今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

桂枝湯も風邪に効く

2019年05月30日 | 健康

漢方をきちんと学んでいない頃は、風邪の引き始めは「葛根湯」だと思い込んでいた。

だが昨年の春に引いた風邪は、いくら葛根湯をのんでもよくならず、風邪が脱けるのに数ヶ月を要した。

ようするに風邪→葛根湯という単純な関係ではなく、風邪の症状別に対処することが必要なのだ。

そこで漢方を含む中国医学を勉強すると、葛根湯は、首の後が強張り、汗が出ない時の場合で、
悪寒や鼻がぐずつくような、私がよく経験する風邪の初期症状には、「桂枝湯」がいいことがわかった。

薬屋に行くと、葛根湯は粉末剤・錠剤からドリンクまで多種類でている。
一方、桂枝湯は探すのに苦労した。
みつけたのは、名古屋の松浦薬業という会社が「かぜのひき始め」というパッケージで、隅の方に小さく「桂枝湯」と記してあるもの。 

さて、昨晩睡眠中に風邪を引いて、起きる前から鼻詰まりに悩まされた。
その状態で授業を2つこなしたが、授業中も鼻をかまざるをえないほど。
そしてなんか熱っぽく、気分がすぐれない。
”今、自分は風邪をひいている”ということを痛感する身心の状態。

帰宅して、風呂に長めに入り、
食事前に、買っておいた上の「桂枝湯」を1袋をお湯とともに飲んだ。
すると、鼻はまだ出るものの、気分はどんどん軽くなっていく。
夕食後、もう1袋飲んだ(時間間隔にして3時間弱)。
すると、風邪を引いているという実感が消え、風邪を引く前の正常に状態にもどった。 
鼻のぐずりもほとんど消えた。

漢方といえども、症状と適合すると、かように速効する。

この桂枝湯、成分の芍薬が鼻水などの津液を内部に誘導するという。
また桂皮(シナモン)は、インフルエンザにも効果がある(ウイルスの増殖を抑える)。

また、寒気・発熱・節々が痛む、すなわち風邪の初期から進行した段階では、「麻黄湯」がいいらしい。
これも市販薬があり、常備している。 


刃物を持って黙って近づいて来られたら

2019年05月28日 | 防災・安全

防犯も交通事故を防ぐのも、発想は防災と変わらない。

それは最悪の事態が起こること、そしてその際に発生する被害を想定する想像から始める。 
いうなれば、”予期不安”、”マイナス思考”が必要なのだが、これは精神的に不健康とされている。

だから、なおさら、普通の人は実行したがらない。
でも、防災と同じく、想定だけでもしておいた方がいざという時に差が出る。

なので、せめて、事件があったこういう時くらいは、どうしたらいいか考えてみよう。

交差点で突進してくる車と同じく、近づいてくる者に対して、それなりに注意を向けること。
これが第一。
そうすれば、両手に包丁を持って近づいてくる事が事前にわかる。

後ろから刺されたということは、後ろから近づいてくる者に無防備だったということ。
後ろへの注意は、真後ろを向かなくても、顔を90°横に向ければ視野に入る。
私が道を歩く時は、そうやって後ろを確認する。

当たり前だが、背後から攻撃されては、身をかわせない。
だから気配を感じたら、相手と空間をとって正対し、凶器から身をかわす構えをとる(闘牛士になったつもりで)。 
荷物や上着、あるいはそこらにある物で相手からの突きの一撃をかわす。
まさにマタドール(闘牛士)だ。
これを繰り返して時間稼ぎをする(誰かが警察を呼んでくれる。そのためには大声を出す)。 
相手の腕が伸び切った瞬間が相手の隙になるのだが、こちらが素手なら無理に反撃しない方がよい。
人間だけでなく、イノシシの突進もかわせるかもしれない。


文京区の巨樹と気の交流

2019年05月26日 | パワー・スピリチュアル

先週に引き続き、都内で気のトレーニングに出る。
気のスポットとしては、自然の気が凝縮した巨岩や、人心の気が凝縮した社寺のほかに、
1つの生命体でありながら量的・時間的に気が人間のスケールを超えている巨樹が該当する。

今回は、我が実家のある文京区内の巨樹(都内でも有数)を巡ることにする。

もともと文京区は、江戸時代は大名屋敷と寺町であったことから、緑は多い方だった。
もっとも、東京を焼き尽くした関東大震災と空襲をくぐりぬける幸運が必要だったが。


さて、まず家から歩いていける栄松院(浄土宗)のスタジイは、都内3位を誇る幹周(9.15m)で、
境内の墓地の北東隅にある。

樹の前には、石祠が置かれ、礼拝の対象になっていた痕跡はあるが、幹のほとんどは枯れており、奥から新しい幹が出ている状態。
新しい木は元気だが、幹の根本部分しかない巨樹は、もはや遺骸になりつつある(写真)。
実際まったく気を感じず、”ばけたん”やダウジング・ロッドも反応なし。
なのでここでは気の交流はしなかった。
もっとも、接ぎ木的に生命を長らえることができる木の生命力は凄い、 


