今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

ソロ・ストーブは使える

2014年04月27日 | 生活

温泉一辺倒になっていた旅生活を、自分本来のアウトドア中心に戻したい。

そのためにはいろいろ道具を買い直す必要がある。

なにしろ学生時代の装備のままだから。

まずは、山での昼食をコンビニのおにぎりから脱却し、ちゃんと山で温かいものを作りたい。

いわゆるストーブorコンロを使うわけだが、自分が所持しているのは、中学時代に買ったスベア211というスウェーデン製の骨董品(砂漠の民が使っていたらしい)。
この時代遅れの灯油コンロは、灯油を気化させるためのブレヒートなどを要し、作業が面倒だし、火力の割りに音も大げさ。

かといって扱いが簡単なガスは、あのボンベを使うのがどうも風情に欠ける。

風情にこだわった結果、これだ!と思ったのは、ソロ・ストーブという、小枝を使うもの。

つまり、山に無限にある木の小枝を片手でつかむ程度かき集めて、それを燃料として、その二次燃焼(枝が炭化してからの再燃焼)という状態にすることによって、強い火力と、灰しか残らない効率の良さが売り。

乾燥した小枝が入手できないための予備として、中にぴったりはまるアルコールコンロ(アルコールランプみたいなもの)もセットで購入。

さて、GW最初の日曜の今日は、そのストーブの予行演習に充てる。

どこで演習をやろうか迷ったが、このためだけに遠くの野山に行くのは面倒なので、近所の霊園内の公園を選んだ(ホントは禁止だろうけど)。

公園の一番の奥の目立たないベンチに陣取り、足下の小枝を集める(ホント簡単に集る)、それを長さ5cm以内に折って、ストーブ内の粗めの網に載せる。
さらに点火用の枯れ葉を入れて、ライターで点火。

まず枯れ葉が燃え出し、数度枯れ葉を供給していると、小枝の方に火が移った。

せっかくなので、カップ麺を作ろうと、同じソロ製の鍋に水を入れて載せる。

火の勢いが増し、時たまストーブ下部の通気孔から、煙が勢いよく出る。

数分で湯がわき、ベンチに座ってカップ麺を頬ばる。

鎮火した跡を見ると、小枝はすべて白い灰になって、バラバラ落ちる。

あんなにあった小枝が、その体積が激減してすべて白い灰に変じた姿は、どうしても火葬場でのあの光景を思い出す。唯一違うのは、固形部分がまったく残らないこと。

木の灰はそのまま土に還るから、地面に捨てていい。

燃料費もかからず、不要なゴミも出ず、火力が強く、燃料は周囲からいくらでも調達できる。とってもエコだ。これはいい。

山での予行演習のつもりだったが、公園のベンチでやったせいだろう、

こいつを持っていれば、いつホームレスになっても心強いと思ってしまった。


図書館でのノートパソコンでの作業姿勢

2014年04月26日 | パソコン・メディア

週末、東京で仕事(研究、講義準備)をする時は、ノートパソコンを持参して図書館で作業している。

ノートパソコンは携帯に便利だが、実は長時間の集中作業としては、身体的に使いづらい。

私も含めて、図書館でノートパソコンを使っている人の多くは、頚椎を思い切り前傾して、画面を上からのぞきこむような姿勢になってしまう。

すると、頸の筋肉が凝るし、目も思いっきり画面に近づけて良くない。

そうならないよう、気がついたら意識して足を前方に投げ出して、お尻を座面の前方にずらし、背中を思い切り椅子の背もたれに着けて、上体を机から離して作業をする。

こうすれば、目と画面との距離が離れ、見下ろす角度も小さくなる。

だが、この姿勢とて、楽でない。

実は頚椎の前傾角度は、全然変わっていない。

変わったのは上体が後傾しただけなのだ。

なので結局、頸は凝る。

ということは、これでは根本的な解決にはならない。

問題の原因は、ノートパソコンの画面の低さにある。

椅子をやめて、自分の方が床面にしゃがめば、卓上のノートパソコンと同じ目線になれるが、これでは両腕が上ってキーが打つ手が疲れる。そもそもこの猿みたいな姿勢は人様に見せられるものではない。

ノートパソコンを卓上で高くすればいいのだが、それだけだとキーボード部分も高くなって打ちにくくなる。

なので、まずはキーボードを外付けにするしかない。

画面を高くするには、館内に腐るほどある分厚い本を本体の下に重ねるの手っ取り早いが、それをすると図書館の人に叱られる(その本を読みたい人に迷惑でしょ)。

分厚い本を自分で持参するくらいなら、折畳みの書見台を持参して、ノートパソコンの角度を拡げてそれに立て掛ければいい(倒れないようそれなりの強度が必要)。

すなわち、ノートパソコン以外に、外付けキーボード書見台を余分に持参するのだが、
そうした方がいいと、疲れた頸をさすりながら思った。
なんで、今までこれを考えなかったんだろう。

