今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

岩泉町洪水被害の疑問

2016年08月31日 | 防災・安全

台風10号に伴う大雨で、岩手県岩泉町のグループホームの入所者9名が洪水被害で死亡した。
施設の近くを流れる小本川が氾濫したためだ。 

30日9時に岩泉町内全域に早くも「避難準備情報」が出されている。
ただし、小本川流域には、避難指示・勧告が結果的に出されなかった。
これが被害の第一原因といってよい。

そもそも河川洪水に対する避難勧告などの情報は、その河川の水位観測所の水位によって判断される。 

小本川の水位観測所は、被害がおきた地点から4kmほど下流の赤鹿橋水位観測所1箇所である。
町ではここの水位を判断基準としていたはず。
そこの値では、30日17時で2.38m,18時で3.17m、19時に5.10mで川岸の高さを超えたという。
そして20時に6.61mに達し、31日0時まで川岸の高さを超えていたという。

だが、下流の赤鹿橋水位観測所の基準では、水位情報が18時以降「氾濫注意水位」(2.50m)のままであった(右図は国交省の水位観測情報サイトから。黄色い部分が該当)。

この水位情報は、住民に対し注意を促すレベルで、被害が発生する危険水位ではない。
なのですでに出している「避難準備情報」に付け加えるものがない。
なぜならその一段上の「避難判断水位」(橙)になってはじめて避難勧告を出す仕組みだからだ(恣意的な判断はできない)。

実際には、17時半に施設に浸水が始まって、あっという間に腰の高さになったという(新聞情報)。
そして19時の段階で、川岸の高さを超えたというのだから、この時点で「避難判断水位」より上(最高レベル)の「氾濫危険水位」(赤)を超えたと判断してもおかしくない。
ちなみに「氾濫危険水位」というのは、避難が完了しているべき状態である。
ということは、基準水位の設定の方がおかしいのではないか
(厳密には、ここと水位観測所には4kmほどの距離があるので水位は同じではない)。 
氾濫注意水位の幅が、2.5mから6.6m以上って広すぎないか?

つまり、国交省による赤鹿橋水位観測所における小本川の”基準水位”(具体的には避難判断水位と氾濫危険水位)の設定が、
少なくとも上流地域にとっては非実用的な値になっていて、そのため、避難勧告が出されなかったのではないか。

ちなみに、当日は大雨で、停電にもなっていたという(電話は通じるがテレビは見れない)。
だが、隣接する施設が3階建てで、そちらの入所者は3階に避難して無事だった。
避難勧告が発令されなくても、実は避難準備情報(障害者などが早めに避難を開始する目的)は出ていたわけだし、
グループホームの入所者をそちらに避難させることは不可能だったろうか。


「シンゴジラ」を観た(ネタバレあり)

2016年08月31日 | 作品・作家評

8月最後の日、中一の甥と「シンゴジラ」を観にいった。
そもそもゴジラ映画(以下、「ゴジラ」)とともに生きてきた私。
だが正直、裏切られることの方が多かった(なので「ゴジラ」を見放していた時期が複数期間あり、すべてを観たわけではない)。

今回は、2014年のハリウッド版「ゴジラ」を受けての本家日本版(庵野監督)。
実際、今回のは評判がいい。
なのであえて映画館で観たいと思っていた。

8月とはいえ平日の昼なので、客席には空きが多い。
昔の「ゴジラ」と違って子どもはほとんどいない。
なぜか女性客が多かった(平日の昼間だから?)。

さて「ゴジラ」の一貫した構成は、ゴジラが都市を襲い、それに対して人間側がどう反撃するかというもの。
今回は、ゴジラヘの対応(不測の事態)にどういう法的根拠にもとづいて対処すべきかという、政治的シミュレーションから出発しているのが面白い(痛烈な揶揄ともとれる)。
過去の「ゴジラ」ではその過程が省略されていた。
こういう視点が、大人にも受けている理由だろう(逆に子どもが少ない理由)。
それと自衛隊の全面協力(これは以前からだが)によって、ゴジラと直接対決する準主役が自衛隊になることも協力し甲斐があろう(ゴジラと他の怪獣とのバトルが主題になると、存在感が激減する)。

初作「ゴジラ」(1954年)へのオマージュが散見されたもの、オールドファンの心をくすぐる。
品川の八ツ山橋陸橋の横を驀進する映像。ゴジラ研究者が”大戸島”出身。
そしてゴジラはかつて電車を襲うのが定番になっていたのに、今回はなんと電車がゴジラを襲った。
電車のこのような活用は相手がゴジラだからだろう。
それとエンディングで流れるモノラルの音楽も1954年版の音源。 