さて、次を目指す。
地下鉄に乗って後楽園で降り、真砂坂をのぼって本郷界隈に入ると、
道路沿いにあるのが都内2位の幹周(9.55m)の本郷弓町のクスノキ(下写真)。
こちらの木は、生命力に満ちている。
柵越しに立ち、柵からはみ出ている根を踏まないようにして、両手をかざす。
先週の明治神宮でのように、左手から木に向けて気を発し、右手で木からの気を受けようとしたが、
受ける気が強すぎて、左手も気を受けてしまう。
まぁ、私にとってはありがたいことで、深呼吸をして鼻からも気を吸収し、心もどんどん浄化される。

かように、とてもいい気を感じるのだが、”ばけたん”で探知すると、栄松院とおなじく「何もない」との反応。
私は”ばけたん”を信頼しているので、この探知結果は受け入れざるをえない。
木そのものは気を発しているのに、”良い霊”になっていないのだ。

思うに、この巨樹は、しめ縄(というより四手)で飾られてはいるものの、栄松院のシイのような祠がなく、
実際人々は横の道を通りすぎるだけで、敬意を払う人はいない。
いうなれば、”大きくなりすぎた街路樹”という存在にすぎなくなっているようだ
(この木さえなければ、建物や道路を大きくできた、とか思われていそう)。
街との共存はできているので、あとはもう少しこの巨樹に敬意が払われたらいいのだが。


今日はこの二ヶ所でおしまい。
本郷通りに出て、「随苑」という中華料理店に入った(ランチセット休日650円は安い)。
店内の席に着く時、”ばけたん”が勝手に青く光った。
なんと、2ヶ所の巨樹ではなく、この店が最高評価とは…。

その後は、地下鉄で帰宅した。
今日も30℃を超えているので、午後は家の中ですごしたい。 


もう日傘でしょ

2019年05月25日 | お天気

2008年から日傘を使っている私(→その記事)にとって、いまだ日傘を使っていない人(ほとんどの♂)って、いまだ意地でもエアコン使わない人とダブる。
両者に共通しているのは、暑さを無意味に我慢して、熱中症(死を招く)に最接近していること。 

日傘は、太陽からの過剰な電磁波を防御するもの。
すなわち、皮膚に炎症を起こし、白内障の原因ともなる紫外線を防ぎ、
目にまぶしく正視してはならない可視光を防ぎ、
そして皮膚温を高め、熱射病を招く赤外線放射をも防ぐ。 
特に、暑い季節に赤外線ヒーターを全身に浴び続ける理由を私は理解できない。

帽子は、顔面だけの保護なので範囲が狭すぎるし、第一頭部が蒸れて、(貴重な)頭髪に悪影響を及ぼす。
それに対して日傘は、広く全身を防御し、しかも通風性をまったく遮らない。 

日傘の差し方は雨傘とは異なる。
傘を深めにして、視界から空が見えないようにする。
太陽だけでなく、空全体(青空と白い雲)が紫外線を散乱しているから
(この散乱量に比べれば、地面からの反射は取るに足らない)。 
深めにすることで、下半身まで日射を防ぐようになる。

日傘の向きの調整は、常に日傘がつくる日陰をチェックしながら、その日陰から身体が出ないようにする。
つまり雨傘とちがって、道を曲がるたびに日陰をチェックしながらの調整が必要なのだ(持ち手を換えることも必要)。
日傘を使い慣れているはずの女性たちでも、このような調整をせず、
雨傘のようにただ垂直に立てているだけという姿をよくみかける。

日傘の唯一の欠点は、片手が常に塞がれてしまうこと。
その欠点を解決した、かぶる日傘(日笠?)というものがある。
秋葉にあるサンコーレアモノショップで買った。
この商品、街中を歩くには(日傘男にとっても)勇気がいることと、
ずっと着けているとバンドが頭を締めつけて痛くなるのが欠点かな。 
本来は釣り用で、アウトドアなら使いやすい。 


カップ麺の完全食化を期待

2019年05月20日 | 生活

私にとってカップ麺は、若い頃の空腹対策としての価値から脱してからは、不健康で貧相な食べ物という位置になり、選択肢から外れていた。
ところが、最近の製品には、カロリーを抑え、具も豊富で、食として摂るに値するものがでてきている。
昼食を軽くすませたい私には、カップ麺がもっと健康的になれば、値段的にもカロリー的にも外食の代わりになれそう。

そんな折り、カップ麺の家元・日清食品では、「All-in PASTA」という完全(栄養)食の”カップ麺”の上位互換製品が発売された。
だが、これは1食600円するので、私は外食に流れてしまう。

カップ麺なら、高くても200円台にとどめてほしい。
その価格帯でどこまで完全食(それだけで栄養が足りる食)に近づけるかトライしてほしい。

そこで現在のカップ麺の問題と解決案を述べてみる。
まずは、塩分が高すぎる
カップ麺1食で4gは多すぎで(1日の摂取量は6g)、せめて2gにしてほしい。
袋麺の経験からすると、粉末のつゆは半分の量でも塩気としては違和感なくOKなので、塩分は簡単に半減できる。
味付けは「塩気が足りない」レベルをクリアすればいいのであって、「しょっぱい」レベルを基準にしないでほしい。
それでも塩気が足りない人は、自分で塩を追加すればいいだけ。

