今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

日曜に大学に行ったら

2016年01月31日 | お仕事

後期試験の”地獄の採点”(締切が短く、その間に入試がある)と、名古屋宅のネットが接続できなくなってしまったせいで、ブログの更新が滞っている。
そういうこともあり、日曜ながら勤務先の大学の研究室に行って採点業務をした。

100人超えの授業をいくつも担当しており、その科目ごとに同じような答案をずっと読み続けるのってつらい。
集中力の維持にも限界があるので(集中しない状態で採点するわけにはいかない) 、きりのいいところで止めて、続きは帰宅して今夜にする。

無人のキャンパスを通り、部外者は入れない門に近づくと、門の入口で4,5人の女性たちが記念写真を撮っていた。

卒業をひかえた4年生かと思ったが、それなら休日に来て門の外に遠慮がちにいるのもおかしい。
あるいは、ここを志望する受験生かもと思ったが、受験するだけでは記念写真は撮らないだろう。

門を出て、彼女たちに目をやったら、挨拶してきて、私の名前を呼んだ。
その中の一人は、私の卒論をとったという。

卒業生たちだった。
6年前の。

そのブランクもあり、顔だけ見ても思い出せなかったが、卒論のテーマを聞いて、ありありと思い出せた。

同級生同士で名古屋に集まり、ひさびさに母校まで足を運んだのだという。
平日なら、校内に入れて、教員とも面会できたろうに、と思ったが、社会人なのだから休日にしか来れないか。

少なくとも一人にとっては、まったくの偶然だが、懐かしい人間に会えたことでもあるし。

こうして旧友たちと連れ立って母校を訪れてくれるのは、学校側の者としてうれしい限りだ。


八甲田忌

2016年01月25日 | お天気

ひどい寒気に襲われている今日、1月25日は、
明治35年、青森県八甲田山で199名の大遭難事件が起きた日でもある(遭難は28日まで続く)。
この事件は、新田次郎が小説化し、それを原作として映画化もされた。

その時は今以上の異常に発達した寒気に北日本が覆われ、旭川で最低気温の日本記録が作られた。
そういう時、運悪く、豪雪の八甲田山に青森5連隊が雪中行軍に入り込んでいたのだ。

Yahooの「Y!地図」だと全国の積雪分布(降雪量、積雪深)が地図上に表示される。

その積雪深を見ると、2016年1月25日現在、一番積雪が深いのは山形の月山一帯(夏でもスキーができる)。
ついで飯豊山、そして守門山と新潟方面の日本海側が多い(北海道より積雪が多い)。
ただ東北北部では八甲田山が群を抜いている(以上、いずれも3mを越えている)。 

私は個人的に、毎年1月25日を”八甲田忌”に制定し、その日は神妙な心で映画「八甲田山」を観ることにしている。
もちろんこの出来事に思いを馳せるためであるが、もうひとつ、日本映画のひとつの頂点としての価値もあるからだ。 
このようなパワーのある映画は今はまず予算段階で却下されるだろう。
ちなみに、この映画は、封切り時、後にも先にも唯一、われわれ家族全員で観に行った映画だ。 


武州松山城と東の松山

2016年01月24日 | 城巡り

戦国時代の混とんとした関東で、争奪戦となった城、それが(武州)松山城。

松山城は埼玉県東松山にある(ほとんど東松山だが、正確には川を挟んだその東隣の吉見町)。

東松山は、埼玉のど真ん中にあり、「埼玉のヘソ」といわれる。
東松山から始まる”比企”という関東山地と関東平野の接点地帯に、山城が連続して築かれており、一連の山城の平野側の端が松山城である。
山城でありながら、江戸時代早々に廃城になったことでかえって保存がよく、周囲の山城ととも国の史跡に指定されている。

山城に興味を持ち始めて2年目となった今、その松山城を訪れた。

東武東上線の東松山駅に、今冬一番の寒風吹きすさぶ中降り立ち、まずは腹ごしらえの店をさがす。

電車内で、ネットで調べたら、東松山は”焼き鳥”が名物という。
だが、消極的ベジタリアンだし、ランチに焼き鳥というのも食指が動かず、
駅前の有名焼き鳥店「ひびき」に隣接する「ぎょうざの満州」に入った。

このチェーン店は地元埼玉には広がっているが、「日高屋」とちがって東京区部ではお目にかかれない。
なので一度入ってみたかったのだ。

中華屋で私が第一に選ぶ”かた焼そば”に餃子をセットでつけて(700円ほど)注文。
やや小ぶりな餃子が6個ついてきた。
食べた結果、一度入ってみたかったという希望はかなったなぁ…という感想。

