今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

宗教でなく理論としての仏教

2024年01月31日 | 仏教

話が前後して申し訳ないが、仏教における神話的要素をドライに排除する根拠を示したい。

仏教を宗教としてではなく、存在論的苦の解決法という実践的”理論”とみなしたいのだ。

絶対的境地からの”教え"(預言)ではなく、学術研究者が構築する理論の1つとみなすことで、聖典や開祖(提唱者)を絶対視する原理主義的固定化が免れ、むしろその限界を乗り越え、発展(精密化、応用化)することが積極的に推奨される。
すなわち釈尊は、ニュートンやフロイトと同じく壮大な”理論”の提唱者という位置づけ(体現者でもある)。

学術理論は常に批判的に再構築されるべきものなので、仏教理論も、前科学的認識に基づく不正確な部分は改め、さらにより説明力の高いものに洗練させて然るべき。

例えば、説一切有部の「アビダルマ」(≒倶舎論)はまさにそれまでの理論統合の成果だし、大乗仏教を切り開いたナーガールジュナ(龍樹)は、その理論をさらに精緻化し発展させたといえる。
すなわち釈尊オリジナルの教え(仏説)から遠のくこと自体がダメなのではない(なので「大乗非仏説」は大乗仏教を否定する根拠とならない。大乗経典が「仏説」と偽っている部分は削除したい)。

批判の対象となるのは、教えに潜む神話的要素である。
神話(物語・作り話)的要素は、事実という観点からは退歩であり、妄想化への逸脱といえるから(比喩としての物語は事実でないにしろ”真実”を語ることはできるが、多くの人は物語の非事実部分を事実として信じてしまう)。
特に大乗仏教は神話的要素に満ちている。

これら神話的要素を取り除いて、残った部分こそが真に価値ある理論の柱といえる。

仏教の柱は神話的要素にあるのではない(「天地創造」や「復活」を柱としている他の宗教とここが違う)。
仏教の真の価値を抽出すべく、内在する神話的要素を批判し除外して、現代に通用するまともな理論として再構築してみたい(この態度に一番近いのはだと思う)。


仏教における神話:輪廻転生

2024年01月30日 | 仏教

システム2で構築される物語すなわち、事実でない空想に基づくストーリーが、宗教の構成要素となっている部分が”神話”である。
そしてその神話性が、科学的知性を持った現代人にとっては、宗教のアキレス腱となる。

旧約聖書(創世記)や古事記が典型的神話だが、本来は神話的でない釈尊の仏教にもその要素がある。

これは釈尊が創作したというより、当時のインドで常識となっている神話、すなわち仏教においてもデフォルト(所与)の部分である。
つまり仏教もそれを前提せざるを得なかった神話である。

何かといえば、輪廻転生

釈尊自身の教え(仏説)は、輪廻転生の無限のサイクルから脱することを目標としたものだが、それは論理的に輪廻転生が前提(承認)されている。

例えば、日本で活躍しているテーラワーダ仏教の長老・スマナサーラ師が説く「アビダンマ講義」においても、大乗仏教の数々の神話(例えば阿弥陀如来や釈迦の前世譚)は批判するものの、やはり輪廻転生を前提としている。
※:『ブッダの実践心理学』サンガ新書

しかもただ前世があるというだけでなく、日本仏教でいう六道、地獄とか天界の存在を前提としている。

例えば、人間レベルで真っ当に精進して欲界を脱すれば、来世は梵天(ブラフマン)の世界に転生できると述べている。

それに対し、前記事ごまかさない仏教で紹介した佐々木閑氏と宮崎哲弥氏は、輪廻転生を信じることができないと述べている。
それは現代の科学教育を受けた知性にとっては当然で、ある現象が存在すると主張するなら、主張する側がその現象の存在を立証しなくてはならない。
そしてきちんと立証できないものは、存在すると認められない。
なので、輪廻転生の確たる証拠が提示ない限り、それを信じないのは、現代的知性にとって当然。

本来、こういう再生の繰り返しは、死(無)の恐怖を和らげるための霊魂不滅的な神話化だったはず。
たとえば、「死ねばあの世(死後の世界)に往く」というのが最もシンプルな神話。

ところがインド固有の業(カルマ)の応報と再生レベルの多層化という物語の複雑化によって、輪廻転生自体がとても面倒で苦痛なものになってしまった。
そこで仏教では、現生の苦(生老病死)のより根源的な輪廻転生の苦(生老病死の無限サイクル)から脱する方向を志向した。

目指すそれは「無為」の「滅尽定」の世界、すなわち「涅槃寂静」の世界である。
どんな世界かというと、光も時間経過もない世界、すなわち「永遠の暗黒」という無の世界だ。

待てよ、それって、唯物論的科学思想が想定する死の世界ではないか。
我々はその永遠の暗黒を恐れたはずなのに、仏教ではそれが目指すべき境地になっていた。

という事は、輪廻転生を信じず、死とは永遠の暗黒に帰する事という現代人の死生観は、そのまま涅槃寂静への道を進むことになる。
すなわち輪廻転生を信じない我々現代人にとっては仏教は不必要となる。