そしてカロリーが高すぎる
これは内容のほとんどが糖質であることによっている。
私にとっては、300kcalがボーダーラインだ。
もちろん、ノンフライ化など製法も効果あるが、素材を低カロリーなものにする方が手っ取り早い(小麦麺を米のフォーにするなど)。 

それと、栄養バランスが悪い
これも糖質ばかりのため。
なので、フリーズドライの野菜や肉・卵などを追加し、その分麺本体の糖質を減らせば、栄養バランスとカロリーの問題が同時に解決する。
この部分でコストがややかかるが、調味料と麺は減らせるので、そう高くはならず、高くて200円台は可能だと思う。

理屈からいえば、”カップ焼そば”など、油を使っていない分、なおのことカロリーを下げられると思うのだが、なんであんなに高カロリーなのだろう。
きっと麺が問題だ。
”カップ焼ビーフン”だったら低カロリーにできるはず。  
とにかく、不健康な現行のカップ麺と一線を画す、健康的なカップ麺の潜在市場を大いに開拓してほしい。 


明治神宮で気のトレーニング

2019年05月19日 | パワー・スピリチュアル

私のスピリチュアル・アプローチは”気”をベースにしている。
気功についての本は手当たり次第に読んでいるが、その中で自分にとって一番参考になっているのは、高藤聡一郎氏の一連の著作。
最近古書で入手した『超能力気功法』(動画付き)を読んで、”外気発射”のトレーニングをしたくなった。

そのトレーニングの第一段階である、両手間での気のやりとりはすでにクリアしているので、
第二段階である樹木との気のやりとりをしたい。
そこで、東京で気の交流をしたい木がありそうな所といえば、頭に浮かんだのが明治神宮の森。

そもそも幕臣の子孫でもある私は、明治政府の国策である国家神道の象徴とも言える明治神宮と靖国神社は、参拝の対象には入れていない。
しかも歴史も浅いので、スピリチュアルなパワーは弱い気がする。
だが、明治神宮のあの森がかもしだす”森厳さ”は、都区内では抜きんでて並ぶ所がないのも確か(写真)。
ということで他の選択肢もないことから、山手線の「原宿」で降りて、表参道・竹下通りとは反対側の明治神宮の境内に、ものすごく久々に入った。

広い参道の両脇の木々は自然林で樹高も高く30mはあろうか。
外国(西洋、東洋)人がやたら多く、彼らにとっては観光地にすぎないが、
深山と見まがうほどの深い森が気を浄化し(実際、木の香りが強い)、
御利益を謳う神社でない分、参詣者の我欲パワーにけがされることもないようだ。

まずは、500円払って神宮御苑に入る。
南池(ナンチ)に面した四阿では、西洋人が本を読んでいる。 
なるほど、都心の庭園での時間の過ごし方として贅沢といえる。

ここは気分がとてもリラックスするので、逆に気の気配は感じにくい。
御苑最奥にある、パワースポットとして有名な「清正井(きよまさのいど)は行列になっていた。
井戸は飲用が禁じられ、水を汲むこともできないので、手を浸すことしかできない。
”ぱけたん”で探知したら、青緑に光ったので、上から2番目の評価。
ここは最近パワーが落ちているとのことで、納得。

さて北門から参道に出て、神宮の本殿の方に向う〔写真)。
本殿左前の夫婦の楠が私の目的。 
縄で結ばれた二本の木には近づけないよう仕切りがあるので、できるだけ近い場所を選んで、1つの木に向って、両手をかざす。
私は、左手が気を出す手、右手が気を受ける手と分担がはっきりしているので、左手は発する気の冷風を感じ、右手は木から受ける気の暖かみを感じる。
高藤氏のテキストでは、木から気を”吸収する”トレーニングになっているが、それでは生命ある木から気を奪うことになって申し訳ないので、私からも気を発して、気の交流を心がける。
テキストにもあるように、木に対して手をかざすだけで、決して木に触れない
(マナー的にも、神木にべたべた触れるべきでない)。

こうしていると、心が浄化されているようでとても気分がよくなって、いつまでもこうしていたくなる。
ただ、本殿前の有名な夫婦の楠の一番近い所でへんな男がずっと両手をかざしているのは、風景としては異様だろうな。
しかも、結婚式の最中で、新郎新婦がこの木のそばを通って本殿への回廊を行列しているのだ。
観光客はいっせいにこの木に注目している。
”ばけたん”の探知ボタンを押したら、見事に青く光った(最高評価)。 
ここはパワースポットなのだろう。 

境内の木に手をかざしているのは私だけだが、
この後も、人目を気にせず、境内でこれと思った木があれば迷わず木に向って手をかざす。

一通り境内をまわったので、「明治神宮前」から地下鉄で帰宅の途につき、
実家近くで私が一番気に入っている近く神社内の木と気の交流をする。

次は第三段階、人との気のやりとりだ(気を出せる相手が必要)。


外股が踏み違いの原因?

