今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

埼玉の位置づけ

2019年02月26日 | 東京周辺

「埼玉」ってなんか特徴がはっきりしない、あいまいな印象の県だ。
これといった観光地、名所、名物が思い浮かばない(長瀞に五家宝くらい?)。

そもそも埼玉は北関東か南関東か。
東京湾を囲んでいる東京・神奈川・千葉の南関東勢からみると、
埼玉は東京湾に面していない北の奥地なので(群馬や栃木と同じ)北関東と見なされる。
一方、群馬・栃木・茨城の北関東勢からみると、
埼玉は関東を横断する利根川の南側(川向こう)なので(千葉と同じ)南関東と見なされる。
いわば、埼玉は、関東の中で南関東・北関東双方から手招きされずに、
あっちへ行けと排除される唯一の県だ。

これを逆手に取れば、埼玉こそ北関東でも南関東でもない関東の中心、
「中関東」(神奈川以外の関東都県とすべて県境で接している) であると豪語してもいいのだが、誰もそれを認めてくれない。

では埼玉は仲間外れの寂しい県なのか。

実は、日本の道府県の中で、東京に対して身内意識をもっている唯一の県が埼玉である。
埼玉以外の他道府県は、ひとり繁栄を享受している東京に対して、屈折した感情(=劣等コンプレックス) を抱いている。
それが”ライバル心”として意識の表面に現れるのだが、
埼玉にとっての東京は頼もしい身内であるから、屈折したコンプレックスを抱くことなく、
その発展をわが事のように喜び、素直に堪能する。
隣県としてのライバル心が無いのだ。 

実は東京にとっても、埼玉は特別な隣県である。
東京区部と地続きの県は埼玉だけだ(千葉も神奈川も川向こう)。 
多摩地域においては、確かに神奈川とも地続きになっているが、
そこには障壁としての多摩丘陵を越える※必要がある(さらに山梨との県境は1000mを越える山々)一方、
埼玉とは武蔵野台地の地続きで境界がわからない。
※多摩丘陵の向こう側の町田は行政的には都内だが、実質的には神奈川(その証拠に神奈中バスが走っている)。

つまり区部でも多摩でも都内を歩いているつもりで、いつのまにか埼玉に足を踏み入れることがあるのだ(この時こそ、東京と埼玉の一体性を痛感する)。 

埼玉と東京の深い一体感は、もちろん「武蔵」という同国であった歴史に裏打ちされている。
この武蔵の国、埼玉と東京を併せているだけでなく、
なんと横浜・川崎という神奈川のパワーの半分以上を占める地域も含んでいる
(今、川崎市で大発展しているのがあの『武蔵小杉」)。
武蔵は旧国の中では最強パワーの主といってよい。
その武蔵の半分以上を占める埼玉、すなわち武蔵の主要部である埼玉にとっては、東京も横浜も同国内の南端にすぎない。
だから、東京や横浜がいくら埼玉を田舎扱いしても、
自らは明るい日なたを支える目立たない影の部分であるという大人の余裕を失わない。

このような埼玉が第一線に躍り出る時があるとすれば、
それは南関東(神奈川・東京・千葉)を襲う次なる関東大地震であろう(その前に首都直下型地震もある)。
海がないのが幸いして津波も来ないし、液状化もない(一部沼の埋立て地を除いて)。
台地が多いので地盤が固い。
台風も来ないし、もちろん大雪もない。
夏の暑さだって、最近は群馬の方が高めだ。 
荒川は源流から県内だし、北辺は利根川が流れているので、
水の心配もない(鬼怒川のような水害もない)。
空港はない(航空公園ならある)が、新幹線は3本も通っている。

埼玉は、首都機能のいざという時の大事な避難先であり、
それは横浜も千葉も東京以上の被害を被るので担えない(映画「シン・ゴジラ」では多摩の立川がそれを担ったが、都心からは埼玉新都心の方がずっと近い)。
かように埼玉は潜在力を秘めた頼もしい県である。


文京の梅巡り

2019年02月24日 | 東京周辺

昨晩は脊椎の手術をした姪(11歳)の退院祝いのパーティをやったせいで、
今日日曜はゆっくり起床。
朝から晴天で暖かいので、洗濯と布団干しをした後、近場(文京区内)の梅を観に行く事にした。 

