今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

分杭モデルと命名

2014年05月27日 | 

分杭峠の”ゼロ磁場”は、口コミで自然に広まったのではなく、当時の長谷村(今は伊那市に編入)の観光戦略として広まった。
こういう「パワースポット」の売り出し方は、客観的事実に反する点で問題あるが、観光戦略としてはその斬新さを評価したい(疑似科学的な表現をやめて、「気のスポット」とするなら私は文句言わない)。

実際、ここのパワーを体験するために、全国から人がやって来ているのには驚いた(駐車場には関東・中京はもとより、「新潟」「奈良」「鳥取」ナンバーも)。
遠方からの客は日帰りは無理だから、それだけで一人当り宿泊代1万円は地元に落す。
峠の渋滞を避けるために駐車禁止とし、シャトルバスで送迎すれば、自然を破壊して広い駐車場や客の収容施設を造る必要もなく、排気ガスで木を枯らすこともなく、来客全員からシャトルバスの往復運賃をかせげる。
客は、自然の気を浴びにくるのだから、人工施設は求められず最小限ですみ、客の安全確保のための最低限の設備以外に、コストはかからない。
土産には、無限に汲み取れる水を「秘水」として売ればいい。これもコスパ最高。
客の方も、この地を聖地としてありがたがり、気の場で黙って坐るのが目的なのでマナーがいい。
つまり客層が自然と選ばれ、招かねざる者は来ない。

宿も、瞑想室など客がありがたがる設備(何もない空間)をたいして費用をかえず増設し、
無理して大深度の温泉を掘らずに、水道水に峠の”気”の入った石やトルマリンなど他の効きそうな鉱石を浸すことで、浴槽内で”鉱泉”にしてしまえばいいわけだ。これもいい手だ。
料理につかう水や飲むお茶もすべて、”気”の入った石を通していることをアピールすることで、この地固有の”ありがたみ”という価値が付加される。
かように客はこの地で”パワー”をふんだんに浴びれるので、もう完全にプラシーボ効果にハマる。
そうなれば、連泊し、リピートし、自ら”効能”を口コミで広報してくれる。

設備やサービスのコストはかからず、自然は破壊されるどころか、むしろ丁寧に保護される。
なので、観光資源は無傷のまま枯渇しない。

これからの観光は、このような自然の(実在するかどうかわからないのだから枯渇しない)”パワー”を売りにすれば、最高度のコストパフォーマンスを得られる。

巨大な人工的テーマーパークを莫大な費用をかけて建築し維持する方法がある一方、このような今ある自然に見えない(低コストの)価値を付加して、何も加えずそのまま味わってもらうだけの方法もある。
元来自然が好きな私は後者を応援する。
ゼロ磁場や気のパワーは実在しなくても、山や沢、木々のダイナミックで繊細な息吹に感度を高めて正対する行為は、それ自体で価値があると思うから。
それこそが自然からの”真のパワー”だと、いつか気づけばいい。

この観光戦略(ビジネスモデル)を”分杭モデル”と名づけたい。

ただ、私のような計測オタクが、望まぬ情報をまき散らすのは防げないが。


分杭峠の磁場を測ってみた

2014年05月27日 | 計測

日本全国にパワースポットと自称・他称する地は数々有れど、
珍しくも”ゼロ磁場”のパワースポットとして売り出し中の分杭(ぶんくい※)峠(長野県の伊那市と大鹿村の境)。
※:日本語の発音は清音が原音で濁音は清音の音韻変化(変異形)であることがほとんど(外来語は濁音が原音である場合が多い)。濁音化は”言いやすさ”という実用的理由。だから分杭峠を「ぶんぐいとうげ」と発音するのは許容されるが、読みがなにして原音を否定してまで表に出るものではない。もっとも清音原理主義に進み過ぎると「ふんくいとうけ」となってちょっとやりすぎ。

そこがなぜゼロ磁場なのか、そしてゼロ磁場だとなぜパワースポットなのかは、私はあずかり知らないが、
そもそも、この地だけでなく”パワースポット”なるものを認定しているのは気功師たちらしい。
ここ分杭峠も、地元自治体(旧長谷村、今は伊那市の一部)が観光開発のために中国の著名な気功師の言質を得て売り出した。

一方、本業とは別に”計測マン”の顔をもつ私は、彼ら気功師とは別個に、計器を駆使した多重計測によって、物理学的に実在するパワー(力)スポットを独自に探している。
両者の違いは「パワー」の定義で、「気」か「物理学的力」かによって認定基準が異なるのである。

なので分杭峠のパワーの根拠が、我が計器類では計測不能の”気”とやらなら、私は口出しない。
しかし”磁場(=磁力)”を謳うなら、きちんと科学的計測をすべきだ。
まずはこの私が喜んで測ってみようじゃないか。

