今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

8月の気象特徴:極値統計より

2010年08月30日 | お天気
2010年8月の気象の特徴を、私が観測している3つの観測値の月間極値から探ってみる。

今年の8月の特徴の第一は、最低気温が高かったこと。
東京ひぐらし(荒川区)は8月の最低気温が23.9℃。
ほとんど毎日熱帯夜だったことがわかる(気象庁では今年の東京の熱帯夜は47日)。
昨年までの5年平均は、20.3℃なので、今年は3.6℃も高かった。
なるほど暑いわけだ。
日進(愛知県日進市)と星が丘(名古屋市千種区)も23℃前後に達し、
いずれもここ数年で一番高い。

最高気温も、ひぐらしで39.2℃に達し、2007年の39.1℃を越えて記録更新。
ただ愛知では2008年の方が高かったし、今年の最高気温は7月に記録した。

有害紫外線量の指数であるUVindexは、日進で14.5に達した。
UVindexが14を越えたのは、2007年12月からの観測以来初めてで、これも3ヶ所合わせての最高記録。
この値の高さは、外出禁止レベル。
ただし年々高くなる傾向を示しているわけではない。
天気の影響もあったのだろう。
基本的に、愛知は緯度の関係で東京より高く、さらに日進は名古屋より空気が澄んだぶん高めになる。

一方、雨量は3ヶ所いずれも例年の同月よりかなり少なかった。
夏に月間気温が例年より高いのは、太平洋高気圧が強いことの現れだから、その分雨量は少なくなる。
特に東京ひぐらしは27.7ミリと1月なみに少なかった。
夕立がまったくなかったため、夜になっても気温が下らず、それが一日の最低気温を高めた。

雨は少ないが、湿度が高めなのが日本の夏の特徴。
最低湿度は、ひぐらしで32%。
この値は12ヶ月で一番高い。
ただし東京は乾燥化がすすんでおり、
星が丘の47%・日進の43%よりも10%以上低い。
言い換えれば、気温は東京の方が高いが、体感気温(蒸し暑さ)は東京より愛知の方がずっと高い。

愛知は、日中の気温の上昇と共に湿度も上るという、従来の蒸し暑くなるパターンだが、
東京は、逆に日中の気温の上昇に反比例して湿度が下るという、逆パターンを示す。
これは、相対湿度の算出の元となる大気中の水蒸気量が減少しているためで
(観測値としては露点温度が日中に減少)、東京固有の現象らしい。
名古屋は伊勢湾からの湿った海風が入るが、
東京は湾岸のビルのせいで東京湾からの海風が入らなくなっているのも原因の1つかもしれない。
なので、東京は、日中は昔より蒸し暑さは減っていることになる(亜熱帯というより、砂漠的気候ともいえる)。
東京の湿度の低さは年間を通して一貫している。

ちなみに、台風が来ないかぎり、夏は一年で一番風が弱い
(太平洋高気圧が陣取ることで、等圧線がゆるやかになるため)。
だから、暑さが一層身にしみるのだ。
東京だと8月より6月の方が最大風速が小さい傾向はあるが。

つまり東京と愛知の今年の夏は、気温、特に夜間の気温が高めで、雨が少なかった。
なので、これらの地域では、突発性強雨(”ゲリラ豪雨”なる下品は表現は使わない)の被害はなかったが、熱中症で倒れる人が多かった。
うちの実家も、自動で警報がなる熱中症アラームを買った。

以上の数値を確認したい人は、私が観測している3ヶ所の観測値を1画面で表示している「携帯用3画面」(←クリック)をご覧下さい。

地元・諏方神社本祭

2010年08月29日 | 歳時
8月最後の週末。
わが実家のある地域の鎮守・諏方(すわ)神社の大祭が往く夏をしめくくる。

今年は3年に一度の”本祭”とかで、
いつもなら各町内御輿がそれぞれ地元町内を巡るだけなのだが、
今回の目玉は(毎回趣向が異なる)、それに加えて、
七町合同で一列となって各町内を巡幸する(写真)。
延べ数百メートルにも及ぶ7つもの御輿の列は、この辺りではなかなか見れない。
この風景を見ると、現代日本の都市が失ってしまった地域住民の連帯が再現されたようでうれしくなる。
もっとも実際の担ぎ手は、地元民よりも各地から集ってきた同好衆の方が多いようだが(ハッピ姿の外国人もちらほら)。

人間関係が極度に希薄化された現代日本(他の先進国はまだまし)を救うには、
血縁や社縁に頼らない地縁共同体(これは地域の防犯・防災力の担い手でもある)の再生が必要。
江戸時代から続く祭りは、その象徴。
大切なのは、主役が出店の業者ではなく、地域住民であること。
最近は、町内会が出店やイベントを担うようになって、子どもにとっても安心。

さて大祭に戻ると、
昨晩は、神社の神楽殿でプロの演芸大会。
もちろん、地元の無形文化財・松本源之助社中のお神楽演奏もお馴染。

我々は6歳の甥っ子を連れて縁日を楽しませ(まずはきちんと本殿参拝)、
小さい子は人ごみしか見えないので肩車にして、そのまま帰宅。
「お好み焼き」は出店では買わず、
家で義妹特製のキャベツと山芋たっぷりでヘルシーな特大お好み焼きをホットプレートで焼いて食べる。
というわけで、まずは血縁を大切にしよう。