梅は旧暦の冬至を過ぎ、新暦の立春を過ぎて、春一番が吹く頃から咲き始める、正に春の使者。
可愛い春の魁(さきがけ)を愛(め)でに行きたい。 

まずは小石川後楽園
江戸城外濠・神田川沿いの水戸藩邸に光圀が完成させた庭園で、
国を代表する特別史跡・特別名勝なので、ここを私は”文京の三名園”の1つとしている(他は駒込六義園、小石川植物園)。
いつもは入園料300円だが、今年は新天皇即位を記念して無料となっている。
園内の北東の一画に梅林があり、梅林に特化した案内図を渡された。
その案内図の裏には、それぞれの梅の木(株)の品種名が写真入りで一覧(36種)になっている。

まぁ庭園の一画なので、梅林といっても面積は狭く、案内図の裏を参照しながら梅の木をそれぞれ個別に観賞する感じ(写真は「浜千鳥」という品種)。
豪快さはないものの、日本庭園の箱庭趣味に合っている。 

今日は梅見が目的なので、梅を見たら出口を目指し池の内周をまわって出た。
庭園自体はいいのだが、都心部の庭園に共通する欠点として、庭の背後に建つビル群が興を削がれるのが残念。
その中で東京ドームのビッグエッグだけは固有の”奇観”として許せる感じ。
つまり建物それ自体が鑑賞に値する造形美をもっていればいいのだ。

さて「後楽園」から地下鉄を乗り継いで「湯島」で降りる。 
湯島天神の白梅を観るためだ。

湯島天神では神輿も出ていて祭りで混んでいる上に、本殿前はいつものように参拝者が行列。
受験シーズンが終っていないこともあって(明日は国立大学入試)、
合格祈願と梅見客でごった返している。

ただし受験客は本殿のお参りと絵馬の購入が目的で、梅見客の目的は本殿周囲の梅の木なので、境内ではうまく分離している。
湯島天神は、天満宮の本社ではないが、東京いや関東を代表する天神社として一番の(同じ東京の亀戸天神よりも)人気なので、
私は”文京の三名社”に入れている(他は、地元オリジナルの根津神社、地名にもなっている白山神社)。
混雑しているが、幸い白梅が咲いていて、写真の被写体になれる。
梅の本数はたいして多くないが、ここの梅は枝の折れ曲がり具合が浮世絵のそれを彷彿させ(写真)、女坂で背景に灯籠などを入れれば、江戸情緒のある梅の写真を撮れる。

屋台のたこ焼きを食べ、梅祭りの会場で昆布茶をもらった。
ここの名を冠した梅酒が売っていて、試飲させてもらった。
なるほど、今の時期は家でも梅酒を味わおうと思った。
ただしスーパーにある安物でいい。 

かように、東京区部の梅は郊外の梅林と違って箱庭的なものだが、
梅の花自体は同じなので、間近で白・紅・緋の3色と枝垂れ梅を観れば、それで満足できる。


阿字観の講習

2019年02月23日 | パワー・スピリチュアル

坐禅をはじめとするいくつかの瞑想は今までやってきたが、
真言密教の阿字観(梵字の阿字を観想する瞑想)はやったことがない。
学生時代にやっていた尺八に「阿字観」という曲があり、吹いたことはあるんだが…。

以前、阿字観の丁寧なテキスト(CD付き)を買ったものの、
その頃はヴィパッサナー瞑想を優先していたので、
しばらく手をつけないままだった。

最近になって(日に日に真言宗づいてきているので)、
やっと阿字観にトライしようという気になり、
阿字観に必要な「阿字」の図版(月輪の中、蓮の上に梵字の阿)を入手した(右図はその縮小)。

テキストによると、結構手順が複雑(阿息観→月輪観→阿字観)なので、
自習するのを戸惑っていたら、なんと偶然に高野山の東京別院で、
今度の土曜に「阿字観実修」 があるのをネットで見つけた(高野山別院が東京にあるはずだと思って検索した結果の発見)。
しかも参加自由で無料。 

