今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

今年を振り返る4

2009年12月31日 | お仕事
今年度は新しい内容の授業を2つ持った。
1つは、MacOSを使ったマルチメディア演習。
学部のパソコンがMacなのだが、パソコンを使った授業はすべてOSレベルはWindowsを使うので、
せっかくのMacがもったいない。
そこで演習用のコマをMacに宛てた。
内容は前の学部でやってたことなので、自分にとっては新しくない。

もう1つは、防災の演習。
これはまったく新しい。
さらに市民講座としても防災の講座を2回やった。
防災士の学習内容がすべての人に実用的価値があるので、それを伝えたいため。
それと気象予報士として、ネットを使って最新の気象情報をチェックすることで、
気象災害の予想が可能であることを実習させたかった。

公式の授業ではないが、小笠原流礼法の授業の延長(補講)として、
今年度から風炉点前と炉点前を追加できた。
今までは略盆点前だけだったので、
やっと本格的な点前を実習できるようになったのはうれしい(小笠原流は茶の流派としてもある)。
ただし、その分、労力が倍増しているが。

今年度は、聞香セットと煎茶点前セットも購入したので、これらもやりたいが、
そうすると労力が3倍増になるので、時間がとれなくなる。
どうしよう。

共著の『新編社会心理学』(福村出版)の改定に参加した。
自分の担当は「メディア・コミュニケーション」
マクルーハンのメディア論的発想が、社会心理学にとって新鮮らしく、
その線での執筆を依頼された。
旧版ではポケベルなどの古いメディアの話だったので、
内容を今風のインターネット(特に2ちゃんねる)に改めた。

論文は例年どおり2本。
1本目は、小笠原流礼書の翻刻。
膨大な巻数なので、その一回目。
ただ古文書の読み能力が不充分なので、専門家の協力を仰ぎ、共著にしてもらった。

2本目は、感情論文の続きで「感動」がテーマ。
感動は意外に感情研究の対象になっていないことがわかった。
なぜなら、感動は感情の単語になっていないため。
なので、本居宣長の「もののあわれ」論を軸にすすめた。

これらは年明けに活字になる。
来年度は、新しい授業はないので、その分楽。
作法の補講はどうすすめようか未定。
礼書の翻刻の続きをやり、感情論文は個別感情ではなく、
感情一般を問題にする予定。

今年を振り返る3

2009年12月30日 | 生活
今年の買い物で、生活を変えたのは、
まず実家用に購入した圧力釜と圧力鍋。
これのインパクトは意外と大きかった(ブログには記事にしていないが)。
そもそも電気釜が壊れたので、最新の10万ほどする高級電気釜を買おうと思った。
ところが、いろいろ調べていくうち、おいしく炊くなら、土鍋で充分だとわかり、
さらに3万ほどのパナソニック製の電気圧力釜もおいしく炊けて、さらに広く使えて便利とわかった。
予算が浮いたので、数千円の圧力鍋(コンロ用)も買った。

これらを使うと、調理時間が大幅に短縮され、それでいて煮物・炊物はしっかりできる。
もちろん電気代・ガス代も節約。
以前は大仰な蒸し器が必要だった赤飯も簡単に炊け、正月用のキントンもこれでできる。
電気釜の方はもっぱら炊飯用にして、圧力鍋の方を煮物などの調理用に使い分ける。
低予算で済み、さらに時間と燃費が節約され、
それでいて調理の幅がぐっと拡がった。
まさにいいことづくめ。
ただ、安全性には注意が必要なので、ちゃんとした製品を買うべき。

あとこれも実家用にWiiを買った。
母の室内運動用にとWii Fitを利用するのが目的だったが、
いちばん使っているのは甥っ子柊ちゃん。
柊ちゃんがウチに来る楽しみが増えたことになる。
自分も少しは楽しむためにWii Resortを買い、さらにはWii Fit Plusも買った。
これらも柊ちゃんが遊び倒した。
こういう体を動かす健康的なソフトは買うが、単なるゲームは買う気がしない。

