5月29日のわがブログのアクセス数5459件、訪問者数4031名に達し、
172万以上のgooブログの中で29位になった。
この順位はわがブログの最高記録ではないが、久々のヒット。
これもひとえに読者の皆さんのおかげです。
ちなみに29日の投稿記事は「浜名湖の宿で」という
個人的な内容なので、別に人気を博すものとは思えない。
この日には「facebookで有料サイトへの誘導詐欺に遭う」(2011年5/7の記事)へのコメントが2件あった。
この記事はわがブログの記事内でいまだにコメントや最近の手口の情報が来る(計602件)。
公的価値があると自負して投稿したものなので、facebookユーザーにも見ていただきたい。
※同様な内容のインチキメールがLINEでも発生しているという。要注意!
ここ数回は、天竜浜名湖線などの鉄道利用だったが、
今回はこの二ヶ月間一度も給油をしないほど使わなかった
愛車ミニ・クーパー(Rover)での久々のドライブを兼ねた。
といっても東名高速だと1時間強であっけなく着いてしまうので、
一般道を通って緑豊かな作手村付近の三河高原をたっぷり快走した。
何度も訪れている浜名湖の宿に行く目的は、もはや観光ではない
(周辺の観光スポットはすべて巡り、遊覧船は全コース乗った。
ただし遊園地系はどこにも行かず)。
日常生活から離れて、勉強に集中するため。
風呂と食事の時間以外を勉強に費やす”お籠もり”。
今回は、500ページを超えるぶ厚い専門(哲学)書を持参した。
いつも車に積んである折りたたみ式のリラックスチェア
(アウトドア仕様ながら、頭から足先までをハンモック状に支えてくれる最高に快適な椅子)を、
オーシャンビューのベランダで(上写真)、
あるいは湖畔の波打ち際の松の木陰に設置して読書に励む(右写真)。
いつもならiPodで音楽を聴くのだが、ここでは静かでリズミカルな潮騒が最高のBGM。
とにかく風呂と食事以外に用事はなく、またテレビやネットなどに気を散らすこともないので、
読書が進むことこの上ない。
ただしこの快適すぎる環境で読書し続けると、どうしても睡魔との戦いに突入せざるをえなくなる。
そこでリラックスしすぎないよう、別の固めの椅子で読んだり、あまりに眠い時は、あえて立って読んだりした。
なにしろ哲学書なので、文学書のように夢中となって引き込まれるなることがなく、
それでいて理解するためには頭をクリアに保って精読しなくてはならない。
かように苦労しながら、なんとか2日目の夜10時に読み終えた。
その後は、打ち上げとばかり、酒を飲みながら持参したDVDで映画鑑賞。
帰りは、奥浜名湖オレンジロードのんびり走り通し、鳳来寺を経由し、
赤沢弁財天で霊泉をペットボトルに入れた。
私も愛車も満ち足りた旅だった。
少なくとも年に一度は、街中で見ず知らずの者による刃傷沙汰が起きている。
万引犯を捉えようとたり、ちょっとしたトラブルで隠し持っていたナイフで刺される。
なので、我々は、相手が刃物をもっているかもしれないという前提で対応すべきなのだ。
基本は、相手に背を向けないで、自分の視野に入れて対峙する。
そして、相手との間合いを相手の腕の長さの2~3倍はあける。
というのは、攻撃に慣れた者は、踏み出し足や肩も併用するので、
腕の長さの数倍の距離が動作範囲になるから。
そして、足を横に開いた状態で立たず、左足を後ろに引いてやや半身に構える。
この”構え”は格闘技に共通する姿勢で、
前後の移動が容易となって間合いを柔軟に調整できるのだ。
右足でなく左足を引くのは、相手が突いてくる右手側の胸部の間合いをさらにとるためである。
腰をやや落として、股関節と膝関節をいつでも動かせるように伸ばしきらないでおく。
ただ、自分の置かれた空間によっては、後ずさりできない場合があろう。
その場合は、足を(いつも通りに)左右に開き、右側へとすばやく移動する態勢をとる。
相手が右利きなら、相手からみて左側へ移動する対象へは手が届きにくいのだ。
また、刃物の”突き”攻撃を避けるには、後ろよりも横へ逃げた方が確実でもある。
相手が刃物で突いてきたその瞬間こそ、相手の関節が伸びきった”隙(すき)”の瞬間なので、
それを恐れるのではなく、むしろそれを待つ心が必要。
その隙の瞬間、何をすればいいかだが、
こちらが素手なら、無理に立ち向かわず、できるだけ遠のく方がいい。
でも運良く、刃物を持つ手首をつかむことができたなら(それを目指す必要はない)、
相手の刃物を落とす・奪うことは容易になる。
ここから先は、文字での説明はたいへんなので、護身術の本を読んでほしい
(もちろん、練習も必要)。
もっとも、本質的には、刃物に素手で対抗するのば無謀である。
刃物に対しては、それと等しい長さ以上の固い棒があれば、
剣道の心得がある者なら、刃物を容易に払えるし、
小手打ちで落とすこともできよう
(相手は片手で突いてくるので、両手持ちの剣道よりも、
片手持ちの小太刀術やフェンシングの方が有利かも)。
ただ、そのような棒を持ち歩くこと自体がむずかしい
(紳士のステッキはこのような防御に使えた)。
もちろんこちらが刃物を持ち歩くわけにはいかない(銃刀法違反)。
”クボタン”は短かすぎる。
私は八寸の鉄扇を携帯している。
何しろ扇子という実用品なのだから、咎められる筋合いはない(しかも袋に入れておく)。
もちろん攻撃用ではなく、刃物を払う防御用である。
ただし値段は1万円近くするし、鉄製なので重い(普通の扇子売り場には無く、刀剣店で販売)。
出刃包丁に対処するにはもう少し長さがほしいが、携帯用としては八寸が限界。
鉄扇術については、専門の本がある。
