今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

暑さ寒さも彼岸まで

2023年09月23日 | お天気

秋の彼岸中日の今日、小雨の降る東京・文京区の自宅(屋上での観測)での気温が21℃(午前9時現在)。
久しぶりにエアコンを止めて過ごしている。

天気図を見ると、秋雨前線が本州の南岸に沿って横たわっていて、その雨だ(昨晩前線が通過する時はかなり強い雨だった)。
ということは、東京は秋雨前線の北側にあるわけだから、秋の大気下に入ったことを意味する。
基本的には、この秋雨前線は北上しない(まだほとんど前線直下なので細かい上下はあリえる)。

なるほど、いくら異常気象下といえども、「暑さ寒さも彼岸まで」という俚言(りげん:言い伝え)は生きていると実感した。

気(陰陽)の理論でいうと、大気の陽気の極が夏至で、夏至以降は陽気が減衰し、陰気が伸長する局面となる。
そして衰えた陽気と伸びてきた陰気が等価になるタイミングが、秋分(彼岸中日)なのだ。
だから「暑さ寒さも彼岸まで」は、経験則であるだけでなく、陰陽理論からも演繹できる。

ただし気温は、大気状態というより太陽(陽気の源)の熱放射の影響を受けるので、天気によっては今後も暑くなることはある(同じ秋雨前線の北側の愛知・日進では晴天のため現在27℃)。
なので大気状態そのものを見るなら、気温より長周波(トレンド的)な変化をする露点温度の方がいい。
露点温度が20℃を切る状態が続くようになると、夏ではなく秋の大気状態に移行したとみなせる。

今現在の自宅での露点温度は昨日から5℃急降下して20.8℃(愛知・日進の露点温度もほぼ同じ変動)。
大気状態が秋になるのは、あと少し先のようだ。


地元の秋祭り…

2023年09月17日 | 歳時

地元の鎮守の秋祭り。
町会ごとに神輿と山車を出す。
ただ人口減に少子化のご時世。
私が子供の時のような賑わいはない。
その上この暑さ。
アスファルトの道を延々練り歩くのは辛そう。
見物する側も辛い。

鎮守社に行くと、社殿の前は誰もいない。
参道脇には出店が4件(昔はぎっしり並んでいた)。
その参道の中央を何の気なしに歩いていると、参道脇を歩いていた老人から、「参道の真ん中は神様が通る道だ」と言われた。
確かに、特に今日の祭礼の日は、神様があちこちの町内を巡行する日。
急いで参道の左側に寄った。

ここだけだとあまりにあっけないので、やはり祭礼中の隣の根津神社に行った。
こちらは区内最古の神社で、徳川将軍家との関係もある由緒ある神社。
境内も広く、出店がずらりと並んでいる(それでも以前よりは減っている)。

せっかくだから、昼食代わりに何か食べようと思ったが、こういう祭りの出店って買ったはいいものの、食べる場所がない。
境内の歩道脇に腰掛けて食べるのも落ち着かない(ゴミも持帰り)。
それに特に(広島風)お好み焼き(なんと800円)は量が多すぎる。
というもの、せっかく色々な出店が並んでいるなら、複数種食べてみたいのだが、お好み焼きや焼きそばはあれだけで満腹になる。
量を半分にして、値段もそれなりに安くしてくれたら、2軒以上で買って楽しめるのに。
あ、でも食べる場所がないか。

結局、出店を全て素通りして、地元の(冷房の効いた)中華に入って、椅子に座って冷水を飲みながら具材が豊富な五目焼きそば(800円)を食べた。
お好み焼きと同じ値段なら、こっちを選ぶ。

こういうわけで、せっかくの秋祭りを楽しめなかった。
なんか地元神社の祭って、参加者だけのものって感じ。


2日間の断酒生活

2023年09月15日 | 健康

本日、職場の健康診断を迎えるにあたって、2日間の断酒を敢行。
検査でのγGTPの値と体重(酒と一緒にスナック菓子を食べるから)を減らすのが狙い。

言い換えれば、私の生活の最も不健康な部分がこの毎晩寝る前の”酒とつまみ”だ。

元々この悪習は、寝付けない苦しさの解消から始まった。
なんと大学生の時以来続いている。

つまみを食べるのは、酒だけ摂取するより健康的だと思ったからだが、実際にはつまみを食べると摂食中枢が活性化して飲酒量が増え、それがまたつまみの量も増えるという相乗効果(悪循環)になるのは事実。

