今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

半年終り

2007年06月30日 | 歳時
もう6月も終り。
2007年も半分終わってしまう。
将来の楽しみを心待ちにしても、往く時をなごり惜しんでも
時がたつのは早く、
楽しみにしていた予定はすぐやってきて、そしてすぐ去ってしまう。

別に無駄な時間をすごしているわけではないけど、
いやむしろ無駄にすごしていないからこそなのか、
生きた時間をなにがしかのモノ・成果に置換わってしまうからなのか、
どんどん増える過去は、思い出が圧縮して重なるため、その長さを増しはせず、
自分が生きた時間のその長さは二度と再体験できない。

だから、すごした実時間の長さの割に、過去の厚さが増さないため、
歳をとればとるほど、時間が消え去った感じがして、時間がたつのが速く感じてしまうのではないか。

下呂温泉

2007年06月26日 | 温泉

名古屋に来て15年を経過して、はじめて下呂温泉に行った。
下呂といえば、関東の草津、関西の有馬と並び称される名湯との評価があるらしい(といってもそう評したのは林羅山だけ?)。
でも泉質は単純泉だし、ロケーション的に中途半端な所にあるので、「行きたい」という気持ちになれなかった。
距離的に近場という気楽さがないし、ここまで来るなら、むしろもう少し足を伸ばして、観光資源が豊富な高山や奥飛騨に行きたくなるから。

それに、私には世俗的な「温泉街」というものが行く気を削がせている。
草津のような泉質に個性がある所は別として、単に歓楽的「温泉街」として名を馳せている熱海や石和、あいは北陸の温泉街など、いずれもそれだけで行く気がしない。
温泉街が形成されてしまうと、通俗(悪く言えば低俗)な街中に滞在することになり、環境的転地効果がなくなってしまうから。
すなわち温泉宿は”街”を形成すると、価値を半減してしまう。

自然環境は変えることができないし、無理やり箱物的観光施設をつくっても不自然で訪れる気持ちを喚起しない。
とすると、残りは宿自体が旅行者を呼ぶ力魅力をもつしかない。
私が下呂最初の宿にしたのは、「下呂彩朝楽」。
この宿については私のサイトの温泉宿コーナーで紹介する予定なので、
ここでは下呂の温泉街について話を進める。

初日の夕食後、自分の車に用事があるので、少し離れた駐車場に行こうと、宿の浴衣姿のまま出歩いた。
小雨の中、客室の明かりの少ない宿が並び、飲み屋・食堂なんかも人の気配がしない通りを歩いていると、向うから老婆が私に話しかけてくる。
私に道でも聞きたいのかと近づいて応答してみると、やっと言っていることがわかった。
なんと「若い娘(こ)がいるよ」。
ポン引きだった。

なるほど、昔からの温泉街ってこうなのか。
温泉旅行を楽しむ客層・世代がどんどん変化し、日本人の中身も変化しているのに追いつけない温泉街ってこうなのか。

翌日、気を取り直して昼の(健全な)下呂の街を歩くと、あちこちに蛙のイラストが目につく。

宿近くの商店街では「カエルカード」なるものを発行している。
カエル(現地方言で「どんびき」)が下呂の街のキャラクターとなっている。
ある解説板でその理由がわかった。
カエルは「ゲロゲロ」と鳴くから……。

まぁ、カエル好きの私には街中にカエルが溢れているだけで楽しいのは、確か。
さらには、唯一の観光施設「合掌村」内には「かえる神社」なるものがある。
合掌造りなら白川郷で見るから行く気はしなかったが、「かえる神社」の存在を知ったからには、観光の第一目的地になってしまった。
もっともその神社は、あくまで観光施設の一部であって、式内社や神社本庁系列ではない。主神は「加恵瑠大明神」
写真は、神社室内にある「若ガエル」…
でもカエル本来がもっているこの異様さがなんともいい。
参拝記念にかえる神社の絵馬を買った。

