今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

映画『ぼっちゃん』

2013年03月31日 | 作品・作家評

秋葉原連続殺傷事件の加藤智大に関心があるので、
彼の事件にインスパイアされた自主上映映画『ぼっちゃん』(監督大森立嗣)を
渋谷のユーロスペースに観に行った。

今や完璧に秋葉系となった私にとっては、その対極である渋谷は実に久しぶりで、
バブルの頃はこれでもむしろ渋谷にこそたむろしていたのだが、
その頃一度行ったきりのユーロスペースの場所がわからず、
天下に鳴り響く”渋谷”といえど、一歩路地に入れば相変らずのラブホ街の中を
中年男一人でうろうろしてしまった。

コンビニで道を尋ねて、なんとか上映直前にたどり着いた。
入口には、秋葉系のオタクぽい青年がこの映画のチラシを配っていた。
この映画の賛同者なのか。

この映画は、チラシを見た段階では、
加藤智大の事件に至る過程をドキュメンタリー的に描いたものと期待したが、
よく読むとそうではないことがわかり、一旦は観るのやめようと思ったが、
結果的に、観てよかった。

加藤智大を彷彿させるブサイクで彼女も友達も定職もない主人公が、
秋葉を離れて、地方(佐久)の工場で働きはじめる。
はじめはまともに会話もせず、ひたすらケータイに文字を打込むばかりだった。
だが、周囲(独身寮の両隣)との関係に巻込まれ(?)ていくうち、
大声で叫び、人を追いかけて思いきり走るようになる。
そして最後に秋葉に達して、彼がやった事は…。

この映画は「どうしたら彼(加藤智大)は凶行に及ばずに済ませたか」を描いたものとわかった。
ノンフィクションなら、「なぜ彼は凶行に及んだのか」以上に進めなかったはず。
その意味で、この映画は私の期待を越えたものだった。
観てよかったのはそういう意味。
本編についてもっと語りたいが、観てない人がほとんどだろうから、ネタばれになるので我慢する。

また、音楽が良かった。
実はこの音楽の良さに気付いたのは、音楽が主役となるエンドロールになってからで、
言ってはなんだが、単館上映のインディーズ的な映画にふさわしくないハイレベルの演奏。
本編中は、映像や自分の心と完全にシンクロしていたためか、音楽は意識の対象とならなかった。
この音楽担当はフリージャズの大友良英(※4月から放映される「あまちゃん」の音楽を担当)。

館内が明るくなったので帰ろうとしたら、監督・主役などが舞台に出て来てのトークショーが始まった。
これは思い掛けなく嬉しかった。
監督の意図や、俳優の演技について互いの思いを本人の口から聴けるのは貴重な体験。
パンフレットを買って(パンフを買う気になる映画は私にとって非常に珍しい)、
それにサインをしてもらったのも、嬉しい。
トークショーとサイン会というのは、確かにいいファンサービスだ。

後から気がづいたことだが、
映画館の前でチラシを配って呼び込みをしていた若者は、主役の水澤紳吾だったようだ。
ほんと、彼の役は違和感ない。


わすれたい映画

2013年03月29日 | 東日本大震災関連

先日、東京の写真美術館で『わすれない ふくしま』という、
福島第一原発事故に関するドキュメンタリー映画を観た。
自分も2011年5月に行った美しい飯舘村が舞台というので、映像に期待していた。
確かに放射能汚染の被害を受けた飯館村民のドキュメンタリーなのだが、
まぁ良くて、民放の通俗番組レベル。
決して、「NHK特集」には達せず、
まして1800円の金を払ってわざわざ観に行くには値しない。
その金を飯舘村に寄付すればよかった。
映画好きの私にこうまで言わせるのは珍しい。

避難先の小学生に「誰が悪いと思う?」という質問や
自殺した男性の幼い子どもに「お父さんいなくてどう思う?」
とかいうバカなテレビリポーターばりのインタビューにまずあきれた。
幸か不幸か、当の子は期待された回答をしなかった。
後者においては、幾度もしつこく聞いたので、
幼いながらも子どもの方が察して「さびしい」という期待された回答をやっと発した
(このあたりは観ていて苦笑する)。
ここだけでも、子どもの心の現実を描こうとはしていないことがわかる。
要するに制作者がハナから「原発なくせ No Nuke」と叫びたいだけの映画。
「こりごり」という”気分”に支配されているだけ。

