今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

新海誠展を観る

2017年11月27日 | 作品・作家評

新国立美術館で開催中の「新海誠展」を観に行った。
もちろん『君の名は。』の作者・監督の新海誠。
「安藤忠雄展」も同時開催中なのだが、2つ一緒だと満腹すぎるので、別個に観ることにする。

入場者は若い人ばかりかと思っていたが、年齢層はまんべんなく広かった(平日昼ってこともある)。

新海誠は美大出ではなく、普通の大学の文学部出だった。
自宅のMacで自作したデビュー作『ほしのこえ』 から、作品別に絵コンテを含めた制作過程が詳しく展示されていた。

あの写真と見まがう風景描写は、写真をそのままデジタル加工したのではなく、ロケ写真をもとにしているものの、絵はパソコン上で描いたものだった。
絵の一色ごとPhotoshopのレイヤーにして、 レイヤーを幾重にも重ねて一枚の絵にした。

あと個人的に気になっていた雲の描写は、やはり彼自ら手を入れていたという。
Photoshopのカスタムブラシで透明感のある薄い雲が描かれていることがわかった。 

彼の作品は、光、雨、雲の表現が特徴的で、それ自身がストーリーと関係している。
彼は自分が育った長野県佐久の自然の中で、雲を眺めるのが好きだったそうだ。

彼の映画には「積雲」が多い。
好晴積雲(綿雲)から雄大積雲(入道雲)までで、「積乱雲」はない※。
積雲は青空の中に突然出現する雲。
そして積雲から雄大積雲へは強い上昇流によって成長していく。
だが雄大積雲は成長の極致ではない。
それ以上上昇を続けると積乱雲になってしまう。
積乱雲になってしまうと、烈しい雷雨となって、破壊的となる。

※いくつかの作品に積乱雲(雷雲)があった。ただ遠雷でたいした存在感はない。


秋川高校八期会(2017)でメタセコイアを想う

2017年11月26日 | メモリアル

年に一度、この時期に必ず開かれる(今は亡き)都立秋川(アキカワ)高校の同期会に出席した。
名古屋からは他に1名、大阪、北九州、八丈島、ハワイからも同期が駆け付ける。 

われわれ元生徒だけでなく、当時の先生も招待される。
出席される先生方は80歳を越えながらもお元気で、顔の色つやもいい(逆にここ最近欠席される先生は体調が思わしくない)。

互いの近況をひとくさり語った後は、高校(寮生活)時代の思い出話。
先生を交えて、今だから話されるエピソードもあり、 あの3年間の思い出が新たに追加される。

その中で、最近避けて通れない話題が、同期生の訃報。
今回も新たな訃報がもたらされた。
その同期生は、私が入学して最初に口をきいた相手で、2年の時に退学したのだが、会いたかった。

われわれ全寮制の高校では、途中退学しようと、途中から編入学して来てたった1年間だけであろうと、一宿一飯の縁があれば皆仲間。
実際、常連というかむしろ同期会の幹事がそれらの該当者。 
言い換えれば、たった1年間だけでも一生ものの強烈な経験だったのだろう。

個人的に心を惹かれた情報(出席者全員が資料をもらった)は
我が母校の跡地に残っているメタセコイアの並木について。
そもそも開校後に特別な思いで植えられたこの生きた化石、学名メタセコイア・ヤポニカ・ミキ。
もらった資料はその木を我が高校のシンボルとして植えることに奔走された、我が校の親、ミスター・秋川こと宗方先生の手記。
メタセコイアは廃校後の現在もすくすくと成長しつづけているのだが、都が管理している跡地はいつもは門が閉められ進入禁止。
その跡地が開門され通行できるイベントが先月あった。
それに参加した同期によれば、メタセコイアにとても強い”気”を感じたという。

「パワースポット鑑定士」を自認する私には、あのメタセコイアから”気”が出ているのは容易に想像できる。
これはぜひ、鑑定に行きたい。
来年は、東京都開催の「育樹祭」時に開門されるという。