駅前からバスに乗って松山城直下の短大前で降りる。
少し戻って、案内板がある登り口から登る。

先週の残雪を踏みながら登り、最後は石段となり、本曲輪の平原に出る(写真)。 

平原の端に標高57.8mの三角点がある。
疎林の間から、埼玉・東京の西側にひしめく関東山地が望める。

背後から、若い男性がやってきて、見える山を教えてくれと頼んできた。
私が山に詳しい人間に見えたとすれば、彼の人を見る目は的中だ。

なにしろ、展望の山を同定することは、中学以来私が最も得意とする所であるから。
 そう頼んだ彼も山名はある程度知っているようで、連なる山々を指呼する甲斐がある。
ただ一番肝心の武甲山を、最初は別の山として教え、彼が去ったあとで武甲山と気がついて、訂正しに彼のもとへ走ったのは、私の実力不足と矜恃の表現。

さて、松山城の縄張りは、本曲輪から東に二の曲輪、三の曲輪、四の曲輪が一線上に並んでいる。
なぜなら、市野川が城の北から西をまわって南東に回り込んいるため、そちら側は天然の要害になっているから、敵の主力は東の平野側からしか攻められない地形になっているからだ。
そして各曲輪の間は深い掘でえぐられ、攻め手は曲輪を結ぶ細い道しか通れない。
そこは次の高台の曲輪から一斉射撃の的になる所。
かくも防御にすぐれた城であるが、実際には2年にわたる兵糧攻めに耐えかねて開城したことがある。

今は木立が伸び、平面と谷になっているだけの城跡は、まさに「つわものどもの夢の跡」。

さて、松山城から北に降りると、惣曲輪の広場を経て、岩室観音堂に降り立つ。
ここは岩の間の胎内くぐりがある。
さらに進むと、縄文時代の集団墓地「吉見百穴(ひゃくあな)」に出る。

入場料を払って見学する。 
ここは大学生になったばかりの頃、男女4人で来たことがある。 
当時から名所ではあったが、当時はまったく管理がされておらず、同行の男が日本軍が終戦前に掘った広い洞窟内で立ちションをした記憶がある。
当時それを非常識と感じなかったのは、たぶん周囲にトイレがなかったのだろう(今では3箇所もある)。
原始の時代の貴重な横穴(しかも埋葬地)のあちこちに、見物客の落書きが彫られているのも、まったく管理が行き届いていなかった証拠だ(彫られているから消えない)。

今では敷地内に埋蔵文化財センターがあり、ここや松山城の出土品が展示されている。

百穴上の展望台からは、間近に松山城の高台が見える(写真)。

帰路につくべく、松山城の麓をまわると、お堂が目に留まる。
そこは當選寺という選挙の時は大繁盛しそうな寺。
境内には「松山城戦没者精霊」の祠と「松山城大明神」の(なぜか)仏が祀ってある。
最初の登り口に近いので、松山城訪問時に立寄るといい。

ここから市野川を越えて、往きはバスで通過した東松山の町に入る。

歩きながら、疑問がわいた。
なぜ松山城の西にあるこの町を「東松山」というのだろう。
この町は、松山城が廃城になってから街道沿いにできた町である(新編武蔵野風土記稿)。
東松山の町の西側に本来の「松山」があるのではなく、この町が松山そのものだった。
ネットで市制のページを見たら、最初は「松山市」に決定したが、愛媛の県庁所在地の松山市が有名なので、「東」をつけたそうだ。
豊島区長崎にある西武線の駅「東長崎」と同じ理由だ。
さらに、「東京」そのものとも同じ理由だ。 

途中、「ウォーキングセンター」なるものがあり、気になるので立寄った。 
そうここ東松山は、「スリーデー・マーチ」というウォーキングイベントの開催地なのだった。
いくつものウォーキングコースが整備され、それらの案内マップが置かれていた。
東松山はウォーキングのメッカなのだ。
そういう私も、今日はリュックを背負い、山靴を履き、歩数計をつけている。 

東松山の駅前に着いた。
ここで、心残りだった「ひびき」で焼き鳥(実は豚肉)を1本、立ち食い用に買った。
肉とネギが交互に刺された串に、特製の味噌ダレがかかっている。
旨い!
次回の訪問では、ここで食べる。

駅反対側の箭弓(ヤキュウ)稲荷神社に(この町の鎮守なので挨拶として)立寄った。
案の定、語呂合わせで”野球”上達の願掛けが多い。

というわけで、急ぎ足ながら東松山いや「松山」を堪能して、帰路についた。
歩数は18000歩を越えていた。 
いいウォーキングだった。 


バス故障の可能性

2016年01月23日 | 防災・安全

 今回のバス転落事故を起こした原因が、当初は私も含めて、運転手に帰属させられる傾向にあったが、
カメラ映像が公開され、バスのギアがニュートラルだったことなどから、バス本体のトラブルの可能性が出てきた。

ギアがニュートラルのままだったということは、ギアを切り替えようとして、どこにも入らなくなった可能性がある(運転手は大型車自体の運転歴は長いので、心身に異常がない限り、初歩的ミスは考えにくい)。
これは、エンジンブレーキがかけられない状態であるが、これにフットブレーキも作動できなくなれば、下り坂での速度の制御が不可能になる。

