今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

火山に入ること

2014年09月30日 | 防災・安全

活動したての火山の火口に行けばわかるが、そこは生命を拒否する、いや生命を破壊し尽くす死の世界だ。地上で最も過酷な空間だ。

御嶽山頂に向う救助隊は、そこに入り込むわけだから、文字通り「決死隊」である。
地震や津波の”被災地”に入るのとは訳が違う。
いつ爆発するか分らない福島原発の建屋内に入るような、いやそれ以上の危険がある。

もどかしい気持ちを抑えて、救助がはかどらないことを理解したい。

それにしても、死者のプロフィールが明らかになるにつれ、知人や隣人であってもおかしくない普通の人たちなので、なおいっそう身につまされる。
自分もあの人たちのように、あそこに行っていたかもしれないと。

実は私も、先週末は、岐阜側から御嶽に行こうかなと思った瞬間があった。
でも中腹の濁河温泉まで車を運転していくのが億劫になって取り止め、結局は新幹線で東京に帰った。
なんか旅行に行くこと自体が億劫になっていたから。

でも家にいるのが一番いい、とは結論づけたくない。
そのうち以前のように、火山の壮絶な風景を畏怖をもって見に行くだろう。
火山は確かに生命を破壊し尽くすが、活動が静まれば、美しい風景と温泉を与えてくれる。
「これが地球なんだ」と実感させてくれる。


御嶽山噴火

2014年09月27日 | 防災・安全

27日の木曽御嶽の噴火には驚いた。
御嶽山付近を震源とする小さな地震が続いていたので、「またいつかは…」という気がしていたが、

噴火の前には火山性微動や山体膨張が観察されて、かなり正確に予測できると豪語されていたので、すっかりそれに頼り切っていた。

といっても、剣が峰の南側の奥の院付近は、以前から硫黄の臭いがして、
ここが活火山であることを主張していたわけだが(過去3回登った)。

自分が登っている山が突然噴火した登山者は、生きた心地はしなかったろう。

それにしても、本州のど真ん中にある3000m峰(富士に次ぐ高さの火山)が噴火するのだから、
日本は地震国だけでなく、火山国であることも痛感させられる。

木曽御嶽は、1つの山というより、北の乗鞍岳と同じく、火口が北から南へ移動しつつできた複合火山で、
それ自体で小さな火山脈を形成している(山上の池が旧火口)。
今回の噴火は山の南斜面だから、火山脈が順調に南下していることを示している。
御嶽はこれからも南へ拡張するだろう。

濃尾平野を睥睨(ヘイゲイ)する御嶽の雄姿は、南関東を見下ろす富士に相当するが、
噴煙たなびく3000m峰を見上げることができる大都市は名古屋だけだ(岐阜市ならもっと間近)。
ただその御嶽は、噴火のたびに名古屋に接近していく。

以下、追加

被害の全貌が不明で、無事下山した人の情報ばかりだったので、結構気楽な気持ちで上の記事を書いてしまった。
壮絶な状況が明らかになりつつあり、同じ山をやってた者として、改めてゾッとしている。

山に行ってその山が噴火するなんて、雪山で大雪崩に遭うような恐ろしさだ。

今では「死火山」は死語になり、かつての「休火山」の多くが「活火山」に昇格した(御嶽は、死火山からいっきょに活火山へ)。
地殻活動の周期と人間の観察記録の時間スケールが異なるから。
ただ、活火山といってもここしばらく活動していない山が多い(それらは「常時観測火山」の認定外)。

那須岳や阿蘇山など、活動していても気楽に行ける活火山がある。
これらの活火山には緊急時のシェルターが道脇にあるので、備えはしっかしりている。

逆に怖いのは、「常時観測火山」認定なのに、活動していない山。
噴火時の備えが、訪れる者にまずないからだ。

今回の教訓として
水蒸気噴火は前兆が捉えにくいとするなら、すなわち”いつ”噴火が起きるか予測困難とするなら、
せめて”どこで”噴火が起きそうかは予測可能なので、それをルート選定に生かしたい。

