今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

十条富士に登る

2008年06月30日 | 東京周辺
江戸時代に流行った”富士講”により、都内には富士塚がたくさん作られた。
だが、今でも富士講が7月1日の山開きに大々的に祭礼をする所は、残り少ない。
北区十条の”十条冨士神社”は、その数少ない所のひとつ(ここは6月30日~7月1日)。

本当なら本物の富士山の山開きに行きたいが、仕事のある身ではそういう訳にもいかない(言い訳っぽい)。
江戸時代の人と同じく近場の富士塚に参詣して、富士登山の代わりとしよう(昨年は駒込・下谷・品川の富士に行った)。

ここは京浜東北線「東十条」で降りて、岩槻街道に出ると、囃子の音楽が聞こえ、祭礼の幟で飾られた富士塚が見えてくる(写真)。
入り口(登り口)には、地元講社「伊藤元講」の人たちがお札や蛇のわら人形(駒込富士と同じもの)などを売っている。
オリジナルのお札(竹に挟んである「冨士仙元大菩薩」と書かれた四手(しで)つきの赤い札)を買った。
石段を登った頂上には、線香が売られており、御神火を模しているのか奉納で立てるというより、焚き上げの燃料として放り込む。
売っていた講社の人によると、数年後に岩槻街道(片側1車線)が幅20mに拡張されるので、この塚も今後どうなるかわからないという。

都の道路計画って、戦前からの拡張計画をそのまま引きずっている(うちの実家近所にもある)。
状況や時代の変化(近くに高速や地下鉄が開通したり、今後の人口減少など)にまったく対応する気がない。
そして一旦車道を造れば、次はそれを拡張し、その次にはそれらの幅広い道路同士を結ぶ道路が必要とされる(道路が潰されて民家や公園になった所って聞かない)。
道路沿いの建物は次々と後退を余儀なくされる。
そして日本国中が舗装道路で敷き詰められるまで、道路工事計画が続くのか…。

ここから赤羽線の十条駅まで続く道は縁日の露店が連なっている(車両通行止め)。
せっかくなので何か食べようと左右の店を見ながら歩いていると、線路を渡ってあの有名な”十条商店街”に突き当たってしまった。
商店街にはいると、焼きそばは安く買える。
それにどこもかわりばえしない露店のお好み焼きや焼きそばより、地元商店街の店に入った方が”街歩き”の趣旨に合う(都内は車社会化した地方都市と違って、商店街が元気でうれしい)。
というわけで、500円のお好み焼きの代わりに、商店街の中華レストランで600円の五目焼そばセットを食べた。

せっかく山開きの日なので、地下鉄南北線に乗って、駒込富士神社にも行った(こちらの祭礼は6/30ー7/2)。
こちらの山頂では本場のわら人形と富士型の落雁が売ってある。

亡父の17回忌

2008年06月29日 | 身内
大雨の降る中、亡父の17回忌法要を東京・目黒の菩提寺でやってきた。
4年後の同じ月に亡くなった伯父の13回忌も一緒に。
生前仲が良かった二人なので一緒にやる方がいいだろう。
父の年忌は13回忌以降は、身内だけでひっそりやる。
だから今回も親族だけ。

その間に亡くなった親族も数人いるが、逆に新たに誕生した命もある。
一番新しいのは、この1歳の女児二人(写真)。

亡き人に思いを馳せながらも、無心で眠るばかりの新しいメンバーを見ていると、嬉しくなるのを禁じ得ない。


アキバへ献花に

2008年06月15日 | 東京周辺
あの事件から一週間が経過し、再び日曜となる今日。
いつもなら歩行者天国が始まる正午に合せて、花束を持って、秋葉に行った。
今回の帰省では、昨日のナンシー関を偲ぶ予定だけだったのに、秋葉に死者を悼みに行くことになるなんて…。
わが愛する街で不幸にも斃れた人たち(彼らもこの街を愛していた)に何もしないわけにはいかない。

