今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

ハロウィンは日本に定着するか

2016年10月29日 | 歳時

というタイトルが無意味なほど、巷ではハロウィンとやらが喧しい。

日本の伝統を守る側にいる身として、この騒ぎには違和感以上のものを覚えるのも否定できない。

が、クリスマスは幼少時から楽しみ、バレンタインとホワイトデーも受け入れ、ボジョレー・ヌーボー解禁を待っているというわが身を鑑みると、
我が国の文化に無関係な風習を安直に受け入れる事に、実は抵抗してこなかった事実もまた否定できない。

そもそも、私が伝統として守ろうとしている「五節句」自体、実のところ古代中国の年中行事の安直な受け入れの産物であり、しかも三月三日は本来の上巳の節句とは無関係の雛祭りになり、五月五日は端午の節句に無関係の鯉のぼりが上っている(本来の節句の内容を知りたいなら『荊楚歳時記』をご覧じあれ)。
いわば、これらの節句は、女の子の節句、男の子の節句と主題が変質したことによって、かえって我が国で盛大化し、今でも重要な行事になっている。
逆に、古代の形式が残ったままの人日の節句(七草粥)、重陽の節句(菊祭り)の方が壊滅状態だ(七夕の節句はぎり踏ん張っている)。

ということは、自分たちに受け入れやすいように変質させれば、意地を張らずに楽しんでもいいのではないか(バレンタインも日本的に変質しているし)。

ハロウィンはもとは子どもが主役の祭りだが、 日本では大人も仮装を楽しんでいる。

仮装は、すべての人が潜在的に持っている願望だ。
すなわち、ハロウィン=仮装祭りと変質させれば、爆発的に支持される潜在力がある。

ハロウィンの日は、日本中誰もが仮装する日にしたらどうだろう(ただし職業的制服従事者とその仮装を除く)。
ハロウィン的仮装でなくても、自前で調達できるファッションを表現してもいい。
たとえばワードローブに眠っているバブルの頃のDCブランドのダブルのスーツを取り出してもいいかな(サイズが合えば…)。
もっとも、私には烏帽子に直垂という武家ファッションもある。 

どうせなら、こういうハレの日として楽しみたい。 

 


1泊の茶臼山高原:亀甲石・カエル館

2016年10月24日 | 茶臼山カエル館計測

毎月、旅行(しかも2泊)に行く事にしているのだが、今月はなかなか機会を作れなかった。
そこで秋に必ず行くことにしている茶臼山高原に1泊で我慢することにした。

茶臼山を訪れる時は、必ず高原上のカエル館に立寄って、何らかの計測をすることが半ば義務になっている。
なにしろそのカエル館において、計測マンとしての私がマスコミデビューしたから。

今回の計測は、まずは茶臼山から谷1つ隔てた三国山(信濃、三河、美濃の三境)にある亀甲石(カメノコイシ)。
この石は茶臼山と同じ大昔の火山の玄武岩で、茶臼山にはない甲羅状の凹凸が一面にあるのが特徴。

車1台ぎりぎりの細い道を山上の平地まで上がって、最後は徒歩で「熊出没注意」の看板におびえながらたどり着く。
石という名の岩(人間より大きい)を3ヶ所計測した結果、
1つの岩だけが、磁場の変動(ある場所は基準値より大幅に大、他の場所は小)と磁極の反転を確認できた。
ほとんど同じ場所の同じ石でもこのように結果が違う理由はわからないが、少なくとも茶臼山と同じく山体を構成する岩石に磁気異常があることがわかった。

計測のための回り道によって、車の後ろと前をぞれぞれ路上の凸部に当ててしまったが、このような道を通ることがわが車の用途だから仕方がない(本来ならもっと車高の高い車にすべき)。

さて茶臼山に達して、カエル館を訪れる。
前回、私が崖下で拾った石(磁気異常を示した)も提供者名とともに展示してあった。
本業の方も、カエルが好きな入館者向けに、ヒキガエルを手乗りさせるサービスが追加されていた。
今回、館内外で静電位とイオンバランスを計測したが、平常値だった。
ガイガーカウンターで展示してある石を測ったら(β線込み)、南西麓の津具の鉱石が 0.4μSv/hに達して一番高かった(バックグラウンドは0.15μSv/h)。
放射能泉が点在する東濃・中津川の花崗岩なら0.5以上になってもおかしくないが、花崗岩でないにしては高めだ。

