今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

長く感じる月

2014年01月31日 | 歳時
今日でやっと1月が終わる。
毎年一貫して感じるのは、1月と2月は長い。
1月は正月気分が去った後の、1月としては残りの日々が長い。
2月は他の月より2-3日短いのに、その短さを感じない。

確かに、大学の1月と2月は後期試験と入試で最も忙しいシーズン。
でも、小学生時代から長いと感じていたから、”忙しさ”のせいではない。
冬のせいなのか。
昼が短いと一日が長く感じるのか。むしろ逆だろう。
寒いと、時間が長く感じるのか。”時”が凍るわけでもなし。
春を待ちわびるから、長く感じるのか。暑さに倦んで秋を待ちわびる8月は短い。

限られた命の存在としては、時は長く感じるほうがありがたい。
残りの10ヶ月も長く感じさせてくれればいいのに…。
あるいは、1年の12ヶ月を1月と2月の繰りかえしにしてくれれば…。

STAP細胞と温泉

2014年01月30日 | 時事

※この記事は、後日事実と異なっていることが判明したけど、執筆当時はこの後の顛末は予想できなかった。なので削除も変更もしないでおく(2014.3.15).

STAP細胞を実験的に発見した小保方さん。
細胞もすごいが、彼女本人も魅力的で、両方が注目されている。

そもそも投稿先の審査者(レフリー)に「数百年の○○学の歴史を愚弄している」
なんて言われたら、投稿者として絶対凹む。
彼女と並べるのは、おこがましいが、私も最初に投稿した先のレフリーから、
こんなの心理学ではないとこてんぱんに言われ、リジェクト(掲載拒否)された。
それで、心理学に受けいられるように表現を直し、データ部分を付け加えて(これが無かったからダメだったんだろう)、
日本心理学会の「心理学研究」に投稿したら、非常に好意的なサジェスチョンを得ただけでなく、学会賞をもらったのは昔話。
研究はやっぱり自分の信じる道を進むしかないと思う。

それにしても、
弱酸性という外的刺激だけで、細胞が初期化されるという事実の発見がすごい。
素人としては、ならば”酸性泉”の温泉に浸かると細胞が若返るかもと期待してしまう。
どの程度のpHがいいのだろう(一般には、弱酸性はpH6~8)。
ちなみに酸性泉といえば、草津温泉玉川温泉が双璧で、確かにどちらも効能が抜群。
ただどちらもpH1の強酸泉だから、刺激が強すぎるな。

特に玉川温泉は、気化した温泉成分で旅館内の金属をことごとく腐食させているし、温泉水が下流に流れて田沢湖の魚を絶滅させた。
さらに、源泉がある岩盤浴の地では(自殺に使われる)硫化水素ガスがあたり一面から吹き出し、
その近くの北投石の岩盤からは、福島並の放射線が3.11よりずっと昔から出続けている。
日本中から病を背負った人が、口づてに塩酸・硫酸溶液と硫化水素ガスと放射能をセットで浴びにくるんだから、何かありそう。
「ガンに効く」という噂は聞くが、若返ったという話は聞かない。

そもそも温泉浴自体、熱と水圧と化学成分の”刺激惹起”により活性化する生体機能を利用している。
適度な外的刺激(ストレッサー)が、生体に適応的な応答を向上させるのだ。
そういうわけで、温泉好きとしてもこの研究の応用が楽しみだ。


中津川で中央アルプスが見える所

2014年01月27日 | 
まだ宿にいる。
今日は見事な快晴。
青空に突き出る真っ白な中央アルプスが観たい。

中津川(岐阜県)の定宿にはもう数え切れないくらい通っており、
毎度カメラで風景写真を収めているが、
考えてみれば、この地から中央アルプスの白い連嶺を眺めた記憶がない。
もちろん、目の前に聳える恵那山(2191m)も中央アルプスの殿(しんがり)なのだが、
いわゆるアルプス的な森林限界を超えた高さの、麦草岳から越百山までの核心部を観たい。