これらを一斉に引き起す原因として、「エア・コンプレッサ」の故障(バスに起きやすいという)が指摘されている(ニッポン放送の「ザ・ボイス」へのバス運転手からの投書より)。
ただ大破したバスからその証拠を確認するのは困難かもしれない。

中古車販売から事業展開してきたこのバス会社は、過去にも車両トラブルを幾度か起こしている(週刊文春1/28号)。
この会社、運転手の管理以前に、バス自体の品質管理(整備)に問題がありそうだ。

廃棄物流通問題も含め、安さを追究すると、とんでもない目に遭う、というのが、昨今の教訓になっている。


年度末の始まり

2016年01月20日 | お仕事

帰京したら6cmの積雪、そして名古屋に戻ったら9cmの積雪。
私が雪を呼ぶ男だからではなく、南岸低気圧が東京に雪を降らせ、その低気圧通過後の冬型の気圧配置が日本海に近い名古屋に雪を降らせたのだ。
いわばそのタイムラグが一致しただけ。 

その今日で後期授業が終了!

今日から3月15日の卒業式まで、じっくり2ヶ月を要して年度末の仕上げ期間が始まった。
すなわち、後期試験、院修論提出、一般入試、成績つけ、院入試、院口頭試験、卒業判定、卒業式・院修了式と続く。 

これらのたびに祝杯をあげるのもきりがないが、1年から4年間の成果が結実する時期でもあるので、それなりに達成感を噛みしめたい。
噛みしめる一番手っ取り早い方法はやはり祝杯なので、今日は軽く、安スパークリングワインを開封した。
祝杯といっても日頃の第3のビールが、スパークリングワインか本物のビールになる程度なのだが… 

授業が終ったので、次の後期試験の準備にとりかかる。


私が風邪を引かない理由2

2016年01月19日 | 歳時

私が風邪を引かなくなって久しい。
その理由については、以前にも記事にした→私が風邪を引かない理由

今年ももちろん風邪・インフルエンザとは無縁(人が大勢集まる所に勤務しているが)。
その理由をもう一度理論的に考えたい。

今回は、体温と免疫力の関係に注目する。
体温が下がると免疫力が下がり、体温を上げると免疫力が上がるという(ただし限度あり)。
このメカニズムが科学的にどこまで認められているかは定かでないが、自分に当てはまることは確かだ。

以前の私が冬ごとに風邪を引いていたのは、たいてい明け方の最低気温+レム睡眠時(変温動物になる時)だった。
すなわち、寒気が物理的ストレッサーとなって体に襲いかかり、運悪くレム睡眠時なので自律神経が乱れて体温が下がってしまい、そのため免疫力が弱まって、あたりにうようよしている風邪ウイルスにやられてしまったわけだ。

そこで、エアコンのタイマーで明け方に暖房が入るようにセットしてからは、寒気という物理的ストレッサー自体をなくしたので風邪を引かなくなった。 

私が最後に風邪を引いたのは、晩秋の恵那山登山後、登山で体がほてっていたので車の窓を開けて寒気に頭を晒しながら運転していた時だ。
最初は気分がよかったが、下山後の汗を流そうと、今は定宿にしている中津川温泉に着いた時には、すでに風邪にやられて頭痛がして気分が悪く、これ以上運転できない状態になっていた。
日帰り登山の予定だったが、予約なしで宿泊を頼んだ(夕食に間に合わないので素泊り)。

部屋に行っても気分は最悪で、吐き気さえもようしていた。

ところが、寝る前に温泉に頭まで浸かって充分に暖まり(これでまず頭痛が消えた)、
頭をドライヤーできちんと乾かし、夜中は汗がどっと出てシャツを換えるほど体温が上ったら、翌朝風邪の症状はきれいさっぱり無くなって、快適に目覚めた。

体温を上げることで、免疫力を上げて、ウイルスを撃退したのだ。
かように、体温と免疫力の関係は経験的に実感している。

 


積雪6cmを歩く

2016年01月18日 | お天気

南岸低気圧の通過によって、夜半から雪になり、今朝の東京は積雪6cm。
明るくなってからは雨に変わったけど、道路にトラックが立ち往生するわ、鉄道の架線が切れるわで、交通網はおおいに乱れて、通勤・通学が大混乱。 
さらに慣れない歩行者が転倒する。

たった6cmで、しかもすぐ雨で溶けだしているのに、この有り様とは、雪国の人たちは唖然としているだろう。
でも、センター試験が昨日で終わってホントに良かった。
2日前がこの雪道だったら、スキーバスの運転もかえって慎重になったろうに…。

確かに太平洋側の都市は降雪を想定していない。
かくいう私も、降雪後のぬかるんだ道を歩く靴をもっていないことに気づいた。
さっそく、雪道を踏んで、池袋に買いに行った。
山用のヘビーな靴をはいて。