これでいいのだろうか。

実は、スマナサーラ師によれば、輪廻は死後の世界の現象ではなく、現世で既に発生している、すなわち我々はすでに現生で死と再生を繰り返しているという(刹那滅)。

ただし、多くの人はすでに輪廻転生を信じていないだろうから、この神話を批判する作業は省略する。
続く。


心理現象としての宗教:システム2

2024年01月29日 | 心理学

宗教を心理現象として論じたい。
この姿勢は、私が最も尊敬する心理学者であるW.Jamesの主著『宗教的経験の諸相』(岩波文庫)に通じる。
彼は、既存の心理学を使って宗教を解読しようとしたわけではなく(そういう試みをしたのはFreud)、
むしろ宗教によって到達した特異な心理状態を捉えることで、人間の心の可能性を切り拓こうとした。


大学時代の私は、心の問題は宗教でなく心理学で解決しようとして一旦宗教から離れたが、最近になって宗教に再接近したのは、私が提唱する「心の多重過程モデルが人間の心の宗教的次元をも説明できる、いやむしろ人間の宗教的経験の方が、心の多重過程を進展させることに気づいたからだ。


※”心”を以下のサブシステムからなる高次システムとみなすモデル
システム0:覚醒/睡眠・情動など生理的に反応する活動。生きている間作動し続ける
システム1:条件づけなどによる直感(無自覚)的反応。身体運動時に作動。通常の”心”はここから
システム2:思考・表象による意識活動。通常の”心”はここまで(システム1・2が既存の「二重過程モデル」)
システム3:非日常的な超意識・メタ認知・瞑想
システム4:超個的(トランスパーソナル)・スピリチュアルなレベル


具体的には、通常の心理過程であるシステム1・2より高次のシステム3・4の経験こそが真の宗教的経験とみなせる。

実は、システム3・4は日常の心理生活では経験できず、経験できるのは一部の能力者や特定の修行(訓練)による。

言い換えれば、多くの人にとっての宗教は、通常の心理過程であるシステム2における経験にすぎない。

なので、まずはシステム2とっての宗教を問題にする。

システム2は、人間に固有な心理過程(対するシステム0・1は動物共通)で、
主として言語を用いた思考とイメージ表象を用いた想像という意識活動が該当する。
前者は事象についての綿密で体系的な思索を可能にし、後者は実在しない事象を任意に構築できる。
その思考と想像が結びつくと、実在しないストーリー(フィクション)、すなわち”物語”が構築できる。

それだけでなく、そのストーリーによって、実在する事象をも”論理的=辻褄が合うよう”に説明することもできるので、事実/想像を問わず、事象を物語化できる。

さらに”神”という超越的概念を介在させることで、偶然の事象を必然の事象として事後的に説明(解釈)でき、全ての事象を体系的な物語(神話)として纏めあげれる。
近代までの人類は、この神話的思考に依って世界を理解してきた。

その一方で、システム2の思考は、自らの経験を”疑う”ことができる。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という句が示すように、知覚経験に条件づけ反応(システム1)するのではなく、一旦保留し再解釈することができる。
なので既存の神話に対して疑う(再解釈する)こともできる。
いうなれば神話的思考だけでなく、それを疑う脱神話的思考も可能となる。

人類は、世界を整合的に解釈するだけにとどまらず、より良い(生存に適した)世界解釈に更新(バージョンアップ)し続けることもできるのだ。


一般的に感情はトータルの整合性を重視するので神話的思考を支持し、知性は小さな不整合も気になるため脱神話的思考を支持する。
残念ながら現世人類(ホモ・サピエンス)の思考は感情に強く影響されるバイアスがあるので、(強引に整合化する)神話的思考に引き込まれやすいが、
”科学”という洗練された知性的思考が現実解釈の妥当性で勝利し続けるようになった近代以降は、多くの人が(最適化基準で絶えず更新する)脱神話的思考に馴染むようになってきた。

さてこのように思考原理の脱神話化という変化過程にある人類にとっては、古代の神話的思考によって構築された既成の宗教は、近代以降、脱神話的思考によってその影響力が著しく減少している(地域差が大きいが)。


ただ、科学に基づく唯物論的論理は、世界解釈には有効でも、死の恐怖などの人間の実存的問題は解決してくれない。

システム2に依っている限りは、今更本気では信じられない神話的宗教か、実存的問題には直接回答してくれない脱神話的科学の、どちらも不満足な二者択一しかない。

その結果、現代人の間では、科学的知性を麻痺させて神話的宗教にのめり込むか、宗教を否定して唯物論的思考に委ねるか、あるいはその中間として、欲界の願望(家内安全・商売繁盛)だけを半ば儀礼的に宗教に期待するご都合主義的態度かに別れる。

システム2と宗教との関係の様態は、これらいずれも救いのない3つに収斂するしかないのか。


これを打破するには、”神話に頼らない宗教”の構築が必要となる。

すなわち、既存の聖典=前科学的神話に依存せず、科学が到達した世界理解に整合する宗教(科学では扱えない存在論的次元を扱う)である。

その志向性が、現代のスピリチュアルな方向だと思っている。
ここでいうスピリチュアルとは、通常の心理過程(心)よりも深層の、かつての宗教が扱っていた存在論的次元でありながら、既成の神話的宗教には依存しない、宗教的次元のことである。

すなわちシステム2による論理的思考は堅持しても、物語化には陥らず、実証科学的に事実としての体験を重視する。
それは空想的なシステム2ではなく、それに依存しない別の次元の心における体験を出発点とする。
それがシステム3である。


実はかつての宗教者はシステム3レベルを体験していたが、それを語るにシステム2の神話的論理に頼らざるを得なかった(システム2では己の体験境地を正確には語れないことを自覚したのは釈尊であり、「不立文字・教外別伝」を主張した禅僧たち)。

