7から6にしか下らなかった(確かにUV効果の表示なし)。

外出時は眼鏡の人も、ちゃんとしたサングラスをした方がいいということだ。

紫外線量の観測誤差

2008年05月26日 | お天気
紫外線の悪影響はマスコミで騒がれるものの、では自分が今現在浴びている紫外線量はどの程度なのかというと、誰も知らない。
気象庁のサイトには「紫外線情報」があり、全国の紫外線量の分布が載っているが、気象庁が実際に紫外線量を観測している場所は、なんと日本でたった3ヶ所だけ。
なので、他の地域は天気などからの予測値にすぎない。
しかもネットでの値の更新は1時間おき(1時間内に紫外線量は変化する)。

そこで、名古屋と東京に設置しているわが「私設気象台」で10分ごとのUVindex(有害紫外線量の指標)を常時観測・配信をしている。
さらに名古屋の2ヶ所(星が丘、日進)では、被曝累積値であるUVDoesの10分間の値も配信している。
この累積値が1になると、日焼けを起こす。
とにかく、まずは観測なのだ。

だがその観測値を盲信するのも問題だった。
わが「私設気象台」でのUVindexの日変化をみると、いつも日の出後と日没前の1時間は値が0のままとなっていた。
その間、日射量はちゃんと値があるので、日差しはあるはず。
この観測現象については、太陽高度角が低いと、紫外線を吸収するオゾン層を通過する距離が増えるので、日射量の割に紫外線の到達量が減るという理屈で納得していた。
同様の観測値を得ているためか、気象庁の紫外線情報でもそのような値になる。

先日、携帯できる簡易紫外線測定器を入手した。
表示精度は低いが、どこにいても計測できるのがいい。
そいつで、日没直前の18:30(日没は18:57)、太陽へ向けて測ったらUVindexは2を示した。
ところがその時の「日進」のUVindexは18:30現在で0(17:00で1を切っていた)。
おそらく、「私設気象台」では測器の設置位置の制約で、太陽高度が低いと直達光から外れるため、測定不能になっていたのではないか。
すなわち、日差しを浴びていれば、夕方であっても紫外線を被曝する、という常識的思考が正しかったのだ。
もちろん、この実感を確認できたのも、観測によるわけだが。
勝手な理屈で納得する前に、きめこまかい観測こそすべての始まりであることを痛感した。
これからは、紫外線測定のオニとなって、いろんで状況で測りまくってみる。


傘を置き忘れて

2008年05月25日 | 失敗・災難
雨がこれから降りそう、またはさっきまで降っていて、今現在はまったく降っていないという状況で、使わない傘を持っている姿って、
屋根のある商店街を傘をさして歩いているのと同じく、とるに足らぬようでいて、とても無駄・無意味なことやっている感がある。
なので、往復のどちらか一方だけが雨にみまわれるとわかっている時は、そのような無駄な思いをしないですむ、それ専用の傘を持ち歩くことにしている。
ささない時はステッキに変貌する傘だ。

名古屋にいる時の土曜は、授業がないので、のんびり出校する。
今は雨が降っていないが、午後から降るのは、空を見れば誰でもわかるほどの状態。
なので、ステッキ傘を、傘には見えないステッキモードにして、家を出る。

市バスの左側先頭の座席(進行方向の見晴らしがいい)に坐り、ステッキを座席の左前に立て掛ける。
終点の他大学の門前で降りる。
最近は、共通のバスカードで私鉄バスの方もよく使うのだが、困ったことに、カードでの支払パターンが両者で異なる。
市バスは、均一料金なので、乗る時のみにカードを入れるのだが、私鉄バスは、乗った距離によって料金が異なるので、乗る時と降りる時にカードを入れる。
そう、読者のみなさんの予想通り、
市バスなのに、私は降りる時に思わず再びカードを入れてしまって、2回分の運賃を支払ってしまった。

