今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

電子書籍と読書行動

2015年02月27日 | 雑感

私の日々の読字行動の半分以上は紙でははなく、電子化された画面だ。
電子化は、書籍の脱物質化(脱空間化)という本としての在り方を劇的に変えている。
ただ今話題にしたいのは、本の在り方ではなく、”読書”という行動の方。
電子化が読書行動(電子書籍に限定)をどう変えるか。

まず、読書空間の拡大、読書ストレスの軽減。
電子化によって携帯性が拡大し、Retina化などで画面の精度が上がっているので、小さい字もだいぶ読みやすくなった。
むしろわれら老眼世代にとっては画面の文字が拡大できるのがありがたい。

縦長横長を切り替えられるし、バックライトも調整できるので 可読性を向上できる。
すなわちどんな空間でも(暗闇でも)読書ができる。
iPadなどのタブレットであれば、1つの装置で音楽を聴きながらの読書もできる。 

ただ、文字を読むという本質的行動は変わっていない。

あえて変化を求めるなら、音声化という手がある。
これはネット記事など、最初からテキストデータ(文字コード)であるのが前提だが、
読み上げ機能によってテキストを聴くことができる。
もちろん漢字の読みの不正確さは解消できないが、ニュースのように単に読み流すものなら、そのまま聞き流せる。
ただし、聴く速度は読む速度より概して遅いし、読む場合はその速度を自由に変更できるし、不要な部分は読み飛ばしたり、分かりにくいところはいつでも繰りかえせる。

聴くより読む方が自由度が高く、効率的だと痛感する。
なのできちんと理解したいテキストはやはり”読む”しかない。

結局、文字を読むという行動は、人類が獲得した最も洗練された情報行動であるようだ
(イメージ情報より記号情報の方が伝達効率が雲泥の差で高い)。

だからこそ、見る・聴くという生物学的に獲得してきた自然な行動と比べて、不自然さがあるわけだ。
文字を自ら発明した人類は、側頭葉に文字・記号処理の部位をあてがい、不自然な読書に耐える脳に作り替えた(文明が脳を変えたのだ)。

ならばわれわれはさらに情報処理の効率化ができるのではないか。

ここまで書いて気づいたことがある。
この記事シリーズの始めに「読書は不自然な行動だ」と述べたが、その読書の不自然さが開いた可能性を正当に評価すべきだ。
この記事シリーズは電子書籍のインパクトを論じたかったので始めたのだが、電子化によっても変わらない「読む」という行動の意味を正しく捉えることからやり直したい。

へんな流れになって申し訳ない。 


清州城界隈を歩く

2015年02月25日 | 城巡り

今日は世間的には完全なる平日だが、授業も会議もなく、確定申告も提出したので、気分転換に愛知で城巡りをしたい。
関東の城は、北条・上杉・武田の三雄の抗争の跡だが、こちらは信長・秀吉・家康という天下人三傑の跡だ。 

名古屋城と犬山城はもちろん、岐阜城も訪問済みなので、次はどこにしようと考えたら、頭に浮かんだのは、東海道線で名古屋から岐阜方面に向ったとき線路脇に天守閣が見える清洲城(写真:あれは最近の模擬天守だが)。

もちろん織田信長の居城たっだ城。

ちなみに清州城は清須市にあり、清須市内に清州という地名がある。

名古屋からJR東海道線で2駅目の清州で降りる。
たった2つめなのだが、昔の町のまま鄙びた感じで駅前にコンビニもない。

江戸時代の幹線道路・東海道は名古屋市熱田から海路で桑名に向ってしまい、北の清州は美濃街道という脇道になってしまったせいもある。

駅からひたすら線路沿いに歩くと、清州古城跡公園に出る。

ここが本来の清洲城跡で、新築の模擬天守(清洲城では「天主」の字を宛てる)は、対岸にある。
城跡には、信長を祀る祠と、石垣の一部が残っている。
そこから赤い欄干の橋を渡って資料館になっている天主閣に入る(300円)

平日の真っ昼間なのに、就学前でも定年後でもない年齢の観光客が来ている。

中の解説は、すべて「信長公」で通してある。
そうえいば萩では「松陰先生」だし、渥美半島の田原町では「崋山先生」だった。

清洲城は、信長没後、信雄(ノブカツ)の時代に全盛期を向え、天主閣もあった。
武家屋敷も町屋も擁した城郭の面積は広大だった。
それが徳川家康の指示で名古屋が尾張の本拠地となったことで、廃城となる。

その後の清州は美濃街道の宿場町として生き残った。

線路を隔てた公園内に城主時代の若き信長の銅像がある(濃姫とともに)。

あと付近は美濃街道の風情が残っており、本陣跡とか、時代がかった家並もある。

私は南に足を伸ばして、日吉神社に向う。

途中の旧街道沿いに、清州桜醸造があった。
今宵の晩酌はもちろん「清州城鬼ころし」と決めていたが、その本拠地で買わない手はない。
工場向かいの販売所に入ると、スーパーで売っている安い紙パック(鬼ころし)だけでなく、ちゃんとした瓶の純米吟醸もあるではないか。
歩き中ということもあり、小さい300mlの吟醸酒「清洲城信長」を買った。

さてそれなりに広い日吉神社に着く。
この神社は信長在城の頃の清州の総鎮守で、近在の信仰を集めていた。
境内には「子産石」という一種の形象石が鎮座しており、その岩に触ると子宝を授かるという。
当時、日吉神社のこの石に子宝を祈った地元の女性が、御利益がかなって男の子を産み、神社にちなんで名を「日吉丸」とした。