せっかく下呂はカエルをシンボルにしているなら、オリジナリティあるみやげ物としてカエルを増やせばいいのに、
みやげ店は飛騨全体のシンボル「さるぼぼ」ばかりで、買いたくなるようなカエルのみやげはなかった。残念。

結論。
下呂は温泉街的旧弊を残しているものの、私をリピーターにする潜在力があることはわかった。
あとはカエル次第だ。
つまらん語呂合わせはいらないから…


顧客個人情報流出

2007年06月23日 | 時事
私も利用している松坂屋ストアの顧客個人情報の流出がニュースとなった。
名古屋ではよく利用する店なので、数年前、カードを申し込んだ。
その申込書には、住所氏名以外に、細かな個人情報を記入する欄があったので、
かえって個人情報管理に対する感度の悪さを感じたため、最小限の事項しか記入しなかった。
申込を受付けた社員は、私に「記入欄はすべて埋めてくれ」と言ったが、私は拒否し、「それなら情報漏えいがあった場合責任とれるか」と迫った。
するとその社員は、奥に下がり、おろらく上と相談したのだろう、やがて戻ってきて、このままでもよいと、空欄だらけの申込書を受付け、カードを発行した。

そして今日、顧客の個人情報がネットに出回っているというニュース。
ほらね。
情報管理に対する意識の低さの結果だ。
※後日、ストアー本部からカード申込者に謝罪の手紙が来た。

それにしても、企業や警察・役所のWinny(ウィニー)ユーザーはセキュリティしっかりしなさいよ。
アメリカ国防省や私のようにMacを使っていれば、漏えいの心配はないのに。
(Macユーザーだけどウイルスからの防御はやってます)

抱き枕その後

2007年06月19日 | 生活
抱き枕を買って2ヶ月すぎた。
今では、買いたての頃のように私に抱かれることもなく、
ベッドの足元に寂しくころがっている。

この枕を抱きかかえて寝るという体勢は意外に疲れ、
寝返りをうつと当然、枕に背を向けてしまう。

もはや腰痛も治り、無呼吸の症状も出ないので、側臥の姿勢を維持する必要もなくなったし。

抱かれない抱き枕は、今宵も寂しい夜を迎えることになる。

真夏日でもすごしやすい理由

2007年06月16日 | お天気
5月下旬あたりから太陽の角度は真夏並みになるので、30℃を越える日が出始める。
ただし、今の時期は確かに太陽光は強いが、真夏のムッとする暑さとは違って、日陰に入ると涼しいし、室内にいても窓を開けていれば冷房なしですごせる。
なぜなら湿度がぐっと低いため。
今日の日中は20%前後だった。
これは乾燥している冬場と同じ値。
湿度が低いと皮膚からの蒸散が盛んになるので熱中症の危険は少ない(水分不足に注意)。
この湿度が盛夏では60%を越えるんだ。

なぜそんなに違うのかといえば、日本上空の気団が異なるから。
梅雨とは、南の太平洋からではなく、南西のインドシナから、インド洋起源のモンスーン(雨季)の気団がやってくること。
その気団が、南の太平洋高気圧に押し上げられて梅雨明けとなるため、
その後の盛夏は、日本でも「雨季」の湿気がベースの晴天となるわけ。
梅雨前線は低気圧に附属する普通の前線と違って、温度よりも水蒸気の不連続線といえる。

梅雨入りしたとはいえ、まだモンスーン起源の梅雨前線が弱い現在では、
緯度でほぼ同じのアラビアあたりの気候に近い。

今年は暖冬で雪解け水が少なく、そして空梅雨になりそうで、その後はラ・ニーニャの影響で猛暑になりそうだから、まさに全国的に「砂漠」状態になりそうで心配。
今から節水・蓄水を心がけよう。