事故直後ならそれも許容されようが、
丸2年もたった現在では
陳腐な切り口ゆえ情報量ゼロ。
観る者に新たに考えさせる要素がない。

「放射能で体こわした人がいる」事を避難先の子ども(医者ではなく!)に言わせるなど
放射能の素朴な恐怖を扇情的に描くことが、
被災地へのいわれなき風評被害や差別を助長することには無頓着。
その一方で、子どもが山林の落ち葉や土を素手やほとんど素足で触れるシーンは、
α線・β線被曝の懸念があるのに
(防護服を着る理由はこの被曝を避けるためなんだけど)、
平気でカメラを回している。

震災被災者のリアリティを知りたいなら、
津波被害の方だが『石巻市立港小学校避難所』や『遺体』を勧める。
原発被災者なら、フィクションだが『希望の国』が真に迫る。
原発問題を考えさせるなら、『100000年後の安全』を観るべき
(これこそ大人が作るドキュメンタリー)。

福島第一原発は、なぜ同じ被災地域に建つ
福島第二原発や女川原発で免れた事故を起こしたのか、
これを冷静に検証せずに、”こりごり”という気分だけで「原発なくせ」というのは、
国家100年の計で政策を選択したい”大人”の国民にはなんら説得力がない。


老化の速度

2013年03月28日 | 健康
昨年は変形性膝関節症にかかった。
これは老人がなる疾患で、80歳を越える母が長年患っていた。
いわば老化が母に追いついてしまった。

そして今年、右目が白内障になっていることがわかった。
じっさい、右目は視野が滲んでかなり見にくい。

母は若干の白内障気味であるが、支障はないという。
ということは、とうとう老化が母を追い越してしまった

手術を予約すべく、専門の病院に行ったら、
白内障手術を待つ人たちは皆それ相当の老齢。
姿勢もよくシワもなく黒々とした頭髪の私は場違いな雰囲気。
その私が膝関節症で白内障なのだ。
私に襲うすさまじい速度の老化はなんなんだ。

母は膝関節症を克服するため、足首に1kgの重りを巻いて生活している。
このトレーニングの甲斐あって、一時は手術が必要とまで言われたが、
いまでは普通に歩け、通院も不要になった。
巻いていた方が足が快適だという。
それなら私もと、母と同じ1kgの重りを足首に巻いて一日すごしたら、
かえって膝が痛くなってしまった。

こりゃなんとかして老化にブレーキかけなくては。

危ない薬局

2013年03月26日 | 健康
定期的に通っている診療所で高血圧の処方をもらって、
これまた同じ近所の薬局にそれを渡し、薬をもらう。
これを繰りかえしてきた。

今回、その薬局で、「いつものやつですね」と言われながら、薬の入った袋を受取った。
袋には、降圧剤の名称と、薬の写真入りの説明書が毎回同封される。
それを見て、いつも通りだったので受取った。

数日後の今朝、そろそろ新しい薬を飲もうとして、袋を開けたら、
いつもとは違う薬が入っている。
薬の名称まで違っている。
つまり、袋の表と説明書にある薬とは違うモノだ。

薬局が薬の本体だけを間違えたのだ。
考えてみれば、これは恐ろしい。
店を信用して、処方されていない薬を常用してしまう。

私に薬を渡した薬剤師が、
客の前できちんと薬を確認して渡す職業的義務感のある人ではなく、
「いつものやつですね」と言ったきり袋ごと渡す横着なおばさんだった。
明らかに人に起因するミス。
しかも、薬局が絶対にやってはならないミス。

今夕、その薬局に薬を交換しに行った。
時の担当者はおらず、別の薬剤師が恐縮していた。
私にとっては後の祭り、次回から別の薬局にする。

『解』加藤智大(批評社)