そして、ポカをやる時って、連続するのが通例になっている。
さて、帰宅しようとするとすでに雨が降っている。
そしてその時、身の回りにステッキ傘がないことに初めて気がついた。
忘れたのはバスの中だ。
あの時は、まだ雨が降っていなかったので、支払いのポカの方に気が行ってしまって、ステッキを座席に置き忘れたままだったのだ。

パソコンのネットで、市バスの営業所を探し、電話してみる。
電話は通じ、用件を話すと、しばらく探す間があって
今は該当するような品は届けられていないという。
ただ、私が乗ったバスがまだ帰還していないので、最終的にはまだわからないという。
そしてバスが帰還したら、営業所の方から電話してくれるという。
それに最後の期待をこめて電話を切った。

帰還予定の時刻をすぎた頃、電話がかかってきた。
私が説明したステッキ状の物が、届けられたという(それが傘でもあることは確認できないはず)。
翌日、営業所に取りに行くことにした。

雨がやんだ翌日、車で営業所に行った。
市バスの営業所内に入るのは初めてで、映画(『月はどっちに出ている』)でみたタクシー会社の所内のような感じで、複数の運転手が休憩する広い一室があり、その奥に事務室がある。
「外来受付」とある事務室に入っていった。
事前に電話したので、私の来訪はすぐ了解された。

一日ぶりに目にするわがステッキモードの傘を受取っていると、
運転手の制服を着た、事務室の中の人たちが「それはどこで売っているのか」と興味を示し、「後学のために、使い方を教えてほしい」とリクエストされた。
大事な傘を預かってくれたので、こちらもサービス心がはたらく。
手品のスローモーションのように、ステッキを傘に変貌させた瞬間は、期待通りウケた。
受取の書類を書きながら、この傘を買った理由を話し、「でも忘れてしまっては意味ないですよね」と締めて、一応笑いをとった。
自分が人様の迷惑をかけるたびに痛感するのだが、今回も、市交通局の人たちの親切な応対がうれしかった。

春の運動会

2008年05月18日 | 身内
4歳の甥・柊聖(しゅうせい)が通っている幼稚園の運動会。
私がそこの園児だった頃は、狭い園庭でやっていたが、今では、園児1人に対し観客3-4人が来るので、隣の高校のグラウンドを借りて開催。
たしかにウチにとっても、柊ちゃん1人に大人4人と赤子1人が見に行く大イベントと化している。

さて、昨年は入園したばかりで、運動会でママを探して泣いていた柊ちゃんも、今年は”年中さん”としてしっかりやってくれるだろう。

まずは、「かけっこ」。
昨年の年少さん(3歳児)クラスでは、「かけっこ」なる競技概念そのものが本人たちには理解不能だった感じだが、今年はちゃんと走れるはず。
ところが実際には、4歳児では、視線の先にいる保母さんがゴールだと思って、多くの子がカーブに沿わずに直線に走ろうとする。
柊ちゃんはそのカーブのところで転倒し、立ち上がろうとしたら、さらに後ろの子も柊ちゃんに覆いかぶさるように転倒してきた。
けなげに立ち上がって完走したものの、結局はこのトラブルのためにビリだった。
(後で聞いたら、後ろの子に押されて転んだという。
肉眼ではそうは見えなかったが、ビデオのスローで確認したら確かにそうだった)。

次いで、お父さんが園児を乗せて引っぱるタイヤレース。
柊ちゃんをタイヤに乗せたパパは張り切りすぎて、急発進したら、柊ちゃんは足を高々と上げて、顔から地面に転落(写真)。
大泣きしながらも、タイヤに乗って紐に捉まってレースは敢行。
このアクシデントがあだとなって、柊ちゃんたちのクラスはビリ。
顔には擦り傷が残った。
残念ながら、今年も泣いてしまったな

と、このように散々な目にあった運動会だが、今年で97歳になる園長先生の元気な挨拶で無事終了。
夜は柊ちゃんのリクエストで、焼き肉パーティで締めた。

冷し中華!

