今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

志段味古墳群と東谷山

2025年04月03日 | 名古屋周辺

勤務先の大学が入学式の今日、ヒラの教員は不参加なので、名古屋東端の棲み家から近い名所を巡ることにする。
候補に上がったのは、名古屋市守山区にある「志段味(しだみ)古墳群」。
そう、古墳だったら愛知だって負けていない。
一番格の高い古墳は、名古屋市内の熱田神宮の近くにある断夫山古墳と白鳥古墳だが、
庄内川を遡った志段味地区には、なんと66基もの古墳が集まっている(といってもその多くは大きな古墳の周囲にある群集墳だが)。

そしてその地は名古屋市最高峰の東谷山(とうごくさん:198.4m)の麓であり、その東谷山の頂きにも古墳があるという。

というわけで、古墳巡りと長年住んでいた名古屋の最高峰に登ることにした。
市バスの便もあるが、駐車場があるというので車で行く。


まずは「しだみ古墳群ミュージアム」。
真新しい施設で、昼食もとれるカフェを併設している。
施設の駐車場に車を止めて、展示室(200円)に入る。
子供でもわかる説明になっていて、地元古墳の王の甲冑姿が再現されている(写真)。
また、ここで出土した須恵器と似たものが関東の古墳で出土していることから、
「ものづくり愛知」は須恵器からはじまっていたようだ。

館の裏の高台には大久手古墳群があるが、いずれも土俵程度の盛り土。
その中でひときわ立派な前方後円墳で古墳の盛り土を支える葺石が敷き詰められ、円筒埴輪が周囲を覆う大塚古墳は、塚の上に上がれて、そこには復元された木棺もある(写真:背後が東谷山)。
これらの古墳は東谷山に向いて作られている。
また公園化された敷地には地元志段味の石仏・石碑などもまとめられている。
近くの勝手塚古墳は神社となっている。
勝手塚古墳近くのスーパーで軽い昼食を買って、ミュージアムのベンチで食べた。


ここから車でほぼ直線に進んで、白鳥塚古墳の駐車場に止める。
駐車場は身障者スペースを除くと5台分のスペースしかないが、1台分だけ空いていて入れることができた。
ところが道路を渡って白鳥塚古墳を見学するが、私以外に誰もいない。
白鳥塚古墳は、昔は葺石が白い石英で覆われて白く輝いていたそうだ。
裏側に行くと一部だけ葺石が残っていて、そこに純白の石英が混じっている(持ち出し禁止)。

駐車場の4台の車の乗客はどこにいるのかいぶかりながら、少し先の東谷山白鳥古墳の横穴の石室を見学(横穴は柵で入れないが、入り口のボタンを押すと、石室内が照明で照らされ、音声説明が入る)。


さて、残りは東谷山。
車で、山麓のフルーツパークの駐車場に向かうが、満車でしかも有料。
白鳥塚古墳の駐車場に引き換えす。
フルーツパーク方面からの脇道から降りてくる人たちが、車に乗っていく。
なるほど、ここなら少し遠いが、車を無料で止められる。
駐車料金を払うくらいなら少々歩いてもかまわない私のような人たち向きだ。

ということでここから徒歩で混雑するフルーツパークを抜け、先程の混雑している駐車場近くから東谷山の登り口(山道)に入る。
山の中(尾根上)にも、南社古墳中社古墳があり、埴輪の模型が道標となっている。
瀬戸からの石段の参道と合流すると、東谷山の山頂=名古屋市の最高点に達する。
山頂には尾張戸(べ)神社があり、その本殿は山頂にさらに盛り土した尾張戸古墳となっている。
すなわち、東谷山の山頂自体が古墳なのだ。
この山は標高こそ200mに満たないが、古代から聖なる山とされてきていることがわかる。
実際、周囲から抜きん出ていいるので展望もよく、西の瀬戸側(焼き物の産地)には猿投山(600m)が望まれ、庄内川が見える西側は名古屋駅の高層ビルから復元天守閣のある小牧山などの濃尾平野が見渡せる(写真:関ケ原方面)。

ここから無舗装の林道を下って駐車場に到着。
志段味からは通り慣れた道で帰宅した。


郷土博物館めぐり:愛知県豊田市・みよし市

2025年03月12日 | 名古屋周辺

名古屋宅にいるが今日は何も用事がない。
そこで、”郷土博物館めぐり”の愛知編を実行したい。

選んだのは名古屋の東に愛知第二の都市として存在感を示す豊田市と、その途中にあるその名も知られていない「みよし市」
※:漢字の「三好市」はすでに徳島県にあるため。
後者は途中にあるという理由だけでなく、常滑訪問時に知った、愛知の焼き物のルーツ・猿投窯(さなげよう)の展示に期待。
ただしここは鉄道から外れているので、自家用車で回ることにする。


自宅から下道40分ほどで、広い高台(童子山)にある豊田市立博物館に着く。

今年開館したばかりで真新しく、規模も大きい。
特別展もやっているが、この後まわる所があるので、私が最も見たい常設展だけにする(市外者は300円)
まずは「とよたモノ語り」と称して、豊田市の様々なモノが飾られている巨大な四面の展示棚を目の前にする(写真:左側にトヨタ車の展示もある)。
「ものづくり愛知」の一角を占める、いや愛知を代表する市にふさわしい壮大な展示。
そもそも「博物館」て、博(ひろ)を展示する館のこと。
実際ここも、石器、土器、古墳の副葬品、そして産業製品との展示が拡がる。

豊田はもちろん豊田自動織機に始まるトヨタグループ本社が市名の由来で、本来の地名は挙母(ころも)だった。
県内最大の市域には、徳川氏の元である松平氏発祥の地があり、尾張名古屋から信州飯田に達する中馬街道(塩の道)が通っていた。
そして、ここの地質は、陶器やガラスの原料としてすぐれ、トヨタ車の窓ガラスは今でもそれで作られている。
そのほか、あの横濱崎陽軒の「シウマイ弁当」に入っている瓢箪型の陶器「ひょうちゃん」(私もそれとなく集めている)もここの土が原料だという。

愛知が「ものづくり」のメッカになったのは、優れた素材(もの)の産地だったから、という至極真っ当な理由だったのだ。

このほかに豊田市の自然風景のジオラマがあり、ミュージアムショップもなかなか面白い。
館外には、移築された古民家や横穴式の古墳もある。

さらに、高台を南に豊田市美術館に向かう。
博物館と美術館の間にある木々のまばらな植え込み地帯(写真)は、私が研究対象とした霊視認者が霊的にとても気持ちがいいと言っていた所。
また美術館一帯は挙母藩の挙母城跡であり、石垣の上に屋根のある櫓が復元されている。


豊田市美術館にも入る(常設展のみ300円)。
常設展のスペースは小さいが、エゴンシーレ、クリムト、ココシュカ、それに私が好きなミロの作品(各1点)が展示されており、自分のスマホからネット経由で音声の説明を聴ける。
美術館は、建物自体と広場も作品なので、館外も歩き回る。
ついでに、庭のある茶室(童子苑:美術館と同じ設計者)でお茶をいただく(菓子付き450円)
ここの庭にも水琴窟(多分常滑焼)があったが、地面下からの水滴音のエコーが聞きにくかったので、常滑にあったように耳に当てる竹竿があるといいとアドバイスしておいた。


次はみよし市立歴史民俗資料館
道沿いに目立つ三好稲荷の隣に入り口と駐車場があった。
ここは無料で、受付で市外に○と人数を記入するだけ。
資料館は大きくなく建物も古く、豊田市と比ぶべくもないが、研究紀要をきちんと発行していて、一般向けの資料冊子も販売している。
一階が常設展示で、二階は雛人形の企画展示だった。

みよし市は先史時代の遺跡が少ないが、5世紀以降の猿投窯の遺跡が市内に160箇所もあるという。
ということで、期待通り猿投窯が展示の中心だ。
それに展示の説明が全て載ってあるパンフレットがありがたい。
それによると、猿投窯は、日本に焼き物が伝わった5世紀の間に、愛知県の猿投山の南西麓に展開された。
その中で最も古いのは名古屋市千種区の東山公園付近で(ブラタモリでも紹介)、そこから東漸してみよし市に達したのが8世紀半ば以降。
ただ、平安時代(9世紀)になると、猿投から分離した瀬戸と常滑が発展して、10世紀後半には一旦ほとんど消滅するが、11世紀末から復活し、「中世猿投窯」として碗や小皿が大量生産される。
だが13世紀の末には再び消滅し、それっきりとなる。
その頃の猿投窯の工人たちはどうなったのかというと、それまで美濃風だった瀬戸焼が13世紀に猿投風になったことから、猿投の工人たちは猿投山を越えた瀬戸窯に移り、最終的には瀬戸焼(古瀬戸)に吸収されたらしい。
ということで猿投山に一番近いみよし市で、猿投窯の歴史を、実物とともに「学ぶことができた。