あるいは、盾になりそうなもので防御に専念するのもいい(上着を振り回すだけでも攻撃を躊躇させる効果あり)。
※2019年6月の関連記事→「刃渡り30cmのナタを持っている男と対峙したら」
明日オープンの東京スカイツリーを見に行った。
浅草で都バスを降りて、雷門前を通り過ぎ、隅田川にかかる吾妻橋に出ると、
川向こうにアサヒビールと墨田区役所ビルの間にスカイツリーが現れる(写真)。
浅草を訪れた観光客は、指呼の間に見えるスカイツリーにも行きたくなるはず。
すなわち、浅草からスカイツリーまでの1.4kmの道は、
今後の東京観光のメインストリートに発展するだろう
(言い換えれば押上側の商店街は苦戦を強いられる)。
と考えながら、道沿いを歩いていると、目の前、いや頭上に巨大なスカイツリーが再び現れる。
普通の視野には入らないので、思いきり頭を反らせないとツリーの上部が見えない。
ツリーの足下から見上げると、こちら側に倒れてきそうな錯覚を覚える。
ツリー下の運河沿いの道脇には、さっそくスカイツリーグッズの土産物屋が開業しており、
大繁盛の様子。
「スカイツリーまんじゅう」「スカイツリーせんべい」「スカイツリークッキー」「スカイツリーキャラメル」
「スカイツリーベビースターラーメン(もんじゃ味)」など思いつくものは一通りそろってある。
もちろん、ストラップ類や卓上置物は言うに及ばず、形状が細長いだけにボールペン、箸などもある。
開業前日の土産として、スカイツリークッキー(商品名はもっとシャレている)を愛知の職場用に買った。
私の職場の同僚たちは、開業当日にそこの土産を口にできる。
見物人が多いスカイツリータウンの前を歩く。
オープンの明日以降と違うのは、どの店にも客が入っていないだけで、
開店準備がほぼ完了状態なので、風景的には明日と変わらない。
こちらが散財しないですむ分、今日来て問題ない。
もとよりスカイツリーには冬の晴天日までは上に行くつもりはないし、
タウン内のテナントといってもユニクロやらマツキヨやらなので、あえて買物の用もない。
ただレンタサイクルがあるのは、周辺部への観光にいい。
タウン内で唯一オープンしているのはコンビニのファミマ。
そこにはスカイツリーを象ったペットボトル(ミネラル水:400円)とスカイツリーの図が入った東京サイダー(300円)が土産用に置いてあり(いずれも価格は容器代といえる)、
100円値引きのチラシをもらったこともあり、それらを実家の土産に買った。
やはりこの地のオリジナルの商品といったら、土産物か。
あと運河周辺では、地元のボランティアを中心にゴミ拾いの人海戦術。
明日以降どっと押し寄せる人たちは、金以外の望まれないものも落していくんだろうな。
今日だからこそ、オープン後とほとんど同じ風景を、静かな状態で見て回れた。
これで、ここにはしばらく来なくていい。
次は東京の長年の主役・シンボルの地位を奪われた東京タワーに行くか。
スカイツリーを眺めに。
前回の部分日食時に買った大きめのメガネはカメラ撮影用とし、
さらに3倍の大きさで見える太陽専用の双眼鏡(1200円)も秋葉で買って、満を持していた。
唯一の気掛かりは当日の太陽方向の天気。
前日にネットで高層気象予想図を見ると、
関東と西日本には700hPa面(上空約3000m)で上昇流が予想されているので、雲が出るだろう。
ただ、500hPa面(上空約5000m)で正の渦度がないので、降水になるほどの厚い雲ではないといえる。
すなわち、東京で太陽が見える確率は50%と判断した。
さて、当日、6時15分に自然に目覚めた(タイマーのセットは6時半)。
すでに日が差して、家の中からでも日食が始まっていることは確認できたが、
母と、弟一家の住むマンションの12階に行った。
もちろん、12階の高所から見るため。
弟宅に行くと、すでに小3の甥・柊(しゅう)ちゃんは興奮情態。
各自に専用メガネを渡して、親族総出で、マンションの最上階から日食を眺める。
そこに柊ちゃんの同級生の家族が合流し、互いにメガネを交換しながら、総勢9人で日食を眺める。
このビルの他の場所にも、周囲のマンションの屋上にも人が集って、
皆同じ方向を同じような物を使って見ている。
私は、デジカメのレンズに面の広い専用メガネを当てて、めいっぱいズームにして撮影する。
ピントをまず景色に合せ、シャッターを半押ししてピントを固定し、
そのままレンズを太陽にもっていくときれいに撮れる(マニュアルフォーカスでもいいけどね)。
なにせ被写体は太陽なので、シャッタースピードも速くて手ブレの心配はない(上写真)。
7時半を過ぎ、金環日食がクライマックスのリング状になった所で、
やや厚めの雲が太陽を覆ってしまった。
専用メガネを通しては見えにくくなったが、逆に肉眼で苦もなく見えるようになった。
直接自分の目で金環日食を見ることができるのだから、むしろ嬉しい(この写真はfacebookに掲載)。
母は寒いという。
確かに風が出ているが、私は興奮しているせいか、寒さは感じない。
さて、クライマックスが過ぎ、部分日食状態になると、
あちこちの屋上の人たちも、朝餉の準備のためか、引き返していく。
柊ちゃんたちも見飽きてきたようで、走り回っている。
私と母も部分日食の中、帰宅した。
そして、まずは写真をfacebookにアップし(すでに数人の”友達”に先を越されていた)、
どうしても頭の奥に眠気が残っているので、30分ほど仮眠。
頭がすっきりした所でわが私設気象台をチェックすると、
なるほど、東京の”ひぐらし気象台”では、7時から8時の間に気温が2℃も下降している。
母が寒いと言ったわけだ。
また愛知では、”星が丘”も”日進”もともに7時から8時の間は、気温の上昇がストップしている。