ただ、飲酒量も食事量も一定以上には増やさない自制は働いているので、アルコール依存にも肥満にもならず、結果的に健康は損ねていない。
※:毎日摂取しても生活・身体に不都合がなければ、「依存」ではなく行動上の「常用」。私は酒以外に、コーヒーや複数のサプリを「常用」している。

また、飲食してそのまま寝落ちするので、口内環境にも良くないはずなのだが、半年ごとの自発的な歯科検診では、歯周病も虫歯もなく(過去にあったが治療済み)、歯もしっかり磨かれているという。

飲酒習慣は、高血圧にはよくないが、善玉コレステロール(HDL)を増やす効果は実際にある(医学的にも確認済み)。
※:私の高血圧は本態性で家族由来のもの。飲酒習慣のない母・祖母も高血圧。

あとアルコール度数(濃度)は抑えているので、食道や胃の壁に損傷を与えず、実際、数年おきの胃カメラで無傷を確認している。

一番気になるのはアルコール代謝を受け持つ肝臓の機能で、γGTPが一定以上高いと禁酒が言い渡されるので、そうならないよう努めているわけだ。

本日の健康診断で、体重と腹囲は昨年度より減少。
血液検査の結果はまだ先だが、少なくとも2日間の断酒による効果は出ているようだ。

ちなみに、いつもと違うこの二日間、入浴後の夕食時の発泡酒の代わりにノンアルコールビールで代用したが、ビール特有の苦い爽快感は得られるので、不満はない。

寝酒(+つまみと映画鑑賞)の代わりについては、読書によって眠気を誘うことで睡眠に誘導できた。
本当は、読書で睡眠に誘う方が研究者としても望ましいのはわかっている。

だが、生活者として、1日の終わりを”楽しみ”の時間で締めくくれなくなるのは、なんかつまらない。
やはり、オンオフのメリハリがついた生活が、少なくとも”精神的”なストレス解放になっていると思う。


記憶は捏造されていた

2023年09月13日 | 心理学

心理学では、人の記憶は捏造されることは周知の事実。
私もそれを命題としては知っているが、体験してはいなかった。

今回、渥美清主演の「男はつらいよ」に接近して、それを痛烈に体験した。

「男はつらいよ」は、映画としてシリーズ化される前に、実はテレビドラマで放映されていて、私自身、かすかに自宅のテレビで観ていた記憶がある(そのドラマが人気を博していて、それが映画化につながったはず)。

その中で一番記憶が鮮明なのは最終回で、寅さんが南の島でハブに噛まれて中毒死するという結末だった。
問題なのは、その最期を見届けた子分が、柴又に戻って寅さんの家族(妹など)に泣きながらその様子を伝えるシーン。
私の映像記憶では、それを伝える子分は秋野大作(ノボル役)で、しかも画面の左側で語っていた。

ところが、この最終回のビデオを見直したら、実際の子分は佐藤蛾次郎(源公役)で、画面の右側で語っている。
番組内では、秋野大作は寅さんと同行せず、近所のレストランでボーイとして働いているシーンがこの場面の前に流れた。

すなわち、私の映像記憶は、実在しない映像だった。
ただ完全に無根拠ではなく、素材が入れ替わっている。
例えばノボル(秋野大作)と源公(佐藤蛾次郎)は、寅さんの子分という関係性では同じ(対等)で、物語の構造的には入れ替わり可能。
さらにノボルは泣き虫だったので、泣いている子分=ノボルという結びつきができやすかったかも。

だが二人の外見・風貌は全く異なるので(佐藤蛾次郎があまりに個性的)、視覚的記憶として入れ替るのはあり得ない(佐藤蛾次郎を秋野大作に見間違えることはあり得ない)。
語る映像シーンが左側(記憶)と右側(実際)と正反対なのも、視覚記憶の脆弱性を示している。

ということは、記憶の捏造は、知覚的類似性よりも、物語的構造の論理(整合性)の方がまさっていて、自分で(納得できる)物語を再構成してしまい、それを頭の中で映像イメージとして捏造したようだ。
作られた映像記憶によって、自分でも「そのシーンを見た」と思い込んで、その後はいつでもイメージ再生できる。