焼山と八幡平

2010年08月27日 | 山歩き

下の玉川温泉の記事の続き。
夏休みの温泉旅では、一応元山岳部員としては、山にも登りたい。
行き先が東北地方なので、当然登る山もその近辺。
東北の山は、緯度が高いせいで標高の割に高山的気分が味わえるのがいい。
それに火山が多いので、独得な風景が味わえる。

今回の温泉地・玉川温泉の頭上には、その温泉と熱い岩盤の供給源たる活火山、
その名も焼山(1366m)がそびえている。
焼山には前回玉川温泉に訪れた時に登ろうと思ったが、
運動靴の底のゴムが、温泉の強酸にやられたのか、
温泉場を歩いている最中にベロリと剥がれてしまった。
それに天気も悪かったので断念(初回なので、温泉自体を堪能したかったし)。

今回は靴以外もちゃんとした装備を持参し、やる気満々。
コースも、玉川温泉からの往復ではなく、
東の後生掛(ごしょがけ) 温泉から登って、西の玉川温泉に降りる横断ルート。
ただ、後生掛温泉に行くバスが10:44と遅いのが欠点だが、他に選択肢がないので、
例の高濃度の場所(下の記事参照)でラドン浴をして時間をつぶしてゆっくり出発となる。

今は、北海道に大雨被害をもたらした前線が、
丁度秋田付近に停滞しているため、中層雲が多いが、
雲間から陽光も差して雨にはならない。

案内板に従って後生掛温泉場内の廊下を土足で横断し、裏手から登山道に入る。
男根の木像が奉納してある祠を通過し、
最近熊が出たとの貼り紙があるので、熊除けに口笛をふきながら、樹林帯の中を登る。
傾斜は緩いが、沢床のように石伝いに足を運ぶので歩きにくい。
稜線直下までずっとこのような道が続く。

稜線上の毛せん峠からは、周囲が開けて山上の気分がいい道。
行く手の焼山火口群が異様な雰囲気(写真)。
その中央の鬼ケ城を越えて、生物を拒絶した青白い火口湖を見下ろしながら、
噴火口の縁にあたる名残峠に到着(写真中央奥の鞍部)。
火山に登ると、地球の主役は生物なんぞではなく、
我等地殻活動であるという厳しい主張を感じる。
ここから最高点の焼山山頂(写真左の山。三角点標石があるだけで展望なし)を往復。
あとは玉川温泉をめざしてどんどん下る。

標準タイム5時間のところを3時間で歩いた。
脚力いまだ衰えていないのを確認できて安心した。

帰宅日の翌日は、チェックアウト後に同じ便のバスに乗って、
バス終点の「八幡平頂上」まで行く。
八幡平(はちまんたい)は、東北地方の背骨として縦断する奥羽山脈の
秋田と岩手の県境に位置するなだらかなアスピーテ火山。
ここは雲の中で、最高点(1613m)の展望台に立っても何もみえない。
だが、ガマ沼まで下ったら、周囲だけ雲が晴れて、
八幡沼をはじめとする大きな湿原だけはなんとか展望できた(写真)。

山上の平原をぐるっとまわって90分後、田沢湖駅行きのバスに乗ったら、にわかに強雨。間一髪。
バスは、蒸ノ湯・玉川温泉・田沢湖に寄り道して秋田新幹線の田沢湖駅まで135分の長駆(途中トイレ休憩あり)。
周囲の山にも行ったことだし、次回は、玉川温泉中心ではなく、後生掛温泉や蒸ノ湯を堪能したい。


玉川温泉で放射線量を計測したら

2010年08月25日 | 計測

※本記事は日付にある通り、東日本大震災の半年前のものです。この記事を書いた私が半年後の原発事故に対してどのような態度をとったか、もし関心があればカテゴリー「東日本大震災関連」あるいはバックナンバーで当時の記事をご覧下さい※

東京の実家から出発する夏休みの温泉旅は、名古屋からは行きにくい東北地方にしている。
毎回新たな旅先にしているのだが、今回はどうしても数年前に行った玉川温泉にしたい。
なぜなら、昨年購入したガイガーカウンタでぜひ北投石の岩盤の放射線量を実測したいから。

玉川温泉といっても泊まる宿は「新玉川温泉」。
場所は「玉川温泉」から徒歩10分ほど下流にあるだけで、
同じ源泉を使っているので、強烈な泉質は同じ(「 」は宿名で、温泉はいずれも玉川温泉)。
こちらは宿代は高いが湯治宿ではなくホテル的な分、居住性もいい(ベッド、洗浄器トイレ)。

といっても客層は、やはり湯治客中心なので平均年齢は高い。
でもこちらなら私のような旅行気分の客も泊まりやすい。
「玉川温泉」の湯治客は、ご存知の通り、生きる希望を賭けて真剣に湯治しているので、
私のような温泉詣の旅人は肩身が狭い。

まずは挨拶がわりに「玉川温泉」に入浴し、
pH1.2の源泉100%の浴槽は皮膚のあちこちがヒリヒリするので、長居はせず、
さて、いよいよガイガーカウンタを持って、岩盤浴地帯に向かう。

温泉宿の通りでスイッチを入れたが、値は東京宅とたいして変わらない。
実は、昨年出版された『医師がすすめる放射線ホルミシス2 ラドン浴の実践』(インフォレスト)という本が、
私と同じ計器(Inspector)での測定をすでにやっている。
その本に値が高い地点が載っているので、そこを目指す
(同じ地帯でも1m移動するだけで値が大きく変る)。

遊歩道から外れて、まずは鳥居の方に向かう。
鳥居付近は地熱が低いため、岩盤浴には向かない地帯なのだが、
ゴザを敷いて寝ている人いつもいる(右写真)。
彼らはここが”特別な”ポイントであることを知っているのだろう。