予約確認のために電話したら、予約は不要だが初心者は開始30分前に来るようにとのこと。

高野山東京別院は港区の高輪にあり、 JR・地下鉄の駅から遠い。
でも紀州の高野山に上る手間に比べれば…。
けっこう早出したのだが、着いた時は、初心者講習が始まっていた。
20名以上いた初心者は本堂の内陣側に横に並んで着座。
一方、場慣れしている経験者は外陣に阿字の絵札を各自正面に設置して坐っている。
経験者はマイペースで阿字観をやっているようだ。 

指導担当の僧侶が、内陣で初心者にむかって、終了後の礼拝の所作を説明する。
つまり、瞑想中感覚が麻痺した脚をいたわりながら立ったり坐ったりを繰り返して皆で一緒に礼拝するのだ。
その所作は、立位から片足づつ跪坐を経由して正座にいたる小笠原流礼法の所作とほとんど同じ。
言い換えれば、武家礼法の所作は身体に丁寧な動作なのだ。

瞑想初心者用の坐位姿勢として、踵を脚の付け根に着けるいわゆるシッダ・アーサナが推奨された(私は半跏趺坐)。
頭部をややうつむきにすれば首の筋肉の緊張を解くという。
手は法界定印を組み、目は半眼に開ける。
合掌と礼拝の仕方はテキストと違っていた。

そしてまずは「アー」と声を出し続ける阿息観。
というか、指導は阿息観だけで終り、あとは無言となり半眼での瞑想。
私は頭の中で阿字を浮かべた(図版をタブレットの壁紙にしているので頭の中に入っている)。
これで終了。
実際には1時間を要したのだが、短かく感じた。
後は、部屋に戻って茶話。

 なんでも瞑想の体験内容は、人によって異なるので、他者の書を絶対視しなくてよいとのこと。
 ならば阿字の図版はあるので一人でもできるな。


縁日の川崎大師

2019年02月21日 | 歳時

帰京した翌日、最近真言宗づいている私は、
川崎大師(神奈川県川崎市)が縁日だというので鉄路で訪れた。

まず腹ごしらえに、門前の蕎麦屋「松月庵」で天ぷら蕎麦を食べる。
ここはでかい海老天が評判なので、空腹を抱えてまずはここを目指した。
幸い昼前で並ばずに入れた。
海老天は確かに食べでがあったが、海老を食べると後は”かけそば”状態になってしまう。
天蕎麦には”かき揚げ”が一番だな。
汁(つゆ)は江戸っ子の私にとっても辛(濃)かった。

そもそも今日がなんで縁日かというと、
21日が弘法大師が遷化された日なのでその”縁”の日なのだという。
では普段とどう違うのか。
まずは本堂で「大般若経転読会(テンドクエ)」なる行事がある。
これは幾人もの僧侶が折畳みの大般若経典(計600巻)を分担して、
左手から右手に空中でパラパラ開きながら大声で教典の題目を唱えるというもの。
この行事を目指して来たわけではないが、境内を一通り見学し終ったら丁度始まるタイミングだったので、本堂内に入って法会に参加した。

そう、真言宗の寺は法会に参加することで、内陣に入れてご本尊を間近に拝めるのだ。

転読会はけっこう長く、われわれ一般参加者が唱和する場面も少なかったので(「南無大師遍照金剛」のみ)、
少々しびれを切らしたが、最後に内陣に入れてもらって本尊の弘法大師を間近に拝めた
(本尊の向って右に不動明王、左に愛染明王と創建者の平間兼乗の像も拝める)。

本堂を出ると、今度は境内鎮守の福徳稲荷の(ウマ)祭りのフィナーレに遭遇し、
今から”餅まき”が始まるという。
まず狐の面の舞があり、その後法会を終えたばかりの貫首を始めとする僧侶が餅を撒く。
貫首が最初に投げた餅を、私は片手で空中キャッチしたので、これで満足して場所を譲った。
門前は咳止め飴の店が並んで、俎板の上で餅を包丁で切る軽快なリズムが通りに響く(写真)。 
咳込んでいた母へのみやげに1袋購入。

家に帰って、折畳みの教典類として分厚い「神道大祓全集」を使って、
転読会のまねして左手から右手に向って空中でぱらぱら開く動作をやってみた。
その動作をじっくり観察していたせいで、難なくできた。
これで1巻全部唱えたことになるのだ。 


