「埼玉」ってなんか特徴がはっきりしない、あいまいな印象の県だ。
これといった観光地、名所、名物が思い浮かばない(長瀞に五家宝くらい?)。
そもそも埼玉は北関東か南関東か。
東京湾を囲んでいる東京・神奈川・千葉の南関東勢からみると、
埼玉は東京湾に面していない北の奥地なので(群馬や栃木と同じ)北関東と見なされる。
一方、群馬・栃木・茨城の北関東勢からみると、
埼玉は関東を横断する利根川の南側(川向こう)なので(千葉と同じ)南関東と見なされる。
いわば、埼玉は、関東の中で南関東・北関東双方から手招きされずに、
あっちへ行けと排除される唯一の県だ。
これを逆手に取れば、埼玉こそ北関東でも南関東でもない関東の中心、
「中関東」(神奈川以外の関東都県とすべて県境で接している) であると豪語してもいいのだが、誰もそれを認めてくれない。
では埼玉は仲間外れの寂しい県なのか。
実は、日本の道府県の中で、東京に対して身内意識をもっている唯一の県が埼玉である。
埼玉以外の他道府県は、ひとり繁栄を享受している東京に対して、屈折した感情(=劣等コンプレックス) を抱いている。
それが”ライバル心”として意識の表面に現れるのだが、
埼玉にとっての東京は頼もしい身内であるから、屈折したコンプレックスを抱くことなく、
その発展をわが事のように喜び、素直に堪能する。
隣県としてのライバル心が無いのだ。
実は東京にとっても、埼玉は特別な隣県である。
東京区部と地続きの県は埼玉だけだ(千葉も神奈川も川向こう)。
多摩地域においては、確かに神奈川とも地続きになっているが、
そこには障壁としての多摩丘陵を越える※必要がある(さらに山梨との県境は1000mを越える山々)一方、
埼玉とは武蔵野台地の地続きで境界がわからない。
※多摩丘陵の向こう側の町田は行政的には都内だが、実質的には神奈川(その証拠に神奈中バスが走っている)。
つまり区部でも多摩でも都内を歩いているつもりで、いつのまにか埼玉に足を踏み入れることがあるのだ(この時こそ、東京と埼玉の一体性を痛感する)。
埼玉と東京の深い一体感は、もちろん「武蔵」という同国であった歴史に裏打ちされている。
この武蔵の国、埼玉と東京を併せているだけでなく、
なんと横浜・川崎という神奈川のパワーの半分以上を占める地域も含んでいる
(今、川崎市で大発展しているのがあの『武蔵小杉」)。
武蔵は旧国の中では最強パワーの主といってよい。
その武蔵の半分以上を占める埼玉、すなわち武蔵の主要部である埼玉にとっては、東京も横浜も同国内の南端にすぎない。
だから、東京や横浜がいくら埼玉を田舎扱いしても、
自らは明るい日なたを支える目立たない影の部分であるという大人の余裕を失わない。
このような埼玉が第一線に躍り出る時があるとすれば、
それは南関東(神奈川・東京・千葉)を襲う次なる関東大地震であろう(その前に首都直下型地震もある)。
海がないのが幸いして津波も来ないし、液状化もない(一部沼の埋立て地を除いて)。
台地が多いので地盤が固い。
台風も来ないし、もちろん大雪もない。
夏の暑さだって、最近は群馬の方が高めだ。
荒川は源流から県内だし、北辺は利根川が流れているので、
水の心配もない(鬼怒川のような水害もない)。
空港はない(航空公園ならある)が、新幹線は3本も通っている。
埼玉は、首都機能のいざという時の大事な避難先であり、
それは横浜も千葉も東京以上の被害を被るので担えない(映画「シン・ゴジラ」では多摩の立川がそれを担ったが、都心からは埼玉新都心の方がずっと近い)。
かように埼玉は潜在力を秘めた頼もしい県である。