かように「ものづくり」愛知を堪能できるのが愛知の郷土博物館だ。


常滑を歩く

2025年03月01日 | 名古屋周辺
年度の業務をほぼ終えて名古屋にいる週末の3月1日。
しかも今日は4月並みに暖かくなるという。
せっかくなので日帰りで愛知県のどこかを訪れたい。
候補に上がっていたのは、名古屋の南に伸びる知多半島の伊勢湾側にある常滑(とこなめ)市。
 
歴史的に焼き物の重要な産地である愛知(尾張・三河)では、北の瀬戸焼に次いで有名な常滑焼の産地。
瀬戸焼は陶器のいわゆる”瀬戸物”だが、常滑焼はお茶を淹(い)れる茶色い急須が有名。
瀬戸は東濃への温泉旅でよく通り、棲み家から近くなので焼き物市にも行ったが、常滑はまだ。
行かなかった一番の理由は、自分が使う器(うつわ)類は焼き物(陶器)ではなく木製を好んでいるから。→木製化計画
私が焼き物を所持しない理由は、落として割れた時の喪失感が辛いからで、
木製を選ぶ理由は、落としても割れず(喪失感を体験しない)、触感がソフトだから。
なので私は木曽路で買った木製の器に囲まれていて、瀬戸焼すら使っていない。
という個人的相性の悪さがあるものの、そこは”ものづくり愛知”の拠点の1つとして、第三者的視点での観光対象となる。

常滑駅には、名古屋から名鉄特急で30分で着く。
それなりの観光地だと思っていたのだが、降りた乗客はまばらで、
車中のほとんどの客は終点の中部国際空港に向かうようだ
※後述するルートを回るなら車で訪れた方が楽かも。Aルート内に有料駐車場がある。ちなみに常滑の車も「名古屋」ナンバー。
改札を出ると、建物内に続く通路の両側の店舗スペースはことごとくシャッターが下りたまま(土曜昼だから定休日でないはず)。
てっきり駅に観光案内所があるかと思ったが、それどころではない閑散とした状態。
まずは駅前で昼食をと思っていたが、それらしき店もない。
要するに、名古屋から離れた所に点在する、やや寂れた郊外の1つの風景。
 
気を取り直して、町中方向に歩き出すと、路上の案内図の所におじさんが1人立っていて、道案内をしている。
そのおじさんに、最初に向かうべき場所として「陶磁器会館」を指示される。
指示に従って半島内陸部に向かう通りを上り、上に巨大な招き猫の象がある歩道橋をくぐると、陶磁器会館の建物がある。
まずは館内で観光地図(街中の散策図)をゲット。
もちろん館内には、常滑焼がずらりと展示販売してあるが、上述したように焼き物に所有欲がなく、急須すら木製にしている私は、それらを一瞥しただけで、地図を頼りに「Aコース」という常滑中心部の散策コースに出る。
細い道を進むと左右に常滑焼のギャラリーが点在するが、全て素通り。

常滑焼が敷き詰められている道沿いにある廻船問屋瀧田家の古民家を見学し(300円)、有名な撮影スポット「土管坂」を通り、文化財となっている「登窯」に達する。
付近は煉瓦造りの煙突が立ち、常滑焼の窯が集中している中心地帯(写真)。
黒い木の建物が続いているが、いわゆる製作所≒工場なので、風情はない。
常滑観光の中心部を巡るAコースの半分以上を過ぎたところで、空腹を満たすためルートを外してスーパーで菓子パンを2つ買い、店前のベンチに座って口に入れる
※:私にとって昼食はこんな軽めでよく、観光地のレストランのランチは不要。
この後も続く小さなギャラリーを見ても買う気はない身には、Aコースだけだと物足りない。
なのであえてAコースから離れて、常滑焼の基本情報を得るために「とこなめ陶の森資料館」に向かう。

資料館(無料)は、常滑焼の歴史から現代の活用までと、常滑焼の作業手順の展示(2階では講演会)。
それによると、愛知の焼き物の最初の産地だった猿投窯(さなげよう)から、平安期に北の瀬戸と南の常滑に分かれた。
南の常滑は、瀬戸と違って大型の甕(かめ)の生産がメインとなり、その技術の高さから常滑産の甕が全国に伝わる(関東の郷土資料館でも再三、常滑産の甕の展示を見た)。
その後、港が近い利点もあって、江戸に廻船で甕などの常滑焼が広がる。
ところが、一足先に江戸に広がっていたのが瀬戸焼だったため、扱ったのは「瀬戸物屋」(常滑の人たちはさぞ悔しかったろう)。
ちなみに、常滑で急須の生産が急増したのは、煎茶が庶民に普及した1820年代以降という。
というわけで、我々は常滑焼を使いながら、その存在を知らなかったのだ。
 
常滑焼には急須の他にもう1つ、名物がある。
地中に埋めてある茶色い土管(ドラえもんに出てくる公園の白い土管はコンクリ製)
常滑焼の土管は、水分を吸収せず、塩害に強く、堅牢なため、明治以降、水道管として全国的に使われた。
さらに今では、多孔陶管という形状の最新式の土管が地下ケーブルを通す管として、空港・高速道路のトンネル、発電所などに使われているという。
なぜなら上の性質だけでなく、火(熱)に強く、飛行機の重さにも耐えるので滑走路の下にも使えるから。
というわけでなんと常滑焼は日本各地の地下で我々の日常生活を支えるインフラとなっているのだ。

資料館の隣に「陶芸研究所」なる洒落た建物があり、そちらも見学する(無料)
研究所の研修生たちによる陶芸作品が展示されている(プロでないから、値段はついていない)。
ここでわかるのは常滑焼は甕と急須と土管という実用品で終わらいということ。
常滑焼の個性を活かした、具象的/抽象的、そして実用品としての芸術作品に目を開かれる。
土と火の微妙な調合によって生まれる焼き物は、我々の生活を便利にしてくれるだけでなく、美術工芸品として美意識をも豊かにしてくれる。
常滑焼もそうだった。
この地を訪れる前は、”常滑焼って急須でしょ”程の認識しかなかったが、この資料館と研究所で、常滑焼の現状と可能性を含む全てが分かった。

ここからさらに歩いてINAXライブミュージアムに行く(700円)
ここを見て知ったことには、INAXという有名な会社は元は「伊奈製陶所」という常滑焼の会社だったのだ。
大正時代に東京の帝国ホテルの設計を担当したフランク・ロイド・ライトは、地震国日本でのホテル建築の素材として黄色いレンガを求めたのが、それを提供できたのが常滑の伊奈氏だった。
そして常滑焼の柱を使った東京帝国ホテルは完成直後にM7.9の関東大震災に遭ったものの、びくともせず、そして地震以上に東京を破壊したその後の火災にも耐えた(常滑焼の堅牢性と耐火性が発揮!)。
その建物の玄関部は今は明治村(愛知県犬山市)に移築されて、私の勤務先の1年生の遠足先となっている(明治村では必ずここを訪れていた。そして今回、私が1年生に説明する内容が増えた)。

ここから駅まではバスの便があるが、テラコッタ(建物の装飾)や世界のタイル展示などを見ている間に時刻が過ぎてしまったので、25分かけて駅まで歩いた。
※:エジプトやメソポタミア出土のタイルを見ると、焼き物は割れさえしなければ、数千年はもつことがわかる。木は乾湿の変化に弱く、食器として使っていると劣化が早い。
途中の街中は至る所に常滑焼のプロの作品が配置されていて見飽きない(写真)。
 
常滑は、駅前こそこれみよがしの観光風景はなかったが、駅から離れた町全体が常滑焼と一体化していて、「ものづくり愛知」を代表する誇らしい地の1つだ。
そもそも常滑焼自体が、急須だけでなく人々の生活を多方面から支える幅広い”もの”であることが分かった。
 
愛知は「観光資源が乏しい」と県外から言われているが、このように他県にはない「ものづくり」という視点で訪れれば、観光になる所がいくつもある(瀬戸、則武高浜、半田、など)。
※:豊田にはトヨタの本社と工場があるが、関連ミュージアムがあるのは名古屋と長久手。また創業の豊田家は遠州出。

岡崎城に行く

2024年04月04日 | 名古屋周辺

名古屋に来て30有余年。
その間に名古屋城・犬山城・清洲城・小牧城・岐阜城には訪れた。
ところが申し訳ないことに、岡崎城は行かずじまいだった。
しかも岡崎市内の他の名所には行ったのに→岡崎に行く