ゴジラが通り過ぎた後に放射能が撒き散らされるのは本来当然なのだが、これも今まであまり問題視されてこなかった。
今回はまさに原発事故を彷彿させるように、その問題も取り上げられた(ただご都合主義的扱いになったが)。

実際、「ゴジラ」は、その設定からして核技術の問題と切り離せない。
ただ、「ゴジラ」は政治的メッセージが主題の映画ではなく、あくまで娯楽としての怪獣映画のカリスマであるべきだ。
もちろん後者に傾きすぎて子どもだましの正義の味方になってしまった過去の失敗は繰り返せない。

映画としては、暴れるゴジラを、最後に人間が倒さねばならない。
だが、それが人間側の知恵と技術の勝利という人間礼賛では許されないのが「ゴジラ」たるべき。
ゴジラは、荒ぶる神(呉爾羅)なのだから、それを鎮めるには人間側のなんらかの犠牲・贖罪が必要なのだ。
ゴジラは人間の業が具現化したものだから。
少なくとも私は、それがあってはじめて「ゴジラ」に深い感銘を受ける。
「ゴジラ」は「トレマーズ」(人間の知恵と爆薬で撃破。計4作。これも好きだが)とは違う。


台風から遠い近畿の大雨の理由

2016年08月29日 | お天気

台風10号からかなり離れた近畿地方で線状降水帯が発達して大雨を降らせている。

お天気番組では、気象予報士がきちんと説明しているが、新聞などに掲載される地上天気図では、この線状降水帯の存在を確認できない。

言い換えれば、普通の低気圧や前線の雨なら、天気図が読めれば素人でも判断できる。
ところが、この現象は、素人と気象予報士の違いを見せつける格好の材料なのだ。
だから私を含めた気象予報士は、喜々としてこの現象を説明する。 

この現象、上空5000mほどの「寒冷渦」が原因なのだが、それは地上天気図では小さな低気圧でしか表現されないのだ。

右に500hPaの高層天気図(気象予報士のアンチョコ)を示す。
できたら、新聞などの地上天気図と見比べてほしい。 

図中の目立つ数値は高度で、5700mの太い等高線が目安になっている。

右下の小さめの円は、台風の上層部。そして左上の大きな楕円が、上空の寒冷渦。
すなわち、台風は地上で猛威を振るう擾乱(ジョウラン:大気の乱れ)だが、上空ではけっこう大人しい。 

それに対して、地上では小さな低気圧でしかないが、寒冷渦は上空では台風の数倍の大きさだ(偏西風からの分離渦なので本来は偏西風の力)。

さて、線状降水帯の原因だが、風向に注目してほしい(風向を示す矢羽根は地上天気図と同じ)。

台風は反時計回りの風で、暖室な空気を南東から北西方向に運んでいる。
一方、寒冷渦は、上空の寒気を北西から南東方向に運んでいる。
地上付近の暖室空気(軽いから上昇する)と、上空にある寒冷空気(重いから下降する)が、水平的にも鉛直的にも、すなわち3次元的にぶつかっているのだ。
その衝突面の帯状の場は、大気が上が重たく下が軽い=不安定で激しい上昇気流(積乱雲)が発生し続けることになる。
これが線状降水帯(積乱雲の帯)で、紀伊半島がそこにあたる。 

寒冷渦は停滞性なのだが、台風は北に移動を始めている。
なのでこの線状降水帯も、昨年の関東のように居座るすることはなく、じきに解消されるだろう。
それが救いだ。 


ペリー提督が見た幕末の日本

2016年08月27日 | 作品・作家評

ここ数日、夢中になって読んでいた本がこれ。

『ペリー提督 日本遠征記』マシュー.C.ペリー F.L.ホークス編(宮崎壽子訳) 角川出版

幕末維新当時の日本のリアルな姿を知るには、当時日本を訪れた外国人の記録が参考になる。
数あるその種の記録の中で、第一級の価値をもつのは、
日本の運命を変えた黒船来航事件の主役・ペリー提督による遠征記であろう(個人的著作ではなく、アメリカ議会への報告書)。
実際の著者は、ペリーの依頼を受けた牧師で歴史家のホークスなので、ペリーを三人称で描いている。
この本は文章だけでなく、同行した画家の写実画にも歴史的価値があり、日本の教科書などにも採用されている。

