戦国時代の混とんとした関東で、争奪戦となった城、それが(武州)松山城。
松山城は埼玉県東松山にある(ほとんど東松山だが、正確には川を挟んだその東隣の吉見町)。
東松山は、埼玉のど真ん中にあり、「埼玉のヘソ」といわれる。
東松山から始まる”比企”という関東山地と関東平野の接点地帯に、山城が連続して築かれており、一連の山城の平野側の端が松山城である。
山城でありながら、江戸時代早々に廃城になったことでかえって保存がよく、周囲の山城ととも国の史跡に指定されている。
山城に興味を持ち始めて2年目となった今、その松山城を訪れた。
東武東上線の東松山駅に、今冬一番の寒風吹きすさぶ中降り立ち、まずは腹ごしらえの店をさがす。
電車内で、ネットで調べたら、東松山は”焼き鳥”が名物という。
だが、消極的ベジタリアンだし、ランチに焼き鳥というのも食指が動かず、
駅前の有名焼き鳥店「ひびき」に隣接する「ぎょうざの満州」に入った。
このチェーン店は地元埼玉には広がっているが、「日高屋」とちがって東京区部ではお目にかかれない。
なので一度入ってみたかったのだ。
中華屋で私が第一に選ぶ”かた焼そば”に餃子をセットでつけて(700円ほど)注文。
やや小ぶりな餃子が6個ついてきた。
食べた結果、一度入ってみたかったという希望はかなったなぁ…という感想。
駅前からバスに乗って松山城直下の短大前で降りる。
少し戻って、案内板がある登り口から登る。
先週の残雪を踏みながら登り、最後は石段となり、本曲輪の平原に出る(写真)。
平原の端に標高57.8mの三角点がある。
疎林の間から、埼玉・東京の西側にひしめく関東山地が望める。
背後から、若い男性がやってきて、見える山を教えてくれと頼んできた。
私が山に詳しい人間に見えたとすれば、彼の人を見る目は的中だ。
なにしろ、展望の山を同定することは、中学以来私が最も得意とする所であるから。
そう頼んだ彼も山名はある程度知っているようで、連なる山々を指呼する甲斐がある。
ただ一番肝心の武甲山を、最初は別の山として教え、彼が去ったあとで武甲山と気がついて、訂正しに彼のもとへ走ったのは、私の実力不足と矜恃の表現。
さて、松山城の縄張りは、本曲輪から東に二の曲輪、三の曲輪、四の曲輪が一線上に並んでいる。
なぜなら、市野川が城の北から西をまわって南東に回り込んいるため、そちら側は天然の要害になっているから、敵の主力は東の平野側からしか攻められない地形になっているからだ。
そして各曲輪の間は深い掘でえぐられ、攻め手は曲輪を結ぶ細い道しか通れない。
そこは次の高台の曲輪から一斉射撃の的になる所。
かくも防御にすぐれた城であるが、実際には2年にわたる兵糧攻めに耐えかねて開城したことがある。
今は木立が伸び、平面と谷になっているだけの城跡は、まさに「つわものどもの夢の跡」。
さて、松山城から北に降りると、惣曲輪の広場を経て、岩室観音堂に降り立つ。
ここは岩の間の胎内くぐりがある。
さらに進むと、縄文時代の集団墓地「吉見百穴(ひゃくあな)」に出る。
入場料を払って見学する。
ここは大学生になったばかりの頃、男女4人で来たことがある。
当時から名所ではあったが、当時はまったく管理がされておらず、同行の男が日本軍が終戦前に掘った広い洞窟内で立ちションをした記憶がある。
当時それを非常識と感じなかったのは、たぶん周囲にトイレがなかったのだろう(今では3箇所もある)。
原始の時代の貴重な横穴(しかも埋葬地)のあちこちに、見物客の落書きが彫られているのも、まったく管理が行き届いていなかった証拠だ(彫られているから消えない)。
今では敷地内に埋蔵文化財センターがあり、ここや松山城の出土品が展示されている。
百穴上の展望台からは、間近に松山城の高台が見える(写真)。
帰路につくべく、松山城の麓をまわると、お堂が目に留まる。
そこは當選寺という選挙の時は大繁盛しそうな寺。
境内には「松山城戦没者精霊」の祠と「松山城大明神」の(なぜか)仏が祀ってある。
最初の登り口に近いので、松山城訪問時に立寄るといい。
ここから市野川を越えて、往きはバスで通過した東松山の町に入る。
歩きながら、疑問がわいた。
なぜ松山城の西にあるこの町を「東松山」というのだろう。
この町は、松山城が廃城になってから街道沿いにできた町である(新編武蔵野風土記稿)。
東松山の町の西側に本来の「松山」があるのではなく、この町が松山そのものだった。
ネットで市制のページを見たら、最初は「松山市」に決定したが、愛媛の県庁所在地の松山市が有名なので、「東」をつけたそうだ。
豊島区長崎にある西武線の駅「東長崎」と同じ理由だ。
さらに、「東京」そのものとも同じ理由だ。
途中、「ウォーキングセンター」なるものがあり、気になるので立寄った。
そうここ東松山は、「スリーデー・マーチ」というウォーキングイベントの開催地なのだった。
いくつものウォーキングコースが整備され、それらの案内マップが置かれていた。
東松山はウォーキングのメッカなのだ。
そういう私も、今日はリュックを背負い、山靴を履き、歩数計をつけている。
東松山の駅前に着いた。
ここで、心残りだった「ひびき」で焼き鳥(実は豚肉)を1本、立ち食い用に買った。
肉とネギが交互に刺された串に、特製の味噌ダレがかかっている。
旨い!
次回の訪問では、ここで食べる。
駅反対側の箭弓(ヤキュウ)稲荷神社に(この町の鎮守なので挨拶として)立寄った。
案の定、語呂合わせで”野球”上達の願掛けが多い。
というわけで、急ぎ足ながら東松山いや「松山」を堪能して、帰路についた。
歩数は18000歩を越えていた。
いいウォーキングだった。