2008年05月17日 | 歳時
5月(夏期の初め)になったら、冷し中華の”食べ初(ぞ)め”を恒例行事にしている。
夏の風物詩の冷し中華だが、冷し中華が夏にしかメニューにないのは差別だとして、1975年「全日本冷し中華愛好会」(全冷中)が結成されたのは記憶している。
冷し中華が好きな私はその気持ち・意気込みに共感こそしたものの、決して同調はしなかった。

私は季節感を大切にしたいので、冷し中華はソーメンとともに夏期以外には決して食べない、という信念をもっているのだ。
同じく、「鍋焼きうどん」(名古屋では「味噌煮込みうどん」)は冬期以外には食べないし、「餅」に至っては”1月中”に限定している。
言い換えれば、だからこそ冷し中華は夏を迎えるための重要な儀式の役割を担っている。

それで冷し中華の食べ初めだが、
毎年、今まで食べなかった店を選んで注文することにしている(東京に限定。名古屋での麺食は世界で名古屋だけの”あんかけスパ”に絞っている)。
つまり、時期的に食べ初めるだけでなく、その店の冷し中華を初めて食べることでもある。
そこで幸福な経験をすれば、この夏はいい夏になるという一種の占い的要素をも兼ねているのだ。

しかし、これは冒険(ギャンブル)でもある。
なぜなら、冷し中華は当たり外れの振幅がおそらくラーメンの数倍も大きいからだ。
たとえば、ラーメンなど他のメニューは合格だったので、その店で冷し中華を注文してみたら、失望だったという体験を過去幾度もしてきた。
昨年は、ネットで冷し中華をアピールしている店を選び、わざわざ電車に乗ってその店に冷し中華を食べに行ったのだが、結果的に失望させられた。

それに懲りて、今年は冷し中華を目的とせずに、通常の買物ついでに立寄れる店にふらっと入ることにした。
今回の帰省では秋葉原に買物があったので、その地で目をつけていた店に入ることにした。
東京の住人なら、電気製品の部品を買う秋葉原は、もともとは食事するに値する所ではいということは周知だった。
それでもここ数年、街全体が大衆化したおかげで、それなりに個性的な食べ物屋ができ(遠来客が秋葉記念のために並ぶ「じゃんがらラーメン」など)、私自身、買物ついでに昼食をとるようになっていたので、運命を託してみようという気になったのだ。

今日選んだ店は、すでに冷し中華以外のメニューでは合格の店。
11時半、開店最初の客として入った。
冷し中華系にはいくつか具の違いから複数のメニューがあるが、一番シンプルな「冷し中華」を頼んだ。

数分待って出てきたそれを見て、早くも後悔した。

冷し中華の評価はまず、トッピング(具)から始まる。
私にとって、トマトと果物は減点対象。
これらのアイテムが冷し中華の味覚的組合せに入ることは私には考えられない。
トマトは単独でそのまま食べた方がましなので、どうしても出したければ、別の皿に出してほしい。
それから個人的嗜好で鳥肉は決定的。
茹でた鳥肉のさっぱりした食感が、冷し中華に合いそうなことは客観的には理解できる(豚や牛よりも)。
だから減点とするには忍びないが、私は鳥肉というアイテムそのものがダメなので、申し訳ないが、それだけで合格対象でなくなる。
最近は冷し中華に鳥肉が載ることが多いので、頼む時、鳥肉が入っているか確認することがあるのだが、今回はそれを怠ったのが悔やまれる。
他のトッピングはオーソドックスなもので問題はない。

鳥肉を外して、食べはじめる。
次の評価は麺とつゆ。
麺はもちろん固めであること。
ここのは少なくとも軟らかすぎではない。
つゆは中華風のゴマだれが好きなのだが、オーソドックスな醤油味でも評価はさがらない。
しかしここのつゆは、酢が強く、まるでところてんの汁のように酸っぱさが残る。
これは好みの問題かもしれないが、私には酸っぱすぎ。