※数日後、上の通り実行してみた。

パソコンでキーボード以外の操作(Macなのでトラックパッド)も必要なことを失念していた。

なので、トラックパッドを操作すると、上のセッティングだとやりにくくなり、結局もとの使い方に戻ってしまった。

外付けマウスを追加すると、なんだか重装備になってしまう。

※マウスを持参して再度トライした記事⇒5月3日


ローカル路線バス乗り継ぎの旅:松阪~松本城

2014年04月22日 | 作品・作家評

"テレビ見ない自慢"をしていた私も、昨年は「あまちゃん」にハマった。
実は、もう1つ、ハマっている番組がある。
「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」(テレビ東京)である。

これは名古屋でもオンエアされており、何気にチャンネルを回してたら、つい見入ってしまった。
この番組の人気は高く、堂々とDVD化されている(他局で模倣番組が出現)。
そうなると、見落とした回を見たくなる。
一番見たいのは、ネットで評判が高かった「松阪~松本城編」。名古屋も経由するし。
4月にやっとDVD化されるというので、レンタルショップに並ぶ?まではとうてい待てず、予約購入した。
DVDを予約購入するなんて(しかもテレビ番組)、初めて。

この番組の面白さは、ありきたりの旅紀行・名物紹介ではなく、リアルな「乗り継ぎゲーム」にあり、それが逆に旅番組としても新鮮な視点を与えている点(路上のバス停が神々しく映る番組がほかにあろうか)。
旅をするのは毎回3人構成で、
リーダー太川陽介(往年のアイドル)がルートを判断するため地図を見入る姿に頼もしさを感じ、何より、一日の旅を終えた夕食でのビールをいかにも美味しそうに飲む姿に、見ているこちらの喉も鳴る。
相方である蛭子能収は、年長にもかかわらず、子供のようなわがままぶりで、リーダーをぶち切れさすことが多いが、彼なりの歯に衣を着せぬ言動には、建前のきれい事を排した真実がかいま見える。
この絶妙の弥次喜多コンビに、毎回女性ゲストが”マドンナ”として加わる。
上の二人は番組の”定数”であり、”変数”としてのマドンナは番組の成否(内容の良否&見事ゴールに達するかどうか)を左右する。
「松阪~松本城編」が評判良かったのは、この時のマドンナである加藤紀子の功績が大きい。
予定どおりにいかないハプニングの連続で、しかも炎天下での思いも寄らぬ長距離の徒歩(バス路線が途切れた部分)を強いられるなど精神的肉体的負担も大きい。
その時、どういう態度をとるかで”マドンナ”の人間性が露呈されるわけで、”ゲストのマドンナ”然としてお客さん的態度でいれば、三人旅はぎくしゃくする。
加藤紀子は、自ら率先して走ってバス停を見つけ、旅の危機を救うこと2回。
あと驚いたのは、バスに乗ってきたフランス人旅行者にフランス語で応対!
なんと彼女はフランス留学経験があるとのこと。
この番組で、彼女への好感度は確実にアップした。

さて、私がこの回を楽しんだのは、何より彼らの経由したコースが、私の行動圏と重なるから。
彼らは名古屋駅から市の基幹バスでわが町「藤が丘」で降り、そこから瀬戸に向った。
残念ながらその部分の画像はなかったが、一瞬でもわが町に降り立ったと思うとうれしい。
それだけでなく、乗り継ぎの危機場面であった瀬戸市の「下半田川」と「上半田川」の間は、私が東濃のドライブで通る道で、たとえば昨日の恵那旅では、往きに下半田川口のバス停を通り、帰りに上半田川口を通った。
さらに、中津川から馬籠を抜けるバス道は、私の定宿への道であり、そこから毎度行く馬籠に行く道である。
また、彼らが3泊目に投宿した「フォレスパ木曽」も、木曽路南部の温泉宿として、2回利用したので懐かしい。

この番組を見てつくづく思うのは、各地の路線バスというものが次々廃止され、地元の足が途切れ気味になっていること。
それを補って自治体が運航するコミュニティバス(ほとんどバンだったりする)がなんとか、乗り継ぎ旅を可能にしているのだが、今回の旅では、数ヶ所、数キロの徒歩を余儀なくされている。
つまり実質的にはバスでの乗り継ぎは不可能となっていた。