記憶そのものは動物と共通するシステム1の機能だが、現実にない場面を創造するのは、人類固有のシステム2のなせるわざ。
システム2の「物語化」という志向性の強さを痛感する。

人間の頭の中は、事実ではない「物語」が充満している、ということだ(本記事の説明の論理もシステム2による)。


車の中に子どもを置き忘れない方法3

2023年09月11日 | 防災・安全

祖母が預かった2歳の孫を車に置き忘れて、孫が車内で死亡した事故。

この手の事故が一向になくならないなら、なお一層我々は再発防止を自覚すべきだ。

前回の記事(車の中に子どもを置き忘れない方法2)で説明した論理を使うと(前回の記事での提案はまだハードルが高そうなので、ここではさらにハードルを下げる)、

孫を預かったという非ルーティン的状況は、システム2を作動させ、普通なら頭(意識)から離れない。

ところが、運転中(運転はほとんどルーティン作業なのでシステム1に任せられる)、孫とは全く無関係の考え事(システム2)に耽ってしまった。

ミスでもいわゆるポカ的なミスは、システム1がやらかす。
それを補うために精巧な思考ができるシステム2が創発された。

システム2の意識集中がそれを可能にする。
だが、意識集中とは、集中対象以外を意識の外に置くことでもある。
運転中、考え事に集中している間、孫の存在が意識から消える。
それはシステム2の限界なので仕方ない。
そのままの状態で車を降りるとどうなるかは明らか。

逆にその過集中を補えるのが、知覚に依存するシステム1だ。
ただシステム1は、視野にないものは意識に入りにくい(傘を乗り物に忘れる場合)。

つまり、孫を置き忘れた原因となるのは、後部座席に座らせることで、通常の視野から外れ、さらに意識からも外れ、しかもその子が眠ることで音的にも存在感を出せなかった点だ。
ただし助手席より後部座席に配置することは交通安全上は望ましい。
また幼な子がすぐ眠ってしまうのは仕方ない。

「後部座席の幼児は眠る」、ということを前提にすると、
考えられる対策は、システム2でその子のことを思い続ける、
が理想だが、仕事に行く時は、どうしても仕事の事を考えてしまう。
とすると、システム2がその子を意識から外しても、車を降りるときに、その子の存在を思い出せる仕組みが必要となる。

それには、その子の存在を視野に入れるというシステム1的行動を取り入れる。
具体的には、①仕事の荷物を後部座席に置く、あるいは②その子の持ち物を助手席の自分の荷物と一緒に置く(重ねて置くとなおよい)。
すなわちその子の代わりとなる物を強制的に視野に入れる仕組みを作るのだ。
ポイントは、車を出てすぐに使う荷物に近接させること(雨天だったら傘と一緒でも)。
これなら、少なくとも車を出てからまもなく気づくことができる。

①②のうち、確実に忘れないのは、①荷物を後部座席に置く方だが、いつも助手席に置いているとこの行動が取りにくく、また子供が荷物をいじってしまう。
なので②子供の荷物(帽子でも靴でも)を助手席の自分の荷物と一緒に置く方が実行しやすい。

ちなみに、祖母に預けた親や保育施設からの確認の連絡は、ミスの多重防御(フェイル・セーフ)対策であって、もちろんそれも大切だが、ここで問題にするのは、あくまで直接原因の対策(フール・プルーフ)。


柴又に行く:帝釈・寅・矢切

2023年09月10日 | 東京周辺

台風崩れの低気圧が去って、夏に戻った感のある日曜。
低山に行くにはまだ暑いので、都内の博物館見学でもしようかと、行くあてを探した。

23区内から候補にあがったのは葛飾区にある「葛飾柴又寅さん記念館」。

普段なら、今更”寅さん”でもないし…となるのだが、たまたま就寝前のビデオ鑑賞で「男はつらいよ」第1話を見たばかり。
今なら、寅さんが頭の中にいる。

それに加えて、寺巡りの対象となる柴又帝釈天(日蓮宗)は、柴又七福神の1つで毘沙門天を祀っているという。
1つ前の記事にあるように、我が部屋に毘沙門天をお迎えしたばかりなので、これはいい機会。
こういう機会の”巡り合わせ”(共時性)は易学的に意味がありそうなので、大切にしたい。