手前の恵那市や、あるいはもっと先の長野の大桑村なら、
”山が立っている”と称される高度差抜群の中央アルプス核心部を眺めることができるのだが。
その中間にあり、木曽谷の前山や恵那山塊が間近に迫っている盆地状のここ中津川は、
取り囲む山々しか見えない。
宿のカウンタで問い合わせても、首をかしげている。
しばらくして、外出するのでカウンタに鍵を預けにいくと、
ネットで調べてくれて、市内では富士見台と苗木城趾からなら見えるらしいとのこと。
それらの情報をプリントアウトしてくれた。

それ自身中央アルプスからの延長上にある富士見台からは、確かに中央アルプスが望めるが、
今の季節は積雪で本格登山となるので、最初から除外していた。
苗木城は、木曽川畔の高台にあり、広い眺望なので、私も可能性が高いとふんでいた。
何しろ、下流の恵那峡の橋(恵那市)の上から、中央アルプスが見えたから。

まずは、宿の南の高台にある「ふれあい牧場」の展望台に車を走らせる。
ここからは、御嶽の頂上部が、手前の阿寺山脈の上に顔を出しているのを知っているから。
コンバーターレンズで、真っ白い御嶽の頂上部を写す。
ここからは、やはり純白の伊吹山も遠くに望める。

さて、苗木城趾に向う。
岩山に巧みに石垣をはさんで見事な山城にしたここ苗木城は、
見張り番のように木曽川岸から聳え立っているので、中津川を中心に周囲が一望なのは知っていた。

その最高点である天守閣跡に立つと、北東の空に、白い3つの壁が空をさえぎっていた。
左から中央アルプスの空木岳(2864m)、南駒ヶ岳(2841m),それに仙崖嶺(2734m)だ(右写真)。
木曽駒(2956m)まではさすがに見えないが、これら秀峰が見えただけで満足。

それにしても苗木城からの眺めは素晴らしい。
市内で珍しく中央アルプスが見えることも含めて、中津川の第1の展望スポットだ。

島崎藤村

2014年01月26日 | 作品・作家評

中津川にいるので、「中山道歴史資料館」に行った(幾度目か)。
資料館が強調するには、ここ中津川は、幕末維新の流れを下から支えていた”民衆史”の中心点の1つだという。
世の幕末維新の関連の本は、ほとんどが歴史の表舞台の立て役者についてだが、
彼らを下から支えた民衆史に焦点を当てたものは少ない。

その中の最高傑作といえるのが、島崎藤村の『夜明け前』
(いちおうフィクションの体裁ではある)。

私にとっては、島崎藤村こそ”文豪”の名に値する作家。
一般には、藤村は、明治以降の文学者では、漱石・鷗外に次ぐ、
3番手以降の位置づけだろう。

だが、藤村は、まずはわれわれに”初恋”という概念を与えた。
「まだあげ初めし前髪の」で始まる「初恋」(若菜集)の詩(うた)に接したのは、
自分の初恋をとうに過ぎてからだが、
この詩に接して以来、私にとって初恋の感動はこれになった。

そして私が最初に藤村に接した小説『破戒』。
文学史上では、”自然主義”なんだろうが、
社会的タブーであった差別問題を
当事者の視点で描いた画期的な作品として有名。

そして大作『夜明け前』は、馬籠宿における、
幕末維新の生き生きとした民衆史でありながら、
維新の現実に失望した民衆・個人の苦悩を描いている点で
見事な文学である。
維新へと駆り立てた民衆が準拠したイデオロギーは平田国学であるが、
その社会的影響の変化についても勉強になる。