2013年03月24日 | 作品・作家評

『解』は秋葉原連続殺人事件を起こした加藤智大が、事件について書いた本で、
いわば本人直々による事件についての「解」という訳だ。

私が彼(以後、加藤智大を指す)に関心をもっているのは、
彼がもともと凶悪殺人を起こすタイプではないからだ。
すなわち、反社会的カルトに支配されていたりとか、殺す事や遺体に異常に興味を示すタイプではなく、
仕事に苦労しながらも普通にネットを楽しんでいた青年だから。
彼自身、自分を人殺しをするタイプではなく、大量殺人を犯す人を理解できないと言っている。
社会に恨みをもっているわけでもなく、むしゃくしゃして誰でもいいから殺したい衝動に襲われていたわけでもないという。

では、なぜ大量殺人事件を起こしたのか。

このへんの経緯は、本書で詳しく述べられているので、ここで下手にまとめることは控えるが、
一言でいえば、ネットでの「成りすまし」に対する警告の実行であった。
心理学用語を使うと、彼の不満の表現法である「受動攻撃性」が相手に伝わらないことによる、
攻撃の可視化であった。
彼の攻撃対象は、当時の彼にとって唯一の他者である「成りすまし」である。
実際の被害者はその攻撃を可視化するための「物」でしかなかった。

原因論的には、彼の記述からも”悪い母親”像が浮かんでくるので、
まずは伝統的な精神分析的解釈が可能だが、
本人は今流行りの認知行動療法的解釈に立っている(たぶん精神科医からの助言によるのだろう)。
すなわち、母親との関係で不適切な思考・行動パターンを学習してしまい、
そしてのそのパターンが、スムースな対人コミュニケーションを阻害することで、
リアルな対人関係だけでなく、文字だけに頼るネットでの対人関係においても孤立することになってしまった。
そして最終的に「成りすまし」によって、彼に唯一残されたネット上の”自己”が乗取られた。
これが事件直前までの流れである。

本書を読むまで、私は正しい情報に接していなかったことに気づいた。
まず、マスコミで「供述した」という引用元は、本人の口述記録ではなく、
取り調べ官が作成した「供述調書」であって、本人の口述とはまったく関係ないということ。
これは、彼だけでなく、すでにさんざん被疑者たちによって指摘されているので、
いまやわれわれは、マスコミで流される”供述”を鵜呑みにしてはならないことを改めて痛感した。
ただ、これが大抵第一報となるので、強い関心をもって能動的に他の情報にあたらない限り、
われわれはいつのまにかこの”供述”だけで事件を解釈してしまう。

タレ流される”供述”を盲信せず、われわれに代って真偽を探ってくれるのが本来のジャーナリズムである。
それはテレビや新聞などのマスコミではなく、フリーのジャーナリストの個人的努力に期待するしかない
(私はマスコミとジャーナリズムを分けている)。
その一つ(本件に関しては唯一例?)が、
中島岳志の『秋葉原事件』(朝日新聞出版)である(著者は大学准教授)。
この本はネットでのログを詳細に記載し、そこから事件に至る過程を分析していく。
これは第3者的立場からのアプローチとして、至極当然の方法であるが、また限界でもあった。

彼(加藤)自身、ネット上の自己のログを字義通りに解釈することの誤りを指摘している。
それはあくまで「ブサイク」キャラの演技であって、自分の内面を吐露したものではない。
彼は、リアルでもネットでもウケねらいの演技しているのだ。
孤立を恐れているから。

彼はなぜこの本を書いたか。
以上(マスコミで作られた人物像、ネットで演じたキャラ)の誤解を解きたかったからだ。
そして、今後このような事件が起きないための資料を提出したかったから。
彼によれば、そこまで考えるのが、本当の「反省」だという。
つまり、反省の姿勢を示すのがこの本ということ。

地裁で死刑判決を受けた彼は、判決を受入れず、減刑を求めて控訴した。
その理由は、心神喪失ではなく、「殺意はなかった」という点。
本書の真の出版意図は、殺意はなかったということの主張ともいえる。
事件中の彼の意識状態の短い記述(p100-108)がその部分にあたる。