また帰りの新幹線が止められた

2007年06月15日 | 失敗・災難
今回の帰京も乗った新幹線が豊橋で1時間ほどストップ
これで2回連続の新幹線ストップ。
今回はニュースでもやってる新横浜駅での飛び込み自殺。
後続する列車すべてがストップしただけでなく、
東京駅で折り返しができないため、金曜夕方という単身赴任者が帰省するもっとも混雑する時間に、下りホームも人がぎっしり。
つまり、東海道新幹線の運行システムすべてをストップさせてしまったわけ。

個人的には急ぐ用事はなかったものの、大迷惑をこうむった人も多かったはず。
こんな社会的影響の大きい自殺法って他にないんじゃないのか。
美意識のない実に醜い死に方だ。

そしてやっと東京について、山手線に乗ったら
車内モニターで
常磐線や埼京線も人身事故でストップだと。
朝はおなじみ中央線でもその手の事故があったらしい。

確かに今日は東京ひぐらしで32℃も上がり、今年最高。
首都圏の人たちの暑い一日だった。

甲賀の里

2007年06月11日 | 
伊賀と甲賀の旅2:伊賀のライバルの里で忍者に

2日目。いい天気で日差しがまぶしい。
宿の売店で、忍術実演のDVDと前後どっちからでもはけるスリッパを買った。

今日は、伊賀から県境の御斎峠(滋賀のほぼ南端)を越えて、滋賀県の多羅尾・信楽・水口を経て甲賀(こうか)の里へ。
多羅尾から細い方の道に入って、「鶏鳴の滝」を見て、信楽に出る。
狸の置物は買わず、小さい蛙の置物を買う。
紫香楽宮跡を見て、水口(みなくち)の大地寺に立寄る。
ここには地元出身の小堀遠州作といわれる”蓬莱庭園”が見物(写真)。

甲賀の「忍者屋敷」は甲賀忍者の本家たる望月氏の製薬会社が私的に運営しており、
市が力を入れて経営している伊賀とは設備などに財力の差が出ている。
しかし、伊賀ではただ説明を聴くばかりだったが、こちらでは屋敷の中二階・三階などに上がれ、屋敷のからくりを実体験できる。

それに金属の手裏剣を投げることができる(10枚300円)のがうれしい。
十字型手裏剣の刃の1つを持ってオーバースローで投げるのだが、力がうまく入らずひょろひょろした感じで的に刺さる(リリースポイントも試行錯誤)。
だが的から抜いてみると、しっかりグサッと刺さっており、
威力は意外にあるようだ。
しかも実際にはこの刃に毒をぬっていたというから、さらに効果があったろう。
こちらでも甲賀忍者の解説書を買った。
忍術の資料を手にし、今や手裏剣も投げられる私は、忍者の仲間入り?

伊賀の里

2007年06月11日 | 
伊賀と甲賀の旅1:別にことさら忍者に興味あるわけでないが(そりゃ、子どもの頃は「伊賀の影丸」など忍者モノのマンガは好きだったが)、伊勢の先と近江南部は行ったことないので、伊賀の温泉に一泊して合わせて訪ねることにした。

まずは伊賀上野。
名古屋からの名阪国道沿いにあって道は楽。
伊賀上野の市街地北側の上野公園に上野城趾・芭蕉の俳聖殿・忍者屋敷と見どころが集まっている。
忍者屋敷では部屋のからくり、資料館では忍者の武器・携行道具、伝承館では歴史や生活、それに古文書まで展示してあるので、子どもよりもおそらく私のような武家・武術の歴史好きな大人こそがどんどん興味をそそられていく、そして最後の売店では一般向けの書籍ばかりか忍術の奥義の古文書の復刻版(2万円)まで売っている。
ここまでは心憎い演出といえるのだが、売店はクレジットカード不可だと。
今風にカード決済する高額品を買う大人の旅行者は顧客対象には入らないようだ。要するに観光客慣れしていないんだ。
カードが使えれば25000円の買い物をしたのに、700円の一般書だけにした。