というわけで、満を持して、5月25日、峠の麓の「入野谷」という宿に余裕を持って2泊して、じっくり”ゼロ磁場”とやらを測りに来た。
我が装備は、地磁場計、方位磁石、静電位計、電磁波計、ガイガーカウンタ(α~γ線)、
そして霊気計測に欠かせない”幽霊探知器(ばけたん)”。
また分杭峠の地下から汲み取った「ゼロ磁場の秘水」なるものが人気があるというので、水の鮮度・濃度計測に使う、酸化還元電位計、電気伝導度計、pH・残留塩素・Mアルカリ度を測るチェック用紙も用意した。

ただ、その分杭峠には、自家用車では行けない(通行はできても駐車ができない)。
駐車スペースがないため、麓から有料のシャトルバスで往復するしかないのだ。
これは利口な観光戦略である。
乗鞍スカイラインと同じく、自然保護と観光客からのマネー調達の一石二鳥となるから。
観光開発のための資金投入も最小限ですむ。

翌朝、シャトルバス乗り場(栗沢駐車場)まで車で行き、
そこから不定期(平日の今日はおよそ50分間隔だという)のシャトルバス(往復650円)に乗り、
山深い谷を登り、残雪の仙丈岳(3033m)を垣間見つつ、10分ほどで峠に到着。

ほとんどの乗客が「気場」の案内の方に下る中、
私は斜面を上がってまずは石柱のある峠に立ち、そこで計測開始。
地磁気は45.8μT(0でない!),γ線は145nsv/h,静電位は0.0kv(以下静電位はいずれも0なので省略)。
γ線がやや高めだが、わがinspectorは高めに出るし、麓の宿と差はない。

ここから第一の気場と評判の水汲場に向う林道には、がけくずれのため「通行禁止」とあるが、
それは車用なので、無視して入り込む。
しばらく林道を歩いて、大きくカーブにさしかかった所が沢沿いの水汲場(写真)。
そこで測ると、地磁気48.6,γ線167。方位も正常。
沢に入って滝の下の水くみ用のホースが地中から出ている湧水をボトルに詰め、サンプルをとって水質を調べる。
電気伝導度は156μS(10.2℃)、Mアルカリ度は40,pH7.0,酸化還元電位は+350mV。
この電気伝導度の値は湧水として普通、酸化還元電位の値は、東京の水道水(+600)を一晩浄水器に入れた値に近い。
ちなみに、この湧水について「飲料水ではないので、必ず煮沸して飲むように」と丁寧な伊那市の立て札があるが、
普通に山をやっている人間は、塩素消毒をしていない山の湧き水をありがたく飲んでいるので(流水は飲まない)、私は無視して、がぶ飲みする(後日追加:当然ながらその後悪影響は出ていない)。

ここは”第一の気場”だというが、私は何も感じないので、
私が最も信頼するばけたん(霊気探知器)で探知すると、やはり「何もない」との結果。
ただし、沢沿いの濡れた岩にガイガーを置き、β線を測ったら407nSv/hもあった
(空間線量分を除くと250nSv/h程度。nSvはμSvの1/1000,原発事故以外の平常値はこの単位を使う)。
他にも上から崩れてきた岩を測ると300nSv/hを超えていた。
これらの岩は中央構造線の外帯側境界の三波川変成岩だ。

あちこち測っていると、バスの客たちがやってきた。
沢右岸のベンチの上におおいかぶさる木があり(上写真左側の目立つ木)、
その幹を一周する踏跡がある。
多くの人がその木を一周し、中には木にずっと寄り掛かっている人もいる。
私にとってもなんか「気になる木」なので、ばけたんを向けて探知したら、
「良い状態。守り神を期待」と出た。やっぱり。

私も”気”は出せるので(単なる生体反応で、特別のパワーではない)、掌から気を出しながら、あたりの岩などに手をかざしてみたが、
やや暖かい感覚(体温が反射したような感じ)があっただけで、茶臼山高原のパワースポットの岩のようにビリビリくることはなかった
(別の機会に放射温度計で掌の労宮付近を測ると、気を出す前は33.8℃で、気を出すと34.1℃に上がった)。
磁場と水は平凡だが、岩と木は多少何かありそうだ。
といっても、その程度なら他のあちこちにある。

バス停まで戻って、近くの「気場」に行き、そこを測ると、地磁気42.2、γ線167。
私は何も感じず、ばけたんも「異常はない」。

以上により、
分杭峠の磁場はゼロではなく、この地域として普通の値を示している
(地磁気は緯度が上るほと高くなる)。
そもそも断層のぶつかり合いによって磁場がゼロになるという理屈がおかしいので(これについては後述)、私は端(はな)から信じていなかった。
愛知県東栄町の実際の地磁気異常地帯の方がよっぽどわくわくする。
静電位もなく、γ線も周囲のバックグラウンド並。
ただし一部の岩には多少の放射線が出ている。
湧水の水質も平凡で、普通の山の湧き水クラス。