残念ながらその子の容貌はいつまでたってもお猿さんのようだったが、両親はそれさえもよろこんだろう。
なぜなら日吉神社は山王信仰により、猿が神の使いだから(狛犬の代わりに猿の像が置かれている)。
この子はもしかして天下を取るような傑物になるかもと、親ばか的な期待したのではないか。

ということで、信長巡りの次ぎは、秀吉巡りとするか。 


確定申告のススメ

2015年02月24日 | 生活

毎年同じことを記しているが、毎年迎える2大プレッシャーの1つ、”確定申告”を終えてきた(ちなみにもう1つは健康診断前日の禁酒)。
 以前は締切ぎりぎりに出していたが、最近は3月手前に出せるようになった。

そもそもなぜ私が確定申告をするのかといえば、大学の給与の他にわずかながら収入があるから。
なので個人事業主として、事業所(名古屋宅の半分)も登録している。
純粋のサラリーマンでない人なら、複数の収入源がありうる。
同僚に確定申告をすすめたら(還付金が降りる可能性あり)、面倒くさいという。
確かにそれは分る。敷居が高い。
でも、税務署などの無料相談を受ければ、書き方を手ほどきしてもらえる(私程度の個人事業主なら税理士に作成をお願いする必要もない)。

ただ、申告書の作成作業は全部自分でやることになる。
これにとりかかるのがプレッシャーだった。
確定申告をするには、必要経費に算入する領収書をもとに内訳の合計をし(必要があれば減価償却の計算もし)、複数の支払い調書から金額を入れる。
このヘンまでは機械的にできるのだが、控除類の計算は間違えやすい。

過去に間違えて申告したことがあり、後日税務署から電話がかかってきた(肝を冷やした)。

ところが今では、国税庁のサイトで申告書を自動計算・作成してくれるのでとても楽だし、計算ミスのおそれがないので安心(ただしe-Taxは未使用なので印刷して区役所に出しに行く)。
だからなおさら該当者には勧めたい。 

最近は還付金はなく、追加で納税するばかりだが(この場合、確定申告しなくてならない。還付は権利にすぎないが)、それだけ副収入が増えたことを意味するから、堂々と国民の義務を果たしている。

 

 


二度読みを避ける読書法

2015年02月23日 | 雑感

小説というのは、たいてい1度読んだらおしまいが多い。
テキストというのは、情報的に冗長でない(マクルーハン的にいうと”クール”)ので一度で情報はすべて得てしまうから。

それに対し、映画は情報量が一度の観賞では処理しきれないほど多い(”ホット”)ため、観るたびに発見がある。 

実際、映画は何度観ても感動できるが、1度感動した小説をもう1度読んだらちっとも感動しなかった。

ところが学術的な専門書となると、頭に蓄積すべき情報に満ちているから、1度読んだだけでは、頭に入りきれない(逆に1度の流し読みで済んでしまう本は、そもそも読む価値に乏しい)。

かといって、同じ本を幾度も読むのは時間が無駄になる。

なので私は、頭に入れるべき専門書に限ってだが、次のようにしている。

まず、シャーペン片手に読む。自分の判断で頭に入れるべき箇所にうすく線を引く(借りた本などで線を引けない場合は付箋をつける)。

読み終えたら、他の本に移る前に(ここが肝心)、
その本を前の記事で紹介した書見台に載せ、パソコンのワードを「アウトライン」モードにして、線を引いた箇所とその周辺を打込む。
要するに読書ノート作りだ。
この作業が終わったら、本に引いた線を消しゴムで消して、原状復帰する。 

ポイントは、ワードのアウトライン画面にする点。
アウトライン画面だと、文章を構造化しやすい(この話はここでは深入りしない)。
線を引いた箇所を箇条書きで入れていけばいい。

そして、本ごとにそれぞれファイルにしてもいいし、同じテーマの複数の本を1つのアウトラインにつぎ足してもいい(こうした方がテーマの理解が深まる)。

このファイルを作っておけば、2度読みとか、あるいは引用したい箇所を探す必要がなくなる。

ワードのファイルにしておくことで、どんどん情報を蓄積できる。もちろん単語検索も簡単。

私は、論文原稿も講義ノートもそして読書ノートを含めた研究ノートもすべてワードのアウトラインで作成してある。

私にとっての読書とは、アウトライン画面の研究ノートを作成・追加することですらある。

これだと思う箇所に線を引き、つぎにその箇所をパソコンに打込むという2度の作業をすることで、大事な箇所の理解が進み、そのまま頭に入ってしまう。

1冊の読書時間は多少増えるが、逆に2度読みする必要がなく、頭にもより多く入るので結果的には効率的だと思っている。

唯一の余計な作業を引いた線を全部消すこと。

もちろん、最初から線を引かずに、読みながらアウトライン作成してもよい。
図書館で作業する時はもっぱらこうしている。
つまり、読書=大学の講義として、ノート作成するわけだ。
その分野の世界的権威の講義を、熱心にノートを取りながら聴いているのに等しい。

 


理想の読書姿勢は

2015年02月20日 | 生活

読書は静止姿勢で長時間行なうものだから、目と頭を下げた姿勢だと、肩と首をつなぐ僧帽筋が疲労する(目にもよくない)。

私にとって理想的な読書空間は”ハンモック”だ。
すべての筋肉が重さから解放された状態で読書ができる。

だが実際のハンモックはしっかりした木がある庭用で、日本家屋内では設置が困難。
そこで足から頭までを効率良くハンモック状で支えるリラックスチェア(コールマン製)を見つけ、自分の居る所(実家、名古屋宅、車内)の数だけ購入した(4000円ほどだが、今では絶品)。