ということで、京成線に乗って高砂で乗り換え、1つ先の柴又駅で降りる。
駅構内が撮影に使われたので、もう駅のホームから「寅さん」の存在感があり、
改札を出た駅前には、旅立とうとする寅さん(渥美清)と彼を見送る妹さくら(倍賞千恵子)の銅像が距離を置いて立っている(写真)。
まさに二人の別離のロケシーンに遭遇しているかのよう(寅さんは永遠に旅立ってしまった)

観光マップを入手し、帝釈天の参道に入る手前で、左にずれて、町中華で五目焼きそばを食べる(800円)。
参道には、映画にちなんだ名物的な定食を出す店などがあるのだが、定食は私には量が多すぎる。
むしろ訪問地の町中華で五目焼きそばを食べるのが、私なりの楽しみなのだ(微妙に具材が異なる)。

映画にも出てくる参道(団子屋の「とらや」も健在)は、それなりに観光客で賑わっている。
なにしろ、この界隈は国の「重要文化的景観」に都内で最初に選ばれた地で、観光に値する。


参道を越えてまずは帝釈天(題経寺)にお参り。
帝釈堂内に上がれて、厨子に収まった帝釈天を拝む(ここにも神社式の二拍手をする人がいた)
堂外壁の木彫と和風庭園が有料で見学できるというので400円払って見学した。
堂の外周に彫られた木彫は、昭和初期の地元の彫刻家たちによるもので、法華経のシーンをかなり精巧に描いている(写真はその1つで「長者宅の火災」)。
堂の外壁をすっぽり覆う保存措置がされており、いずれ100年もすれば自治体レベルの文化財になろう。
庭園には降りれないが、渡り廊下で一周できる。

御朱印はあるが御影は販売されてなかった。


寺を出て、江戸川に向かって歩いて、山本亭という古民家(カフェ)を通り抜け、公園内の寅さん記念館に入る(500円)。
まずは寅さんの生い立ちの立体紙芝居があり、先に進むといよいよ映画の世界となって、「とらや」の店部分と内側の居間、そこから続く裏庭そして隣のタコ社長経営の印刷所のセットが続く。
これらは実際に撮影に使われたセットで、この記念館に保存されているのだ。
第1話と第2話を見たばかりなので、とらやの居間にある階段(写真:寅さんが上がるときに梁に頭を数回ぶつけた)が気になり、階段の上を覗くと、階段の上がった所まであり、その先の2階部分はなかった。

印刷所のセットでは、当時の活版印刷の設備があり、我が家にも昔、同じ金属製の活字を使うタイプライターがあったのを思い出した。

柴又の街並みさらに柴又駅の再現の所で、現在の京成金町線(高砂と金町を結ぶ)が、間にあるのが柴又駅1つだけのやけに短い支線で、さらに高砂で乗り換える時、同じ会社の支線なのに、他社の線に乗り換えるような改札を2回通る理由がわかった。
この線は、元は帝釈天の庚申の日の参詣用に作られた「帝釈人車鉄道」という人力の鉄路で、ロープウェイの箱程度の車両(6-10人)を人が後ろから押すのだ(明治32年)。
そのジオラマと復元された車両も展示してある。
それが後年、京成電鉄の支線として吸収されたわけである。

実に柴又は帝釈天によって成り立っていた所で、境内には湧水もあって、「帝釈天で産湯を使い」ということは住民にも恩恵があったのだろう。
あと監督の山田洋次ミュージアムが別空間にある。


記念館を出て、同じ公園続きの江戸川の堤防に進む。
「男はつらいよ」のシーンは江戸川の堤防上を歩く寅さんで始まる。
寅さんが旅先から帰ってくる時、まずはここを歩いて、じっくり地元の風景・匂いを味わいたい、という気持ちはよくわかる。

その堤防の先、江戸川に「矢切の渡し」が今でも営業している。
寅さんが旅立つ時、この矢切の渡しの舟に乗って柴又を後にするシーンが第1話にあるが、現実には向こう岸は千葉県市川市の畑で旅のルートになる場所ではない(柴又駅に向かう方が現実的)。
でも絵になるシーンだったので、ぜひ渡し舟に乗ってみたい(一人200円)。
今ではモーター付きの渡し舟なので、直線で対岸に向かえばあっという間なのだが、そこはあえてS字状に進んでくれて、川の風景を味わえる(写真)。
江戸川は両岸に護岸壁がなく、自然状態になっているのがまたいい。