なので、私は、分杭峠をパワースポットとは認定しない

分杭峠は、私の体には影響を与えたか。
4時間分杭峠にいた後、宿に帰り、宿の”妙水の湯”に浸かり、
落ち着いたところで唾液アミラーゼを測ったら75kIU/L。
リラックスしている値とはいえない。

地元が頼っているゼロ磁場の根拠を解説しているのは、知る人ぞ知る佐々木茂美工学博士。
氏によると、「断層の両側から、正方向と負方向の力は押し合って、局部的に零になり、零場が形成されてこの周辺に未知エネルギーが集積されやすいことが判っています」(当地の案内パンフより)。
磁力は方向性をもつベクトルだ。
正方向と負方向の磁力を両側から向かい合せると、「押し合う」のではなく、
「引き合う」のが小学校での理科の実験結果。
それに力学的な力が”押し合う”なら、中央構造線は分杭峠-地蔵峠-青崩峠のような直線的な谷地形にならず、その逆の山脈地形になるはず。
谷地形ということは、左右に引っ張られているのではないだろうか。

すなわち、磁力の向かい合わせと運動力学的な押す力とが意図的にか混同されている。
後者によって磁力が0になるという論理は物理学には存在しない(もちろん、実測で否定できる)。
それに「未知エネルギーが…判っています」※って、「未知」がなんで「判っている」の??という突っ込みもすべき。

そのエネルギーが何であれ、値が0なのに存在を確認できるのか。
素直に考えれば、磁場(磁)=ということだから、「パワー無い」という論理になるはず。

※後日追加:磁力とはN極からS極への一方向の力と定義されている(その定常的な方向性を利用したのが方位磁石。磁石のN極が北を指すのは、磁北極がS極だから!)。
ある場所の磁場を0にする「未知のエネルギー」とは、物理学が定義している磁力を相殺※2する正反対のベクトルをもつ「反磁力」なるものを想定しているようだ。
「反磁力」は物理学で存在を認められていないから「未知のエネルギー」となるわけか。
ちなみに、外部磁場と逆向きの磁場をもつ、ただしN→Sという極性自体は維持している「反磁性体」ならあちこち、われわれの血液中にもある。
もし分杭峠で磁性体の岩石と反磁性体の岩石とが向かい合っているとすれば(計測的には磁場は0になりうる)、
そこでは互いに反発しあうから(これが反磁性体と「反磁力」の違い)断裂したキレット状の地形になるはず。
「峠」は稜線上の単なる低鞍部なのに対し、「キレット」状は絶壁が向かい合う地形で車が通過できるようなのんびりした風景ではない(→北アルプスの大キレット、八峰キレットなど)。
でもそもそも分杭峠の磁場は0でないし…。 

※2:更なる追記。青木孝志工学博士の研究によると、相殺磁場は磁気が0でも、磁気から出る気は相殺されず強化されるという(青木孝志『気の探究と応用』(2019))。もっともここの磁場は0ではないが。

私の結論は以上だが、分杭峠の観光地としての価値は、次の記事で肯定的に評価したい「分杭モデルと命名」へ

分杭峠南の大鹿村に、私が認定したスポットがある大鹿村の新しい磁気スポット

私の計測による「0磁場」は、長野県の最南部、根羽村の茶臼山にあった☞茶臼山カエル館内の磁力スポット

そもそも地磁気を正しく測るには地磁気の正しい測り方


大飯原発訴訟の判決

2014年05月24日 | 防災・安全

関西電力の大飯原発の再稼働を福井地裁は拒否した。

今のままでは、安全が保障されないという理由。

確かに、関電側の安全策の基準となる「基準地震動」という発想は、防災上問題あるといえる。

過去のデータから現実的に起こりそうな被害予想として作成された、
いわゆる「ハザードマップ」は、行政や住民の防災の基準として使われている。

予算の効率性から、それはそれなりに合理性がある。

だが、本来の防災は、起こりうる蓋然性の高さではなく、起こりうる最大値を基準にすべきである。

なぜなら、未来は、過去の単純な再現という確証はないこと(最大値はこれからやってくるかもしれない)。
そして、防災システムの稼働がその時100%うまくいく確証もないこと。

実際に、東北地方太平洋沖地震と福島第一原発の事故はそれを現実にした。

原子力災害の時間・空間的影響力を考えるなら、行政や家庭の防災と同列であってはならない。

すなわち、”想定外”と”フェイル・セーフ”を考慮した防災システムでなくてはならない。

私個人は、原発再稼働そのものに反対ではないが、
日本の電力会社は、福一の事故を本気で反省しているのか疑うことがよくある(無かったことにしたいのではないか)。
「安全基準」をできるだけ低くしようとし、みずから「安全神話」に陥りがちな電力会社側の態度には危惧を禁じえない。