宿にしたのは厚生年金基金による『ウェルサンピア伊賀』。
温泉になったというし、シングルルームがあり、ネットで予約できた。

宿はきれいなホテルで、シングルルームもビジネスホテルより広く居住性はよい(窓の景色が×だが)。でも温泉の方は、日帰り温泉施設として開放しているので、泉質はもろ「塩素」。
食事は一番安いプランだったが質・量ともに満足。
オフシーズンで客が少ないせいか、6人入りの半個室に一人。
陸上の肉は無く、ご飯は地元産の古代米(黒米)入りを鍋で炊く。
いたってヘルシーなのもいい。
それにしても、旅宿で和食をさかなにして飲む日本酒ってなんでこんなに旨いんだろ(それ以外のシーンだとダメなのに)。

チェックインの時、夜8時から「蛍鑑賞ツアー」が無料であるのでどうかと言われ、まぁ暇なので一応参加することにした。
集合時間に集まった参加者は私の外はいずれも年上の夫婦3組。
ホテルのマイクロバスで真っ暗な里山の方にむかうと、道脇の小川沿いに星のように点滅する蛍が数匹。
学生時代福島県の山中で見た無数の乱舞という状態にはほど遠いが、久しぶりに見る天然の蛍の風景。
光の大きさも密度も丁度晴天の空の星と同じくらい。
車を止めて、小川にかかる橋に行って見学。
闇夜に点滅する蛍の光りを見て、孫がいそうな大人たちが子供のようにはしゃいでいる。
ネオンや街灯のない昔は、このように蛍も夜空の天の川も身近で、見ごたえがあったろう。
そして今以上にその光に神秘を感じた分、感動して見れただろう。
上を見上げれば天空にまたがる数億光年の天の川、そして目の前の小さくてはかない蛍の光を交互に眺めて、私自身幸せな気分になった。
この世界に存在していること、星と蛍と自分が存在していることの幸せを感じた。
今日これまでこの地のサービスにいだいていた不満は、このような気分にしてくれたことで簡単に吹っ飛んでしまった。
その意味でいい企画だったわけだ。



大気不安定って何

2007年06月08日 | お天気
ここ数日の日本各地の降水は、上空5000m付近の寒冷渦によるもの。
これは見慣れた地上天気図では説明できない現象。
つまり通常の低気圧や前線によらない激しい雨(雷雨)
なので、普通の天気図からではいつどこに雨がふるか予想できない。

頼りになるのは、高層天気図とエマグラムなのだが、これらは1日1-2度の観測で、
しかも細かな地域を表現できない。
なので降水の場所を予想するのは困難。
テレビの天気予報では、仕方なしに「全国的に大気が不安定なので傘の用意をお忘れなく」としかいえない。

上空に寒気の塊がある所へ、下層に南からの暖気が入り(この上下関係が大気不安定)、
その暖気が地形などで強制的に上昇させられると、強い上昇気流が生じて
巨大な積乱雲(対流圏の暴れ者)が出現するわけ。
なので、基本的に強制上昇のある山沿いで雷雨が発生するのだが、
昨晩は静岡の海沿いが強雨だった。
やはり現実の予想は難しい。

名古屋でも午後すぎに雨が降り始めた。
でも日暮れ頃には上がった。
それでも気象庁のサイトの「レーダー・降水ナウキャスト」を見ると
三重とか岐阜に積乱雲による強いエコーがある。
ここ名古屋にも、まもなく強い降水があるとふんだので、
急いで車のボディの水気をとって、カバーをかけた。

かけ終わるやいなや、ものすごい雷雨(新幹線を止める程の降水強度)がはじまった。
このような直近の予想なら、自分もレーダー情報を使ってなんとかできる。

冷やし中華食べ初め

2007年06月03日 | 歳時
衣替えを過ぎたら、冷やし中華を食べ始めることにしている。
季節感が大切なので、いくら暑くてもそれ以前に食べることはしない。
あと、マルちゃんや中華三昧を使えば、自分でもそれなりにおいしく作れるが、
年最初の”食べ初め”は家ではなく、店で食べることにしている。
しかも毎年違う店で。