誰に対して申し訳ないかというと、もちろん神君家康公に対して。

岡崎城は松平氏の本拠地で、家康が生まれた城なのだ(産湯の井戸、胞衣を埋めた跡もある)

ということでまずは岡崎城にと、新年度の授業が始まる1日前で、昨日来の雨も止んで好天でちょうど桜も咲いている今日、
満を持して岡崎城公園だけを目指して、名鉄東岡崎駅に降り立った。


市内の真ん中を東西に流れる乙川(菅生川)の橋を渡って、川べりの道を岡崎城公園まで進む。
公園前の広い河川敷では、ちょうど「桜まつり」の最中で、出店が繰り出している。
考えてみれば平日の昼なのだが、随分と人出が多い(子供は春休み中)。
せっかくなので、薫製フランクフルト(300円)を食べた。

さて、岡崎城公園に入って、石段を登ると城の鎮守である龍城神社があり、その奥に岡崎城の復元天守閣がある(写真)。
桜まつりの一環なのか、周囲の広場では、曲芸やサル回しなどの出し物をやっている。

「三河武士のやかた」との共通券(650円)を買って、まずは岡崎城天守閣に入る。
中では岡崎城の説明だけでなく、岡崎市の歴史や産物の説明・展示もあり、
春休み中の小中学生がたくさん来ている。
最上階に上がると、岡崎市が一望。


ここから園内(城内)を北上し、リニューアルした三河武士のやかた家康館」に入る。
※:実はこの再開を待っていた。
こちらは三河武士と家康に特化した展示で、この館所蔵のオリジナルな歴史的資料なども展示している。
まず強調されているのは、江戸幕府だけでなく、鎌倉幕府・室町幕府も三河武士がバックアップして成立したということ。
まず源頼朝の母がこの地出身で、そのおかげで頼朝はこの地からの支援を受けていたという。
その証拠となるのが、前回訪れた岡崎郊外の瀧山寺

室町幕府を開いた足利氏の一門はこすでにこの三河に展開していて、
この地の今川・細川・吉良・一色・仁木氏らが将軍家を支えた。


そして徳川氏だが、松平家の元康(後の家康)が、なぜ松平をやめて新たに”徳川”と名乗ったのか。
推測するに、松平氏は西三河の土豪(国衆)レベルで、流れは藤原氏。
元康になるまでは三河の一部の支配者レベルだったが、元康になって三河一国を統一した。
すなわち、尾張の織田や駿河の今川らと並ぶ戦国大名になった。
そこで、大名として配下の国衆たちに君臨するには、武家としての正統性が必要。

実は、松平氏の祖・親氏(ちかうじ)は上州新田郡徳川郷(群馬県太田市尾島町)出身の入婿で、
清和源氏(新田氏の分家?)の流れだった。
それを根拠に、入婿の先祖側に立って清和源氏(武家の棟梁家系)としての徳川氏を名乗ったのだろう。
以上は、館内の展示を見ての私の推測。


それにしても家康の半生は壮絶な苦難の連続で、3歳の時実母が離縁されて去り、
その後、6歳から19歳まで織田そして今川氏の人質生活を送り、晴れて一国の大名となってからも、
長年連れ添った(出会いは人質時代)正妻と一番大事な後継・嫡男に死を与えざるを得なかった。
普通だったら感情的に破綻する人生。
後半生(伊賀越え、関ヶ原、大坂夏の陣)も決して安泰でなく、まさに「どうする家康」という試練の連続の人生。
その家康が、270年の安定した江戸時代を作り、東京と名古屋という大都市を作った。
日本史上最もタフで、その部分も含めて、私が最も尊敬する歴史人物だ。

その人物のゆかりの地を、やっと訪れることができた。


高浜に瓦を見に行く

2024年03月13日 | 名古屋周辺

愛知県高浜市といえば?…、

「三州瓦」と出てきたならご名答。

愛知県は全国有数の焼き物の産地で、例えば他県の有田や益子など県内の特定地域が産地ではなく、
愛知では県内に産地が分散して、それぞれ別種の焼き物製品を製造し、
しかも全国あるいは世界的に有名で、現代の産業にも結びついている。

前回の名古屋のリタケの次に訪れるのは、細い衣浦湾を挟んで尾張知多の半田(酢のミツカンの本拠地)と向かい合う西三河の高浜。

ここはブランド化している”三州瓦”、すなわち三河の瓦の産地で、今や瓦のシェアが全国一となっている。

すなわちここも”ものづくり愛知”の一角をなす地で、観光地としては有名でないが、
物作り(製造業)の里として訪問するに値すると思った。


名鉄で知立で碧南行きに乗り換え、高浜港(みなと)で降りる。

無人駅ながら駅舎の屋根も瓦で、観光用の「鬼みち」に沿って進む(案内パンフはすでにノリタケの森で入手していた)。
まずはニコニコ鬼広場で、巨大な鬼瓦の出迎えを受ける。

普通の屋根瓦(桟瓦)は、今は機械生産だが、鬼瓦は職人による手作業で、美術品の域に達しているという。
道沿いの民家も路面も瓦の材料を使っていて、それらを眺めながら、市のやきものの里かわら美術館に達する(無料)。
※:図書館を含んだ新しい建物で、地元の案内図にはこれとは別に市の郷土博物館が載っているが、そちらは閉館して、もぬけのカラだった。
ここで瓦のそのものの歴史と種類・製法を学ぶ。
そして三州瓦の芸術的な域に達した鬼瓦なども展示されている(写真)。

産業としての三州瓦が確立したのは江戸末期で、ここの土が瓦に適していたのと、衣浦港から瓦の一大消費地である江戸に船で大量に運べたのが、三州瓦が盛んになった理由という。

そもそも江戸では将軍吉宗が防火のために屋根を瓦葺きにすることを奨励していた。
そう、瓦は、それまで民家に使われていた植物製(木の皮や茅)の屋根と違って、
防水性と耐火性に優れていて、あっという間に江戸の町に普及した。
衣浦湾対岸の半田の酢(ミツカン)が江戸で”握り寿司”を誕生させたように、
ここも江戸と船でつながっていた。

私は、地震防災の見地から瓦屋根に批判的だったが(→記事)、
より頻度の高い災害である火災や豪雨に対して瓦が優れているのは認める。

また、今の瓦葺きは、銅線で瓦を結んでいるため、
地震や強風で瓦がバラバラとめくれたり、落ちたりはしないらしい。
ショップで購入した本『三州瓦と高浜いま・むかし』には、
「瓦葺き建物は地震で倒壊しやすいという誤解」と記されている
(これについて客観的なデータがないので論評しない)

美術館奥の公園は瓦素材のオブジェに満ちていて、
その奥の観音寺には、瓦素材の8mの観音像が立っている(写真)。
境内の特定地点に立つと、この観音様と目が合うというのだが、
その地点に立つと今では繁茂した木の枝が視線を遮っている(撮影位置はそこから少しずれている)

さらに「鬼みち」を進み、寺や民家の軒先にも瓦素材の人形などが置かれているのを楽しむ。
新しい住宅も、現代風のカラフルな瓦屋根になっている。

さらに北上して、地元鎮守の春日神社の境内に入る。
神社の奥の大山緑地に瓦素材の5mのタヌキ像があり、
また園内のあちこちに瓦素材が使われていて、市民が植えた植樹の札も桟瓦が使われている。

このように高浜では瓦に対する認識を新たにし、瓦(素材)の可能性を実感した。


三河高浜駅から、名鉄線に乗って、知立(ちりゅう)で下車して、
知立市歴史民俗資料館(無料)に立ち寄り
(旧東海道の宿場だったのでその展示が中心)、
さらに地元鎮守の知立神社に参拝。
神仏混交だった江戸時代には神社には神宮寺が併設されていて、
その神宮寺の立派な多宝塔が現存している(写真)。
党内の本尊は他の寺に預けたそうだ。

知立は大きな山車が出る祭りが有名なようで(国指定重要無形民俗文化財・ユネスコ無形文化遺産)、街中を歩くと、その山車の大きな倉庫に出くわす。


そういえば、愛知には旧東海道が走っていて、その宿場だった所も結構昔の雰囲気が残っている(知立はそれほどでもないが)。
それらを訪れるのもいい。


名駅周辺散策:那古野・ノリタケ・豊国

2024年03月02日 | 名古屋周辺

帰京しない週末はもっぱら温泉旅に行っていたため、名古屋とその周辺を訪れる機会を逸していた
(我がブログのカテゴリー別の記事数でも「東京周辺」が207あるのに対し、「名古屋周辺」は本記事を入れてもたった38)
この地にいるのも残り数年なので、これはもったいないと反省し、
行き先が限られた温泉旅を抑制して、地元名古屋とその周辺の散策を増やすことにする。
一応棲み家が名古屋市(の東端)なので、まずは名古屋市内を優先的に巡ろう。