私のまわりに日本製が少ない理由

2014年05月21日 | 時事

武家礼法(サムライの所作)の伝承を我が使命と思っている私が、日本を愛する心をもっていないわけがない。
その私が愛用している品々は、残念ながら外国製(製造地ではなくメーカーが)ばかりになっている。
舶来信仰などないが、特にデザインが気に入り、所有欲をかきたてられ、所有していることの満足感と愛着を得られるからだ。

まずパソコンは一貫してApple(Macintosh SE以来)。そしてタブレットも。
車は2台続けてRoverのmini。
日本車は信頼性は高いが、「数年乗って買い替える」のを前提としている造りなので、愛着がわかない。
時計は、もとより高級志向は皆無なのでスイス製ではなく、カナダ製。
これは木製にこだわった結果。

カメラは、今はパナソニック(Lumix)のハイエンドデジカメ。
でも憧れるの昔からLeica(これについては完璧にブランド信仰)。
とうてい手が出ないから、Lumixのなんちゃってライカ印で我慢。

ヘッドホン(ノイズキャンセリング)とミニオーディオはBose。
掃除機はiRobotのRoomba。

服はL.L.Bean。
腕の長い私は日本製が合いにくい。
アウトドアがベースなのでおしゃれでないが、機能も値段も実質的。

靴はBirkenStock。
足の快適性が最高。
”計測マン”として愛用している数々の計測器も外国製ばかり。
温度計以上の特化した計器は、日本には手ごろな値段の”民生用”がない。

でも白物家電は日本製の圧勝だ。
洗濯機(シャープ)と電子レンジ(東芝)は20年以上使って故障1つせず、20年以上電源入れっ放しの冷蔵庫(ナショナル!)も修理1回で現役。
これらは実用一辺倒の生活の道具であって、必要だがこだわりや愛着の対象ではない。
そしていざというときすばやく修理できるのがいい。
逆に電球(蛍光,LED)は安い中国製でかまわない。

日本製は性能はいいが個性がない。総合平均点はいいが、オリジナリティの押しがない。
皆と同じという志向なら満たされるが、逆にそれではつまらんという志向や明確に特定された志向からは、すなわち私の志向なのだが、中途半端となり、選択肢でなくなる。
だいいち、既存の体制(既得権)をユーザーのために打ち破るイノベーションパワーがない。
ソニーのウォークマンがiPodに負けたのもこのため。
液晶テレビも東芝だが、LANが今どき(買った当初)有線のみに唖然、その点AppleTVは便利だよな。
私が唯一気に入っている日本製品は、富士通(PFU)のScanSnapだ。
これは革命的製品で、発想も使い勝手もすばらしい。
がんばれ、がんばってくれ日本!


