今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

2007年の気象傾向

2007年12月31日 | お天気
今度はまじめに、私設「ひぐらし気象台」の観測結果から、2007年の気象傾向をまとめてみる(星が丘気象台は不調だったので参考にしないので、”東京の”という限定がつく)。
まず、2007年は前年に較べて暖冬と猛暑だった(2006年は豪雪)。
ただし、このような年間較差は、通常みられることなので、これを「地球温暖化」のせいと即断してはならない。

毎月の観測極値を記録しているので、それを示す。ただし()内は2006年の値。
猛暑と暖冬は、これらの数値にも現われており、
月最高気温の年平均は、27.7(26.4)℃で,月最低気温の年平均は8.71(8.55)℃と、どちらも前年を上回った。
年最高気温は8月に39.1℃を記録した(36.2)。
ただ梅雨明けが遅かったので7月は猛暑でなかったため、夏全体が猛暑という印象は強くなかったのも確か。
年最低気温は、2月に記録した-0.8(-2.3)℃で、ほとんど氷点下がなかった。

日射量や紫外線量はむしろ2006年が例年より少なめだった(2005年の結果とも比較)。
雨量は、年間で1104(1473)mmで、過去3年で最も少なかった。
これは8月に38mmしかなかったのが響いている。
ここ数年都内で夏に集中豪雨がみられたのだが、今年はそれがなかった。

最低湿度も年平均で18.1(21.2)%で減少傾向が続いている。東京の乾燥化はすでに指摘されており、それが進行している感じだ。
乾燥が続くと、火災とインフルエンザの危険が増す。

都市に緑を増やせば、夏がすごしやすくなるだけでなく、冬の乾燥も緩和できる。

今年を振り返る

2007年12月31日 | 時事
なにしろ極私的ブログなので、”私”の2007年を振り返ってみる。
今年は、第一四半期にトラブルが頻発した。
1月に担当者ながらセンター試験当日に寝坊、母の心電図に異常。
2月が最悪だった。
駐車場に停めた車が道路へ移動する騒ぎ、パソコンが故障して出張時の撮影データ消失、冷蔵庫故障、エアコンが壊れて交換、研究費の処理ミス、出張先で資料撮影中にデジカメ電池切れ・容量切れと続いた。
そして3月はぎっくり腰。
この後は、姪が誕生し、自分も教授に昇格し、いたって順調だったが、
10月に旅先で車が故障(修理預け)、そして12月にも旅から帰宅途中で車が故障(修理預け)。
愛車の寿命を感じた。

こうしてみると、16年にもなる名古屋生活の錆が出てきたようだ。
ぎっくり腰にはなったが、それをきっかけに鍼治療に目覚めて、その後はかえって調子がいい。
でも耳鳴りはこの一年ずっと止むことがなかった。
毎月温泉には行ったが、定宿化した所か近場ばかりで、インパクトのある「旅」はしなかった。
論文は年2本の基本ペースを維持。
買物で一番ヒットしたのは、6月に伊賀で買った前後どちらからでもはけるスリッパ。

言い換えれば、経歴的には進歩があったが、善くも悪しくもこれといった大きな事件はなかった。

来年は、車がもつかどうかが心配。
耳鳴りも鳴り続けるだろう。
3箇所になった気象観測は順調で、いいデータがとれそう。

今年最後の予定

2007年12月27日 | 
今年最後の予定を果たしてきた。
「今年最後の温泉に一泊」という予定を。

泊ったのは、準定宿の「グリーンプラザ軽井沢」。
ここは、鬼押出の北側にあるが、軽井沢駅から送迎バスがあり、アプローチ的にも料金的にも予約的にも気楽に使える。
メインディッシュがつくグリル・バイキングは、通常の庶民的バイキングよりも、高級感があって、しかも混雑しないのが気に入ってる。
こうしてバイキングを充分堪能するが、日頃は1日に1.5食の生活だから心配はない。