これが今年の食べ初めの結果だ。
う~ん、今日のは無かったことにしたい。

ウェストン神

2008年05月11日 | 
雨が止んだ翌朝、「中津川」という川の奥、恵那山麓のウェストン公園で開催される「ウェストン祭」を見に行った。
”日本アルプス”を世界に紹介し(命名者ではない)、日本には近代登山を紹介したウォルター・ウェストンは、私を含めた日本の登山者にとっては父なる存在。
その父なるウェストンは明治26年5月11日に、中津川から残雪の中、恵那山に登頂した。
その紀行が彼が著した『日本アルプス:登山と探検』(岡村精一訳、平凡社)に載っている。
その行跡を記念して、彼のたどったルート上の恵那山の登り口にウェストン公園が造られ、登頂した5月11日に記念祭が行われる(彼の登山道も復活した)。

公園につくと、市の役職者らしい背広を着た人やスタッフ用の上着を着た運営者たちが、それぞれ談笑している。
なんかみんな互いに知り合いみたいで、内輪の行事っていう感じ。
なので、純粋な見学者=部外者の私だけが、ポツンと一人でいる。

”祭”は本当に神社的な祭りで、腕組みして恵那山方向を見ているウェストンの半身像は、竹竿で囲まれ、四手が飾られ、背後に依り代が立てられ、像の前には祭壇が設けられ、神饌(供え物)が置かれている(写真)。
そして、恵那山神社の神主がウェストン像に向って祝詞を唱え、お祓いをする。
われわれ参列者もウェストン像に向かって拝礼し、柏手を打つ。
ちゃんと「降神の儀」や「昇神の儀」などをやって、英国国教会の宣教師(牧師)W.ウェストンの御霊(みたま)をご神体とした、祭事となっている。

見ていてつくづく、神道って面白いなぁと思った。
だって異教の外国人をも自分たちの”神”として礼拝の対象にできるんだから。
たとえば、数年前に行った青森の新郷村でも、我が祖母が世に出した「キリストの墓」の前で神事をして、キリストを神道の神の一員としてしまう。
そういえばその新郷村もウェストンとかかわりがあり、ウェストン祭が行なわれる。
ウェストン祭は日本で数ヶ所行われ、いずれも神道式の儀式が行われるようだ。
これを知ったら宣教師ウェストンは苦笑するだろうか。

実は、かのウェストンは、宣教師でありながら、キリスト教的価値観に固執した目で日本を見ていなかった。
日本の民間信仰を無知な邪教とはみなさず、木曽の御嶽信仰に学術的に興味をもち、冷静かつ詳細に観察している(逆にいえば、御嶽信者たちは異教の外人に自分たちの宗教儀式を堂々と披露した)。
彼は古代ギリシャ人とともに日本人を非キリスト教徒の偉大な民族としてリスペクトしている。

そして神道を奉じる日本人側も、この異教の外人に寛大であった。
確かに、飛騨の笠ケ岳に外国人として最初に登ろうとした時は、山を信仰する地元から妨害に逢った。
ところが、彼が山梨の鳳凰山地蔵岳の岩峰に初登頂した時は、麓の人々はその壮挙に驚き(”役行者(えんのぎょうじゃ)”に匹敵すると思ったのか)、
日本語もろくに話せない白い肌の英国人に神主になってくれと頼んだ(もちろん宣教師の職にあるウェストンはその申し出を丁重に断った)。
”寛大な心”(これこそ宗教に必要)によって、異国のキリスト者とわが国の神道の民は互いに敬意を払うことができたのだ。

さてこう考えている間も、ウェストン祭は進む。
私は一人ぽっちながら、神事に参加できたので満足。
神事って厳粛な気持ちになれるから。
地酒「恵那山」によるお神酒が参加者全員に振舞われ(猪口半分だから無問題ね。それしにてもこういうシーンで飲む日本酒ってどうして旨いんだろ)、
最後に、山を愛したウェストンにちなんで、公園内の植物に対して、年に一度の御褒美として、皆で紙コップに入った肥料をまく。
伝統的神事だけで終わらせない、なかなかいい趣向だ。

厳粛な神事が終わると、次は「直会(なおらい)」ということで、目の前で焼かれた五平餅と入れ立てのココア(ウェストンが恵那山頂で作って飲んだ)それに漬物がふんだんに供される。
私も、五平餅を幾本も食べ、漬物は手にのせて食べ、ちゃんとクリームの入ったココアもお代わりして、思わぬ昼食にありつけた。
しかもウェストンのイラストの入ったカップはプレゼントされる。

何しろ「神事」だから、市の税金ではなく、賛同者たちのボランティアでまかなわれているようだ。
私は単なる見学者なので、一銭も払わずに、こんなゴチになってしまって申し訳ない気持ち。
その代わり、中津川市には観光客としてお金を落としていくからね。

ビジネスホテルがマイブームに?