さらに本を持ったままだと腕が疲れるので本を置く台が必要。
これはハンズで合板の幅広い板を買って両肘掛けの上に敷いた(こうするとノートパソコンも置け

る)。
公園の木陰で、ヘッドホンで音楽を聞きながらこの体勢で本を読むとすこぶる快適だった。折畳み式なので車に積んで旅先でもやっている(右写真)。
これが私にとっての屋外でのベスト体勢なのだが、室内でやると体が楽すぎて睡魔を誘発してしまう。

楽な姿勢は眠くなる。
睡魔は読書の最大の敵。

もちろん、眠くなるのは読んでいる本のせいでもある。
まず、小説だとしたら、眠くさせる小説が悪い。
小説は読むのに夢中になって、まるで映画を見ているように入り込ませ、文字を追っている事を忘れさせるようでなくてはならない。
誰だって映画やテレビ番組は退屈なだけで観るのをやめる。
ところが専門書はそういうわけにはいかない。
読むのが勉強だからだ。
たとえば難解な哲学書は、読んで夢中になるシロモノではない。
難解であるのは、文章が悪いのではなく、内容が抽象的で込み入っているからだ。
高等数学の本と同じ。
なので、眠くなってしまう。

屋内で睡魔に陥らない読書姿勢はないものか。
昔の日本人がやっていた正座して書見台で読むというのがよさそうだ。
昔の人はこの体勢で四書五経を読んでいた。
私は正座は苦でなく、むしろ座位としては一番楽。
しかも背筋を伸ばしたままなので(そうしないと足がしびれる)睡魔に襲われることもなさそう。
だが、残念なことに、正座用の書見台というものが(時代劇以外では)見当たらない
(薄くて大きい本に限ってなら、譜面台で代用できるかも)。

立って読むこともやってみたが、集中しにくく、また専門書は重いので、足だけでなく、腕も疲れる。

今のところの最適解は以下である。
卓上の書見台に本を立て掛け、椅子の背もたれもほぼ垂直にする。
こうするとリラックスししぎず、また疲れもしない。
書見台を使うことで本を持つ必要がなくなり、また目線と頭部が下ることもない。
背もたれを垂直にするので、体幹の筋肉がある程度活動し、かといってバランスがとれているので特定の筋肉が疲労することもない。

お勧めの書見台は、
actto BST-02 ブックスタンド(OEM品番:EDH-004)
これ以前はエレコムが発売していたもの。値段は1500円程度。
プラスチック製で安っぽいが、分厚い専門書もなんのその(逆に薄くて小さい文庫本には向かない)。
角度調整も任意。
昔は気取って5000円以上する木製の書見台を使っていたが、実用本位ではこちらが上。 


読書のジレンマ

2015年02月17日 | 雑感

私にとって読書は、仕事である。
研究者としての生産的仕事は論文執筆であり、大学教員としての職務的仕事は授業と学生指導であるが、これらの情報処理行動を続けるためには、この読書という情報入力の膨大な蓄積が大前提となる。

だから、研究と授業以外の空き時間は、ひたすら読書に明け暮れるべきで、温泉や城跡など行っている暇はないはず。

それなのに、休日は読書三昧していないということは、私には読書を避ける力が働いているらしい。

断っておくが、読書は仕事だけでなく、楽しみでもある。
その私にも作用している読書を避ける力とは何か。

これは誰にでも働いていると思う。
なぜなら、読書という行動は、人間の行動としてすこぶる不自然だからだ。

一切の社会関係を遮断して、誰とも口をきかず、しかも身体の活動も極力抑えてじっと座っていなくてはならない。
すなわち”動物”としての、さらには”社会的動物”としての人間の本来的なあり方を否定することが読書行動には求められるからだ。

目だけを使ってひたすら文字を追うだけの作業を延々と続ける。
これほど不自然な行動(動作)があろうか。
そして睡魔とも闘わねばならない。

充分にリラックスできる体勢でありながら、すなわち身体だけでなく目や頭脳も休息を誘われる体勢を保ちながら、目と頭脳は最高度の明晰さを維持し続けなくてはならない矛盾。

そう、読書とは、心理的身体的にすこぶる矛盾した行動なのだ。
この矛盾は読書行動そのものが要求してくるのだから、仕方がない。
すなわち他者と楽しく談笑したり、激しい身体運動をしながらは読書できない。
一人で沈黙の行を続けながらも、瞑想の世界には入ってはならない。 

さらに休日とあらば日ごろの運動不足をこそ解消したい機会だ。
これがまた読書と矛盾する。 

しかも、私は仕事上も趣味上も読みたい本が目白押しで大行列をなしている。
速読法も(自己流ではなく)トレーニングを受けたが、専門書の精読には向かないようだ(哲学書や数式が多い科学書を速読できれば最高なんだが)。

ドラえもんの「暗記パン」があればいいとも思ったが、自分が求める読書量では食べきれない量となり、これなら読書行動の方がましだ。

このように必要でありながら、辛い思いから逃れられない読書との、
自分なりの苦闘(工夫)の有り様を次に紹介したい。


比企の山城訪問

2015年02月15日 | 城巡り

大学の仕事は大方終わったので、東京に帰省した。

帰省後最初の日曜。昔なら山歩きをする所を、歩きとしてはグレードダウンした山城巡りにすることにした。

山城は戦国時代に雨後の筍のように作られた。

その戦国時代は、かつての京都中心史観では早くて応仁の乱(1467年)からとされたが、すでに京に対抗する地域となっていた関東では享徳の乱(1453年)から始まっている(東日本を管轄する鎌倉府の没落による関東の争乱)。
そして戦国の終焉(天下統一)は、もちろん秀吉の小田原の役(1590年)。
つまり、戦国時代は関東で始まり、関東で終わったのだ。 