日進気象観測データを分析

2017年11月25日 | お天気

ノルマにしている年に論文2本。
その2本目の論文は、日進キャンパス(愛知県日進市竹の山)で観測している気象データ1年分の集計・分析。

いわば事例研究にあたるが、観測項目に露点温度やUVIndex、体感温度が入っている点が気象庁アメダスとは異なる。

「日進」の観測データは15分更新でネット配信しており、自分でもしょっちゅうチェックしいてるのだが、1年分のデータ(気象データとしては短期間すぎるが)から年変化(12ヶ月平均の時系列)と日変化(毎正時24時間平均の時系列)を探ると、見落としていた傾向に気づかされる。

データ間隔は10分なのでアメダスより6倍高密度。
そのため、毎日の気圧の12時間周期(大気潮汐)をきちんと捕捉できる。

露点温度は相対湿度より降水との相関が高いことがわかり、また変動が気温の影響をうけないため、大気の「可降水量」(可能な最大雨量)の指標になるといわれていることが納得できた。

日射量は夏至のある6月が最大値を迎えるが、UVIndexは8月に最大値を迎えるのは例年の傾向だ。
紫外線率(UVIndex:日射の比)も8月が最大になる。
つまり日射(可視光・赤外線)は太陽高度に機械的に相関しているが、それより短波長の紫外線は太陽高度が下る8月がもっとも強いのだ。
その原因には、エーロゾル(大気浮遊物質)とオゾン層の変動周期が関連している。
UVケアは8月こそ念入りに!。 
ちなみにUVIndexが8(強い)を越えるのは5月〜9月の間。

体感温度の最高値は気温の最高値を出した日時と一致しなかった。
なぜなら体感温度は気温の他に風速と湿度に影響されるため。
冬季は風速、夏季は湿度の影響が顕著となることも確認できた。 
年間では体感温度が気温より低い月の方が多い。 

「日進」の定常風は北西風であることを確認。
この風は冬季に濃尾平野を疾走する「伊吹おろし」に相当するが、冬季以外にもふつうに吹いている。
もっとも夏季は南南東風が卓越する。
意外だったのは、北風は6月に最多だった(逆にみても6月の風向分布は北風が最多)。 
つまり6月(梅雨期)は夏季の卓越風とも定常風とも異なる風系に支配される(南岸に停滞する梅雨前線に向う風だろう)。 

以上の内容を含んだ分析を論文にした。
活字になるのは来年3月の予定(そうなったらこのサイトにPDFをリンクする) 。


エアコンの暖房を更に効率化

2017年11月17日 | 生活

天井近くに設置してあるエアコンは必然的に暖房効率が悪い(暖気は無条件に上昇するから)。

①そこで、まずはエアコンの吹出口をできるだけ下に向け、風速を最大にする。
つまり強制的に暖気を床面に向って吹き降ろさせる。
設定温度はたったの18℃だが、吹出口からは30℃以上の温風が吹き出る
(世間には設定温度=温風温度だと勘違いしている人がいるようだ)。

面白いことに、わがエアコン(三菱霧ケ峰)は風速を「自動」にするより「最大」にした方が消費電力が100Wも低くなる(この差はでかい)。

これは「自動」にするとファンの回転よりも発熱を優先するモードになり、「最大」にすると発熱よりファンによる暖気の送風を優先モードになるためで、消費電力は発熱>ファンの回転数による。

②ただ、エアコンの強風は直接床の冷気を吹き飛ばすほどには届かないので、床においたサーキュレーターをエアコンのセンサーに向けて最弱(20W)で稼働する。
こうすることで床の冷気が強制上昇され、エアコンからの暖気の強制下降と相まって、結果的に循環が成立して、床の温度がやがて天井並みの温度(設定温度+2℃)になるという寸法。

ただ、下降流の強制度が弱いこともあって、こうなるまでに結構時間がかかる(その間は床は冷えたまま)。

③そこで、秋葉で買ってきたUSBファンを床とエアコンの中間の高さになんらかの手段で固定して(本棚とカラーボックスの隙間に挟んでいる)、ファンを下向きにすることで、エアコンの暖気を加速させて床にまで届かせる。
90度もの下向きのファンって品物が存在しないので、小型のUSBファンに頼るしかない(USBコードをつないで長くする)。
これを使うと、床の方がエアコン口や天井より高温にすらなる(→そうなればエアコン設定温度をさらに下げられる)。

