今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

秋の七草?

2006年09月30日 | 歳時
2chの板に、ロート製薬が20代女性にアンケートした結果、半数近くが秋の七草それ自体を知らなかったという報告がアップされていた。
元の記事↓
http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20060930-97524.html

2chでの反応と同じく、私の感想も「だからなんだっての?」。
「春の七草」は人日(じんじつ)の節句にかかわる由緒あるものだけど、秋の七草は、春に対応させるためのこじつけ(万葉集の山上憶良の歌からもってきたけど)。
だから春の七草は”七草粥”という伝統行事として残っているけど、こじつけの秋の七草は何も関係するものがないので忘れられても当然。
作法家からみても取るに足らないトリビアな知識。
使えるのは、茶席の生け花くらい。

秋は七草より、重陽(ちょうよう)の節句の方が大事なんだよ。
明治政府の伝統文化破壊政策で廃止される前は、重陽が節句の中で一番重要だった。
重陽の節句では菊を飾る。
だから秋の花とは、七草とやらではなく(確かに花ではなく草だが)、格の高い”菊”なの。
秋の床の間にはまず菊を飾りましょう。


トリビアな知識を自慢したい人には、下の憶え歌をどうぞ(2chに載っていた)。
ただしトリビアっていうのは、自慢げに披露しても、尊敬されない知識だからね。

萩・尾花(ススキ)、葛に撫子・女郎花 藤袴また朝顔の花(キキョウ)

車は左、人は右

2006年09月26日 | 時事
保育園児の列に車が突込み、またしても、いたいけな幼児が死亡した。
2歳のかわいい盛りの甥っ子がいる私にとっては、他人事ではないくらい心が痛む。

飲酒運転の次は、(今どき)カセットテープをかけながらの運転がバッシング&取締の対象になるぞ、というのは2ch的軽口。
ただ自動車事故の本質は、業務上過失・危険運転そのもので、飲酒それ自体ではない、という事が明らかでしょ(9/14のブログ「飲んだら乗るな?」)。
シラフでも危ない運転する奴はいて、危ない運転(わき見・スピードの出しすぎ)それ自体の方が問題なのだ!(飲酒運転だけで即免職にすることにした自治体のやり方には疑問。飲酒したけど安全運転していた者はクビで、シラフでわき見運転して、人をひき殺した職員はおとがめなし??)。

今回の事件の場合、歩道のない道をスピード出して走る車が一番の問題なのだが、
歩行者も”走る凶器”に対して、無防備であってはならない。

無防備というのは、走る凶器に”背を向けて”歩くことそのものの事!
武術では、戦いそうな相手に背を向けない、のは初歩的常識。
ていうか、武術知らなくても、常識でしょ。
この常識を、走る凶器に対してもまずは適用すべき。

車が左側通行なら、人は右側を通れば、自分のそばを通りすぎる車が遠くから視野に入り、逃げるなどの防御態勢を早めにとりやすい。
だから昔から「車は左、人は右」って教わってきたはず(といっても、出発地と目的地が共に左側にあるのなら左側を通るのも仕方ないが。車道を横断することがもっと危険だから…)。
この話題の2ch のスレで、「団体で歩く時は、警察は左側を通るように指導する」とあったけど、本当なの? 
それが事実なら、その理由がわからない。

一方通行のような幅が狭い道路なら、どちら側を歩いても横断の手間はかからないから、意識的に車の運転席側を歩いた方がいい(車に対向する方向ではいつも歩けないから)。
運転者にとっては自分の右側の方が近いために、距離感の正確さは右側の方が高く、
一方、左手側は運転以外の動作空間のため、その動作につられてハンドル操作が左方向に流れやすいから。
つまり、左ハンドルの車は左側の方が右側よりぶつける危険が多いということ(データはないが、理論的にそういえる)。
歩行者の安全度の高い順に並べると、
前方車の左側>前方車の右側>>後方車の右側>後方車の左側
となる。
これを歩行者は頭にたたきこんでおくべき(今回の事故の犠牲者は後方車の左側歩行だった)。
ただ歩行中にケータイ画面見ていては、無意味なんだよ!
(”歩行ケータイ”は犯罪被害者にもなりやすい、第一級無防備状態)