その関東でも諸勢力の最前線となったのが関東の中央部である武蔵の国。

私の山城巡りは、東海地方と関東という2つのひのき舞台が対象となる(この二つの地域だけで、武田、北条、上杉、今川、織田、(羽柴)、徳川という大河主役級の戦国大名が揃う。

関東の戦国前期(古河公方と両上杉の対立)は高校時代から興味があったので、この時代の史跡を本格的に巡れるのは楽しみだ。 

ということで、第1弾として、武蔵武士の故郷ともいえる比企郡に足を運ぶ。
比企と言えば、鎌倉幕府を支えた御家人・比企能員だが、今回は戦国の山城なので彼とは無関係。 

東武東上線の武蔵嵐山(らんざん)で降り、菅谷城跡(国指定史跡) に向う。
まずは城内にある「嵐山史跡の博物館」を見学。
そこで開催されていたのがなんと「 戦国時代は関東から始まった」展。
資料も購入して、館外の城跡を巡る。
ここは元々は鎌倉時代の御家人・畠山重忠の居館だっといわれ、昭和初期に造られた彼の石像もある。
ちなみに木曽に移る前の義仲もこの近くで誕生した(次回に巡ろう)。
その後、ここは関東管領・山の内上杉氏の勢力内となる。
城主は不明だが、郭(曲輪)周囲の土塁と堀がしっかり残っている。

次は、ずっと北に向う。
公共交通機関がないのでひたすら歩く。
でも山歩きに比べれば平地の舗装道路なので、ウォーキングのつもりでいい。

そして着いたのが、杉山城跡(国指定史跡、史料では「椙山」表記) 。
ここは戦国期城郭の”最高傑作”といわれる山城で、縄張の配置が教科書的。
つまり関東の山城巡りでまず最初に訪れたい所。
敷地は完全に私有地なのだが、樹木も切り取ってあり、縄張り地形が見やすい(写真は本郭に向う帯郭、途中に堀が切ってある)。
大手門の手前に簡易トイレも設置してあり、助かる。

城跡に踏み込む時は、城攻めの先兵になったつもりで歩く。
この城では、”虎口”(郭の出入口)をのほほんと抜けようとすると、側面の”横矢掛り”から、弓や鉄砲の一斉射撃にさらされる。
この城の本郭に達するまで、自分は幾度射貫かれたことか…
逆に城兵のつもりになって郭の端に立てば、下から侵入してくる敵兵の動きが手に取るようにわかる。 
あとは弓なり鉄砲なりで射降ろせばいい。
城とはそういう所だと、ここは教えてくれる。

「佐野:唐沢山城」

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竜巻でなく旋風

2015年02月14日 | お天気

13日に厚木で起きた突風被害。

まずは竜巻かと思われたようだ。
実際、映像を見ると渦巻いた風が移動している。

これだけだと竜巻と思っても仕方ない。 

気象庁は翌日、竜巻ではなく旋風と判断した。
私も天気図を確認したが、竜巻が起りそうな気圧配置ではなかった。

竜巻は上空の”積乱雲”から漏斗状に雲が垂れ下がって、地上にタッチダウンして発生する。
すなわち、地上から空までつながっている。
だから「竜」巻なのだ。

伝説上の竜は、地上の水面でジャンプする鯉が、念願かなって天空に昇ってグレードアップ(進化)した姿であり(鱗と鰓と髭は鯉の名残)、
地上から空に巻き上がるあの雲こそ、鯉が竜に成る姿を示している。
また、空から垂れ下がった漏斗雲も天に在る竜の尻尾のように見える。

だから竜巻が発生する時は空には重い積乱雲が立ちこめている
(分厚い積乱雲の雲底に不気味に垂れ下がった乳房雲は竜巻の卵たちといえそう)。 

それに対し、旋風(つむじ風)は、晴天時に温度上昇(上空の寒気との強い温度差が発生)した地上付近で発生する
(今回のは地上で南風と北風が衝突して温度差が発生したようだ)。
秋の晴れた運動会の時に、グラウンドで砂を巻き上げ、来賓席のテントを吹き飛ばそうとするアレだ。 

灼熱の砂漠だと竜巻のように空高くまで砂を巻き上げることもある。
唯一の違いは積乱雲がなく、ぎらぎらした快晴下であること。

同じ原理で、大規模火災時にも旋風が発生し、関東大震災時のように火災被害を拡げることがある。
火災時の旋風こそ恐ろしいのだ。

渦巻の強風であることはどちらも同じ。
ただ規模(直径、風速)は竜巻にかなわない。

竜巻は積乱雲によるから、台風(積乱雲の塊)を含む低気圧や寒冷前線(積乱雲の列)の周辺で発生する。

ちなみに、竜巻でも旋風でもない、別の恐ろしい突風もある。
「ダウンバースト」というもので、竜巻・旋風とは逆に、空から垂直に吹き降りてくる突風(渦巻状ではない)。
着陸前の飛行機がこれにやられて、飛行場に叩きつけられた(全員死亡)。
この事故がきっかけで発見されたので、伝統的な日本語名はない。
これも積乱雲によるもの。
飛行機にとっては天敵だ。
だから飛行場はドップラーレーダーを装備して、積乱雲の動きを監視している。

