今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

自動車事故に思う

2012年04月30日 | 防災・安全

自動車とは、原発と同じく、人体に危険なほどのエネルギーをかろうじて制御しているモノである。
特に、高速道路を運転している時に痛感するので、私は死と隣り合わせている高速道路が心理的に苦手。

だからこそ、それを制御する個々人には、万全なコンディションが要求されるわけで、
意識不明になる持病は隠さず、極端な過労・睡眠不足にならないよう細心の注意が必要なのだ(無免許は論外)。

過労や睡眠不足下での運転は、危険度からいって飲酒運転と等しい行為であるにもかかわらず、
客観的な判定が難しいこともあり、現実には野放し状態。

だから、個人の管理にたよらず、社会的な仕組みによって、防ぐことも考えていきたい。

一番思うのは、”社会の24時間化”という、人間にとって生理的に不自然な状態を安易に推進しないこと。
もちろん緊急事態への対処は必要だが、
夜は消灯してみんなぐっすり寝るという状態を実現している社会(人間の集合)の方が”健全”だと思う。
これは単に睡眠時間を確保することではなく、昼間の太陽光を受けることが脳にとって必要であるためだ。

移動や物流の便利さ(しかも安価)が、無節操なほどに追求されすぎている。
便利さを求めるにしても、それ相応の対価を払うべきだ。

原発事故は緊張感の欠いた無競争の結果といえるが、昨日の夜行バスの事故は過当競争の結果だ。
人命にかかわる分野では、安全への競争こそ求められるべきだが、それは必然的に価格競争と逆行する。

すなわち、われわれは価格と安全とを天秤で計らなければならない。
これは本質的なジレンマ(葛藤)なので、言うは易く、行なうは難しい。

実際、食品の安全性に敏感に反応できるのは、単価が低いためでもある
(もちろん身体の健康に直結するためでもあるが、数ベクレル程度の差異に一喜一憂するのはそれでは説明できない)。
そして自宅の防災化に消極的なのは、単価が高いため。


デジカメ撮影の腕

2012年04月28日 | 雑感
GW前半の帰京で、さっそく近所の根津神社に”つつじ祭”を見に行った。
もちろんカメラ撮影が主目的。

天気は良かったものの、肝心のつつじの見頃にはちょっと早く、
つつじ苑は葉の緑がまさっていた。

といっても、
数年前、当時買いたての今は無きサンヨーの”Xacti”の試し撮りに行った時、
葉の緑と稲荷社の参道に高密度に並ぶ奉納鳥居の赤の色相対比が面白かったので、
撮影の興はさほどそがれない。

今回のカメラは、このブログで再三紹介済みのNikonのCoolpixP7100というハイエンドデジカメ。
バシバシ撮って、家のパソコンに取り込み、ほぼ同季節・同構図のXactiの写真と見比べた。
そしたら、色合いその他、優劣の違いがわからない。
日中の屋外の風景なので、差が出にくいのは確か(もちろん撮影技能は同じ)。
機能豊富なNikonのカメラをいろいろマニュアル設定しても、たいして効果が出ず、
結局、オート撮影で充分という感じ。

実は、いまだに写真撮影の”腕(技能)”とは何なのかわからない。
カメラの性能とその使いこなしのことと期待していたのだが、
違うのかもしれない。
オート撮影ならなおさら腕の入る余地がない。
いちおう写真は私のFaceBookにアルバムとして載せておいたら、
「いいね」と反応してくれる人がいる。
FaceBookは載せ甲斐がある。

市川の美女

2012年04月21日 | 東京周辺
帰京した週末。
ホントはカメラぶら下げて遠出をしたいのだが、
あいにく天気も悪く、我が膝もまだ悪いので、近場で済ますことにする。
近場といえば、東京から川一つ越えた街、たとえば川崎(神奈川)、川口(埼玉)、市川(千葉)って素通りばかり。
川崎には川崎大師目当てに数年前やっと降り立った。

なので今回は、市川を目指す。
市川には”川崎大師”級の人気の名刹はなく、そのため足が向かなかったわけだが、
ちょっと先に日蓮宗の本山である法華経寺があるのでそれと合せると行く気になれる。

総武線の市川駅に降り立つと、なんと市の観光案内所がある。
もちろん私のことであるから、ぬかりなくコースは下調べ済みであるが、
せっかくなので散策地図をもらい、地元の人から直接情報をもらう。
桜の頃がベストだったようだ。
街中は、至る所で和歌や俳句にお目にかかり、また住宅街といえども、散策向きな道路になっていて
来訪者の散策気分を満たしてくれる。
そして名所への案内板も随所にあり、”観光地”としてしっかり力を入れている。