カエル館は毎年11月に閉じる。
来春の来館を約束してカエル館を後にした。 

茶臼山の宿はいつもの通り休暇村茶臼山高原(共済の2000円引き補助券が使える)。
今日は月曜なのに、駐車場は満車(博物館と理容・美容業界の人たちだろうか)。 

ここの大浴場は温泉ではないが、段戸鉱石の塊を浴槽に入れて、鉱泉効果を出している。
人工照明がない山の上なので、星がきれいだ。
久しぶりに天の川を見た。

明日は正午すぎから会議なので、ゆっくりできないが、 つかぬまの骨休みとしたい。 


防災の講演

2016年10月23日 | 防災・安全

日曜の今日、三重の津で防災の講演をしてきた。

ちょっと自分の営業をさせてもらうと、私の講演のレパートリーは、
心理学(とりわけ恐怖感情が人気)、作法(小笠原流礼法、実技付き)、そして防災である。

心理学と作法は研究者としてであるが、こと防災は、防災士・気象予報士として、
科学的情報と市民とを仲介する立場(この存在が重要だと思っている)である。

三重県は、市民に防災・減災コーディネーターの育成に励んでおり、
防災士レベルの知識をもったコーディネーターが地域の防災に積極的に参画することを期待している
(防災士と違って、ペーパー資格で終わらずにフォローアップもしくれる)。

その講座のシンガリを担当させてもらった。

内容は、適切な防災行動、とりわけ避難判断に必要な情報取得についてで、ネット情報の活用法を具体的に紹介した。

自然災害は、地震と気象災害に大別できるが、残念なことに、ほとんどの人は被害甚大の地震災害にしか関心を示さない。
しかも南海トラフ限定で、活断層にも興味がない(ちなみに津市の下には活断層が走っている)。

もっとも東日本大震災以前、ここ東海地方は「東海地震」にしか関心がなく、
当時私が「南海トラフ」の危険性を主張しても「何それ?」という反応だったのに比べればマシになったか。

地震災害は語り継がれるが、毎年複数の地域で死者が出ている気象災害は、年が変わると記憶から消されてしまうらしい。

なので実況情報で避難判断がしやすい、すなわち予測が可能で、
被害範囲の小さい(死なずにすむ)気象防災に力を入れたいのだが、聞き手のニーズとズレが生じてしまうようだ。

防災は住民の生命がかかっているので、センセーショナリズムやニーズというような心理的反応に隷属することはできない。
講演の機会を与えられたら、無理やりでも、聞き手の耳に情報をつっこむしかないようだ。
被災者を一人でも減らすために。 


鳥取の地震

2016年10月21日 | 防災・安全

地震が起きる所は、頻度と規模の順で、①プレート境界、②活断層、そして③ひずみ集中帯。

プレート境界は、地球規模の定期的大活断層で、
いわゆる②の活断層は(プレート境界でない)内陸での地震の痕跡。
そしてひずみ集中帯は、過去の地震の跡(活断層)がないものの、
力学的エネルギーがたまって地震が起こりやすいといわれる所(GPS観測でしか判らない)。

鳥取のように、プレート上の地殻の定常的移動方向に抵抗する移動方向を示す地帯もそうだった。

私自身、太平洋側に住んでいることもあって、①②ばかりに注目して、③はほとんど無視していた。
なにしろ、①②に③を合わせると、日本のほとんどの地域が埋ってしまい、どこに注意していいかわからなくなる。
さらに、地震の痕跡(断層)がない③は震源域を予想できない
(実際、スマホアプリ「見える地震」によると、本震とその後の余震の震源地が地域内にばらけている)。

でもこうやって地震は起きた。
虚を突かれたのは私だけではなかったのでは…
震度6弱で死者がでなかったのが幸いだ(5年前の東京では震度5強で死者3名)。 

今年は、地震に対する定型的思考が改めさせられる。
熊本地震では、本震の後に第二の本震がおき、多数の死者を出した。
すなわち、本震の後の余震は本震より1ランク以上小さいというこれまでの常識が破られた。
なので、鳥取も今後の地震にはくれぐれも油断しないでほしい。 