もちろん、通常なら朝7時から8時の間は気温が急上昇する時間帯だ。
そうならなかったのは金環日食のせいかもしれない。
その時間帯の日射量は東京は下がり、愛知でも上がらなかった。
ただし、東京は丁度雲が出て、雲の影響も加算されるので、
当時ずっと快晴であった(Webカメラ画像で確認)愛知日進の日射量のグラフを掲載する。
これをみると、日射量が本来直線的に上昇する6時-8時の間に不自然な停滞をしている。
日射量のこの停滞は、午前の日射角上昇による日射量の自然増に対して、
今日だけの日食による日射面の減少が、相殺効果になったためである。
そして気温も同様なグラフになっているので、
日食時は日射量が増えず、そのため気温が上昇しなかったといえる。
しかも東京では厚い雲が覆ったため、日射量自体が減少し、それに伴って気温も下ってしまった。
日本気象学会の雑誌「天気」59巻4号に掲載されていた
(2011年秋季大会スペシャルセッションでの「放射性物質輸送モデルの現状と課題」)。
事故の後、当時発表されていた外国によるシミュレーションや線量の地上分布を参考に、
私が推定した拡散ルートをこのブログに書いていたが、
実際はそれとは異なっていたようなので、今さらではあるが、
多数の報告者の結果をかいつまんで、ここに紹介する。
陸上で大気中の空間放射線量が急増した時期は次の4回だった。
1) 3/12-13:南寄りの風で宮城県東部を南から北へ通過(降水なし)。
2)3/14午前中:北寄りの風で、いわきと北茨城に達した(降水なし)
3)3/15-16:15日朝に2号機からの大規模放出。福島、北関東、長野、新潟南部に主に拡散(降水あり)。
4)3/20-23:南関東、山梨、静岡、山形、宮城北部、岩手南部に主に拡散(降水あり)。これは15日以降に大気中に浮遊していた放射性物質が広範囲の降水によって地上に沈着したものである。
特に3月15日の大規模放出では、放射性物質は北関東から福島中通りに輸送された。
その時中通りでは霧雨だったため、地面に沈着し、それによりその後は阿武隈地域よりも高い値となった。
そして午後になり再び大規模放出が起きたが、その時は風向が変わっていて、北西(浪江・飯館)方面に輸送され、前線通過による降水(雪)により高い沈着量となった。
以上報告より。
私が当初推定した拡散ルートは、15日の午前中は北寄りの風によって関東へ輸送され、
午後は北西風によって、浪江・飯館へ輸送され、そこから中通りに南下したとしていたが、
実際は上の通りであった。
放射性物質の拡散と沈着は、このように風向と天気(降水)に大きく左右された。
もし15日の午前中のままの風向だったら、人口の多い中通りと関東全域の汚染がさらに高まっていたはずで、そうならなかったことはこれらの地域には救いとなった。
だがその一方で、午後の新たな放出が浪江と飯館を住めなくしたした現実も心苦しい。
それにしても、15日に放射性物質を大量放出した2号機がどうなったのかは(水素爆発はしていないらしい)、いまだに不明のままなのが気になる。
なにしろ、今でも線量が高くて近づけないから。
ベランダ側のドアを開けたままにし、風を入れていた。
そのままの状態で、夕食を取り、近所の整形外科にリハビリをしに行き、
そしてパソコンで作業をして、だいぶ冷えてきたのでドアを閉めた。
何事もなく、寝る準備をして、布団を敷き、寝酒をちびりとやりながら、
催眠用の読書をしはじめた時だった。
私の敷布団の白いシーツの上に、自分とはまったく異質の生命体が、
私に接近(すでに充分間近であった)してくるのが目に入った。
その生命体は、長さ10cm、幅5mm、色は黒。
胴は平たく、体節がやたら多い。
動きは、今のところゆっくり(私に接近中)。
体の前方には1cmほどの黒い触角が2本のびている。
そして各体節から左右に伸びている細い足が、足が、…、一度に数えられない数。
これは、ゲジゲジ(ヤスデ)なんかではない、、ムカデ(百足)だ!
そう認識した瞬間、私は素っ頓狂な叫び声をあげ、布団から跳ね起きた。
このままでは、ムカデが私のパジャマの中に入ってしまうから。
足の無い生き物も苦手だが、足が多すぎる生き物も馴染めない。
以前、この室内でゴキブリと遭遇した事があるが、
ヤツは嫌悪感こそムカデ並だが、ムカデにはそれに加えて毒がある。
だからむやみに素手で触れない(触れたくもない)。
幸い手近にあった殺虫スプレーを取り上げ、ムカデめがけて数秒間噴射した。
ふだんは、室内でみつけた小さな虫などは、殺さずに、室外に追い出すことにしている心優しい私だが、
今回のムカデに対しては、そんな精神的余裕はなく、ひたすら防御本能に自分をまかせた。
次の懸念は、ムカデが素早く、室内の隙間に逃げ込むことだが、
殺虫剤はムカデに見事に効き、ムカデは苦しげにのたうち回るだけ。
以降は落ち着いて処理した。
それにしても、何で室内にムカデがいたのか。
もちろん以前から同居を認めていたわけではない。
思い当たるのは1つ。
ベランダ側の網戸のないドアを開けたままにしていたこと(しかも外出までした)。
ここは3階なのだが、蚊はなんの苦もなく飛んでくる。
あれだけ足のあるムカデの事、コンクリの壁を3階までよじ登るのはわけないだろう。
雨上がりだった点も虫が外に出やすくしたかも。
これから暑くなる時期だが、こういう体験をしてしまうと、ベランダのドアを開けれなくなる。
虫の侵入をストップする薬剤を、ドアの下側にも置いておくかな。
昨日は飛鳥の観光ポイントをほとんど廻ったので、
二日目の今日は、行動範囲を”大和”に拡げて、大和三山