2019年05月17日 | 作法

人間の基本姿勢として、膝と足先は素直に前方に向けるもの。

これは室町時代に大成した武家礼法の小笠原流礼法においてもそう教えていて、
身体の関節を不自然に捻ることを否定する(なので振返る時も腰を捻らない)。

ある市で小笠原流礼法の講習をした時、参加していた年配者が上の指示に戸惑いを示していた。
年配者たちは、若い時から足先を外側に開けと教えられてきたというのだ。

それは日本の伝統ではなく、明治以降の”武道”か軍隊式の教えなのかもしれない。
明治以前の”武術”の家元でもある小笠原流では、そのようには教えない。
また気功の本を読んでいたら、そこでも足先はまっすぐ前に向けろと書いてあった。
地上を走るほ乳類もみな足(蹄)を進行方向に向けているはず。
骨格構造からも、動作力学からも、それが当たり前だ。 

もしかしたら、年配者がアクセルとブレーキを踏み違えるのも、足を外側に向ける姿勢癖のせいかもしれない。

右足の踵をブレーキの上に置いても、足先が外に向いていると、爪先は容易にアクセルに触れてしまう。
緊急時に反射的に足に力が入ると、足先が伸びて、踵がブレーキの位置にあっても、
伸びた足先がアクセルを勢いよく踏んでしまうのではないか。

外股でない私には、この踏み間違いの動作原理が理解できなかったが、外股姿勢を前提とすれば上のように説明がつく。

踏み違いを防ぐには、左足ブレーキという方法もあるが、ブレーキペダルの位置が左足側にないため、辛いらしい。
ならば、外股の癖をなくせばいいのではないか。
外股の癖自体が不自然なのだから。 

ちなみに、身体を半身にした”構え”(武術・格闘技の基本姿勢)は、 足を前後にして相手との間合いの調整をしながら、
体幹を斜めにして防御と攻撃の双方を実現するため、股関節全体を開いて外股姿勢になる。
ただし”構え” を解いた、たとえば礼をするときの姿勢は、外股ではなく、足を前に向けるのだ。 


津具の丸山に登る

2019年05月13日 | 山歩き

2月以来の連泊の旅をして、やはり連泊は気分転換になると実感
(丸一日旅先に滞在する日がある)。

愛知の屋根である茶臼山高原に連泊の2日目、高原上の宿での朝食を終えて、
午前中に近くの丸山(1161m)に登ることにした
(そこは行政区画的には今は愛知県設楽町だが、旧津具村に属すので津具の山とする)。
標高だけだと、私の登山限界(700m)を越えているが、
高原地帯の中にあり、登り口ですでに標高880mなので問題なかろう。

ちなみに、この丸山、この付近の登山対象としてはまったく知られておらず、実際まともな登山道が無い。

なんでそんな山に行きたいかというと、この山は100%玄武岩(≒マントル)で出来ているので、茶臼山と同じく火山であり、
しかも名前の通り円錐状をして、愛知で一番火山らしい火山なのだ
(といっても第三紀、1000万年以上前の古い火山)。

周囲の地形を概観すると、茶臼山とそれに続く萩太郎山が外輪山で、
この丸山が中央火口丘としての巨大カルデラが見えてくる。
丸山の南側の茶臼山高原道路が通る稜線も外輪山で、
北側の長野県根羽村側は、開析されて谷地形になっている。
ということならなおさら、この津具火山の中心部丸山に登りたくなる。 

登山道ではないかすかな踏跡があるのは、津具グリーンパークという道の駅からのルート。

そこに車を置いて、丸山林道(車両進入禁止)を進むと、林道の舗装が切れる所で、木の杭と左側の木にテープが巻いてあり、そこが登り口の印(写真:指導標など一切無い)。
あとは木に巻き付けられた新旧のテープを目印に登っていく。
踏跡(道ではない)はかすかだし、樹林はまばらで斜面は均一なので、どこを登っても変わりない感じ(なおさら踏跡を外しがちになる)。

たどりついた山頂には三角点標石とそれを示す杭があるだけで、展望はない。
地面は草が茂って露岩が少ないが、ちゃんと玄武岩があった。
というわけで、「あえて丸山に登りたい」という人以外にはお勧めする理由がない。

登りは高みをめざして進めば半ば自動的に山頂に達するが、
下りは360度同じような斜面なので、登りよりもルートの判定が難しい。
最初のちょっとした誤差が、下るにつれてどんどん大きくなってしまうから。

テープを見失ったら、テープを見た最後の地点まで必ず戻り、次なるテープを必ず発見すること。
地形図上でのヒントを示すと、山頂から南東に延びた稜線を進み、
その先端(1150mの等高線)から方向を右に変えて斜面を下りる。

そうやって下りて、道の駅に戻り、そこで昼食にざるそばを食べた
(ほとんど信州なので、蕎麦がうまい)。

往復1時間40分ほど。 
運動としては軽く汗をかいた程度。
この後、車で桧原川を下り、途中で”釜ヶ入甌穴”(大きくて立派)を見て、茶臼山に戻った。


茶臼山カエル館で”ばけたん”が反応

2019年05月12日 | パワー・スピリチュアル

年に2回は訪れる茶臼山カエル館(長野県根羽村)。
計測マンとしての私が、パワースポットと認定している(=パワーを実測できる)数少ない所だ。


ここのパワーは学術調査の対象になりうるので、今回の訪問は調査開始を目的とした(なので調査内容にかかわる事項については、調査が終わるまで言及は控える)。 

学術レベルとは無関係の事項について述べると、
スピリチュアルな感性がいまいち足りない私が、そんな自分の代わりとして頼りにしている霊体センサー「ばけたん霊石」を胸に下げて館内の磁気異常空間に入ったら、「ばけたん」が青く光りだした。
これは「良い霊が出現した」という反応で、5段階のうちの最高評価である。
ばけたんは、常時センサーが作動していて、良い霊あるいは悪い霊を感知したら、勝手に反応するのだ(悪い霊の場合は赤く光る)。 