たとえば、御嶽なら、南側が噴火するわけだから、王滝口の奥の院から剣が峰の間が問題となる
(王滝口は登山道を変更して、王滝頂上を迂回して剣が峰に行くようにした方がいい)。

富士山なら、山体全体の北西−南東走行が噴火しやすいから、精進口と御殿場口が問題となる。

山体の地震が相次いだ後は、これらのルートは避けた方がいいかも。


私設「本駒気象台」開設

2014年09月27日 | お天気

実家の引越に伴なって閉鎖された私設「ひぐらし気象台」に代わって、
数百mへだてた新居に新たに私設「本駒気象台」が開設された。

測器の調子が悪く、配信用のパソコンも具合が悪いと勘違いしていたので、引越後2ヶ月もたってしまった。
残念ながら、(引っ越す前から)風速・風向計と雨量計が反応しない。
大事な観測項目なので、このままというわけにはいくまい。

でも観測器を買い替えるのは懐が痛すぎる。

幸い、安い機種でそれらが観測できてネット配信できるのが発売されたので、落ち着いた頃に機器をリニューアルするつもり。

それまでは、不充分ながらこのままでいく。

実は同系列の「星が丘気象台 」(名古屋市千種区)も配信用のパソコンの不調で更新が止ったままになっている。こちらもなんとかしなくては…。


家族が増えた

2014年09月24日 | 身内

私事で恐縮だが、わが実家に姪が生れ、家族が増えた(同居しているので親族ではなく家族)。

少子化・非婚化が進むこの時代、家族が増えるって貴重な体験
(自分自身がそれに貢献していないのでなおさら)。

名古屋で仕事だったので、夜に一人で(瓶のエビスで)祝杯。

元気に育ってくれるのを楽しみにする。


Wi-Fiルータ更新

2014年09月22日 | 時事

私のIT(インフォメーション・テクノロジー)ライフは、ポケットWi-Fiルータ+iPad+ガラケー(+MacBookAir)で構成されている。

これだと図書館や旅先にルータを持参すれば、Macで普通にネットに繋げられる。
iOSのソフトはiPad(Wi-Fiモデル)で堪能。
ガラケーは通話だけでなくFeliCa(おサイフケータイ)用に手放せない。

このパターンで唯一面倒なのは、ルータを携帯しなくてはならないこと。
なのでルータの代わりとして、スマホのテザリングに期待したが、話を聞くと、サクサクと快適いうわけにはいかず、使用量もぐっと増えるので割高になるみたい。
ドコモショップの担当者も、お勧めでない様子。
それに私としてはガラケーのFeliCaを手放したくないし。

また、ガラケーを使っているドコモでポケットルータも契約すれば、料金的に効率的かなと思ったが(ドコモ最大の魅力は旅先≒僻地の通信エリアの充実度)、
相変らずの殿様商売で、使用量月2GBの最低ラインでも、携帯含めて毎月7千円越す。
これまた担当者からはお勧めされない(顧客サイドに立ってくれるいい方だ)。

なので、ドコモショップを去り、今まで通り、ルータは専用会社(E・Mobile改めY!mobile)にして、そこの新機種契約に踏み切った。

7GB/月の新機種に契約すると、旧契約より毎月千円以上安くなる(今がキャンペーン中だから)。
旧契約の”2年縛り”がまだ解けないのだが、その継続分はキャッシュバックしてくれるので私の懐(フトコロ)はまったく痛まない。
それどころか、キャッシュバックでおつりがくるし、さらに新契約で安くなるのだから、こうやって時間(人件費)をかけて契約更新をすること自体、会社にとって減収になるのに、それでも契約更新を勧めてくるわけだから、他人事ながら心配になる。
今回だけでなく、IT関係は更新すると機能がアップして安くなる。
その減収効果を会社自らが勧めてくれるからありがたい。
会社にメリットがあるとすれば、顧客を他社に逃さないことくらいか(確かに私はドコモに逃げようとしてみた)。