自分の山用の靴は、底がビブラムの凹凸で、アッパーはゴアテックス。
これなら、雪道も(凍結していなけば)難なく歩ける。
この底とアッパーの組合せで街も歩ける靴を買いに行ったのだが、
買ったのは、いずれも該当しないもっとおとなしいウォーキング用(底のゴムは凹凸)。
通勤にも使いたいのと、そっちがセール価格で安かったから。
 

昔は革靴で底がゴムなんてハナから選択外だったが、歩きを重視するようになると逆に革底が選択外になる。
ただし山靴とちがって紐ではなくスリッポンにこだわる。
なぜなら、寺巡りをするので、靴を脱ぐことが多いから。 

靴を買うと大きな靴箱を持ち歩かねばならない。
でも、今日の予定どおり、護国寺に歩いて向う(ほら、さっそく寺巡りが始まった)。
今日18日は本尊の開帳日なのだ。

護国寺に行ったら、門がしまっていた。
今日の天気のためか…
山靴なので歩きは苦でなかったから、降雪後の散歩としゃれこんだことにしよう。


スキーバス転落事故に思う

2016年01月16日 | 時事

大学センター試験で大学が立ち入り禁止になる2日間は、後期授業も終了する頃なので、学生にとっては格好の連休となる。

今でも男女込みでの毎冬のスキー旅行は、学生たちにとって冬の重要なワクワクイベントであるようだ(スキーというよりスノボだろうが)。
私のいた大学は首都圏の外れにあったので、車の保有率が高く、またバスツアーの発着点からは遠いので、車に分乗して行ったものだ。

でも車だと夜通しの運転やチェーンの着脱など運転手に負荷がかかるので、 全員が楽しくしかも効率的に行くならバスツアーが正解といえる。

しかも学生にとっては値段は安いほどありがたい。
その分強行軍でも、体力的には我慢できる年代だ。 
もともと首都圏からのスキーは夜行がデフォだった。 

19歳の1年生にとっては大学生になって初の、そして21,22歳の4年生にとっては学生時代最後の楽しい思い出となるはずだった。
犠牲になった彼らと同じ学生を教え子にもつ身として、他人事ではない(実際、自分のゼミ生が被害にあった教授は現地に飛んでいる)。

それと同時に、 運転手側になると、定年後の生活の問題がオーバーラップする。
深夜のしかも慣れない大型バスの運転を入社1ヶ月でまかされる身。
格安料金をめぐって、そのツアーを企画する(だけの)旅行会社と、バスの運行(だけを)手掛けるバス会社との関係。 
まずはこの分業が安全運行の責任を分散させる。
そして、運転手不足による需給関係の逼迫が、労働環境の改善につながるどころか、さらに悪化させている。

実際、私が利用する宿にも往復のバスがついたプランがあるが、その分の追加料金が異様に安い(鉄道や自家用車で行くのがバカらしくなるほど)。
それは、バス会社が得られる利益が少ないことを意味するのではないか。 

そういう状況の乗物に、われわれは命を預けているのであり、それが代金に反映されている。

そして碓氷バイパス。
予定通り上信越道を通っていたら、今回のような悲劇は起きなかったろう。
つまり事故の直接の原因はこの場所にある。
入山峠から軽井沢方向への下りは、それまでの急勾配の上りにくらべると、たいしたことはない(少なくとも普通車では)。
だが、外灯がまったくなく、しかも上ってきてすぐ下りになるので、道に慣れない運転手にとっては、下りになっていることに気づかなかったのか。
道が下りになっているかどうかは、まずは視覚情報で判断するものだが、その手がかりがほとんどない状況だった。
ただ、だまっていても車は加速するので、遅くなってもやがて気づくはず。
ブレーキ痕がなかったというのは、運転手の心身状態の異状を示唆しているようで気になる(その場合なら、正規ルートでも事故は起きたかも)。

ただし、被害の最も直接的な要因は、シートベルトの有無であることは確かなはずだ。
つまり命を守る最も重要なすべは乗客に与えられていた。 


私がMT車を買った理由

2016年01月13日 | 生活

(私がFIAT500Sを買った話の続き)
そもそもなぜ新車にあえてMT車を選んだか。

欧州ではMTが当り前なのだが、日本では車はATがデフォである。
そんな日本であえてMTを選ぶのは、よほどガンコな車好きかと思われるかもしれないが、私は、本来的に車好きではない。

移動手段で一番好きなのは”歩く”ことであり、その次は鉄道だ。

そもそも私が名古屋に来て、初めて自分の金で買った車が英国車のRover MINIだったのは、クルマに興味のない私でも、街で見かけると心惹かれ、ちっとも見飽きない車だからにすぎない。
つまり選択基準はあくまで素人目線なのだ。