ただ、行列ができるラーメン屋は冷やし中華を邪道視しているのか、メニューにない(つけ麺はやるくせに)。
逆に近所の平凡な中華そば屋だと、あらずもがなのミカンやトマト、
それに個人的に不得手な鳥肉が載っている確率が高い。
なので一定以上のレベルの店を選ぶ必要がある。
本来なら、自分の目と足で選べるべきなのだが、思い当たる店がなくなったので、
不本意ながらネットで検索してしまった。

その結果、神田神保町にある、日本で最初に冷やし中華を出したという、元祖冷やし中華を謳う店を選択。
こういう店なら食べ初めにふさわしい。
しかもその街なら、購入する書籍をリストアップしに行く用事がこなせるので丁度いい。

休日の昼は混んでいるはずなので、13時に入った。
席はとれたが、まだほとんど満席状態。
注文した冷やし中華は、普通の店の倍の価格。
富士山型の盛りつけが特徴とのこと。
元祖なので、トマトも鳥肉もましてやサクランボも載ってない。
細切りにしたハム・胡瓜・卵の外は、エビ、ウズラ卵、ミートボール、椎茸、その他と種類は豊富。
でもタレが甘くて、酢の酸味がない(ゴマダレなら酸味がなくてもOKだが)。
麺もつややかなタイプが好みの私にとっては、理想から離れている。
というわけで、他店の2倍おいしいという訳にはいかなかった。
価格的には他の料理の方がおすすめのようだ。

神名備ラーメン

2007年06月02日 | 生活
晴天も今日までのようなので、実家でも、蒲団干しにシーツ洗い、夏物を出し冬物をしまう作業。
他の家族は、姪のお宮参りに行ったので、
昼は久しぶりに近所の『神名備』のラーメンを食べに行く。

近所での一番人気の座は、はす向いの行列の絶えない『つけ麺TETSU』に譲ったが、
最近では接客の良さも評判らしい。
12時の開店直後に入りカウンター席にすわる。

店内には、灰皿がなく、BGMは音量を絞ってあり、
客の賞味を助ける嗅覚と聴覚に対する配慮がきちんとしてある。

街中の店でも、広域に人気のある店はやはり、こういったセンスがちがう。
しかもBGMは静かなクラシックやヒーリング系ではなく、アップテンポのバンド音楽。
これは店内の騒音をマスキングする”ピンクノイズ効果”というハイテクニックではないか。
席ごとに団扇がおいてあり、おしぼりは熱いのと冷たいのから選べる。
温熱感覚にも配慮だ。

ラーメンは680円なので高くない。
隣が180円ラーメンの店なので、つい高いと感じてしまう(1度だけ入った180円ラーメンは100円カップ麺と比べるレベル)。
醤油・大盛にメンマのトッピングを注文。
味はこってり系で、開店当初の頃とはだいぶ変わった。
客の好みに合わせたのだろう(TETSUはもっと脂ぎってる)。
箸でくずせるくらいやわらかいチャーシューはやはり旨い。
メンマもスーパーで売っている奴ではない。
あとの具は茹でモヤシだが、これはチャーシューとともに立体的な盛り付けにするためのようだ。
個人的には、水っぽいだけで汁の味がしみないモヤシは不要を主張したい(炒めモヤシ、あるいはエノキを推奨)。
旨いラーメンでいつも残念なのは、塩分を控えるべき高血圧の身では、汁を飲み干せないこと。
あと、本格的ラーメン店の唯一の欠点は、メニューが少ないので、そう頻繁には行く気になれないこと。
なにしろラーメン自体が栄養的にバランスがとれてない不完全食なので、頻繁に食べるものではないから。
この店が冷やし中華をやってくれれば…。