ここでは、書評というより、この本を読んで私なりに感心した箇所を紹介したい。

まずこれは自分の不勉強なのだが、ペリー一行は太平洋航路ではなく、大西洋・インド洋経由で日本に来たのだ。
つまり、アフリカ・セイロン島・シンガポール・中国・沖縄を経由してきた。
なので彼の日本への印象はそれらの地との比較の視点が入っている。

それから日本については可能な限り勉強してきているということ。
それに関して印象に残ったのは、ペリーが一番参考にしたのはシーボルトの記録であるが、
ペリーの日本遠征を聞きつけたそのシーボルトが同行を求めても、ペリーは断固として断った。
その一番の理由が、シーボルトの人間性にあったという。
私は、島崎藤村の絶筆『東方の門』などを読んで、シーボルトに親近感を抱いていただけに、
彼の性格的欠点がこのような歴史的史料で酷評されたのは意外だった。

それと、私は当時の日本人はアメリカについてほとんど無知だと思っていたのだが、
ペリー一行が接した日本人(浦賀や江戸の役人)はワシントンとニューヨークを知っており、
またジョージ・ワシントンの事も知っていた(オランダ経由で耳学問は結構豊富だったようだ)。
蒸気船に接したのは始めてだが、機関室を見学してその動力原理を理解したらしい。

アメリカの船員たちが測量船に乗って横浜に上陸すると、周囲にいた庶民は、
初めて見る西洋人を恐れることも排斥することもなく歓迎ムードで、水や桃を率先して提供してくれたそうだ。
尊王攘夷の志士が出現する前はこんなもんだった。

また交渉にあたった日本の役人たちは、交渉こそ難航したものの、
その後のアメリカ主催の船上での宴会はおおいに盛り上り、洋酒はもちろん平気で肉食したのにも驚いた。
これより少し前の漂流記では、日本人は決して獣肉を口にしなかったのに。

ペリー側も人種的偏見はもっておらず、南北戦争(および奴隷解放宣言)前なのに、
一行を壮麗に見せるためにハンサムな黒人船員を提督の護衛に活用した。
また挿し絵では日本人はアメリカ人とほぼ同じ身長で描かれている。
日本女性に対しては、他の記録のように絶賛することはなく、むしろ既婚女性のお歯黒の醜悪さを述べているが、
女性の地位については、若い女性のはつらつとした振るまいから、欧米ほどではないにしろ、
他のアジア諸国よりはきちんと敬意を払われていると評している。

彼らが最も賛美したのは、浦賀の背景となる三浦半島の景色の美しさである。
それは、自然と耕作とが合わさった、いわゆる日本的な里山の美である。
この日本的風景の美しさは、日本を訪れる外国人が一様に賛美する(残念ながら、現在の日本には当てはまらない)。

一方、日本人側も死亡したアメリカ船員のキリスト教式埋葬場面に接しても、それを容認し、
その後、日本人僧侶が自発的に仏式葬儀をした(日本人なりの死者への追悼行為と思われる)。
また、日本には砕石を敷きつめた舗装道路があり、街道には公衆便所もあったという。
とにかく、日本が清潔であることを幾度も繰り返している。
下層階級の人は(琉球を含む)他のアジア諸国のように奴隷状態ではなく、町に乞食はほとんど見ないという。

ペリーの示した政治的態度が日本にとってこの上ない利益をもたらした一件がある。
それは小笠原諸島の帰属問題である。
鎖国中の日本はこの島にはなんら関心をもたず、当時すでにアメリカからの移住者が生活していた。
ただ、領土的野心を示したのはイギリスで、幸いにもアメリカにはその野心がなかった(捕鯨船の寄港先としての関心のみ)。
日本の歴史をくまなく調べていたペリーは、この島の領有を最初に主張したのは200年以上前の日本であるから、
日本にこそ領有権があるとイギリスに対して文書で主張している(これは島に住んでいたアメリカ系住民も認めるところである)。
かように、ペリーの公正な目は自国の利益がからんでも曇ることがない。

吉田松陰らの黒船密航未遂もきちんと記されている。
彼らの無謀な計画をなじることをせず、国禁を犯してでも海外を知りたいという若き日本人の知識欲を賛美し、日本の将来を有望視している。
さらに日本人の手工業技術(手先の器用さ)を賛美し、日本が近代化したら、強力なライバルになることを予測している。
ペリーは日本の潜在力を正しく見抜いていたわけだ。

日本側も、ペリーが強引に成し遂げた成果に対して、「ペリー提督の名は、永久に日本の歴史に名を残すだろう」と挨拶した。
ペリーとの交渉過程で、日本政府側も西洋近代社会の価値観・論理をトレーニングされたのである。