で、その観光スポットだが、
第一は、「手児奈霊堂」。
はるか昔、手児奈という美女が、自分を求めて争う男達を悲しみ、ここ真間(まま)の川に身を投げたという。
その後、万葉歌人山部赤人が、この市川の地に来て、手児奈の伝説を詠んだ歌が万葉集にあるという。
すなわち”はるか昔”とは、万葉の時代にすでに伝説になっていたほどの昔。
そして天平年間に行基が手児奈の霊を弔うためにこの地に寺を建てた。
その寺が後に、日蓮宗本山の1つでここに隣接する真間山弘法(ぐほう)寺に発展した。
室町時代になると、手児奈は良縁・安産・子育ての女神として信仰されるようになり、
現代まで続いている。
かくも美女とは、時代を超えて人々の心をつなぎ止める存在なんだな。
何しろ、21世紀の私までもが、わざわざ訪れるほどだ。

といっても、彼女の霊堂には、その肖像などもなく
(霊堂の本尊は、遠くて小さくてよくわからない)、
後裔の美女がお出迎えをしてくれるわけでもない。

伝説上とはいえ日本最古級の美女ゆかりの地に立つと、
そもそも人類の進化の過程で、いつ頃(男が群がる)”美女”が出現したのかと思いをはせてしまう。

霊堂に上がり、本尊の女神を拝んで、天井の板ごとに描いてある鳥の絵を見ていたら、
管理役の若い坊さんがやってきた。
この霊堂は弘法寺の管理下にあるという。
また堂内にある神輿は、女性たちがかつぐのだという。
そういえば、道路脇には「手児奈太鼓」の公演のポスターがあった。
堂内には、霊堂オリジナルの絵馬が売ってあるが、
もろハート型なので、いい歳した男には手が出せない。

霊堂を出て、隣の結構な規模の弘法寺を詣で、
「真間の井」に立ち寄り、
住宅地に突然出現した「郭沫若記念館」前の花畑(菜の花・芝桜・水仙・鈴蘭など)を観賞した。
可憐な花々が「手児奈」のように人々を惹きつけている(写真)。

そして散策マップ最奥の「下総国分寺」跡まで達して、引き返した。
かようにここ市川は、古代から続く由緒ある所なのだ
(さらに弥生時代の遺跡もある)。

ここまで結構歩きでがあり、散策としてはもう充分なのだが、
予定通り、法華経寺に参拝するため、
市川真間駅から京成に乗り中山に向かった。

母の朗読劇

2012年04月15日 | 身内
80を過ぎる母が参加している朗読劇の発表会を観に行った。
朗読劇というのは、脚本を読み上げる声のみの演劇で、
舞台も照明とマイクのみですむので、素人にとって敷居が低い。

母自身は若い時に演劇をやっていたので、昔取った杵柄。
なのでどちらかというと指導役。
演目は認知症患者、介護施設の職員、福島原発の避難者についての計4本。
作品すべてオリジナルで、70過ぎて脚本を書きはじめたメンバーの女性によるもの。

そこに、甥っ子の柊聖(4月から小学3年生)もちょい役で出演するという。
こちらも日曜に格別の用事もないので、観に行く事にした。

母は4本全てに出演し、ずっと立ったままでセリフを読み上げる。
声も大きく、滑舌もよいので、マイクから離れて喋ってもセリフはよくきこえる。
甥はちょっと恥ずかしげでうつむき加減だった。

発表会が終わり、客席が明るくなると、あちこちに知った顔が浮かび上がってくる。
柊聖の親(弟)たちがいるのは当然として、母方の従姉妹、父方の従姉。
その中には10年以上会っていなかった顔も。
さらに、母は私をスタッフに紹介する。

終了後は、まずは親族一同で記念写真(中年以降の女性が多いので、コスメモードで撮る)。
その足で、母方・父方双方の従姉妹たちと、私と柊聖がまじって、自宅で親族会
(柊ちゃんも家に帰らず、こちらで夕食)。
ピザと日本酒という組合せも含めて、
これも昨年から朗読劇後の定例(楽しみ)になりつつあるらしい。

普通、双方の親族が顔を合せる場というのは、葬儀・法事に限られるから、
いずれも年一回の貴重なイベントといえる。

国民を守らない国

2012年04月13日 | 時事
SPEEDIの情報は隠ぺいし、Jアラートは作動せず。
この国(政府・官僚)って国民の安全を守れないんだと痛感した。
それだけでなく、情報システムの運用もまともにできないことを曝露。