防災関係としては、アイリスオーヤマ製の緊急地震速報受信器を実家に設置した。
これは民間FM放送の緊急地震速報をキャッチしたら大きな音でそれを流す装置で、8千円代なのがありがたい。
あと自ら地震波をキャッチして警告音をならす装置(3万円程)も買ったが、
壁面に取り付けずに台に置いたままだと、生活振動にも反応し、
しかも自動的に鳴り止まないので、使わずにいる。
震度2-3で深夜に鳴ったらかえって使いづらい。

気象観測の幅も拡がった。
大気中の放射線に興味がわき、ラドン測定器とガイガーカウンターを買った。
大気中のラドンは、肺ガンの原因の1つともいわれ、
その一方で、放射能泉としての効能が謳われている。
また地震の前兆現象として大気中のラドン濃度が急激な変化をするともいわれている。
このように複数の意味があるので、名古屋宅で定点観測することにした。

ただこの測定器は、持ち歩き不可なので、
持ち歩き用にはガイガーカウンターを使うことにした。
こちらはラドンに限定しない放射線測定器で、ガリガリという音でも知らせてくれる。
鉱物を含んだ石に近づくと測定値があがる。
原発事故があった時にも使える。

2009年を振り返る2

2009年12月29日 | 歳時

さて、自分の今年を振り返ってみる。
インフルエンザにこそ感染しなかったが、体は痛めつけられた。

まずは高血圧が進行した(上は150台)ので、ついに降圧剤を服用しはじめた。
薬の効きがいいので安心しているが、これからずっと毎日飲み続けることになる。

それから、両耳の難聴と耳鳴りの治療を受けた。
難聴は鼓膜が分厚く壁状になっているせいなので、人工鼓膜の手術を要するという。
たかが鼓膜の手術なのに、全身麻酔をすることにびびってしまい、
難聴は軽度なので、手をつけないでいる。
耳鳴りは効果的な治療・薬がないみたい(市販の薬も全部効果なし)。

秋には帯状疱疹にかかり、2週間点滴治療を受けた(全治3週間)。
幸い、世間レベルで平均以下の痛みだったが、
それでも夜中に痛くて目が覚め、呻き声を出したこともある。
治療期間中に温泉旅行に行ったが、悪化せず、
むしろ暖まっている間は痛みが軽くなった。

ラストは、鉄柱の角に頭をぶつけて、出血したこと。
頭部の出血って量が多く、
流血が顔をつたって地面にしたたり落ちた時は、我ながら驚いた。
頭の傷口はほとんど完治しているが、まだ押すと痛い。

勤務先ではインフルエンザが大流行しているが、
自分には免疫があるのか、無防備ながらまったく平気。

旅行は、毎月欠かさなかった。
一番遠くが岩手山麓の網張温泉
ここ数年は海外にも沖縄にも行かないなぁ。

研究活動としては、論文2本(感動の心理と礼書翻刻)と
社会心理学の共著の全面的改定、それに小さい論文(手の作法)。

賀状を書いていて痛感したのが、今年も新しい出会いがないこと。
つまり今年初めて出すという相手がいない。
対人関係が固定化したまま(親族は二人減った)。
その中で、高校の同窓会に参加して、
旧交を暖めた(しかも当時の先生とも)のは新鮮な体験だった。
このつながり、これからも大事にしたい。


2009年を振り返る1

2009年12月28日 | 時事

年末恒例、わがブログでも今年を振り返ってみる。
まず社会編。
日本で一番の出来事は、もちろん政権交代。
自民政治に未来を託せなくなっていた国民の多くは民主党を選んだ。
ただ私にとっては民主党は政権党としては未熟だと感じていたので、他の政党に投票した。
案の定その未塾性が露見し続けているが(連立政権のためでもある)、
だからといって国民は自民政治に戻そうとはしないだろう。
民主の対抗勢力として解党的出直しが必要。

それから、昨年来の不景気が続いているのも困る。
株価の底は今年の三月だった。
その後の回復の伸びは鈍く、結局学生の内定率も最低レベル。
デフレになって、安けりゃいいという風潮になり、
生活水準だけでなく文化水準までさがった感じ。
私自身、値の張る買物はしなかった(→何を買ったかは買物編で)。
次に買うのは電気自動車の予定だから。