この番組を純粋に楽しんでいる人たちがいる。
「バスファン」だ。
私の大学時代の友人にこの珍しい「バスファン」がいて、とにかく休日は、バスに乗るのを楽しみにしている(今では大学教員の彼が、子供の時はバス車庫で笛を吹いてバスを誘導する係になりたかったという)。
彼によるとバス好きには2派あり、「観光バス」ファンと「路線バス」ファンに別れるという。
前者はバスの乗り物としての型式に興味があり、後者はバス路線を走破することを楽しみとする。
ただ残念ながらバスファンの人口が少ないため、専門メディアがなく、鉄道雑誌の片隅にバスのページを間借りさせてもらっているという(当時の話)。
その数少ない「路線バスファン」にとって、この番組は願望そのものであり、永久保存の神番組に違いない。


恵那峡国際ホテルを見直す

2014年04月20日 | 温泉

恵那峡国際ホテルは、文字通り恵那峡(岐阜県の木曽川)岸に建つ造築を重ねた古いホテルで、安宿チェーンの「湯快リゾート」に買われてからは、一泊2食7500円(税込み8100円)でリーズナブルに泊まれる。

といっても、裏の高台に建つ「かんぽの宿恵那」と比べれば、客室の居住性、恵那峡の眺め、食事の質、浴室の造りでことごとく水をあけられ(この宿はかんぽの中ではすこぶる上質で休暇村レベル)、安さだけに反応する私ではないので、かんぽの方が準定宿の座を得て(恵那峡は名古屋宅から近いわりに転地効果がある)、同じ場所のこの宿は私の”旅宿データベース”からの消去候補になっていた。

ところが最近、かんぽの方の温泉が薄いのが不満になってきた。

そう、最近の私は、温泉か否かだけでなく、温泉の濃さすなわち”効き”を気にするようになったから。

立派な温泉だと思い込んでありがたがって浸かっていても、実際は成分が薄くしかも湧出量が少ないため、おおいに加水してほとんどさら湯に近い場合があることが分ってきた。

そこで、私は、源泉の情報でしかない分析表だけでなく、実際に浴槽の湯を検査して、濃さと新鮮さを測定するようになった。

その結果、温泉宿の評価が、以前とは変わることになった。

この恵那峡国際ホテルもそれだ。

こちらのホテルは、恵那峡周辺に分布する放射能泉とは異なり、「ナトリウム・塩化物泉」類だが「高張性」なのがすごい。

宿の居住性を重視していた私は、しばらくは「かんぽ」を使っていたが、温泉を測る者としては、むしろこちらに魅力を感じ始めた。

改めて、恵那峡国際ホテルの温泉の分析表を紹介する。
分析表は平成24年と新しい。
泉温は32.5℃、湧出量は150L/分と充分、pHは7.8。
溶存量は18800mgとすこぶる濃い高張性。
成分ではカルシウムが70.6ミリバル%(以下同単位)、ナトリウムが28.9,
塩素が99.6で、以上から泉質は「カルシウム・ナトリウム塩化物泉」。
実際、湯に唇を湿らすと強い塩味。
加水はしていないが加温・循環・塩素殺菌をしている。
源泉の地質は黒雲母花崗岩だという(こういう情報はありがたい)。

さて、湯口からのサンプル調査では、残留塩素が0.2mgとちょっと高め(泉質の影響かもしれない)、
pHは6.5,Mアルカリ度はなぜか無反応の0mg。
酸化還元電位は+780と+側に高い(これも泉質の影響かもしれない)。

そして電気伝導度は、「_ _ _ _」。
すなわち4桁の表示限界を超えた10000μS以上。
ためしに、水道水(67μS)で50%に希釈すると、5328μSと表示されたから、ホントに10000μS超えているのだ(たぶん10589)。
先日の東京大谷田温泉には濃さで及ばないものの、貴重な高張性温泉が名古屋圏にもあり、しかもこちらは宿泊できるのだ。

浴室でγ線を測ったら、0.3μSv/hを超えたが、湯にラドンはないはず。
東濃なので地上2階相当の客室でも0.2μSv/hあり、あの値は浴槽に使われている花崗岩の影響だろう。

というわけでこの宿の湯を見直したわけだが、久々に泊まって、この宿自体も評価が上った。

まず、チェックアウトが12時と遅くなり、朝食も10時までと遅くなった。何よりこれがうれしい。
日本の宿は、宿場の”旅籠(はたご)”の伝統なのか、泊まった晩こそ豪華な夕食でもてなすものの、
翌朝は「早起きして朝飯済ませてさっさと出て行け」という冷たい態度に豹変する。
せっかくの旅先で朝ものんびりしたい身には、これが第一に辛かった(のんびりしたい旅宿で目覚ましをセットする悲哀)。

そうでないのは沖縄のリゾートホテルで、そこではランチ代りの遅めの朝食をゆったり味わえた。

ここも安宿ながら、リゾートホテル的応対にシフトしているのがうれしい。

それだけでなく、以前からあった無料マッサージ機が、静かで眺めのよい場所に移って、
しかも場所が私の客室の真上と近く、メインの場所から遠いので、利用者が少ないため、ふんだんに使えるのがいい。
以前は、ゲームセンター内にあったので、ゲームをする客がいなくてもゲーム機が勝手にうるさい音を流しているので、体はリラックスしても心は落ち着かなかった。