だが、これによって日本が内戦状態となり、政府が転覆し、価値観の大転換が起こることになろうとは、こう述べた人も予想できなかったはず。 
外国人排斥の種は徳川幕府自らが蒔いたものだから自業自得ともいえるが。 

ペリーに接した日本人たちの態度の変化を見ると、日本はもっと平和裡に(多くの優秀な人材を死に至らしめる事なく)、政治・社会の近代化を成し遂げられる事も可能だったのではないかと、くれぐれも残念に思う。 


築地市場と勝鬨橋

2016年08月26日 | 東京周辺

夏休み中に読むべき本も読んだので、今日は気分転換に図書館でない所に外出したい。
といっても行き先の候補は、近場なら”築地”しか思いつかない。 

移転問題で揺れている築地市場があるから。
11月に移転が予定されているので、その前の姿を見ておきたい。 

東京で生まれ育った身だが、築地市場には行ったことがなかった。
だって本来は観光地でないし、普通の生活者には用がないから。
東京の住人なら、むしろ小学校の社会科見学で行っていい所(仕事の邪魔になるだけか)。

最寄の大江戸線の駅「築地市場」で降りると、行き交う人のほとんどが外国人。
立派な東京の観光名所になっているのだ。

まずは場内の「魚がし横丁」に行くと、丁度正午のせいもあり、寿司や肴料理の店はいずれも外国人・観光客の大行列。

私はもともと昼食を摂らないので、こういう定食類は量が多すぎる。
なので、これらの店に入りたいとは思わないが、
せっかく築地に来たのだから、東京で一番新鮮な海産物は味わいたい。

そういうタイプに合っているのが、場外市場に並ぶ小店舗。
歩きながら食べれる。
まず、中トロの寿司を2巻頬張り、越後ビールの缶を片手に、ホタテの串焼きにかぶりつく。
締めは、”アニー伊藤”氏の店で立ち食い用の卵焼き(以上で950円)。
これで満足。
豊洲に移転しない場外市場は寿司店などが軒を連ねているので、寿司を食べるにはいいが、移転後だと「市場で食べた」というありがたみがなくなるのが残念。

市場のメイン会場である水産仲卸業者市場は、午前10時以降は見学者の立ち入りができる。
もっとも、市場としての仕事は終わっているので、閑散とした中を歩いてもしょうがない(写真)。
それでも、築地市場名物のターレ(運搬車)が縦横に走り廻っているので、通行には気をつける。 

また市場内の水神社遥拝所と、隣接する波除神社にも参拝。

ここから、隅田川を渡る勝鬨(カチドキ)橋が隣接している。

勝鬨橋は、橋の中央で橋が左右に跳ね上がって、船を通す仕組みで有名だが、その現場を見る事なく、その運行は昭和45年に終わっている。
橋のたもとにその仕組みを説明している資料館がある。
そこを見学して、勝鬨橋を渡る。
隅田川の河口近くなので、川幅が広い。下流側も上流側も高層ビルが建ち並んでいる。
橋の丁度中央に、左右に分れる継ぎ目が残っている(写真)。

橋そのものは重厚な近代建築で、文化財になっている。
橋を渡って月島側にいけば、対岸の築地市場の奥に東京タワーが聳えている。
「昭和の東京」を象徴する風景。
せっかくの勝鬨橋なので、渡り返して 築地に戻り、
築地本願寺前から地下鉄で帰った。 


エアコンの効率的な冷房法:追記あり

2016年08月25日 | 生活

毎年、夏になると我がブログの記事「冷房にサーキュレーターの併用は逆効果」のアクセスが増える。

サーキュレーターは無条件に使えばいいのではなく、室内を撹拌する必要性から考えるべきなのだ。

部屋の温度を空間的にくまなく等温にする必要がなければ、たとえば自分が居る場所だけ涼しければいいのなら、そうなるように冷気の流れを制御すればいいのであり、その目的にサーキュレーターが必要かどうかかは、エアコンと居場所の位置関係で決まる。