システム2で自己完結する物語的(通俗的)宗教ではなく、システム2を超える、すなわちシステム3という未作動の心のサブシステムが、真の出発点となる。
続く


1.28東京湾の地震から言えること

2024年01月28日 | 防災・安全

1月28日の8:59に東京湾北東部を震源とするマグニチュード4.8の地震が起きた(アプリ「地震情報」に基づく)。

最大震度は4なので、家の中の物が落ちる程度の軽微な被害で済んだ(はず)。
文京区にある我が家では、棚においてある置物のいくつかが倒れた(=震度4相当)。

私が注目したのは震源地で、”ここ”は想定されている「首都直下型地震」の震源地に近い。

言うなれば、「首都直下型地震」の前触れ、少なくともその軽いシミュレーションとみなせる。
シミュレーションとして参考になるのは震度分布。

 地震の最速報アプリ「PREP」によると(速報値なので修正される場合もある)、
震源に最も近い千葉県習志野市で3。
その周囲の千葉市・市川市、そしてTDLのある浦安市も3で済んだ。
それに対し東京では、中央区・港区・品川区・渋谷区で4。
さらに震源から離れた葛飾区と練馬区でも4。
23区から離れた内陸多摩地域の調布市と町田市でも4だった。

一方震源に近い江戸川区と江東区の台場、それに羽田空港では3だった(後二者は東京湾の埋立地)。
また墨田区は2とここだけ周囲より低い(これは修正されるかも)。

震源からさらに遠い神奈川県の川崎市と横浜市は湾岸だけでなく内陸(戸塚区・瀬谷区)においても4。

総じて見ると、震源の対岸(西)側の東京・神奈川の方が震度4と高かった。

地震の揺れは、震源からの距離地盤の硬さで決まるとすると、震度4の地域は後者の影響ということになる。
ただし、湾岸の埋立地よりも内陸(地盤が硬い)の練馬・調布・町田の方が揺れたということは、表層の地盤よりも地震波が伝わる層の性質が作用していたようだ。

震源の深さが80kmと深かったので、地震波は地表の地盤よりも、それなりの深層の地盤で伝わった。
そのレベルの地層では、東京湾が発信源の地震波は、西に大きく伝わる傾向があるということだ。
すなわち、首都直下型地震の場合、震源から距離がある東京・神奈川の内陸(多摩川流域)もそれなりに揺れるかも、ということだ。


東海道新幹線から見る南アルプス

2024年01月27日 | 

東海道新幹線の東京—名古屋間の車窓から見える山々のうち、山に関心のない人にとっては、認定できるのは富士山くらいだろうか。

実は冬の晴天日に二人掛けの窓側の席で車窓から目を凝らして遠方を見ていると、富士に次ぐ日本第二位の高峰である南アルプスの北岳(3193m)、そして今や北アルプスの奥穂高岳と並んで第三位ともいえる(あい)ノ岳(3190m)※も見えるのだ(富士のように存在感はないのでボーっとしていると見えない)。
※:南アルプスは隆起している最中なので、期間をおいた再計測で標高が上がる。


東京から名古屋への下り列車の場合(進行方向右側)、まずは多摩川を渡る鉄橋から、北岳・間ノ岳・農鳥岳(3026m)の"白峰三山"が多摩川上流方向に見える。
多摩川は東京都と神奈川県の境を画す川だが、東京側の六郷土手上からも見えるので、一応「東京から南アルプスが見える」ということになる(尤もこれを発見したのは、明治時代の登山家木暮理太郎なので、都内の山ヤの間では周知の話)。


新幹線が三島から愛鷹山の裾を通過して新富士に向かう間、富士山(3776m)が裾野から全貌を表す。
世界的に有名な日本一の富士が裾野から山頂まで全部見える東海道中最高の見所で、新幹線の車内でも富士が右車窓からよく見えることを日本語と英語で紹介される。

乗客は一様に富士にカメラを向けるが、私は富士からずっと左側に離れて連なる、富士と同じく雪を頂いた白い峰々を見つめる。
それらは南アルプス南部の(ひじり)(3013m)赤石岳(3121m)荒川岳(3083m)・悪沢岳(3141m)で(遠望の微かな姿なので、意識集中した視野では明確に見えるがカメラのレンズ経由だと確認しづらい。なのでアプリ「スーパー地形」の展望地図を右に示す。上記山名は付け直した)、さらに列車が進むと南アルプスの中央部の塩見岳(3052m)が独立峰のような姿を現わし、富士川の鉄橋を渡る手前で、さらに北にある(多摩川鉄橋でも見えた)白峰三山がつかぬまの姿を現わす(特に北岳は一瞬)。
すなわち、新富士—富士川鉄橋の間に南アルプスの3000m峰が、唯一仙丈岳(3033m)を除いて全て拝めるのだ。
私にとっては、富士よりこちらの眺めの方が嬉しい。


静岡駅付近でも、悪沢・赤石の両雄が望める。
ここから先は、前山に隠れてしまうが、愛知県に入って豊橋駅付近では、北の谷奥に白い三角錐の山が見える。
聖岳だ。
新富士以降の静岡県で見る聖岳は、南面のテーブル状の山陵だが、豊橋からの西面の聖岳はヒマラヤのような天に向かって尖った姿になっている。


濃尾平野に入ると下りでの車窓では、白い壁のような中央アルプス(最高峰が木曽駒ヶ岳2956m)と煙を出している木曽御岳(3067m)が主役となるが、
実は上り(名古屋→東京)での同方面の車窓では、名古屋駅から出て程なく天白川を渡る付近の車窓のやや行く手側に赤石と聖が見えることに最近気づいた(右図:やはり聖は尖っている)。
※:名古屋—東京間を30年以上も往復しているのに、最近になってやっと気づいたのは、今までボーっとしていたから。