客の要望をどんどん受入れて、改善を怠らない態度は好感が持てる。

この宿は、筋肉痛や全身が疲労した時に使える。
何しろたった一泊でも、効きのいい高張性のナトリウム塩化物泉と、ふんだんにつかえる無料マッサージ機を翌日の午前中いっぱい使えるから。
もちろん朝はのんびり起きて、ゆっくり朝食と朝湯を楽しめる。

ただ室内設備や浴室への遠さなど、我慢すべきところはある(それが安い理由)。

朝夕のバイキングは、グリーンプラザに比べると見劣りするが、値段相応であり、文句はない(楽しみでもないけど)。

 

ついでながら、

チェックイン前に、対岸の「紅岩山荘」という放射能泉に立ち寄った(2名以上で宿泊できる)。

分析表によれば、ラドンが80Ci×10**-10とあるものの、その程度では「放射能泉」の基準には達せず、また湧出量が「測定不能」という微少レベルで、溶存量も51mgとやったら少ない(療養泉基準の1/20)。
さらに泉温も16.5℃と低く、”温泉”といえるか疑問。
もともとラドンが薄い上に、湧出量も滲み出る程度で、さらに加温しているので、ありがたみはない。
ただし浴室内は狭く、密封しているので少しばかりのラドンガスはあるかも(放射能泉で露天風呂はありえないから)。
それなら測ってみようと、PKC-107で湯口の湯のBqを測ったら、11.0Bq/gと出たが、バックグラウンドで8.5あるので、実質0.25Bq/g分のラドン。

電気伝導度はたったの101μSと分析表どおりに成分の”薄さ”を確認(脱衣所の水道水は50なので、水道水の2倍程度)。
結果はこんな感じで数値的にはとうてい温泉とはいえず、むしろ限りなく水道水に近いはずだが、
入浴直後はいくら拭いても汗がボタボタ落ちるのは、放射能泉ならではだ。


週末のあんかけスパ

2014年04月19日 | 名古屋周辺

帰京しない週末は、名古屋での”一人暮らしの週末”を体験する日。

一人暮らしにとって、仕事のない晴天の週末といったら、まずやることは決まっている。

そう、洗濯とフトン干し。

特に今の時期は、冬物を洗濯して半年間しまう準備をする。
なので洗濯だけで幾度もするのだが、なにしろ大物のシースやフトンカバーも洗濯して干しているので、物干しに空きスペースが足りない。
結局セーター類の洗濯は次回に順延。

かように午前中は洗濯に費やし、しかも夕方前には干したフトンをこむ必要があるため、今から遊びに出かけられない。
かといって、せっかくの晴天にずっと室内に籠りっきりというのも不健康でいやだ。

なので、昼食を食べに、駅前商店街に繰り出す。

こう書けば、熱心な読者なら察しがつくだろう。

そう、名古屋名物”あんかけスパ”を食べにいくのだ。

幸い、12時半をまわっているので、さすがに満席にはなっていなかった(といっても空席は2割)。

カウンターに腰かけ、「ミラネーズ、1」と注文する。
最後の「1」は1人分という意味ではなく、「1倍」という量の指定。
周囲の客は若者はもちろん、私ほどのおじさん風でも「1.5」(1.5倍)。
小食化した私には、もう1.5を注文することはないかも…
だって、1で満腹になるから。

ほどなく皿に盛られた「ミラネーズ」(ウインナーとベーコン中心に、マッシュルームやタマネギが混じる)が置かれた。

1だから、普通のパスタの量。
だが、ことあんかけスパに限っては、この量は「あえて少なめ」という指定なのだ。
あんかけスパ好きを自認する者の選択肢では本来無い。
まるで、初めておそるおそる食べる初心者のようで、
あんかけスパ専門店の中では肩身が狭い(ちなみに、1.5の上に2がある)。

粉チーズを振りかけ、フォークで具とメンとをからめ、さらにそれらを赤茶色のアンにからめて、口に含む。
焼かれたウインナーのほどよい硬さと塩味がやや酸味のあるアンと合うんだな。

あんかけスパを食べている時に、いつも固有の幸福感を得る。
この幸福感を味わっていると、つくづく名古屋に住んでいてよかったと思う(棲み家から徒歩圏に専門店があるのも嬉しい)。
私が、1.5を今でも羨ましく思うのは、この幸福なひとときを1.5倍長く味わえるから。

この店にやってきて、あえて「1.5」を食べる人たちは、以前の私がそうだったように、「そうだ、今日はあんかけスパの1.5を食べよう」という特別な思いでやってくるはず。
休日のひとときを、特別な幸福感で満たしたいからだ。