マイクロソフトのOneDriveも、写真のダウンロード先に指定するだけで15GBも余計にくれたし(今月いっぱいのサービス)、みんな太っ腹だなぁ。


貴重な休肝日

2014年09月19日 | 健康

毎年のこの時期、年に一度の”休肝日”を迎える。

ということは、とても貴重な日だ。

年に一度の職場の健康診断があるからで、その前日だけは、泣く泣く酒を断つ。

血液検査でのγGTPの値をおとなしくさせるために。

一年のうち前日だけアルコールを入れなくても、それがどれだけ検査値に影響するか分らないが、

少なくとも前の晩の寝酒を処理したばかりの肝臓であるよりは、ましなはず。

そして健康診断が終われば、晴れて美酒に酔える(これは慣用句であって、毎日酔うほどには飲まないからね)。

γGTPの検査結果を楽観しながら…

まぁ、こうやって休肝日をつくろうと思えばできるのだから大丈夫だろう。

年に一日だけだが…


山陰旅行3:真のパワースポットは

2014年09月10日 | パワー・スピリチュアル

山陰旅行の第一の目的地は、鳥取県の三朝にある投入(ナゲイレ)、そして次に決まった訪問地は島根県の出雲大社

この両寺社への訪問は、ある意味対照的な結果になった。


2日目、大東町から出雲大社に向った(山陰旅行1の続き)。
臨時駐車場にレンタカーを置き、まずは名物”出雲そば”を荒木屋で食べる(西日本で本格的な蕎麦って珍しそう)。
丸い器三段を上から、タレと具をかけて食べ、タレと具を次の段に移して食べる。

さて、大社の境内に入る。
大勢の人とともに広大な敷地内の松並木を進む。
太い注連縄のある拝殿に達し、参拝。
ただ周囲では大勢の参拝客が思い思いに写真を撮ったりで、雰囲気的には観光地。

ここで思い出して、iPadminiを取りだし、「ばけたん」(幽霊探知器)の探知スイッチを入れてみる。
すると、「この場所は現在あまり良くない状態にあります」と出た。
つまり霊的にはマイナスということ。
今まで神社内でこうは出なかった。

さらに奥の本殿前に進む。
背後に佇む八雲山が御神体のように神々しい(写真)。
ここでも参拝して、ふたたび探知してみる。
すると、「この場所では特に異常は認められません」と出た。
つまり、ご神体に近づいた分なのか、拝殿よりはましだが、ありがたい霊気は感知されなかった。

私にとってこの探知器は、過去の探知経験から、かなり信頼している(稲城のありがた山、熱海の来宮神社など)。
なので、探知結果が正しいとして、それをどう解釈しよう。

そもそも場が有している霊気があって、それを感じた人びとがそこに社を建てた。
出雲大社においても、背後の八雲山を見れば納得する。

ただ、そこに訪れる大勢の人が、邪気をもっていれば、そこの霊気は相殺されてしまうのではないか。

この場合、邪気とは、神に対する直き敬意ではなく、自己の欲の実現を願う心。
出雲大社においては”縁結び”の御利益を願う人が、各地からここに集っているとしたら、邪気の集積地になってしまう(特に拝殿前)。
いくら大社といえども、霊気の量に限界があるのでは。
いや、われわれ一行の中にも、その邪気を持ってきた者が皆無とはいいがたい。他人のせいにするのはやめよう。

私は、訪れる寺社で必ず”パワー”を測るわけではない。何がしかを感じたら測る。
玉作湯神社でも、参拝者が発する”縁結び”の念のせいで、測ろうと思わなかった。


三日目、われわれ最後の訪問地が、旅の最大の目的地、投入
(山陰旅行2の)三朝温泉から車で7キロほど山に入る。
投入堂は、天台宗の古刹・三仏寺の最奥の断崖絶壁にあるお堂(平安後期の築)で、
そこに達するには、一人ではダメ、悪天候ではダメ、靴底にしっかり凹凸がなければダメと、条件が厳しい。
過去に死亡事故が複数起きているためで、いやなにより、修験道の修行の場だからで、もとより素人が観光気分で行く場所ではないのだ。
今回の旅の同行者二人は、この日のために、登山用のしっかりした靴を購入してきた。
山をやっている私にとっては普通の低山なので、底に凹凸がある普段の靴で済ませた。