舟が進む川面には、遠目に見て数十センチはある魚があちこちで飛び跳ねる。
船頭に尋ねると、ボラだという。
魚ながら、水中から外(空中)に超出したいと志向する種の中から、我々の先祖たる陸生動物が誕生したのだ。

舟が対岸(千葉県)に着いたのでとりあえず降りるが、畑の中ですることもないので、また次の便で戻る(すなわち往復400円。営業時間内に客がいるタイミングで出る)。
川を渡るだけの短い舟旅だが、こうして人が歩けない水面を移動するのも、貴重な経験をした感じで楽しい(川や湖の舟巡りも趣味にしたいと思っている)。


往路を戻り、途中参道の店で団子を土産に買い、柴又駅に戻った。
今夜も「男はつらいよ」を観ることにしよう。


泥足毘沙門天をお迎え

2023年09月08日 | 生活

我が書斎の仏像フィギュア・コレクションに、毘沙門天が加わった。

以前、吉祥天をお迎えした折り(→記事)、吉祥天は毘沙門天の妻なので、それなら夫の毘沙門天も一緒に飾りたいと思うようになった(暫定的に安いカプセルフィギュアを配置)。

またそれとは別に、私が一番好きな戦国武将である上杉謙信がこよなく信仰したという毘沙門天※のレプリカ像が発売されていたので、ぜひ欲しかったが、本尊並に大きく、手が出ない値段だった。
※:謙信が戰さから春日山城に戻ると、毘沙門堂内に泥で汚れた足跡が点在し、それが本尊の毘沙門天まで続いていたという。謙信は「毘沙門天が我と一緒に戦ってくださっていた」と歓喜し、以来泥足毘沙門天と呼ばれるようになった。

それが今回、泥足毘沙門天の極小仏が発売され、それなら買える値段と大きさだったので、迷わず購入。

本日、台風接近のため在宅中、それが届いた。
木箱を開け、高さ11cmと小柄ながら、精巧に掘られた毘沙門天を、付属の宝棒を差して、守護神なので入り口を固めるべく吉祥天の手前に配置した(写真)。
泥足毘沙門天は宝棒は持っているものの宝塔は持っておらず、空いた手を腰につけている変則的な姿。
歓迎の線香を灯し、毘沙門天の難しい手印を結び、真言「オン・ベイシラマンダヤ・ソワカ」を三唱した。


行けるところまで行くべきだった

2023年09月06日 | 失敗・災難

勤務先の用事が終わって、18きっぷ5回目(最後)を使って、帰京した。
前回の記事でJR東日本のダイヤの乱れぶりを指摘したが、今回のJR東海はすんなり帰りたい。

ところが、今日の午後から東海地方に線状降水帯ができるという予報なので、在来線は新幹線よりも早めに「運転見合わせ」になるため、いつもより1時間早めに乗ることにした。

そしたら、早速、名古屋9:31発の快速豊橋行きが8分の遅刻。
といっても雨のためではなく、沿線火災のため。
途中すごい雨に遭ったが、電車は無事に豊橋に着いた。
乗り換えて浜松まで行き、浜松から興津行きに乗る。
私のようにずっと先まで乗り続ける18きっぱーは、手前の島田で降りて、島田発の熱海行きに乗り換える。
終点の興津で乗り換えるよりも、発駅で乗れば座席が確保できるから(間の静岡駅で混む)。

島田に着く手前で、東海道線が接触事故のため富士—沼津間が不通になっていることを知った。
ただ、その区間はまだずっと先なので、島田で降りて支障なかろうと楽観して、幾多の18きっぱーたちと一緒に島田で降りた。
すると予定していた熱海行きは、運休になっていた。
仕方なしに10分ほど待って、次の興津行きに乗った。
これなら、先の興津行きに乗っていた方がよかった。
こうして走っている運行便もダイヤに遅れを出している。

ふたたびネットで18きっぱー用の運行案内(ジョルダン乗換案内)をチェックし、その指示通り、静岡で降りて、始発の三島行きに乗り、さらに富士で下車して、ここ始発の熱海行きに乗る、つもりで、富士で降りた。
不通区間がなくなったとの案内に安心したためである。
だが静岡県のダイヤは甘くはなかった。
またしても、富士始発熱海行きは運休(こういう情報は当駅で降りないと得られない)。