そんな私だから、MT車に格別の思い入れがあるわけでなく、実際、「MTに乗るのが真のクルマ好きで、ATは素人向けだ」なんてまったく思っていない。

最初の車でMTを選んだ理由は、MT乗りはATを運転できるけど、AT乗りはMTを運転できなくなると思ったからだ。
つまり自分の能力を減退させることにデメリットを感じたから。
以来、この論理を踏襲しているが、現実的にはレンタカーなどATばかりなので、MT乗りであることのアドバンテージは少なくとも日本では無きに等しい。

ただ、ATには嫌な点がある。
AT車の方が事故につながるミスを犯しやすいと思う。

まず、AT車の停車時のクリープ現象がいやだ。
信号待ちしていてブレーキをしっかり踏み続けなくてはならない(最近のアイドリングストップ可能な車であればこの手間はなくなるだろう。バッテリーの消耗が進むが)。
何かの拍子に気が散って、足がおろそかになると前の車に追突してしまう。 

それと、AT車になるとギアをニュートラに戻す習慣がなくなるため、ギアを入れたままのミスが発生しやすい。
たとえば、停止線から前に出過ぎたためちょっとバックして信号待ちした場合、AT車はブレーキを踏み続けているからそれで停止できる。
そして青信号になったので、アクセルを踏む。
この時ギアがバックのままだったら、勢いよくバックして後続車と衝突する。
私自身、このミスをやらかして、慌てたことがある(幸い事故には至らず)。

それから、私はまったく経験ないが、時に死亡事故になっているアクセルとブレーキの踏み違え。
これもMT車なら自動的にエンストし、事故になることはない。
ということで、少なくとも発進時のミスによる事故はMTの方が少ないと思う。

 あと、メカ的には、MTの方がつねに最適なギアを選択でき、車体も幾分軽くなるため、実際に燃費がいい。
ただ、ギアやクラッチの摩耗がある点でメンテをふくめるとトントンか。 

MTでのデメリットはまずは坂道発進だが、FIAT500Sでは自動的にブレーキがかかるのでひとまず安心。
それから1速での半クラッチも加減が面倒かもしれない(失敗するとエンストする)。
あとギアにP(パーキング)がないため、傾斜地で駐車する場合はギアを1速またはバックに入れておかねばならない。
それを忘れて、始動時にニュートラに戻さずにエンジンをかけると、エンストする。
傾斜地でニュートラに入れたままサイドブレーキだけで駐車する場合、サイドブレーキが甘くなっていると車が勝手に動き出してしまうこともある(やったことあり)。
このミスはAT車にはない。

以上、MTは特に停車時に余計なことをする必要があるが、人間のミスが機械を介在することで重大化させない(エンストで終る)点で安全性は高いと思う。
それと、これは私だけの話だが、左利きの人間にとってはMTだと左手も左足もきちんと使えるのもいい。

MTの良さをいうなら、最適なギアを自分の意思で選択し駆動をコントロールしているという操作感の高さだ(ATを運転していた時でもDレンジのままではなく、低速ギアを多用していた。特に長い下り坂でシフトダウンしてエンジンブレーキを効かしての走行は必須。ただこの行為は「最適なギアを選ぶ」というMT的発想ができる人に限られるみたい。
ギアを選択するという発想のないAT専従者は、富士裾野などの長い下りでブレーキを踏みっ放しにしている。それが危険であることを知らずに)。
たとえばカメラの撮影をおまかせのオートのままはなく、絞りやホワイトバランスをマニュアルで設定する操作感と似ている。
といってもたかが公道上の運転なので、ギアの選択が芸術的である必要はなく、燃費が向上するのが楽しいくらいだが。

とはいっても、MT車は今後の”自動走行”化の流れとは正反対の”古いメカ”なのは確か。
もともと自分の足を使って歩くの好きな人間なので、車も手動で扱いたいだけなのかもしれない。


わが新車の印象

2016年01月12日 | 生活

恵那峡の温泉ホテルに行った主目的は新車の初ドライブ。
新車の運転に慣れるためである。
言い換えれば、家と勤務先の10分ほどの往復では、なかなか車に慣れない。 

以前のminiだと、いつ動かなくなるかわからないので、遠出がこわかった。
その恐怖がなくなっただけでも、気が楽だ。

さて、遠出をこなすことで、新車の”インプレッション”を書きたいのだが、私にとっての比較対照がなにせ往年のRoverのminiなので、私にとって驚きの先端技術でも、一般の新車に普通についている機能だったりするかも。

まず、そもそもなぜminiの買い替えにFIAT500Sを選んだかというと、ボディライン全体がminiのテイストに最も近いと感じたから(「ルパン三世」のファンという訳ではない)。
もちろんFIAT500はイタリアのminiこと旧チンクエチェント(イタリア語で”500”)の大型版。
いわばRoverminiのBMW-MINIバージョンに相当する。
ただチンクはもともとスバル360並の小ささだったので(イタリアで運転したことがあるが、さすがあれは買いたいとは思わない)、BMW-MINIはminiの痕跡すらないが、こちらは丁度いい大きさになった。
といっても、前面の”顔”がウーパールーパーみたいで間抜けた感じが気に入らなかった(後ろ姿はなかなかいい)。
それでも最近街中に多いギロロ(『ケロロ軍曹』のキャラ)のような”怒り目”に比べると丸目はほっとする。