交差点に面したソフマップ前の、地元万世橋町会が建てたテント内の献花所は人だかりがすごい(写真)。
近づいたらいずれもマスコミ人たちで、カメラを構えて献花する人を撮ろうと待ちかまえているのだった。
幾重にも並ぶ彼らに一瞬たじろいで、端からそっと花を置こうかと思ったが、
彼らは献花台へ向うスペースを花道のように開けているので、彼らに囲まれた空間を通って、花を置いた。
帽子を取って一礼し、思いを込めて合掌したかったが、ここでじっくり動作しているとまるでカメラを意識したパフォーマンスのように受取られるのも心外なので、シャッター音が響く中、さっと合掌して、立ち去った。
静かに犠牲者を悼みたかったのに、その絵をそんなに撮りたいかね。

警官は通行人に立ちどまらないようアナウンスし、またパトカーからは当日の目撃者や事件の様子を写真で撮った人を求めるアナウンスが繰り返される。
交差点の周囲には、警官が多く、あちこちで、通行人をつかまえて、先週の目撃者を探している。
だが私はついに声をかけられなかった(かけられても答えられないが)。
センスのいい私のファッションはそりゃアキバ系には見えなかろうが、
この街を愛する者としてはそれはそれで残念。

犯人が捕獲された路地にも行った。
閉店したビルの壁には犯人が警棒で殴られた時の血痕がある。
こちらは人通りはまばらで、だれもカメラを構えない。
私も撮る気にはなれない。

その後は、いつものように、いつもの店をまわり、小物を買った。
ホコ天中止を機に、秋葉はもとの電気街にもどってほしい。
「オタクの聖地」とマスコミに煽られてからというもの、調子に乗ったへんなパフォーマンスが横行しだし、秋葉にふさわしくない下品な風貌の男たちが徘徊するようになった(奴らが入れるショップなんてドンキくらいだろうに)。
この街にきちんと買物に来る人たちがワクワクする街に戻ってほしい。

駅に向かう歩道沿いに別の献花所があり、ここは通行人が通りすぎるだけで、カメラを構えたマスコミは誰もいない。
そこには線香が置いてあったので、ゆっくり線香を捧げて合掌した(ライターの火がつかなかったので、線香から火をもらった)。

渋谷へ

2008年06月14日 | 東京周辺
東京では震度3の「岩手・宮城内陸地震」を気にしながら、
超ひっさびさに渋谷に行った。
渋谷って、あれこれ仕事の通過地点でもあったので、よく街を歩き回ってたが、
チーマーだのガングロだのが跋扈しだして街のガキ化が著しくなってきたので(人口密度の限界も感じて)、私の”お出かけ先リスト”から外さざるをえなくなった。

さて今日の渋谷の目的は、パルコで明日まで開催の「ナンシー関・大ハンコ展」。
会場は狭いとはいえ、満員状態。
客の男:女比は3:7くらいか。
しかも10代の若い子も目につくのが意外。
消しゴムの実物がずらりと展示(その一部の版画も)してあるが、1つずつ見ていくのはたいへん。
時間的にも視覚的にも。
白い消しゴム上に小ぶりのカッターで刻む原画は、逆向きで陰影が逆となるから。
つまり左右逆のネガ映像を刻むわけだ。

なんでも逆に見て裏に見る、この態度が彼女の並外れた”ひねくれ目線”を鍛えたのかな。
棟方志功と(アキバ連続殺犯人とも)同郷の青森県人の彼女は、高校時代からはじめたその技能を大学時代に開花させ、芸能人の消しゴム版画つきのテレビ批評家として、あちこちの誌面で活躍した。
芸能人ネタでない、一般人や動物などのさまざな姿態の版画を見ていると、葛飾北斎の「北斎漫画」を連想する。
てのひらに乗る消しゴム上の一色刷りのもっともシンプルな版画なのに、その繊細で大胆な描線は「アートの域まで達している」と思わせるから。
でも彼女は単なる版画家ではない。
鋭すぎるほどのテレビ批評家だった。
雑誌のコラムでのその筆致に、当時の私は正直不快感すら覚えたのだが(やな奴っていう印象)、でも指摘の鋭さに唸らされることも認めた。
だから、彼女の死のニュースに接した時、思いもかけずショックを受けた。
偉大な才能の喪失を感じたから。