護国寺の如意輪観音を拝む

2019年02月18日 | 東京周辺

音羽(東京都文京区)の護国寺は、真言宗豊山派の本山で、
東京(江戸)では寛永寺(天台宗)・増上寺(浄土宗)の2トップに次ぐ格式の寺といえる
(歴史が古い浅草寺は庶民の寺だから格式は低い)。
文京区民である私は、護国寺を小石川の伝通院、駒込の吉祥寺と並んで”文京の三名刹”と認めている。
五代将軍綱吉の生母・桂昌院の発願による寺で、本尊の秘仏・如意輪観音は、桂昌院の念持仏だったという。

その如意輪観音は、毎月18日に開帳される。
今月は運良く在京と重なったので、国会図書館でひと仕事終えた後、
16時からの閉帳の法会に間に合うように地下鉄有楽町線で「永田町」から「護国寺」に向った。

実は、以前開帳日に訪れたことがあったのだが、本堂内で遠くから拝むだけだった。
ところが法会に参加すると、内陣に入れて本尊を間近に拝むことができる。
これって、先月の高幡不動でも経験したから、真言宗特有の方式なのだろう。
つまり、18日の開帳日の、朝9時の開帳の法会か、夕方の閉帳の法会のどちらかでないと、間近で拝めないのだ。
法会に参加するので、般若心経を一緒に唱え、あと如意輪観音の真言(マントラ)は知らなかったのでうまく言えなかった。 

如意輪観音は、私にとって一番好きといえる仏様。
上半身は頬に軽く指を触れる”思惟”のポーズがまず特徴。
同じ考えるにしても、ロダンの「考える人」のように拳を頬にめり込ませるようなリキミがない。
思考に専念というより、ちょっと遠くを想っている雰囲気。
そして下半身は片膝立てた姿勢。
他の坐った仏様はことごとく結跏趺坐という真剣な行の姿勢なのに、片膝立てて頬杖をついているなんて、どうみてもリラックスしている。
しかも観音様だから女性を模しているので、まるでアンニュイな女性の姿態。
その最高傑作が、観心寺(大阪)の如意輪観音で、私はその精確なミニチュアを8万円出して購入済み(他に中宮寺の如意輪観音像のより小さなミニチュアも所持)。

というわけで女性の色気を感じるから好きだという通俗的な理由。
実際、将軍のご母堂もお気に入りだったし、
江戸時代の女性の墓は如意輪観音の石仏が多いので、私の感覚も間違いではない。 

本堂は本尊の周囲に二十八部衆+アルファが居並び、
真言宗では欠かせない不動三尊と大日如来はもちろん、四天王や苦行中の釈迦の像まである。
仏像はいずれも江戸時代の作だが、格の高い寺だけに、それなりにきちんと作られている。
都内の仏像巡りには、外せない寺だ。


賃貸部屋(アパート)選びのポイント

2019年02月17日 | 生活

レオパレス21の「施行不良問題」が、やっとマスコミレベルであからさまになった。
ネットではとうの昔から噂になっていたが。

かくいう私も、名古屋では賃貸部屋(アパート)を借りて生活しているので、下手すれば被害者になっていた。
そうならずにすんだのは、それなりに理由があったからだろう。

部屋を借りる個人的条件は様々なので、参考になるかわからないが、
私なりの選択ポイントを紹介したい。
何しろ、その基準で選んだ部屋に25年以上住んでおり、時たま他の物件を探してみるが、
今住んでいる部屋以上の所が、いまだに見つからないくらいだから、
部屋選びに成功したといえる(100%満足しているわけではないが)。

もっとも、名古屋に赴任する時に最初に選んだ部屋は業者のミスで入れなかったので、
実は大学の研究室に寝泊まりしていた。
はやり現地できちんと探さないとダメだ。

まず基本条件として、鉄筋であること。
なので木造のいわゆる「コーポ」は最初から除外。
なぜなら、騒音が遮断されるから。
住むのであれば、これは絶対譲れない(譲れるのはレオパレスの住人くらい)。
というのも、実は私は楽器(当時はインドの打楽器タブラ)をやっており、
騒音を”出す側”だと自覚していたから。 
もちろん外部からの騒音を入れたくないのは当然。
鉄筋だと空調も効率がいい。 