木曽の馬籠や中津川に旅する人は、ぜひ事前に読んでほしい
(文庫本4冊分なので旅行先で読むわけにはいかない)。

藤村の絶筆『東方の門』は、『夜明け前』の主人公と縁ある人が主人公で、
しかもより大きなスケールを予感させているが、
序盤で終わっているのが残念だ。

というわけで、今晩は、以前に買ったビデオ(からデジタルコピーした)映画『夜明け前』(主演:滝沢修)を鑑賞する。


慰労第2弾

2014年01月25日 | 生活
私の周囲では年末から”慰労”が続いているが、今回の慰労は後期授業終了の慰労。
しかもその第2弾。
愛車ローバー・ミニを駆(か)って岐阜県・中津川の定宿に来ている(上写真は客室の窓からの風景)。
その屋根に革製の旅行用鞄をくくり付けて(ローバー・ミニだからこそサマになる)。

毎月の温泉旅では、湯に入る以外は原稿書きか専門書の精読に費やすのだが、
すなわち、移動の仕事場としての温泉宿なのだが、
今回は”慰労”なので、締切が迫る原稿も分厚い専門書もない。
すべきことといえば、湯にたびたび入ることと、出される食事を平らげるだけ。
追われることのない時間を、少しの間だけ味わいたい。

来週からは、一年で一番忙しい時期(後期試験、大学入試、院入試)だから。



美術展でいつも困惑すること

2014年01月22日 | 雑感
上野の西洋美術館で開催している「モネ:風景をみる眼」展(3/9まで)に行った。
美術作品は、生のオリジナルを肉眼で接することに、体験としての意味があると思うから。
でもそれって具体的に何だろう。

視覚刺激として、紙の図版で観るのと異なるのは、
まずは、その物理的大きさであり、画材の材質感と立体性だ。
ただ、前者は、視野角的には、実は差がない。
後者は、絵画としては逆にノイズ的な要素ともなりうる。
もちろん、色彩そのものの差もあろうが、正直、私の弁別閾を越えているかどうか疑わしい。

ある人は、生の作品には固有の”気”を発しているというが、
それは図版中の1枚ではなく、額に入れられた”固形物”として自立している効果の気がする。

結局、絵画は、単なる視覚情報ではなく、固有の”物”という客観的な対象として体験することに意味があるのかもしれない。
だから、気に入った作品を、人は”所有”したがるのだ。
それは”物”に対する、基本的な愛情表現だから。

さて、それら絵画を所有できないわれわれ庶民は、こうして美術館に足を向けるしかない。
そこで、ある困惑を体験する。
私にとって、展示されている絵画との出会いは、制限された距離と時間に規制される。
距離はロープや他の群衆によってまず他律的に制限され、
そして作品鑑賞上の適切な距離というものがあるため、それらに従う。

問題は、時間だ。
それぞれの絵画をどの程度の時間をかけて眺めればいいのか、自分で判断がつきにくいのだ。
まずは人びとの歩む”流れ”があり、ある作品では、その流れは停滞しており、
他の作品の前では逆に止ることが許されない。
それと、全体の展示量と所要時間との兼ね合いがある。
大量の展示を、個々に時間をかけて観ると疲れてしまう。
なので、どうしても”先を急ぐ”という気持ちがベースになる。

その中で、気に入った作品に出会った時は、ずっと立ち止まって、ずっと観ていたい。
時間が止ってほしい。
でも移動の列的にも、先を急ぐ的にもそれが許されないので、
後ろ髪引かれる思いで、その場から移動する。

一方、たいして気にかからない作品の前では、歩みを止めることなく、
一瞥しただけで素通りしようとする。
でも、それでいいのだろうかという後ろめたさを覚える。
もっとじっくり鑑賞すれば、きっとこの作品の価値がわかるかもしれないのに、
今、永遠の分れをしようとしている。

かように、結局、どの作品に対しても、それぞの最適な時間をかけておらず、
半ば強制された時間に追われているようだ。
これがいつも不満となる。

それは、そもそも美術展なるものが、あるテーマによる全体的構成を体験させる仕組みであるためでもある。
鑑賞者は、個々の作品にこだわるより、そのテーマを体験すべきと。
そう考えれば、毎回感じる”時間の不満”は、美術展ならではの問題なんだろう。

もっとも、常設展においても、全体を鑑賞する”流れ”の圧力には抗しえない。
そもそも”立って”観ること自体が、時間を身体的に制限する。
するとやはり、所有して壁に飾って、ソファに身を沈めて好きなだけ眺めるのが最適なのか。

慢性(季節性)鼻炎が治った?