トトロのふるさとを歩く

2014年05月20日 | 東京周辺

日曜に図書館で仕事をした代わりに、会議のない火曜、名古屋に帰る前に、狭山丘陵を歩いた。

この一帯は、今では「トトロのふるさと」として自然を残す運動の地。

小学校の遠足で行った狭山湖・多摩湖の人造湖だけだと面白くないが(昔は「ユネスコ村」というものがあった)、

むしろ、「トトロの森」となって、東京近郊では貴重な自然林があらたな魅力となっている。

私にとっては山だと膝が心配だが、ここはたかだか比高100mなので散歩気分で歩ける。

第一、早起きしなくていいのが楽。

西武新宿線に乗り、「東村山」で下車。

ここって、「~音頭」だけでなくいろいろ地元の名物があるらしい。

まず、区部にはない「餃子の満州」の店に惹かれたが、あえて素通りする。

なにしろ、今回持参のガイド本『トトロのふるさと 狭山丘陵見て歩き』(トトロのふるさと財団編)によれば、

東村山は”うどん文化の聖地”で「武蔵野うどん」というのが名物らしい。

さっそくその店に達したが、丁度昼時で満席。それに表のメニューによると”L”で3玉とあり、2L,3L,4Lと並んでいる。

うどん3玉なんて、今の私の腹には無理。
こういう店でMなんて頼むと、周囲の目が怖くなる。

楽しみにしていたうどんを諦め、道脇の店で、1/3の長さののり巻き3巻(各60円、計1本分)を買い、

最初の訪問先・徳蔵寺の待合室で食べる。今の私はこれで足りる。

徳蔵寺の板碑は高校の時見たので割愛し、久米川古戦場跡(新田義貞が幕府軍を破った)を過ぎて、いよいよ丘陵に登る。

この将軍塚へ登る道に入ればすぐに自然の雑木林が続き、映画のシーンを思い出す。

奥多摩などの山地はほとんど針葉樹の植林なので、単相で整然と直立した樹相で面白くないが、

狭山丘陵の森は雑木林なので、樹相も樹形も複雑で、何が出てくるかわからない面白さがある。

まさに「トトロ」にふさわしい。

将軍塚を過ぎ、足下に病院が続く八国山の尾根道を通り(映画のシーンを思い出す)、
一旦住宅地に出て、鳩峯八幡神社に登り返す。

林の中の静かな境内(右上写真)には、トトロならぬ鳩ならぬ烏がのんびり一羽歩きまわっていた。

 

鳩峯公園をぐるっと廻って、保護のために財団が買い取った「トトロの森2号地」を越え、

また住宅地に降り、そして登り返して、ドレミの丘公園の開けた花畑をすぎ、

ネコバスが走ってきそうな森の中の未舗装の車道を進む(右下写真)。

森から明るい浅間神社に出ると、そこには荒幡富士という人工ながら立派な富士塚がそびえている。

頂に立てば、西武園、西武球場のドームなどを一望。
天気がよければ本物の富士とも対面できるという。

近くにある「いきものふれあいの里センター」でトイレを借りるついでに、

さっきの花畑の花の写真を見せて、種類を尋ねたが、野の花ではなく、名はわからぬが外国の園芸種だという。

近隣の人が、種を撒いたらしい。

丘を下って、西ケ谷戸橋で竹林を流れる柳瀬川渡り、西武狭山線の「下山口駅」に着いた。

標高100m台のこの丘陵なら、膝を案じることなく思い切り歩ける。

それに自然の雑木林は、山の植林より見て楽しい。

トトロの森は狭山丘陵のあちこちに分散している。

今日歩いたのは、ガイド本で紹介されている15コースのうち2コース分。

ここなら気楽に来れていい。


コウノエベルト(腰)の評価

2014年05月17日 | 健康

膝以前に腰も積年のトラブルだった私は、このブログですでに登場してある「コウノエ(鴻江)ベルト」を購入し、腰にまいてみた。

コウノエベルトは、骨盤の傾きを”適性”に保たせて、その姿勢を作る筋肉を発達させるための姿勢補助ベルト。

開発者の鴻江氏によると、八百屋さんがかける”前掛け”がヒントだったという。

今では、アシックスから発売されている(ネットで4000円程度)。

宣伝だけだと半信半疑だが、使用者のコメントが肯定的なものばかりだったので、数週間前に購入した。

先日の山にも装着し、大学にもつけていく。

私は骨盤が前傾気味で、そのため腰椎が過剰に前弯し、それが腰痛(背筋痛)を導く。

平地で長時間立っていると腰痛になるが、山でリュックを背負っていると重心が後ろになるので平気。

つまり、姿勢癖による腰痛。

最近では、意識的に上体をやや前傾して(上体は後傾気味だったので猫背にはならない)その反射を利用して不随意に腹筋を働かせ、
背筋の酷使を抑えるようにしているが、意識し忘れると元の姿勢に戻ってしまい、姿勢癖までは直らない。

そこでベルトをしてみると、

まず自然に殿筋が使われるのがわかる。
骨盤の位置を直接調整する殿筋が鍛えれているのだ。

殿筋が発達すれば(引っ張る力が強くなる)、上体の重心移動によらずとも骨盤の位置が適性になりそうだ。

それと私の背中は、骨盤前傾のせいで胸椎がまっすぐになり、「平背」になっているのだが、このベルトを着けると、
骨盤傾斜が正常化されるため、胸椎に自然な後弯が作られた。

そしてもちろん、長時間立っても腰痛にならない。

サポーターは筋肉の代わりになるため、必要以上に着けていると筋肉を衰えさせるので、よほど痛い時以外には使うべきでない。

その点、コウノエベルトは、筋肉の発達を促すので、むしろ日常的に使える。

気に入ったので、膝用も購入した。

膝の方は、腰ほど劇的な効果はないが、気を長くして期待したい。


姉、3年ぶり来日

2014年05月12日 | 身内

イタリアの漫画学校の日本短期研修の引率として、ローマ在住の姉が3年ぶりに来日した。

本来は、毎年の行事なのだが、震災、いやむしろ原発事故の影響(の懸念)で、あちらの生徒の親が愛する子を日本に遣りたくなかったのだ。

調査によると、世界で一番恐れられているアクシデントが「放射能漏れ」なのだから仕方ない。

もっとも、原発事故当時の東京の放射線量が、日々のローマの放射線量より上回ったことはないし、石造りのあちらの家屋内にたまるラドンの濃度も相当なものだろうが(ちなみに東京の自宅では現在たった9Bq/cm3)、人々の恐怖心の根拠ってそんなもんだ。