私が実質的に最初に契約したアパートは、鉄筋のビルの2階の2LDKだったが、
数ヶ月で引っ越した。
一番の理由は、駅から遠くバスが必要だったため、通勤が辛かったこと。
なので、駅から徒歩圏内に住みたくなった。
それと単身者には2LDKは不要で(リビングと寝室を別にする理由なし)、
ワンルームが便利だと気づいた。 
そこで、駅から徒歩圏内鉄筋ワンルームを探した。

幸い、条件に合った建築中の物件があり、建築中なので図面だけで判断して契約した。
単身者向けのワンルームなので、照明と冷蔵庫・エアコンは完備で、クローゼットもついている。
火を使わないように、調理も電熱プレートだった(現在はIHに変更)。
洗濯機は備わっていないが、専用の設置スペースはある。
当然、エアコンや調理器の修理・交換(グレードアップ)は大家持ち。

一番気に入ったのはワンルームが広めで、まずワンルームといっても、
リビングルームと玄関(靴箱)・洗濯機・浴室・トイレ・キッチン空間とはドアで仕切られているのがいい。
トイレと浴室はもちろん別室で、浴槽も長方形で狭くはない。
リビングはベッドを置いてもそれなりの広さを確保できる(ホテルでいうと、シングルルームではなく、ツインルームの広さ)。
私は2番目の契約だったが、幸い最上階の角部屋(一番広い部屋)が空いていたのでそこにした。
3階建てなので、エレベータがない。
その分共益費も安い。 

ここにずっと住んでいて、まず騒音に悩まされたことはない。
ただ交差点に面しているので、道路と同じ高さの1階だと車の騒音や振動があるかもしれない(窓を通して、通行人の視線に曝される)。 
安い木造アパート(学生時代に居住経験あり)と違って、廊下と階段はコンクリだから、足音もしない。 

周囲も住宅地なので、環境騒音もない(2LDKの時は隣りの建物がカラオケスナックだった)。
あと鉄筋なので、空調効率もそれなりに確保されている。
ベランダが広く、干し物以外に椅子もおける。 
ベランダに面した部分はガラス張りで、室内に陽光が差し込む(ただし西日)。
床はもちろん全面フローリング(安くて狭いワンルームは安いカーペット敷き)。 

それでいて家賃が安め(コーポより高いが)。
実際、住み慣れすぎているので、たまに新築物件を探してみると、いずれも家賃が高く(共益費も)、
それでいてワンルームの面積が小さい
(そもそもワンルームは学生対象なので、ホテルのシングルルームに近い狭さ)。
つまり新築物件は”新しい”以外に魅力がないので、結局ここに住み続けている。 
ちなみに、設備としてこちらが追加したのは、
洗濯機、電子レンジ、テレビ、電話、無線LAN、書架、寝具、トイレの洗浄器、
それに冷蔵庫を大きめにした。

そういえば、先日隣室に入居した中国の留学生も、静かな居住環境に感心していた。
かように学生が住めるレベルの家賃なのだ。 


学園葬に参列

2019年02月16日 | お仕事

我が勤務先の学園長が元日に亡くなった。
後期授業と入試が終って一段落した2月16日(土)、その学園長の学園葬が、名古屋城を臨むホテル名古屋キャッスルで執り行われた。

私がこの学園に奉職する時、最後の面接を受けたのが学園長(当時は理事長)だった。
定職のなかった私を正規に雇ってくれた最初で最後の恩人。

なので、個人的な思いもこめて学園葬に参列した。
といってもホテルでの”お別れ会”なので、喪服ではなく、「平服」の指定。
私は儀式用の礼服はあるが、日頃はスーツを着ないので、逆に平服(ダークスーツ)に戸惑った。
幸い大昔に買ったネイビーブルーの上下がなんとか今でも着れるので、あとはあえて地味なネクタイを近所で買って、どうにか「平服」をしつらえた。

会場のホールには祭壇の花の上に故人の写真が大きく飾られている。
現理事長は弔辞の途中に感極まった。
形式的な言辞で終るよりよい。
参列者はそれぞれ祭壇に菊の花を捧げる。