すなわち、名古屋は、木曽御岳と日本アルプスのうち中央アルプスと南アルプスの2つが見える山岳展望の200万都市だった(さらに鈴鹿山脈・伊吹山・白山も見える)。

ついでに、上りで豊橋駅にさしかかる手前で、上述の聖から右に離れた前山の上に白い山頂が見えた。
これは富士の山頂部だ。
愛知県の平野から富士山の頂が見えるのだ。
結局富士は豊橋—東京の間、断続的に見え続ける。


1月25日は八甲田忌(2024)

2024年01月25日 | 歳時

震災が癒えぬ能登半島を含めた西日本に強い寒波が襲来している(九州でも積雪)。
かように、1月下旬は1年で最も寒い時期。

実際、日本の観測史上の最低気温(-41℃)を記録した(北海道上川)のは、明治35(1902)年の1月25日だった。

その記録的極寒の日、運の悪いことに、帝国陸軍青森歩兵5連隊は、八甲田山で雪中行軍を挙行し(出発したのは23日)、山中で強烈な寒波と猛吹雪に見舞われ、進路を見失って山中を彷徨い、210名中199人名の死者を出した(八甲田山雪中行軍遭難事件)。
※:不運というより気象情報の無視という情報的怠慢。伊勢湾台風が来ているときに伊勢湾に航海訓練に出るようなもの。何より事前にルートの下見をしなかったのが決定的な失策。

長年山をやっていた1人として、毎年この日を「八甲田忌」として、この世界最大の山岳遭難の犠牲者を悼むことにしている。

といっても私にできる事は、自室の仏壇に合掌することと、この出来事に思いを馳せるために、新田次郎原作の映画『八甲田山』を観るくらいだ(長いので2晩かかる)。

ただ今年は、24日までに、この出来事を題材にした伊藤潤の『囚われの山』(中央公論新社)を読んだ。

新田次郎の『八甲田山死の彷徨』以来の小説化であるが、そこは当然意匠を異にして、現代の雑誌編集者を主人公にして、彼がこの遭難事件の新たな謎に挑む要素を加えた二重構造のストーリーになっている(もちろん新田次郎の本も映画もいずれも創作が混じっている)。
事件の真相については、本書解説の長南政義氏による当時の陸軍の事後検証のまとめも参考になった。


阿弥陀教というコペルニクス的転回

2024年01月23日 | 仏教

大乗仏教という仏教のバリエーション化(変容)において、阿弥陀如来という、
実在した釈尊ではない仏陀を立てて、それを信仰する阿弥陀教(浄土教)に違和感を抱き続けていた。

神を措定せずに自己の変容によって死の問題を解決させる、人類史的に特異な教えだった仏教が、
絶対的他者を立てて、それを信仰することで天国に行ける、というありきたりな”宗教”に堕してしまった感があったからだ。
言い換えれば、それだったら”仏教”でなくてもいいんじゃないの?という感じ。

このような阿弥陀教の存在理由を、あくまで仏教の内なる変容の論理として、
すなわち仏教の1つのあり得る方向性として、考えてみようと思った。

なぜそう思ったかというと、自分自身の中で感じた仏教の本来的困難さ(不可能性)の壁を越えたかったから。


仏教の本質は、菩提心を動機として修行に励み、煩悩を克服して、悟りの境地に達して、
生物として存在すること(生老病死)の苦から脱することにある(らしい)。

実践的ポイントとなるのは、修行による煩悩の克服にある。
すなわち、煩悩だらけの「欲界」に生きている状態から抜け出すことが求められる。

欲界は生存本能に由来する生物の生きる世界そのものであるから、
いわば自己に内在する生物性を否定することである。
性欲はもちろん、食欲も睡眠欲も制限し、そして裕福になりたいための経済活動も否定される。

身体をいたずらに痛めることを自己目的化した”苦行”こそ否定されるが、
リラックスした気楽な生活も否定され、
出家すなわち、家族を中心とした社会関係を頭髪とともに断ち切り、
ストイックな集団生活(サンガ)での瞑想(禅定)修行が求められる。
仏教における悟りの道は、この出家が唯一とされる。

経済活動も子孫の再生産も否定された出家集団は、そうでない欲界にどっぷり浸かって生産・家庭生活をしている人たちの存在(資源の供給元)を前提しないと、
そこからの布施で生きる彼ら自身の生活の維持が成り立たない。
仏教の唯一の道である出家主義はいわば依存的エリート主義である。

この結果、普通に家庭を持って経済活動をしている人たちは、出家を援助する功徳しか積めず、
仏の道は閉ざされる。


市井の(経済活動に従事せざるをえない)一人としての私自身が感じた仏教の壁(困難さ)がこれだ。

仏教にそれなりの救いを求めていながら、どうしても出家生活に踏み込むことはできない。
正直いって、そこまでしたくない(出家したくなるほど在家の生活に”苦”を感じない)。

こう思うのは私だけでなかったわけで、仏教は在家を見捨てない方向に進まざるをえなくなった。
それが大乗(大勢乗せる)仏教であり、菩薩道である。

菩薩道は、自分が悟って仏になる菩提心がありながら、その自分より先に迷える衆生を救済することを優先することを決意した修行者(菩薩)のあり方をいう。

大乗仏教ではまずは菩薩になることが目標化されたことになり、
その結果、菩薩自身の到達目標である仏(如来)の道が遠のき、
仏になるには三劫という無限に等しい時間(人間としての存命中は不可能)が必要とされることになった。