自分としては防災や危機管理の資格を取って、いざという時に対応できる人間を目指しているのだが、
大本のシステムがダメだと個人ではお手上げ。

現体制を確実に破壊できそうな人に人気が集るのもこりゃ当然だ。

膝関節症その後

2012年04月12日 | 健康
変形性膝関節症という歩行(ロコモーション)障害の原因となる疾患にかかったので、
歩くことが大好きな者として、なんとか治そうと、
リハビリに通い、家でも膝裏を伸ばすストレッチを毎日した。
その成果があってか、膝の痛みは日に日に軽減し、
以前は痛くて5分ともたなかった正座が数時間続けてもなんともなくなった。

今日、2度目の治療で、ヒアルロン酸を膝に注射された後は、もう治療は不要と判断された。
あとはリハビリが終了するのを待つだけ。

実は、今回精神的ショックで毎月恒例の旅行に行く気力が失せていたが、
これでやる気(歩く気)が回復してきた。
ただし山はまだ無理で(下りがダメ)、平地限定だが。
O脚にならないよう歩行姿勢には充分注意し、再発を防ぎたい。

旧年度の担当終了

2012年04月10日 | お仕事
新年度の仕事始めは、教授会。
私も前年度担当の委員として、3月の委員会の議事ついて最後の報告をした。

そして夜は、学部教職員の歓送迎会。
今年は新任の教員が6名もいる。
あと職員も入れ替わりがある。
なので例年になく重要なイベント。

その幹事役は私。
学科主任や他の委員の仕事のかたわら、
2月から準備を始め、店を決め、予約し、内容を調整し、ここまで来た。
今日の本番での仕事は、ホテル宴会場のステージ脇のボックスに立っての司会。
なので、珍しくもスーツにネクタイ姿のいでたち。
進行も自分で考える。

それをなんとかこなして、無事終了。
司会だから、いつものようには飲み食いできなかったのは仕方ない。
でも終わってホッとした。
これで重圧の連続だった旧年度分の担当がすべて終わった。
明日から、晴れて新年度の自分になれる。

新年度から別の責任ある委員を担当するが、
今までのように担当が重層的でない分、トータルなプレッシャーは少ないだろう。

花見散歩

2012年04月08日 | 歳時
昨日は寒さで退散したが、
今日はちゃんと防寒に身をととのえて、桜の花見散歩に出かけた。

桜となると、こうまでして、花見に執着するのが日本人である。
単に可憐な花をめでるためだけではない。
桜は、まちわびた春の象徴を超えて、”時の無常”の象徴でもあるからだ。
桜の花は”今”が可視化した姿。
今しかないのが桜の花。
だから強迫的に見たくなる。

昨日の駅前の桜を見ていると、
ウォーキングの老若男女が同じ方向から切れ目なくやってくる。
皆、同じ地図を片手に。
その地図をちら見すると、
北を流れる香流川(かなれがわ)沿いの桜並木から来たらしい。

駅前の桜だけではつまらないので、そちらに向かうことにした。
ただし、そのウォーキングは、駅前がゴールになっているので、私は逆行になる。
でも、切れ目なく歩いてくる人たちが、ルートを”可視化”してくれるので、地図なしでも安心。
切れ目ない人々の中、ただ一人だけ逆コースを行く我が身は、
まさに自分のアマノジャクな生き方を象徴しているかのよう。

途中、臨時公開している水道局の塔にも上がれて、
真っ白な中央アルプスや木曽御岳の展望を堪能した。
東京や横浜は富士が見えるメガシティだが、
こちら名古屋は日本アルプスが見える唯一のメガシティだ。

香流川沿いに達すると、川の両岸に花開いた桜が並んでいる(上写真)。
駅前よりはこちらの方が見栄えがいい。
ここまでくれば花見の散歩として満足なので、
あとはウォーキングコースから離れて、戻ってきた。
私にとって、今年の桜はこれにて終了。

花見には足りない

2012年04月07日 | 歳時
4月上旬の週末。
桜の花も一斉に開き、しかも晴天。
こうくれば絶好の桜の花見日和となるのだが、
残念ながら気温が足りない。
とにかく寒い。

今週末は名古屋在なので、棲み家から徒歩5分で行ける
名古屋の東端・名東区の地下鉄終点駅周辺の桜並木を見に家を出た。
そしたらこの低温で寒風に襲われ、歩くにつれ”花見”の気持ちが萎えていく。