事実、鳥居の前の広場状の所に近づくと(写真左手前)、
ガイガーカウンタのガリガリ音がにわかに激しくなり、どんどん数値が上昇する。
我がガイガーカウンタの今までの最高値は、
岐阜県中津川市のホテル花更紗の浴室内の花崗岩での1.078μSv/hなのだが、
その数値をあっさりと越えて1.430μSv/h(以下同単位)に達する。

だが、まずは地熱の高い岩盤浴地帯を測りたいので、ここに留まらずに先に進む。
岩盤浴の中心地帯は、やはり本にあるように、語るに値しないほど平凡な数値。
でもせっかく来たので、100円ショップで買ったゴザを敷いて、岩盤浴を楽しむ。

寝転がる場所を探していると、地面からの噴気に当たって足の指を火傷するほどになった。
ぞうりを履いて来たせいでもある。
周囲をみると、皆ちゃんとした甲のある靴を履いて来ている。
なるほど夏だからといって噴気地帯にぞうりでふみこむのは素人だ。

充分すぎるほど体が温まったので、今度は放射能を浴びようと、
ふたたびガイガーカウンタを片手に、歩き回る。
遊歩道脇の岩に計器をかざしていると、通り過ぎる人が「そこは値が高いの?」ときいてくる。
そのうち人が集まって来て、あそこを測れ、こちらの値はどうか、と注文してくる。
さすが玉川温泉に来る客は違う。
他の温泉地だったら、私の行為は「何やってるの?」と質問されるだけなのに。

何人かは私の後についてきて、一緒に計測数値を読む。
だが、数値の方は先ほどの記録を更新しない。
つまり、岩盤浴地帯のいたるところがラドンガスで満ちているのではなく、
そのほとんどは、通常値なのだ(むしろ硫化水素が高いはず)。

そうこうしているうちに、鳥居の近くに戻ってきた。
先ほどの記録値を見せようと、数人を引き連れてそこに向かう。
そこは岩盤が平坦に露出した場所で、寝転ぶのに丁度いい。
垂直に高い露岩よりも平坦な露岩の方が値が高い傾向であることがわかった。
つまり平たんな露岩の方が、地中の北投石が分厚いのだろう。
そこで数値を見ながら数人で感心しあっていると、
近くで寝ていた女性が「お兄さん、こっちも測って」と私を手招きする。
今や私は岩盤地帯の人気者と化した。
"お兄さん"なんて言われたのも久々なもんで、喜んで計測しにいく。
これが”おじさん”とか”お父さん”とかだったらこうはサービスしない。

その女性の場所は、2.200を越えた。
あっさり記録更新。
一緒についてきたおじさん(彼も「お兄さん」というべきか)は,
岩盤浴の所には北投石はなく、ここは川底だった所だから北投石が成長したのだ、と説明する。

彼らはこの記録更新で満足して、私に礼を言って帰っていった。
私は一人残って、地面にカウンタをかざしながら、さらに高い場所を探す。
そして見つけた。
カウンタはガリガリ音からガガガと連続音になった。
まるで放射能怪獣ゴジラがすぐ近くに居るかのようだ。
いや、科学的には、間近に居るのは、ゴジラではなく、”ラドン”の方なのだが。
そこは5.000を越えた。
ここに来る前は、0.500が出ても喜んでいたのに。

ここは同じ鳥居前でも人が集る場所(そこは2.200)から少し離れているので誰もいない。
なのでこの一人用の小さな露岩面は、この後3日間、私のラドン浴専用となった。

でも、本による最高値を示したポイントをなんとか見つけて計測したい。
本によると北投石の標柱付近というが、その付近一帯は低かった(平らな岩盤がない)。
ところが、道脇の2つの岩に囲まれた、もともとの人気スポットがたまたま空いていたので、
地面を計測したら、7.200を越えた(右写真では7.296)。
やはりここだったのか。
取り囲む岩の方は、1.000をわずかに越える程度だが、
人が寝ころぶ地面の値が凄い。
地面の下が北投石の詰まった岩盤にちがいない。
この場所はもう”ホルミシス・ルーム”と言っていい。

ちなみに、玉川温泉でも測器を貸し出しているそうだが、
国産の安物で、値がリアルタイムに出ず、しかも値が安定しないようだ。
その点、この”インスペクター”は値が安定していて、本とほとんど同じ値を示した。

玉川温泉自体は、強酸泉であり、放射能泉ではない。
そして地熱を利用した岩盤浴は、単純な温熱効果でしかない(蒸ノ湯のオンドルと同じ)。
玉川温泉に来るほとんどの客は、この2つを堪能するだけで終る。

でも、ここはそこらの放射能泉に負けないホルミシス効果が期待できるのだ。
いわゆるガンに効果が期待できるのは、塩酸でも地熱でもなく(温熱療法的効果はあり?)、放射線である。

つまり、玉川温泉に来たなら、温泉浴・地熱岩盤浴・ラドン岩盤浴の3つを堪能できる。
しかもその3つそれぞれが、トップレベルであるというのが凄い。
ほんと、玉川温泉ほど温泉地として”凄み”を感じる所はない。

ちなみに、噴気孔近くであえて長時間寝ころぶ人がいるが、
いくらなんでも硫化水素は毒にこそなれ、体にいいとは思えないんだが。

☞玉川温泉の綜合評価は「玉川温泉:最高のパワースポット」へ

 