物故者も多かったなぁ。
特に芸能人。
一番ショックだったのは、もちろんマイケル・ジャクソン
大原麗子もそれなりに驚いた。
ちなみに我が親族では義理の伯母(伯父の妻)と母の実兄(伯父)が亡くなった。
伯母は長い入院生活の末、伯父は緊急入院での急死。
その結果、親族ではわが母が最年長となった。
個人編に続く


年末の温泉旅

2009年12月27日 | 温泉

甥っ子の誕生会と賀状書きを終えて、
年内の用事が家の大掃除を残してすべて終った12月26日。
この一年の最終慰労として、1泊の温泉旅に出た。

毎年この時期に利用するのは、ホテルグリーンプラザ軽井沢(場所は群馬の北軽井沢)。
ここのグリル&ビュッフェバイキング(メインディッシュは選択)は、
オードブル中心だが、ふつうのバイキングより中身がリッチなのが気に入っている。
また部屋もベッド付きの和洋室というものいい。

新幹線の軽井沢駅から送迎バスで県境の峠を超えて北軽井沢のホテルまで運んでくれるので、
上野を昼前の便ですむ。
バスは純白の浅間山の裾を通り抜け、遠くに草津白根などの上信国境の山並みを眺める浅間山北麓に到着。

さっそく温泉に浸かる。
いつも通り、入浴は一泊につき4回(到着後、夕食前、就寝前、朝)。
慰労の旅なので、温泉と食事だけにして、仕事を持って来たくはないのだが、
退屈しのぎもかねて、正月明け8日締切の論文原稿を進める
(ノートパソコン持参)。

夕食時のアルコールは、いつもならグラスワイン一杯に抑えるところを、
ワインが芳醇でおいしかったこともあって(自分で飮む安ワインとは違う)、
年末慰労の旅に免じておわかりした。
いつもより高級なワインを飲みながら、ピアノとバイオリンの生演奏つきのバイキングディナーを堪能。
雪の積もった中庭のイルミネーションもきれい(写真)。
一泊なので疲労回復とはいかないが、気分転換はできた。

翌日の帰路は、1時間たらずの新幹線ではつまらないので、
軽井沢からJRバスで横川(釜めしの里)に降り(標高差700m)、
そこから信越線に乗って高崎経由で帰った。


夢で会いましょう

2009年12月26日 | 生活
他人が見た夢の話など、
夢分析のカウンセラー以外には興味がもてないのは重々承知な私だが、
思わずブログに報告したくなる夢をみたので、我慢して読んでほしい。

まず小学校の同窓会の夢をみた。
同じクラスの初恋の女の子もそこにいた。
その頃の姿のままで。
目が覚めても、その子の姿が目に焼きついて
ほんのりした余韻が残った。

そしてまた眠り、次は中学校の同窓会の夢をみた。
行動範囲が飛躍的に拡大した中学時代らしく、
どこかの店の片隅で、人目につかず大勢で集まれる空間。
世間の目を盗んで仲間で悪い事をしようとしたワクワク感がある。
そこで中学時代の仲間と楽しくすごした。
目がさめて、夢には登場しなかったが好きだった女の子を思い出した。

そしてまた眠り、今度は高校の同窓会の夢をみた。
大きな店を借り切って、おなじ寮生活をすごした仲間の席を次々を巡った。
皆現在の年取った状態なので昔の面影を探りながら、
さほど親しくなかった者をふくめて肩を抱きあうようにして再会を喜んだ。
だが、女の子はいなかった。
だって男子高だったから
(といっても好きな子がいかなったという論理にはならないが)。

つまり、一晩に、小学校・中学校・高校と同窓会3連チャンの夢を
しかも年代順に続けて見たのだ。
一晩でものすごい数の旧友が出てきたことになる(知人の出演者数が過去最多)。