さっそく近所の「もり一(イチ)」という回転寿司店(回転寿司の中では、コスパ最高レベル)に行き、腹いっぱい握り寿司を食べ、

昨日は、亡父の23回忌法要を2ヶ月ほど前倒しして、久々の元家族全員集合しての法事。

法事といえば、親族が集う機会なので、姉と同年配の従姉たち(父方、母方双方から)も呼んで、これまた久々の”女子会”(女子と言っていいのか…)。

月曜からは、姉の方も引率の仕事や旧知との再会などでほとんど日程が埋る。

私の方も、これからは週末まで授業が入るので帰京できなくなる。

とうわけで、つかぬまの姉弟再会を楽しんだ。


私の登山限界は

2014年05月10日 | 山歩き

先日(5/4)の奥高尾・陣馬山(855m)~景信山(724m)縦走、すなわち都民が最初に登る高尾山(599m)の次の山で、左膝が痛んで歩行困難になったことは、自分の登山人生の危機を迎えたようで、心中かなりショックだった。

なにしろ中学時代から山に登りはじめ、高校はワンゲル部、大学は山岳部に属し、北アルプス・白馬から上高地までの大縦走や岩登り、冬山を経験し、ずっと山を歩き続けて、そして定年退職後の山歩きを何よりの楽しみとしているわが身なのだから。

なもので、自分の膝がホントに登山に堪えないのか、もう一度チェックすることにした。

行き先は、都民が3番目に登る、奥多摩の入口、高水(たかみず)三山(いずれも700m台)。

もちろん今回は入念に、CWXの機能性タイツを履き、その上の腰と左膝に関節の動きを正常化する鴻江ベルトを装着し、そして両手に山用のストックを持つという完全防護のフル装備。

晴天の新緑の中、青梅線の「軍畑」で降り、中学と高校の時以来の”奥多摩入門”の山に向う。

高水山(759m)を越え、最高峰の眺めのいい岩茸石山(793m)に着いた(写真)。もともと登りは問題ない。
ここで昼食(例によって足下の枯枝を集めてソロ・ストーブでカフェオレ)。

調子がいいので、ここからはストックをしまい、二本足だけで歩く。
3つ目の惣岳山(756m)を越え、最後の麓までの長い山下りになる。

最初のうちは、問題なかったが、しばらくすると左膝に違和感を覚えはじめる。いやな予感。

それがはっきり”痛み”になると、いそいでストックを取り出し、足にかかる負荷を減らす。

それでも左膝はどんどん痛みを増し、下界に降りたって最後の駅に向う下りの石段ではまともに膝を曲げられなくなっていた。

ダメだったか。

私の左膝は標高700mが限界なようだ…

入門コースの山しか登れない身なのか…

 私の膝の痛みは、痛みの部位からみて、膝の曲げ伸ばしの高頻度による「腸脛靭帯炎」だと思う。

 

ついでながら、惣岳山の下りの途中、「しめつりの御神木」という巨木が立つ神域(周囲に注連縄)があった(写真)。
巨木のたたずまいに感じるところがあったので、iPadにインストールしてある「幽霊探知器」(ばけたん)を神木に向け、探知ボタンを押してみた。
案の定「良い状態にあります。守り神の出現を期待できます」と出た。
この探知器を使ってきたおかげで、当初はゼロだった私の霊感がかように鍛えられた。


正反対の「良い姿勢」

2014年05月07日 | 健康

もともと腰痛持ちなこともあり、姿勢には関心がある。
そして作法をやっていることもあり、自分なりに勉強もしてきた。
いわゆる科学的な言説では、良い姿勢はほぼ一義的に決まるが、
他の分野の人は別の姿勢を推奨している。
最近の書でいくつか比べてみよう。

まずは伊藤和磨(元Jリーガー)の『アゴを引けば身体が変わる』(光文社新書)。
ここで推奨される姿勢はオーソドックスで常識的にも納得しやすい内容。
基本は西洋科学的な視点だが、イラストを見ると力士の所作が意外に姿勢に良いことがわかる。
個人的に参考になったのは、椅子について、鞍のように跨ぐ方向への進化を提言している点。
常識的だが、旧来の常識にとらわれたものでないため、情報的価値はある。