2014年01月20日 | 健康

私はものごころついて以来、ずっと鼻詰まり気味で、
特には冬場は、風邪引いていなくても、鼻が詰っていた。
洟垂れ小僧の年代を過ぎ、大人になってからも、冬はどちらかの鼻の穴が必ずつまっていた。

なので、大人になってからは、スプレー式の点鼻薬(鼻スプレー)が冬場はお世話になりっぱなし。
といっても、私にはよく効き、朝晩数回ほどの点鼻で済むので、持ち歩くほどではなかった。

毎冬、お世話になっているので、新しい鼻スプレーをネットで選ぼうとした数年前、衝撃の事実を知った。
市販の鼻スプレーのほとんどには、血管収縮剤が入っているため、使用し続けると肥厚性鼻炎になって、
鼻詰まりの症状が悪循環し、かえって鼻スプレーに依存してしまうと書かれてあった。

確かに、鼻スプレーをした後、鼻の通りが異常なくらいに良くなるのだが、
数時間すると、またもとのように詰ってしまう現象が不思議だった。

そして、血管収縮剤が入っていないのは「パブロン点鼻Z」と「ザジテン」の2つしかないことがわかったので、
それらを購入し、使うことにした
(この2種のうちどちらか1つでも置いてあるドラッグストアは少ない。
特にパブロンは他製品との識別が「Z」1字だから注意)。
これら(2つとも成分が同じで効き目も同じ)は、点鼻直後の”劇的開通”こそないが、じんわりと鼻のとおりが良くなる。
開通時間の持ちもこころなしか長い感じがした。
さらに、今から思えば、使用頻度自体がゆっくり減っていった。


今年の冬、昨年からの「サジデン」がなくなったので、購入した。
もちろん鼻が詰った時のみに使うのだが、買ってから毎日は使わず、
2ヶ月たってまだ数回しか使っていない。

そして今日気がついた。
今の自分の鼻、点鼻していないのに、両鼻とも通っている。
こんなこと、ものごころついて以来、なかった。

どうやら、慢性鼻炎がこの歳になってすっかり改善していた(100%ではないが)。

明確な因果関係は不明だが、
血管収縮剤の入っていない鼻スプレーが、私の鼻詰まりを慢性化するどころか、
慢性的な鼻詰まりを改善してしまったみたいだ。
これはステマではなく、私にとって事実である。


宝登山

2014年01月19日 | 山歩き

晴天の日曜。
慰労中の実家なので、図書館には行かずに、気晴らしの歩きをしたい。
埼玉県は長瀞の宝登山(ほどさん,497m)に行くことにした。
なんでも、山上で"臘梅"(ろうばい)とやらが観られるという。
また、眺望もよさそう。

長瀞の宝登山は、中一の時、母のドライブで秩父(当時は関越もなかったので、国道17号で行き、熊谷から左折)に行った時、
山が好きになったばかりなので、低いながらも長瀞の反対側にあるこの山に注目していた。
だが山を始めると、逆に低すぎて行く対象から外れたままになっていた。
そして今の歳になって、ふらりと出かけるには丁度よい所となったわけだ。

一応、山をやってきた身には、ローブウェイの架かった400m台の山なら、装備は不要。
靴だけは山用だが、普通のバッグに普通の服で、水も食糧も持たずに、10時にゆっくり出発。

東武、秩父鉄道と乗り継いで、11:30に長瀞に着く。
麓の宝登山神社に参拝し、山頂を目指す。
こんな時刻なので、すれ違う下山者ばかりで、私と同方向の登る者は数人程度。