車が……

2010年08月21日 | 失敗・災難
名古屋宅を長期に空ける時は、愛車MINIのバッテリーのマイナスケーブルを外して、
放電を抑えていく。
もちろん、戻ってきて車を出す時、バッテリーが上がってエンジンがかからない
というトラブルを避けるためだ。
今回の帰省もそれをやったので、昨日帰名して勤務先に向う時も、
エンジンは一発で快調にかかった。

さて、今日はオープンキャンパス。
学科主任の私は、オープン前に行ってスタンバイしている必要がある。
といっても車を使えば10分で行けるので、集合時間が近くなってから出発。

車にキーを差し込み、セルを回す。
バッテリー・オンのランプがつくが、カチカチッと静かな音だけがして、
あの爆発的なエンジン音が出ない。
もう一回やっても、カチカチッと静かな音だけ。
前方のパネルを見ると、ライトのボタンがオンになっていた。

昨日は明るいうちに戻ったので、ライトは使わなかった。
どうやら車から下りる時に、ライトのボタンに触ってしまったに違いない。
そしてボディカバーをかけ、その後は別の作業に忙殺(昨日の記事参照)されたので、
車に目をやることはなかった。

なんということか。
電気を入れるべき冷蔵庫にはスイッチを入れ忘れて、中身が大変なことになったと思ったら、
今度は電気を入れるべきでない車のライトにスイッチを入れっ放しにして、
バッテリーをダメにしてしまった。
それぞれ逆をやっていればどちらも問題なかったのに。

だが、今はこの皮肉な運命を嘆いている暇がない。
オープンキャンパスがオープンしてしまう。
主任が来ないうちに。

路線バスは間に合わないので、駅前まで歩いてタクシーに乗って、
ぎりぎりセーフで大学に着いた。


オープンキャンパスを無事終えて、車のバッテリー対策にとりかかる。
隣家にお願いしてブースターケーブルでバッテリーをつなぐという手があるが、
お仕事中なので頼むには気が引ける。
それに、またしばらく家を空けるので、応急処置ではなく、きちんと充電したい。
ということで、車屋さんに持ち込むことにする。

以前はディーラーが徒歩圏内にあったのだが、
ローバーのディーラー自体が消滅する運命だったので、
そこの倍は遠い、いつもは車で行く距離のオートバックス(このバッテリーを購入した店)
に持って行く事にした(電話で確認して)。
幸い、この車のバッテリーは簡単に取り外せる。
ただし小さいとはいえ、やたら重い。

以前同じ失敗をしたとき(まずは隣家でバッテリーを繋がせてもらったがダメ)、
まだ近くにあったディーラーにこのバッテリーを風呂敷に抱えて持って行ったことがあるが、
腕に抱えるにはあまりに重くて、途中で何度も休憩を入れたほどだ。
その記憶があるので、今度は登山用のリュックを使うことにした。

バッテリーを外して、慎重にリュックに入れ、背負う。
抱えるには重すぎる物も背負えばなんのことはない。
こう見えても高校ではワンゲル、大学では山岳部の出身だ。
今から暑い中、歩きに出るので、
スポーツタイプの半袖シャツに膝までのジャージのいでたち。
それにツバの広いパナマ帽をかぶって、本格的な登山用リュックを背負ってさっそうと歩く。
道行く人は、今から北アルプスを縦走にし行く山男と見まがうだろう。
リュックの中身が車のバッテリーだと気づくはずもない。

車が出入りするオートバックスの入口に、
リュック男が徒歩で入って行く。

カウンターでリュックからバッテリーを取り出し、
充電をお願いする。
明日の夕方までかかるという。
明日の昼前に帰京する予定だったが、いたしかたない。

料金は前払いで1050円。
大学までのタクシー代よりも安い。
明日またリュックに入れて持ち帰ろう。

冷蔵庫が…

2010年08月20日 | 失敗・災難
ひさびさに名古屋の棲み家に戻り、
今晩の献立を考えるために冷蔵庫を開けたら、生暖かい。
驚いて、冷凍室の扉を開けたら、中は水びだし。
もちろん、それだけでは済まない。

長期に部屋を空けたので、冷蔵室に要冷蔵のものはもともとなく、
入れておいたのは、常温で保存可能なもの。
しかし冷凍室はそうでなかった。
悲惨な状態になっていた。
かつては冷凍食品だった、シュウマイ、ミックスベジタブル、ブロッコリーらが、腐乱状態。
とくにシュウマイは原形をとどめずに液体化。

食事中の読者もいるだろうから、生々しい描写は控えるが、
まさに、生々しい描写を控えなくてはならないほどの惨状。
干からびてミイラだったら、つまんで捨てるだけで済むが、
いわゆる腐乱死体なので、後始末がたいへん。

でも、元は植物だったので、気持ち悪さも動物よりはましか。
それに密閉空間だったので、虫が発生しなかったのが何より幸い。
(長期に部屋を空けて、戻った時に一番恐ろしいのは、部屋中虫だらけになっていること)

なんでこうなったかというと、前回、部屋を空ける前に、
冷蔵庫内にできてしまったでっかい氷の塊をとるために、数時間だけ冷却をオフにしたのだ。
(我が安物の冷蔵庫は自動霜取り機能がない)
そして、氷をとり出したまではよかったものの、オンに戻すのを忘れて、
そのまま10日間ほど実家に帰ってしまったわけ。