ところが、同じ光文社新書から出ている『背すじは伸ばすな』(山下久明)は、上の様な常識に真っ向から異を唱える。
著者は歯科医で、皮膚科医・夏井誠の『傷はぜったい消毒するな』に触発され、あのようなインパクとある本を目指しているという。
背筋を伸ばさないとは、アゴを引かずにむしろ上げ気味にし、座る時の腰は丸くするように、上の書とは逆の姿勢を推奨する。
この本の面白いところは、歯科医だけあって口腔内のバランスと全身のバランスとを対応させている点にある。
ただ夏井氏の本と違うのは、実証例に乏しく、あくまで理屈上の話で終わっている点。
それに根拠が骨格ばかりで、筋肉への言及が少ないため、真の体のバランスが理解されているのか疑問を感じる。
体のバランスで参考になるのは、『ぜんぶわかる 筋肉・関節の動きとしくみ事典』(川島敏生著 成美堂出版)だな。

腰を丸くするという、背筋を伸ばすのと逆を主張している本は、他にもある。
中村明一という尺八演奏家による『密息で身体が変わる』(新潮社)だ。
密息という尺八用の呼吸法をするためには、腰を後ろへ倒し、しかも腹を張るという。
実際やってみると腰の前弯がおさまり、腹腔内圧が高まることで、腰がいつもの痛みから解放される。
腰椎をきちんと前弯させるというのが、”背筋を伸ばす”基本なのだが、
私も含め、多くの人は骨盤を前傾させて腰椎の前弯を強めることで、かえって腰を痛めている。
なのであえてそれと逆の状態にすることに意味を感じる。
ただ、椅坐で腰椎を丸くすると、仙骨が背もたれにかかることになり、常識的には、椎間板ヘルニアの危険をもたらすはず。
個人経験だけを根拠にした主張は時には常識破りで面白いが、科学的エビデンスに基づかず、
利点だけを強調し、悪影響についての配慮がない点が怖い。

ただ、西洋科学の主張だけが正しいともいえないのは、和式歩行法を知っている身として実感している。
履物は踵を硬く覆うものでないとダメという洋式歩行を前提とした主張では、
江戸時代の日本人が薄い草鞋で長距離を苦もなく歩けた事実を説明できない(歩行法が異なるのだ)。

結局、アゴは引いた方がいいのか、上げた方がいいのか。
腰は前へ出した方がいいのか、うしろへ丸めた方がいいのか。

私はアゴは引き、腰は前弯をゆるめて後ろへ出すようにしている。


東京が震度5弱?

2014年05月05日 | 防災・安全

明け方、寝ていたら、震度1の微弱な地震が不自然に長く続いたので、これは大きいのが来るかなと思っていたら、
案の定揺れが大きくなり、本棚の上の置物が倒れる音がした。

それで収まったので、起きて、テレビのNHKをつけたら、東京で「震度5弱」とあった。

それは大げさすぎだろ。あの揺れはせいぜい震度4だ。

実際、「5弱」と出たのは千代田区大手町だけ、すなわち気象庁の建物であり、他の都区内はすべて震度4。

気象庁の震度計がいささか過敏なようだ。

ちなみに震源地は、相模トラフ付近なので、東京湾の首都直下型とは無関係で、
むしろ南関東大地震(関東大震災)の関連地。首都直下型とは無関係だからと安心する理由にはならない。

震度4は、本来被害が出ない揺れなのだが、怪我人が数名でた。

いずれも、あわてて逃げようとしての転倒など、薮蛇的な被害。

家屋の倒壊が始まる震度5強だったら、被害者が出ても仕方ないが、

震度4という危険でない事態なのに、危険を逃れるための避難行動で怪我をするとは…
「落ち着いて逃げる」という、基本を忘れないでほしい。
震度6以上だと動きたくても動けないが、
震度4だと動けてしまうから、慌て者はかえって怪我をする。
よほどの危険地帯にいない限り、揺れている最中に逃げるのではなく、
その場で揺れが収まるまで安全を確保する(と学校では教えているはず)。
就寝中であれば、家具の転倒に注意すればいい。


ついでながらその朝、賞味期限が丸1年もすぎた尾西食品の「炊込みおこわ」を自己責任で食べてみた。
まったく問題なく、おいしかった。

この製品は、防災備蓄用の長期保存食なので、1年くらいは誤差範囲といえそう
(ちなみに自分の胃は丈夫な方で、海外の水にもあたったことはない)。

軽量でかさばらないので山での食糧に使えそうだが、湯を入れて20-30分置くというのが昼飯には使えず残念。


陣馬山~景信山を歩いたが

2014年05月04日 | 山歩き

4連休二日目の「緑の日」は、新緑を楽しもうと、陣馬山(855m)から景信山(727m)を歩いた。

この奥高尾は、山をやり始めた中学時代によく歩いたコースで、山を中断後の再出発にふさわしい。

高尾駅の陣馬高原下行きのバス停は、同好のハイカーで大行列になったため、バスは臨時便2台追加。
終点付近は昔ながらの細い道で、和田峠に向う林道を歩きはじめると、新緑が、まるでサングラスを通して見るかのように、緑が濃くあざやか。