確かに自覚的意識においては、個々の被害者に対して、個別の殺意をもっていなかったろう。
だが、彼がやろうとしていた事は、秋葉で”人を殺す”という行為を意図していた事は疑いえない。
突入直前、彼は自分のやることが「死刑」にあたることを自覚していた(p102)。
日本国民にとって「死刑」とは「殺人」の刑以外にない。

彼は、個々の人を殺すことは意識していなかった。
なぜなら、単に”事件”を起こすのが目的であるから。
それは、地下的サリン事件の犯人が、サリンを撒くことを目的としており、
居合わせている個々の乗客への殺意を抱いていないのと同じだ。

本書で彼が実行している「反省」、すなわち自己のメンタリティを解説し客観視することで、
事件の再発を防ぐ一助にするという、一見殊勝な態度が、
控訴中の被告の態度としては共感できない部分でもある。

彼のやっている反省は知的作業にすぎないからだ。
自己の行為を自己批判してはいるが、それはまずい事やってしまったという”失敗”への反省であって、
何の罪もなく生命を奪われた被害者に対する懺悔ではない。
彼にとって被害者はいまだ「人」になっていないのではないか。

自分自身における再発の懸念の無さを、
認知行動療法的な、認知の切り替え策の再学習によって、簡単になしとげられたと主張している。
この「反省」は加害者当人が今・やるべき事ではない。
心からの懺悔をして情状酌量を求めるのではなく、
事実関係としての殺意の無さを主張しているのも、
彼の被害者に対する態度を示している。
本書は、彼にとっての弁明であり、確かに本人でしか知りえない内面についての理解は深まった。


台東の桜

2013年03月22日 | 東京周辺
桜が早くも満開になったので、谷中から上野公園まで歩き、さらに浅草に行って、墨堤の桜と公開中の庭園を見てきた。
いわば台東区の桜の名所を総なめ。
やはり見ごたえがあるのは上野公園の桜で、密度と枝の低さのせいで、視界が桜色に満ちる。
浅草界隈だと、墨田区のスカイツリーの存在感が強く、どうしても風景の主役になる。
いわば、これまで主役だったものが、今ではすべてスカイツリーの前景になってしまう。
富士山みたいなものだ。


福島第一原発の停電騒ぎ

2013年03月21日 | 東日本大震災関連
福島第一原発の停電事故が、仮設配電盤に侵入した1匹のネズミのせいであることがほぼわかった。
ネズミ一匹で恐ろしい”電源喪失”に陥ったわけだ。
震災によるメルトダウンの原因が電源喪失であることを思うと、
仮設とはいえ事故後2年もたって、いまだ電源系統にフェイルセーフ機能を設けていない、
危機に対する鈍感さが改めて露呈された。
あきれるというより、背筋が凍る。

私自身は、原理的反原発派ではなく、むしろ技術的に維持・発展を望む側である(ただし依存はしない)。
その私でも、東京電力だけは、原発を運営する資格を喪失していると思っている。

それは事故を起こしたから、というより、その後の対応の不誠実さ、
とりわけ事故調査委委員会に対する非協力的態度にみられるように、
事故に対する責任回避を模索して、真摯な反省が見られないことから、
今後も同じ失敗を繰りかえす可能性があると思っているからだが、
今回、その思いが強まったのはいうまでもない。

福島第一原発(の後始末)は、国が管理してほしい。
現場作業者の雇用対策なんか特に。
そもそも原発推進は、1電力会社の方針ではなく、国策だったのだから。
責任は運用担当者ではなく、それを指示した側がとってほしい。

「石巻市立港小学校避難所」

2013年03月20日 | 作品・作家評

わがブログのカテゴリー「原発事故関連」を「東日本大震災関連」に変更・拡大した。
さて、表題の本(藤川佳三著 竹書房)を読んで、その元となった映画を見たいと思ったら、
丁度本日、中野区で自主上映されるこということを知り、観に行った。
残念ながら、墓参りの予定があったので、映画の終り近い部分とその後のトークショーが観れなかった。