すなわち畝傍(うねび)山、耳成(みみなし)山、香久(かぐ)山をすべて登る。
この三つの山は、飛鳥の北方に三角形をなして位置して、一列に並んでいないので、
三つとも登るには移動距離を要する(駅から駅までの三山縦走コースは14km以上とのこと)。
でも今日はレンタサイクルを”一日”借り、天気も夜までもちそうなので(明日はダメ)、
朝食後の9時に予定を挙行すべく出発。
※写真はfacebookに掲載
昨日同様、ソニーのnav-uを自転車のハンドルに取り付け、
まずは、昨日行きそびれた飛鳥の新?名所・高松塚古墳、すなわち大和三山とは正反対の南へ向かう。
終日のレンタルなのだから、多少寄り道しても構わないのだ。
それに自転車って、エネルギー保存の法則を超越していると思えるくらい、運動効率がいい。
徒歩や走りでは耐えられない長さを、同じ人力でありながらいとも簡単に速く移動してくれる。
さて、夫婦で天皇だった天武・持統天皇陵を拝して、高松塚古墳と壁画館を見て、
欽明天皇陵を拝して、ここから先は大型車が行き交う国道脇を緊張しながら走り、一路橿原へ向かう。
壮大な橿原神宮に詣で、お札(ふだ)と土器(かわらけ)の盃を買う。
社殿の上に聳える畝傍山がまるでご神体のように神々しい。
ここからも畝傍山への道があるが、正式な表口は山を挟んで向う側のルートなので、そちらへ向かう。
安寧天皇陵(人皇3代)を拝して、畝火山口神社に達する。
音は同じでもここは「畝火」と「火」がポイント。
確かに畝傍山は火山なのだ
(といってもいわゆる”死火山”なので、古代人が火山活動を知るはずもないのに…)。
神社に自転車を置いて、登山道に入る。
この山は三山の最高峰で198.8mというだけに、
思いの外、登山道が長く続き、本当に山を登っている気分。
ただ傾斜は緩いので、古代の裳姿でも登れそう。
さすがに行き交う人も、すれ違いざまに挨拶を交わすので、登山経験者とわかる。
けっこう手間がかかってやっと山頂に達する。
山頂には社殿跡と国土地理院の三角点の標石がある。
私の胸から上は海抜200mだ。
他の二山以外の方向の展望がよく、本当に山の頂の雰囲気を持っている。
丁度昼時なので、他の登山者たちは昼食をとっているが、私はここがまだ最初の山なので次を急ぐ。
まずは神武天皇陵に向かう。
なぜかナビが大回りを指示しているので、かまわず地図にある最短路を進む。
天皇陵の参道に出る最後だけ階段だったのが、ナビが避けた理由とわかった。
でも、数段なので自転車を担いで参道の砂利道に出る。
神武天皇(人皇初代)陵はさすがに大きく、神域の雰囲気。
思わず神社式の参拝をする。
ここから大通りになるのだが、幅広い歩道に自転車ゾーンがあるので楽。
綏靖天皇陵(人皇二代)を拝して、大和八木の繁華街(レンタサイクルが似合わない)を通り抜け、
目の間に聳える耳成山に向かう。
せっかくなので耳成山の周囲を一周して、登り口の公園に自転車を置いて、まずは中腹の耳成山口神社に向かう。
奉納の灯籠には「耳無山」と書いてある。
いったいこの山は、耳が有る(成す)のか耳が無いのか、どっちなんだ。
神社には、幕末の和算の幾何学の問題の額が奉納してあった。
標高139.6mの山頂には難なく達したが、三角点標石以外に山頂の雰囲気を出すモノがないし、展望も全くない。
中年カップルが缶ビール片手にベンチで話し込んでいただけ。
近所の公園の一部という感じ。
これで2/3終了。
次の香久山の前に、三山の間に位置する藤原宮跡に向かう。
ところが、ナビの設定を間違えて、目的地をなんと名古屋の星が丘キャンパスにしてしまい、
しばらくそれに気づかずに、ひらすら東に向かってペダルを漕いでしまった。
ふとナビの数値を見ると、目的地までの距離が151km、到着予定時間が21時過ぎ
(時に今は13時半。ここから自転車をひたすらこいでも夜9時には帰れるのか)。
早く気づいて良かった。
設定を直して、来た道を戻る無駄をして、藤原宮跡に向かう。
そこに至る道と藤原宮跡地では、大和三山が三方にきちんと見える。
平城京の前の都である藤原宮は、まさに大和三山に守られるために建てられたかのよう(やや香久山寄り)。
ここから香久山は指呼の間。
この山だけ火山でなく、それゆえ独立峰でなく尾根の末端のピーク。
天理教の前に自転車を置いて、山道を登る。
ほどなく、山頂に達する。
山頂には、神話では人格神としては登場しないが宇宙を開闢したというすごい役割の
国常立神を祭る祠と、雨の神の祠が並んである。
三山の中でこの山だけ”天香久山(あまのかぐやま)”と「天(あま)」が付いているが、
実は雨(あま)ごいの山だったためかもしれない。
152mの山頂は無人のせいもあって、神社境内のような森厳さが漂う。
その代わり三角点や頂上を示す標識などがない。
そして、ちょうど畝傍山方向だけ森が切れて、真正面に畝傍山の全容が拝める。
ここから見る畝傍山は端正でかっこよく、惚れ惚れする。
万葉集には、耳成山と香久山が畝傍山をめぐって争ったという三角関係の歌があるという。
ただ三山に男女をどう割り当てたのかは不明という。
たしかに畝傍山はモテる格好をしているが、私はあえて万葉集に異論を唱えたい。
大和三山の位置関係は、正三角形ではなく、
畝傍山だけ他の二山から等しく離れた二等辺3角形をしている。
その位置関係だけからすれば、上のパターンもわかる。
だが山の形からいって、畝傍と耳成が男で、香久山が女だろう。
さらに地球科学と古代中国の陰陽理論を援用すれば、
畝傍と耳成は火山で香久山だけが非火山(褶曲)なので、
三角関係を構成する2対1に分ければ、畝傍・耳成⇔香久となる。
そして火山の火性は陽なので男に対応し、雨ごいの水性は陰なので女に対応する。