そしてこの幸福感を毎回味わうためには、あんかけスパを日常化せず、時々にしか食べないようにしている。

皆より短い幸福感を堪能し、席を立った。
レジでは、5月末期限の「50円引き」クーポン券をくれた。
次回は、この幸福感を50円引きで味わえるわけだ。
来月また来るとしよう。


大谷田温泉に脱帽

2014年04月14日 | 温泉

日本中どこであろうと、地面を掘れば、少なくとも温度的に”温泉”といえる地下水はあるのだから、温泉はどこにあっても珍しくない。

東京の区部にも温泉があり、しかも単純泉でなく、成分的に特徴のある立派な療養泉がある。

ただ、いずれも日帰り施設で、古いものだとむしろ銭湯という造りが多いので、同じ都区内に住んでいても、あえては入りに行く気にならない。

その中で、足立区にある大谷田温泉・明神の湯は別格だ。

なにしろ温泉の”濃さ”が日本有数なのだ。

温泉の濃さは、分析表では、1kg当りの溶存量=蒸発残留物(mg)で示される。
この値が1000mgを越えて初めて成分の効能が認められる”療養泉”と認定され、それ未満だと、成分効果が認められない”単純泉(=単なる自然のお湯)”という名となる。
ただ、多くの温泉は、溶存量が8000mg未満の「低張性」、すなわち浸透圧が低く、皮膚から吸収されにくいレベル。こういう湯には1週間は泊まらないと湯治にならない。
細胞液と同じ浸透圧の「等張性」(<10000mg)になると、皮膚からの浸透を期待していい。
療養泉基準の10倍の浸透圧を越えると「高張性」となり、皮膚からの吸収がよく、短時間で効率的に効能を得られる。ただし、そのような温泉の数はぐっと少なくなる。

さて、大谷田温泉だが、溶存量は、なんと29970mg! 
「高張性」基準のさらに3倍も”濃い”のだ。こんな濃い温泉、今まで入ったことがない。

その大谷田温泉。場所は足立区大谷田にあり、アクセスとしては常磐線の「亀有」(葛飾区)から徒歩15分ほど。

同じ千代田線沿線の東京宅から遠くないので、「源泉かけ流し」デーの本日を逃さず、夕方に向った。

亀有駅の北口に下り立てば、”両さん”の金の銅像が迎えてくれる。そこからほぼ環七沿いに歩き、右折して左側にある。

平日の料金は900円だが、私学共済のおかげで私は1/3の300円でOK。

日帰り温泉なので、平日の夕方でもそれなりに混んでいる。
「大ひば湯」の鉄分で濁った浴槽だけが、どうやら源泉のようで、ナトリウム塩化物泉らしく、唇にあてると強い塩味がする(飲泉不可)。逆に露天など他の浴槽は無色透明・無味なので、水道水かも。

なので、「大ひば湯」だけにひたすら浸かる。

湯口でサンプルを取り、上り湯をしないで、源泉を湿らせた手ぬぐいで体を拭く。泉質のせいでべたつく感じ。

そして、脱衣所で私オリジナルのサンプル検査をする。

まず遊離残留塩素は0.7mgとちょっと濃い目(日帰り温泉であるため塩素消毒がきつい。あと、もともと塩素イオンが強いことも関係するか)。pHは7.5と分析表と同じ。Mアルカリ度は180mgと他の温泉と同じ。

酸化還元電位は+512mVと、塩素消毒されている浴槽によくある値。
ここまでの値は温泉として平凡。

そして、電気伝導度。

私の計測経験から、電気伝導度(μS)は温泉の”濃さ”と相関していることがわかっている。
蒸留水だと0に近く、私の定宿・岐阜の中津川温泉で3400程、栃木の喜連川温泉で6600、最近行った埼玉の都幾川温泉も6458あった。
群を抜いた”濃さ”を誇るここ大谷田温泉の値はいかに。

計器のスイッチをonにして、サンプルに浸けた。

一瞬で数値を示す4桁のデジタル部分が、_ _ _ _という表記。

サンプルから外すと、そこが0になる。

すなわち、サンプルの値は9999を越えて計測不能なのだ!

ということは、10000μS以上ということ。さすが溶存量約30000mg。
電気伝導度は、濃さと相関していることが改めて確認された。

まさか計器の計測限界を超えるとは予想していなかった。
ここ大谷田温泉に脱帽。

こんなすごく濃い温泉が、東京の実家から、地下鉄一本、30分程で行ける所にあるとは(しかも1/3の割引で入れる)…
温泉好きにとって”灯台下暗し”以外の何ものでもない。

惜しむらくは、都内の他の温泉と同じく、落ち着かない日帰り施設であること(それゆえ塩素消毒が強い)。
つまり朝から夜まで日に幾度も入るという行為ができない。

ここが宿泊施設を設けたら、日帰り圏であることなど無視して、あえて連泊したい!