まず、ドキュメンタリー映画にしては、画質と音質がいいのに驚いた。
撮ったのがプロの映画監督であるだけに、機材には妥協がなかったのだろう。

今回の大震災は、2万人近い死者がまず思い浮かべるが、
その20倍以上の生きた避難者の状況も忘れてならない。
家を失った人の避難所生活は、過去を失い、将来も見えない状況にあるため、
”今を生きる”状態にならざるをえない。
そのため、一種のユートピア的な疑似家族的関係が生れるが、
それは避難所という一時的居場所での”現在的”関係にすぎない。

むしろ、救援物資として送られてくる衣服に文句をいい、
応援のイベントに駆けつけるボランティアの押しつけがましさにしらける、避難所生活者の姿に
避難者”らしい”定型的反応ばかりを求めるテレビでは知る事のできない本音を教えてくれる。
この本音こそが、彼ら避難所生活者が、その他のわれわれとまったく同じ人間であることの証しだ。
この本音をズバズバ言う力強さ、生命力を発揮するのは10歳から69歳までの女性たちだった。

震災から半年後、この避難所は閉鎖され、家のない避難者は仮設住宅に移り住んでいる。
そしてその後は、どうなるのか。

南海トラフの巨大地震が来れば、今回の10倍を越える避難者が発生する。
避難所生活は他人事ではない。


平日の高尾山

2013年03月18日 | 山歩き

そろそろ登山を再開したいのだが、
昨年右膝が変形性膝関節症になってしまい、自重を余儀なくされた。
今年こそはと思って、片足1kgの重りをつけて街を歩いてみたら、悪い方の膝が痛くなってしまった。
その膝をかばいつつも、なんとか運動をしたいので
山歩きと膝痛のおそれの妥協点として選ばれたのが、
いまやミシュランにも載っている大人気の高尾山(599m)。

さらに正直に言うと、この歳になっても早起きが苦手なので、
ゆっくり出発できるという条件にもかなう。
高尾山だと、麓から山頂まで茶店があるので、昼食を持っていかなくてもいい。

”山”に行くのに食糧をもっていかない、というのは”登山者”としては許されない暴挙だが、
今回は山というより、斜面の歩行トレーニング先という位置づけにして、
山頂で「とろろそば」を食べることにする。

自然な目覚めで8時前に起きて、なんだかんだで高尾山口に10時過ぎに着いた。
わが右膝はサポーターで保護されている。

平日の月曜なので、登山客は少ない。
舗装してある1号路を登る。
WBCの準決勝を携帯ラジオでイヤホンを通して聴きながら。
稜線に出て平坦になった所にある薬王院の周囲は紅梅が満開。

正午前に山頂に着く。
雲行きはあやしく、風が強い。
富士はおろか丹沢の主稜も見えない。
大山の前衛峰、今回の候補だった仏果山あたりまでしか見えない。
カメラを持ってきたが、天気と季節のせいで、被写体に乏しい。
参道沿いにあった杉の根っこくらい(上写真)。

山頂の茶店に入り、「とろろそば」を注文。
私以外の客は、なぜか若い山ガールだらけ。
年齢的に大学生あたり
(高校生は授業中で、社会人は仕事中)。
おしゃれな山ガールが増えたのはいいことだ。

帰りは往路の1号路を戻る。
午後になっても、登ってくる人がいる。
京王線が登り口まで運んでくれるので、
都心を昼に出ても登って来れれ、しかも食糧も不要。
ほんと高尾山は気楽に来れていい。
"ハイキング"以下の”行楽”レベル。
なにも準備せずに行ける
(ただし高尾山に続く”奥高尾”はハイキングレベル)。

登山口に降り立つ手前で、日本チームが負けた。
すなわち、高尾山中はずっとイヤホン状態。
結果は残念だが、日本が3連覇してしまうとWBC自体によくない。
右膝はなんともないようだ。
駅に着いて、売店で缶ビールとつまみを買って、
出発待ちの車内で慰労。