釈尊の時代は生身の人間の弟子たちも悟り(=仏)に達したのだが、
大乗仏教では仏はより深遠な絶対神のような超絶的存在に高められてしまった。
こうなるとまさに仏教の壁がさらに強固になって、人が仏になることの不可能性に陥る(仏教は不可能なのだ)。


この不可能性をうちやるぶるために、大乗仏教の次なる段階において、
誰でもが仏になる可能性を本来内在しているという如来蔵思想が誕生し、
さらに特定の修行法を実践すればその場で仏になれるという即身成仏思想も誕生した。

ただこうなると逆に、煩悩即菩提よろしく、仏になるのに何も特別なことは必要なくなり、今のままでいいじゃん(現状肯定)となってしまい、そうなると仏教そのものが必要なくなってしまう。

つまり、仏教は「不可能か不必要か」というどちらに転んでも不都合な”回避・回避のジレンマ”に陥る。

結局、人間の思考のバイアス傾向である”極論化”が、そのバイアスを戒めて「中道を歩め」とした釈尊の教えの元でも発生を抑えることができなかったわけだ。


仏の道を歩みたい(自分を高めたい)が、在家の生活を捨てることができない、社会の大多数の人たちは、出家以上に困難な菩薩の道を歩むことはできない。

では自分たちは永遠に救われないのか。

待てよ、菩薩の道を歩んでいる人たちが存在してきたなら、彼らは自分が仏になる前に衆生を救おうとしてきたのだから、
菩薩の道を自ら歩めない我々は、その菩薩の慈悲(救済)の対象になるはず。
我々は衆生のまま、すなわち現在の社会生活を維持したままでいるからこそ、慈悲(救済)の対象になれる。

すなわち自分の努力(自力)によって悟りの境地に達するのではなく(不可能か不必要)、他者である菩薩・仏の力(他力)によって、自分たちが救済される道があった。

この立ち位置の転換は、大乗仏教における救済する側からされる側への、まさにコペルニクス的転回だ。

経典によると、そう誓った菩薩は法蔵菩薩であり、この菩薩はすでに悟りに達して阿弥陀如来という仏になっている(という)。
ということは、我々衆生は、阿弥陀如来の慈悲によって救済が約束されているのだ。

その救済とは、苦に満ちたこの世から、阿弥陀如来が管轄する「極楽浄土」に往かせてくれることで、その浄土で我々は阿弥陀如来に見守られながら快適に悟りへの修行に励むことができるのだ(往生=浄土に往くこと、が本来目標ではない)。

なので、今の世で出家してストイックな修行に打ち込む必要はなく、
この世(欲界)での真っ当な社会生活が終了したら、極楽浄土に往ってそこであくせく欲界的活動に追われることなく、すこぶる快適な環境下で瞑想修行に専念すればいい。

唯一必要なのは、我々をそのようにしてくれる阿弥陀如来の慈悲にひたすら感謝して、人の道を踏み外さなければいい。
踏み外すと、業(カルマ)という自己責任メカニズムによって極楽ではなく、地獄に往ってしまう。


こういう教えが、例えば法然上人から説かれることで、出家することも寺に寄進(という功徳)もできない、日々の活動にいそしむ一般庶民の間に阿弥陀信仰が広まった。

如来蔵思想に甘えず、欲界に生きる凡夫であることを自覚しながらも、現世ではなく来世まで視野に入れて仏の道をより快適に歩むことができると確信することで、(悟りを目指す)仏教徒であることが維持される。

確かに、この自力から他力への転回によって仏教徒であることのハードルは下がった。

ただし、この教えは、阿弥陀如来と極楽浄土の存在が前提となっており、その前提の存在証明は科学的にはなされない。
ということは実証的根拠なしに信じるしかないという意味で、既存の宗教と同趣の神話(物語)に依存していることになる。

そもそも阿弥陀信仰も含めた仏教全体が前提としている”六道輪廻”自体が物語(空想的構成物)といえる。
この部分を解決しないと、現代人にとっての仏教は、他の宗教と同じく、
人間の心(システム2)によって構築された物語(神話的宗教)の1つにすぎなくなる。
真の問題は解決していない。


コロナ禍後の『免疫「超」入門』

2024年01月21日 | 作品・作家評

新型コロナに対するワクチン接種の可否について、ネットでは賛成派(ワク信)と反対派(反ワク)が対立してきた。

私自身は現代医学を信頼し、怪しげな陰謀論は信じず、しかも「基礎疾患のある高齢者」に該当しているので、自治体からのワクチン接種の通知にすべて応じ、計6回のワクチン接種を済ませた。
果して、当日の腕の痛み以外の副反応はなく、家庭や職場周囲の人々が次々とコロナ感染する中、孤然と非感染を維持してきた。

そもそも私は、花粉症などのアレルギーとは無縁な一方、帯状疱疹には罹っている。
すなわち、免疫反応が過敏となった免疫疾患には無縁で、その逆の免疫力低下による体内ウイルス疾患になったので、免疫力は健常者を0とした場合のマイナス側にあるといってよい。
そういう訳なので、免疫力を高める措置には積極的でありたい。