陣馬山に直登する「新ハイキングコース」に入ると、元気のいい少年たちが、私を追い抜いていく。
しかし長い登りを経て、ペースを大幅にダウンしている彼らを、ペースを乱さず上ってきた私が、人生の真実を教えるように悠然と抜き返す。

ニリンソウの群落(右写真)を過ぎて、明るい山頂に達すれば、これぞ登山日和というべき晴天のおかげで広大な眺め(上写真)。
近くの奥多摩はもとより、雪渓を残す丹沢、昼近くなので霞み気味になった純白の富士、そして西の甲州の奥には、南アルプスの悪沢岳(3141m,静岡県)がこれも純白な姿を見せている。
この程度の標高でこの広い眺めは陣馬山ならでは。高尾山や奥多摩の山では得られない。

さて私は、登り道で拾ってきた小枝を使って、ソロ・ストーブで湯をわかし、カフェオレを作って、昼食の調理パンとともに賞味。
山中に腐るほど落ちている小枝が燃料になるこのコンロさえあれば、一生山暮しも可能と思えるほど。
しかも白い粉状の灰が残るだけなので、ゴミにもならない。

景信山までは、ほとんど平坦な道で、尾根上の登りも巻道を使う。道脇にミミガタテンナンショウが独特の姿を見せる(右写真)。

山頂の茶店で野草の天ぷらを食べた(300円)。
5種ほどの野草をその場で揚げてもらい、岩塩をふって食べる。
普通、山には昼食を持参するものなので、山上の茶屋でのそば・うどんの類いは縁がないが、下界で味わえないこういうメニューならいい思い出になる。

ここから高尾山に向う縦走路から離れ、麓の小仏バス停目ざして降りる。
この道は、昭和天皇崩御のその日、女性とハイキングで通って以来。
その日の朝、新宿駅で崩御の知らせを聞いたが、景信山ハイキングは敢行し、山頂で昔のコンロを使って彼女による料理を堪能し、
山から降りたら、当時の小渕幹事長が「平成」の文字を掲げていた。
山好きな私だったので、仲良くなった女性にはよくハイキングを誘ったなぁ。

そんな四半世紀前の思い出はいいとして、

なんと、この下りで、またもや左膝が使えなくなった。
前回の奥武蔵のハイクに続いての事態。
どうやら、本当に膝が悪いみたい。
筋肉痛ではなく、明らかに関節痛。
まったく油断して、サポーターもストックも装備しなかった。

もっとも、日常生活ではまったく支障がない。
山での酷使には耐えられないようだ。
落ちていた枝を杖に、痛む左膝をだましだましして、なんとか平地に下り立った。
登山を中学時代のレベルに戻って再会したつもりだが、この膝の故障は、それすら許してくれなさそう。
こんな軽いハイクでも痛くて歩けないほどなのだから、登山再開は無理なのかな。
車で温泉旅をするしかないのかな。

いやいや、もう一度くらい、頑張ってみる。


4連休初日は

2014年05月03日 | 歳時

今年のGWは有り難みが少ない。
とりわけ、土日月がほとんどいつも3連休の私にとっては(基本的に大学2年以来、8割はこの形)、実に有り難みが少ない。

そうはいっても4連休である。
せっかくの連休をどうすごすか。

泊りの旅は混むし高いし、私は普通の週末にできるので、ハナからその予定はない。
どうせ連休が明けると夏まで一気に授業が続くのだ。ここで遊びほうけるわけにはいかない。
とりあえず仕事(講義と研究の準備)の日とそれ以外の日に2日づつ充てることにした。

初日の3日、まずは当然仕事から入る。(`・ω・´)キリッ
帰京時のわが仕事部屋である国立国会図書館は、この期間全休なので、逆にずっと開いている都立中央図書館に行く。
案の定、混んでいる。
私のように国会図書館から流れて来ている人がいることも、見知った顔を見ればわかる。

ここは、休日も遊びに行く先がなく、かといって家にも居づらい人が、金もかけずに時間を過すには絶好の空間。
一部開架式ながら、町の図書館よりは開架数が多いので、本好きならば暇つぶしに事欠かない。
ただ”夏日”なのに冷房が入ってなかったのは辛かった(お役所の運営なので、そういう臨機応援の対応は期待できない)。

私はもちろんMacBookAir持参で作業する。
iPad立て掛け用の簡素な器具にAir を立て掛け(軽いのでなんとかOK)、マウスをUSBにつなげ、キーボードをBluetoothでつなげる。
かように道具立てが必要だが、やはりこうして画面を高くした方が、姿勢もよくなり頸と目が楽。
でも、仕事といいながら、こんなふうにブログ雑文を書いているのだから、仕事効率がいいとはいえないか。(*ノω・*)テヘ