ただこうなるまでにまだ一定時間が必要で、最初に冷えた状態で床が暖まるまで、どうしても寒さを体験する。

④そこで、床に座面用の60cm四方の電気ミニマット(ホット座布団)を買い、最初にこのスイッチを入れる(最大で50Wなのでたいしたことない)。
実家の床暖房の快適さがわかったため、これを購入したのだ。
頭から暖まるより、足下から暖まる方が気持ちいい(頭寒足熱)。

もちろん、エアコンの暖気循環が成立して室温が高くなったら、電気ミニマットの電源を切り、ついでUSBファンも電源を切る(サーキュレーターだけはつけっぱなし)。

かくして、①〜④の措置によりすばやく床から暖まり、室温も効率的に高くなる(サーキュレーター、USBファン、ミニマット合わせても100w未満)。
最終的には設定温度を17℃まで下げても、①〜③で床上温度は23℃になる。
その間エアコンの消費電力は440Wをキープし、時たま0Wになる。 

→エアコンの設定温度を更に下げて、サーキュレーターを不要にする方法を発見→その記事へ


祝、(葡萄酒の)収穫祭!

2017年11月16日 | 歳時

食糧を得られることに感謝する「収穫祭」は、人類普遍の第一の祝い事たるべきだ。

我が国では「新嘗祭」なるものがあったが、いつのまにか「勤労感謝の日」とやらになってしまった。
すなわち我が国から大事な収穫祭が消された。

かくなる上は、海の外からもってくるしかない。
うれしいことに日付変更線のおかげで、我が国が真先に祝える収穫祭をゲットした。

ボジョレー・ヌーボーである。

フランスのボジョレー地方のワインの収穫を、縁もゆかりもない日本で、数時間先取りして祝ってしまおう。
どこであろうと酒は祝うために在るのだから。 

私は「ハロウィン」なんぞには冷淡だが(同趣旨の行事はお盆があるから不要)、”収穫祭”はなんとしても挙行したい。
とにかくワインの新酒を味わいたい。

別に日本酒の”荒走り祭”だってかまわないのだが、その祝いが存在しない。

だから、酒そのものの祝いを代表した今日の収穫祭こそ、ぜったいに外したくないのだ。

この日ばかりは、いつもの安いテーブルワインの数倍の値段にも躊躇しない。
今年は、ミディアム・ボディのちょっと渋めを買った。
ヌーボーらしいライト・ボディだと簡単に一本空けてしまう。

人類にとって、酒は所詮”薬物”の一種なのだから(酔うと人格が変わる人がいるように)、親しみながらも慎重さを失わずにつきあいたい。
とういことで、乾杯

 


大腸ポリープの検査結果

2017年11月06日 | 健康

先月16日の大腸内視鏡検査中に切除した直径10ミリほどのポリープについての精密検査結果を聞きにいった。

生まれて初めて、発ガン性が疑われただけに、私のみならず母までもが心配して、周囲に尋ねまわった。

行き先は近所の診療所なのだが、今日の曜日は混んでいて、ひどい時には2時間待つというので、
開院30分前に行ったら、既に行列ができていて私は5番目。

開院して名前が呼ばれるまでの間は、iPadminiを開いて電子書籍の読書。

いざ名前が呼ばれて、診察室に入る。

内視鏡検査も担当したその先生は、私の大腸内の画像を前にして、水筒から水を飲んでいた。

先生の前に坐った私に、先生は検査結果の書類を指さし、そこに記された文を読み上げる。

それによると、私のポリープは「線腫」の一種で、すなわち良性腫瘍。
ガンの検査結果としては「陰性」とのこと。

線腫といえども、放っておくと悪性化することもあるので、取っておいて良かったという。
ちなみに線腫ができる原因は不明で、特定の生活習慣に帰すことはできないという。
いいかえれば、今の生活習慣(飲酒を含む)を改める必要はない。 

来年は、検便を経ずに直接内視鏡をしましょうと、来年の検査を約束させられた。

というわけで、半月の間心の中に居座っていた”大腸ガン”の懸念から解放された。 

生活習慣は改めなくていいので、今宵は軽い祝杯といくか。


アーシングしてみた

2017年11月05日 | 計測

茶臼山カエル館の強い磁場をパワースポットと認定している私だから、”電磁波”を忌避していない。

ただ”計測マン”として我が身の体内電圧を測りたい流れで、
「アーシング」(電気を地面にアースすること)に接近し、確かに不要に帯電する必要はないと思ったので、3千円代のアーシングマットを購入した。