免疫学についてのブルーバックス(講談社)レベルの本は次々読んできて、最新の2023年刊なのが吉村昭彦著『免疫「超」入門』(講談社)。

コロナ禍が一応の収まりを見せた後の本なので、免疫学の最新の知見だけでなく、コロナ禍でのワクチン対応についても専門的立場で論じている。

成書の多くは、免疫(=ワクチン)の効果ばかりが強調されるきらいがあったが、この書ではサイトカインストーム(免疫機能の暴走)など免疫機構がもたらす疾患についても多くのページを割いており、

例えばコロナ禍でのワクチン対応について(もちろんmRNAワクチンの説明を加えて)、

「60歳未満の健康な成人は追加接種を推奨しない」というWHOの宣言は、広く報道されず、このコロナ禍で明らかになったのは、「感染症の専門家といわれる人たちですら免疫学を理解していない」ことがわかったという。
すなわち、免疫学者としての著者の見解では、高齢者や基礎疾患のある人以外のワクチン接種は必要以上の頻度が求められたという(私に関してはこの頻度でよかった)。

こう警鐘を鳴らすのも、著者の研究分野がサイトカインのメカニズムであるためだ。

さらに本書では、免疫学の今後の発展方向として、がん・老化・脳についても論じている。
すなわち、がんの免疫療法(本庶博士のノーベル賞受賞研究)、”慢性炎症”として理解されるようになった老化(免疫老化)、そして精神障害を含む脳障害における免疫(ミクログリア)の役割についての最新の知見を紹介している。

私の「心の多重過程モデル」における心の最深層(心身相関層)である「システム0」に相当する研究領域は、既存の心理学や精神医学そして脳科学ではなく、生命維持のためのホメオスタシス機構を扱う「精神神経免疫学」である。
※:中枢神経系・自律神経系(循環器系・消化器系を制御)・内分泌系・免疫系、これらの相互作用システムが対象

その中で免疫系は、意識(システム1)や自我(システム2)発生以前のより根源的な”自己認識”システムに他ならない。

すなわち、当モデルは、”心”というものを”意識”以降の中枢機能に限定せず、生命活動とりわけその半分を担う情報処理活動として捉える視点に立っている。
この視点は、アリストテレスに由来する→アリストテレスの『心とは何か』
という理由もあって、心理学の私は免疫学の本を読む。


父の33回忌を皆で

2024年01月21日 | 身内

今年は亡父の33回忌にあたり、本来なら祥月命日に近い7月くらいに法要をやるのだが、丁度今、姉(父の息女)とその息子(父の孫)が来日中なので、この機を逃さずに約半年前倒しして、菩提寺で33回忌の法要を営んだ。
我々にとっても最後の年忌法要のつもりなので、ごく親しい親族すなわち父の妻子とその家蔵(義理の娘と9-30歳の孫たち)で実施。
※:33回忌をもって、個々の死者(ホトケ)はご先祖様(神)一般になる。

話によると、今では33回忌までやる家は少ないという。
多分、その頃には子自身が法事の対象になっている場合があり、たとえ健在であっても生活が空間的に分散している状態だからかもしれない。

うちの場合は、父の享年が66と比較的若かったため、その子たちが健在で(父の妻も健在!)、しかも一緒に住んでいて(姉だけがイタリア)、菩提寺も近い。
※:生きていたら今年で、66+33=99歳

さて、我が父の法要は、丈六の釈迦如来坐像を中心に仏弟子・諸菩薩や多数の羅漢が居並ぶ大きな本堂で行われ、僧侶の読経・出席者の焼香・法話と進み、最後に全員で「南無阿弥陀仏」を10回唱える。

かように本尊と読経・念仏との間にズレがあるのは、この寺は元は黄檗宗なのだが、廃寺状態から立ち直った後は浄土宗の僧侶が運営しているため。

浄土(阿弥陀)教は仏教諸宗の中でも最も神話的要素が強いため、私自身は親しめないものだったが、こういう縁もあり、現代(仏教)における阿弥陀信仰の意味をきちんと考えてみたいと思っている(いずれ記事にする)。→記事

法事後の”精進落し”は、身障者の姪に適合した店が見けにくいこともあり、自宅での寿司パーティに切り替えた(この方がはるかに安上がり)。


白地図ではなく地形図で日本を見よう

2024年01月18日 | 時事

日本の人口分布の地域差などを論じる場合、白地図ではなく地形図をベースにしないと、

とんだ誤りを犯す。

小学校の時から部屋に日本の地形図を貼っていた私は、頭の中の日本地図は地形図になっている。

地形図とは、少なくとも山地と平野が色分けされていて、河川も記されているもの。

その地形図で描かれる日本は、ほとんどが山地で平野は海沿いにごく限られていることが一目瞭然。
とりわけ北海道の中央部・東北・中部地方の内陸・紀伊半島・中国・四国・九州はほとんどが山地。
そして数少ない平野の中でひときわ目立つのは関東平野。

江戸時代までの人のように、自給自足の生活ができれば山の中でも住める(「ポツンと一軒家」のように)。
ところが、現代的生活を求めるなら、舗装道路・水道・ガス・電気・通信のインフラが必要なので、それらを個人宅に引き寄せるためには山地は断然不利になる。
生活基盤としての経済活動も、これらインフラを前提とした場所が必要。
なので、近代以降は、人はインフラの構築が簡単な平野部に集まり、そこに住みやすい都市が形成される。

地形図で一眼でわかるように、日本の国土の70%以上は山地で、それらは全て現代生活を送るには不利な場所。
さらに山地は、河川の増水・土砂災害という傾斜部固有の危険を背負っている(他に雪崩、噴火)。