この展示会用に撮った芸能人たちの一口ビデオをでは(特にいとうせいこう)、
彼らは異口同音に彼女に観られているという緊張感がなくなってしまったという。
それを見て合点した。
なるほど最近のテレビがつまらないのは、ナンシー関が死んだからなのか。
これはあながち冗談でないかも。
彼女こそが真にテレビに対峙した視聴者であり、画面に出る一人一人にものを言い続けたわれわれの代表だったのだ。
彼女こそ、テレビ人と対峙して彼らを鍛える唯一の”批評家”だったのだ。

ただ芸能人批評は時事的な内容だけに、楽しめる鮮度に限定期間があるのがつらい。
作品で描かれる多くがテレビ的に過去の人となっていくのにつれて、彼女も過去の人となっていかざるをえない。
だから彼女の価値を堪能するのも今のうち。
本一冊とカエルのイラストのオリジナル・トートバッグを買ってパルコを出た。

せっかく渋谷に来たので、ついでに元祖”東急ハンズ”にも立寄る。
ハンズの渋谷店は、ここしかない時にはよく来たのだが、最近は最寄の支店ばかり。
でもさすが一号店、品揃えが違う。
鍵を見分けるためにつける色のついたリング(52円)は、どこ探しても見つからなかったが、ここには大量にあった。
はやりここは来る価値がある。

昔渋谷によく来た頃、食事によく使っていた「万葉会館」も健在だったが、店の種類が2つだけになり、またちょっと高級志向になった(昔はリーズナブルだった)。

渋谷の交差点付近は、あいかわらす人が多い。
でも今日は特別なようだ。
なぜなら地下鉄の「副都心線」が開通した日だから。
来たついでに記念乗車をしようと、さっそく乗り場に行く。
将来は東横線ともつながるので、かなり大規模なホームとなっている。
そのホームが人でぎっしり。
ということは多くの人が埼玉方面から来たのか。
この路線開通で一番得するのは渋谷だからな。
急行が来るので楽しみに待っていたら、東武東上線の車両。
しかも停車位置が合わず、微調整してからドアがあく。
急行だが車両に新鮮味がないので、次の新宿三丁目で降りようとしたら、
またそこで停車位置が定まらず。
今日はダイヤが遅れていて、掲示では「混雑のため」と表示されているが、違う理由なんじゃないの?
次の電車(各駅)は、新型の副都心線専用車両だった。
まぁ私は山の手線使うから、今回限りだけど。

哀れ酒鬼薔薇世代

2008年06月13日 | 時事
アキバ無差別殺人の加藤容疑者(25歳)についてのテレビ解説は、案の定(毎度のこと)、世代論いや年齢論の視点に収斂してきた。
なぜなら彼がたまたま酒鬼薔薇世代だったから。
ホント、この年齢の人はいい迷惑なはず。
同世代が事件を起こすたびに、マスコミから連帯責任を負わされる酒鬼薔薇世代は、その意味で哀れだ。

この報道姿勢はその酒鬼薔薇事件の時とまったく同じ。
「おれたちには理解できない、異質なおまえら~」というマスコミの上から目線。
この態度は犯人を「派遣労働者」や「青森県人」とくくるのと同じ。
人間はひとりひとり異なるという発想をせず(それでは社会的に大騒ぎできなくなるから)、他者集団単位の等質性を信じ込む。
これって、マイノリティ・民族差別と同じ発想なんだけど。

むしろ、”われわれ”の心の中の加藤容疑者、という風に、人間一般の問題=自分の問題という風に、わが身に背負ってみるべきなのに。

秋葉無差別殺人

2008年06月09日 | 時事
帰京のたびに必ず秋葉原をぶらつく私は、今回帰省していれば、事件に遭遇していたかもしれない。
なにしろ犯人が取り押さえられた路地はよく通る所。
もっとも、無防備で繁華街は歩かないがね。