だから畝傍と耳成が男として女の香久を求めて争ったとすべきである。
どうだ、私の説の方が、理論的に強固だろう。
ついでに私なりの後日談を加えると、耳成は畝傍の敵ではなかった。
畝傍は標高が高く、姿も端正、そして橿原神宮の奥の院という重職についている。
神武天皇をはじめとする歴代天皇の支持もある。
一方、耳成は香久よりも低く、これといった仕事もなく、
耳が有るのか無いのか煮え切らない性格も災いしている。
なので香久は迷うことなく畝傍になびき、今でも畝傍を熱く見つめ続けているというわけ。
さてこうして大和三山の走破※に成功した。
※:全て歩きなら「踏破」としたいが、自転車で走ったので走破でいい。
標高は黙っておきたいほど山というには低すぎるが、なにしろ日本国家の開闢を見つめたという由緒ある三山であり、
また走破するための距離があったこともあり、達成感は充分感じる。
なので、これで宿に帰って疲れた体を休めてもいいのだが、時刻はまだ14時半。
自転車は17時まで乗っていられる。
そこで、昨日、地図を見て気がついたことだが、国宝十一面観音のある聖林寺が遠くない。
この寺は位置的に他の寺から離れているので、この機会を逃すと行くこともないだろう。
本来仏像が好きな私としては、国宝仏を拝めるなら多少の回り道も苦ではない。
というわけで、ナビの目的地を聖林寺に定めて出発。
どんどんと上り坂が傾斜を増し、両腿はぱんぱんになり、最後は自転車を降りて、
聖林寺の駐車場に着いた。
山腹北面の高台にあるので、三輪山あたりの山野辺がよくみえる。
さて、目当ての十一面観音を拝みに行く。
昔、高校時代の姉が、中学生ながら当時すでに仏像大好きな私に、
この仏をイチ押ししたのを覚えているが、正直、写真を見た限りでは、
金箔のはがれ具合が災いして、好きになれなかった。
ところが、実物は違う。
まずはその端正なプロポーションに目を見張った。
写真では気になる金箔のはがれ具合も実物では(光の加減のためでもあろう)まったく気にならない。
なので、見惚れ、いつまでも見続けていたくなる。
「眼福」とはこのことなんだろう。
立ち去り難く、立ち去るきっかけがほしい。
他の拝観者が「堂内撮影禁止」を逆手にとって、堂外から携帯カメラで撮ったのを真似て、
堂外に退いて、シャッターを切った。
これで「永遠に焼き付けた」ことにして、立ち去ることができた。
我がカメラは性能がいいので、ストロボによる暴力的な光で被写体を台無しにしなくてすみ、
そのままの光で撮ることができた。
三山走破に加えて古代国家の夜明けの遺跡をめぐり、更に国宝仏の眼福を追加して、帰途についた。
宿近くの広大な山田寺跡を見て、16時に宿に着いた。
トータル7時間、走行距離30kmの大サイクリングだった。
京都や奈良の主立った寺には行ったのに、飛鳥を訪れたのは生まれて初めて。
飛鳥路は、徒歩では広すぎ、車では狭すぎ、レンタサイクルが一番。
なのでどうせ行くなら、レンタサイクルでじっくりまわろうと、2泊の宿をとった。
宿は「ウェルネス大和路」。
ここは大浴場があるのと、設備の割に安そうなので選んだ(同系列の「ウェルネス鈴鹿路」は以前から愛用)。
まず初日は、午後1時半にチェックインして(ありがたいことに13時からOK)、宿でレンタサイクルを借り(午後分なので半額の500円)てさっそく出発。
宿で観光マップをもらったが、地図を見ながら自転車の運転はしにくい。
そこで持参したソニーのハンディカーナビnav-uをくねくね曲がる棒でハンドルに取り付けた
(このハンディカーナビ、今では私が所持している唯一のソニー製品)。
今回初めてnav-uのサイクリングモードを使用する。
サイクリングモードにすると、画面には目的地までのアップダウンのグラフ、
速度と走行距離と消費カロリーも表示される。地図も申し訳程度に出るが、
基本は音声案内に頼るしくみになっている。
まずは明日香村に入って最初に出くわす「国立飛鳥資料館」で、飛鳥の歴史や全体像を把握する。
次に、この地の鎮守、飛鳥坐(います)神社に詣で、
そして日本最古級の寺・飛鳥寺で飛鳥大仏を拝む。
大仏に対しては参拝者は平然と写真を撮っていた(ので私も)。
止利仏師系の面長のこの大仏、ダルビッシュに似ている気が…。
この付近の風景はのどかで、完全な田園地帯。
それなりり由緒ある寺もあるが、むしろ目につくのは、宮の跡や不思議な造形の石などの遺跡群。
この地がかつて日本の首都であったという面影はまったくない。
すなわち、歴史の断絶を感じる。
ローマや京都ではなく、モヘンジョダロや殷墟みたいな感じか。
ギア無しの自転車で苦労して山の上にある岡寺に達し
(拝観料に小銭がなく札を出したら文句を言われた。
こっちだってあちこちで入館料・拝観料払って小銭を使い尽くしたのだよ)。
それにしても、どうも真言系の寺って、仏の大安売りをしているようで違和感を覚えるなぁ。
そのまま南下して、石舞台。
これも遺跡だが、石室の内側に入れるとは予想外(地震が来たらこわい)。
自ら仰臥しているような石舞台の造形はそれなりに面白い。
なので近くの土産物屋に石舞台の模型があったら買おうと思ったが、
まったくその気(け)がなく、私から見れば、無個性な土産ものばかり。
飛鳥なら、石舞台か飛鳥大仏をかたどった土産くらいあっていいのではないか
(「根性」などの文字がついていてもいいから)。
最後に橘寺に寄った
(すでに16時をすぎており、閉まっているかと心配したが、17時まで開いていて助かった)。
ここは聖徳太子誕生の地に建てられ、太子信仰の本拠地でもある。
藤原期作の六臂の如意輪観音(国重文)が魅惑的で気に入った。