でもこんな高張性、すぐに湯あたりするだろう。
高張性だからこそ日帰りでの短時間の入浴で充分なのかもしれない。

それに泉質は平凡なので、いくら濃くても、筋肉痛と皮膚の傷しか効果がないし…

もし私が好きな放射能泉、硫黄泉、炭酸泉だったら、ここで満足してしまって、他の温泉に行く気がしなくなっていたろうな。


大学生の遠足

2014年04月13日 | お仕事

昨日は、わが学部の新入生の遠足日。

わが心理学科の行き先は、明治村。

地元の学生にとっては、小学校以来だという。

すなわち、ここに遠足に来るのは、われわれとあとは小学校。

ただ小学生に明治村って、逆にふさわし(面白)くないだろう。

実際、小学生達は、スタンプ押しに走り回り、明治建築に見入いる様子はない。

もっとも、われら”心理学科”の新入生も建築とは無縁。

ここにした理由は、往復の距離が適当で、大人数収容のレストランがあるため。

そう、真の利用目的は、明治村のレストランなのだ。

ここで会食して、親睦を深める準備として、午前中は村内を歩く。

時間が限られているので、1つの班を引率者する私は、「ザビエル天主堂」「帝国ホテル」の2大目玉を目ざして巡り、「前橋刑務所の雑居房」内で記念撮影(上写真)と決めている。

見学対象を極端に絞りながらも、明治建築の基本特徴やレンガ建築が日本で廃れた理由、教会や帝国ホテルにおける自然光の使い方など解説する。

会食後は、以前は、自由行動としたのだが、全員歩き疲れるので、昨年からすぐに帰る事にした。

いつもなら新入生オリエンテーションの翌日が遠足日なのだが、今年は曜日の都合で約一週間後。

そのため、遠足の前に班ごとの授業が1度あったため、学生達はすでに仲よくなっていて、毎年のような硬い雰囲気がなく、かえって良かった。

学生同士だけでなく、教員に対してもそれなりに打ち解けていて、学生達の方から、私との写真を所望してくる(卒業式などである)ことなど、今年はじめて。

今年のようなスケジュールの方がいいかも。


新湯の山温泉を測る

2014年04月07日 | 温泉

今週から新年度の授業が始まる。
その英気を養うために、元気の源・温泉に入っておきたい。

名古屋から近場の(街中でなく、それなりに転地効果が期待できる)温泉といえば、三重の湯の山温泉が第一候補に上がる。

湯の山温泉まで奥に入らずとも、その麓(近鉄湯の山駅の近く)に今では汲上げ式の”新湯の山温泉”があり、
そこの宿「ウェルネス鈴鹿路」は、ビジネスホテル並の料金ながら、ちゃんとした2食付きで本物の温泉に入れるので、
温泉旅と意気込むほどではない、ふらりと温泉に浸かりたい時に丁度いい(設備の古さやサービスの簡略性などには目をつぶる)。
ここは鈴鹿山脈核心部の登山基地にも使え、下山後の一浴にも立ち寄れる。

新湯の山温泉は、泉質こそ薄い”アルカリ単純泉”だが、ラドンがそれなりに含まれているので放射能泉としても味わえるのを最近知った(今までこの地の泉質に興味がなかった)。
この宿の浴槽はすでに測ったので、近くの別の宿の風呂も”日帰り客”として利用すれば測れることにも気づいた。

そこで、”源泉かけ流し”を謳っている近くの「グリーンホテル」にチェックイン前に立ち寄ることにした。
このホテルは一泊15000円レベルのちゃんとした宿で、入浴だけなら670円。
階下に下りた風呂は、男湯では3号と4号の2つの源泉を使っており、それぞれ分析表が掲示してある。
見比べると3号泉の方が湧出量が多く、成分も若干濃い目だ。
なので3号泉のみ、記述対象にする。

源泉は深さ1000m以上の地下から汲上げており、泉温は49.5℃、湧出量は毎分500リットルもある。
浴槽への注入量は毎分67リットルで、加温・塩素殺菌はしているが、かけ流しである。
pHは8.6もあり、「アルカリ泉」に合格。実際、肌に付いた石鹸が落ちにくかった。
ラドンは1.62マッヘあり、0.09μSv/hに相当。
ここの湯も微量ながらストロンチウムが0.061mg入っている。
あとフッ素イオンが4.5mgあり、これだけで”温泉”に合格。
飲泉できるがフッ素がはいっているため、飲量が制限されている。
以上は、源泉の値。
実はこれらの値、宿のウェルネスの温泉の分析表とまったく同じ(そもそも宿が近接している)。