私設「日進気象台」再開

2016年10月20日 | お天気

観測機器の経年劣化で観測データが配信できなくなっていた、私設「日進気象台」(愛知県日進市竹の山3-2005)が復活し、配信を再開した。

観測項目は、気温・露天温度・相対湿度・気圧(海面補正)・風速・風向・日射量・UVindex・雨量・降水強度・体感温度などなど。
15分ごとに画面を更新している。 →配信画面
また携帯電話用の画面もある(日進気象台画面から)。

再開できたのは、大学から機器を更新する予算(学園研究費)が得られたため。

校舎の屋上に設置した観測機器は、風さらし・雨ざらし・直射日光ざらしの中、1年365日休むことなく観測を続けている(配信は研究室のパソコンから)。
なのでいくら長めにみても10年で機器のどこかが使えなくなる。

日進市では多項目の気象観測点がないため、私の観測データが最近発行の『日進市史』に使われた。

今後も日進市の気象観測情報の1つとして役に立ちたい。


既婚女性も振り袖を着ていた?

2016年10月16日 | 作法

都立中央図書館で、江戸城の大奥についての展示があり、
明治になって楊洲周延(ようしゅうちかのぶ)という絵師が元大奥の女性たちから見聞して描いた錦絵「千代田之大奥」があった。
その中で、御台所(将軍の妻)が晴れ着として振り袖を着付けられている絵があった(右図、ネットから引用)
解説にも「振り袖」とあるから間違いではない。
しきたりに最もうるさい江戸城内で作法を間違えるはずがない。
ということは、既婚女性も晴れ着として振り袖を着ていたことになる。

ただしそこに描かれている御台所には眉がある。
彼女に振り袖を着付けている年配女性には眉がない。
このへんが気にはなるが… 

私は江戸時代の風俗には明るくないが、江戸時代中期の故実家・伊勢貞丈の『貞丈雑記』(作法の百科事典)には、振り袖の原型は「脇あけ」という子ども服であると記されている。
それが未婚の若い女性に限定される根拠だと思っていた。

そもそも服装規範は、洋の東西を通じてあてはまる「ドレスダウンの法則」(前時代の平服が次の時代の礼装になる)のように、時代に応じて変化するのが本質だ(”正しい言葉”も同じ)。
服装を変化させる力は、作法の外にあるためだ。
作法は外的要因による変化を追認するにすぎない。
だから、特定の時期の規範を普遍化する発想そのものが、服装規範の法則に反することになる。 


都立中央図書館は良くなったか

2016年10月16日 | 東京周辺

国会図書館が休館となる日曜なので、久々に都立中央図書館に足を運んだ。

都知事も替わったことだし、国会図書館との落差が拡大した後、いくぶんでも改善されただろうか。

まずは、各フロアで無料の無線LANが使えるようになった(メアドで登録すると2週間はそのままで使える)。
この変化は大きい。
ちなみに国会図書館では新館しかつながらない。
つまりこの点は国会図書館(以下、国会)を追い抜いた。
また、パソコンが使える席も全フロアに拡大され、いずれもヘッドホンで作業できる(前はヘッドホン可は4階だけだった)。

それと一番の問題であった食堂のメニューが増えた(定食類)。
1階のカフェテリアでもパスタが食べれるようになった(数量限定)。
ただ私個人にとっては、以前の「揚げ焼そば」のような目玉になる、すなわちそれを食べたいから中央図書館に行くというものがなく、仕方なく選ぶという感じ。

残念ながら改善されていない点もある。
国会図書館の新館に比べると、一人当たりの卓上スペースが狭く、椅子も安っぽい。
卓上のコンセントが一人当たり1口しなかく、国会は2口得られる(パソコンの電源の他にスマホなどの充電もできる)。
すなわち、作業の快適性と、食事の質量ではいまだ国会にかなわない。

といっても、ここならではのアドバンテージが存在するのも確か。
日曜・祭日に開館している。
ヘッドホンが使える(国会はヘッドホン不可)。
開架式の本がたくさんある(群書類従系が開架なのはありがたい)。
それと自販機の飲料が豊富。
国会の自販機は缶コーヒーとペットボトルしかないが、こちらは紙コップのやつが加わり、しかもその場で豆を挽いてくれる。
豆のコーヒーは家で飲んでくるので、私はココアを賞味する。
もちろん、カフェテリアもあるので人が淹れたコーヒーも飲める。