前回は市内の”寺巡り”(→記事)だったが、今回は”地域”を選定基準にして、
現代の名古屋の中心地と言える名駅(めいえき:名古屋駅)にほど近い所(で行ってない所)とする。

まず頭に浮かんだのは、名古屋で最古の商店街である円頓寺(えんどんじ)商店街、
そしてその南に伸びる四間道(しけんみち)
この地は、名古屋発祥の地ともいうべき所で、名古屋巡りの”最初に”歩くに値する所。


例によって「ドニチエコきっぷ」(620円)を買って地下鉄東山線に乗り、
今池で桜通線に乗り換えて名古屋一つ手前の「国際センター」で降りる。
地上に上がった所は、名駅周辺の高層ビル群と名古屋城から流れる堀川(→記事)に挟まれた地。
堀川に並行に北に伸びる道が四間道で、まず浅間神社があり、その先に古い家並みが続く(写真:奇跡的に空襲を免れたらしい)。

この付近は「那古野」という地名だが、現地の住所を示したプレートには「なごの」とルビがふってある。
といっても名古屋は元は那古野であったことは確かで(今の名古屋城にある信長の最初の居城は那古野城)、たぶん上位レベルの地名・名古屋と発音上区別するために「なごの」と変更したのだろう(明治以降?)。

四間道界隈は、江戸時代初期に清洲の商人たちを集団移転させ(清州越え)、名古屋城の城下町を形成した所。
すなわち、那古野生まれの信長が居城を清州に移して以降、この付近では清州が中心地になったが、
徳川の世になって、再び清州から新生名古屋に中心地を移転したということだ。
そういうこともあってここだけなら、むしろ名古屋城と組み合わせて巡ってもいい。


アーケードのある円頓寺商店街に出てアーケードに沿って左(西)に進む(右に進むと名古屋城)。

小さな金比羅神社があり、そこのおみくじは名古屋弁で語られるというので、
100円入れて引いたら大吉で「幸福がやってくるでかんわ」とあり、
失せ物については「間にはさまっとる」とのこと。

商店街名の元となった円頓寺(日蓮宗)は商店街沿いにあって、本堂の鬼子母神が毎月18日に開帳されるという。

せっかくなので商店街で昼食をと思ったが、店のランチ1食分は私には多すぎるので、
商店街から出た大通り沿いにあった100円ローソンでおにぎりを2つ買って、
次の”ノリタケの森”のベンチに座って食べた(写真)。


そのノリタケの森だが、名古屋が世界に誇る高級洋食器ノリタケの本拠地で、
ここの地名が”則武”なのだ。

まず敷地内のウェルカムセンターに入ってノリタケという会社の歴史と業務分野の概要を知る(便器メーカーの TOTOも系列会社だと知る)。
それによると、会社自体は東京が発祥なのだが、名古屋のこの地に工場を建て生産の拠点とした。
さらに洋食器だけでなく、研磨技術やセラミック素材などを活かした工業生産の基礎分野に幅広く貢献していることがわかった(日本碍子(がいし)も系列会社)。

すなわち単なる洋食器メーカーではなく、”ものづくり愛知”を代表する会社に発展している。

ノリタケを代表する洋食器については別棟のミュージアム(有料)があり、製造工程の見学と体験コーナーを経て、
展示されている美術品の域に達した過去の製品(オールドノリタケ)に圧倒される(写真)。
いずれ文化財として、桃山時代の茶器(瀬戸や美濃)と並んで美術館に展示されることだろう。

ミュージアムショップにも立ち寄ったが、私自身は食器は全て木製にしてあるので、買う物は小皿1つなかった。
※:木製の方が歯触りがいいし、陶磁器は割った時のショックが大きい。


ノリタケの森から少々歩いて東山線の亀島駅から中村公園駅まで乗る。
地上に出ると、道路をまたぐ大きな鳥居が建っている。
道路は参道となっていて、その先にあるのが、豊国(とよくに)神社(写真)。
この地(中村区)で生まれた豊臣秀吉を祀る神社だ。

名古屋が自慢する戦国の”三英傑”、すなわち織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の3名はいずれも名古屋と深く関わりがある(秋の”名古屋まつり”の目玉はこの三英傑のパレード)。

特に信長と秀吉は名古屋(那古野)で生まれ育った。
尤も信長も秀吉も名古屋を去ってしまい、
名古屋の町割を整備し、大都市の基礎を作ったのは岡崎生まれの家康だ。

その意味では秀吉の存在感は名古屋でも比較的希薄なのだが(名古屋の主は織田か徳川)、
地元生まれの庶民だったこともあって、今でもドラマでの秀吉は名古屋弁を話す(例えば上のおみくじのセリフ)。
その秀吉を改めて顕彰しようと明治年間にできたのがこの神社(江戸時代はずっと顕彰できなかった)。

境内には秀吉誕生の地の石碑があり、隣接する中村区立図書館には秀吉と同じく地元出身で家臣だった加藤清正両人の記念館があり、
境内の隣には秀吉・清正それぞれゆかりの寺(常泉寺・妙行寺:いずれも日蓮宗)がある。
加藤清正も独自に信仰の対象となって(秀吉の家臣だったが関ヶ原では家康側に着いたので無問題)、
例えば東京の港区白金にも「清正公」(せいしょうこう)がある

この神社のあちこちに掛かっている絵馬が秀吉にちなんだ瓢箪型(500円)で、
それを記念に購入(私は願掛けをしないので持ち帰る)。
ちなみに神社境内にある食堂は庶民的でここなら利用してもよかった。

中村公園駅からは東山線一本で帰った。
かくして名古屋駅(名駅)を挟んだ(駅からすぐに行ける)名所を堪能した。


名古屋の寺巡り

2024年02月12日 | 名古屋周辺

この3連休のうちはじめの2日間は大学での業務があり、連休3日目も名古屋宅に居る事になった。
そこで久しぶりに名古屋を歩こう。

これまで尾張の神社熱田神宮内を歩いたので、次は頭に浮かんだのは寺巡り。
さて、読者のあなたは「名古屋の寺」で頭に浮かぶのはどこ?

休日に名古屋市内のあちこちを1日で巡るには、名古屋市営の地下鉄(とバス)を使い放題の「ドニチエコきっぷ」(620円)が便利(本日のような振替休日も使える)。


藤が丘駅でこれを買って東山線に乗って、まずは本山(もとやま)で降りる。
地上に出て、名古屋大学方面に進む。
この通りは名古屋でも一番おしゃれな街といわれている。
といってもこの通りを一番利用する名古屋大学(名大)生がおしゃれという評判は無い。
そういう矛盾を孕んだ街を少し進むと着いたのは桃巌寺(曹洞宗)。

ここは近くの末盛城にいた織田信行(信長の弟)が建てた寺で、まずは”名古屋大仏”がある(1987年作で有名でないけど)。
奈良や鎌倉の大仏に連なる都市の名を背負った大仏なら、それだけで名古屋を代表する寺と言っていいかも。

名古屋大仏は本体の高さ10m(台座を含めると15m)あるのだが、境内から下った谷池にあるので、周囲から見上げるという位置にない(なので外からは見えない)。
青銅製の深い緑色の体に目と口だけが金色に輝いている(写真)。
新しいが造りはそれなりにしっかりしていて、各地の安っぽい”大仏”にありがちな不気味さはない。

本堂に上がって本尊(聖観音)を拝み、少し離れた弁天堂で黒っぽい八臂弁天を窓から覗く。
この寺にはこのほかに、ふくよかな乳房を露わに腰布を纏っただけで妖艶に寝そべる”ねむり弁天”様がいて、1000円だせばこっそり拝観できるという。
それってなんかスケベ心で払う1000円な気がして、むしろ開帳日(5月8日など)に堂々と拝むことにたい。

中国風の山門の近くに、いいお顔の如意輪観音の石仏があった(写真)。
こういう美仏と出会えるのは嬉しい。


本山駅に戻って今度は名古屋市内の環状地下鉄線である名城線(右回り)に乗って八事(やごと)で降りる。

八事といえば興正寺
ここは紛れもなく名古屋を代表する寺院。
真言宗の名刹で、総本山の高野山と喧嘩していることでも有名か。

山門を潜くぐると、正面の五重塔の前に、真新しい大きな釈迦像がある(名古屋大仏よりは小さく、こちらも造りはしっかりしている)。
広い本堂には横から上がれて、本尊などを拝める。
境内は寺の中心部が谷面で左右が山になっている。
右の山にはエスカレータがあり、上がると庭園(見学要予約)のある茶室などがあり、谷面に並んでいる伽藍が一望(写真)。
さらに山の奥に入り、左右に宝篋印塔が並ぶ道を進むと奥の院の大日堂があり、窓越しに大日如来像が拝める。
ただ境内の石仏はカメラを向ける気になれないレベルで、桃巌寺の方が上。
この寺では五大力尊(明王)のお姿(御影)を買った(2000円)。