駅周辺では予定通りに地元をあげての”桜祭り”が開催されており、
近隣住民たちも、この晴天に誘われて出てきてはいる。
でもとにかく寒く、ポケットから手を出してカメラを構える気にもなれない。

商店会の本部では、うれしいことに花見酒(紙コップに少々)を、供してくれる。
ちびりとひっかけ、少しは暖まったが、
その場で見上げて桜の花を鑑賞するには足りない
(といって、二杯目を要求するツラの皮もなし)。

せっかく来たので商店会に協力しようと出店で少々の買い物をして、
後はスーパーでいつも通りの買い物をして引き返した。
デジカメラのスイッチを一度もONにすることなしに。
残念ながら今日はお篭りの日だ。

東京だと用がなくても山手線に乗ってしまうが、
名古屋ではかように出不精になってしまう。
住んでいる場所が郊外の終点(ターミナル)なので、
その地で自己完結的な生活になってしまうためか。

安全基準を超えたら危険か

2012年04月07日 | 東日本大震災関連
この4月、食品についての放射線の安全基準が、”暫定”を外れた正規のものになり、
値として1/10に下がった。
原発の安全基準ははななだ疑問が多いが、
こちらは歓迎すべき内容だ。
一般論として、毒物の含有許容量は0に近いほどいいに決まっている。

なのに基準値が0にならないのは、自然に含まれるものを排除できないからだ。
つまり原発事故由来のセシウムは排除すべきであるが、
カリウムなど食品そのものに入っているものは排除できないし
(温泉成分からラドンガスを排除できないのと同じ)、
カリウムは我々の体内に入っていて問題ないのだから、強迫的に0にする必要性がない。

では、安全基準を超えたらそれは危険なのか。
日常論理の世界では、好きでない=嫌いを意味するように、そう解釈するのが素朴で自然。
つまり、命題Aの裏命題(Aでない)は、Aの対立概念Bを意味する。
私は、日常でのこの論理運用を「裏命題有効の原理」と言っているのだが、
これは論理学的には正しくないのだ。

論理学の世界では、原命題が真の時、真であるのは対偶命題だけであり、裏命題は偽となる
(命題は本当は「pならばqである」という形をとる。なので裏命題は「pでないならqでない」)。
なので論理が厳密な科学の世界でも、
「Aでない」という命題はAでないという状態以上のことを示さず、
その反対側の「Bである」ことまで当必然的に示すものではない。
言い換えれば、「Aでない」ことが対立概念「Bである」ことと等しくなるには、
論議世界が2値に限定されるなどの前提条件が必要であり、
日常世界ではその前提条件が暗黙化されているのだ。

安全基準について具体的に示そう。
公的機関(国際機関や国など)が定める安全基準には、共通の方法がある。
それは、まずは異常が認められうる最小値の1/10にするというものである。
これは最低の基準で、さらに厳しくなる場合がある。
つまり、安全基準の値を超えて、さらにその10倍に達した時が現実の”危険域”なのだ。
だから、こう言える。
安全基準を少々超えた事態に遭遇したとしても、”ただちに”危険というものではない。

この表現、多用されて有名になったが。
この表現も日常論理ではなく、厳密な論理で理解すべきだ。
日常論理の発想では、”ただちに”を過ぎたら危険が発生することを含意するが、
科学的論理では、”ただちに”以降は安全を”保証”するものではないという意味で、
危険であることを意味するのではない。

だから、当初はむしろ、業者から基準の値を上げてくれという要請があった。
確かに10倍まで上げなければ、実際に危険ではない(はず)。
でも安全基準というものは、上に示したように、ここから先が危険という”危険基準”ではないし、
そうあるべきではない
(安全基準を”危険基準”のことと誤解している人があちこちにいるわけだ)。

つまり、実際の危険域までのバッファ(余裕)が必要なのだ。
安全運転とは、交通事故に”ならないですむ”レベルの危なっかしい運転のことでないのと同じ。
あくまでも安全を保証する基準なのだ。

放射線でいえば、”しきい値なし直線仮説”は科学的に立証されてはなく、
データでは否定的なものが多いのだが、
安全基準としてはより厳しい立場になるので、
ホルミシス派の私も採用に納得している。
安全基準とはそうあるべきだから。

だからこそ、原発の安全基準も、安全を保証できるレベルでなくてはならない。
現状では食品と原発の安全基準はダブルスタンダードだ。

明治村に遠足

2012年04月06日 | お仕事
今どきの大学には「遠足」がある。
今日は、その楽しい遠足。
みんなでバスに乗って「明治村」に行った。
地元名古屋の学生は、小学校の遠足以来だという。