降りずに終点の三島まで行った方がよかったと悔やんでも後の祭り。

仕方なく次に来た沼津行きに乗り、沼津発三島行きという1駅分だけの変則的な便に乗って、三島で遅れてきた熱海行きに乗って、熱海でやっとJR東の遅れていない便に乗った。

ダイヤが乱れていると、間引き運転がなされる。
そして(特に地方は)便によって行き先が異なる。
なので、こういう時は、目的地到達の確率を少しでも上げるために、行けるところまで行ったほうがいい(行った先で臨時便が出ることもあるし)。
と、本来は心に決めていたはずなのだが、
今回は、「不通区間でないから」あるいは「不通が解消したから」という思い(=正常性バイアス)が判断を甘くした(長時間乗車なので座席の確保を優先したかったことも)。

今一度、心に刻もう。
非常時は、行けるところまで行くべし、と。


1ヶ月ぶりの名古屋宅で

2023年09月05日 | 失敗・災難

昨日、約1ヶ月ぶりに名古屋宅(アパート)に戻ってきた。
長い間部屋を空けるに際しやっておいたのは、冷蔵庫を空にして電源を切ること。
それに車のバッテリーを外して、バッテリーの自然放電を抑えておくことだ(ガソリンは満タンにする)。

そしてしばらくぶりに戻ってまず気になることは、もしかしたら室内に生ゴミなどが残っていて、それに虫がついて、1ヶ月の間に大繁殖していないか(ドアを開けたら部屋中虫だらけ)という懸念だが、これは幸い的中したことはない。
ただ、もう一つの懸念、これは昨年初めて体験したのだが、車のバッテリーをつなげて、セルを回してもエンジンがかからないこと。

残念なことに、これが当たってしまった。
車(エンジン)がうんともすんとも言わない。
もちろん、電気系は点灯し、ガソリンも満タンなので、原因は電気系でも燃料系でもない。
おそらくオイル系が固まってしまって流れないのだと思う。

そもそもこの時期に名古屋に戻ったのは、授業はまだだが会議があるため。
なので車で出勤する必要がある。
今回は、帰宅した前日の晩から、車のエンジン始動を試みて、この結果だった。
時間をあけた翌日になっても状態は同じ。

なので、昨年同様、任意保険のロードサービスを頼む。
ところが、搬入先となるディーラーは本日が休業日だった。
すなわち修理を依頼するディーラーに車を持っていくことができない。

ただ、昨年は、ロードサービスが来ただけで治った。
今回もそれに期待する。

果たして、ロードサービスが来て、状態を示すために、私が車のセルを回す。
すると、わずかに、セルモーターが唸り出してエンジンがかかりそうな音になった。
ただし、この動作ばかりやっているとバッテリーが疲弊する。
そこでサービスの人が持ってきた外付けバッテリーを車のバッテリーにつなげて、もう一度車のセルを回した。
すると、パワーが強くなったためか、車のエンジンが始動した。

やはり、レッカーでの移動は不要だが、ロードサービスに来てもらうしかない。
これで無事に出勤した。


18きっぷで乗ったJR東海

2023年09月04日 | 

9月10日まで使える青春18きっぷで名古屋に戻った。
JR東日本はとにかく毎日ダイヤが乱れる(とりわけ横須賀線の神奈川県内での踏切トラブルが多い)。

そのあおりで熱海着が数分遅れた。

熱海から先の東海道線はJR東海管轄なので、以前は熱海着のJR東日本の便が遅れても、熱海発のJR東海の列車は冷たく定時に出発したが、今回はなんと待ってくれていた。

変化はそれだけではない。
熱海発沼津行きの便の1車両が、まるで特急列車かグリーン車のような豪華な車両で、二人掛けのふかふかな座席になっていて、窓も大きい(写真)。
二人掛けの座席は、豊橋以西の快速と同じく、手動で背もたれを方向転換する方式なのだが、地元の乗でも慣れていないとみえて、折り返し便の方向転換をせず、後ろ向きの座席のまま座っている。