「和を以て尊しとなす」とある聖徳太子像の色紙を買った
(これが私が唯一購入した土産。この寺の如意輪観音の模型があれば、絶対買った)。
宿にはレンタル終了の17時ぎりぎりに戻った。
まずは初日の半日で明日香村の主立った所は廻れた。
ならば、「事前」をどう見極めるか。
台風なら、テレビレベルで、進路がリアルタイムに分かる。
ただ竜巻などそれより小規模の擾乱(じょうらん)はマスコミの範囲外。
方法は2つに分かれる。
1つは、観天望気。
すなわち、目視で空を見上げて変化を探る。
これがベストで、竜巻の有無や規模、進行方向までがわかる。
雲の様子だけでなく、風向も忘れずに。
竜巻が風下にあるかどうかが一番重要だから。
ただ、ずっと空を見上げているのは、少なくとも屋外で作業している人でないと無理な話。
2つめは、屋内作業者用で、ネットでリアルタイムの気象情報にアクセスする。
まずは気象庁のサイトの「レーダーナウキャスト」画面から、「竜巻発生確度」の画面に入り、竜巻発生確度の値を確認する。
(日本では「竜巻警報」は出せない。現在の観測レベルでは竜巻を把握できないからだ)。
確度が1以上なら、竜巻の発生が1%以上に上がったと判断。
これ以降の詳細な分析は、本当はドップラーレーダーの情報が必要なのだが、
日本では大きな空港にしか設置されておらず、しかも公的な情報提供はしていない。
(気象庁管轄のドップラーレーダー網ができれば、自信をもって「竜巻警報」が出せるかも)。
なので、ぐっと精度は落ちるが、レーダーナウキャストの「降水」と「雷」画面で積乱雲によるらしい強雨帯の移動方向を動画で探る。
電力会社が運営するサイトから、雷(雷雲)の分布と移動を動画で探ってもいい。
どちらのサイトを選ぶかは、更新間隔が短く、空間解像度が高い(詳細)方にする。
また、気象庁の気象衛星画像でスーパーセル(円板状の白い雲)の移動を動画で探るのもよい
(解像度と更新間隔が問題だが、竜巻を起こすほどの雲は衛星画像に表れる)。
ポイントは、いずれの画面も静止画ではなく、”動画”再生すべき点。
移動方向とおおまかな速度と発達傾向を知る必要があるから。
そして、以上の情報から、このままでは雷や強雨を伴ったスーパーセルが接近して来ると思えるなら、
仕事を中断して、外に出て、観天望気に切り替える。
仕事の関係で、観天望気もネット作業もともにできない人は、運を天にまかせるしかない。
ただいくらなんでも雹が降ったら、仕事している場合ではない事態と思ってほしい。
まずは、いつ遭遇するかわからない暴走車の被害を少なくするため、
安全確率がより高い道路歩行の原則を考えてみよう。
すなわち、出発地や目的地側をずっと歩くという、安全基準によらない行動から脱するのである。
なぜなら、道路を余分に渡ることによる距離の損失より、
命の安全性が高まる利得の方がずっと大きいからだ。
このばあい、ガードレールがなくて、歩行者の脇を車がぶんぶん通る道を前提にする。
今回の暴走車の事故を見てもわかる通り、後方から来る暴走車に対応することは難しい。
それに対し、前方からの暴走車であれば、視野の関係で発見を早めることができる。
なので、往来する車が、後方ではなく、前方から来る側を歩いた方がよいことになる。
すなわち、車が前からも後ろからも来る相互通行の道路では、
原則1「車は左、人は右」である。
この原則を使えば、その道路で歩行者同士がすれ違う場合どちらによけるべきかも答えが出る。
車を前方に見る側が車道側によけるべきである。
すなわち、
原則1-2:歩行者同士は、左側によける(相手を右側に通す)。
ではより難しい問題。
車が一方通行の道で、しかも車と同方向、すなわち車が常に後方から来る状態で歩かざるを得ない場合は、道のどちら側を歩いた方がよいか。
この場合は、歩行者ではなく、運転者側を基準に考えよう。
運転者にとっては、運転席側の方が助手席側よりも、近さと視界の点で距離感を正確につかみやすい。
狭い一方通行の道で、道の両側にいる歩行者がいて、車と歩行者との間の距離が同じ場合、
運転者と歩行者との距離は、常に運転席側<助手席側となる。
なので、運転席側を歩いた方がよい。
すなわち、(国産車を前提にすれば)
原則2:車の進行方向の右側を歩いた方がよい。
では、応用問題。
この一方通行の道路で歩行者同士がすれ違う場合は、どうしたらよいか。
これは各自で考えてほしい。
こういう問題を演繹的に考えるのが”作法”の思考でもある。
原則2は、上の相互通行の原則1とは矛盾するが、
該当する場面が異なるから、現実には迷うことはない。
また、しっかりしたガードレールがあれば、以上の原則は忘れてよい。
今回の竜巻は、気象庁によるとフジタ・スケールのF2(風速50-69m)だという。
アメリカのトルネードに較べると、子供のようなもんだが(竜巻映画の傑作「ツイスター」参照)、
日本では竜巻の痕跡すら肉眼で見る機会が滅多にない。
気象予報士としては、竜巻が通った痕跡がどのようなものかをじかに見たいし、
防災士としては、竜巻による家屋等の被害状況を確認したい。
というわけで、私個人のGW最終日の今日、ツクバエクスプレスに乗り、
懐かしの筑波学園都市に向かった。
つくば駅を出て、被害地の北条方面を通る巡回バスを待つが、予定時刻になっても一向に来ない。
30分以上遅れて来た(被災地方面は通行制限があってダイヤがめちゃくちゃなのだと)。
バスは我が母校の大学脇を通り過ぎ、避難所になっている「つくば窓口センター」で降りる。
目の前の国道125号線に出ると、車が渋滞しており、道脇の電線には、
大きなビニールやトタンがぶら下がったまま。