これはアースコンセント(日本の家には1,2ヶ所しかない)にアースコードをつないだマットを足に敷き、裸足で乗って体表(≠体内)の帯電を0にするというものだ。

幸い、東京の我が書斎空間内にアースコンセントがあったので、難なく設置できた
(たいていの家屋は洗濯機近くとキッチン、あと最近はトイレあるが、リビングにはない)。

直流電圧を測るため、テスターの黒コードをアースマットに付け、
赤コードを手に持ってスイッチを入れると、ある程度の値になるのだが、
両手はそのままで裸足の足をアースマットにつけた途端、値が0になった。

更に、書斎周囲はパソコンや卓上照明などの電気製品があちこち稼働中で、そこに電磁波計(テスラメーター)を近づけると、電場も磁場も一挙に高まる。
そしてアースマットに足をつけた私が、それら器具に手を触れた途端、電場も磁場も0になった。
そう、私自身がアース線(の延長)になったのだ!

というわけで、この製品きちんとアースが効くことがわかった。

ただ、だからといって身体が今までになく快調になることはない。
この製品のネットのコメントでは、いかにもプラシーボ効果といえそうな内容に満ちているが、
自分の身体状態にしても客観的な計測値で評価すべき。
私なら、体温、血圧、心拍変動、唾液アミラーゼ、加速度脈波、脳波、表皮温度(サーモグラフィ)、
それに尿糖などで計測できるが、そもそも主観レベルで変化がないので、測る気にならない
(体内電圧を測りたい!)。

なにしろアースされるのは体表電圧だから、金属を触ってビリってこない程度しか期待していない。
人間は、地面からつっ立っているだけで電位差を得ているし、
そもそも人間は細胞・神経レベルで電動式なのだ
(脳波や心電位を含む体内電圧が0になることは死を意味する)。

かくなる電動人間の一人として、私はもとから電磁波を忌避しない。 


システム3からシステム4へ

2017年11月04日 | パワー・スピリチュアル

瞑想がまっとうな心理的トレーニングとして心理学・精神医学の世界に受け入れられたのは、「マインドフルネス」が認知行動療法に取り入れられ、科学的なエビデンスや神経科学的実証研究においてその価値がみとめられたからである(瞑想は脳の構造的変化をもたらす)。

マインドフルネスは、私の「四重過程モデル」※におけるシステム3という心の4番目のサブシステム(システム0が起点だから)の発現に相当する。

そもそも既存の心理学が「二重過程モデル」で充足しているように、通常の活動においては、システム1,システム2の2つで足り、日常では敷居の高い(といってもリラックスして瞑想するだけだが)システム3を必要とはしない。

だがいったん、より高次の心理システムへの扉が開かれると、マズローの「自己実現への欲求」の目覚めに等しく、社会的適応の先を行く、その方向への志向が追究されることになる。
四重過程モデルを提唱した私自身がそうで、最近は自らの四重過程すなわち、システム0〜システム3の枠を超えた5番目のサブシステムである「システム4」の開発を志向している。

ただ、システム4は、科学的心理学の枠を超えてしまうので、すなわち科学的エビデンスや神経科学的実証性を得ていないので、心理学徒としては安易には語れないのだが、かつてのシステム3がそうであったように、ここにも科学的アプローチが延びることを期待している(私自身、客観的計測を試みている)。

※なので「四重過程モデル」(システム0〜システム3)を今後は「多重過程モデル」(システム0〜システム4〜)に改名する。

ではそのシステム4とは何か。
システム3が、既存のシステム1・2が無視した”純粋経験”を経験する、高度な受動性(気づき)を追究した心の超越(非日常)的状態であるのに対し、システム4はその方向性を反転して、潜在的能動性にもとずく超越的状態を作動させることである。
システム3で一旦否定された、システム2的な過剰な意味づけ(誤った信念)を反転し、それを「思い込み」の力として積極的に用いる。
もちろん、システム4はシステム3を前提としているため、日常的な誤った思い込み(バイアス、ヒューリスティックス)からは自由になっていることが出発点にある。
システム4はシステム1・2の日常レベルとは異なる次元の新たな”思念の力”を能動的に発揮する状態である。
その思念の力をすばりスピリチュアルな「サイコパワー」と言ってしまおう(したがって、システム3までは本ブログ記事のカテゴリーを「心理学」にしていたが、システム4の各論については「パワー・気」に入れる)。