昨年までは、 静岡県内の普通車両は、盛夏の中、無冷房車のロングシートを配置するというJR東海の静岡県内の冷たい仕打ちを痛感したが、今回はずいぶん待遇が改善しているようだ。

この流れでJR東海と静岡県知事は仲良くしてほしい。


関東大震災の慰霊堂で知ったこと

2023年09月02日 | 防災・安全

関東大震災から100年目の震災記念日の翌日、墨田区にある東京都慰霊堂および復興記念館に行った(2011年にも訪れている→記事)。
関東大震災について学び、犠牲者を慰霊する唯一の場所だ(東京大空襲の犠牲者も)。

この地は国技館に近いこともあり「横綱町公園」となっているのだが、大正時代には「被服廠(ひふくしょう)跡」という広場になっていた。
そこに大地震で家を失った人々が集まり、当時は大八車に家財道具などを積んで避難したため、折からの強風で飛んできた火の粉がそれらの布や木材に着火し、この広場一帯が火の海となり、この一ヶ所で38000人もの焼死者を出した(一ヶ所での焼死者数では、信長が一向宗徒を柵で囲って焼き殺した20000人を上回る)
そこは数日後には遺体の焼き場になり、そして遺骨の埋葬場となった。
その跡地は公園を予定してたのだが、こういうわけで昭和5年に慰霊堂が園内に建てられた(写真)。
慰霊堂の建物は、前半部が寺院の本堂の形で、ここで慰霊祭が行われ、後半部が三重塔でここに遺骨が納められている。

慰霊堂では2日も午後三時に慰霊祭が開催され(本日の主催は都神社庁)、正午過ぎに着いたら、神官らしき服装の数人だけが、最前列で慰霊の準備をしている。
祭壇前のすでに用意されている献花には、秋篠宮、内閣総理大臣、東京都知事などの名前が記してある。
私も線香に火を灯し、鈴(リン)を鳴らして、合掌した(このように記念堂そのものは仏式)。

次に堂の斜向かいにある復興記念館に入る。
こちらも戦前の重厚な建造物で、中はひんやりしている。
2011年に訪れた時とは展示内容も異なって、新たな情報を得た。

最も驚いたのは、当時の被災風景の写真は、被害を大きく見せるために、火災の煙を合成していたということ(写真:展示写真を撮影)。
この震災だけでなく、当時は、こういう細工が平然と行なわれていたという。
私自身の関東大震災の風景として記憶の中にあった、被災した建物の背後に濛々と立つ煙(≒ジブリアニメ「風立ちぬ」の震災シーン)は、誇張だったのだ。
100年前からフェイクニュースが作られていたとは。

言い換えれば、震災の被害を正しく伝えることの重要性をあらためて感じた。
ならば実際の被害はもっと軽微だったのかというと、そうではない。
たとえば、一番の被害地である「被服廠跡」での焼死者の写真(最も悲惨な状況)は展示されていない(本の写真集で見た事がある)。
このため、ここの展示だけでは被服廠跡の惨事のイメージがわきにくい。
同館にある空襲の展示では、炭化した焼死体の写真があるのだが。

それと、この震災によって火災の延焼を食い止めたのが、上野公園などの並木や広場であったことが判明し、これによって広域避難場所としての公園が整備されることとなる(ただし燃えやすい物を持込んで避難しないこと)。

慰霊堂の横には、朝鮮人犠牲者追悼碑があって、昨日の震災記念日に慰霊祭が行なわれたようだ。
彼らもフェークニュースを信じた人たちによる犠牲者である(彼らを自警団から守った日本人たちもいた)。
ここでも合掌した。
最後に慰霊堂裏側の三重塔側にまわって、そこの閉じられた入口でも合掌した。

ここから安田庭園を抜けて、国技館入口を素通りし、総武線の線路をくぐった先の回向院(えこういん)に立ち寄る。
ここは、江戸時代に引き取り手のない横死者供養のために建てられた寺で、江戸の火災や海難者の供養碑に並んで、関東大震災の横死者90余名の墓があるのだ(写真:左のこちら側の碑。碑には人名が記されてない)。
もちろん、ここでも合掌した。
この寺は、その他に動物の供養も(江戸時代から)受け付けていて、ペットの集合墓地(霊廟)もある。
真新しい立派な愛猫供養碑の上では、生きているネコが体を伸ばして眠っていた。