現実生活との関連では、今月初めに実際に高校の同窓会(店を借切り)に参加して、
とても楽しい気分になれて、その余韻がまだ残っていること。
そして「昼の名残」(フロイト)としては、前の昼に賀状を書いており、
中学・高校の同窓生宛もあったこと。
ただ、賀状には小学校の同窓生はおらず、また大学の同窓生はいた
(もう一度寝ていれば、大学の同窓会の夢を見れたかも)。

ユング心理学では、一晩に見る複数の夢というのは、
ストーリーは全く別物でも、メッセージ的には連動し、関連させて解釈しうるという。
ただ、今回の一連の夢は、分析する必要もないが。

本日誕生日の

2009年12月25日 | 身内
クリスマスの今日は、家にいてクリスマスソングをかけながら、賀状書き。
クリスマス・正月統一論を唱える私としては、至極整合的な行為だが、気分的にはまだ違和感はある。

夜は、われわれの小イエス、甥っ子柊聖(しゅうせい)の6歳の誕生会。
もちろん12月25日生れ。
メインディッシュは柊ちゃんの大好物で彼の母(小マリア?)手作りの大餃子群(80個!実は全員の大好物)。
他は春雨サラダにベトナム春巻きと至って東洋風。
今日のケーキは、クリスマス用ではなく誕生日用の”まある”(店名)のショートケーキ。
私からのプレゼントは、『くらべる図鑑』(小学館)。
今人気というので私自身が興味があり、しかもちょうど柊ちゃんも欲しがっていたもの。
どうせなら、オモチャ類よりはこういうものをあげたい。

お菓子の長靴

2009年12月24日 | 歳時
5歳の甥っ子のクリスマスのプレゼントをあげたいが、
連続する誕生日プレゼントとは別に
何を買っていいのかわからないので
クリスマスらしい物で子供だったら喜ぶだろうと
お菓子の入った長靴を買った。

もちろん甥っ子は喜び、
そして私の幼い時と同じく、
中のお菓子を全部とりだし、
長靴に足を入れようとする。

ところが、昔からこの手の長靴は、
単に筒状になっているだけなので履けない。
私の時は仕方ないので、足の代わりに手を入れて遊んだものだ。
でも今回買ったものは、上げ底になっていて、
そういう遊びそのものができない。

子供がわくわくするのはお菓子ではなく、長靴の方。
子供心がわかっている長靴はないものか。
来年はちゃんと足を入れられる長靴を探そう。

イブの前日

2009年12月23日 | 歳時
23日はもちろ天皇誕生日なのだが、
現実にはクリスマスイブ前日の休日という位置づけになってしまっている。
24日は平日なので早く帰宅できないお父さんにとっては、ありがたい日なのだ。
かくいうわが実家も、この日にクリスマスパーティ。
25日が甥っ子柊ちゃんの誕生日であることも影響している。

義妹(柊ちゃんの母親)が作ったイタリア風料理群
(スパゲッティにラザニアのWパスタなど)に舌鼓を打ち、
仕上げは弟がデコレートしたショートケーキ。

昭和天皇の誕生日もあり難かったが、
今上天皇の誕生日も、かくなる理由で国民に感謝されている次第。

冬至

2009年12月22日 | 歳時
今日は、冬至。
東京だと、午後四時半で日没となる。
陰が極まった陰の大底。

この後は一陽来復のかすかな陽気のきざしを歓迎し、
冬でも青々とした葉を繁らす、柊(ヒイラギ)・樅(モミ
)そして松などを飾って、春の訪れを祝う。
この陽気な祭りがクリスマスの元であり正月の祝いなのだ。

キリスト教も仏教も神道も垣根を払って(仏教と神道とはもともと垣根を払っていた)、
宗教自由化のアメリカが推進しているように、
クリスマスと正月を一連の祝いとするのが、実は人類史的にも正しい。

冬休み

2009年12月21日 | お仕事
今日は、卒論の提出締切日。
最後の日まで原稿チェック(書き直し)を指導して、
やっとOKを出す。
授業は先週で終りなので、これで私の今年の仕事も終り。