2008年05月10日 | 
「今月の旅」として、岐阜県の中津川に来ている。
この地にはそもそもお気に入りの定宿があり、そこに泊る目的なのだが、土曜は予約がとれなかった(日曜以降は定宿へ)。
そこで満室にならない温泉民宿にしようと思ったが、ネットで調べるとどうも居住性が悪そう。
馬籠や妻籠の民宿に泊ったことあるが、食事はよくても部屋が貧乏くさいので、民宿はやっぱり選択肢から脱落。
結局、同じ価格帯の国道沿いのビジネスホテルにした。

わが旅も最近は変質し、温泉よりも居住性を重視する方向。
その居住性とは、読書とパソコン作業のしやすさがポイントなので、座布団と蒲団の和室より、狭くとも椅子とベッドの洋室が勝る。
(それでもホテル室内の椅子は使わず、折り畳み式のリラックスチェアを持ち込む。どんな物かは我がサイトの「イチ押し」コーナーへ→直リンク
だから”豪勢な”料理で高くつく和風旅館よりも、民宿価格のビジネスホテルの方が、健全にカロリーコントロールもしたい身にとっては合理的選択となる(アルコールの方はコントロールから外す…)。

今回選んだホテルは「ルートイン」という全国展開しているチェーンホテルで、「小笠原氏史跡の旅」(我がサイト参照)などで各地で利用してきた。
このチェーンホテルは(たとえば東急インなどと異なり)、地方の小都市や郊外などにあり、私にとってはなぜかいつも訪問先に一番近いホテルとなる。
今回も、恵那山麓でやる「ウェストン祭」を見に行くのだが、国道沿いながら(ちょっと奥に入っているので騒音はない)そこに一番近い所にある。
もちろん、それも選択理由。

このチェーンホテルが他のビジネスホテルと違うのは、ロケーションの絶妙さだけでない。
温泉地でなくても人工温泉の大浴場を完備している点も大きい。
ビジネスホテルであっても、日本人はどうしても室内の小さなバスタブではなく、大浴場に入りたくなる(仕事が終わってのひとっ風呂はとりわけ)。しかもそれが「温泉」ならなおありがたく、寝る前や朝も入りたくなる。
ただ、いくら温泉大浴場があっても、シングルルームが閉所恐怖症を起こさせるクソ狭さだと、二度と泊りたくなくなる(けっこう多い)。
それに対し、ここのベッドはセミダブルで、部屋も学生アパートの個室程度の広さなので文句はない。

それにビジネスホテルはLANが使えるのが大きなアドバンテージ。
LAN設備のない普通の観光宿だと、メールチェックができないので連泊すると気が気でなくなる。

ビジネスホテルだとネットで予約ができ、週末の方がかえって部屋をとりやすいのもうれしい。
温泉へのこだわりがなくなりつつある私には、これからはちょっと足を伸ばしたビジネスホテルが週末の気分転換の宿になりそうだ。


私のGW

2008年05月06日 | 生活
私のGWは、どこに行っても混むので例年通り旅行はせず、かといって図書館に通っての仕事もせず、いつもの週末の帰省と同じく、近場への買い物程度の外出だけで、あとはだらだらしていた(読書をするとすぐ眠くなって夢の世界へ)。
といっても、実家のパソコンが故障したのを解決し(5月4日の記事)、それと前後して自分のパソコンもへんになったのを解決し、そして最後には携帯電話のトラブルが発生したのだが、これも解決した。
つまり、トラブルが次々に起きて、それらをそれぞれ解決して終わっただけのGW。