山頂でビールを飲む人たちもいて、その気持ちはよくわかるが、
私は酒は下山後と決めている。
山は登りより下りの方が危険だから。


卒業式

2013年03月15日 | お仕事
今日は、大学の卒業式。
大学全体で卒業生が1500人はいるので、毎年「国際会議場」を使用。
私は式には仕事がないので、最後に学科の学生たちに一言挨拶だけしようと、
遅めに行ったら、今年はもう教員挨拶の時間が終わっていた。
このために昨晩東京から戻って、今朝散髪したのに…。

でも着飾った卒業生と、この日ばかりはペアで写真に収まった。
これが唯一の行為。

卒業式って、教師と学生との別れの場である。
もうこの学生たちの顔を見れなくなる。
なのになぜ「おめでとう」なのか。
4年間、われわれが与え続けた試練を無事に乗り越えたからだ。
われわれの役割は終わり、
次のステージへ去っていくべきなのだ。
われわれは後ろ姿を見送るのが仕事だ。
だから、卒業おめでとう!

でも、たまに遊びにきてくれるとうれしい。

清瀬市のPM2.5濃度が異常に高い件

2013年03月13日 | 計測
東京都のPM2.5の値をチェックしている。
(情報源:大気汚染地図情報(東京都)
今日の正午で清瀬市上清戸で176μg/m3。
なぜか清瀬市付近が異常に高い
(それに次ぐの中央区晴海の87)。
ちなみに環境基準は、一日当りの平均で35μg/m3。
もちろん上の観測値は1時間ごとの速報値なので一日に均すともっと下る。

なぜ清瀬付近が高いのか。
強い南風による影響(運搬)がまず考えられるが、
NOxなど他の物質ではこのような傾向がない。
つまり清瀬の他の汚染物質の値はほかより低い。
地形や高層ビルの影響もないはず。
もちろん清瀬が発生源でもない。
要するに粒子としての挙動の違いなのだろうが、
いまのところ私には説明不能。

数日前にもこの状態があった。
これからもチェックしていく。

『封印された震災死 その真相』:グリーフ・ケア批判など

2013年03月12日 | 作品・作家評

昨日購入した『封印された震災死 その真相』(吉田典史著、世界文化社)を紹介する。
雑誌連載の記事を書き直して先月下旬に出版されたばかりの本。
マスコミでは取り上げられない、津波被害者の未解決の死の事例が紹介されている。
マスコミでは取り上げられないということ自体が社会的封印を意味している。
気になっていた石巻市の日和幼稚園と南三陸町の防災無線の女性職員の件が載っているので買った。
たとえば前者は遺族が訴訟を起こしているのだが、その訴訟自体に世間からの風当たりがあるという。
後者は、彼女の死が道徳教材になっている問題を扱っているが、
私としては南三陸町役場の避難体制と関係づけてほしかった(著者には可能なはず)。
その他に、七十七銀行、常磐山元自動車学校の訴訟の件も載っている。
また、消防団員の消防団員ならではの被害や遺体検案の医師、歯形を記録する歯科医、遺体処理のエンバーマーの実情なども載っており、
昨日見た映画『遺体』の場面が浮かんできた。
まずは、本書の価値は、津波被害者にかかわるさまざまな人たちを取材したという”広さ”にある。
その広さが、未解決の問題の広さを意味するからだ。

これらの中で私がハタと膝を打ったのは、被災地での「グリーフ・ケア」に対する批判だ。
それは「つむぎの会」・田中幸子代表によるもので、
代表自身、息子を自殺で失った人で、その苦しみの経験を活かして、
津波被害者の遺族の心のケアをボランティアで行なっている。
その立場から、外からやって来るグリーフ・ケアの人たちに対して批判をしている。
グリーフ・ケアとは、家族に先立たれた遺族に対して、悲歎(グリーフ)状態から立ち直らせる心理学的処方である。
立ち直らせるとは、悲しみから離れることであり、
批判によれば、遺族が悲しみに囚われている状態を”病的”とみなす態度があるという。