言い換えると、旋風は”積乱雲”が関与しない例外的な気象災害現象である(他は「干ばつ」くらいか)。

局地的な突風被害が起きても、気象庁が簡単に(現地調査もせずに)竜巻認定しないのは、
竜巻の他に旋風やダウンバーストの可能性があるためだ。 


昔の歌謡曲の凄み

2015年02月12日 | 雑感

温泉からの帰り、車内で昔の歌謡曲をかけて運転していた。

私は歌謡曲の歌詞の時代変遷などの研究はしていないが、昔の歌詞は凄いなと、聞き入りながら感心した(最近のJPOPの歌詞に聴き入ることはない)。

何より大人が対象であるため、性的な内容が示されていること。
そしてモラルに反するほどの本音が語られていること。
この2点とも厳しく言えば「公序良俗に反する」。
それを平気で歌っていたのが凄い。 

でもそこに人々の本心が込められていた。
その意味では文学的ですらあった(心理学的と言えないところが口惜しい)。

今どきの毒にも薬にもならないポジティブwな”メッセージ”ソングとは違う。

そもそも、今どきの”アイドル”では処女性が期待されているため、セックスを暗示することも女の心の闇を表現することも不可能。

私を含む当時の子どもはそういう歌謡曲を親と一緒にテレビで聴いていたのだ(そういえば『時間ですよ』の女湯のシーンも)。

青江三奈の「伊勢佐木町ブルース」(1968)の冒頭のあえぎ声はさすがに当時の幼い私は理解できなかったが(紅白ではこの部分は別の音に置き換えられた)、
ピンキーとキラーズの「恋の季節」(1968)で”夜明けのコーヒー”を飲む男女の存在を知った。
小川知子の「ゆうべの秘密」(1968)も今から思えばいかにもあの事だし(それにしても1968年は豊作!)。 

そして由紀さおりの「夜明けのスキャット」(1969,これは日本歌謡曲の金字塔)は、どういう場面を歌っているかがわかり、とてもHな歌だと思った(彼女は童謡歌手出身!)。
でもそのメロディの美しさによって、親と一緒に聴いていても恥ずかしさがなかった。音楽とはそういうものだ。

奥村チヨの「恋の奴隷」(1969)は男のサディスティックな願望(DVも容認)にすぎないが、
あみんの「待つわ」(1982)が男が他の女に振られるのを期待したり、
シュガーの「ウエディング・ベル」(1981,今聴いても面白い)で男の花嫁の不幸を秘かに期待するのも、それが心から出る歌であるゆえ許容される(歌詞のつながり具合で、キリスト教会を冒涜しているとまで誤解された)。

このようなセックスを表現したり、善でない本音を語ることがなくなったのは、すなわち歌謡曲が文学的共感とは無縁の単なる消耗品になったのはいつごろからだろう。

たとえばピンク・レディの歌詞になると、(対象が低年齢化したためか)キワモノ的ではあるが、もう消耗品的で心に残らない。

セックス場面を表現した最後の歌は、私の記憶では山口百恵※の「イミテーション・ゴールド」(1977)かな(この曲にもあえぎ声が音楽的に入っている)。

※:同世代アイドルだった山口百恵は、彼女固有のストーリーで論じるべき対象。

ここまで書いて気づいたのことは、紹介した歌はすべて女性歌手だ(作詞は男性だったりするが)。
当時、男性歌手は何を歌っていたのか、GS(グループサウンズ)とかフォークだったかな…


格別に濃い温泉で慰労

2015年02月11日 | 温泉

学年末の成績つけと日曜の大学院入試も終わったので、今度は正真正銘の”慰労”の旅といきたい。

といっても大学院関係の仕事が残っているので、祝日を利用した1泊の”気分転換”しかできない。

それでも”温泉”は堪能したいので、温泉の”濃さ”で一目置く「恵那峡国際ホテル」に行く。

この宿は「湯快リゾート」という格安チェーンの系列なので、設備や食事(バイキング)、それに浴室も”庶民的”レベルで、標準予算がその倍の私としては半分バカにしていたのだが、
湯の電気伝導率を自分で測ってみて、温泉の濃度が凄いことわかった(定宿の中津川温泉の6倍)。
濃度が凄いとは、温泉成分が濃くて浸透圧が”高張性”(成分がどんどん皮膚を通過する)ということなのだが、源泉(すなわち分析表レベル)が「高張性」であっても、湧出量が少ないと加水せざるをえないから、実際にわれわれが浸かる浴槽では浸透圧が下がってしまう。
私は源泉ではなく浴槽の湯口の湯を測るので、そこで依然として高張性ということは正真正銘に濃い温泉をわれわれが浸かっていることなのだ(だたし測っているのは成分の個別濃度ではなく、電気伝導率という、諸成分が合計された濃度と比例している指標である)。 

この凄さは私のような温泉ソムリエ兼計測マンでないと分らないだろう(温泉ソムリエだけだと、源泉の分析表は読めても自分で計測できないから)。
以前は単なる安ホテルとして一段下げた位置づけたが、今では、この濃い温泉を安い宿泊料金で味わえることに感謝している。
しかも腕や足・脚も含む立派なマッサージ機が無料で使えるのもうれしい(私はけっこうケチ)。
チェックアウトも12時と遅いので、たった1泊でもそれなりに慰労できる。 