幸いに好天の中(昨日は強雨だったのでちょっと心配だった)、まずは入り口で拝観料を払い本堂まで進む。
本堂で安全を祈り、その奥の登山事務所に行く。
そこで靴底チェック受け、OKをもらって入山料200円を払い、許可をもらった印になるタスキをかける。

ここから純粋な山道に入る。
次第に急傾斜になり、木の枝につかまりながら登る(写真:同行者はきちんと軍手を用意)。
それに続く岩場を鎖で登ると絶壁の上に建つ重要文化財の文殊堂。
ここに着けば半分登ったことになり、誰もが一休みしたくなる。
空中に突き出たようなお堂なので、堂の外縁を一周するにも高度感抜群。
転落したらもちろん命はない。

同じような地蔵堂(重文)を通り過ぎ、そして鐘楼(県文)で鐘を突き、馬の背・牛の背の岩崚を渡り、
岩穴に建つ観音堂(県文)の後ろを抜けると、
投入堂(国宝)を見上げる地点に達した。
ここから先は行き止まりで、投入堂にはこれ以上近づけない(ちょっとがっかり)。
でも絶壁の上お投入堂にどう入るのかわからない。

それにしても威容で壮観だ。ただただ見惚れる(写真)。
これを見るだけで来た甲斐がある。
あたりは荘厳な雰囲気に満ちているので、iPadminiを取り出して、探知した。
すると「守り神登場。周囲に守り神の反応を検出しました
現在この場所は非常に安全な状態にあります。」と最高の評価が出た。

やはりな。ここは本物だ。
仮に邪心をもって入山したとしても、途中の難所で無心になってしまい、この投入堂に達すれば素直に心が洗われる。
私など心が洗われすぎて、iPadminiでもできる地磁気測定を失念してしまった(計測マンとしたことが)。

信頼できる「ばけたん」の結果から、投入堂を立派なパワースポットと認めたいのはやまやまだが、
など物理的に測定できるパワー(力)の異常値がないと私としては正式認定はできない(認定できないのは、測り忘れた私の責任だが)。
なので「暫定パワースポット」としておく。

山は登りより下りの方が危険だ。体が疲れているし、自分でコントロールできない加速度がついているから。
同行者は山歩きの初心者なので、往きよりも慎重に降りた。

無事案内所に降り立った。
本堂の下に宝物殿があり、そこには投入堂に安置されていた蔵王権現(重文)や狛犬などが拝観できる。
すなわち現在の投入堂は空で、堂内の仏像などはすべてここにあるのだから、立ち寄ることで投入堂内に入ったことになる。

投入堂は、見た目にも「ぱけたん」的にも今回の旅で最高にパワーを感じた。

麓の三朝温泉と合せれば、心身ともにパワーアップすること間違いない。

投入堂までの山道は、高度差的には高尾山にも及ばない。
一部岩崚があるが、丹沢の表尾根や奥武蔵の伊豆が岳クラスを登った人なら問題ない。


これにて旅の目的は達した。
あとは米子鬼太郎空港から飛行機で羽田に戻るだけ。
時間が余ったので、蒜山高原(岡山県)に出てB級グルメの「蒜山焼そば」を食べ、そこから大山(ダイセン)中腹を半周し、米子に降りた。

わが先祖の跡、強烈な温泉、著名な寺社を巡った山陰旅行はかように充実した旅だった。

「山陰旅行序」に戻る


山陰旅行2:玉造、三朝温泉を測る

2014年09月09日 | 温泉

2泊した山陰旅行は、1泊目が玉造温泉、2泊目が三朝温泉。
温泉ソムリエでもある私は、温泉を肌や気分だけでなく頭(データ)でも味わいたい。

玉造温泉の宿は、湯神社に近い「山の井」。
以下のデータはあくまでその宿の浴室。

まずは分析書(源泉)の解読。
泉温59.5℃で、これだけで「温泉」合格。
pHは8.0で弱アルカリ性。湧出量の所は****となっている(計測不能なほど多いか少ない?)。
残留物(温泉のミネラル的濃さ)は1470mgで「療養泉」(適応症を謳える)に合格だが濃度は薄め。
内容は、陽イオンがナトリウム、ついでカルシウム。陰イオンは硫酸、塩素。
なので泉質は、「ナトリウム・カルシウム−硫酸塩・塩化物泉」。
ナトリウムと硫酸塩によって美肌効果(しっとり肌)があるので、これを謳ってまずは女性を引き寄せているわけだ。
あとラドンも1.41M・E(マッヘ)と少々混じっている。