こちらは年齢制限がないので、高校生などの若い利用客が比較的多い。
その分、多少は私の気分も若返る。

というわけで、若干だが国会との差は縮まった。 
ただ、この程度では、私の足を国会図書館から奪うにはまだ力不足の感は否めない。
なにしろ、地下鉄3駅+徒歩15分の遠さというハンディがあるのだ。 
揚げ焼そば復活級のパンチがほしい。 


神田川を歩く3:下高井戸〜井の頭公園

2016年10月10日 | 川歩き

体育の日の今日は、雨は降らないものの雲が全天を覆って秋晴れにはほど遠い。
こういう日は山に行っても眺めは得られない。

では、どこに行こうかと考えると、行き先は1つしか思い浮かばない。
過去2日をかけて遡行した神田川の残りだ(→前回の記事)。

そこなら、早起きも装備の準備もいらず、しかも3日分の達成感が保証されている。

前回切り上げた下高井戸から出発。
下高井戸からの神田川は、杉並区らしく藻が繁茂してその間に鯉が泳いでいる。

歩道が両岸にあり、いかにも体育の日らしく、両岸ともに走る人が多い。
曇りなので、30℃を越えた前回と違い、日差しも水分も気にならない。
歩道には中野区境からの距離のほかに、目指す水源までの距離が記された道標がときたま現われて励みになる。

右岸の八幡神社(ここも源氏に関係するのか)に参拝し、塚山公園に寄り道する。
この公園付近は、縄文早期(12000年前)からの遺跡が点在しているという。
すると神田川は、江戸時代どころか、日本開闢以前から人々の生活を潤してきたのだ。

この付近(浜田山)は周囲の家も裕福そうで、ヘヴィな杉並の雰囲気を味わえる(写真は塚山橋)。

京王井の頭線の走行音が聞こえてくると、行く手に高井戸にある清掃工場の白く高い煙突が見えてくる。
そこを目ざすように歩くと、高井戸駅前に出る。
環八を歩道橋で渡って、名物「高井戸せんべい」の店の脇から再び川沿いの歩道に入る。
このあたりは鯉が群れをなしており、歩道から川面に顔を出すと、鯉たちが寄ってくる(ちゃんと水面から上が見えているんだ)。

ここから先は、集合住宅が多くなり、同じ杉並でも庶民的でライトな雰囲気となる。

久我山駅を過ぎ、杉並区から三鷹市に入る(下流の23区から武蔵野の市部に入ったわけだ)。
そうしたら、川床が人工的になり、文字のような造形になったり、わざとらしく蛇行させている(写真)。
意図不明な公共工事で、見て楽しくないし、もちろんこの区間は鯉も棲めない。 

ほとんど川の上にある三鷹台駅の手前で歩道が途切れるが、駅の先からまた両岸に歩道が始まる。

そしていよいよ川は井の頭公園から伸びている緑地帯にはいっていく。
小学生男子が川床に降りて、水面に網を揺らしている。

更に公園内を進むと、これまでずっとあったコンクリの側壁がなくなり、歩道も土となり、川の水面沿いとなる。
ほぼ100%自然の川になった。
東京の平地の川でこうなるのはめずらしい。
コンクリの川床しか知らない妙正寺川に比べて、神田川は幸せ者だ。
川には飛び石があって、対岸に渡れる。
そこにも小学生男子がいて、川に入って網をすくっている。
小学生男子という人種が無類の川好きであることは、今までの川歩き経験でよくわかった。 

井の頭線の井の頭公園駅脇をすぎると、私がたどってきた神田川最後の橋である「水門橋」が川にかかっている。
この橋の下が神田川と井の頭池を分けている水門になっている。

すなわち、この橋の下から流れ落ちる水が、神田川の最初の姿なのだ(写真:左端が水門橋)。
この場所が、隅田川と合流する中央区柳橋からの24キロの神田川遡行のゴールとなる。
下高井戸からここまで丁度2時間。
もっとも私がゴールにしているのは、ここ(川の始点)ではなく水源なので、細長い井の頭池をさらに進む。
ここからは完全に井の頭公園内になり、池には足漕ぎボートがたくさん動いている。