それで終るものと思っていたら、隣のホールに立食が用意されていた。
帰京するので、一口だけいただこうと思っていたら、すでに退職した元同僚を発見。
立食を忘れて、ソファーに座ってつもる話しに花(今回は菊花)を咲かせた。
確かに見渡すと、退職した人たちがたくさん来ている。

こう言ってはなんだが、法事って、懐かしい人との再会の機会を与えてくれる(結婚式もそうだが)。
故人が人々を集めてくれるのだ。 
これもまた、故人からの恩恵といえる。 


荒子観音で円空仏を彫り損なう

2019年02月09日 | 名古屋周辺

本日午前中は大学で仕事だったが、午後は空いたので、名古屋市中川区にある荒子(アラコ)観音に行った。
名古屋に居ても、通勤と買物以外に出歩く機会がない
(週末は帰京するか車で温泉に行ってしまう)ので、この機会を逃せない。
なにしろ毎月第2土曜が、この寺が所蔵してある円空仏の公開日なのだ。

公開される円空仏の数たるや、なんと1256体!
現存している全国の円空仏の1/4がここにある勘定。
その中でも最大なのは仁王門にある2体の仁王像で 321cmと306cm。
といってもこのうち1164体は、最小3cmからの「千面菩薩」(円空の造語)。

これらが客殿内で間近に拝めるのだから貴重だ(拝観料500円)。
実際、円空はこの寺に数度逗留したという。
寺内の円空仏を説明してある「荒子観音寺の円空仏」(小島悌次)の冊子(500円)を買ったら、千面菩薩の1つ「迦楼羅」(ガルーダ)の模刻をくれた。 

千面菩薩は、円空仏の中でもとりわけ素朴(簡素)で、まさに量産型。

そしてなんと、見学者にこの千面菩薩像を彫らせてくれる。
本来は、有料の会員での彫像教室なのだが、別室で円空彫りの先生が指導してくれる。
初心者用に顔面だけが彫り残されたサンプルを手に取り、教えれる通りに、
まず鉛筆で目鼻を画き、鑿(のみ)で、おでこ、鼻、口を削り、目と眉を線状に穿つ。
円空仏を見学するだけでなく、その造形を自らの手で追体験できるのだからさらに貴重だ。

といっても、不器用ゆえ、失敗作となったのでここには披露しない(持ち帰って、簡易仏壇に置いてはいる)。
次の機会があったら、もう少しうまく彫りたい。

見学を終えて、荒子観音に近くにある、前田利家が居たという荒子城跡に立ち寄る
(Appleのマップでは城跡の位置が違っていた。Googleマップは正解)。

神社と石碑しか残っていないが、利家といえば名古屋の”三英傑”(信長、秀吉、家康)に次ぐクラス。
利家の史跡めぐりの散歩コースもあるようだ(今回は、そのうち2ヶ所をまわったことになる)。  

帰宅して夕食後「荒子観音寺の円空仏」を読んだ。
それによれば、荒子観音の3m仁王像から3cmの千面菩薩まで、
すべてが1本の巨木から造られているという。
そして、残った木屑も千面菩薩が収められていた箱に詰められていた。
木であることをあえて残しながら彫った仏に、円空は木にも潜む仏性を顕現させたのだ。


暖房でもサーキュレーター無しにできた

2019年02月07日 | 生活

昨冬(2017年)、名古屋宅の暖房をエアコン+サーキュレーター+USBファン+温熱マットを組み合わることで、エアコンの「設定温度を17℃まで下げても、床上温度は23℃になる。
その間エアコン(三菱霧ケ峰)の消費電力は440Wをキープし、時たま0Wになる。 」と自慢したが(→その記事)、
今冬はこれを上回る省エネを実現できた。

つまり サーキュレーター・USBファン・温熱マットの3つを使わず、
しかもエアコンの設定温度を16℃にまで下げてエアコンの消費電力が397Wにまで下がって、

床上温度20°(冬の至適温度)で満足する生活を実現した。
その理由は簡単。
室内での衣服の保温性を上げたことによる。

すなわち、下はユニクロ(今季の新製品)のボアが内側についた暖かいスエットパンツをはき、上は厚手ウールのショールカラー・カーディガン(ユニクロでない)を下着の長袖シャツの上に羽織ることにした(すなわち上も下も下着をふくめて2枚)。