八事からは鶴舞線に乗って上前津で名城線(左回り)に乗り換え、1つ目の東別院で降りる。
駅名が寺名を示していて、東本願寺(大谷派)の名古屋別院のことである。
立派なビルの信徒会館があり、寺としてかなり繁盛している様子。
実際私の印象では中部地方の甲信越を除いた地域(フォッサマグナより西)は浄土真宗の信徒がぐっと多い。
別院ながら元が本願寺なので、本日の中で一番巨大な本堂(写真)。
その大きな本堂の中に入ると、広い空間の中信徒があちこちの椅子に座って、目の前の阿弥陀如来に向かっている。
自由に座れる雰囲気はキリスト教会に似ている。
境内の隅に古渡城跡(織田信長の父信秀が末盛城に住む前の城)の看板がある。

東本願寺の別院を巡ったなら、西本願寺(本願寺派)のそれも外したくない。
幸い、歩いて行ける所にある。
途中、切支丹遺跡博物館のある栄国寺(浄土宗)に立ち寄る。
その博物館は閉まっている雰囲気なので入らなかったが、境内の諸堂の仏像を拝めた。
この界隈は寺町になっている。


本願寺名古屋別院(西別院)は、東別院よりはやや小規模で本堂の外面が改築工事中。
工事中でも本堂内には入れて(中も工事の人がいる)、東別院よりも本尊周囲の金色の装飾が目立つ。
極楽浄土の風景を模しているのだ。
仏教本来の目標たる涅槃の世界が無味乾燥なのに対し、阿弥陀如来が導いてくれる極楽浄土はかくも美しい世界なのだ。
自力で涅槃をめざすより、他力にすがって極楽往生した方がずっと快適と思ってしまう。
境内にはかつては金ピカだった鐘楼があり(かように西は東より金ピカ)、それをカメラに収めた(写真)。


ここから次の寺にも歩いていける。
途中、「吒枳尼天」(だきにてん)の幟が立つ稲荷山七寺(真言宗)に立ち寄る。
ここの小さな本堂には、平安末期作・重要文化財の観音・勢至の両菩薩が本尊として祀られている(本来はこれらが脇侍で本尊は阿弥陀如来のはず。阿弥陀如来は戦災で消失した)。
本堂の窓から覗くと残念ながらお顔は影に隠れて見えないが、首から下だけ見ても立派な造りだとわかる。
隣の堂は吒枳尼天を祀っているが、堂内に祀られているのは神社の神鏡のようだった(吒枳尼天=稲荷神)。
その吒枳尼天の御影が売られているので迷わず買う(300円)。


さて、次の寺は大須観音(真言宗:北野山真福寺寶生院)。
ここは幾度も訪れており、というか大須商店街が好きで、名古屋で”買い物がてらの街歩き”と言えば、大須から栄に歩くことだった。
その大須商店街の入り口にあるここは、庶民に人気がある寺で(実際参拝者が引きも切らず、行列ができているのはここだけ)、東京の浅草観音に相当し、老若男女と観光客が集まる。
ここには金色の阿弥陀如来の御影が売られていたので、買おうとしたら、

今まで耳に着けていたBOSEのノイズキャンセルイヤホンの左側がないことに気づいた。
以下の顛末は、本題から外れる話なので小さく記す。
今までの途上で落としたのだ。
東別院では両方着けていた記憶がある。

30000円以上したので、諦めるわけにはいかない。
早速、大須観音内で歩いた路を戻って探したが、見つからない。
ということは、ここ以前の所だ。
幸い、徒歩が続いたので歩いて戻れる。
もうお寺巡りを続ける気分ではなくなったので、ここに戻る気はしなかったが、もし見つかったら、ここに戻って御影を買おうと決めて、大須を後にした。
稲荷山七寺に着いて、本堂・吒枳尼天堂前を探すが見つからない。
さらに来たルートを遡(さかのぼ)る。
実は、この製品は思っていたほどノイズキャンセル効果がなく不満だったこと、そして左右別個のイヤホンはいずれ片方はなくすのではないかと思っていたことなどを思い出した。
これらは紛失のショックを和らげるために価値評価を低下する「認知的不協和の低減」という心理作業である。

西別院に達し、まずは写真撮影をした鐘楼に立ちよる(歩いたのとは違う事をしたここで落としたのではと踏んでいた)。
しかし地面をいくら探しても見つからない。
工事中の本堂に行き、石段を登った本堂入口でウロウロしたので、入口前の床を探すが、見つからない。
ここで見つからなかったら、これ以上来た道を戻る気力はない。
諦めて帰ろうと踵を返して、石段を降りところの最上段に、見紛うことのないイヤホンの片割れを見つけた(見つけやすい向きというものがあるようだ)。
これで状況と気分が元に戻った。

大須観音に急いで、誓った通り御影を買った(売り場で「お姿」といっても通じなく、御影(みえい)と言い直された)。


次の寺に向かうべく、大須観音前駅から鶴舞線に乗って、伏見駅で東山線に乗り換え、覚王山で下車。
覚王山とはこの地にある覚王山日泰寺の山号部分で、地形的に山の上ということもあってか、今では地名になっている(覚王は釈迦)。
寺までの参道は開けた商店街となっていて、最近は個性的な店が進出して、本山より一段年長者たちが集まる街となっている(昔よく通ったエスニック・グッズの店も健在)。

参道のどん詰まりにある日泰寺は、明治年間にタイ国王から真正の仏舎利(釈迦の遺骨の一部)を贈られて建てられた寺で、日本で唯一の超宗派の寺。
すなわち日本の大乗仏教の寺とは一線を画す仏教界における別格の寺だ。
その意味で名古屋第一の名刹といえる。

本尊の釈迦如来も、タイの国宝だった由緒あるもの(日本の釈迦仏と形態が異なる)。
山門の両側に立つのは阿吽の仁王ではなく、タイ式の衣を纏った仏僧像で、広い境内の大部分は駐車場を兼ねた広場となっている。

私は再訪なのだが、前回はほとんどの参拝客と同じく本堂を参拝してまわれ右して帰った。
ところが、今回、釈迦の舎利を納めた奉安塔の存在を知り、それが境内外の近くにあるというので(その参道の漂石が立っている)、そちらに向かった。
そこは日泰寺の飛地で、そこの参道を進むと奉安塔を彼方に望む門に達する(写真:中央奥の台座だけ見える白い石塔)。
進めるのはここまでで、ここから釈迦の舎利を納めた奉安塔を拝むのだ。
こここそ日泰寺で最も神聖な場所で、日泰寺に来て、ここに来ないと意味がないくらいだ。
日泰寺に戻り、さらに覚王山から東山線で出発地の藤が丘に戻った。


以上、名古屋市内の主な寺院を市営地下鉄でぐるりと一周するように巡った。
ここから外れたのは、万松寺(ばんしょうじ)荒子観音笠寺観音くらいか。
万松寺(父信秀の葬式に茶筅まげ姿の信長が訪れ、線香の灰をぶち撒いた)は大須商店街にあるので幾度も行ったし、荒子観音は円空仏を見に2019年に訪れた。→記事
なので、残ったのは笠寺観音だけだ。


日進の社寺巡り

2023年10月17日 | 名古屋周辺

本日は勤務先の大学で会議があったが、すぐに終わったので、ここ連日の「名古屋周辺日帰り旅」の第四弾として、大学から近い日進市の社寺巡りをする。

日進市は、長久手市とともに名古屋の東隣に位置し、名古屋近郊の新興住宅地として人口増加中で、市の北部には本学を含めて大学が集中している。


日進市で最も有名な社寺といえば、白山宮だ。
もちろん本社ではないが、摂社に「足王社」という足腰の神が祀られ、それがスポーツをする若者たちに支持され、今では「サッカー神社」とも呼ばれている(という)。

大学から車で数分で白山宮に着く。

まずは本殿を参拝して、その右にある現代的な造りの足王社に行く。
この造りは足が悪い人のためのバリアフリーを実現している。
まずは正面で参拝し、社殿内の裏側に回ると「痛みとり石」が鎮座している(写真)。
この石は、この地の祠の下の地面から頭だけを出していたが、ある老女がこの石をさすって、自分の痛む足をさすったところ、痛みが消えたという。
そのご利益を得ようと人が集まるようになり、今ではこの石を取り出してこうして飾っている。
ただし手で触ることはご法度で、500円で販売している「撫で布」で石を撫でるようにと指示されている。
私は幸い足は痛くないので、撫でる必要はない(私が参拝するのは、ご利益を求めてではない)
社殿の傍にはここオリジナルの絵馬が多数掛けられており、やはりサッカー部生徒などの祈願が多い。