この時期、中高年ばかりの普段とは客層が異なる。
大学が休みに入っていることもあり、学生グループが目につく(料金が安いので学生向き)。
全員ガタイのいい運動部らしい男子学生の集団こそ、ここのバイキングはぴったりだろう。
乳児連れの女性とその両親、それに30歳ほどの妹という組合せはその家族状況を想像させる。
大食堂でそれぞれバイキングを楽しんでいる客を見ると、手の届くささやかな幸せをそれぞれが求めてここに来ているんだなと実感する。

他人のことはいいとして、”慰労”のために来た私は貴重な濃い温泉に4度入り、無料のマッサージ機を3回使って、1泊を充実させた。

 

さて、東濃の温泉に行くついでに、前回から山城(ヤマジロ)に立寄るようにした。

前回(先週)の中津川温泉では、入門として歩道が整備されている城を選び、往きに岩村城(恵那市)、帰りに苗木城(中津川市)に立寄った。

今回は、本格的な山城、小里(オリ)(土岐市)。
武田の美濃侵攻に対抗した織田側の城で、標高400m弱の山頂に本丸と天守跡があり、ちょっとした山登り気分も味わえる。
本城と小さい谷を隔てた東砦とその奥の(ほとんど踏跡のない)堀切も訪れた。 

山城の縄張は”どう守るか”という視点で読むべしと教わった(西股総生氏の著書より)。

それは、敵がどこを攻めてくるかという視点を内包しているので、
 城の攻防をシミュレーションできる。


温泉ソムリエ流入浴術③:上り湯にもこだわる

2015年02月06日 | 温泉

温泉ソムリエの私が紹介する入浴術の〆にまいろう。

温泉の浴室でたっぷり入湯し、体も洗えば、あとは浴室から出るだけ。
そこで最後のしめくくり「上り湯」。
折角温泉に入ったのだから、最後の最後まで温泉を堪能したい。

上り湯にシャワーを使うのはもったいない。
何がというと温泉が。
浴室には大抵手桶がおいてある。これを使おう。
まずは入湯する前の「掛け湯」も、シャワーでなく手桶で温泉そのものを掛けたい
(掛け湯はマナーとしてだけでなく、危険回避のためでもある)。

そして浴室から上る時も、温泉成分を最後の最後まで肌に残すために、あえて湯口に手桶を持っていって、湯口から流れる温泉(たとえ循環であろうと)を入れ、それに自分のタオルを浸して、タオルを取り出す(手桶は公共物なので白湯でゆすごう)。

そのタオルを軽く絞って、浴室の出口で体を拭く。
実は、このタオルで余分な水滴を拭いていながら、同時に温泉成分を体に塗っているのだ。

なので浴室から出たらバスタオルは使わない(洗髪後の頭髪には使いたい)。
温泉成分をたっぷり含んだタオルで、余分な水分を取りながらも温泉成分を肌にしみ込ませるのだ。

そもそも大抵の温泉は肌にいい。
美肌効果のあるナトリウムやアルカリ泉ならなおさら。

温泉は湯冷めをしないので、乾燥したバスタオルで拭く必要はなく、適当に水分が取れたら浴衣をはおって、あとは自然乾燥にまかせる。
その間、温泉成分を肌にじっくり浸透させるのだ。 

ただし硫黄・硫化物泉は臭いが臭いなので例外としていい。 

ちなみに温泉ソムリエたる者は”my手桶”を持参して入浴し、それにタオルを浸す(浴室の手桶は掛け湯のためであり、私用に使わないため)。 

ところで、源泉掛け流しでない、塩素循環している浴槽の湯口でもそうしていいのか。
結論からするとそれでも勧める。
なぜなら、塩素が入っていてもたいていは飲料水レベルの濃度なので、浴室の蛇口の湯と変わらないから。
むしろきちんと殺菌してある分、源泉掛け流しより衛生面では安心なくらい。
私は自分が入る温泉の湯口で必ず残留塩素を計測しているからこう自信を持っていえる。

一方、日帰り温泉の中には、プールのような塩素臭がただよう所があるが、そこではきちんと蛇口の湯で上り湯をした方がよい。

以上でこのシリーズ一旦終了。

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温泉ソムリエ流入浴術②:入湯姿勢

2015年02月04日 | 温泉

温泉ソムリエの私がおくる「温泉ソムリエ流入浴術」第二弾。

入湯時間の基準は①で紹介した。
次は、入湯する際の姿勢を問題にする。

入湯姿勢は浴槽の構造に左右されてしまうが、身体を伸ばせる温泉宿の大浴場ならば、主体的に姿勢を工夫しよう。

 そもそも湯が身体に加える物理的作用(ストレッサー)は、水圧である。

熱は入湯時間を左右するわけだが、姿勢は水圧の方を考慮したい。

人間の身体は外側から皮膚・肉・骨と配置され、骨格が内側なので、カニと異なり水圧が身体内部にまでかかってくる。

表皮に近い血管は熱作用によって拡大されるが、同時に水圧によって圧迫もされる。
すなわちアクセルとブレーキがともにかかった状態となる。

大本の心臓も(肋骨でカバーされてはいるものの)同じ状況だ。

実際、入湯中は大量の血液を排出するために心臓の鼓動は高まっている(交感神経興奮状態)。
これに水圧が加わると、心臓の拍出量が抑えられてしまうので、心臓は拍出力をますます強めなければならなくなるわけだ。