次に源泉の湯口からサンプルを取り、実際の浴槽の湯を検査する。
残留塩素は0mg,Mアルカリ度は180mg、pHは私が測っても8.6だった。
電気伝導度は713μS(38.4℃)で、宿にしているウェルネスの値とほぼ同じ。薄い単純泉なので、まぁこの値で納得。
酸化還元電位は+245mV(この値の評価は難しい)。
ついでに木の浴槽の上で空気中のγ線を計測したが、0.15μSv/hと名古屋宅と同じ(花崗岩の浴槽だと高くなる)。
かように、成分的には薄いが、源泉なので上がり湯をせずに、源泉が滲みたタオルで体を拭いた(水分を除きながらも温泉成分を肌に吸収)。
しばらくは体がほかほかし、ウエルネスの客室に入った後も、つけてあった暖房を消したくらい。

前期開始前の晩をこうして温泉で過し、明日の教授会から仕事モードに切り替える。


藤が丘でのあんかけスパvs油そば

2014年04月06日 | 名古屋周辺

久しぶりに、日曜を名古屋ですごす。

我が棲み家がある名東区藤が丘は、名古屋に赴いて真っ先に気に入った所。

そこは周囲の道路一帯に藤ならぬ桜が植えられており、桜の季節には、我ら藤が丘住民は、いながらにして花見を楽しめる特権を実感する。
その特権をめいっぱい味わおうと、4月1週の土日は、駅前の商店街で「さくらまつり」が開催される。

今日はあいにくの寒波で”花冷え”も味わうこととなったが、地元の人が出店を出し、あるいは客にもなって駅前に集り、仮設広場ではプロ・素人入り交じりいろんな出し物が披露されている。

私も繰り出して、雑踏に混じってフランクフルトを手にしたが、公園でないので、座って食べる場所がない。
ビールなど酒類も売っているが、座って飲めないし、だいいち市販品なら同じ商店街のスーパーやコンビニで買った方が安かろう。

かくして出店での昼食はあきらめ、青空市場のある別会場に行き、そこに並ぶ普通の飲食店を物色する。

まず目についたのは、名古屋名物あんかけスパの店。
向かい側にあった狭い店舗がここに移転したことをはじめて知った。
でも昼前なのに中は満席。
私は名古屋にいる日曜の昼はあんかけスパと決めているのだが(ミラネーズかシャンピニオン)、前の店では大幅に時間をずらさないと満席で入れなかった。だが、広くなった今回も同じ結果に。
これほど名古屋人はあんかけスパが好きなのだ(私も)。

その店の並びに、なんと「油そば」の店を発見。

油そばと言えば、東京多摩地域限定のローカルな食べ物で、同じ東京でも区部の私自身、以前は知らなかった(母は今でも知らないはず)。

それが数年前に都心に進出し、新宿西口や秋葉原では専門店が繁盛している。

その油そばがなんと名古屋の住宅街にも進出してきたとは。

油そばの積極攻勢に対し、あんかけスパがあいかわらず愛知限定なのはどうしたことか(私は、名古屋の麺なら、きしめんやみそ煮込みより、あんかけスパを推す)。

そしてこの藤が丘の地で、名古屋対東京の麺対決が(中華料理の店を挟んで)くりひろげられていたのだ。

私は”つけ麺”は許せないので、いくら評判がいい店でも入りたいとは思わないのだが、油そばはラーメンの進化のバリエーションとして許せる。
というか、油そばを最初に食べた時の衝撃がいまだに尾を引いているせいか、普通のラーメンより、油そばの方をついつい選ぶ。

なので、あんかけスパの店に入れなかった私は、ラーメンを素通りして、油そばの店に入った。

こちらは、満席でこそなかったが、それなりに客がはいっているし、昼過ぎには秋葉系の男子どもがどやどや8人も入ってきた(あんかけスパとは若干客層が異なるようだ)。

店内では、油そばが初めての客に、店員が食べ方を実技指導していた(専門店のここでは、最初にラー油を酢をたっぷりかけ、他の調味料もお好みで入れ、充分にかき回してから食べる)。

油そばって、たいてい、普通盛りと大盛りが同じ値段で、若者なら迷わず大盛りを選ぶが(このサービスが客層に影響していよう)、私はカロリー制限のためあえて普通盛りにしている。
それで私の舌と胃は満足する。

自分の人生で大盛りを頼む時代はとっくに終わっているのだ。

と、ここで記事を終わりにするつもりだったが、よく考えたら上の文章は、正しくないことに気づいた。
それはあくまで一般論だった。
こと、”あんかけスパ”だけは、あんかけスパに限っては、それをいただくのは特別な斎(とき)として、日頃のカロリー制限に目をつぶって、1ではなく”1.5”(普通盛りの1.5倍)を注文することがままあることを告白する。