白山宮の参道脇には、白山古墳という円墳があり、行ってみると中央の石室が露出していた。
白山宮の隣に、龍谷寺という禅宗の寺があり、仁王の立つ山門の他、如意輪観音や七福神の木造を拝める。
これらはいずれも素人的作りだが、八角堂前の龍谷観音は最近の作りながら、ふくよかな美しい顔立ち(写真)。


ここから岩崎城の方向に車を走らせ、岩崎川を越えて慈眼寺に車を止める。
小牧長久手の戦いに関係する城で、城址には天守が建っている。訪問済みなので今回は省略。
ここの本尊は千手観音という。
観音堂入口に西国33観音の模像があり、小さい本尊が見える堂内で住職が檀家の女性たちと話し込んでいた。
境内には石仏がたくさんあるが、やはりいずれも作りは素人風。
同じ石仏でも尾張一宮の妙興寺の洗練された作りとはかなり違う。
はっきり言って、ここらは最近まで田舎だった。

向かいの妙仙寺の立派な臥龍の松を見て、車で丘の上の大応寺に向かう。
大応寺は、真新しい白い石仏があちこちに立っていて、それらの奥に岩崎の御嶽(おんたけ)山を開山した明寛行者を祀った堂がある(ここが目的)。


その御嶽山は、岩崎の地にそびえる残丘(標高300m)で、この残丘はなんと古生代からずっと丘で、(愛知で唯一)この数億年の間一度も海に沈んだことがないという(地球科学的には日進市で最も貴重)。

その御嶽山に車で急登する。
山上の展望台に車を止めると、周囲は御嶽信仰ならではの霊神の石碑が立ち並ぶ。
霊神名にいずれも「覚」の字が使われていることから、地元尾張出身の覚明行者系であることがわかる。

ただしここの御嶽講は明らかに真言宗系で、大きな弘法大師像があり、あちこちに不動明王の石像もある(写真:後列左から龍神(倶利伽羅神)、大黒天、不動明王)。
階段を登って御嶽神社に参拝し(かように神仏習合)、お助け穴不動の幟に導かれて、洞窟内の穴不動(洞窟入口に照明の電源がある)を拝む(不動明王の印を結んで真言を三唱)。

この御嶽神社周囲の独特な雰囲気は、木曽の御嶽山に行かないと見られないだけに貴重だ。
というわけで、4日続いた「名古屋周辺日帰り旅」はこれで尾張(←勝手に変換)


熱田神宮を歩き測る

2023年10月16日 | 名古屋周辺

「名古屋周辺日帰り旅」の第三弾は、熱田神宮

尾張名古屋には、尾張一宮より格上の神社があって、それが熱田神宮。
何しろ、三種の神器の1つ「草薙の剣」こと「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ)※が奉納されているのだ。
※:草薙の剣はヤマトタケルが焼津で炎を絶った剣だが、元はスサノオがヤマタノオロチを退治した時に尻尾から出てきた天叢雲剣。ヤマトタケルがこの剣を妻に残して行き倒れになり、妻は地元のこの地に剣を祀った。
それだけの神社なので、もちろん名古屋に来てまもなく訪れた。
ただしその時は、「おほほ祭り」と言われる酔笑人(えようど)神事(5月4日の晩に神官たちが暗闇の中、境内の複数の社の前で輪になって「おほほ」と笑う奇祭)を暗い中見学しただけ(学というより音を聞いただけ)

なので今回は、熱田神宮の境内を隈なく歩き回ることにする。
私は、神社に参詣する時は、境内の摂社にも参拝することにしているので、神宮内の摂社・末社を全て参拝するのが目的。
※:その神社本来の祭神が摂社に祀られていることもある(維新後にそうさせられたため)。


そのためには、南の正門の一の鳥居から入り、居並ぶ摂社をシラミつぶしに巡って、北上する。
まずは、正門左側にある上知我麻神社とその両脇の大国主社事代主社
※:”神社”はちゃんとした社殿・板塀があり、”社”は小さいヤシロのみ)
そしてその北側の立派な別宮(本宮に次ぐ格)八剣宮を参拝(二礼二拍手一礼のみ。祈願をしないので賽銭は投じない)
参道を北上して、右側の楠之御前社徹社を参拝。

左側に南神池があり、そのほとりに「宮きしめん」の店があるので、かき揚げきしめんを食べる。
池の北側には最近できた剣の宝庫草薙館があり入場料払って(宝物殿込みで1000円)、入る。
内部には、神宮所蔵の文化財級の刀剣が展示してある。
その手前に日本刀の素材の鉄塊である鉧(けら)が展示されていて(写真)、そこに近づくと鉧からビリビリしたが(アクリルケースを突き抜けて)出ているのを手の平で感じた。

説明によると鉧には、黒雲母や玄武岩が混じっているという。
磁力計を持参したので、取り出して周囲を計測すると、周囲は50μT程度(ほぼ通常の地磁気の値)なのに対し、この鉧の前では70μTを越えた。
鉧が磁化しているのだ。
ただし私が感じたビリビリ感は、この程度の磁力だけでは説明つかない(この気感は物理的な磁力によるものではない)。

正門からの参道に並行したもう一本の道沿いにも摂社群があるので、戻る形になってそれらを訪れる。
南から日割神子神社孫若御子神社(尾張氏の始祖)南新宮社とその傍にある八子社曽志茂利社を参拝。

東門からの参道を横断して宝物殿を訪れ、鏡の展示を見る。
次に宝物殿正面の西門への参道を通って、西門脇の菅原社を参拝。
宝物殿に戻って、その北側の誰も来ない一角に一列に並ぶ六末社(乙子社姉子神社今彦神社水向神社素戔嗚神社日長神社)を参拝(写真:〜神社となっているが、建物は全てヤシロと同じ)。
その北隣の内天神社は参拝用の祠の奥は樹木が植えられていた。

二の鳥居を越えた参道左側にある弘法大師由来の大楠を拝み、信長塀がある三の鳥居手前の参道の東西に向かい合う東八百萬神社西八百萬神社(合わせて日本国中の神々)、そして東側の社務所手前の大幸田神社を拝み、いよいよ本宮に達する。

本宮ではちゃんと賽銭を投じて参拝し、授与所で防災用に使える「守護笛」を買った(1000円)。

ここから神楽殿の脇を北上する道に入り、龍神社御田神社、そして神剣が社殿改造まで奉安されていた土用殿を参拝。


そして、清水社手前の大楠に達する(写真)。
「霊が見える」という知人は、この大楠付近でとてもいい感覚を得たという。
それを確認するために、今回磁力計を持参したのだ。
大楠付近で磁力計をオンにしてみると、およそ50μTでこの付近の平常値。
霊の探知をすべく”ばけたん”のスイッチを入れてみても、「何もない」との反応。
清水社の奥の清水を含めて、この付近がパワースポットとは確認できなかった。

ここから先の道は、本宮本殿の真横・真裏に当たる森の中の「こころの小径」という名で、神聖な空間(入場時間限定・撮影禁止)である(このように神社本殿奥の森こそが、その神社の神域だ)。
礼拝施設がある本殿真裏を通過し、神宮の祭神・熱田大神の荒御魂を祀る一之御前神社に達する。
ここは実質的に本宮格なので、ここでも賽銭を投じて参拝。

ここから本殿の屋根が壁を隔てて望める道を進んで本宮に出て、西門から境内を出て、外からしか参拝できない下知我麻神社が最後の摂社

以上で境内の28の摂社・末社を全て巡ったことになる(境内案内図に載っていない社も含む)。
館内見学と昼食含めて3時間かかった。


挙母祭りを見に行く

2023年10月15日 | 名古屋周辺

夜半の雨もやんだ日曜の朝、今日は挙母祭りを見に行く。

挙母(ころも)は、今の豊田市中心部の旧名。
元は挙母市だったのだが、世界的に有名なトヨタ本社があることから豊田(とよた)※市となり、その後足助・稲武など三河山間部を合併して広大な市域となって、名古屋の東に、名称的にも面積的にも産業的にも確固とした存在感を示している。
※:創業者の豊田(とよだ)氏の出身地は静岡県湖西市。

その豊田市の中心部である挙母には、1600年代から続く祭りがあり、それが挙母祭りという由緒ある祭りで、各町内から飾った山車が出て、それらが祭りの中日に挙母神社に集結する。
その日が本日なので、それを目指して一路、豊田市の中心部に向かう。