その結果、 エアコンは上の温度設定で風速は”最強”にするので、温風が直接床に届くため、
サーキュレーターはもとより、USBファンも温熱マットもいらなくなった
(温熱マットは電気を入れずに敷くだけで床に対する断熱効果はある)。
昨冬は、下がユニクロのボアが一重の(今年のと比べると薄い)スエットパンツで、
上は薄手のウールのカーディガンだった。

要するに衣服を厚手にしたことで電気代を下げることができたわけ。
ということで結局、サーキュレーターは夏はもとより冬も(つまり一年を通して全く)不要になった。 

ちなみに湿度は東京と違って室内で50%を維持しているので(東京宅だと30%を切る)、
加湿器も使わずにすんでいる。 


東博の顔真卿展を観に行って

2019年02月05日 | 作品・作家評

姪の手術が成功裡に終り、私の採点も順調に進んだので、息抜きとして、
東京国立博物館(以下、東博)でやっている『顔真卿(ガンシンケイ)※展』を観に行った。
※唐代の書の大家(東晋代の王羲之と双璧をなす)。 

実は”書”には全く関心がないのだが、台湾の故宮博物院の秘宝が日本に出展されることが中国で問題化されていて、
しかも春節の休暇を利用して中国・台湾から大勢押し寄せるというニュースに接して、
にわかにミーハー的興味が湧いたという次第。
東博は言ってみれば私の散歩圏内だし、 空海の書も展示されるというので、
最近密教に傾いている自分が呼ばれている気がしたせいもある。

顔真卿は高校世界史での記憶しかなかったが、
この目で王羲之の書と見比べることができたのはよかった。
とにかく現代の楷書のベースとなっている書体なので、
われわれ漢字文明圏の者にとっては、影響力絶大である。
彼の書風には「顔法」、その特徴は「蚕頭燕尾」(書き出しが蚕のように丸っこく、跳ねが燕の尾のように二つに分れる)と名がついている。

館内は確かに、中国・台湾人が少なくとも半数は占めている
(家族連れが多いのは、やはり春節休暇旅行か)。
なにしろ、イヤホンガイドも中国語版があるほど。
最大の見所は、甥の死を悼んだ「祭姪文稿」 の肉筆で、ここだけ行列で30分かかる。

次いで人気があったのは、同じ唐代の僧・懐素の「自叙帖」(右図:東博のサイトから)。
その大胆な草書(「狂草」 と称される)は、前衛的書ともいえる筆致で目を見張る。

最後の”日本への影響”コーナーでは、空海の書がいくつかあり、王羲之の影響を受けたものの独自性を確立した様子がみてとれる。
改めて思うのは、空海(弘法大師)って、真言宗ではまるで仏様のようにあがめられているが、かように直筆が残っている実在した人物だったのだ。

ついでに、あの懐素の影響を受けた日本人は、藤原佐理(スケマサ)という人で、
彼の草書はもはや”ひらがな”に達している。

実は、この展示を観て、内容とは別に気になったことがある。
 展示物を隔てるガラスのあちこちに人が触れた跡があって
その汚れによって作品の観覧が妨げられているのだ。
いったい誰が触るのか、観察していると、実際にガラスに指を触れている現場を3度見た。
いずれもオバサン(日本人)である。
このオバサンたちは、同性の連れとおしゃべりしながら、作品を指さして話をしている。
つまり同行者に作品について語ることが、作品の指さし行為を必要とし、
そのため指がガラスに触れるのだ。
いいかえれば、単独で来ている人や複数でも黙然と観ている人は、
指を差す行為自体をしないので、ガラスに触れることはない。
なら、ガラスの汚れはガラス越しに指さすオバサンのせいか、というと、すんなりとそうはいかない。
なぜなら、汚れの多くは、オバサンの指の位置よりは高くて私の目の下あたりだし(だから視野を妨げる)、
しかも視野を妨げるほどに面積は、指先が触れただけの跡にしては広すぎる。
つまり汚れは、オバサンの指先によるものではないようだ(指でぐるぐるなぞるなら別)。
あの高さと広がり具合からみて、おでこが触れたのではないか。
もしオバサンが、おでこにファンデーションを塗ってきて、
それがガラスに振れたなら、あの位置と面積と濃さで汚れるだろう。 
おでこの位置とガラスを平気で触れる行為がその可能性を高めている。
というわけで、やはり犯人はオバサンではなかろうか
(現場を押さえていないので推測に留める)。 