早い話が、入湯は心臓にとってストレスなのだ。

心臓に過剰な負担をかけないためには、水圧は少ない方がいい。
しかも、①で示したようにある程度長い入湯が求められるなら、なおさらだ。

心臓への水圧を弱めるには、上体を垂直に浸すのではなく、きるだけ水面付近で水平に保ちたい。
その意味では深い浴槽より「寝湯」がベスト。

ただ大浴場ならそれに近づけることはたいてい可能だ。

どうするかというと、
浴槽の縁に後頭部をつけ(岩肌ならタオルを枕にする)、上体から膝までやや水平にし、膝を90°曲げて垂直に下ろして浴槽内の床に着地する。
こうすれば水圧がかかるのは膝から下だけとなる。

膝から下(下腿)だけが辛いでないかと思われそうだが、それには奥の手がある(後述)。

上の姿勢にすれば、上体にとっては水圧がほとんどかからないから(むしろ浮力がつく)、①の深呼吸もしやすくなる。

実は下腿も、上体の荷重から解放された態勢なので、軽くなっている。
ジャグジーがあると、下腿が水流で動いてしまい、固定するのに手間取るほど。
すなわち、身体すべてが荷重が解放された姿勢になり、浮力まで得ているので、まるで宙に浮いているかのようにリラックスできる。

入湯は本質的に身体的ストレスであるからこそ、
かように身体のどこにも負担をかけない、全身のリラックスを実現する姿勢になった方が、心理的リラックスにも貢献できる。

さて、下腿には別メニューがある(必須ではない)。

温かい湯船から出たら、今度は水風呂に膝から下を浸けよう(サウナ併設であることを前提)。
足湯ならぬ”足水”である。

最初はもちろん不快な冷感が走るが、そのうち冷感が消え、無感覚状態となり、そして逆に下腿の内部が暖かくなっていく。
この暖かさは時には熱さにもなり、表皮の冷覚を無効にするほど強くなる。 

表皮付近の毛細血管は外部からの冷却によって収縮する。
表面付近の血液はどこかに移動する必要がある。
内奥部しかない。
下腿の芯部に血液が集ることで、下腿は文字通り”芯から暖まる”のだ(この現象を細胞のミトコンドリアが増産されるためだという人もいる)。

こうなるまでにやはり5分は冷水に浸けている必要がある。
そうしていると今度は上体が冷えてくる。
なのでもう一度熱い湯に全身を浸かせる(①の入湯)。

下腿にとっては熱→冷→熱の変化が血液循環を強制的に活発にさせ、だるさの解消に役立つと思う。
この別メニューはそういう人用だ。


温泉ソムリエ流入浴術①:入湯時間

2015年02月03日 | 温泉

「温泉ソムリエ」という民間資格(温泉ソムリエ協会発行)は、1日講座を受けるだけで、試験もなく、誰でも簡単に取れる。
名前ばかりの資格商法がはびこる中、ここもまた名称からして怪しげにも見えるが、
実際取ってみて、温泉好きにはすこぶる有用であり、情報密度の薄い温泉の本で独習するより効率よい勉強ができるので、取って良かったと思っている。

温泉ソムリエたるもの、まずは温泉の分析表を解読することが任務だが、実際の入浴法もそれなりにアドバイスできる。

どの温泉に入るかだけでなく、温泉をどう入るかについてまずは考えてほしい。

そもそも、入湯(湯に浸かること)は何のためか。

”湯”であることを前提としているように、第1は体を暖める為である。
では「体を暖める」とは具体的に何を意味するのか。
言い換えれば、充分暖まり、湯から出ていいのは何をもってしてか。

多くの人は、明確な基準をもたず、ただその時の気分や温熱感覚的に「充分暖まった」と感じた時だろう。
こう表現してもいい。
これ以上入湯しているのも退屈で、かえって苦痛になりそうな時。

べつにそれで悪い意味での問題は発生しないが、 

あえてカネと時間を費やして温泉に入りに来たのだから、”暖まる”という行動にも、それなりのプラスの効果を期待したい。

表皮の温度は湯に入ればただちに上昇する。
なので皮膚温レベルで暖まるならば、1~2分も入っていれば充分。
ただそれでは、プラスの効果は期待できない。 

その効果とは「深部体温を上昇させる」こと。
深部体温を上昇させると、免疫力が高まるといわれている(病気時に発熱するのはこのメカニズム)。
すなわち、体内に侵入した外敵と戦う状況をあえて作りだすことで、健康度をアップさせるというもの(高温になる理由は、病原菌やガン細胞は高温に弱いから。このあたりの医学的話は安保徹先生の本に詳しい)。

多くの温泉は、成分が皮膚に浸透するため、保温効果が高い。
なので深部体温上昇の持続効果は白湯より期待できる。
しかも温泉なら日に幾度も入る気になる。
これが温泉の健康効果につながっている。 

もちろん表皮と深部体温の上昇によって全身の血液循環が活発化することで、疲労回復など免疫力以外の効果もある。

では深部体温が上昇するには、どのくらいの入湯時間が必要か。
これは実測しないとわからない。
深部体温の実測そのものが難しいので、私は赤外線温度センサーで口腔内の温度を参考にしている。
標準的な41℃程の湯ならば、5分入れば0.5~1℃程度上るようだ(精確な測定ができないのでこの表現でご勘弁)。

これは多くの人の心理的な退屈限度を超える長さだろう。
気短かな私も同様だ。

なので、私は入湯中、ゆっくりと深呼吸(鼻で吸って、口からゆっくりと吐く) を15回ほど繰りかえす(回数は湯温によって異なる。長い吐息によって副交感神経の興奮も促している)。
意識は調息に集中しさせているので退屈しないですむ。