買ったばかりのキッチンペーパーをふんだんに使い、何度も石鹸で手を洗い、
そして処理したモノはゴミ袋を二重にして室外に出した。

その後、100円ショップに行って、冷蔵庫用の消臭剤と生ゴミ用の消臭剤と
室内用の消臭スプレーを買った。
店の人には、私の部屋がどんな状態か教えたようなもの。

冷蔵室内の氷を取った後は、冷凍室内の氷も取らなければ、と思っていたのだが、
冷凍室内に冷凍食品が残っているので、できなかった。
それがこの期間やられていたわけで、
その点だけは、よかった。

岩槻ぶらり旅

2010年08月19日 | 東京周辺
今年の我がぶらり日帰り旅のテーマは、”埼玉の城址巡り”。
優先すべき仕事が終り、頭をボーッとする気分転換も終ったので、
いよいよこれにとりかかりたい。
今回行くのは、岩槻(いわつき)城址。

もっとも、暑い日ざしの下を歩く気はしないが、
天気予報によれば、今日は「曇りのち雨」。
日差しのない雲の下なら歩く気になる。
雨が降る前に終ればいい。
本当は今日あたり蒲団干しをしたかったのだが、
雨が予報されているので干さずに出発。

岩槻へは大宮から東武野田線に乗り換える。
そういえば東武野田線て乗るのが初めて。
東京の中に住んでいる者にとっては、武蔵野線とか東武野田線とか国道16号とか、
東京の外周ルートは使う機会がない。

岩槻駅を降りると、ここは人形(雛人形、五月人形)の里であることがわかる。
”東玉”の大店舗だけでなく、中小の人形店もあちこちにあるし、
人形の修理専門の店まである。
でも疑問なのは、雛人形も五月人形も、家一件につき、
一生の間で子どもの数だけの購入回数で終るのではないか。
しかも今は少子化の世。
一家族あたり購入回数は1回少々。

それとも岩槻の住民だけは、毎年、雛人形と五月人形を買い替えるのか。
それだとしても、年に1、2回しか用がない。
とくに6月以降は、超閑散期なのではないか。
などと、余計な心配をしてしまう。

心配はするが、人形には興味がないので、駅前の人形博物館には寄らず、
町中の史跡巡りに入る。
といっても岩槻の観光地図など持っておらず、手にあるのはハンディGPSのみ。
適当に路地を通り抜けていくと、最初の目当ての「遷喬館」に行き当たった。

ここは岩槻藩の藩校跡で、建物がしっかり残っている。
受け付けにいたおじさんが、一緒に館中に入って丁寧に説明してくれる。
ついでに、市内(正しくは岩槻は今は単独の市ではなく、さいたま市岩槻区)
の散策マップもくれて、他の史跡についても情報を提供してくれた。

私が歩いてまわることを知ると、貸自転車のサービスがないことを残念がっていた。
確かに、行田市は駅前で無料の貸自転車に乗れてとても良かった。
そのことを話すと、「放置自転車を処分しながら、そういうことに利用しないから…」と
観光客への行政の対応のなさを嘆いていた。
観光客とじかに接している人ならではの感想だ(岩槻区役所の人、お願いします)。
こういう地元の歴史に詳しい人から話を聞くのが一番いい。
それも含めて感謝の礼をのべて、次に向う。

次は「時の鐘」(上写真)。
時の鐘といえば、川越のそれを思い出すが、こっちはなんともほぼ放置状態。
脇にある立派なイチョウの木の由来を、さっきのおじさんに教えてもらっていたのはよかった。

そういえば川越は町全体が観光地としての対応ができていた。
行田も貸自転車などサービスが行き届いている。
岩槻も、もう少し頑張ってほしい。

次は浄安寺。
曇りという予報とは裏腹に、強い日射の下、ミンミンゼミの声が響く。
まさに真夏の昼下がりの情景。
歩いている人なんていない。

うだる暑さでも、寺の境内ならそれなりの風情がある。
でも自動車道路を歩くのはつらい。

どこかで昼食をとりたい。
せっかくなら、地元の名物がいい。
なので、道すがらにあった更科や喜多方ラーメンはパス。
でもこのあたりは他に食べる店が見当たらない(駅から遠いので)。

仕方なしに、道路脇の大きなスーパーに入って、
麻婆豆腐と麻婆茄子の小ぶりのミックス弁当とスポーツドリンクを買って(レジで割箸をもらう)、
弁当をレジ脇のレンジでチンして、そばのテーブル席にすわって、
プラスチックの蓋を開けて、麻婆弁当を箸で頬ばる(箸では食べにくい)。
風情もへったくれもないが、地元の人が使うスーパーで、
地元の人が買う弁当を食べるということでよしとしよう。

さていよいよ岩槻城址へ向かう。
発掘調査をしている広場をすぎ、公園風の所に市民会館があり、
そこのレストランが名物「豆腐ラーメン」をアピール。
ここにすればよかった…。

岩槻城の名残として唯一残っている黒門を見て、戦国時代の跡らしい「新曲輪」を歩く。
岩槻城の本丸など本体部は、今は住宅地になってしまって、
城跡して残っているのは、端っこ部分だけだという。
新曲輪はその端っこ部分。

ここから南下して、越谷行きのバスで越谷に行くつもりであったが、
国道16号に出てもバス停が見当たらない。
実は、バスが通る道を確認していなかった。
このまま交通量の多い16号を歩くのはいやなので、路線バスが通りそうな別の道を歩く。

今回一番避けたかったのは、灼熱の日差しの下、日陰のない車道を延々歩くこと。
今、心ならずもそれをやるはめに…。
もっとも晴雨兼用の傘を差しているが(今日は雨用に持ってきたつもり)。