かように関東大震災の供養なら、慰霊堂と回向院を廻るといい。

それにしても、これらを廻っただけで、汗びっしょり。
気候的には、まだ歩き回る時期ではない。


池袋西武とヨドバシカメラ

2023年09月01日 | 時事

池袋西武百貨店がストを挙行した翌日、アメリカの投資会社にそごう・西武が破格値で売却された。

私にとって池袋西武は、最も身近なデパートで、愛着もひとしおある。
何しろ、池袋といえば西武ばっかりで、駅の反対側に東武デパートがあるのを知ったのは小学校6年になってから。
大人になってからは、服や靴などは新宿の伊勢丹が気に入っていたが、伊勢丹は駅から遠いのが難点。
その点池袋西武は駅と直結しているからなおさら足を運びやすく、とりわけ書店が気に入っていた(糸井重里の有名なコピー「おいしい生活」のポスターを部屋に貼っていた)。
それに西武のカルチャースクールにも通っていた(なんとジャズダンス!)。

だが、その私がここに足を運ぶのは、今では年末に正月食品としての萩のかまぼこを3本買うだけとなった。
まず本、 CD・DVDはそれ自体を買わなくなり(ダウンロード)、服もデパートでは買わなくなった(特定ブランドの専門店で買う)。

というわけで、ここだけでなく、デパートそのものにまったく足を運んでいない(寄ってもデパ地下)。
その意味では、デパートの業態が変わるのは、気持ちとしては寂しいが、実際には支障がない。

むしろヨドバシなら今より足を運ぶに違いない。
もともと高校時代写真部だったので、新宿のヨドバシカメラは、本当にカメラ・写真が趣味の人向けの貴重な店として現像用の印画紙などを買うために通っていた。
だから新宿なら断然地元のヨドバシだが、それが秋葉にできた時は反発し、もっぱら電気街に足を運んだものの、普通の家電やスマホケースなど多くの種類から選びたい時、仕方なくヨドバシに足を運ぶようになった。

家電量販店としては昔はビックカメラ(池袋本店)ご用達だったが(一時期ヤマダ電機)、今ではほとんどヨドバシ一択になっている(プリンタは下取りしてくれるので今でもビック)。

反対側の東武デパートもすでにフロアをテナント貸しになっていて(ニトリやユニクロ)、これからの日本はどう見ても外商向けの高級路線ではなく、大衆向けの量販店タイプになっていくだろう。
私にとっても、ヨドバシ、ビック、ヤマダと量販店をはしごしてまわれた方が価値がある。


秋空と雲の種類

2023年09月01日 | お天気

例年より暑かった8月を終え、9月に入った。

すると、空の様子も、今までのいかにも水分が多そうな濃厚な積雲から、厚さが減ってちぎれ雲のよう横に広がる層積雲に替わり、上空には秋空の象徴である巻雲が薄く筋を引いている。

このように雲の名称は、「いわし雲」「うろこ雲」などの俗名称よりも、気象学で使っている分類名称の方がシステマティックで理解しやすい。

それによると、雲は、縦に厚い塊の積雲、雨あがりの山の中腹に横に薄くたなびく層雲、そして高高度に濃淡の筋のある巻雲に分けられ、

積雲や層雲よりも高度が高い(巻雲よりは低い)ところに、団子状に広がる高積雲、横一面に広がる高層雲(曇り雲)がある(高巻雲というのは無い)。

そしてそれぞれの中間形態があり、積雲の高度には層積雲(厚さがあって横に並ぶ)、巻雲の高度には巻層雲(太陽を透す薄曇りの雲)、巻積雲(粒状の巻雲)がある。

この他に、積雲が巨大発達した積乱雲(あらゆる気象災害の原因)、典型的な厚い雨雲の乱層雲という乱れ形があり(乱巻雲というのは無い)、この2つ例外的に低高度から高高度までぶ厚い(なので雨をもたらし、昼でも暗くなる)。

さらにこれらの間で種類が変化する。
積雲が大発達する積乱雲は同種での変化だが、ほかにも巻雲にひびが入って巻積雲になり、その高度が下って(厚くなって)高積雲になり、それが凝集して高層雲になり、その厚さが増して乱層雲になる、という、温暖前線接近に伴って天気が悪化していく過程の変化も典型的。