それから、エアコンの温度設定風量調節も重要。
エアコンの設定温度は、その設定した温度の気流がエアコンの吹出口から出るものと思っている人がいて驚いた(うちの学生たち)。 
あれはエアコンセンサーの目標設定温度にすぎない。
なので、暑いからといって低温設定にする必要はなく、(現在の室温より低い温度設定になっているはずだから)迅速に部屋を冷やしたければ、風量を最強にする。
温度設定を下げるとやたら電気代がかかるが(暑い中に冷気を作る不自然な作業に大量の電気エネルギーが消費される)、風量を強くしても(プロペラの回転数を上げるだけなので)たいして電気代がかからない。
そもそも、冷房で下げる室温は温度設定より下ってしまうことの方が多い。
なので、温度計を頼りに、実現したい室温(たとえば夏の至適温度の27℃)を調整すればよい。
部屋を27℃にするには、たぶん設定温度は「28℃」で充分。

冷房で冷やしすぎることほど愚かなことはない。
「暑くない」温度(27℃)にもっていけばいいのだ。 

冷気をエアコンから遠くにもっていきたければ、風向を水平にして、風量を強にする。
繰り返すが、設定温度は消費電力を大きく左右するが、風量はたいして電気代にひびかない。
いいかえれば、風量「弱」での稼働は無駄が多い。
それほど暑くないなら、設定温度を上げた方が電気代がかからない。
エアコンはセンサーが設定温度に達するとほどんど電気を消費しなくなるから※。

※これを期待する場合は、風量を「自動」にしておく必要がある。

以上のことを確信をもって実行するには、室内の温度計と消費電力が計測できるワットチェッカーが必要。
最低限、温度計で室温を確認しよう。 

2021年追記:除湿の活用
エアコンの「冷房」より「除湿」の方が使用電力は半減する。
もちろん冷房パワーは落ちるのだが、利用価値は高い。
①(相対)湿度を下げる
ムシムシする理由は、気温だけでなく湿度が高いせいもある(汗が蒸発しにくい)。
室内に温湿度計を設置して室温と湿度を確認しよう。
湿度が70%を越えているなら、まずは除湿を優先すべき。
「冷房」は室温だけを下げるので、下手をすると湿度は上ってしまう。
「除湿」は水蒸気量を減らして湿度を下げ、室温も(ゆっくりながら)下げるので一石二鳥(機種によっては気温を上げることで除湿をしたつもりのものがあるが、これはインチキ。相対湿度は下っても水蒸気量は減っていないのだ)。

②昇温防止(冷房の持続)機能
室温を一気に下げるのは「冷房」にして風量を最大に。
目標温度に近づいたら「除湿」にして、消費電力を抑えて室温の維持をする。
室温の維持だけなら「冷房」の温度設定・風量自動でも可能だが、「除湿」は室温だけでなく水蒸気量も管理してくれる点が優れている。

 


蒲郡に日帰り出張

2016年08月23日 | お仕事

学生のインターシップ(職業研修授業)先の巡回指導は、教育実習のそれとともに大学教員の業務である。
8月は業務終了のつもりでいたが、これが残っていた。
といっても職場に顔を出すのが仕事なので労力の負担はない。
訪問先が近ければ。

担当学生の研修先は愛知県の蒲郡。
名古屋からなら近いが、今の私は東京にいる。
遠路をおして東京から日帰り出張した。

支給される交通費は大学からの往復なので、当然足が出る。
なので出る足を少しでも短くしようと、往きは”青春18きっぷ”で鈍行を乗り継いで蒲郡まで行った。有に5時間半。
幸い、予約時間が午後だったので、早起きすれば間に合う。
職業柄、長い乗車時間は読書に充てる。
時間がたっぷりあるので、難しい哲学書を持参。 

訪問先は蒲郡市役所で、学生の配属先は観光商工課。
蒲郡市は、観光に力を入れていて、駅には立派な観光案内施設がある。
大学生とのコラボによる観光資源開発も積極的。
そもそも蒲郡は、北が山に囲まれ、南が三河湾に面した温暖な地。
東西に温泉地があり、中央に竹島・ラグナシアなど観光施設がある。
マイナーなところではガン封じの寺や、三河地震の断層跡もある。 
そういうわけで私も幾度か観光に訪れている地。

今回は学生の指導(というより担当の人を交えての面談)で、しかもお二人の就業時間中なので、長居はせず20分で切り上げた。
たった20分のために東京から往復するわけだ。

往きは交通費節約のために18きっぷを使ったが、帰りは時間節約のために豊橋から新幹線で帰った。
ただし”こだま”なので130分もかかったが。
帰りの車中では仕事帰りの息抜きで発泡酒を開けたためか、哲学書は格好の睡眠導入剤の役を果たした。 