さて、今度は浴室での私による計測。
内湯の湯口でサンプルを取る。
pHは7.0と源泉より低い(酸性に傾いている)。ここの水道水は6.5だったから、熱いあるいは少ない源泉を加水しているのだろうか。
電気伝導度は220μS(33℃)と分析(源泉)の1/10。加水してるとしたらその程度もわかる。
酸化還元電位は+732mVもあり、私にとっては最高値。
ちなみに浴室内をガイガーカウンターで測ったら0.3μSv/hで、ちゃんとラドンがあるようだ(浴室外では0.1μSv/h)。
まぁ、玉造温泉は美肌効果を謳うわけだから、温泉としての濃さは期待しなくてもいい。実際、薄い名湯は各地にある。

2泊目は、三朝温泉。宿は源泉が複数あるという「木屋旅館」。
放射能泉好きの私はここを一番の楽しみにしていた。
ところが、体を洗うため広い男湯(河瀬の湯)に行ったら、分析書は「ナトリウム・塩化物泉」としか解釈できない内容。肝心のラドンの値が載っていない!
実際ガイガーで測っても、どうしたことか0.1μSv/h。
これだと玉造温泉より低い(ていうか単なるバックグラウンド)。
ましてやよく行く東濃(岐阜県中津川市付近)の放射能泉とは比較にならない。

同行者は温泉に入った気になっているが、浴室のたたずまいだけで温泉だと思わない私は納得しない。
これが天下の三朝温泉だとは思いたくない。
ちなみに浴槽湯口の値は、pH7.5,電気伝導度は1795μSで玉造温泉よりはずっと濃い。
酸化還元電位は+346で玉造温泉よりは還元水に近い。

”温泉”に満足した同行者が寝静まった後、私は来館時に最初に紹介されたものの、まだ入っていない地下にある貸切りの浴室に向った。
果たしてそこの分析書にはラドン濃度が載ってあった。
玉造と同じ単位M・Eに換算すると、17.34
放射能泉でない玉造(1.41)とは比べるべくもない濃さ。
こうでなくては。
浴室内の源泉は75℃もあって(湧出量は毎分51.6リットル)、それが浴槽に満ちているので到底入れない。
東濃のかすみ荘と同じく、水で薄めて入るのだが、浴槽が大きい分、いくらホースで水を足してもちっとも適温にならないので入るのはあきらめた。

浴室内に「枕湯」と書いてある飲泉用の源泉がある。
その蓋を開けると、沸点に近い熱湯の湯気が立ち上る。
ビニール袋に入れたガイガーを源泉の数十cm真上にかざしてみる。
まず0.4μSv/hの値を示す。
この値は、東濃の放射能泉(湯の島温泉、かすみ荘)と同じ。
そしてβ線量も含めた値を測るため、測器の遮へい金具をはずすと、見事1.5μSv/hに跳ね上がった。
2011年当時の関東のホットスポット(地表1cm)の並の値。
この値に満足した私は、熱すぎる湯にはまったく入らず、そばにあったコップで熱い源泉をゆっくり呑み込んだ(胃での内部被曝を期して)。
床もかなり暖かいので岩盤浴気分で浴衣のまま床に足を伸ばした。
この浴室ではこれで充分だ。

翌日、この源泉の値が高いことを宿の女将に話すと、自分たちは入ると疲れてしまい、仕事に差し支えるから、あの源泉には入らないのだという。

そう、本物の(一定以上高い)放射能泉は、一浴しただけで湯あたりしてしまうほど刺激が強烈なのだ(他の泉質の温泉だと、湯あたりするのに2,3日要する)。

だから私も、水で減温してまで浴槽に入る気にならず、浴槽の脇に足を伸ばすだけで満足したわけ。
より正確にいうと、ラドンは気体なので、入浴しなくても、そこで呼吸しているだけで効果があるのだ(だからラドン温泉に露天はありえず、浴衣のままの岩盤浴がある。三朝にも露天の共同浴場があるが、ラドン的には無意味)。