それにしても、なぜ静岡県裾野市から100km以上離れた”秋葉”なのか。
「ワイドショーを独占」(本人携帯サイト書込)したかったから、それなりの派手な”舞台”である必要があったためか。

犯人の人間像は、犯罪心理学からすると、無差別殺人者の典型といっていい。
すなわち成長期まで適応的(優秀)であったのが、なんらかの原因で挫折し、その挫折から立ち直れないままだった。
少年時代の自尊心(自己愛)がそのままで、現実的に再構成されないと、自分の境遇に対して他罰的になる。
自己愛人間にとって一番許せないのは、自分が他人より惨めであること。
なので繁栄を謳歌し、幸せそうにしている他の人間たち一般が憎悪の対象となる。
意を決しての破滅的行動は間接的自殺であるが、なぜ一人での自殺を選ばないのかといえば、犯罪心理学者は、反社会的パーソナリティーのゆえという。
自己愛的だから自殺できず、自分を愛してくれない社会を憎む。

それと派遣労働の悲哀も無関係ではないと指摘がある。
25歳で人生の可能性がなくなってしまったかの気持ちになっていたかもしれない。
だが、派遣労働者は今や普通にいる(ウチの大学にも)。
この事件を派遣労働と関係づけることは、アニメなどの趣味に結びつけるのと同様、社会的偏見を招きかねない(社会改善は必要だが)。
つまり社会的要因にもっていくと、「なぜ同じ境遇の中で彼だけが?」という説明ができない。
やはり自己愛パーソナリティという個人要因が必要になってくる(多くの女性のように、”自己愛”が自己を高めるエネルギーになれば問題ないんだけど)。

今年は無差別殺人が(未遂も含め)多い気がする。
なぜこのような犯罪者が出るのか。
犯罪心理学者の作田明氏によると、最大の原因として「現代の学校や家庭の状況がひ弱で対人能力を欠如した若者たちを増やしている」ことを挙げている。
そして、「豊かな情操や対人関係能力を養うのではなく、記憶力や従順さを追求する風潮は個人の洞察力や判断力を失わせることとなる」と少々ステロタイプな指摘(ソースはこの事件が起きる前の6月4日の産経新聞のサイト)。

ではパーソナリティに帰属しない、すなわちトレーニング可能な意味での”対人関係能力”って何だろう。
共感性能力などの"EQ"だろうか。
行動レベルの "Social skill"だろうか。
感受性訓練などのワークショップは一時的効果しかないし。

私自身、恥ずかしながら「対人関係」が研究テーマで、ここ数年は感情の在り方(情操!)について探求しているが、自分自身の日常生活では、心理学よりも”礼法”がベースになりつつある。
礼法は、思想に裏打ちされた伝統文化的Social Skillであり(単なるSocial skillは思想的深みがない表面的なもの)、
性格的に偏りがあっても、行動を適応的に自己制御するトレーニングであるため、”情操”から始めて気長に人格改善を期待するよりは、実用的だと思う。
ただし、そのためには武家礼法の美意識・矜恃(やせ我慢)に共鳴してもらう必要はあるが。

鉄道旅行で

2008年06月08日 | 
私の準定宿「ホテルグリーンプラザ浜名湖」に行ってきた。
ここは4月に行ったばかりだが(最近は新しい宿を開拓しなくなったなぁ)、篭って集中作業(読書・原稿)するには格好の客室(和洋室にオーシャンビューのベランダ)+朝夕ワクワクするバイキング+それで1泊6800円というビジネスホテル並の宿代(ただし会員料金)+名古屋から遠くないが大きな湖畔で転地効果のあるロケーション、という好条件が私の評価に奏効しているだけでなく、ここの唯一といっていい弱点であった”浴室”がリニューアルされたというので、それを体験しにいった。
それに隣が松林のせいか夏は虫が出るので、行くなら今のうちという気持ちもあった。