特に最後の携帯電話は、モバイルSuicaで電車に乗り、乗っている最中に、携帯をいじくってダイヤルロックをかけてしまい、その解除が仕方がわからないので、改札を出られず、
恥を忍んで、改札口で訳を話して、現金を支払って出てきた、というお粗末なトラブル。
この携帯の分厚いマニュアルは名古屋に置いてあるのだが、さいわい自分のパソコンにマニュアルのPDFを入れておいたので、家に帰ってそれを見て解除した。
ただ、駅であわてふためいたせいで、携帯のバッテリーカバーを紛失してしまい、これはドコモショップに行って発注した。

そのドコモショップで、おサイフケータイの”iD”が店で使えないトラブルを相談した(モバイルSuicaとEdyは使える)。
担当者が別の所に電話相談して、結局は自分がパスワードロックをかけていたせいであることが分かった。
つまり使う時にパスワードを入力してiDを毎回使用可にしないと使えない設定にしていたのをすっかり忘れていたのだ。

それにしても、ドコモショップは応対が丁寧で時間をかけてくれて助かる(待っている間はイライラするが)。
バッテリカバーを探すのに構内に入れてくれたJRの駅員さんも親切にしてくれた。
屋外でトラブルに見舞われるたびに、周囲の人の親切を痛感する。
日本は、そう悪い社会ではないな。

反・こどもの日

2008年05月05日 | 歳時
5月5日は、「こどもの日」という欺瞞的祝日であるべきでない。
なぜ欺瞞的かといえば、男の子を祝う日のみを祝日とし、女の子を祝う日は平日のままにしている現状を、男=人という性差別的論理で誤魔化しているからだ。
おっと、これでは左派の主張になってしまう。

右派としては、この日は古来より、「端午の節句」であって、こどもの日などという、やはり欺瞞的祝日ではない。
なぜ欺瞞的かといえば、端午の節句は本来は男の子の祝日などではなく、季節の変わり目に身を清めて国家的に祝う日であるからだ。
たまたま季節のアイテムとして使われる菖蒲が、”尚武”と語呂が通じるために、中世末期あたりから「男の子の祝日」に変貌していったにすぎない。
なので、鯉のぼりも鍾馗像も本来は無関係(菖蒲と粽が基本的アイテム)。

まぁ、儀式の内容が変遷するのは、時の流れとして可としよう。
しかし、五節句という古代からの重要な伝統行事を、明治政府が廃止したことが問題だ。
素直に5月5日を「端午の節句」とすべきだ。

ちなみに競馬の天皇賞がこの日近くに開催されるのも、端午の節句の儀式としての競馬の伝統を受けているのだろう。
この天皇賞レースを国民レベルで楽しむようにすれば、伝統的な端午の節句に近づくかな。

愛車修理

2008年05月01日 | 生活
本来的に金運がない私は、”得するタイミング”を逸するようにできている。
愛車をマフラー周辺の修理に出していたのだが、
暫定税率復活の前日は、修理は終わっているのに、肝心の修理工場が定休日のため、取りに行けず、ガソリンスタンドの渋滞に参加できなかった。
そして税率復活の今日、車を受取った。

マフラー周辺部は、やはり劣化による損傷。
つまり、寿命なんだな。
でもわがROVER MINIは、発売中のBMW MINIに替えることはできない(だって単なる普通車になってしまって、ちっともMINIじゃないから)。
ルパン三世のFIAT500 の方がまだましだが、わがMINIにくらべると特に背面と前照灯の品格が落ちる(いかにも軽自動車って感じ)。
ホンネは、次に買うのはもうガソリン車でないものにしたい(電気自動車希望。でもプリウスはレンタカーの時だけでいい)。

修理された愛車を運転して、安心感が戻った。
機械って、部品を交換すれば、その分新しくなれるのだからうらやましい。
一通り部品交換したので、これでまた走れるだろう…か(ブレーキ部分が未交換なのがこわい)。