満足した。
ただし、同じ宿でもかくも濃さが違うから、ホントはこのような計測値を参考にされるとよい。
といっても、温泉の真のラドン量は、私のような空気中の測定ではなく、水中の測定によるべきものなので、私の値は参考程度。

「山陰旅行3」へ


山陰旅行1:山根家のルーツ探訪…玉造から大東へ

2014年09月08日 | 

本記事は、全国の山根さん以外は興味をもてない内容なのをご了承ください。

さて、わが名字たる「山根」は、幕末維新の頃は長州の萩に居たが、さらに遡れば山陰が出である。
それについては、学生時代、わが家の伝承や父が購入した『山根一族』(日本家系家紋研究所)を参考に民俗学の授業レポートを書いたことがある。

山根と名乗る前を遡ると、すなわち山根の元は、「湯氏」であったという。
湯(ユ)というストレートな名は、その名字の地に温泉を連想させる。

その地が、そう、われわれが一泊目に泊まった、玉造(タマツクリ)温泉なのだ。

玉造温泉は、古代からの温泉で、出雲第一の名湯。
中世、ここを本拠地にした豪族がその名も湯氏。

湯氏の居城(玉造要害山城)は、玉作湯神社の奥の”湯山”(源泉の山)にあるので、名実ともに玉造の湯を支配していたことがわかる。

さっそく玉作湯神社に詣でた(写真)。
この神社、「縁結び」の神社として有名らしく、参拝者は若い(もしくはそれより年長の)女性が中心。
そもそも玉造温泉街自体、若い女の子の泊まり客が多い。
まず泉質に美肌効果があり、神社に縁結びの御利益を結びつけたのが奏効しているようだ。

参拝記念に、神社のお札を買おうと社務所を訪れたら、もう条件反射になっているのだろう、みんなが買っていく「願い石」の説明をされた。
女性らに混じって私一人が境内にうろついていては(同行者は宿に残した)、
ステキなご縁を願った乙女が瞼を開いて最初に目が合った男が私となってしまい、
御利益を大いに損ねては申し訳ないので、
華やいだ神社を早々に後にし、脇の指導標に従って、一人要害城を目ざす。

左右の竹があまりに丈夫なため、もともと少ない踏跡が不確かになってくる(実際、帰りは迷った)。
竹やぶの上のかすかな踏跡をたどって、斜面を登っていくと、「一の平」という頂上部に出る。
そこの看板地図(写真)を見ると、なんと「伝佐度守古墓」が離れた所(図の右下)にあるらしい。
湯判官佐度守(家綱)といえば、湯氏の中でも存在が確かで文書にも載っている人で、山根兵庫助と名乗ったともいわれる(史実なら、初代山根!)。

竹林で方向も距離もよく分らないので、あきらめかけたが、
竹にその指示板が打ち付けてあった。もう行くしかない。
それに従って降りて登って空堀を過ぎると、小さな苔むした石の祠が1つ稜線上に鎮座していた(写真)。
これだ!
400年の時を経て、わが先祖と対面することができた。
ここに来た甲斐があった。
湯氏は南北朝から戦国時代まで、この地にいて、尼子の家臣となったが、尼子滅亡を受けて、離散したらしい。そしてうちの先祖は毛利に服属し、萩の方に移ったらしい。

写真を撮るため、腰を下ろすと、山に登ってきたので息がはずんでいるせいだろう、
あたりの竹やぶからヤブ蚊がどっと押し寄せ、自分の服が蚊だらけになる。
その数たるや、ふつうの林では体験できない(ここが代々木公園でなくて助かった)。
そのため長居ができなかったのが悔やまれる(蚊のいない季節がお勧め)。

さて、われわれ一行は玉造温泉を後にし、道路標識に従い「大東町 16km」に向う。
信号がほとんどない道路を快走し、今では雲南市に入る大東町に達する。
ここあたりは出雲平野と中国山地の境で、まさに山の根にふさわしい。