こうしていると、そのうち額に汗がじわりとにじみ出てくる(交感神経の作用)。
これが深部体温が上った生理的合図という。 
何事も測定しないと気が済まない私の場合、ここで温度センサーを口に含み(口を開けた状態だと外気が入る)、口腔内(喉の奥か舌下)の温度を確認する。
温度が入湯時より0.5℃上昇したら湯から出る。 
この間、体内のガン細胞の元がいくつか消滅したはずだ。 

深部体温(免疫力)を上げるだけなら、もちろん家の風呂でもできる。

ただし、深部体温が上りすぎると、蛋白質が変性して血栓が起こりやすくなり、また恒温状態を維持できず熱中症になる危険(意識喪失して死亡のおそれ)もある 。
「体にいい」とい言われる事であってもやりすぎは禁物。 

深部体温だけでなく、人間にとってのほとんどの”最適値”は、2次曲線上の極大値※であり、決して直線(単調増加)ではないことを心してほしい。

※「極大値って何?」という質問を受けた。確かに曖昧なので、「最大値」と改めたい。

「温泉ソムリエ流入浴術②」に続く


地獄の採点を極楽で

2015年02月02日 | お仕事

学年末の試験・レポートの採点業務は、長時間の集中作業を要する。
一気に採点しないと、自分の心身のコンディションが変化して微妙に評価基準が変動しそうだから(もちろん、客観的な基準は設けているが、食前と食後だけでも気分は異なってしまう)。

同じ作業を受講者の数だけやるのだから、精神的にも身体的にも固定状態が続く。
これがつらい。

なのでできるだけリラックスした状態・環境でこの”地獄の採点”をこなしたい。

そのため、定宿の温泉に来ている。

試験の答案持参で。

採点以外は温泉入浴と食事だけ、いや入浴と食事以外はひたすら採点!


山城を趣味にするか

2015年02月01日 | 城巡り

昨年から右脚に腸脛靭帯炎を患ったため、およそ700m以上の山には行けなくなり(正確には「下れなくなり」)、
中学以来
趣味としていた”登山”(高校でワンゲル、大学で山岳部)を諦めざるをえない状況になった。
これはわが人生にとって由々しきことである。 

標高を下げてでも依然として”山”を楽しめる趣味はないだろうか。

奥高尾の景信山(724m)では膝がダメだったが、その東に連なる400m台の八王子城山なら問題ない。

そうだ、山歩きならぬ”山城歩き”にしよう!

ということでまずは山城について勉強しはじめた。

さしあたっては”縄張り図”を読めるようにしなくてはならない。
縄張り図とは伝統的な城の平面図で、城跡の地図記号がそれを摸している。

そう、城の本質は縄張りであり、まちがっても天守閣ではない。 

縄張り図を読むとは、図の記号を理解するだけでなく、その城の目的(存在理由)を理解することを意味するという(西股総生『「城取り」の軍事学』)。

折しも、世は「山城ブーム」であるらしく、各地の山城ガイドの本が出ている。
特に戦国のヒノキ舞台といえる東海地方は「山城ベスト50」シリーズの各県版があって充実している。

さっそく中津川への定宿湯治の道すがら、いつもは素通りしている「岩村城趾」に立寄る。

ここは以前にも来たことはあるが、その時は単なる史跡見学のつもりでしかなく、
ただてっぺんの本丸を目ざし、本丸周囲の石垣を見ただけで「行った」ことになった。

だが、今回は違う。

山麓の藩主邸跡から長い石段を縄張り図と睨めっこしながら登る。
本丸だけを目ざした前回には素通りした途中の数々の門や櫓の跡をチェックする。
山中の侍屋敷の敷地が登城道を上から挟むようにあって、侵入者を火器で挟撃できる態勢であることを確認。
吊上げ式の畳橋の両端がどこに掛かっていたのかを確認し、
曲輪(クルワ)の端まで歩いて、切岸(璧)がどうなっているかチェックする。
本丸や二の丸の虎口(コグチ)をすべて通り、虎口の構造の違いを確認。
なるほど、こうやって歩けば、登山としては物足りない山であっても充実できる。 

といってもこの岩村城、本丸は標高717mで、日本最高所の山城だという。
確かに本丸からの眺めはよく、麓の城下町(岩村)から雪の恵那山まで望める(上写真)。 

ということは私の登山限界(およそ700m)以下で全国の山城を楽しめるというわけだ
(ちなみに岩村城は麓からの比高は150mで済んでいるので無問題)。

ただし、山城探索は、ハイキングのようにただ線(道)を進めばいいというのではなく、上述したように面を歩きまわらねばならない。
しかも当然道がない所にも足を踏み入れる。
人里近いので遭難の危険はないが、逆に 私有地に無断侵入するおそれがある。

なので、平城の”天守閣”を訪れるような観光気分では全くダメで、正確な地図と山用の靴が必要だ。 
しかも低山の薮なので、夏はまったくダメ。
シーズンは下草のない(ヤブ蚊も蛇もいない)冬が中心で、遅くともGWまでだという。 

 私の第1の旅先であるここ”東濃”は、濃尾平野と木曽谷を結ぶ地域で、甲信を制した武田氏と美濃を本拠とする織田氏のせめぎ合いの場となったので、当時の山城に恵まれている。
「山が立っている」と称される急峻な木曽山脈(中央アルプス)に登ることは諦めたが、 これからの旅の楽しみが増えた。 

「比企の山城訪問」