リニューアルを繰り返している「ばけたん」の作動原理は、「空間の温度、時間、振動、音圧、電磁波、その他未知のエネルギーの影響を受けることで真性乱数の発生を可能にした超小型の真性乱数の発生装置と評価プログラムにより出来上がっている」(過去の製品の説明より、一部省略)というもの。
もしつよい霊体(エネルギー)があるなら、乱数発生になんらかの干渉作用をもたらすはず、という仮説に基づいている。
最新版の「霊石」は、このセンサーアルゴリズムにクリスタルのパワーを追加したものだ。

今まで、カエル館は”磁力”(直流磁気)という実測できる物理的パワーを根拠にパワースポットと認定したが、それだけでなく実測できないスピリチュアルなパワーがあるようだ。
そうなれば、パワースポットとしての格が上ったといえる(ただし”スピリチュアル”なパワーだけを無根拠に喧伝している所を私はパワースポットとは認定しない)。

そうなったのには理由があるようだ。
まず、カエル館内にパワーがあると思われる(地元茶臼山と各地の)石がコレクションのように集められていること(私を含めたあちこちからの寄贈)。
それから、パワーを感じる人たちが来館し、また常連の人たちは来館を繰り返すことでパワーが上がっていくので、そのような人たちが次々に来館することで、人との相互作用によって、この地のパワーが強化されていったと思われる。

パワースポットは、発生元のパワーが重要であるにしても、その地を整備(パワーを発現すやすく)する環境と来訪者の影響も大きいと思っている(多くの参拝客を集めるメジャーな寺社は、意外にパワーの質がよくない場合がある)。

この論理でいけば、邪気(邪念)をもった人たちには来てほしくないものだ。


南海トラフと中央構造線の間

2019年05月11日 | 防災・安全

昨日朝の日向灘の地震 (M6.3)に、多くの人が南海トラフのヤバさを感じたはず。
私も同感だが、感じたヤバさは皆さん以上かもしれない。

一方、気象庁は、南海トラフとの関連性をにべもなく否定。
確かに、厳密に言えば、震源地は南海トラフからは離れている。

実際、西南日本の太平洋側で地震がたびたび発生しているのだが、
ほとんどが南海トラフ上ではなく、その北側だ。

さらにもっと北に離れた地震も散見する。

たとえば、大分の豊後水道付近、あるいは和歌山の紀伊水道付近。
これらは日本の陸地側なので、南海トラフからはずっと離れている。
ただし、いずれも中央構造線沿いであることが不気味だ。
中央構造線とは、いわずと知れた日本最大の活断層。 

南海トラフと中央構造線を見比べればわかるが、両者は紀伊半島・四国を挟んで平行線のように並行している。
並行しているということは、その形成に共通の力が作用していそう。
 
片やプレート境界、片や活断層という違いはあるが、日本というスケールで見れば、中央構造線は日本の陸地の南西部を構成するプレート境界に相当する(和歌山から四国を横断する部分はまさにトラフを形成している)※。
※中央構造線(西日本部分)上・付近にある所:伊勢市 、和歌山市、鳴門市・徳島市、松山市、伊方原子力発電所、大分市、阿蘇山、熊本市 

ということは、南海トラフと中央構造線に囲まれた地帯は、いわば”ミニプレート”といってよい。
そうすると、上に挙げた地震を含む西南日本の各地で起きている地震のほとんどは、
このミニプレート内で起きていることになる。

これは南海トラフの沈み込みのストレスによるともいえ、それがこのプレート内の断層(歪み)になり、そしてそこでの地震(地下断層の破壊)が今度は南海トラフのストレスを強める(相互作用)可能性がある。
つまり、南海トラフ上じゃないから安心なのではなく、南海トラフ上じゃないからこそ南海トラフにストレスを与える心配があるのだ(南海トラフ上ならむしろストレスの発散効果を期待できる)。

そしてさらに、北側の中央構造線にもストレスを与えるだろう。
2011年に東北地方太平洋沖地震 (M9.0)を起こした日本海溝のトラフの歪みが、東北日本の西の境界線であるフォッサマグナの一部を活性化させたように(2014年の木曽御嶽の突然の噴火もその影響かもしれない)。

だから、私は今回の地震に人一倍ヤバさを感じているのだ。 

ちなみに2019年になって噴火活動が活発化している阿蘇は、大分から熊本を通っている中央構造線の真上にある(阿蘇の火山体によって地上の構造線が隠されている)。
そもそもあの2016年の熊本地震 (M7.3)も、中央構造線の延長上の断層によるといえる。

動き始めているのは、南海トラフだけではないかも。 


右直事故に巻込まれないために

2019年05月08日 | 防災・安全

数年前、名古屋宅近くの交差点で、信号待ちをしていた女子中学生3人が、交差点で衝突した車に撥ねられて死亡した。
その痛ましい事故を知って以来、道路で信号待ちをしている時は、普通の走行速度で走る車のすぐそばに立っているという危険性を自覚して、ボーッとせず注意を怠らないようにしている。 