台風9号の雨

2016年08月22日 | お天気

今日は、台風9号が関東に上陸するというので、終日家でおとなしくしていた。
強雨の中、弟と姪は予定通り出勤・送迎バスで登校。

東京と埼玉西部ではなんと時間雨量100ミリ超えが続出(50ミリで側溝があふれる)。
「記録的短時間大雨情報」が発令されたので、被害は必至。
実際、西武多摩湖線が脱線し、原宿駅でも木が倒れ、
神奈川で死者が出た。 

幸い、西から東に流れる中小河川は氾濫しないですんだ。
これらの川は、こういう時のための巨大な貯水タンクを有しているから。

かような雨台風だが、コースが東寄りだったため、利根川水源にはたいして雨をふらせなかった。

関東一帯では、この時間になっても鉄道の運転見合わせが続いている。
朝、強雨をおして出勤したはいいものの、帰宅の足に困っているのではないか。


原稿を仕上げる

2016年08月20日 | お仕事

ここ数日、ブログを書かずにいたのは、論文原稿の執筆に専念していたため。

いつもなら、昼の図書館にてノーパソで仕事をして、帰宅後は自由時間にしていたのだが、原稿も大詰めになってくると、寸暇をも惜しむようになる。

その集中が奏効して、来月中旬締切の原稿が、今日仕上がった(これは例年よりかなり早い)。

日本男子が400mリレーで銀メダルを取った祈念すべき日に。
(それにしても100m×4で37秒台ってすごくね?、4人とも9秒台ってこと!?) 

ちなみに、午前中は大雨だったこともあり、テレビでその中継を見た後、国会図書館に行って、締めの作業をした。

残すは、引用文献の確認と表題の英語名のみ。
ただ、自分が作った概念が入るので英語名も自分で考えねばならない(何しろ内容が自分が構築した「作法学」なので、概念はすべて自作)。

という訳で、夕食時に軽い祝杯(いつもの第三のビールの代りに、プレミアムモルツの「香るエール」)。

これで夏休みの作業は、来週の日帰り出張を残すのみ。
明日からは、まずは読みたい本を読むことにしよう。 


中学校で講演

2016年08月16日 | お仕事

ネット経由で依頼された中学校での講演をやってきた。

内容は、またもや「恐怖」。

今までこのテーマで、市民講座、雑誌のインタビュー、そしてEテレでの解説の依頼をこなしてきたが、中学生(3年)相手は初めて。

もとより、大学では営業を兼ねて高校生相手には講演活動をしている。

ただ、中学生となると、心理学の専門用語は使えないし、ましてや私のアプローチである現象学・存在論の概念も使えない。

ただ幸いなことに、誰でもが体験可能なテーマなので、抽象的でなく、具体的な話で通すことも可能だ。

そもそも、なんで中学校が大学教員に講演を依頼するのだろう、という疑問があった。

なんでも、文化祭のテーマとしてクラスで「恐怖」を選び、 この問題について、いろいろ話を聞いたり、生徒たちで外に活動に出たりしているのだという。
私の他には、ホラー映画の製作者に講演してもらったとのこと。

数ある心理学者の中で私にお鉢が回ってきたのは、お化け屋敷のような「娯楽としての恐怖」を論じているのが他にはいないためだ。

中学生の文化祭の出し物なのに、そこまでつっこんで探求することに感心した(自分が中学生の時は、地学部の展示として火山模型を作っただけだった)。

この学校は、私立の中高一貫校なので、受験勉強の代わりに、このようにきちんとした探求活動をやらせているのだ。

こういう活動こそ、大学が学生にやってほしいことなので、新入生には「大学の勉強は高校までの勉強と違うのだ」と強調してきたが、中等教育でこういうことをきちんとやってもらえたら、大学ではもっと高度なことができてうれしい限り。

さて、日常用語だけを使って、なんとか自分の言いたいことを説明した。
少なくとも、担任の先生には理解してもらえたようだ。 

いただいた謝礼は、はっきり言って相場には達していないが、文化祭の活動費として生徒(の保護者)たちから集めたものだという。
研究者が研究成果を世に出すのは半ば義務であり、商売ではない。
恐縮して、有り難く頂戴した。 