一人でどこ(社会空間)まで平気で行けるか(心理的に抵抗ないか)、という問題に関心があるのだが、
公園のボートは一人では乗れない。
河口から水源までずっと一人で歩いてきたのに、水源の池をボートで渡れないというのも悔しいものだが、無理しても乗ろうという気にはなれない。 

井の頭公園は、上野公園に匹敵するような大きな池を中心とした公園で、園内にはレストランや食堂が複数あり、中央線最大の繁華街である吉祥寺に近いこともあって、外国人を含めた観光客が多い。

私にとっても再訪のはずだが、記憶にある風景とは全然違っている。
記憶にある風景は、もっと遊園地的で、石垣の高い壁があった。
記憶にある井の頭公園は夢で見たものだったのか…。

川沿いの神社にはすべて詣でることにしている私は、玉光神社への案内標があったので、公園から外れて上ってみたが、入口は閉ざされていた。
別の入口はないかと付近を歩きまわると、「国際宗教・超心理学会」なる表札のある建物に出くわす。
その建物には別に 「生命物理学研究所」の表札もある。
しかも両方とも同じ博士の名が※。
なんだか昔のSFチック(家に戻ったらネットで検索してみたい)。 

※この1年後、私はスピリチュアルな世界に目覚め、この本山博(博士)の書に出会うことになる。

さて公園に戻り、水源の池に達したので、ボート乗り場横の売店で、フランクフルトと缶ビールを買い、池畔のベンチで池を眺めながら祝杯をあげた(踏破するまでビールはお預けだった)。

池の奥にある弁財天(≒水神)の寺を参拝し、さらに最奥の「お茶の水」の湧水(写真:これが真の水源)に達する。

これで神田川を河口から水源まで完全踏破したことになる。

里川歩きは、平坦な歩道をただ歩くだけだが、いちおうウォーキングの運動になるし、ふだん訪れない地域を知ることができるし、最後に達成感を得られるのがいい。
実は、井の頭公園から西の玉川上水や野川はだいぶ前(ブログデビュー前)に踏破している。
武蔵野の川と多摩川(ただし奥多摩湖まで)をやってから、都区内の川に向かったのだ。
次はどこにしよう。 


松茸パーティ

2016年10月08日 | 生活

日ごろは慎ましく生活していても(一日一食半)、季節の収穫物は味わいたい。
それに、おいしい物は家族みんなで分かち合いたい。
その機会にふさわしいのが、家族の誕生会。

毎年、今ごろ開催する母の誕生会は、私がアメ横の決った店で松茸をちょっと奮発して買うことにしている(アメ横だから交渉でサービスしてもらう)。
店頭の前列に並んでいる安物(ヘタしたら中国産)は無視して、最上段の信州産だけを交渉の対象にする。
形のいいのはデパートに流れて高額になるので、形が悪い分、こういう店で値引きの対象になるが、食べる分には変わりがない。
しかも鉄板で焼いて食べるため、1本を4つにスライスするので、買った本数の4倍の枚数に増える。
その結果、大人4人・子ども3人でも充分な量になり、最後はなんと余り気味になる。

「香り松茸、味シメジ」というので、デパートで探した本シメジ(スーパーのブナシメジとはまったく別物だが、値段は松茸に比べるに値しない)も一緒に焼くが、全員の一致した評価は、松茸の圧勝。
松茸は香りだけではなく、芯の密度が段違いに濃くて、肉のような食感がいいのだ。
私はもともとキノコが好きなのだが、やはり松茸は別格だ。
せっかくなので、ご飯も丸美屋の「松茸ご飯」にし、永谷園の「松茸のお吸い物」(これは香りだけ)を加えた。
もうひとつ嬉しいのは、これだけ食べてもカロリーがほとんど0という点。

こういう非日常的な贅沢品は、1回でもふんだんに食べれば、心理的にもう充分となるもので(大アサリ、カニ、松阪牛しかり)、来年まで食べなくていい。 


今年の健康診断結果

2016年10月07日 | 健康

人は自分の健康こそ第一の関心事であるが、アカの他人の健康なんぞには興味ないものだ。
その不一致の場が、今日の記事にほかならない。

そう、年に一度の健康診断結果が手元に届いた。
第一の関心事であるこれを発表しないわけにはいかない。
せめて熱心な読者のみなさんは、私のトリビアな情報を堪能してほしい。