もう越谷行きのバスはあきらめて(ホントは越谷の温泉に行く予定だった)、
岩槻駅に戻ることにした。
自販機で炭酸飲料を買って水分を補給しながら、駅までの道を引き返す。
ついでだから、岩槻探訪に徹して、行く予定のなかった所もまわろう。

というわけで、駅を通り越して、郷土資料館に入る。
私が一番知りたかった戦国期の岩槻城についての説明などがあり、
ここを最初に訪れた方がコース的に望ましかったことを痛感。
つまりこういう史跡情報が詰った場所を最初に訪れれば、
おのずと探訪コースが決まるというもの。
ここで『岩槻城と城下町』なる冊子を買う。

私が興味あるのは江戸時代の岩槻藩ではなく、戦国期の太田氏の居城としての岩槻。
その墓所があるのが、資料館と駅の間にある芳林寺。
当初はここは行く予定になかった。
でも遷喬館のおじさんと郷土資料館の説明で、
私にとって見逃せないのはここだということがわかった。

芳林寺境内には、戦国時代の岩槻城主太田氏資(うじすけ)の墓所があり、
さらには氏資の銅像だけでなく、
最近できた太田道灌の騎馬姿の立派な銅像まである。
道順からいって、駅に近いここを最初に訪れるべきだった。

今回は、事前に探訪ルートをきちんと設定しなかったのがまずかった。
結果的に余計に歩いてしまった。
昼食用の店のチェックを怠ったのも悔しい。
正直、岩槻って、観光地という意識がなくて、いまいちその気になれなかった。

それに、曇りで雨降るっていう天気予報も恨みたい。
蒲団干しておけばよかったし。

8月分の仕事終り

2010年08月17日 | お仕事
今日も、”ひぐらし気象台”では39.1℃に達した。
そういうわけで、今日も図書館に行って、仕事関係の作業を進める。

とにかく図書館だと、気が散らないので数時間ずっと集中できる。
ただし、持参したパソコン用の電源が使えるのは、
区立図書館レベルではなく、都立か国立に限られる。
私は、都立中央図書館(広尾)と国立国会図書館(永田町)とをほぼ交互に利用している。
昨日は国会図書館だったので、今日は都立図書館。

作業はどんどん進み、夕方、8月中にやっておくべき仕事群が片づいた。
仕事群とは、前期の成績、授業アンケートのコメント原稿、
教員向けのソフトの使用マニュアルの作成、それに自分の論文原稿。

集中し終って気づいたら、頭はフラフラ。
あとは、家に帰ってこれらをメールで発送するだけ(図書館ではネットが使えない)。

お盆の最中も、どこにもいかずに仕事してただけのことはある。

というわけなので、明日からは、ちょっと遊びモードに入ろう。




「はやぶさ君」を見に行く

2010年08月16日 | 時事
今日も猛暑。
わが”ひぐらし気象台”では、14時24分になんと39.2℃を記録。
今年の最高気温を更新した。

という状態なので、外出するにしても空調のない所には行く気がしない。
そこでまずは国会図書館に行って仕事関係の作業をこなし、
夕方になって、多少は過しやすくなった頃、
予定していた「はやぶさ」 特別公開を見に行った。

場所は東京駅向いの”丸の内オアゾ”(丸善の入っているビル)。
地下鉄経由で1階のロビーに上がったら、そこはもう行列の塊が。
まずは2階のJAXA 展示場へ促される。
そこは、はやぶさのミッションと帰還までの簡単なパネルや
来場者によるメッセージボード、売店などがある。
はやぶさが最後に撮影した地球の不完全画像のクリアファイル(200円)を2個買った。

さて目当ての「再突入カプセル特別展示」を見るには
一階の長い行列に加わらなくてはならない。

まず奥に行って整理券をもらい、行列に加わる(整理券なしで並んでも無駄)。
整理券をもらう前に、どのくらいの時間並ぶのか尋ねたら、20-30分だという。
思いのほか短いと思い、安心して行列に加わった。
展示は立ち止まれないので、行列が長い割りには、待ち時間が少ないのだ。
どんどん行列ごと前進し、いよいよ展示スペースの中に入る(上写真)。

展示してあるのは、アルミの燃え残り跡が痛々しい背面ヒートシールド、
小惑星イトカワの砂を入れたコンテナをしまうインスツルメントモジュール、
再突入の熱に負けない頑丈な前面ヒートシールドなど。
それぞれおぼ同じ大きさで、ガラスケースに入れられて展示してある。

それらを見る時、自分が笑みを含んだ顔になっているのに気がついた。
丁度、映画「鉄塔武蔵野線」で主人公の見晴少年(子役時代の伊藤淳史)が
最後の一号鉄塔に達した時の表情と同じだと、われながら思った。

立ち止まれないので、これらを見るのに1分とかからない。
出口でははやぶさが地球に落下する光の玉となっている写真の絵はがきをもらった。

貧乏性だと貧乏にならない

2010年08月15日 | 生活
旧盆まっさかりで日曜でしかも好天の15日。
いいかげん遊びに出かけたくなる。

観光地はどこも混んでいるから、遠出は無理にしても、
近県に遊びに行こうかと思っていた。

ところが、朝10時で36℃に達した気温に怖じ気づいた。
あえて灼熱地獄の外に飛び出す勇気が出ない。

予定を変更して、
空調の効いた室内に篭って、仕事関係の作業を進めた。
しかも昼食もとらずに。

体を動かさない日は、体重管理のために、
食事量を減らすことにしているからだ。

仕事を後まわしにして遊びに行くより、
遊びを後まわしにして仕事した方が、気分的に落ち着くためでもある。

こういうメンタリティを”貧乏性”と言うのだろうが、
そのメンタリティのおかげで、
仕事が進み、(食費を含めた)散財も抑制されるので、
貧乏とは逆方向の状態になる。