色は真っ赤で、購入時に選択肢がなかった(写真:念のためナンバーはここでは見えなくしてある)。
まぁ、モノクロ・グレーよりはイタ車らしくていいか。

エンジン音はminiほどではないが、コンパクトな車体に似合わぬ重低音(2気筒だから)。
遮音性がいい車内にいるとそれがまったく聞こえないのがかえって残念。

シートはminiのような革張りでないが、体の支えがよく、ちっとも疲れない。
座面が空気圧で調整できるので、座布団は要らない。
円形のヘッドレストも特徴的で、私はもともと頭を広く支える椅子にこだわっていたので合格。

ハンドルはこれもminiのような革張りでないが(その前のMTminiでは木製にしていた)、握り具合も丁度よく、手がすべることもない。
ハンドルの上下の位置を調整できる。
miniに比べるとステアリングの軽さ(miniはパワステでない)、そして回転半径の小ささは驚異だが、これは比較対象のせいだろう。

私はカーナビは歩行用も使えるハンディタイプを利用しており、車ではダッシュボードに支えを貼り付けて使う。
miniではダッシュボードが材質の関係で接着できなかったが、こちらは難なくくっつく。なのでナビも問題ない。
ちなみにダッシュボード下の蓋付きの収納ケースはなく、狭い物置空間があるだけ。 

オーディオはminiでは考えられない進化で、スピーカは前後にあり(これは当たり前か)、音質をイコライザーレベルまで設定できる。
さらに左右のバランスも調整できるので、運転席に居ながらバランスのいいステレオ効果を得られる。
音量調整や選曲・選局はハンドルにもボタンがついているので、運転中の操作も楽。
私は音楽やポッドキャストをタブレットをFMに飛ばして聴いているが、せっかくCD対応なので、まったく使わなくなったCDをここに置いておくか。

エンジンをかけると、タイヤの空気圧のチェックなどが入り、バッテリとオイルのチェックだけのminiとは隔世の感。
計器の表示はすべてカラー液晶。
速度と燃費、外気温はデジタル表示。
miniでは外気温を測定するため、車内から温度計を貼り付けて、ケーブルをドアミラーに巻いていた。
入っているガソリン量での走行可能距離も出る(これも今では当たり前か)。

エンジン音も振動もほとんどないので、エンジンが掛かっているのはこの画面表示によって確認する。

さて、この500Sはマニュアル車である。
前のminiはATであったが、その前のminiはマニュアルだった(以下それぞれATmini,MTminiと記す)。
むしろ私にとってATだったのは前のminiだけで、学生時代から含めると私は本来はマニュアル派なのだ。
ところが前回のminiでATに慣れてしまったので、マニュアルの操作感覚(システム1)に戻すのに苦心している。
慣れに時間がかかっているのはこのためだ。
もちろん頭(システム2)ではマニュアル操作はできる。
ただ、頭で操作するので、頭が疲れる。

昔のマニュアル車と比べてシフトレバーの移動域がずっと短くなっており、それで5速まであるので、ギアの3と5、2と4の入れ間違いが起こしやすい。

しかもシフトチェンジのタイミングが、前のマニュアル車だったらエンジン音で判断できたのだが、エンジン音がしないため回転メータをみながら最適タイミングを試行錯誤する。
だからいっそう気疲れし、正直、気楽なATが懐かしくなってしまう。
ただ、シフトチェンジのタイミングを画面で教えてくれる。
それはありがたいのだが、慣れない今は画面と睨めっこしてしまい、運転としては危険が高まる。

この車には「エコモード」というのがあり、それにすると、ハンドルがさらに軽くなり、加速減速の仕方を最適燃費の視点から評価してくる。
これに従えばエコ運転が身につくだろう。
ただし副作用としてエンジンの反応は幾分鈍くなるが、青信号でのスタートダッシュに命を懸けたりしないので、問題なかろう。

前のMTminiと違って2速での伸びがいいので、流れに遅れることはない。
miniでは長い上り坂ではおとなしく登坂車線を走っていたが、こちらは2気筒の870ccなのだが、1400cc並みのパワーがあるため、上り坂でもしっかり加速できる。

では、燃費はどうか。
遠出前に、燃費計算をリセットして、今回の60kmほどのドライブでの燃費は、
18km/lだった。
前のATminiがたった7km/lしかなくて、それも遠出を躊躇させていたので、これはうれしい。
こと燃費に関しては日本車にかなわないが、輸入物のガソリン車としては優秀とさえいえる。

マニュアル車だが、アイドリングストップ機能があるし(バッテリに負担がかかるのでオフにできる)、マニュアル運転の試金石である「坂道発進」時も自動的にブレーキがかかってくれる。