他に用事もないので、一足先に冬休みをもらい、新幹線で帰省した。
冬休み中の仕事は、軽い原稿一本と論文のゲラ校正をやればいいだけ。
あとは好きな本を読んで、骨休みできる。

試練の卒論

2009年12月19日 | お仕事
今年の授業も木曜で修了。
残ったのは卒論指導。
空いた時間をすべて指導に費やす。

なにせ、学生にとっては最初で最後の学術論文(のマネ)。
一万字以上の文章を作り、データ分析もしなければならない。

こちらも、データ分析法から論文的表現、ワード・エクセルの特殊な使い方まですべて教える。
学生の原稿に何度もダメ出しをして書き直させる(時には分析からやり直させる)。
もちろん一方的押しつけではなく、学生自身の論文の主旨や方向性に沿ったアドバイスをする。
論理的な流れを明確にし、説得性を高めさせる。
なかなかOKを出さない私のもと、学生は最後にして最大の知的試練として、自分と格闘する。

長かった学生生活をしめくくる”作業”として、これが必要だと思っている。
思いつきの雑文なら誰でも書ける。
学術的な”論文”を書けることが、大学卒業の証しなのだ。
…論文とは無縁になっている大卒者も多いが。

吉良の殿様

2009年12月14日 | 歳時
12月14日は赤穂浪士討ち入りの日だが、
2週間前に三河湾沿いの吉良町に行ったばかりで、
現地での吉良の殿様への崇敬ぶりを見てきた者にとっては
(しかも私自身が吉良のホテルで、”刃傷松の廊下”よろしく額上部から流血)、
我が殿を殺した赤穂浪士の絶大な人気に圧倒され、
身を隠すようにしてきた人たちにむしろ同情する。

そもそも吉良氏は、清和源氏足利将軍家の一門であり、
本来的には徳川氏よりも家格が上。
そのセレブを”仇討ち”したのだから、
江戸庶民にとっては、溜飲が下ったのだろう。

領主として善政を施したという吉良上野介義央(よしひさ)は、
地元の華蔵寺に埋葬され(写真)、14日は命日として法要が営まれる。
物語としての「忠臣蔵」の影響力はそれなりに認めるが、
その陰で不当な歴史的評価を浴びている側にも光が当たるようになればいい。

すす払い

2009年12月13日 | 歳時
12月13日は「煤払い」の日。
丁度、日曜で用事もなく、
もうじき帰省のため家を空ける名古屋宅の大掃除を予定に入れた。
といっても、大掃除というのは、いざとりかかるまでには強い決断力が必要で、
午前中はついだらだらしてしまい、結局、とりかかったのは、昼食後の午後1時。

でも一旦始めると、すぐに”やる気”モードになる。
床の掃き掃除は、お掃除ロボットの Roombaに担当させ、
私はハタキでのほこり取りとぞうきん掛け。
この時とばかりに、インフルエンザ対策用に買って結局は使わずじまいだったマスクをつける。

居間、台所、トイレとつぎつぎに拭きまくり、最後に浴室。
終わったのが午後4時半。
あたりはもう薄暗くなる頃。
Roombaは自分で充電器に戻り、
私は、夕食の買物に出る。
あと一週間ほど名古屋にいるので、もう一回ダメ押しの掃除が必要になるな。

なすび

2009年12月11日 | お仕事
今日から火曜までは、卒論指導に時間を捧げる。
その意気込みで一日すごしたので、今日が”なすび”(ナス日)であることに気づかなかった。
気づいていたら、夕食は”マーボーナス”にしたのに。

このご時世、世間では賞与が出ない所もある。
大学も少子化と不景気のあおりで、半数近くが定員割れという。
その中で、わが勤務先は、コンスタントな人気を維持しているのが幸い。

私自身も消費マインドが落ち込んでいることもあり、
格別の出費予定もなく、あえて買いたいものもない。
毎月2泊の温泉旅行と新幹線での実家往復がささやかな贅沢か。

人生の楽しみは”金銭”とは別次元なものになっている。
こう偉そうに言うからには、当然ながら
慈善団体に定期送金をしている。