さて、いつもなら、わが愛車で三河高原を快走して行くのだが、今回は、愛車がかなりガタついているのと(4月も途中でトラブった)、ガソリン価格の高騰のため、名古屋発の旅ではめずらしくも鉄道旅行と相成った。
というのも、この宿は天竜浜名湖鉄道(通称”天浜線”)の駅の近くにあるので、アプローチにローカル線の旅を味わえるからだ。

鉄道の旅のメリットは、その間、読書や居眠りや飲酒ができること。
車内の乗客たちの様子も土地の個性を味わえる。
デメリットは、まずは時間が制約されること(特に便の少ないローカル線は)。
でもネットの「どこなび」を使えば、出発地点から最終地点までの時刻表がすべてわかるので、計画しやすくなった。
もう1つのデメリットは、荷物は全部自分で運ぶので、かさばるもの・重いものが制限されること。
私のお気に入りリゾートアイテムである”折畳みのリラックスチェア”(ハンモック気分になれるので折り畳んでも大きく、重量も数キロあるものの肩に掛けるカバーがある)を持っていこうか最後まで迷った。
なにしろノートパソコンまで入ったボストンバッグだけでも重いから。
実際、一度は持たずに家を出た。
でも途中で、2泊するから特に2日目の昼はこれがないとすごしづらいと思い直して、取りに帰った。

せっかくなので、名古屋から豊橋までは名鉄特急に乗る(有料の”特別車”)。
新名古屋駅で待っていると、2分おきにいろいろな車両の電車がはいってくる。
特に特急は音楽を鳴らして入ってくる。
名鉄や近鉄に乗り、その先でさらにローカル線に乗るという旅も楽しそうだ。
天浜線へは愛知と静岡の県境をまたいだ駅「新所原」で乗り換える。
一輌のワンマン・ディーゼルの座席はボックスで、運転席の真横がスペースある。
線路の両側が意外なほど緑が多く、運転席の隣に立ってビデオを取りたくなる。
沿線は街中ではなく、左側が里山・右側が湖畔というのもいい。
駅舎と喫茶店が合体した「浜名湖佐久米」で降りて、徒歩すぐの宿にチェックイン。

さっそく風呂にはいる。
新しい浴室は、湖面に開かれて、展望を売りにしている。
ただ広さは以前と変らず、また木炭湯ではなくなった。
展望自慢の窓も湯気ですぐ曇るので、入浴客が窓に湯舟の湯をばさばさかける。
館山寺温泉が対岸なので夜景もいいかもしれない。

愛車を修理して

2008年06月07日 | 生活
17年目のわが愛車ローバー・ミニがミッション系の修理を終えた。
今一番の心配は、製造終了の車なので部品の調達が困難なこと(ローバー社が存在しない)。
それをなんとか調達できて、経年劣化で摩滅した箇所を交換してもらった。
作業料込みで6万円を越えた。

修理に出している間、ミニには内緒で「次の候補」を探していた。
林道好きな自分の嗜好だと、スズキのジムニーかな。
ということは、実はミニにとっては持ち主の嗜好はハードすぎだった。
あの低い車高で、あちこちのオフロードをよくがんばってくれた。
あとはゆっくり最後を見取ることになるのか。

車を受取って、発進すれば、ギアがハマる感覚がずいぶん違う。
正直、パワーが落ちた感じだが、
今までは、無理やりギアがはまって、ローにつなぐ時、よくタイヤを鳴らしていた(急発進状態)。
ギアのはまりがこんなに静かで、オートマ車のようにスムースに加速するなんてしばらく忘れていた。
こりゃ、乗り心地がよくなったな。
まだまだ乗れそう。
車を動かす面白さで、こいつの右に出るのはなかなかいない。
でもガソリンが高いから、乗るのは控えとこう。