トランクは人が入れるセダン車よりは狭いが、miniよりはずっと広く、常備品を出さずに旅行鞄もすっぽり収まる。
さらに後部座席を倒せばもっと広く使えるようになっている。

ドアミラーの視界が広いので、バックで車庫入れをする時など、首を限度まで回して後ろを見たり、ドアを開けながらバックしなくていいのは楽だ(オプションで接近アラームをつけられるという)。 

見た目はもっこりしていて決してスマートではないが、このように内側は少なくとも当世の車並みに工夫を凝らしてある。


恵那峡の宿でカニ食べ放題

2016年01月11日 | 温泉

連休2日目。
昨日は休日出勤であったが、今日は恵那峡の安い温泉ホテルにいる。
1月の温泉旅としてであるが、今回の主目的は新車の初ドライブ。
 車は帰りの運転もあるので、まずは宿の話から。

恵那峡にあるこの宿は、「湯快リゾート」というチェーンのホテルで、距離的に転地効果がありながら遠すぎず丁度いい場所。
年間を通して(休前日も)二食付きで8000円ほど(今回はお得意様サービスで7000円)。
ビジホ価格にちょい足しで二食付きの温泉が堪能できるのだからお値打ちだ。

私が一番気に入っているのは、温泉の濃さが凄い点。
それだけでも私にとってか価値ある宿なのだが、今回はいつもの夕食バイキングに”カニ食べ放題”がつく。
今回利用して、新しくなった点は、無線LANが客室でも使えるようになった事。これはうれしい。こうしてブログも書ける。

さて、まず温泉。
その濃さを測るべく温泉計測セットを持参した。
ただ、電気電導率、全溶存物質(TDS)もそして塩分度いずれも計測不能だった。
なぜなら、計器の計測上限を超えていたから。
計測マンのメンツを台無しにさせるほど濃い温泉なのだ。

計測の方向が生体側に向いている計測マンは、婦人体温計をくわえて入湯する。
2度目の入湯で体温が38℃を超えた。
たまの温泉ではこのくらい体温を上げたい(HSPの活性化に期待)。

 さて今回の夕食は、2部制で17時からと19時から。
私は昼を食べず、しかも寝る前に酒と一緒につまみをたくさん食べるので、17時からにする。
夕食のビールを美味しく飲むため、直前に入浴し、あえて遅れていったら、客たちはすでにズワイガニを各自山盛りにしていた。
ただ連休2日目だからか客そのものが少ないので、(カニ食べ放題にありがちな)殺気立った雰囲気はない。
カニは小さな脚しか残っていないので、私は一度目は(バイキングの場合、数度往復する)、カニ以外にする。
今日の目玉はカニ以外に「アンコウ鍋」があるのだ。
これは素材と鍋を用意して、卓上のコンロで焚く。
ただしアンコウ鍋は出来るのに時間がかかる。

逆に目玉以外にはたいしたものがないのがここのつらい所(値段が値段だから文句は言わない)。
2度目からはカニ中心にした(もちろんカニは追加される)。
ズワイガニは、関節を逆方向に折って引っ張ると、元側の脚の肉がそのままくっついてくる(ことが多い)。
そうでない場合は、鋏で割って、カニ用のカトラリーでほじくりだす。

いつものバイキングなら40分くらいで満腹になって退席するのだが、カニは作業を要するので、その倍の80分も居続けた。

今回の温泉旅は、純粋に慰労で、やるべき仕事をもってきていないので気が楽。


夢分析のレポートを読む

2016年01月10日 | 心理学

今日は勤務先の入試のため、休日出勤。
入試業務のあい間に、授業で課題に出した夢分析のレポートを読む。

自分の見た夢を、感想でも占いでもなく、心理学的に分析させたもので、理論的には自分の「無意識」を探るためである。
もっとも、夢が本当に無意識の内容を(歪曲された形で)表現しているかは知らない。

ただ、客観的な解釈基準のない不確かなものを積極的に解釈しようとすることで、本人の無自覚な心が表現(投影)される可能性は、ロールシャハテストの論理でありうる。

すなわち、夢それ自体だけでなく、その夢を解釈することが自分の心の表現になるのだ。
そしてそれを学生自身がレポートという形で論理化することで、自分の当時の心を再解釈できる(分析といっても、客観的な正解がある訳ではなく、1つの解釈にすぎない)。

それはおおげさにいえば自己発見であり、それなりに感動することがある。

もっとも、すべての夢がそのような暗示的内容ではない。
分子生物学者のクリック(遺伝子構造の発見者の一人)は、夢は忘れるために見るものという「逆学習説」を主張し、深い意味を探るのはナンセンスと唱えたが、その類いの分析に値しない夢はすでにフロイトが「昼の名残」の夢として分類している。
単なる昼の記憶ではない、強い情動を伴い忘れることのできない夢は、忘れるための逆学習説では説明できない。
そのような夢こそ、分析されるのを待っている。