昨年悪化したLDL(悪玉コレステロール)値が24も下った。
それで123なので、やっと基準値上限(119)に接近した。
一方、HDL(善玉コレステロール)はさらに上昇して人生最高値の98。
これを早速かかりつけ医(循環器系)に見せたところ、
悪玉については昨年は要治療(投薬)の値だったが、今年の値は基準値のほぼ上限なので、治療の必要はないという。
そして善玉は、♂として多い方だという(基準値は40−119)。
なのでLH比は、2.0以下ならOKなのだが、私はずっと低く1.26。

昨年のLDLショックを受けて、変えた生活習慣といえば、毎日の食卓に亜麻仁油orえごま油を振りかけ、
DHA/EPAのサプリを服用したことだ。
これらが奏効したに違いない。 

心電図では昨年は「心室内伝導障害」の所見が出たが(今年は正常)、
かかりつけ医によれば、これは拍動のリズムに少し間があるのだという。
実は私は徐脈気味(50/分)だというと、それは自慢していいといわれた。
たしか、動物の一生の心拍数は決まっているということを本で読んだことがある。
ならば徐脈の者はそれだけ心臓が長持ちしそうだ。

血糖値・HbA1cなども昨年より下った。
なによりこわい糖尿病のリスクが高まらないでいるのがありがたい。 
もちろん、野菜を多く摂り、糖質をセーブしている。
それに、半月に1度ほどだが、意識して長距離を歩く。 

といっても、健康オタクにはなりきれず、不健康な楽しみはやめられない。
健康診断の前日以外は毎晩酒を飲んでいる(つまり休肝日は年に1日)。
ところが、アルコール性肝障害の指標であるγGTPはずっと基準値内(10-47)を維持。
これはひとえにシステインのサプリを毎晩の酒の最初のつまみに飲んでいるおかげだと思っている。 
ついでに飲酒は善玉コレステロールを高める効果があるといわれているが、まさに私がそれを実証している。

とにかく気になる数値はすべて昨年より下がった。
 余計なことに、身長までも2年続けて、0.1cmずつ下がってしまったが。


神田川を歩く2:馬場〜下高井戸

2016年10月02日 | 川歩き

東京の中心部を貫通する神田川に沿って下流から遡る散歩の第二弾(→前回の記事)。

前回の終着点である高田馬場から出発する。

まずは駅構内のそば屋でぎんなん入りの天ぷらそばを食べて、これからの燃料を補給。

駅から北西の道に入り、神田川に向かう。

馬場の鉄道橋の下だけは川幅が狭くなっているが、そこ前後の通行不能地帯から最初に川を渡れる清水川橋からは再び広くなっている(以下、下流から遡行してきた場合の表現)。
といっても清水川橋は渡ると遠回りになるので、 東京富士大学脇の田島橋(橋の由来が解説してある)を渡る。
このあたりも依然川沿いの道がないので、橋ごとに渡り返す。 

落合橋を南(戸塚)から渡り、神田川を離れて北に向かう。
そこには妙正寺川が西から流れてきて、神田川に合流しそうな所で暗きょに入っているのだ。
なるほどここは「落合」。 
それぞれ西から並行して流れてきた妙正寺川と神田川が落ち合う地形なのだ。 

妙正寺川は以前、水源の妙正寺池から環七まで歩いて中断したままで、そこから下流に足跡を残していない。
ここ落合の暗きょがゴールになるのだ(いつかやらねば)。 

さて、神田川に戻ると、新堀橋から川沿いの歩道が始まる。
歩道を管理している新宿区の案内板を見ると、ここから中野区境までずっと歩道が続いている!
つまり、高田馬場周囲を除いて、江戸川橋からずっと川沿いの歩道があるのだ。

 川を見ると、水は澄んでいるが、川床はコンクリで魚影はおろか植物の気配もない。
川というより水路(といって、舟もなし)。 

広い道路が合流している小滝橋を過ぎ、中央線の東中野の鉄橋をくぐる。
行く手に西新宿の高層ビル群。

鉄道の感覚では、東中野は新宿の先なのだが、地理的には、東中野は馬場と新宿の間に位置する。
そして「淀橋」を渡る。
あの「ヨドバシカメラ」の発祥地である淀橋はこの神田川に架かっているのだ。
ここからは西新宿の高層ビル群が指呼の間(写真)。
神田川は今でも東京都心の脇を流れているわけだ。