私にとっての”あんかけスパ”と”油そば”の価値づけの違いがこれでお分かりになろう。


新年度の初日の書類の整理

2014年04月04日 | お仕事

わが大学でも新入生を迎え、新年度が始まった。

でも初日の今日は、一挙に忙しくはならず、新入生オリエンテーションの教員紹介と、学科の会議だけ。

新入生を前にしての教員紹介では、初めの学科は、最初の教員が名前だけを言ってそれで終わると、続く残りの教員も全てその通りにした。

ついで我が学科になり、最初の教員が名前だけでなく専門と担当授業を紹介すると、それに続く教員も全てその通りにした。
私はもともと、その程度の紹介をすべきだと思っていたからいいが、逆に名前だけで終わるパターンが続いた後だと、思い通りの自己紹介をする勇気はなかったろう。

すなわち、これが社会心理学のいう”同調行動”で、いい歳した大人も”同調圧”(斉一性の圧力)から逃れられないわけだ。
当事者の心理は、前の人と違う対応をすると、前の人を否定したことになり、そこまでして自己主張する必要はないという判断になる。
だから自己紹介の最初の人は、後続に同調をもたらす特別の位置にある。

自己紹介項目を増やしたところで10分ほどで終わる。

さて、学科会議までは4時間以上の間がある。

その間を、研究室内の書類の整理に充てた。

昨年度とっておいた書類のほとんどを捨てる。

もちろん資源保護のため、捨てる先は再生紙用のゴミ箱。

以前だったら、捨てようか取っておくべきか悩む書類があったが、今では、明らかに不要の書類以外、すなわち取っておくべきものとか一応とっておこうという書類は、全てスキャンスナップでpdfにし(しかもOCR化するので検索可)、それらをクラウドサーバに放り込む。

そして紙の書類は、すべてゴミ箱行き。

考えてみれば、もとの書類自体がパソコンで作成され、それを紙に印刷して配布され、それをまた電子化しなおして保存している。なんか無駄だ。

私のようなタブレット持ちには、最初からpdfでもらって、それを会議で閲覧させてもらったほうがいいのに。

そう、昔から言われていた「ペーパーレス」は、パソコン時代はその逆方向にいってしまい、ここ最近のタブレットとpdfでやっと実現できそうなのだ。

 

 


花見をするならここ:台東・北区

2014年04月01日 | 歳時

消費増税初日の今日ほど、買い物する気が起きない日はない。

こういう日はじっと家に籠っていればいいのだが、陽気もいいし、満開の桜に誘われては、じっとしていられない。

花見というか、桜の写真を撮りに出る。

東京の実家近くの桜の名所といえば、まずは都内有数の本数を誇る上野公園(約1200本)。

確かにここの桜並木は、本数もさることながら、桜の枝が低いことあって、視野に入る桜の密度が濃い(写真)。たしかに壮観だ。

ただし歩道が広く、そこを歩く人が多すぎるので、有名な割りには落ち着いた花見には向かない。
そもそも花見の宴ができる敷地が少なく、また倍率が異常に高く、できたとしても歩道の群衆の視線に晒される。それが優越感となる人はいいが、普通の人には落ち着かない。

もっと近いのは谷中霊園の桜並木(約180本)だが(写真)、ここは何しろ”墓場”なので、本来的に酒飲んで陽気になる場所でない(鬼太郎たち以外は)。

第一の花見の場所といえば、歴史的見地から、なんといっても飛鳥山(約650本)でしょ。

ここは、上野の山から谷中を経て北に続く高台の末端の山。
この飛鳥山こそが、将軍吉宗以来の江戸の花見の発祥地なのだ。

都電も交差するJR王子駅から目の前の飛鳥山に上がれば(「アスカルゴ」という無料のケーブルカーでも上れる)、桜の木々の下に皆思い思いに座って花見を楽しんでいる(写真)。
ここは上野と違って、土の地面が広がっており、立入禁止などのかたっ苦しい規制がなく、自由な雰囲気。
桜の密度が高くないため壮観さには乏しいが、誰でも座って花見ができる点がいい。
一人で来た私でも、一人座ってコンビニで買った発泡酒とおにぎりを食べて花見に興じることができた。
グループ、家族、カップル、友人、一人、いずれもOK。

さらに奥には、子供用の公園広場があり、桜に興味のない子どもたちのはしゃぐ姿を見ながら子連れやママグループはそこの桜の下で楽しくやっている。
敷地内にある北区の博物館では、いつ来ても江戸時代の花見を疑似体験できる(有料)。

王子には、都電が走る通りの向こうにも「音無川遊歩道」の桜並木がある。こちらは川沿いの並木で、”山”の桜とは違った風景を楽しめる。
右写真は、飛鳥山の上に達した「アスカルゴ」とその下を走る都電、そしてその向こうに音無川の桜。