下山者のほとんどは、ちゃんとした山の身なり
(いくらなんでも晴天の低山にロングスパッツはやりすぎだろう)。
ただ、ダウンのジャケットなんて登山には暑すぎる。
私は、ヒートテックの下着のシャツにボリエステルのカッターシャツ、
そしてウールのタウン用ジャケットという、今時分の外出着よりあえて薄着にした。
だって歩くと体が火照るから。
下界でちょっと寒いくらいの服装が山には丁度いいと確信している。
実際、登りはじめてすぐに、上半身が暑くなり、ジャケットを脱いで腰に巻いた。

山頂に達すれば、晴天のおかげで、秩父盆地の上に聳える武甲山、三峰から奥秩父の稜線、

その最高度の甲武信岳、そして怪峰両神山と一望。
黄色い臘梅も3分咲だが、近くで見ると鑑賞に堪える(写真)。
山と梅の写真を撮ったら、往路をすたすた下山する。
そう、この程度の山なら昼飯も不要。
往復4kmの山道なので、少しは運動になったかな(薄着のため、汗はほとんどかかなかったが)。


地鎮祭

2014年01月18日 | 身内

今朝はわが新居を建てる土地の地鎮祭。
わが家では地鎮祭は20数年以来の2度目だが、1度目は私は不在だったので、
見るのもやるのも今回始めて。

まずは、建築会社の人(以下、(建))が事前に、4隅に青竹を立て、しめ縄を張って祭場を作っておく。
当日、(建)がわが鎮守となる天祖神社の神職を迎えに行き、道具一式とともにやってくる。

(建)がしめ縄に四手を各面4本ずつ飾り、祭場の前に用意した土で盛土を設ける。
神職が、道具をセッティングし、東向きに祭壇を作る。
神職から指定された供え物を、施主が渡す。
神酒は、「4合瓶」としか指定されなかったので、個人的好みで岩手の銘酒「あさ開」の純米酒にした。
酒瓶に水引や包みは必要なく、神職が瓶の封を切って、自前の祭壇用の二つの酒器に入れる。
あと季節の野菜と果物数種、昆布、鰹節、スルメイカ、それに塩、米、水(これは指定漏れだった)。

いよいよ神事が始まる。
神職の最敬礼は、みごとに直角でキマっている。
180°方向転換時の足さばきは、回転動作が入る点で武家礼法とは異なっている。

修祓、降神、四方拝(敷地の四隅に紙吹雪を撒き、清める)と進み、
(建)の設計担当者が、刈初(盛土てっぺんの笹を木製の鎌で刈り取る)、
施主である私と弟が、鍬入(盛土に木製の鍬を左・右・左の順に三度入れる)、
(建)の営業担当者が、穿初(盛土に木製の鋤を三度入れる)、
それぞれ、「エイ、エイ、エイ」と声を出す。

神職、そして、施主家族全員、建築会社の順で玉串奉奠する(その際、神前に2礼2拍手1礼)。
神職が直々に酒器より神酒を各人に注ぎ(紙コップを用意)、
一斉に献杯をする。
盛土に塩と米を撒き、神酒も撒いて空にする。
塩と米が入った皿を合わせて閉じ、これを工事の時に盛土とともに土中に埋めるという。

以上で終わり。
祭壇を撤収し、青竹は土地に置いたままにする。
なお、青竹の先にカマキリの卵があったので、甥がそれをもらう
(甥の母=私の義妹は、小学生時にカマキリの卵を自分の机の引き出しに入れておき、大量のカマキリの子供を孵させた前歴有り)。
供え物は神社に供え、(建)の人はこの後も仕事が有るので、直会はせず、解散。

幸い好天だったが、寒かったので神職以外は外套を着たままだった。


後期授業終了

2014年01月17日 | お仕事
今日で自分の後期授業が終了。
これから3月31日まで、”年度末”がゆっくり進行する。
幸い、明日からのセンター試験の監督は割当てられてないので、年度末の慰労第1弾として帰京。
再来週からの後期試験まで、しばし休息。