ネット情報によると、山根氏は、ここ大東町の佐世荘の山根という地名から始まったとある。
上のサイトにはその典拠が載っていないが、佐々木系図によれば、佐世氏(湯氏の遠縁)の佐世清信の孫長清が山根と名乗ったという。
なのでここ佐世を山根発祥の地と比定したい。
といっても父には湯氏が元だと聞かされ、また『山根一族』によると湯佐度守家綱の子が関ヶ原の後、「湯氏の本城である温泉城の南麓なる古戦場に移し,地形に因みて山根と称する」とある。
ただ玉造には古戦場はなく、玉造から南西にあるここ大東町には戦国時代の古戦場(尼子氏vs.大内氏)もあるので、やはり佐世あたりになりそう。

地図によると、佐世(下佐世、上佐世)は大東町の中心部から外れた農村のよう。
下佐世に郵便局があるので、そこに行って「山根」という古い地名について尋ねようとしたら、土曜で閉局だった。
近くにいた工事作業員のおじさんに、上の質問をしてみたが、わからないという。
上佐世の小学校の向かいに地域交流センター(合併前の公民館)があり、開いていたので入ってみたが、誰もいない。
そこの書棚には「大東町誌」があり、それを旅行前に読んでくる予定だったのを思い出した(旅から帰って読んだ→後日譚)。

近所の住民の氏名が載った看板(住宅地図のようなもの)があったが、「山根」さんは一人もいない。
山根発祥の地であって、山根さんたちはここから出ていって、東西に散らばったのだろう。

ここに来たもう一つの目的は、登山をやっていた者の関心として、ここの山根は何ていう山の根なのか、すなわち山根の”山”を確認することであった。
地図では佐世の南西にある「(御)室山」に当りをつけたが、実際には目立った”山”という感じではなく、むしろ特定の山というより漠然とまわりの低山に囲まれた地という感じで、
山根の名にふさわしいのんびりした所だ(写真:右側の山が室山)。
あえて車から降り、足で歩いて、空気を吸って、風景を眺め、体全体で山根発祥の地を味わった。
そして郵便局の前で待っているレンタカーに乗り、この地を後にした。


後日譚

本来行く前に見る予定だった『大東町誌』『新大東町誌』を帰宅翌日に国会図書館で見たが、「山根」に関する記述は、人名にしろ地名にしろ見当たらなかった。
そこで同館の地図室で明治時代の5万図などいろいろあたったら、発行中の『島根県道路地図』(33P右)の大東町のページ33(右下)に、下佐世(C4)からから東南東へ5キロ、同じ大東町の箱渕(G6)という所に「山根」というバス停を見つけた(地名だろう)。
ただそこは地図で見る限り、深い谷の合流点なので箱渕という字名の方が合っている。
平氏のように追手を逃れて隠れ住んだわけではないので、ここが発祥の地とは考えにくい。
また、同地図の大東町中湯石(G3:玉造からほぼ真南)に「山根生コン」という工場マークとその西隣に「湯神社」がある。
湯神社についてネットで調べたら、南隣の海潮温泉を古代から守る温泉神社で、湯氏が勧進したものではなかった(祭神も異なる)。残念!
ちなみに『角川日本地名大辞典』の「島根県」には「山根」は1つも載っていない。「鳥取県」には6箇所も載っているのに(三朝に行く途中の倉吉市内にも山根の地名があった)。

→皆さんから情報をたくさんいただきました(コメントをご覧ください)。

「山陰旅行2」に続く


山陰旅行:序

2014年09月07日 | 

半年に1度の割りで会合をもっている大学時代の友人から山陰旅行の提案があった。
発案者の主目的は、鳥取県の三朝(ミササ)にある「投入(ナゲイレ)」。
絶壁にある国宝のお堂として有名。
ただし訪問者の事故が起きているため、単独行や悪天時は入山禁止。
山をやっていた者として登高欲が注がれるので、賛同した。

この歳になってはじめての山陰旅行なので、付近の名所も立寄りたい。
まずは第一の名所、出雲大社が難なく合意。
なにしろ行く4人のうち3人がいい歳こいていまだ独身。
こうなっては、最強の縁結びの神様におすがりするしかない…。