これはもともとはフロイトの『悲哀とメランコリー』における対象喪失理論に由来している。
フロイトは、対象喪失と抑うつ状態(メランコリー)※との関係を問題にしており、
急性悲哀反応(悲歎)が、悲しみを乗り越え、慢性化(メランコリー)を防ぐと言っている。
そのため悲哀はなすべき”喪の仕事”であるとしている。
※メランコリーは症状的には「うつ」であるが、必ずしもうつ病(Depression)を意味しない。ただし現在では、急性期をすぎてもメランコリーが持続していると、「気分障害」(≒うつ病)と診断される傾向にある。

心理学の一員としての私は、感情一般への関心から、悲しみについてもそれなりに考えてきた(いちおう論文あり)。
結局私が一番共感した、いや、むしろ救われた思いをしたのは、心理学理論ではなく、礼法の探求のために読んだ儒教の古典礼書『儀礼(ぎらい)』にある「喪」の礼だった。
そこに記されているのは、儒教なので、親に死なれた子の亡き親への”孝”としての喪なのだが(子が親に先立つ事は最大の不孝)、
子は亡き親を思い出して、「哭」すべしという。
すなわち、泣けという。
ここまでならフロイトの悲哀の仕事と同じ。

『儀礼』はさらに、3年間の喪の期間内はもちろん、
喪が明けた後々でも、「哭するに昼夜、時無し」(儀礼:士喪礼)とあって、
亡き親を思い出したらいつでも「哭」せという。
つまり、儀式としての喪が終わっても、”心の喪”は続く限り続けていいのだという。

『儀礼』によれば、ずっと悲しみに泣いていいのだ。
愛する人が死ぬとは、忘れてはならない重大事だから。
二千年以上そうやってきて不都合はないようだ。

ところが、生半可にグリーフ・ケアを知っていた臨床心理の大学院生(既婚)は、
死別した義理の親を思い出すたびに未だに悲しみから脱せない自分を「だめだ」と自己批判していた。
悲歎を克服すべき過程と硬直的にとらえて、それに縛られている。
儒教からすれば、その自己批判こそ不孝であるのに。

田中代表は「遺族を癒したいと思う人が、卑しい心を持っている」とまで言っている。
この物言いは一種禁忌に近いが、
「善意でやっているんだから文句を言うな」という”封印の論理”こそ、
本書がもっとも批判したい所である。
動機は善意であっても、自己満足的に相手の感情を操作しようとする態度が、
死んだ家族とともに在りたい遺族を苦しめていることをわかってほしい。
昨日で震災から二年、まだ”服喪中”でもおかしくない。

本書で描かれているのは、震災での死者の死をきちんと見つめていこうとする人たちの姿であり、その苦悩である。
そしてそれを妨げようとする、さまざまな障壁。
津波被害者は、なぜ、どのようにして死んだのか、それは不可避だったのか。
それを追求する事は、遺族にとってだけでなく、そして死んだ当人にとってだけでなく、
次の防災を考える上でも必須である。
震災死の真相を追及する本書は、震災を総括し、次の防災体制を策定する上で必須の仕事をしている。
マスコミは嫌いだが、自らの足とペンで真実に迫るジャーナリストは頼りにしている。
取材の広さが、見落としていたさまざまな視点を提供してくれた。

ちなみに対象喪失の基本理論については、小此木啓吾の『対象喪失』(中公新書)がお勧め。


3年目の3.11

2013年03月11日 | 東日本大震災関連
日常生活の中で過去を忘れ去っていくのは、
記憶の法則であり、避ける事ができない。
当事者でないなら、なおさらだ。
だが、解決していない問題ならば、まだ忘れるには早い。
東日本大震災がそうだ。
当事者でない者として、せめて年に1日(祥月命日)だけでも思い出したい。