とりわけ、交差点では、右折車と直進車との衝突事故(右直事故)によって直進車が暴走してくる恐れがあるので、 車道から距離をあけて、 待つようにしている。

今回の痛ましい事故は、上のように注意している私でも防ぎようがなかったろう。
だが、それでも、どうしたら防げたか、被害を軽減できたかを考えねばならない。
それが我々のすべきことだから。

信号待ちをしている時は必ず、右側から走ってくる(=自分に向ってくる)車に視線をやること。

暴走して向ってくる車をまずは目視で察知することが、防ぐ第一歩だ。
そうすれば体をかわして車の直撃を避ける余裕ができる。

ただしそれで引率している大勢の園児たちを守れるかは難しい。

せめて、園児を引率する3人の大人のうち1人の立つ位置は、
園児たちの右側、すなわち暴走してくる車側にした方がよい。
そしてその位置に立つ大人だけは、視線を園児たちではなく、
右から来る車に向け続ける。
最悪、この位置に立つことによって大人自身が園児たちの楯にもなれる。
こうやって初動の対応を可能にすることを心がけるしかない。

上の発想は”歩哨の配置”という兵法の応用なのだが、
戦後日本はその発想が抑制されている
(精神の準拠点を”戦後”以前、戦前ではなく明治以前、いや江戸開府以前の戦国期の武士に置いて、兵法の発想で日常動作を再構成してみるといい。私が準拠しているのは室町期の武家礼法・”小笠原流礼法”だ)。

それから、信号待ちをしている歩行者を保護するためのガードレールやポール類の設置は、各地でぜひ充実してほしい(今回の事故現場にはそれらはまったくなかった)。

次に運転者側で言うと、衝突の衝撃によって進行方向がむりやり変更させられるため、
どうしてもハンドルで進行方向をコントロールしがちになる(こういう衝突経験があるので)。
ただ、その方向に人がいるなら、方向ではなく”進行”の方をコントロールすべき。
すなわちブレーキを踏んで、とにかく停止する。 
そうすれば少なくとも縁石を跳び越えて歩道にいる人たちに突っ込む可能性は減らせるだろう。

そもそもの右直事故の原因は、右折車側にある。
直進車が来るタイミング判断を誤って、無理に発進した結果だ。
この右折車による無理な発進を抑えることが、右直事故を減らす一番の策になる。

一番いいのは、今回の場所のように右折信号があるなら、直進車側が赤になり、右折車側が青になるまであせらず、待てばいい。
多少直進車の流れが切れたところで焦って発進する必要はない
(右折信号の持続時間は、交通量をデータに柔軟に対応してほしい。時間を固定するのではなく、センサーで対応できないだろうか)。 

ただ、そのような信号がない場所では、自分でタイミングを計る必要がある(直進車優先だから)。 
その際気をつけたいのは、先行する右折車に無思考的に追随せず、ちゃんと直進車の有無を目視で確認すること(今回の事故は、本来あってはならないこの未確認が原因のようだ。だから逮捕された)。
また目視をしても、直進してくる大型車の左後ろを走る二輪車は見えないため、大型車が過ぎた後は勢いよく発進しないこと。
さらに目視で確認しても、直進車のボディが小さいと、距離を見誤るおそれがある(昔運転していたRoverMINIは、ボディが小さいのでよく右折車に見誤られた)。

このような危険を伴い、しかも交通量が多いなら、いっそのこと、右折する場所を他の信号のある所に移した方がいい。 
その方が、右折のタイミングをイライラ待っているより心理的に安定し、少なくとも安全性は高まる。
右直事故は、自分が事故にあうだけでなく、歩行者をも巻込む(死に至らしめる)ことを心しておきたい。 


10連休最終日を家ですごす

2019年05月06日 | 歳時

長すぎると思っていた史上初の”10連休”も、とうとう最終日を迎えた。

前半の平成期間中は、ミュージアムにはしごし、茅ヶ崎の寺社を巡った。
令和にはいってからは、この期間中に放り投げていた仕事を家でこなし、鶴見川の上流部を歩いた。
昨日で期間中にすべき仕事もほとんど仕上がったので、最終日の今日は、家で冬物の洗濯と、読書に充てる。

連休中は、山にこそ行かなかったものの、予定していた外出先と仕事をこなし、同時にのんびりもできた。
数日間でも仕事から完全に離れることができたのは、この10日間、仕事のメールが一通も来なかったおかげでもある。

もっとも、社会は人々の”仕事”によって動いているのだから、われわれは仕事をしてこそ社会人たりうる。 
みんなが一斉に休み続けるわけにはいかない。 
そろそろ、社会を動かさなくては。 

仕事再開の準備はできたので、連休最後の休日は家に篭って読書を堪能したい。


鶴見川を歩く2:鶴川〜源流

2019年05月04日 | 川歩き

連休後半は山に行くつもりでいたが、連休前半で朝寝坊する癖がついてしまって早起きがつらくなり、
また近場の炊(かし)き登山の対象も見当たらないので、
行き先を川歩きに切替え、3月末の鶴見川歩き(鶴見川を歩く1:河口〜新横浜の続きをやることにした。