紫外線恐怖症

2008年06月05日 | お天気
テレビの天気予報で気象予報士が「曇の日でも紫外線を浴びています!」という脅しが効きすぎているらしく、
有害紫外線強度(UVindex)が2程度の曇天下でも、日傘をさしているご婦人をみかける。
ちなみにこの値は冬至の頃の一番弱い日差しと同じ(真冬に日傘さしている人はいない)。
それに、オゾン層は日本上空が一番厚い。

確かに紫外線は強く大量に浴びるとよくないが、温泉の”放射能”泉と同じく微量だと体にいい影響を与える。
具体的には、皮膚の殺菌効果とビタミンD合成効果だ。
特に後者は、骨の形成に関与し、不足すると骨粗鬆症になる。
曇天日傘のご婦人たちは、紫外線を過度におそれるあまり、骨粗鬆症になる危険性を高めているのだ。
また紫外線ではないが、日射そのもの(可視光)も、脳に良い影響、たとえば体内リズムの維持や気分障害に効果がある。
陸上の生物は、日光に適応するように進化してきたんだから。

夏の直射日光は避けた方がいいが、曇天時の買い物程度の外出こそ、健康的な日光浴といえる。
とにかく重要なのは、今現在の紫外線量がどの程度なのか、健康にいい程度なのか悪い程強いのか、きちんとした情報を得ることだ。
少なくとも名古屋と東京の人は、わが私設気象台の値を見てもらえばいい。
あるいは3000円程度で買えるポケットサイズの紫外線測定器を持ってもいい。

おサイフケータイ

2008年06月03日 | 生活
携帯電話を、通話とメールだけのmovaから機能たっぷりの最新のFOMAに買い替える時、
いちばん使わない機能は「おサイフケータイ」だと思っていた。
逆にワンセグは楽しみにしていた。
ところが、FOMA生活を4ヶ月続けた結果、一番便利なのがおサイフケータイで、ちっとも使わないのワンセグとなった。
ワンセグは、テレビそのものが視聴するに値しなくなっているから当然なのだが(これは年齢問わず周囲で言われている)、
おサイフケータイの便利さは予想外だった。

消費税のある今では、現金だとつり銭で小銭がやたら増えるのがいやだ。
カードで払うにしても手続き作業に時間がかかる。
だいいち、財布もカードも取り出すだけで手間がかかる。
ところが携帯は、たいていすぐ出せる位置にある(少なくとも現金やカードよりは取出しやすい)。
そしてレジの読み取り器にかざすだけでおしまい。
この手軽さを知ると病みつきになる。

Edyは携帯内でチャージできるし、モバイルSuicaは駅の構内の売店でのチャージなら会費不要。
まだ使用していないがiDはクレジットカード代わりに使える。

またビックカメラのポイントカードもモバイル化できるのがうれしい。
なぜって買物店ごとのポイントカードってどんどんたまって財布を占領していやでしょう。
だからビックポイントカードは不要となって、買物時に携帯をかざすだけでよくなった。
これはいまだポイントカードを要する他の店に対するアドバンテージになる(ヨドバシカメラやマツキヨもできる)。
ところが、かんじんのビッククレジットカード(ポイントをSuicaにチャージできる)がiDクラスのおサイフ携帯に対応していない
モバイルSuicaには対応しているが、それでは数万円クラスの買物には使えない。
これは不徹底だ。
なんとかしてほしい(カード元のJR東日本の問題だろうが)。

モバイルライフを進めると、このようにクレジットカードとの相性が重要になる。
自分が使ってきたセゾンカードは、iDとEdyに対応しているが、Edyのチャージにポイントがつかない
(そもそもセゾンのポイントって今どきマイルとかにならず、使い勝手悪い。これなんとかしないと…)。

全てを満たすカードはないので、iD+Edy系(チャージにポイントがつく)とSuica系の2種を持つこととなるかな。
でも後者は年会費がかかるのばかりだし、Suicaは名古屋では使わないから、JR東の駅内でのチャージでいいか。

私の年金未納問題が発覚!