週末2泊するので宿はどこにするかという話になり、投入堂に近いというより、
世界一のラジウム温泉の三朝温泉を強く推挙し、決定。
そして、出雲の近くでは、名湯玉造(タマツクリ)温泉が候補にあがっていたので、
実はこの温泉、私の先祖にゆかりがあるため大賛成。
ついでに、玉造温泉からちょっと南西の大東町に寄って欲しいとわがままなお願いを加えた。
その地も私の先祖にゆかりがあるため。
というわけで、私にとってすべて前から行きたかった所ばかりとなった。

今まで行きたくても行けなかったのは、まず名古屋から出雲路への交通手段のなさ。
そして大東町など現地での交通手段のなさ。
これらが東京発の飛行機と現地のレンタカー利用で解決した。

今回の山陰旅行は、私個人にとって複数のテーマが重畳しているので、時間軸に沿った実年男4~3名(途中で1名脱落)の弥次喜多風旅行記ではなく、テーマごとに分けて紹介する。
ちなみに、テーマは、
①山根家のルーツ探訪
②三朝温泉を測る
③出雲大社 vs 投入堂 パワー対決
の3つ。
では次の記事から始まり~。

「山陰旅行1」へ


2年続けてどこにも行かず

2014年09月04日 | 歳時

昨年の8月は、白内障手術後の回復のため、山にも温泉にも行かなかった。

今年の8月は、引越の後片づけに追われて、山にも温泉にも行かなかった。

つまり2年続けて、”夏休み”を堪能できなかった。

通常月でさえ、必ず温泉旅行をしている私が、よりによって2年続けて夏休みにどこにも行けないとは情けない。

でも、昨年中止になった友人たちとの山陰旅行が、今年に延期され、春から計画されて、いよいよ明日出発。

9月に入ってしまったが、2泊とも私にとって特別な意味をもつ温泉でもあり、いろいろ楽しみ。

なにしろ、名古屋からだと出雲への直行便がなく、行きたくても行けなかった(ホントは11月の神有月に行きたかった)。
東京からの往復の方がやりやすい。


脱・交感神経人間へ

2014年09月01日 | 健康

心拍変動を測ると、交感神経と副交感神経のそれぞれの活動比が分るという。
これでストレス状態を客観的に測定できる。

それが計算できる心拍計「チェック・マイハート」を研究費で購入したので、
ためしに自分を測ってみた。

すると、安静にしていたのに、ほとんど交感神経の活動のみで、副交感神経は1割も働いていないことが幾度も測って確認された。

もともと、♂で中高年では交感神経が相対的に高くなる。

それに個人要因として、本態性高血圧で行動的にADHD気味なので、私はほぼ純粋な交感神経人間なのだ。

医学書を読むと、このタイプは心疾患(さらに発がん)のおそれ大という。

なのであわてて(これADHD的?)、リラックスのための本やCDをかき集めた。

副交感神経優位(脱交感神経優位)状態にする一番手っ取り早い手段は呼吸で、吐く息を長くするばよい。

手元のストレスチェッカー「Relax Kit」(これも心拍変動でストレス度合いをチェック)のセンサー指を当て、
深呼吸すると、確かにゆっくりした吐気で変動が増える。

心拍変動(≠不整脈)は増えた方がよいのだ。

ちなみにこのストレスチェッカーで測ると、どんなにリラックスしたつもりでも私は常時ストレス状態。
これぞ交感神経人間の証し。

自律神経本で有名な小林弘幸医師のCDを聴いて、心拍変動を測ったら、
本にあるような聴いて10分後では効果がなく、
むしろCDを聴きいている最中の方が副交感神経指標が多く出た(それでも標準よりはずっと少ない)。

私にとって脳波をα波にするのは簡単だが、副交感神経優位にするのはどうやっても出来ない。

今まで、心理的にリラックスしたつもりになっていただけで、
身体的にはリラックス(副交感神経優位状態)にはなっていなかったのだ(その証拠が本態性高血圧)。

今年に入って「精神神経免疫(病理)学」に興味をもち、精神的ストレッサーと自律神経の活動と(内分泌を経由した)免疫力との関係を勉強している。

まずはなんとかして、自分自身を交感神経人間から脱皮させたい。