残った数少ない平野は、大河川の洪水(そもそも平野は洪水によって作られた)の危険があったが、江戸時代からの大規模な河川改修で、その危険が除去されると、豊富になった水が(農業・工業・生活)用水を満たし、ますます人口集中を可能にする。
※:関東平野の江戸に開府した徳川幕府は、江戸湾に注ぐ関東一の大河・利根川を太平洋に流れるよう流路を変えて江戸を洪水の危機から守り、また木曽三川の流路を制御することで日本第二の濃尾平野を潤沢にし、尾張・名古屋を守った。
ちなみに関東平野の中心部は茨城県の古河付近だが、そこに都市ができなかったのは、その地が利根川・渡瀬川・鬼怒川の集合地で洪水の頻繁地だったから(木曽三川沿いに都市がないのと同じ)。なので現在そうしているように、関東平野中央の平地は広大な遊水池にするしかない。

平野は地面が平だから、住宅・工場・鉄道などの大規模設備も作りやすい。

以上の理由から、人口が、山地では少なく平野に多いという”偏り”は至極当然、いや必然なのだ(そして日本で一番広い関東平野に一番集まることも)。

地形図では一目瞭然のこの真理が、白地図では不可視になる。
白地図を元に日本国内の”偏り”を論じるがここにある。

国レベルだけでなく、同じ東京でも、西部の西多摩郡(奥多摩町・檜原村)の人口が極端に少ないのは、地理情報のない白地図では説明つかないが、地形図ではそこ一帯が奥多摩の山地だからと一目でわかる(人口が北部に集中している奈良県、中央部に集中している山梨県も同じ)。


ゴジラ-2.0へ

2024年01月16日 | 作品・作家評

『ゴジラ -1.0』のモノクロ版が公開されたので、あえて観に行った。→ゴジラ-1.0観てきた
その行為が、この映画に対する私の評価を示している。

そしてこの映画を2回観て思ったことを記す。

ゴジラ映画は原点(1954年の第一作)を忘れてはならないが、同時に単なるリメイクやオマージュであってもならない(モノクロ版という部分はオマージュ的だが)。

その一方で、(シン・ゴジラのように)”現代的”にこだわる必要もないことも示された。

そうなると、ゴジラの原点をより遡ってみてはどうだろう。

すでに第一作において、ゴジラは水爆実験によって”誕生”したのではなく、それ以前に大戸島の伝説として認知され、地元の神事にすらなっていた。

すなわち、水爆実験によって巨大化する以前の、ジュラ紀の恐竜の生き残り(進化形)として、大戸島で伝説として認知されていた荒ぶる神・呉爾羅こそが、真の原点であるはず(この呉爾羅は-1.0で登場)。

となると時代設定は少なくとも江戸時代以前に遡るから、タイトルは「ゴジラ-2.0」となる。

そこでは怪獣というより荒ぶる神、といっても(放射能前ということもあって)超越的なパワーなしの、神道的神としての神性にウエイトをおく。

そもそも呉爾羅は人類最大の愚行である”戦争”の象徴・怒り(第一作でのゴジラの東京襲撃は東京大空襲の再現)であるから、時代設定は”戦国”末期にして、大戸島を支配しようとする北条水軍、そしてその北条を滅した秀吉配下の九鬼水軍に襲いかかる(最終的には江戸を開府した家康によって封印され、太平の江戸時代とともに長い眠りにつく)。

尤も、時代設定的にも怪獣ゴジラの前身である点でも、現代装備の軍隊あるいは他の怪獣とのバトルのような迫力ある映像は望めない。
それでも-1.0の呉爾羅も対人間では迫力あったので(まるで『ジュラシック・パーク』)、当時の合戦シーンレベルは凌駕できる(たとえば、小田原を囲んだ20万の秀吉軍との対決)。

私の構想はこの程度で尽きるので、あとはどなたか作品化するストーリーを作ってほしい(こうしてネットに公表しているので私の案の権利は主張しない)。


地震に強い建物・弱い建物

2024年01月15日 | 防災・安全

能登半島地震で、ビルや観光施設が軒並み倒れた中、能登町の縄文遺跡に復元された竪穴式住居が無傷だったことが話題となっている。

確かに竪穴式住居は、断面が末広がりの三角形のため、接地面が広くて、屋根部分が上に行くほど狭くなり、重心が低くなって構造的に倒壊しにくい。
また屋根部分は分厚いが素材的に軽いため、たとえ倒壊しても、中の人が押しつぶされることがない。
実際、江戸時代でも、震災のあった藩では、防災のため屋根瓦が禁止され、屋根は茅葺が指定されていた。
瓦屋根は雨などの気象対策であって(ただし強風には弱い)、地震に対してはレンガと同じく逆効果であることは江戸時代から既知だった。

こう見ると、確かに竪穴式住居は、地震に強い力学構造になっている。
茅葺の分厚い屋根は、夏は涼しく冬は暖かい。
もっとも、窓などの開口部がほとんどないので室内は暗く、視覚的居住性は良くないが。
それに対し、能登半島の民家は瓦屋根の家屋ばかり。

一方、輪島市で横倒しになったビルは、基礎部分の杭が抜けたことで倒れた。
その杭は地下の硬い層に打ち込んでビルの横揺れを防ぐものだが、その硬い層の上の柔らかい層が地震で液状化して、ビルを支えることができなくなってしまったのだ。
このような地層構造は、東京湾などの都市の湾岸部の埋立地も同じで、むしろ人工的に埋め立てた分、軟弱地盤の層が厚い(その分杭も長い)。
ということは、首都直下型地震は、そもそも震源地が東京湾なので、これら湾岸(ベイエリア)の埋めて地に立つ高層ビル群は、地下層の液状化によって皆この横倒しの危険がある。
※:いまだに関東大震災を起こした相模トラフの地震と混同している人がいる。50年以上前の古い知識が更新されていない。