道路脇には無残に壊れた民家(死者が出た)や店舗。
その奥に直撃を受けた北条の集落が続く。
まずは、竜巻の進路を探るべく、南西(風上)側の田んぼに向かう。
道脇の電柱の傾いた方向が竜巻の通った側。
さらに、稲穂や背の高かった草がいっせいに倒れている方向も同様。
それらの倒れた方向の交点が竜巻の通った跡だとわかる。
田んぼの脇道に入ると、電柱が軒並み同じ方向に根こそぎになって倒れている。
その倒れた先には、人が大勢住む雇用促進住宅がある。
道路を渡って雇用促進住宅に行く(ここには福島からの被災者が住んでいるという)。
そこには報道陣の車がずらりと停まって、報道関係者も集っている。
鉄筋5階建ての雇用促進住宅は、竜巻のほぼ進路上にあったようだ。
ベランダに面した大きなガラスはことごく割れ、室内もめちゃくちゃになっているのが外からよく見える。
また進路上の木造の家は、土台を残して壊滅(写真)。
車も宙を舞ったのだろう、窓ガラスは粉々で、ボディもひしゃげている。
まるで、東北の津波跡の風景。
津波と違って単なる空気にすぎないのに、この破壊力に唖然とする。
さらに進路に沿って進むと、桜の木が根こそぎ倒れた元・並木があり、
その奥に、一面泥をかぶったような色になっている木造の集落がある。
コンクリートの太い電柱が根本から折れ、民家を直撃している。
屋根が吹き飛んだ家、一階の出入り口のガラスがなくなり、看板も骨組みだけになった店舗がある。
私と同様、カメラをもった人(報道、防災研究、警察・消防、そしてやじ馬)でごった返す中、
当の被災した住民たちは、かいがいしくも室内の瓦礫と化した家具などを家族総出で片づけている。
昨日までまったく平常な暮しが、一瞬にして多くの物を失う被災者になってしまったのだ。
そう考えると、他人事ではない。
竜巻はどこに発生してどこを通るか、誰にも分からない。
進路を防ぎようがなく、向かってきたら早めに急いで着の身着のまま逃げるしかない。
家も車もアウトなのだ
(「家の奥に隠れろ」というのは、最後の手段。
日本の木造家屋は全面倒壊する恐れがあり、現に今回の死者は家の中での圧死)。
火災でも地震でもないから保険はおりない(追記:火災保険でおりる場合が多い)。
自力で復旧するしかないのか
(被災による全壊の場合、国から最高300万円のお金がおりるので、0からの自力ではない。
だが必要な資金の1/10程度でしかない)。
この惨状を見にいっただけで終わらせるわけにはいかないなぁ。
義援金の送付先をまた1つ増やそう。
※なお、現地で撮影した写真はFacebookに載せている。
被害の甚大さの点ではもっともな事だが、災害の頻度としてはどうだろう。
私としては、毎年死者が出ない年がない”気象”災害への注意をもっと促したい。
なにしろ、気象(大気現象)は地震と違って、実況も予測もともに可能だからだ。
日本を襲う気象災害、すなわち大雨(大雪)・強風・雷・降雹などは、ある1つの大気現象が原因である。
言い換えれば、干ばつ・霜害以外の気象災害は、たった一つの大気現象に注目していれば防御が可能だ。
その大気現象とは、タイトルで分かる通り、”積乱雲”。
積乱雲というと、雷がまず連想されるが、
台風も「ゲリラ豪雨」も竜巻もダウンバーストもみな積乱雲によるもの。
積乱雲とは”空の暴れん坊”なのだ。
積乱雲は、地上と上空(5000m以上)の温度差が大きいときに綿状の積雲からぐんぐん発達する。
しかも30分ほどで高さ10000mにも巨大化するので油断ならない。
といってもたった1つの積乱雲だけなら、夏の夕立程度でたいした被害にならない。
問題なのは、まずは積乱雲が群れの状態となった、マルチセル。
「ゲリラ豪雨」は密集したマルチセルによるもので、それが更に大規模になったのが台風の雲。
寒冷前線のように積乱雲が一列に並んで押し寄せて来る場合もある。
中でも怖いのは、衛星画像で積乱雲の塊が先の尖った”ニンジン状”になって変化がない場合で、
これは積乱雲が同じ場所(ニンジンの先端部分)で次々に発生して、
強い雨がずっと止まないことを意味し、台風以外の豪雨災害はたいていこの雲の下で起きる。
あと、1つながらそれが巨大化したスーパーセルも怖い。
これはアメリカの大平原でトルネードを起こす巨大積乱雲で、
気象衛星から円形の白い雲として確認できる。
円形になるのは、全体が回転しているためと思われる。
今日、茨城のつくば周辺で暴れ回った竜巻も、VTRによると、竜巻の上が巨大な円形のスーパーセルになっていた
(6日13時の気象衛星画像で房総半島の北にある白い円がそれ)。
そしてそのスーパーセルを生んだのは、一昨日8人を遭難死させた上空の寒気
(これは高層天気図で確認できる)。
さて、積乱雲に対する防災の心得だが、
空を覆うような巨大な円形の積乱雲が接近してくるようであったら、
気象庁のサイトの気象衛星画像を確認しよう。
その画像で接近する積乱雲がスーパーセルらしきものだと思ったら、単なる夕立で収まらず、
落雷・降雹、そして竜巻やダウンバーストなどの激烈な突風に注意した方がいい。
また、強い雨にあって、衛星画像での積乱雲がニンジン状で動きがなければ、豪雨災害に対処した方がいい。
山の危険(それは死に直結)は、気象によって左右される。
だから気象予想の正確さと、万が一判断に失敗した場合の予備の装備が命にかかわる。
今年のGWは5日以降でないと登頂に適さないことがすでに予想されていた。
白馬で遭難したパーティは、偽りの青空にだまされたようだ。
温暖前線側ではなく、暖域を含めた寒冷前線側だと、
大気が不安定なため、つかぬまの青空がでることがある。