もちろん室内の電気代は余分にかかるが、
洗濯し終ったばかりのTシャツを濡れた状態で着込んでいるので、
空調も高めの設定で我慢できる。

今だから自信をもって言えることは、
「貧乏性は貧乏にならない。」

むしろたいした稼ぎもないのに、仕事に精を出さず、不相応に浪費する方が
貧乏に落ち込む。

家計管理の基本は”出”を抑え、体重管理の基本は”入”を抑えること。
これは、紛(まご)うかたなき真理だろう。

25年前を思い出して

2010年08月12日 | 時事
18きっぷで帰省して、また実家で夏休みを堪能。
寝る前にノートパソコンでDVDの映画を観る。

この時とばかり、夏にふさわしい作品を見続けている
(鉄塔武蔵野線、菊次郎の夏、ボクチュー、サマーウォーズなど)。

昨日と今日は、「クライマーズ・ハイ」
御巣鷹山の日航ジャンボ墜落事故(の取材報道)を題材にした作品だ。

25年前のあの時、私は翌日の夜行列車での山行(黒部源流)のために、
ゆっくり体を休めるつもりだった。
それが、夕方から深夜までテレビに釘付けになってしまった。

あの時の全国民が緊迫し、ショックを受けた数時間がよみがえってくる。


そして、あれから25年後、日航が経営破綻するとは、誰が予想できたであろうか。

夏休みの宿題のやり方

2010年08月10日 | 時事
愛聴しているポッドキャスト番組「タチヨミスト橘しんごの雑誌チェック」の8月10日の放送で、
雑誌『文芸春秋』の記事
「夏休みの宿題で人生が決まる 目からウロコの”残念な人”分類学」
なるものが紹介された。
それによれば、小学生の夏休みの宿題をどうこなすかには4パターンがあり、
このパターンは大人になってからの仕事の仕方に影響するらしい。

私はいえば、ドリルは7月中に終らせていた。
これを「先行逃げ切り型」という。
このタイプは経営者向きだが、石橋を叩いて渡るので、
躊躇のあまりビッグチャンスを逃がす欠点があるとか。
なるほど、思い当たる。

そもそも自分がこの行動パターンを選んだのは、
夏休み本番たる8月を勉強から完全に開放されたかったから。
確かに、このパターンは、今でも仕事に使っている。
とにかく精神に重圧を与える仕事は早めに終えて、
何の憂いもない自由時間をきっちり確保するのを旨としている。

実際、今月20日締切の前期の成績つけを(再試の課題を含め)今日終えて、
明日以降の”お盆休み”を、何の憂いもなく過せるようにした。
早めに作業を終えるのは、不測の事態に対応するために自由時間を作っておくという意味もある。

ドリルはこのように堅実にさばく一方で、「自由研究」はまったくやらなかった。
”自由”研究なのだから、やらない”自由”もあると決めつけて完全に無視した。
むしろ、何人もの男の子が必ずやってくる”昆虫の標本”の自由研究には否定的で、
あんなに罪もない虫を殺すくらいなら何もやらない方がましと思っていた。

かように私は、幼少時から精神の自由を守ることには妥協しなかった。
幼稚園で、太陽を赤い色で塗れと指示した先生の言うことを聞かず、
太陽は、自分の知覚に忠実に薄い黄色で塗り続けた。
正直、人生で太陽が真っ赤(=血の色)に見えたことは一度もない。

小学校では、なぜかシャープペンシルの使用が禁止されていたが
(小学1年の甥っ子によれば、今でもそうだという)、
鉛筆より便利なこれを使わない理由がわからないので(長期的には安上がり)、
先生の指示を無視してシャーペンを使い続けた。
なのでシャーペンと出会った小学校3年以降、私は鉛筆とは無縁。

文部省・文科省には、シャーペンが大嫌いで鉛筆が大好きな勢力が隠然と実権を握っているらしく、
大学入試のマークシートも、私が受験生の頃は、シャーペンで記入したが
(もちろん「鉛筆で記入しろ」と指示されていたが無視)、
今では太めの鉛筆でないと記入できない仕組みになっている。
そうまでして小~大学生に鉛筆を使わせたいらしい。

18きっぷでプチ贅沢の旅

2010年08月08日 | 
今年の夏は、ちょくちょく勤務先(名古屋)の大学で仕事があるので、
東京の実家と数回往復する。

急ぐ旅ではないので”青春18きっぷ”を使う。
片道2300円と交通費が浮く代わりに、東京~熱海間はグリーン車の2階席を使い
(グリーン料金追加)、
崎陽軒の特製シュウマイ(1300円)を弁当代わりに買う。
格安の中でのプチ贅沢。
瓢箪好きな私としては、中に入っている”ひょうちゃん”を集めるためでもある。

グリーン車の2階席で特製シュウマイに楊枝を刺して優雅に食べていると、
車窓の外で、若い父親に連れられた幼い男の子がこちらの電車に向って手を振っている。
あの年頃の男の子は、みんな電車が大好き。

思わず手を振り返したくなったが、躊躇して実行に移せなかった。

なぜ躊躇してしまったのだろう。
幼児と私の二者関係だけだったら、素直に手を振り返していたはず。
電車に同乗している客の目があると、恥ずかしくてできないが、
今回は、2人掛けを1人ですわっているので、他人の目はない。
残るは、幼児の父親の存在。