私は現在、マインドフルネス瞑想よりも、もっぱら「」のトレーニングにとりかかっている。
後者の瞑想は、マインドフルネスのようなじっと坐って「受」に気づく静的な瞑想ではなく、いわばヨーガと同じく動的瞑想で、気を意識的に体内で巡らせ、あるいは身体動作を使って外気と内気との交流をするものである。
の感覚は受動的にやってくる(づく)のではなく、能動的に「そのになる」ことが必要である。
まさにこの点がシステム3でのベクトルを反転させることである。

システム3が仏教理論をベースにしているように、システム4もヨーガなどのインド思想をベースにしてもよいのだが、私は中国の気の理論をベースにしている。
気の理論は、人体においても経絡や経穴(ツボ)の分布など視点が詳細だし(チャクラも気の理論で説明できる)、外気についても説明原理があるので応用性が高い。
たとえばシステム3では仏教の第一原理である「諸行無常」観を得ることが、定常性に執着するシステム1・2の誤った信念を超越するために、目標となる。
それに対し、システム4では、システム3の結論である「事象は変化してやまない」を前提とし、では”どう変化するのか”を問題にする。
その変化理論が「易」である。
易は未来の特定点の状態を予言するものではなく、やまない変化の様態とそれに応じた対処法を示すもので、このダイナミズムを理解しないと、単なる「おみくじ」の類いだと誤解してしまう。

第二原理「諸法無我」も同様で、システム3で煩悩に満ちた個我への執着を解いたら、システム4では自我という現象を可能にするより根源的な”我”の作動を目ざす。
仏教でいえば、システム3はテーラワーダ仏教が中心的役割を果たすが、システム4だと大乗的な仏教が関連するだろう(ただし、無我論と霊魂論のせめぎ合いが発生する)。

だが、ここで無批判につき進まない。
あくまでも心理”学”として、人間の心のメカニズムを解明し、その機能を十全に実現するのが私の目的である。
科学的テストを受けていない既存のスピリチュアルな言説(易理論や仏教理論を含む)を無批判に採用するのではない。
それらの多くは、システム2による、ご都合よく理屈を辻褄合わせた「妄想」にすぎないものが多い。
ということは、それらを識別する眼がまずは必要であり、それにはシステム2の妄想力に距離をおけるシステム3の十全な作動(八正道の「正見」)が必要である。

たとえば、3千年の歴史をもつ易理論も現代化する必要がある。
陰陽の原理を現代物理学(たとえば電磁気力)と情報理論で再構成し、2千年前に結合された迷信的五行思想を排除すべきである。
現在最大6ビットである陰陽のビット数をさらに増やせば、説明原理は2の乗数に応じて詳細化できるので、素朴な物質論である五行思想は不要となる(「卦」の3ビットで、天沢火雷風水山地の8要素(八卦)になり、この時点で木火土金水の五行を凌駕している)。 

世の多くの人は、システム3に達していない状態で、すなわちシステム2の思考が心の最高レベルの状態でスピリチュアルな世界に接するため、システム3を超越した「システム4」と、システム3によって超越される「妄想的システム2」との区別がつかない(後者を前者と勘違いして走ってしまう)。
ということは、あまり性急に先走らず、まずはシステム2自体の常識的論理力を高め(このレベルで多くのインチキを見抜ける)、そしてシステム2的言語世界に距離をおくシステム3(マインドフルネス)をじっくり体験することが必要である。

システム4はシステム3の実現によって初めて可能となり、そのシステム3はシステム2の反省的思考によって創発されるのだから。

システム3の能力は人間なら全員持っているのは確かだし(ただしほとんどの人が実現していないのも確か)、
カエル館での経験から、少なくとも半数の人に、システム4の能力があると思われる。