今日は、この他に、診療所での検診・散髪と8月の数少ない予定をいっぺんにこなした。
明日は台風が来るので大人しくしていよう。 


「コンビニ人間」を読んで

2016年08月14日 | 作品・作家評

155回芥川賞を受賞した村田沙耶香氏の「コンビニ人間」を読んだ(雑誌『文芸春秋』所収版)。

コンビニは我々にとってほぼ毎日利用する、とても便利な”定型化された空間”。
その定型性がやや不満でもあるが、その不満を打ち消すほどの圧倒的な安心感を与えている。

その安心できる定型空間を演出しているコンビニ店員を描いたというのだから、それだけで読みたくなる(書かれるべくして書かれた現代小説だ)。

内容は、ネタバレになるから語らないが、

”普通”であることへの距離感をいだきながら、それをやっとなんとか、コンビニという定型的空間においてのみ(おいてこそ)演じることができる、われわれの仲間を描いている。
少なくとも私自身は、普通の人よりこの主人公に共感できると断言できる。
私が社会心理学を研究し、また作法を学んだのも、自分とは異質の”普通”の人の”適切な”行動を学びたいと思ったからだ。
すなわち、私もそちら側の人間なのだ。 

問題は、そうやってなんとか普通の境界付近にへばりついている側の人間に対する、周囲の”普通”の人々の態度(私にも主人公と同じような質問が浴びせられる)。 

コンビニできちんとバイトをしている36歳独身女性の主人公に、「普通の人間っていうのはね、普通じゃない人間を裁判するのが趣味なんですよ。」と言い放った相手役である白羽という男のセリフは思わず筆き写してしまった。
だが、深刻ぶった純文学ではないのでご安心を。 

読んでいて、笑い声もあげてしまった。
つまり、 楽しく読める。

小説に入り込むと、今自分が文字を追っているということを忘れて、文字が自動的に映像変換され、まるで映画を観ている状態になる(音声はドルビーサラウンドではないが)。
こうなったら読書という本来的にはとても不自然な行動も苦痛ではなくなる(読者をここまでもっていくのがプロの作家としての力量だ)。

この作品も、読み終わって、一編の映画を見終った感覚が残った。

ちなみに、私の映像で白羽を演じたのは、アンガールズの田中卓志だった。
作者がもともと彼を想定していたかと思うほど、ハマっていた。


8月の業務を終え

2016年08月11日 | お仕事

夏休みである8月中に出校を要する業務は、昨日と今日のオープンキャンパスだけ。
前期の成績付けなど他の業務は家のパソコンでできるから。

ただ、教員が集合するこの日を利用して、降って湧いた問題に対処する臨時会議も開かねばならない。

私の本来の仕事は研究だが、給料を貰っている業務の方は、次々と発生してくる問題をそれぞれに解決していく、問題解決行為であると実感する。

いいかえればストレッサーに対処する活動なので、へたに対応を誤るとたいへんなストレス状態に陥ってしまう。

そしてうまく解決すると、ストレス解消となる。

業務って延々この繰返しだ。

今日、当面のストレッサーを乗り越えた。

だが、新たなストレッサーが発生していることも判明した。

こういう状態だと、定年後の悠々自適な生活に憧れるが、

実は、ストレッサーがまったくやってこない退屈な日々の方が生きていて辛いことも分っている。

確かにストレッサーがやってくると、それを跳ねのけようと自分の活力がアップするのが分る。それが自分の能力を向上させることも。

対処し切れる範囲内のストレッサーは、むしろありがたいのだ。

 


祝、3000本安打!

2016年08月08日 | 時事

イチローが3000本安打を達成した。

しかもそれが、フェンス直撃の3塁打なのがすごい。
まだまだ先を期待できる。
これがダブルプレーくずれのボテボテの内野安打だったら、めでたいものの、これで打ち止めみたいな感じになっていた。

「日米通算」安打の時は、私自身も違和感をもっていたが、はやりイチロー自身、この3000本安打の方を評価していたことは、彼のサングラスの内から伝わり落ちてきた涙が物語っている。

ちょうど今は、リオ五輪、それに甲子園も始まっているので、イチローのこの快挙に注目が集中しにくいのは残念だが、
いってみればオリンピックでの野球競技よりはるかにレベルの高いメジャーリーグでの快挙なのだから、金メダル以上の価値があることも確か。

ちなみに、記者会見で、「達成感」についてまともな達成感を経験したことないらしい記者の質問があった(素直に「次の目標は?」と尋ねれば、ボロを出さずに済んだのに)。
達成感を経験しなくても、達成動機について説明してあるマズローの「欲求の階層説」は高校の公民でやっているはずだが(イチローの回答が、まさに達成動機の在り方を説明していた)。


富津:岬と寺と古墳

2016年08月07日 | 東京周辺

夏休みに入った8月の第一日曜。出かけないわけにはいかない。

私の旅は、名古屋起点ではもっぱら車での定宿・温泉の旅となるが、
東京起点だといろいろなテーマがあり、その1つに、「岬めぐり」がある。
関東の岬めぐりとして、犬吠埼、野島崎、観音崎、剱崎、城ケ島、真鶴岬、
それに伊豆の石廊崎を訪れた。
残っているのは、東京湾の中央部に東から突き出している富津(フッツ)岬。