被災者ではないが、わが人生で一番のショックな災害である東日本大震災(自身が震度5強を体験し)から3年目に入る今日、
仕事がないので、自分なりに追悼の一日とした。

まずは有楽町のスバル座で映画『遺体
(原作:石井光太、監督:君塚良一、主演:西田敏行)を観た。
岩手県釜石市の遺体安置所が舞台。
当時、東京にいた私にとっては、原発事故の方が自分に振りかかる問題となってしまい、
津波の惨事に思いを馳せる余裕がなかった。
震災の本来的な被害者である津波犠牲者とその家族、
そして安置所のスタッフが目の前の”死”と向き合う姿に多少でも触れる事ができた。
映画の中で、安置所では個々の遺体のことを「ご遺体」と呼ぶということを知った
(下に紹介する本でもインタビュー記事でその表現が堅持されていた)。

その足で書店に行き、震災のコーナーに向かい、
封印された震災死 その真相』(吉田典史著、世界文化社)を購入。
大川小学校の事例は別に一冊の本となっているが、
この書はそれ以外の話題にもなっていない犠牲者の死を検証するルポ。
この書のテーマは後日改めて記したい。

そして、郵便局に行き、日本赤十字社宛の東日本大震災の義援金を振込む。
被災地に旅をするのもいいが、その交通費を含めて送金した。

夕方になったので、昨年に続いて、
半蔵門の国立劇場での追悼式会場に献花に行く。
内閣府主催で、主催者側のスタッフらは皆喪服。
その人たちが礼をする中を抜け、静かな音楽が流れる会場に入り(上写真)、
普段着姿で舞台に上がり、献花用の花を受け取って
献花台の中央、慰霊の柱の下に献花し、合掌する。
ここも2万人(関連死を含めると2万人を超す)の犠牲者に心理的に直面する場だ。
大量の献花が犠牲者一人一人を表しているかのよう
(といっても2万という数はずらりと並んだ献花数よりはるかに多いだろう)。
形式的でなく、心から合掌していると、こみ上げてくるものがある。
合掌を終え、出口の脇で、舞台に向って写真を撮った。
このブログの読者にも見てほしいから。

忍びよる「安全神話」

2013年03月09日 | 防災・安全

また3.11が近づいたので、しばらくは防災をテーマにしたい。

震災以降、「安心・安全」という口当たりのいいスローガンがはびこっている。
我が勤務先の大学でも、震災を受けて、防災についての全学共通の授業が構想された。
その授業名は「安全・安心学」。
口当たりのいいスローガンの語順を変えただけ。

防災に携わる者として(その授業の2回分担当)、その授業名を批判した。
防災とは、「安全」を追求するが、決して「安心」してはならないからだ。
「安全」とは客観的な状態であり、「安心」とは主観的な感情である。
防災を動機づける感情は「不安」であり、
その反対の「安心」は、防災行動を停止する。
安全と安心は、スローガンのようにたやすく両立するものではない。
私の批判が受入れられ、授業名は「安全学」に決まった。

安全神話、すなわち客観的には安全でないのに、安全だと思い込む状態は、
安易な安心化による。
逆にいえば、安易に「安心」を求めることは安全神話に陥る。

人は、あえて危険に目をつむり、安全だと思い込もうとする。
災害での死者の多くは、逃げ遅れによる。
すなわち、まだ大丈夫と思っていた。
この危機に対して鈍感になるメンタリティを「正常性バイアス」という。

安全だと思い込むと、すなわち「安心」してしまうと、
それ以上の安全の追求はなされなくなる。
この傾向は何も「原発の安全神話」だけではない。
我々の日常に容易に忍び寄っている。
あなたは、安全の追求を停止してはいませんか?

「安全」の不断の追求は、「不安」を保持することによる。
不安とは、我が敬愛する哲学者・ハイデガーによれば、
(将来に向って開かれている)”存在”を自覚している人間の本来的な”情態”である。
不安を保持している状態こそ、自然で本来的なのだ。

防災には、不安の耐性、より具体的にいえば、
最悪の事態をありありと現実的に想像できる感情的タフさが必要なのだ。
災害前は、ネガティブ思考こそ、命を救う。
ポジティブ思考は防災には向かない。
ただし、そのメンタリティは災害後にこそ活きる。

災害前はネガティブに、災害後はポジティブに考えよう。