2日とも晴天で、純白の浅間山が映(は)えていた。
帰りは、チェックアウトして新幹線で戻ると早く着きすぎる。
今年最後の旅をもうちょっと堪能したい。

バイキングの過剰摂取分を消費する意味で、軽井沢から横川まで旧18号国道(碓氷峠道)を歩くことにした。
今では上信越自動車道と碓氷バイパスがあるので、道が狭くカーブが多いこの道を通る車は少ないはず。
それに、廃線前に記念に乗りに行ったこの碓氷線(信越本線のこの部分)の脇を改めて歩き通してみたかった。
軽井沢駅から、群馬との県境の碓氷峠のゆるい登りに立ち、信州側を振り返ると、軽井沢の浅間山麓の森の向うに、飛騨山脈の槍・穂高の高く白い稜線がくっきりと見えている。
まさに信州高天ケ原という風景。
それに対し、群馬側は、関東平野に向かって500m以上も一気に地面が降りている。
その急傾斜を苦労して通ったのが碓氷線だった。

車がときたまにしか来ないまがりくねった道を、すたすた降りる。
やがて碓氷線の廃線跡と平行するようになり、レンガ造りのトンネル跡や橋梁が次々と出てくる。
そして、一番のメイン、第三橋梁の「めがね橋」(写真)。
橋の上に昇れ、しかもここからは横川駅まで線路跡をそのまま歩いていける(トンネル内は照明)。
レンガ造りの丸山変電所跡をすぎ、「鉄道文化むら」が見えてくると、信越本線の横川駅に着く。

軽井沢からここまで10kmあまり、3時間かかった。
いい運動したおかげで腹がへってしまい、
駅前でオギノヤの天ぷらそば(ちゃんとした蕎麦)を食べてしまった。

賀状書き

2007年12月26日 | 歳時
25日は近所での買い物と賀状書きですごした。
それにしても賀状書きって面倒。
あまりに面倒なので出す予定の全部は書かず、第一便分だけにして止めた。

最近はパソコンで両面とも印刷で済ませる人が多いが、そこまで自動化すると、かえって大量の賀状を出すこと自体が無意味に思えてくるはず。
実際そう思っている人が多いようで、印刷が手軽になったのに逆に流通枚数が減少してきている。

私自身は、裏面の定型文と自分の住所氏名は印刷だが、相手の住所氏名は肉筆にしている。
それに裏面には一筆書き加えるようスペースをとっている。
でもこの一筆に苦労する。
一人一人違えたいが、うんうんうなって悩んだ揚げ句は、「お元気ですか?」「ご無沙汰しています」などの凡庸な文句で落ち着いてしまう。

それに、こちらから事前に出すかどうか迷う境界線上の相手というのも困る。
できるだけ減らしたい方針があるのだが、でも失礼になるのも気が引ける。

とにかく、両面印刷だけで内容も情報量ゼロの100%義理の賀状は、お互いやめにしたい(あと日頃顔を合せている職場の相手も不要でしょ)。
でも年に一度は消息を知りたい相手もいる。
そのような相手だけに絞りたいものだ。

クリスマスを祝う理由

2007年12月25日 | 歳時
すでにクリスマスは国際的にキリスト教徒だけの祭事ではないことになっている。
それなのに、未だにクリスマスは敬虔にすごすべきだという意見(新聞の投書)があるのに驚く。
また逆に自分はキリスト教徒でないからクリスマスは無関係という態度(実は学生時代仏教好きだった自分はこの態度だった)も偏屈にうつる。

本来、この日は古代ヨーロッパでの冬至の祭りで、それがキリスト教以外の儀式が禁止されるに伴い、イエスの誕生日とされたという。
その名残といえる証拠は、モミの木やヒイラギという常緑樹の飾りで、これは正月の門松と、節分(本来の大晦日)のヒイラギの飾りに相当する。
生命力が一番衰える冬至を過ぎたので、真冬でも葉を落とさない常緑樹に託して「一陽来復」を祝う祭りなのだ。
あと年末なので一年を無事にすごしてきたという祝いの意味もあろう。
つまり、特定の人工宗教に支配される以前の、人類にとって普遍的な歳時を記念する祭りなのだ。
正月もまったく同様で、仏教や神道の固有の儀式ではない。