中野区に入り、山手通りに達し、すこし脇に「成願寺」という目立つ寺があったので、寄り道してみる。
この寺は、中野長者という室町時代の長者が建てた寺で百体観音(西国、坂東、秩父)を祀ってある。
中野といえば新井薬師近くに”百観音”(明治寺)があり、ここを合せれば二百観音になる。
中野区は隠れた観音霊場だ。

山手通りに架かる長者橋から再び川沿いの歩道に入る。
2つめの桔梗橋からは神田川の下流の向こうに都庁の双子ビルがそびえている(写真)。
今日の区間に限っていえば、上流から歩いた方が眺めがいい。 

さらに川沿いを進むと、コンクリのビルの1階に神社があった。
八津御嶽神社という。
入ってみると、自動チャイムが鳴って、家の人が出て来た。
個人宅と神社の社殿を兼ねた建物だ。
せっかくなので参拝を申込み、靴を脱いで2階に案内される。
室内の拝殿に向かって参拝する。
神社本庁系の神社と異なるが、かといっていわゆる御嶽系でもない。
詳しく尋ねなかったが独立した宗教法人という感じ。

珍しく赤い欄干に擬宝珠(ギボシ)がついた橋に出くわした。
中野新橋という。
脇の公園にある解説によると、地下鉄の駅ができた時の橋を再建したものというが、こういう形にしたということは付近にそれなりの社寺があるはず。
タブレットの地図で確認すると、氷川神社がある。
氷川神社といえば、埼玉の大宮に本社がある武蔵国の鎮守。
ここのは末社の1つだが、 格は高い。

氷川神社に詣でて、さらに進むと川幅は半分以下に狭まる。
しかも川沿いの歩道もなくなる。
川への関心が薄い現われだ。
実際、町全体が川に背を向け、邪魔に感じているようす(写真。左側のトラックの尻が川にはみ出ている)。
その状態のまま、中野富士見町に出た。
ここの先に、神田川と善福寺川の合流点があり、善福寺川の歩きの出発地点だった(→善福寺川を歩く)。
川沿いの歩道こそ復活したが、狭いコンクリの川床に押し込められてなおざりにされている神田川を見るのがつらい。

善福寺川畔の大宮八幡に関係する多田神社(清和源氏関連)に寄り道し、中野区から杉並区に入ると、川が一変した。
川幅が新宿区の頃のように広がり、しかもそれとちがって川床がコンクリでなく自然の石などになっている。
川には、藻がたっぷり生えて、なんと藻の間に大きな鯉が泳いでいる。
さらに、アオサギなどの大きな水鳥も水中に出入りしている。
つまり、急に自然の生きた川になったのだ。

はっきり言わせてもらう。
これが中野区と杉並区の違いだ。
妙正寺川の時もそうだった。
下流の新宿区も神田川を大切にしていた。
中野区だけが…
とにかく杉並区にはいって川歩きが再び楽しくなった。

川畔の「釜寺」にも立ち寄った。
永福付近も周囲に緑が多くていい感じ(写真)。
このいい感じの所が、馬場から水源までのほぼ中間地点で、京王線が最接近して駅にも近い。
つまり、切り上げるには、そして再開するにはここしかないという所。
正直、歩きも限界だった。

京王線下高井戸の駅前は、私鉄沿線らしい雑然とした雰囲気。
西友で、イカの握りを買い、通りのベンチに腰かけて、ノンアルコールビールで流し込んだ。
次回は、ここ下高井戸から出発する。→次回へ


トースト食べたら

2016年10月01日 | 生活

ものすごく久しぶりにトースト(トースターで焼いた食パン)を食べた。
国会図書館にいつもより早く行ったので、喫茶部のモーニング(11時まで)に間に合ったのだ。
トーストにマーガリンとジャムを塗って、口に入れた。
すると口蓋の皮がぺろりとむけた。
口蓋にとってはトーストの固い面は紙ヤスリに等しかったわけだ。
口蓋がヒリヒリするし、はがれた皮が口内に残って邪魔くさい。 

普段の朝食は、名古屋宅では味噌汁、東京の実家ではミキサーで作った野菜ジュース(スムージー)で済ませている。
毎朝トーストの人は口蓋の皮が厚くなっているんだろうな。
トーストは今回限りにする(ピザトーストはOK)。