私は、もともと防災の観点からベイエリアには住むことはもちろん、足を踏み入れることすら遠慮しているが、ますますその思いが強くなった。

すなわち、地震に弱い建物は、瓦屋根の多い地方(の過疎地)と海沿いに高層ビルの多い都市部の両方に分布していることになる。


『ごまかさない仏教』佐々木閑・宮崎哲弥

2024年01月14日 | 仏教

私は小学校四年生の頃から、就寝時に、自分もいつか必ず迎える”死”とは永遠の無になることであるということに気づき、それを思うだけで、恐怖心で心臓が高鳴って思わず起き上がり、動悸がおさまるのを待つようになった。

そして、もうこの当時で、”天国”や”霊魂の不死”あるいは”不老長寿”などはごまかしの論に過ぎないことが子どもながらにわかっていたので、それらにすがることもできなかった。

だが、この認識(恐怖)を家族に伝えることもできず(無意味だから)、同年代の友人たちとも共有できなかった。

実際、その後、中学や大学でも友人たちと死を話題にした時はあったが、彼らの多くは、死一般を語っても、そこに”自分の死”という視点がなかったので、私のような”死”への不可避な絶望感は共感されなかった。

本書『ごまかさない仏教:仏・法・僧から問い直す』(佐々木閑・宮崎哲弥 新潮社 2023年)で、対談者の一人である宮崎哲弥氏も私と同じ経験をしていたことを知った。

私自身、後年、このような”自分の死”の問題を真正面に取り組んだのが、2500前の釈尊だと知った。

釈尊の教えとしての仏教(死後、三途の川を渡って閻魔様の裁きにあうとかいう通俗的”仏教”ではない)は、他の神話的宗教と違って”天国”や”霊魂の不死”でごまかさない点で、私が唯一接近するに値するものと思えた。

それでいて仏教は、絶望的な死滅観(断滅論)を極端な臆見(ドクサ)の1つとして、不滅論とともに採用しない。

仏教学者の佐々木閑(しずか)氏によれば、断滅を恐怖しない自分を作ることが釈尊の教えによって可能となるという。

そのためには、”自我=私”を実体視することの誤りに気づくことが出発点となる
※:心(=システム2)という実体のない作用が生み出した、いわばホログラム的幻影。
そして龍樹的視点を加えるなら、そもそも私は存在しておらず、かといって存在していないわけでもない(有でも無でもない空)、ということになる。

このような仏教の本質的問題を、基本タームである仏・法・僧から、対談形式で問い直しているのが本書。
タイトルにある「ごまかさない」は仏・法・僧についての形容だが、上記したように”自分の死”の問題も含まれている
※:これと輪廻転生との関係は、業(カルマ)の問題と絡めて、仏教のアキレス腱といえる。ちなみに両人とも輪廻転生を信じてはいない。

対談の内容は、宮崎氏の知識も相当なので、仏教学の現状や、現代日本で人気があるテーラワーダ仏教における、彼らが準拠しているパーリー語経典のみが真の仏説に最も近いという「テーラワーダ歴史原理主義」なども問題にしているので、仏教の基本と現状について一定の知識がある読者が前提となっている。


イタリアから姉と甥が来た

2024年01月13日 | 身内

イタリア・ローマ郊外に住んでいる姉とその息子(私の甥)が数年ぶりに来日(姉の夫は居残り)した。

今回は、甥が日本に行きたくて、母の飛行機代を出したそうだ。
甥は日本名とイタリア名の二つの名を持っているが、日本語はほとんど話せないので、母を連れて来たかった(母=姉はいつでも日本に来たい)。

どうしてそんなに日本に来たかったかというと、大阪の USJに行ってみたいとのこと。
甥はハリーポッターに夢中になった世代で、想いはひとしおらしい。

まずはイタリア土産として、地元農家産のチーズ・オリーブオイル・ワインが我々に振り分けられた。
東京宅には二人なら収容できる部屋があるので、そこで寝泊まりしてもらう。


18日ぶりの名古屋宅

2024年01月09日 | 生活

本日、新年最初の会議のため18日ぶりに帰名した。

一番気になったのは、車が動くかどうか。

長期不在中は車のバッテリーを外して、バッテリの自然放電を防ぐ。

1ヶ月も不在となる夏休み明けでは、バッテリは作動するのだが、エンジンがかからなかった。
果たして、18日ではどうか。
エンジンがかからないと、会議に遅れる。

バッテリをつなぎ、キーを回すと、無事にエンジンがかかった。
これで一安心。

もう一つ気になっていたのは、元日の能登半島地震で、名古屋は震度4だったこと。
震度4だと不安定な置き物が倒れる。

室内を点検すると、スチール本棚の上に置いていた写真立てが床に落ちていた。
写真と写真立ては無事。
室内には結構、不安定な置き物があるが、倒れていたのはこれだけだった。

あと、部屋は10℃に冷えていた。
東京宅と違って、窓ガラスが一重なので外気温に簡単に同調する(そのくせ、室内の CO2濃度は東京宅より高くなる)。

会議終了後、スーパーで食糧品を買い出して、電源を切って空にしていた冷蔵庫に入れた。
これで名古屋生活が再開だ。