11歳姪の大手術

2019年02月04日 | 身内

東京の実家で1つ屋根の下に居る11歳の姪(元気な4歳の姪の姉)は、生まれついての重度の身心障害である。
これから成長期に入るので、ひどくなっている脊椎の側湾を矯正する手術が必要とされていた(片肺が圧迫されて変形している)。

脊椎そのもの(胸椎から腰椎)に矯正用の金属を埋め込むのである。
脊椎だから大事な脊髄を傷つけたらたいへんなので、慎重にも慎重を要す。
しかも手術部位が広い。
というわけで、8時間もの大手術になる。

親族としては、居ても立ってもいられないが、何もできないので、神仏に祈って、待機しているしかない。
病院での待機は姪の両親(弟夫婦)にまかせ、血液型が姪と同じ私は実家宅で待機する(その間、後期試験の採点にいそしむ)。

夜になって、両親が病院から帰ってきた。
手術は無事に終って、脊髄も傷つくことなく、また長時間の全身麻酔後も自発呼吸できているという。
そして120°も曲がっていた側腕が、30°に縮小できたとのこと。
術中はうつむき姿勢のままだったので、顔面は鬱血して腫れているという。
ひとまず安心した。
採点もほとんど終った。 

今後は、縫合した傷口の回復を待つわけだが、まずは術後の痛みが襲ってくるという。
そのため、鎮痛効果のある麻酔薬を投与し続ける必要がある。
ただし連続では使えないので、間歇的に使わざるをえない。
そうなると鎮痛薬が切れた時が辛そうだ。
11歳の、しかも言葉が使えない子にはかわいそうだが、これに耐えてもらうしかない。


節分の昼と夜

2019年02月03日 | 歳時

昨年に続いて今年も節分に実家にいるので、近所の神社の節分会(豆まき)に、4歳の姪を連れて行くことにした。

行事の開始時間を探るために、ネットで検索したが載っていない(たとえば区のイベント案内)。
有名どころの成田山とか浅草寺ならそのサイトに載っているのに… 
仕方なしに、外に出て、町内会の掲示板を探すと、そこには載っていた。
なるほど、理由がわかった。
膨大な参拝者の賽銭収入がある有名どころと違って、近所の鎮守社での行事は祭礼と同じく町内会の寄付が中心。
なので、あくまで町内会の行事であって、寄付をしてない部外者に、豆を含めた物品を投げ与えることは経済的損失でしかない、ということだ。

それで近所のどこに連れて行くかというと、
一番近い富士神社は、豆まき式だけだが、少し遠い諏方(≠諏訪)神社では、鬼が登場する。
なので、諏方神社に連れて行く。
ただ、4歳では「鬼が出る」ということは怖いらしく、
赤い面の”鬼”が登場すると後ずさりする。

それと近所の神社の豆まき式では、投げる側が非力な人ばかりなので、前の方以外は、何も飛んでこない。
これは改善の余地がある(もらう側も前後交代するとか)。
幸い、渡り廊下の下にいた姪と祖母が豆1袋をゲットした。

夜は、家の中で儀礼的に豆まきをする(明日掃除が必要)。
玄関外に飾る鰯は買えなかったそうだ。
節分の行事といえば本来ならこれで終りだが、母が今回初めて「恵方巻き」なるものをスーパーで買ってきた。
といっても一本の半分の長さのもの(丸々一本は買う気がしなかった)。
それと鉄火・河童(鮪と胡瓜)の太巻きを一本。
通常の太巻きは普通に食べれておいしい。
それにひきかえ、恵方巻きは中身は豪勢だが、いかんせん太すぎて丸かじりはできない(中身がこぼれる)。
不必要に割高だし、これでこりごり。