順序でいけば、前回の終点・新横浜からになるのだが、中流域の20kmあまりは、地図を見ても見所がなく退屈することが目に見えている。
別に川歩きを仕事にしているわけではなく、好きでやっているのだから、
誰にも気兼ねすることなく、歩きたいと思う区間を歩けばいいはず。
なので中流部は飛ばして、流域の1/4にあたる上流部に行くことにした。

この区間には別の理由で訪れたいと思っていた「小山田」(甲斐武田氏家臣・小山田氏の名字の地)があり、しかもそこにはちゃんと鶴見川の源流といわれる場所がある。
なにもない中流部とは魅力に大きな差があるのだ。 


というわけで、今回の起点である小田急線の「鶴川」(東京都町田市)に降り立つ。
この駅名(地名)は、すぐ南を流れる鶴見川に由来しているという。
小田急線の駅前にある「箱根そば」でエネルギーを充填し、
踏み切りを渡ると、もう鶴見川に出る(河口から32kmの地点)。
鶴見川は、ここから源流まで東京都内の町田市の川となる。

下流と同じく両岸に歩道があり、川に沿って歩ける。
下流とちがうのは、水が透明で、鯉が泳いでいること。
こういう川だと歩くのが楽しい。

日差しが強いのでつば広の帽子をかぶり、GPSをオンにして、首から下げたiPadminiのGoogleマップを見ながら、
左岸ときには右岸を上流にむかってどんどん歩く。
ときどき川面に降りれる親水区間が設けられており、町田市の鶴見川に対する姿勢を評価したい。
河面に降りると、鯉が寄って来て、また鳩も降りてくる(ただし私は何もやらない)。

川畔のレストラン「霜月亭」を過ぎると、右手の高台に自由民権資料館の立派な建物が見えてくる。
以前そこを見学した折りに、ここの鶴見川を歩いて、とてもいい気分になった所。
その時は、進行方向に丹沢山塊が聳えていたが、今日は晴天だがあいにく雲が多くて、山が見えない。
それでも両側が丘陵の伸びやかな谷地形で、緑豊かな川べりなので、気分よく歩く。

広い車道の鎌倉街道を横断すると、鶴見川にまたがって鯉のぼりがたくさん吊り下げられている〔写真)。
川の両側には人が繰り出し、道が広い左岸側では出店が並んでいる。
地元野津田の恒例の行事らしい。
両岸だけでなく、川の中洲も草原状になっているので、家族連れがくつろいでいる。

川歩きをしていて一番うれしくなるのは、地元の人たちが川を愛し・親しんでいる姿を見ること。
川と人が一緒になって幸せな空間をつくっていること
(逆に悲しくなるのは、川が邪魔者扱いされ、無視され、うち捨てられていること)。
うれしくなった私は、出店でフランクフルトを買い、地元の人にまじって、ベンチにすわって食べる。
出店に並んだ主催者の掲示を見ると、この行事は今年で最後になるという。
なんでも主催者が高齢になり準備がきつくなったことや会場確保のための地権者との交渉がうまくいかないことなどが理由だという。
少子化によって、鯉のぼりも集まりにくいのではないか。 

この付近の鶴見川は、田園地帯をうるおす自然な姿の川になって、地元の人たちの川遊びや釣りの場となっている。
南北朝の合戦で死んだ武士の鎧が重なって堰になったという堰堰跡は公園状になっていて、
めずらしく小学生の女の子(たいていは男の子)たちが、整備された用水路で遊んでいる。 

こういう幸せな空間は、川歩きの一部の区間に限られることもわかっている。
図師という所に達すると、川沿いの歩道そのものがなくなった(ここから上流にはまったくなし)。
仕方なしに一般道(芝溝街道)に出て、業務用リカーショップでトイレを借り、川に一番ちかい(付かず離れずの)道路を進む。


川の方角も、今までは南南西にまっすぐ流れていたのが、北西方向に切り替わる。
いよいよ水源となる町田市の北限を画す丘陵地帯に向うのだ。

甲子園によく出る「日大三高」入口をすぎ、川に一番近い道なのに急坂の上り下りをするようになる(谷が狭くなってきたのだ)。
やがて、川沿いの平地に神社が現れる(写真)。
小山田神社だ。

そう、鶴見川の源流部は、小山田の里でもあるのだ。
小山田神社は、無人だが、社殿の背後には数々の神像が並んでいる。
この付近の風景は山里そのもので、とても東京都の市部だとは思えない
(町田は実質神奈川だともいわれているし、横浜市を潤す鶴見川の上流部だけ東京というのも不自然といえなくはない)。 

ここから、少し鶴見川から離れて、北側の丘陵地帯(実質的な都境)に入った所にある大泉寺(曹洞宗)に向う。
りっぱな参道が伸び、その脇に神社やお堂がある。
山門も立派で、山門奥の石塔には、内部に達磨を彫った珍しいものがある。
境内も広いが、曹洞宗固有の見物客を歓迎しない雰囲気が強く出ていて※、
本堂の参拝もそこそこに、裏手の高台を伺う。
寺の裏手に小山田城趾があるらしいのだ。
ただ「檀家以外立入り禁止」の立て札を越えては入りにくい。
※総門の写真をあとで見て気づいたのだが、「山門不幸」という札が立っており、住職が亡くなって喪に服していたようだ。 