この青空は雲の切れ間にすぎず、その後猛烈に天気が悪化し、気温が低下する。
これは温帯低気圧が通過する時の通常のパターン。
どのくらい気温が低下するかは、日本アルプス級なら700hPaの高層天気図でわかる。
当時、0℃の寒気が日本に南下していた
(すなわち上空=山の上に寒気が入っていることが分かる)。
5月の晴天なら、日差しが強く、気温も高いので、高い山でも登山中は軽装になる。
一転して強風で気温が低下したら、急いで防風・防寒着を羽織ればいいのだが、
パーティだとリーダーの時宜を得た指示がないとその機会を失う
(個人的印象では、行動中の体温調整のための着替えをおっくうがるのは男性に多い)。
結果、寒気と強風の相乗作用で、体温が急激に低下し、
夏山(トムラウシ、富士)での低体温症による遭難と同じ状態になってしまった。
低体温症になると、行動力も判断力も喪失するので、山中ではいっそう死の危険が高まる。
今回の悪天は、地上天気図でも容易に予想できるもので、
実際に地上に対する天気予報でも悪天だったが、
山の天気は高層天気図の方が実際の風向・風速・気温の参考になる。
さらに地上天気図とは異なる気圧配置(寒冷渦など)も確認でき、
地上の気圧配置の先行現象として、地上の予想にも使われるほど利用価値が高い
(我がサイト「山根一郎の世界」内の「気象の世界」参照)。
山に行く人は、昔はラジオの気象通報を聞きながら自ら地上天気図を描く能力が要求されたが
(私が気象に興味をもったのはその経験から)、
情報通信と予報技術の発達で、今はそれはほとんど不要(週間天気図の範囲内なら)。
代りに必要なのは、高層天気図の読図力だ。
ただ、高層天気図の解説は気象予報士受験用ばかりで、登山者用のテキストがないのが残念。
「山を甘く見るな」、という言葉はいくら言い尽くしても足りない。
私自身も昨日、大平山を甘く見て、ウエアの選択を間違えたほど。
必要以上の装備をして無駄を感じた経験者は、
その後は最低限の装備を目指してしまうことにも注意したい。
もちろんどう考えても3000m級の山に防風・防寒着は必携だが。
GW中の日帰り旅は天気のいい5日と決めていた。
半年前からの予定では、丹沢の仏果山に行くはずだったが、
「変形性膝関節症」になってしまって、膝を酷使する山はご法度。
なので、たかだか300mほどの小山で参道が整備されているなら問題なかろうと、
栃木の大平山に行く事にした。
好天が約束されているので、中腹の”謙信平”から関東平野を一望したい。
予報通りの青空で26℃の中、東武電車に乗り込み、「栃木」で下車。
ここ栃木市は、廃藩置県のごたごたで、県名に採用されたものの、
県庁の座を宇都宮に奪われ、近代的発展からとり残された。
その結果、無粋な再開発から逃れられたため、川沿いに古風な家並が残って、観光名所となった。
だが私はその町を素通りして、西に見える大平山に徒歩で向かう。
義妹の母校を通り過ぎて、いよいよ参道(あじさい坂)にとりかかる。
すでに駅から3km歩いてきたので、額には汗が落ちている。
登り口にある六角堂で、山用のキャップ(帽子)を外し、バンダナを頭に巻いた(汗をとるため)。
ここからは、ゆるいながらずっと石段で、1000段はあるという(段差は低いので膝の負担にはならない)。
ゆっくり登って、やっと山上の神社に着いた。
振り返ると、関東平野の残丘・筑波山が鋭角で平野の向うに聳えている。
息は乱れていないものの、汗はびっしょり。
これほどの登りを予想せず、LLBeanのカッターシャツ1枚だけでアンダーシャツ無しで来たので、
シャツに胸と背中の汗がにじんでみっともない。
同じLLBeanのワークパンツも夏用でないので、暑い。
日差しが強いのでキャップをかぶろうと思ったら、見当たらない。
そうか、下でバンダナにかえた時、いい加減にズボンのポケットに突込んだので、途中で落してきたな。
でも往路を帰るから、道脇にでも置いてあるだろうと楽観。
少し下って、謙信平に行く。
ここは車道が通って、車が多いが、木陰からの展望がいい。
目の前に日本一の関東平野が広がる。
そして地平線の果てには都心の高層ビル群(写真中央)と東京スカイツリーの影。
ここは上杉謙信が、小田原北条氏との同盟のために訪れ、関東平野の眺望に感嘆したという所。
関東管領の身での関東平定が思うように行かず、関東の実権を北条氏に認めた謙信にとって、
その広大な風景は、どう映ったろう(謙信は北陸道に矛先を変える)。
謙信ファンの私も、縁台で蕎麦とビールを口にしながら、謙信と同じ風景を見る。
周囲の木は楓なので、紅葉がすばらしかろう。
だが関東平野を望むなら冬枯れの日が一番だ。
茶店で土産と買おうと思ったが、食指の動いたタケノコの漬物や干したキノコは、
今年はまだ買わないでおこうと、手を引っ込めた。
さて、山を降りる。
往路の石段を、周囲に注意しながら降りる。
なにしろ、今日の装備で一番まともなのは、あのキャップなのだ。
あれはツバが広く、頭を覆う部分はメッシュで風通しが良く、
しかも水を含ませて冷却効果を出すことができる優れものなので、
あきらめるには惜しい。
しかも、他人の汗のついた帽子など失敬していく者はいないはず。
そして、登り口の六角堂に着かんとする頃、
期待通り、わがキャップが、道脇の杭にかぶせてあった。
道に落ちていたキャップをだれかが拾って、そうしてくれたのだ。
他の人たちが、その脇を素通りする中、
私一人がそのキャップに近づいて、堂々と頭にかぶる。
持ち主であることのアピールをこめて。
汗がにじんだシャツも、汗が乾くとその跡もでないので、
これなら人の中にも入れる。
というわけで、帰りは、バスで栃木市内まで行き、蔵の町を散策した。