後期試験の週から、試験実施、数百人分の採点、同数の成績つけ、入試業務、大学の書類、大学院入試問題作成と試験実施、修論審査と信じられないくらいの忙殺週間が続く。
それに備えて英気を養わねば。

成人の日

2014年01月13日 | 歳時
今年の成人の日は、やけに平穏だなぁ。
いつもなら、成人式の会場でバカやって捕まる”新成人”(少年Aではなく氏名が公表)が、
全国で現れるのに(もちろん、0件ではないことはわかっている)。

バカをやめてオトナになるのが本来の”新成人”なのだから、まぁ当然のことなのだが。
20歳の人間の精神年齢の低さは、今に始まったことではなく、
自分が20歳の時も”学生”だったこともあり、一人前のオトナだとは本人も思わなかった。

今では実質的な成人は30歳からだという考えが広まっている。
モラトリアム期間が拡大化傾向にあり、大卒だけでは一人前になれない。

その一方で身体的な成熟は早まっている。
また、情報技術を使えば、学齢に関係なく、自分で社会活動することも可能だ。

身体成熟と人格成熟と自活能力の成熟がバラバラになり、オトナになることの定義が難しくなっている。

この中で、人格成熟と自活能力は、甘えていればいつまでたっても成熟しない。
ならば身体成熟を基準に、他の部分はそれに見合った成熟を心がけるようにすればいいのかな。

成人式とは、若者に試練を与えるのが本来の儀式の意味。
人格と自活能力に試練を与えるような関門を社会的に設けるのがよかろう。
とオトナ側にいる者は勝手に思う。

かくいう自分の成人式の晩は、中学時代の友だちたちと徹夜で酒盛りしながらマージャンで明し、
翌日はひどい二日酔いに苦しめられた。
あれも試練だったのかな。

二日で2kg減らす

2014年01月09日 | 健康
私の正月太りは計2kg。
この程度なら、変動の範囲内なので、簡単に元に戻せる。
今週の水曜と木曜、それぞれ昼食を抜いて、一日につき1kづつ減らし、二日で2kgの減量に達した。
簡単に元に戻ったわけだ。

人間の体重にも、現状を維持しようとする傾向がある。
なので、一回の暴食(たとえばバイキング)なら、排便の増加で、体重の増加が抑えられる。
数日の多食が続く場合は、体重の増加は避けられないが、
きっかけさえあれば簡単に元の体重に戻れる。

たった一食抜くだけで(他はしっかり摂る)、1日に1kg減るなんて普通は起こらない。
急に増えた体重を減らすメカニズムが作動しているがゆえの”特別措置”なのだ。

問題は、この特別措置期間を逸して、体重増加の生活を続けてしまうと、
今度は、増えた体重が基準値となり替り、そこからの変化に抵抗が生れてしまう。
なので、太る時の体重は階段状に増加する。

毎日の体重チェックが体重管理に必須となるわけだ。

私の体重は2kg減らした今の72kgが”基準”なので、
これ以上昼食を抜いてもほとんど減量しないことはわかっている。
逆に、維持メカニズムを越えてまで無理に減らそうとすると、
体に故障が発生するのも経験済み(私の場合は、尿管結石!)。
なので、減量に精出す期間も終わり。



平常に戻る

2014年01月07日 | お仕事
私は今日が初出勤で、名古屋に帰り、午後の会議をこなした。
職場に戻れば、一瞬で正月気分が抜ける。
年末・年始という一年で最も丁寧に時を感じる期間が終わってしまった。
これからは、ルーティンワークとして時間を消費する日々に戻る。

心の奥底で、これでいいんだろうかという疑問を抱きながらも、
このルーティンワークこそが生活の糧を得るための、必須の時間なのだと自分に言い聞かせる。
時たま、ルーティンから外れて、自分の時間を味わうからいいのだろう。
定年退職して毎日が休日状態の方がつらそうだ。