男というのは、第三者の目があると、幼な子に対して、
同レベルになって応対することができないのだ。
電車の中で知らない赤子と目が合っても、男はにっこり笑うことができない。
あんな遠くの目に対しても、幼な子に対等に向かい合うことに遠慮が出てしまった。

手を振り返したら父親にヘンに思われただろうか。
子どもと一緒に嬉しくなるのではないか。
電車側の一員として、やはり手を振り返すべきだった。



ボクの自由研究:雲発生実験

2010年08月07日 | お天気
秋葉で「雲発生実験セット」(発売元:アーテック)なるものを買ってきた。
2千円でおつりが来る値段。

さっそく6歳の甥・柊(しゅう)ちゃんと実験開始。
透明の容器内に霧吹を吹きかけ、その容器を逆さにして線香の煙を入れる。
前者は容器内に水蒸気を供給し、後者は凝結核となる塵を供給する目的。

容器の蓋をして、蓋から吸排気ポンプまでビニールチューブをつなぎ、
ポンプで容器内に空気を送って、圧力をかける。
ポンプを上下して空気を送るのは柊ちゃんの役目。
これ以上空気が送れないほど容器内の気圧が高まったら、容器の蓋をすばやく開ける。
シュポッと音がして、容器内が瞬時に白濁する。
これが雲だ。

突然の減圧により、
容器内の水蒸気が凝結して、こまかい雲粒になるという寸法。
目に見えない水蒸気(気体)が目に見える雲粒(液体)に変貌するので、
それなりに大きな変化を目の当たりにすることになる。

これだけでも、子どもはよろこぶが、
柊ちゃんは、容器内に指を入れ、中の空気が高温になっているのを報告した。
そう、水蒸気の潜熱が凝結熱となって放出されたのだ。
つまり、水蒸気が雲になる上空では潜熱の放出で気温を高めているわけだ
(ガラス棒状の温度計がないので、容器内の気温変化が測定できなかったのは残念)。

水の蒸発時に潜熱を奪って冷やされるのは、風呂上りをはじめ日常的に経験できるが、
その逆の水蒸気が液体になる時に周囲を高温にするという現象は、なかなか体験できない。
(ホントは、冷凍庫内の製氷皿でも、水が氷(固体)になる時に多少の熱を放出しているのだが…)

小学校1年の柊ちゃんには少々難しい理屈だが、私にとっては貴重な実験だった。
実験セット以外には霧吹きと線香があれば、簡単に何度でも実験できる。

子どもの命を守る社会システム

2010年08月06日 | 時事
子どもは親たる男女の意思とは無関係にできてしまうものである。
なので不本意にできてしまって、子どもを産みたくない・育てたくない人というのは
いつの時代にも存在した。
子育ての能力や気持ちのない者が親になってしまうのは、社会的には避けられない
(そういう者ほど避妊の知識も実行力も乏しいため)。

その一方で、子どもがほしくてもできない人も存在していたため、
多くの社会では、養子縁組制度ができて、
子どもは不要視する者から歓迎する者へ、譲り渡された。

日本では、家の存続が最優先だったため、
跡継ぎのいない家では当然のごとく養子が迎入れられた。
名君と名高い米沢藩主・上杉鷹山も養子である。
すなわち、親子の血縁にこだわることは不可能であった。

また欧米では、持てる者は、より多くの子どもを養うという倫理があり、
そのため、芸能人などが、特に外国の難民の子などを引き取って養子にしている。
ここにも血縁にこだわらない発想がある。

「赤ちゃんポスト」が出来た時、反対した人がいた。
安易に子捨ての風潮が広がるという理由で。
その発想は、避妊具を配布すると、性道徳が乱れるという発想と同じ。
実にうすっぺらい視点だ。
命の重さとくらべて。
性道徳が乱れて、望まない妊娠が増えているから、避妊具の配布が必要なのに。
嬰児殺しがあるから、赤ちゃんポストが必要なのに。

かように養子制度は、子どもの命を守る社会システムなのだが、
日本ではだいぶ機能しなくなっている。
不妊治療の進歩に伴い、親子の血縁へのこだわりが強くなったためでもある。
個人的には、人工授精ならいいが、代理出産はやりすぎだと思う。

アメリカでは、望まない妊娠でも、堕胎せずに養子縁組みをするというシステムが確立されている。
なぜこのようなシステムがあるのか。
性道徳の改善と”今ある命”とどちらを優先すべきか、
どちらが緊急の問題か、答えが決まっているからだ。
人の命より優先すべき事など、地球(=過去~未来の全生命の合計+α)の運命以外にはない。
(「人間1人の命は地球より重い」という矛盾する妄言を何も考えずに口する者がまだいるらしい)。

子どもを育てたくない・育てられない親は、
合法的に子育てを放棄できる養子縁組制度が機能しなくなっているため、
苦痛な子育てのストレス状態から脱する事ができなくなっている。
ストレスの矛(ほこ)先は、当然、当の子どもに向う。
そして子どもは、まだ愛し慕う事しかできない実の親によって虐待され、見捨てられ、殺される。

現政権の主張は、子どもは社会で育てるのことではないのか。
確かに、子は親の所有物ではないし、子は親を選べない。
ならば「子ども手当」や「高校無償化」より、今ある子どもの命を救うことが優先されるべきだ。
少子化対策として、最も直接的ではないか。

幼児虐待の根本原因とやらを云々する暇があったら、
一刻でも早く、子どもを救う社会システムの確立を急ぐべきだ。