2008年06月02日 | 生活
職場に「ねんきん特別便」が届いた。
当然勤務先の”共済”分しか載っておらず、その前に入ってた国民年金分が載ってないので、心配になり、帰省中に社会保険事務所に確認にいった。
舎人ライナーで「熊野前」で降りる。

昼前に着き、入り口で受付番号票を引くと70人待ち。
中では年配者がずらりと椅子に座っている。
だいぶ待ちそうなので、商店街に昼食をとりに出る。
もどってくると待つ人数は1桁に減っていた。
呼んでも無反応の番号が多く、結局最初に受付してから1時間で相談席に着くことができた。

さて、わが国民年金だが、年金手帳を持っているので、きちんと登録されているのは予想できたが、
その中を精査してみると、加入期間のうち3ヶ月間だけ未納になっているという。
自分にも「年金未納問題」があったのか!

その3ヶ月の未納分5千円弱が足りないばかりに、年金支払額が毎回5千円弱減額になるという。
それなら今からでも未納分を払いたいが、それは無理で、60歳で退職したら納入できるという。
幸か不幸か私は60歳ではまだ現役バリバリ。
なんで3ヶ月だけ未納だったのか、記憶にないので、社保庁側のミスを疑いかけたが、
どうやら、本来払うべき時期の2年後になって、締切間際に慌てて年金をまとめて支払いだしたものの、その間3ヶ月だけ間をあけてしまったようだ。
たしかに、あの頃って定職がなく、人生で一番苦しい時期で、今を生きるのが精一杯で年金なんて関心もてなかったもんな(父に言われて仕方なしに払った)。
ちょっとしたミスで得るべき金額を得られないのは、自分の運命としてあきらめるしかない(それに本命の”共済年金”が別にあるし)。

せっかく熊野前に来たので、”熊野前商店街”を通って帰る。
ここは昔、日テレの「たけしの元気が出るテレビ」で番組あげて有名にされた商店街。
あの時の”たけし猫招き人形”はどこにあるのか探した。
数度商店街を往復して、やっと小学校向いのコミュニティセンターの中に、ひっそりと置かれてあるのを発見(写真)。
この商店街、いまでは「はっぴいもーる熊野前」という名でがんばっている。
通り沿いにわが国初の飛行機遭難(杉野中尉殉難)碑もある。
しかもこのあたり(北・荒川・台東区の隅田川西岸地域)って、商店街が複数連結している。
ここも南に「尾久銀座」と続いており、むしろそっちの方が、商店街としての密度が高い。
こういう地域って生活しやすいよな(世田谷・杉並の私鉄沿線もそんな感じ)。

自家用車の危機

2008年06月01日 | 生活
ガソリン高騰は、原油への投機集中が原因だが、石油資源への依存を見直す空気を強めている(流通業が一番たいへん)。
そんな折り、17年乗っているわが愛車の劣化が激しくなり、そろそろ手放さざるをえない状況になってきた(現在、その決断を迫られそうな修理中)。
本当は、電気自動車あたりがほしいのだが、まだ現実的選択肢になりえない
(2010年まで?)。
なので、それまでの”つなぎ”として、維持費の安い軽自動車かSmartあたりをねらっている。
でも、そもそも本当に車が必要か、考え直すことも必要だ。

東京では車を使わない生活をしてこれた(家では所有しているが)。
名古屋に来て車を買ったのは、通勤のためだが、その通勤は公共交通機関を使えないことはない。
あとペーパードライバーでいるのがもったいない点もあった(運転の勘を失いたくない)。
そのせいもあり、あえて車で遠出するようになり、今では月に一度、車で温泉に行く。
だが、月に一度の遠出だけなら、レンタカーでもいいのかもしれない。
いや、その温泉だって公共交通機関で行けないわけではない(少なくとも定宿・準定宿は)。
車のある生活は確かに便利だが、残り少ない資源の浪費・CO2の排出・駐車場などの維持費の出費それに自分自身の運動不足をもたらしている。
それに事故の”危険”を背負うし。
試しに自家用車を使わない生活をしてみるか。
…でもバスの片道分は、まだガソリン1リットル以上するんだよな。