なので、地球上に生きる者として、今年も無事に公転を一周する年末から年始を迎えることを感謝し喜びあうのは当然で、それぞれのやり方で祝えばいいのだ。

実際、信教の自由を国是とするアメリカでは、クリスマスを積極的に脱宗教化し、クリスマスと新年の祝いを連続させている(もちろん伝統文化も尊重しているが)。
最近のクリスマスソングがそれを表現している。
たとえば有名な'We Wish You a Merry Christmas'も’Happy Christmas :War is Over'もクリスマスの後にA Happy New Yearと続けている。

人類は、2000年程度の歴史しかない偏狭な(特定の教祖がいる)唱道宗教のくびきから脱して、私があること・あなたがあること・世界があることをこうやって感謝する普遍的でおだやかな宗教心を持っていればいいのではないか。

誕生会兼クリスマス

2007年12月24日 | 身内
クリスマスに生まれた甥っ子の柊聖(しゅうせい)が4歳の誕生日。
まだ誕生会とクリスマスを兼用しても文句がでない。
といってもケーキは1つだが、プレゼントは家族からのとサンタさんのとは違えるみたい。

昨年の今ごろまでは電車オタクだったのに、今ではウルトラマンシリーズの大ファン。
しかも、現代のシリーズ(名前は覚えられない)ではななく、
昔懐しい、初代ウルトラマンやウルトラセブンの方が好きというから好みが渋い(写真を撮らせるとこのポーズ)。
まさか、自分が現役で観ていたヒーローがまたもてはやされるなんて(多くの人のように、私もあのシリーズではウルトラセブンが一番)。
遠い記憶をたどって解説してあげる。
そのうちあっと言う間に知識は追い越されるだろうが。
その前の「ウルトラQ」なら負けないぞ。

また愛車が…

2007年12月11日 | 生活
温泉でリフレッシュして、帰宅の途中、また愛車ローバー・ミニが動かなくなった。
一旦停止して、発進しようとしたらギアが入らず、車が前進しない(バックにだけは入る)。
そうしているうちに、エンジンも停止(セルは回る)。
場所は、岐阜県山岡町のダムの堰堤前の駐車場横。
惰性でなんとか駐車場に入れた。
止ったのが渡ろうとした堰堤上でなかったのが不幸中の幸い。

またJAFにお世話になろうかと思ったが、
今回は任意保険更新時にもらった紙に、故障した時も連絡OKと書いてあったのを思いだし。
山の中で携帯が通じにくいので、近くの道の駅の公衆電話で損保ジャパンに連絡。
そこ経由でJAFに連絡してくれたが、JAFは中津川と多治見にしかないそうで、現地に行けるのが何時になるかわからないので、JAFの方から保険会社でなんとかならないかと言ってくる。
また保険会社に電話すると、日本ロードサービスに連絡してみるという。
そちらでは近くの町の整備工場から来てくれた。
再びミニはレッカー車の上となり、整備工場へ。
車屋さんの見立てでは、クラッチ板がいかれたという。
乗って15年たっている。
そろそろ寿命も近い。
でもエンジンは問題ないので、乗れるならまだ乗りたい(次に買いたい車がないし)。

代車を出してもらって、帰ってきた。
夕方、整備工場から電話があり、見積り額を言われた。
17万円だと。
ボーナスでの買物予定がふっとんだ。

お好み焼きとおでん

2007年12月03日 | 身内
実家に帰ったら、植木を飾るイルミネーションが拡大し、
家内にまで拡がっていた(写真)。
イタリアの姉の家のイルミネーションを思いだす。
その姉は二週間あまりの滞在ももう終り。
エージェントとしての仕事もうまくいったようだ。

義妹得意のお好み焼き・もんじゃ(キャベツ1玉使い切り)と母が煮たおでんで乾杯。

私設日進気象台、正式開局

2007年12月01日 | お仕事
今日は授業もないのに、朝から出校。
昨日からネット配信を開始した私設「日進気象台」だが、

昨日配信が止りぎみだったので、送信元のパソコンを手入れし、サイトのページも一部改良した。
配信もページの表示も問題ないことを確認して
同じキャンパスの教職員に開局の旨を一斉送信した。

自宅に帰って達成感にひたっていたら、
さっそく返信が、
「文字化けしてメールが読めない」とのこと。

ここのメールサーバはMacからだと文字化けするのを忘れていた。
文字化けしないサーバ経由で再送。

既存の「星が丘」や「ひぐらし」のページも同じように改良しよう。