ただし、私は個人的好みでフロイト的解釈よりユング的解釈を奨めている。
夢は抑圧された許されない願望というより、自分の状態についての無意識からのメッセージであるという態度だ。

学生は自分の夢を分析するために、自分のあからさまな心を見いだそうとする。
そういう内容なので、けっこう読んでいてシビアだ。 


エアコン暖房のミソは風量にあり

2016年01月08日 | 生活

冬の室内の至適温度は20℃である。
この室温でも寒いなら、それは暖房ではなく、服が薄すぎるからだ。

20℃にもっていくには暖房を使う。
ただし、エアコンの設定温度ではなく、実際の室内温度で確認する。

たとえば、私の名古屋宅のエアコンの設定温度はたった17℃にしてある。
サーキュレーターを併用することで、居住空間が20℃に達するからだ
(もちろんエアコンの風向はほぼ真下にしてある)。

さらに、エアコンの風量最大にしてある。 
※:当初「風速」と記したが、より一般的な「風量」に変更した。

これが省エネのミソであることが実測によって確認された。

風量だけを考えると、「最大」は「自動」や「最小」より動力エネルギーを要するはず。

ところが、実際の消費電力(三菱「霧ケ峰」の場合)は、
設定温度と室温は上の状態で、
風量が「自動」あるいは「最小」の場合は550W
風量が「中」の場合は480W
風量が「最大」の場合は450W(霧ケ峰は強さは3段階と自動)だった。
すなわち、エアコンの風量が大きいほど消費電力が小さい!

なぜなのか。
赤外線放射温度計で エアコンの吹出口の奥を測ってみた。
すると、風量が「自動・最小」の時は43℃、
風量が「最大」の時は39℃だった。

つまり温度設定をしてサーモスタットを働かせていると、発熱力と送風力の関係が逆相関になるようだ。
そして、室温を1℃上げるのに必要な消費電力は、発熱>送風となり、
高い発熱で弱い送風より、低い発熱で強い送風の方がエネルギー効率が優れていることになる。

以上まとめると、エアコンの風量を最大にしておくと、まずはスイッチを入れて素早い暖房効果が実現する。
そして設定温度を低くしても(=室内が20℃を保つ最低温度)、当然効果は維持できる
※部屋を早く暖めるために設定温度をバカみたいに高める行為は無駄でしかない。設定温度17℃でも、「暖房」であれば39℃の温風が出ているのだ。

さらに設定温度が低いので、エアコンのサーモスタットによって電力が0になる時間が増える。
無駄のない省エネが実現できるわけ。

室内温度計と消費電力計、それに放射温度計があれば、みなさんも自宅のエアコンのベストな設定値を探ることができる。 

追記:2018年現在、サーキュレーターを使わず、エアコンの風向を下に向けているだけで、居住空間が22℃に達する。
つまりサーキュレーターも要らないことがわかった。
サーモスタットを効かせるために、風量は「自動」にしている。
それによって、部屋が暖まるとエアコンが自動的にオフになる。 


正月明けの体重計

2016年01月05日 | 生活

世間より1日遅れて仕事始め。
新幹線で名古屋に帰り、バッテリを外していた車を元に戻して勤務先へ向った(まだこの車に慣れない)。
会議を2つこなして、帰宅。

シャワーを浴びたあと、二週間ぶりに恐る恐る体重計に乗る。

なにしろ、正月はずっと家に居て、お節と湖池屋の「のり塩」を大袋で食べ放題だったので。

ところが、体重は日頃の誤差の範囲内に収まっていた。

確かにお節そのものは伝統的和食の”おかず”なので脂質と糖質と炭水化物は少ない。
餅も多くて日に3個程度だったし。

ただ、練り物と魚卵のせいで塩分とコレステロールは多めだったな。 

名古屋に戻って正月気分も抜けた。 
明日から授業再開。


西新井大師への電車とバス

2016年01月04日 | 東京周辺

母が西新井大師(足立区西新井)に初詣に行きたいというので、交通手段を考えた。
引越前は、最寄の西日暮里から舎人線(都営のモノレール)で「西新井大師西」で降りて、10分ほど歩いた。

文京区に引越後は、鉄路から遠くなった。 
家の近くのバス停で北千住行きが出ているので、それに乗り、北千住から東武線で西新井まで行き、そこから大師線に乗り換えて、「西新井大師」で降りた。
鉄路だと、2つの駅の乗換えの垂直移動が老人にとっては難儀だった。

なので帰りは、西新井大師から東武バスで北千住に出て、そこから往きの逆ルートで、家の近所のバス停で 降りた。

バスだと平面異動だけですむし、始発からの乗車なので席も確保できる。
もちろん、都内なので頻度も問題ない。 

しかも、母が持っている「シルバーパス」だと、都バスだけでなく、この路線の東武バスもフリーだった。
すなわち、家から、西新井大師までの往復がフリー(シルバーパスは年会費を払う)でしかも辛い垂直移動がないことがわかった。

私も早くシルバーパスを使えるようになりたい。