本堂脇にあった小山田高家(南北朝時代に新田義貞についた武将)の顕彰碑を読んでみたら、
裏手の中腹に三基の宝篋印塔があり、それが小山田高家らの墓らしいと書いてある。
ぜひそれを見たいと思って、本堂裏の中腹・卵塔(歴代住職の墓)が並んでいる所に卵塔以外の塔が見えたので行って見ると、
期待通り、まさしく三基の宝篋印塔だった(写真)。
前日のネットで小山田城趾の記事を見ても、この宝篋印塔に言及したものは見当らなかった。
実にもったいない話。
実際、私以外に若い男の来訪者が複数いたが(たぶん城趾目当て)、この宝篋印塔に達したのは私だけ(顕彰碑読めばいいのに)。

こうして念願の小山田氏の墓も詣でたので、満足して寺を後にする。


川に近い道路も細くなり(路線バスは走っている)、ゆるい上り坂が続く。
路線バスの終点を過ぎ、さらに細い車道(車はけっこう頻繁に通る)を進み、左にあるバイオトイレ(もちろん借用)をすぎると、
右側に勢いよく水が出ている池に達する。
ここが「水源の泉」だ(写真)。

以前は周囲にいろいろ看板があったようだが、私有地であるため今はすべて撤去されており、
Googleマップで確認しないとわからない状態。
いちおう、公式な水源に到達したことになる。

といっても、この池に水を供給している流れが存在している。
地形的にも尾根筋とはまだ距離がある。
なので更に奥の町田北限の丘陵のふところに入り込む。
だが、町田市による自然保護のための「立入り禁止」の立て札に阻まれる。

地形図をよく見ると、沢筋がもっとも長く伸びているのは、尾根筋を縦断する南多摩尾根幹線道路に向う狭い車道に沿った谷。
なのでその谷に沿った車道を進む。
気がつくと空は暗くなり、雷鳴もする。
その車道が上る先には、リサイクル工場のような大きな施設があり、道路脇であるため、谷にはゴミが散乱している。
地形的な水源地は、残念ながら自然環境は跡形もなかった。
鶴見川の”水源”は人の届かない所で保ってもらいたい。


細い車道が尾根に上がったところで並行する南多摩幹線道路に入り込み(歩行者だけ可能)、
ここから北に下って最寄り駅の京王線の南大沢に向う。
ここからは八王子市だ。
空は午後三時とは思えないほどに暗くなり、雷鳴の下、大粒の雨が落ち始めた。
一応傘は持参している。
大雨が始まると同時に南大沢駅に到着した。 

帰り、京王線の車内から外は土砂降りだったが、文京区の自宅付近は雨の痕跡はなかった。
ただし空には不気味な乳房雲が垂れ下がって(写真)、発達中の積乱雲の真下にいることがわかった(この後、東部で雹が降った)。


令和初日に”天皇”を思う

2019年05月01日 | 時事

新元号令和の初日を迎えた。
事前にアマゾンで令和を奉祝する小型の国旗を買っておいたので、これを玄関前に掲げる(写真)。 
素直に祝う気持ちがあるからで、こういう気持ちになったのは生まれて初めてだ(我が家で国旗を飾るのも始めて)。

そもそも昭和天皇については、第二次大戦における戦争責任とその後の人間宣言といういわば責任放棄に対して思う所があり、
素直な気持ちになれなかったが(天皇制そのものには反対でない)、その後の天皇に対しては、何のわだかまりもなかった。

むしろ、平成になってからの天皇(今の上皇)を拝見するにつれ、明治以降に無理やり神格化された天皇ではなく、本来の天皇の姿に近づいた感があった。

天皇家とは結局、あえて民間企業の例にたとえると、日本という国の”オーナー家”だと思う。
実際の経営権は、他の優秀な、あるいは民主的な方法で選ばれた平民出の社長が握るとしても、
その国(とその民)を最も愛し、常にその安寧を心から願っているのが天皇という存在だ。

たとえばわれわれ一般国民は、時には国を捨て他国民となったり、「日本死ね」と口走ったりすることもありうるが、
天皇家だけは、無条件に日本を愛し、最後の一人になるまでこの国と運命を共にするはずだ。
すなわち、この国に対する思いの深さ、「愛国心」の強さは、天皇に及ぶ者がいない。
古代から天皇の儀式(国事行為)はまさにその表現である。

そのような天皇自身の国を愛する思いを知って、われわれ一般国民は天皇に感謝し、親しみを覚え、敬愛する。
なので、過去いかに政治的権力を握っても、このオーナー家にとって替わることはできなかった。
このような存在を歴史的に保持している日本は、世界でも唯一無二の国であり、われわれの誇りである。

だからなおいっそう、天皇の存在を歪めた明治以降の制度、一世一元の制や女性皇族に対するさまざまな制限は見直すべきである。
たとえば元号は、天皇の代替わりとは無関係に、もっと歴史意識にもとづいて決めてほしい(昭和21年に改元すべきだった)し、
女性天皇に対しても、今のイギリスのエリザベス朝、古代の推古朝などがあるように、まったく抵抗ない。
宗教的にも、神道からもっと自由になっていい(むしろ神道が天皇家から離れてほしい)。