名古屋宅からは、わが宅最寄駅の「藤が丘」からリニモに乗って(ジブリパーク入口を素通りし)、終点で2両編成の愛知環状鉄道に乗り換えて「新豊田」で降りる。

私にとって豊田の市街地は、車の旅で素通りするばかりだったので、降り立つのは初めて。
豊田の中心部は、名鉄の支線とこの愛知環状鉄道という2つのローカル線の駅があるが、どちらも名古屋に直行できない。
すなわち、鉄道的には半ば孤立した市なのだが、そこはトヨタのお膝元、モータリゼーションを前提としてこの地に人を集めるパワーがあるため、寂れるどころか発展している。
すなわち、豊田市は名古屋に依存せず、その衛星都市(の1つ)ではないのだ(そこが昨日訪れた一宮と異なる)。


ビルが立ち並ぶ豊田の中心部の奥には豊田スタジアムが見える。
本日試合があるらしく、電車から降りる人にもグランパスのユニを着た人がいる。

ビルの間を抜けて、木々に囲まれた挙母神社に達する。
まずはずらりと並ぶ出店の間を抜けると、境内中央の舞殿で小学生の女の子が囃子に合わせて舞っている(右写真)。

その奥(参道)に沿って、8台の山車が一列に並んでいる(下写真)。
人々は山車とその周囲の出店に集まっているため、子守大明神を祀る拝殿は空いていて、すぐに参拝できた。
昨日記したように、神社って参拝するとあとはすることがない。
ただしここは居並んだ山車を見物し、出店で買い食いもできる。

ここの出店には「たまごせんべい」という東京では見ない、おそらくこちらオリジナルのものがあり、薄く大きいえびせんに、その場で焼いた目玉焼きと揚げを載せ、マヨネーズ等で味付けして、せんべいごと二つ折りにして、紙包みとともに手渡される(400円)
内容的には薄焼きセンベイと目玉焼きなので、お好み焼きや焼きそばでは多すぎる私にとっては都合いい。
ただこれだけでは物足りないので、ドイツフランクフルトの直焼き(400円)も食べた。

出店の中には、「名古屋風〜」と謳っているものある。
すなわち、この地は「名古屋」の一部ではないのだ(尾張とは一線を画したい三河人の矜恃の現れかも)。

境内には、縁日用のゴミ箱が用意されているのでありがたい。

さて、集まった山車は、この後分散して地元の町に戻るのだが、それまで待っていられない。


なので、神社を後にして、せっかく来たのだから、街路の案内に出ている豊田美術館に足を伸ばす。
坂を登って丘の上にある美術館にたどり着いたら、閉まっている(写真:美術館前から豊田市街、手前が愛知環状鉄道の電車)。
なんと、臨時休館中だと。
それだったら、街路の案内に、その旨記してほしかった。
私の後にも、坂を登ってきたカップルが、虚しく引き返している。

駅前に戻って、愛知環状鉄道に乗ろうとすると、グランパスのユニを着た人たちがたくさん降りてくる。
試合までまだ2時間あるのに、ファンは待ちきれないようだ。
※:ルヴァンカップ準決勝だという
かくも、豊田は人を集める。


尾張の社寺巡り:一宮・稲沢

2023年10月14日 | 名古屋周辺

今週末は帰京せずに名古屋宅にいる。
このブログでは、東京周辺の名所巡りを盛んに記事にしているが、もう一方の名古屋周辺については、30年以上居るのに、ちっとも巡っていない
名古屋城、熱田神宮、徳川美術館、犬山城、明治村、長久手古戦場清洲城それにジブリパークなどは訪れた。
週中の仕事がある時だけ名古屋にいて、週末と長期休業中は帰京するというパターンのためだ。

そのアンバランスを解消すべく、今週はあえて帰京せず、名古屋周辺を巡ることにした(結果的に、4日連続挙行!)。


まず初日の土曜は、尾張一宮(いちのみや)から始める。
すなわち尾張に住んで30年以上経過して、初めてそこの一宮を訪れる。
こうなったのも、諸国の一宮と違って、尾張の一宮は県庁所在地・一番の都市ではなく、そこから外れた地にあるため(三河の一宮は愛知第二の都市・豊橋)。
どこに在るかというと、その名もズバリ一宮市。

一宮市は名古屋の北、木曽川の向こうに岐阜県と向かい合う尾張北辺の地。
名古屋市との間には清洲市や稲沢市を挟むが、名古屋駅から JR東海道線の快速だと1駅先の近さ。


一宮駅は JRと名鉄が乗り入れて、駅ビルもあってそれなりに都会的(1階になんと三省堂書店がある。あと街中にも書店があった!)。
ただ、土曜であるためか、道ゆく人の姿はまばらで、駅周辺の個人商店もシャッターが閉まっている(つまり週末に人が集まる所ではない)。
駅から一宮に向かって進むと、車道がロータリーになっている(ヨーロッパの郊外にある、ぐるっと一周できで、信号がなくて、左折ができる仕組み)。
そのロータリーを左折して進むと、立派な楼門のある真清田神社に達する。
ここが尾張一宮。
拝殿の奥、すなわち本殿の周囲が厳かな森となっていて、神域の雰囲気が漂う(写真)。
手水を含め数カ所から霊水が出ていて、それが池になって龍神が祀られている。

本殿の隣に服織神社というのがあり、織物の町でもある一宮にふさわしい。
宝物殿は残念ながら閉鎖してあって予約制だった。
本殿前の広場に仮の通路のようなものが作られていて、明日の馬を使った神事のためらしい。
訪れるのが1日早かったということだが、明日は予定がある。

はっきり言って神社は、拝殿で参拝するとそれで終わりで、あとはせいぜい摂社巡りしかない。
そのため、私の神社参詣は、訪問先の産土神への挨拶という儀礼でしかない(その挨拶が30年以上なされなかったが)。
帰路に地元の店で昼食をと思ったが、開いてている処がなく、駅ビルに戻って名鉄百貫店(閉店発表済)の「きしめん亭」できしめんを食べた。


ここから名鉄鈍行に乗って1駅先で降り、駅名でもある妙興寺に行く。
ここは臨済宗の古刹で、五山の次の”諸山”と同格で、境内が広く塔頭もあって、京都の臨済宗寺院界隈の雰囲気。
境内中央の仏殿が無料公開されていて、中に入ると、案内の人がパンフレットを渡して説明をしてくれる。
中央の釈迦三尊像(南北朝時代)は、市の文化財レベルだが、しっかりした造りで、もう少し評価されてもいい感じ。
一方、同じ仏殿内の大応国師像は国重要文化財で、
外の勅使門も国重要文化財。
境内にはブッダガヤなどのインドの仏跡の模像や憤怒形相でない馬頭観音の石仏(写真:格子の間から撮ったため、このアングル)などもあって、かように寺だと見るものが多い。


寺の隣に一宮市博物館があり、”郷土博物館巡り”も追加できる。
常設展は、関東だと旧石器時代から展示が始まり、縄文土器がずらりと展開するが、ここは最初の展示が縄文晩期から。
濃尾平野に人が住んだのは結構後らしい。
真清田神社宝物殿にある舞楽面(重要文化財)はこちらで見れた。

企画展は「尾張の文人画」で、尾張には”煎茶”も盛んだったことがわかった(私も小笠原流礼法の教室で煎茶を習った)。


再び名鉄線に乗って「国府宮」(こうのみや)で降りる。
稲沢市にある国府宮神社の駅。
国府宮神社(写真)は、2月の裸祭りで有名。
その名の通り、ここも国府にまつわるので挨拶として参詣する。

拝殿の奥はその裸祭りで下帯一つの男たちが凝集する空間。
ここも拝殿での参拝で終わり、あとは帰るしかない。
神社を正面に拝む広く長い参道を歩いて駅に戻る。
できたら駅を越えて荻須美術館にも行きたかったが、徒歩では遠いので諦めた(15時過ぎていたので、間に合わない)。

以上、尾張北部の社寺+博物館巡りを終えた。


ジブリパークに行ってきた

2023年06月01日 | 名古屋周辺

 ディズニー映画やユニバーサル・スタジオ映画よりもジブリアニメを愛する私としては、 TDLやUSJよりもジブリパークに行きたい。
そのジブリパークが、なんと名古屋宅のすぐソバにあるのだから、こんなうれしいことはない。
ただ、完全予約制で、ふらりとは行けないため、世間が平日で、わが勤務先だけが(創立記念日で)休日となる6月1日に予約を入れ(2000円)、その当日である本日、満を持して、ジブリパークに行ってきた。


わが名古屋宅の最寄り駅からリニモに10分乗って「愛地球博記念公園駅」で降りる。
車内アナウンスもホームでも「ジブリパーク」は影も形もないが、改札を出るとやっと案内を目にする。

もっとも記念公園内にあるのだから、まずは記念公園に入ればよい(写真:公園の3分されたゲートの右端(人がいる)だけ「ジブリパーク」とある。
右奥の平らな屋根の奥側の建物が「ジブリの大倉庫」。右手前の円形建物はローソン)