棲み家に帰り、久々に体重計に乗ったら、案の定、2kg増えていた。
体脂肪も消費しないと。

日曜に仕事始め

2014年01月05日 | お仕事
新年最初の日曜であるが、私にとっては「仕事始め」。

昨日から開いた都立中央図書館に行って、
来年度のシラバス原稿(来週締切り)を仕上げた。
この大学の授業情報の原稿を、図書館でネットで大学のサーバに繋げて
持参したノートパソコンで書き上げる。
学生の成績などの重要情報はすべて大学のサーバにあるので、
いちいち個人のパソコンにダウンロードしなくていいから安全。
提出も楽だし。

久々の”仕事”だが、集中できて、図書館の開館時間内に終えることができた。
予定では、日曜の今日は外で遊んで、明日の月曜が初仕事だったのだが、
仕事を先に済ませた方が、精神的に楽なので、今日を仕事始めにした。
おかげで明日以降が楽になった。
仕事は早く仕上げるに限る。
本来の意味とは異なるが、「先憂後楽」で行きたい。

小野神社で瀬織津姫を拝む

2014年01月04日 | 東京周辺

1月4日は、三が日のお籠りを脱して、外に出る日。
出先としては、近所以外の初詣がふさわしい。
どうせ神社に行くなら、「一の宮」格にしたい。
関東でいえば、武蔵一の宮=大宮氷川神社、相模一の宮=寒川神社、
下総一の宮=香取神宮、常陸一の宮=鹿島神宮、下野一の宮=二荒山神社にはすでに行った。
残り、上総、安房、上野の一の宮はちょっと遠い。
なので変則的だが、もうひとつの「武蔵一の宮」と称する小野神社(府中市)に行く事にした。


京王線の聖蹟桜ヶ丘駅から5分ほどのそこは、一の宮というにはあまりに素朴なたたずまいで、
せいぜい村の鎮守という雰囲気(上写真)。
参拝者も数人程度で、たぶん日常と変わらない数。

参拝をして、初詣客用に設けられた授与所でお札を物色していたら、
1つだけカラフルな千代紙に包まれた「瀬織津比(せおりつひめ)大神」の神璽があった。
バイトらしきかわいい巫女さんに、この神様の事を尋ねたが、まったく知らない様子。
多摩川沿いのこの神社にどう関係しているのか、神社の由来書をもらおうとしたが、
どこにあるか分らない様子。
私が「そこにあるでしょ」と指さしてありかを教える(ホントにバイトなんだな)。

ただしそれを見ても記されていない(多摩川の氾濫を鎮めるための神社ではあるらしい)。
でもあえて色つきの神璽にしてあるのだから、それなりにアピールしたいはず。
主宰神以外の珍しい神様(記紀に記載なし)の神璽なので、購入した
(後で、ネットで調べたら、アングラ的に人気がある神様らしい)
※:要するに私自身、神道に無知だった訳で、神道でメジャーな「大祓詞」(中臣祓詞)に載っている。
それによれば、”祓戸の大神”グループの一員で、山と海の間の川の瀬を持ち場に罪穢れを祓う。


せっかくなので、iPadminiのアプリで地磁気を測定してみると、バックグラウンドはおよ40μT台なのだが、
拝殿の向って右のたもとの地点で29.6μT、そして拝殿の向って左側面の地点でなんと130.6μTもあった
(複数回計測。前者の値は他のポイントでもありうるが、後者の値は珍しい)。
拝殿内部の左側には、大きな木の彫り物が置いてあるがそのせいではあるまい。
またその地点の横にいろいろ積んであるワゴン車が置いたあったが、
通常の電気製品は周波数が異なるため地磁気の計測には影響しない。


小野神社はこれでおしまい。
せっかく府中に来たので、実質的に別格・武蔵一の宮たる「大国魂神社」に詣でる。
こちらは、打って変わって大盛況で、参道は出店で溢れ、
参拝するにもずいぶんと並んだ。