確かに、小学生の団体が来ていた。
小学生と同じように班ごとに分かれるが、
小学生は子供たちだけで探索してまわるのに対し、
大学生は教員の私が班を引率。
私がお勧めの「ザビエル天主堂」と「帝国ホテル玄関ロビー」を巡り、
監獄の雑居房に皆を押し入れて無理やり集合写真を撮る。

これで新入生のイベントは終了。
来週からいよいよ今年度の授業が始まる。

爆弾低気圧

2012年04月03日 | お天気
今日、日本中を蹂躙した低気圧(死者3名)。
まるで台風が上陸したかのような混乱を各地に与えた。

この低気圧は、春・秋の移動性低気圧の1つなのだが、
24時間で 24hPa以上の急激な発達をした。
それを「爆弾低気圧」といいう(”ゲリラ豪雨”と違ってちゃんとした気象用語)。

台風との共通点は、等圧線の混み具合=気圧傾度(空気の勾配)が大きい=風が強い。
台風ほど頻繁ではないが(今回わかったと思うが)、エネルギーは台風と並。
しかも、台風のない季節に発生する。

台風と違う点は、低気圧本体は日本海を横断しているだけで、本土に上陸はおろか接近もしていない。
つまり低気圧本体が日本に悪さをしているのではない。

問題は低気圧から伸びる前線。
低気圧前面の温暖前線はたいしたことないが、
温暖前線の南側の”暖域”で南寄りの暖かい風が侵入し、大気が不安定になる。
そして暖域の後方の寒冷前線面で、寒気が暖域の暖気を下から押し上げるので、更に不安定になって、積乱雲を発達させ、強風・強雨となる。
寒冷前線の後ろにも、副次的な寒冷前線(降水バンド)が発生する場合がある(今回は無し)。
すなわち寒冷前線を挟んだ前後が最もシビア(強い擾乱)。

名古屋で寒冷前線が通過する時、極端な風雨となり、風向が南寄りから西寄りに代わると、風速も激減し、雨もやんで、青空が出てきた(実は気圧も変化)。
いつ強い雨が来るか、それがいつ去るかは、気象庁のサイトのレーダーナウキャスト画面を見ればおよそ見当がつく。
強風は、天気図の等圧線を見ればおよその見当はつくが、局地的には、積乱雲が強風の源なので、やはりレーダーナウキャストで分かる(強雨のエコー)。
それを見て、外出のタイミングをはかればいい(死なずに済む)。

私は、午前中のうちに大学で用事をすませ、昼過ぎ早々に戻ってきた。
勤務先の私設”日進気象台”で最大風速31.7mを記録(16時17分)。
以前だったら風速25mで観測器が倒されていたが、今回は無事だった。

新年度の断捨離

2012年04月02日 | 生活
新年度を迎えた。
いつもなら、新たな1年の重圧を感じて憂鬱になるのだが、
今回に限って、主任の役職から解放されたので、気分がいい。
そのせいか、いつになく新鮮な気分で新年度を迎えたくなり、
おそらく、名古屋の今の棲み家に来て、初めての”古い物を捨てる”(断捨離)という掃除をした。

つまり、生活から出るゴミや汚れを掃除するのではなく、
いらないまま放っておいた物をあえて捨てるという掃除。

それらが一番多いのは、台所周り。
消費期限が数年前のほとんど使っていない調味料や
使い終わったのに空き瓶のままとか、
1度使ったきりのほこりをかぶった食器などがある。
ワインオープナーも1つあればいいものが、たくさんある。
これらをすべて捨てる
(ただし、たまった割り箸だけは捨てられない)。
不要な物が無くなり、必要な物だけになったので気分もすっきり。

ついで、書類も捨てる。
実物の方がとっくに無くなっている取扱い説明書や、すでに解約した投信の契約書。
これらは明らかに不要だが、
他の書類やもらった名刺は、捨てていいか迷うものがある。
昔はそれらを結局はとっておいたが、
今は違う。
それらは、ページスキャンで電子化してサーバに保管し、紙は捨てる。

そして、いらない服も捨てる。
買ったものの気に入らずに着ないという理由であって、
体形が変わって着れなくなったという理由ではない。
もっとも、年齢的に不適合になったというのはあるが…

この断捨離をする気になったのも、前期日程が始まる前の、
精神的に余裕がある今だからこそ。
言い換えれば、つかぬまの”暇”な時なのだ。