以前の愛知万博の中心部だった建物が今回予約した「ジブリの大倉庫」となっているようで、外観ではまったくそれらしさがなく、案内係がいて初めてそれとわかる。

11時の入場予約の30分前に着いたが、同時刻の予約客で長い行列ができている。
平日の昼なのに、行列は若い人たちや学齢期の子どもが多い。
いよいよ入場となり、ネット予約した私は、スマホで該当画面をかざして、画面内で「入場」をクリックすると、その画面に使用済みの印が出る。


エレベータで階下に降りると、正面にカルチェラタン(「コクリコ坂から」)内にある哲学研究会部室。
私が高校生だったら入部したかった。

左に進むと案内所があるので、あえて申し出て案内図を求める(案内図は自由に取れる状態でなく、グループに1つ)。

まずは中央階段に行く。
空中に「ラピュタ」の大きな飛行船(写真)。
ジブリ作品には、さまざまな航空機(プロペラ機)が登場するが、この飛行船は風車(かざぐるま)好きな私が一番好きなタイプ。

所々、撮影不可な場所(子供の街、企画展示室)がある。
映画館然としたミニシアターがあって、そこで15分の小作品を見る。


メイン会場といえるのは、中央展示室で、そこは行列が絶えない。
中に入ると、それぞれの作品の1シーンに参加できるという仕組み。
連れがいるとポーズをとって写真に納めれるが、一人客だとそれができないのが残念(赤の他人にカメラを渡して、ポーズをとる勇気はない)。

とりわけ、ボルコ(「紅の豚」)の殴り合いシーンでは(写真)、私はあえてボルコのパイロット服を摸したジャケットを着てきただけに、彼の相手ができなかったのは残念至極。
奥にいくと、アリエッティの親族になったように巨大化した床下の空間を巡る。

幼稚園児の団体も来ているが、彼らはジブリ映画を見ているのだろうか(せいぜい「ポニョ」か「トトロ」)。
あと外国人もそれなりにいて、説明はすべて日本語ながら(映画も日本語のみ)、展示は絵や造形なので、なんとか楽しめるか。


企画展示室は、ジブリ映画に出てくる料理特集で、千と千尋の豪勢な屋台や、さつきとメイ家族の昭和っぽい食卓と弁当、コクリコ荘のこれまた昭和臭に満ちた調理場(鍋の蓋を開けてみよう)、ドーラの飛行船内の調理場などが再現されている。
料理はすべて模造だが、これらのいくつかを実際に賞味できるレストランがいつか開業されたらうれしい(目玉焼きを乗せたトーストでもいい)。

唯一館内で実際に食べれるのは、シベリア(「風立ちぬ」)。
その売店周辺では飲食できるが、館内は基本的に飲食禁止。
向いに大きめのカフェがある。

順路の最後はミュージアムショップ。
いろいろあって迷い、結局、キャラのポーズをとった人形のガチャ(中身がわからない)を1つ買っただけ。
私には「どんぐり共和国」(名駅にもある)で充分かな。

以上、大倉庫だけで2時間かかった。


他に「青春の丘」(「耳をすませば」)、「どんどこ森」(「となりのトトロ」)があるが、これらは密度が低いので予約しなかった。
あと現在、「魔女の谷」と「もののけの里」が工事中で、今年度中に開園予定である。

これらを一挙に巡れればたいしたものだが、今回の経験では、大倉庫だけでお腹いっぱいという感じ。
たとえていうなら「天空の城ラピュタ」と「千と千尋の神隠し」と「もののけ姫」の3本を連続で見るようなもの。
私なら、小分けでいい。
次回は、「魔女の谷」と「もののけの里」だ。

なお、駅近くの公園の無料域内にもローソン(最上の写真)とおにぎり屋・売店(最上の写真の左側の円形建物)があり、それらでも食べ物やジブリパークの土産が買える。


去り難かった茶臼山高原

2023年05月16日 | 名古屋周辺

今日の茶臼山高原は、朝から晴天。
青空の下で赤紫の芝桜、新緑の草原の木々、そして仰ぎ見る南アルプスの白い山々が鮮やかだ。

今日は名古屋に帰る日だが、幸い用事がないので、ゆっくりしていける。

一年ぶりに高原から山頂を往復し、長野側の南アルプスが視界に広がる草原に寝ころがると(写真はそこから南アルプス)、いつまでもこうしていたくなって、下界の(夏日の)名古屋に帰りたくなくなる。
帰る踏ん切りがつかないので、カエル館にお邪魔して時間を潰した。

そのカエル館のパワースポットがなくても、愛知の屋根である茶臼山高原は元々愛知で一番好きな所である。

逆に言えば、愛知で一番好きな地が、さらに真正のパワースポットでもあるのだ。
※:何の根拠もない”自称”パワースポットではなく、客観的に物理的パワーが計測され、しかも多数の生体反応が確認されている。私がこれらのデータをとって”真正”パワースポットの判を押した。

ここでのパワーの測定作業は、前回の記事にあるように終了するが、この地は雄大な風景、周辺地域の多彩な鉱物(玄武岩、瑪瑙、花崗岩など)貴重な動植物に恵まれた、特別な場所であることには変わりはない。

これからは研究の場ではなく、もっと気楽な観光地として訪れ続けたい。


祝、ジブリパーク開園

2022年11月01日 | 名古屋周辺

本日、愛知県の長久手町にジブリパークが開園し、地元の各テレビ局はそれぞれ現地取材で盛り上がっている。

遅れて来たジブリ・ファンとして、名古屋の我が棲み家の目と鼻の先にジブリのテーマパークがオープンしたことは、観光資源に乏しい愛知だけでなく、自分自身にとってもこの上なく嬉しい。
※:長久手町は私が住んでいる名古屋市名東区の隣町
はっきり言って、 TDLやUSJが来るよりよりもジブリの方が嬉しい。

もっとも予約はしていないので、実際に行けるのは来年2月以降となろう(その頃だと平日に行ける)。

全体的には未完成で、3/5の部分開園なので、急ぐこともない。
その間にジブリのアニメを詳細にチェックして、園内の仕掛けが全て分かるように頭に入れておきたい。

そもそも愛知万博の会場だったあの愛・地球博記念公園は、愛知県立なので愛知の公的観光地としての役割もある。

ならば愛知が舞台となった「風立ちぬ」の世界の再現に力を入れられる(すでに「シベリア」は発売)。

愛知万博当初(2005年)からあった「サツキとメイの家」を中心に、「となりのトトロ」の世界の再現が最も期待されるだろうが、
※この頃はジブリ・アニメに全く興味なかったので、愛知万博には幾度か行っても、ここは申し込まなかった。
個人的に一番体験できたらいいなと思うのは、「千と千尋の神隠し」の油屋の薬湯(パークには温水プールがあった)。

私とジブリ・アニメの最初の接点は「紅の豚」で、子供・若者向けでない珍しいアニメなので観ようと思ったわけ。

その結果、いつしか名古屋の松坂屋で、その主人公のフライトジャケットを模した(全く同じではない)ジャケットを購入することに。

今では自宅と研究室のあちこちに、ジブリのキャラクターが置かれている。


ミロ展でTシャツを買う

2022年06月18日 | 名古屋周辺

名古屋に居る土曜。

愛知県美術館で開催中の「ミロ展:日本を夢みて」(-7/3)を見に行った。

ミロが好きだから特別展は見逃さない。

なぜ好きなのか。

実はミロも日本が好きだった(2回来日)。
それどころか、ミロの作品の方が日本的だった。
母国スペインで日本の民間芸術(土産物や祭礼での絵画)展を催したら、「まるでミロの絵だ」との評判だったという。

実際ミロのあのマンガのような絵(右写真は、館内で撮影可だった「ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子」)は、私が幼稚園時に描いた絵(マンガ)を彷彿させる。
マンガ(デフォルメされた線画)を見慣れている日本人は、ミロの非写実的な絵に親近感さえ覚える。

そのようなミロと日本の接点に注目した今回の展示を満喫し、
ミュージアムショップでミロの絵がプリントされた Tシャツを購入する。

普段は、美術館のミュージアムショップで販売されているTシャツって、いったい誰が買うんだろうと疑問を抱く側である。
ところがミロ展は別だ。
私自身がTシャツを迷う事なく購入する。
今回のを含めて、ミロのTシャツは3枚。

美術展での Tシャツは、まずは派手過ぎて着る事ができないものだが、ミロの画は、油絵ベッタリでない線画なので、意外に違和感がない。
ただ、ミロの絵を着て汚すのがもったいないので、なかなか着れなかった。

今回のはプリントが控え目なので、着て歩けそう