岬は基本的には半島の先端にあるが、富津岬は、半島というより、半島になりかけの成熟した巨大な砂洲の状態。

半島というには、全体が岬状に尖っていて、東京湾に突き出ている。
なので三方半が海だ。 

海に面していない富津の付け根部分を歩いていたら、地面から古びた貝殻が出ている。
やはり富津はこれから半島に成長していくようだ。

ただ、観光地としては、東京から行くには距離的に中途半端で、
気楽に行くには鉄道で片道2時間かかり、かといって泊りに行くほどの所でもない。

幸い、別のテーマ(小笠原家の史跡)でも富津に行く用事ができたので、
東京からの日帰り旅では最優先の行き先になった。

やはり海に行くなら、真夏が合っている。

千葉駅から単線の内房線に乗換え、本数の多い木更津・君津の先の「青堀」で降りる。
富津岬行きのバスに乗り、半島中央部の富津公園で降りる。
ここから一本道の車道を突端に向かって歩く(歩いているのは私だけ)。
突端部には複雑な造りの展望台があり、そこの最上部に上れば、360℃の大展望。

まず、たどってきた半島部の狭さ!(右写真)
「関東の天橋立」と言われるのもうなづける。 

そして足の下は、透明度の高い遠浅の海が拡がり、海堡(人工島)の向こうには三浦半島の横須賀から観音崎が拡がっている。
さらに横浜(ランドマークタワー、ベイブリッジ)から東京のスカイツリーも見える。
ここからだと千葉市は奥過ぎて見えず、羽田の方が距離が近い。
外国人も訪れて、記念写真を撮っていた。
足下の海岸では、テント持参でマリンレジャーや潮干狩りを楽しんでいる。
確かに海がきれいで、眺めもいい。 
北の眺めは東京湾岸の工場群だが、南側は三浦半島と房総半島に挟まれた浦賀水道でこちら側だけ見ていれば首都圏にいる事を忘れる。

突端の風景を充分楽しんだので、次のテーマに移る。
戻るバスで、駅への途中で降り、ここからはハンディナビを頼りにのどかな里の中を歩く。
ほどなく目的地の正珊禅寺に着く。
ここは、三河幡豆(ハズ)にいた小笠原氏の江戸時代以降の歴代の墓所がある。
小笠原氏の支流である幡豆小笠原氏は、三河時代から家康に服属しており、
江戸時代に入ってここ富津の旗本となり、幕末までこの地に陣屋を構えていた。
あの小笠原諸島を発見したともいわれる三河水軍の雄であっただけに、
江戸湾の見張り番所のような富津の地をまかせられたのだ。

これで2つのテーマをこなしたのだが、訪れる前に富津の地図をみたら、やたら古墳が多いではないか。
せっかくなので(たぶんもう来ることはないと思うので)、古墳めぐりをして駅まで歩いて戻る事にした。

稲荷山古墳、九条塚古墳、三条塚古墳、
そして最大規模の内裏塚古墳(いずれも前方後円墳)をめぐって青堀駅に着いた。
これらの古墳は南関東最大級で、すべて墳墓の上に上れた。

暑い中の古墳めぐりはかなりの徒歩となったが、
1時間に1本しかない電車にはちょうど間に合った(バスを降りてからの歩きは2時間)。

そして家に帰って体重計に乗ったら、今日だけで1kg以上も減っていた。

これも含めて、充実した日帰り旅になった。


寒い国会図書館

2016年08月06日 | 東京周辺

国会図書館の空調は以前は省エネの28℃設定だったので、扇子が必要だったが、

年々、設定温度が下り、快適レベルになったものの、今年は更に気温が低下して寒くなっている。

半袖で数時間作業していたら、寒くてじっとしていられなくなったので、国会図書館に行く時だけは長袖を着て出ることになった。

実際温度計を持参して測ってみると、新館の閲覧室内は23.9℃。
乗り込むとヒヤッとする地下鉄の車内でも25℃だ。 
夏の至適温度は27℃だから、3℃以上も低い。 

ちなみに、閲覧室に続いている雑誌カウンター側に出ると24℃に上がり、さらに進んで旧館に行くと27℃になる。
つまり、昔は暑くて居る気がしなかった旧館が、今では快適レベルになっている。

 来年はどうなることやら。