気象記念日に

2007年06月01日 | お天気
今日6月1日は気象記念日。
明治8(1875)年のこの日、東京気象台(気象庁の前身)が開設され、
気象業務を開始したという。
また最初の天気予報が出されたのも10年後の6月1日。

昨日の荒天とはうってかわった好天の、この記念すべき日に、
私は幸い東京にいる。
気象庁では、防災関係の記念フォーラムを開催するというが、文系の私としては、さしあたっては杉並の高円寺にある日本で唯一の”気象神社”で今日行なわれる例祭を見に行きたい。

高円寺は、予備校時代1年間通った町。
駅の北にも南にもある密度の高い商店街はそのままだった。
名古屋の我が棲み家がある名東区藤が丘を、「名古屋の高円寺」と称する町案内の本があったが、悪いが密度が全然違って比べ物にならない。

まずはパル商店街の昇月庵で「高円寺そば」を食べる。
こういう地元名を冠したそばって、えてして名前だけだっりするけど、
ここのはそばが竹筒に入って、山菜など盛ってあるちゃんとした特色あるそば。
店内も琴の音が流れて落ち着いた雰囲気
なのだが、町の食堂の例に違わず、喫煙者の隔離がされないので、
喫煙おやじたちのくさい煙で、食後すぐ席を立たざるをえないのが難点。

午後二時開始の神事にはまだ時間があるため、北にある馬橋公園に行く。
街歩きに欠かせなモバイルGPS(Mio)が修理中なので、あてずっぽうで歩いていたが、
やはり場所がわからないので、早稲田通りの書店で区分地図を買う。

馬橋公園は、元は陸軍の気象部があり、戦後は気象研究所となっていた。
そして研究所が筑波に移転した後、公園になった。
気象神社も元はこの地にあったのだ。
いまも隣に気象庁官舎がある。
なぜ気象の神社があったかというと、
気象観測員が勤務前に予報の的中を、祭神オモイカネ(知恵の神)に祈る慣行があったという。
まぁ当時の予報技術なら、神頼みしても仕方あるまい。

駅に戻って、南にある氷川神社境内の気象神社に行く。
例祭の日なので、祠の扉が開いていて鏡が見える。
フジテレビのカメラが待機。
放送するのかな。

神官2人が出てきて、いよいよ神事が始まる。
三々五々集まってきた参列者は20人ほど。
ほとんどがかなりの年配者で、いずれも雰囲気的に陸軍関係(第三気象聯隊戦友会?)か。
数人の若手は、右寄りの軍支持者の雰囲気。
明らかに気象系なのは、携帯気象計を首からぶら下げている私と
フジテレビでお天気キャスターをやっている天達武史氏(テレビの仕事で来たようだ)。

祠前に置かれたミニラジカセで雅楽を流して雰囲気が作られる中、
神官が、参列者一同にも幣(ぬさ)でお払い。
神事中、不謹慎にもストロボを焚いてデジカメのシャッターを切る(写真)。
祝詞が終わって、参列者による玉串奉奠。
老いた軍関係者たちに続いて、私が神官に促され、気象系の先導を切って神前に進んだ。
その後、カジュアルウエアのアマタツ氏も慣れない所作で参拝を終える。
全員で礼をして、神事終了。

旧軍関係者は社務所で直会(なおらい)があるようだ。
その社務所に行って、記念に下駄型の絵馬を買った。
観測網もたいしてなかった昔の予報官は、時として下駄を放りたくなったろうな。
境内には、撮影日の晴天を祈願するカメラマンなどが奉じた下駄絵馬が並んでいる。
てるてる坊主より下駄である分、神頼みというより能動的な予報行為といえるか。

神事は15分程度で終わったので、私にとっては気象記念日の行事としてはチト物足りない。
なので、大手町の気象庁本庁に行き(入口には「気象記念日」の立て看)、
売店で気象業務の本を買った。
以上、私の気象記念日