ここでこの事故をふり返ると、保育園側に過失はないが、ベストではなかったといえる。
ベストな歩行とは以下のようにすること。
まず保育園から出た道のガードレールの歩道がある間は左側でよい。
次に公園に続く狭い道路を左折したら、できるだけ早めに、あるいは左折する地点で、
公園がある側の道路右側に横断した方がよい、ということ(ただ現地の状況が詳しくわからないので、そちら側が歩行しにくいのかもしれないが)。
歩道のない狭い抜け道では、背後からスピード出して来る車の右(運転手)側にいた方が確率的に安全だから。
園児一行がこの道の右側を歩いていたら…と思うと、でもそれは偶然に任せるものではなく、ちゃんと道理があることだから…。
次回からは、こうしてほしい。

ついでに歩行者が交差点で信号待ちする時も、立つ位置に気をつけよう。
なにしろ交差点というのは車同士の衝突事故の多発現場で、信号待ちの歩行者がそれに巻き込まれることも多い
(昨年夏、名古屋の棲み家のそばで、歩道上で信号待ちしていた女子中学生2名が、出合い頭の衝突車に轢かれて死亡)。
自分の手前車線の車の暴走から身を守る位置(ガードレールや電柱の後ろなど)に立つようにすること。

表情の乏しい人へ

2006年09月23日 | お仕事
休日の23日は勤務先の大学公開で、学科を代表して模擬授業をした(テーマは「非言語コミュニケーション」)。
(女子)高校生相手なのだが、受講者の中にひとりの中年男性がいて、講義の後、教壇の私の所に質問に来た。
その人は教師だといい(それなら大学公開の対象外かも)、自分の表情が陰気なため、生徒とのコミュニケーションがうまくいかない、どうすればいいのいか、という。
その時、他の質問者(女子高生)も待っていて時間がなかったこともあって、その場では、「表情だけでなく、身ぶりや視線など表情以外の非言語コミュニケーションも駆使すればいい」と思いつきの回答で済ませてしまった。
この安直な対応には自分自身不満なので、この場をつかってきちんと回答し直したい。

なぜなら、その講義でも述べたのだが、身ぶりや視線と表情とは伝える情報の種類が異なるのだから、実は代替は難しいのだ。だから表情の問題は表情で解決した方がいい。

まず、中年男性(私を含む)は、生物学的にも社会的にも人間の中では最も表情に乏しい部類に入る。
男はニヤけるのも、悲しむのもいけない、ムスッとしているべきという態度が身についてしまっている。
相談にきたその人も、陰気というよりは無表情という感じ(中年男性の表情として特別違和感はない)。
自分の感情(本音、弱み)を出さない生活が長く続くと、このような表情になるわけで、仕事一途の男性にはよくあるタイプで、仕事はできるが、対人関係的に心の交流がしにくい人(正直言って他人事ではない)。

まず、表情は顔の表情筋によってつくられるのだから、いつも同じ感情でいるとその筋肉パターンが固定化され表情癖となって、変化しづらくなる(たとえば口元がヘの字になって固まっている人は、その不機嫌な表情のために他人からは近づきがたくなっている)。
ならば、その”いつも同じ感情”に手を加えるのが根本的解決への道。
陰気な表情が固定した人は、持続している気分が陰気であり、いつも晴れ晴れしていれば、自然と陽気な表情になるはず。
じゃあ、どうすれば晴れ晴れした気分になれるのか。

根本原因としての自分の性格・生活環境・人生の難問などを変えるのは困難(だからその感情が持続している)。
そこで表面的な対処療法に目を向けてみる。
実は面白いことに、感情→表情という因果関係の逆も真なりで、表情が感情を左右することも可能なのだ。
つまり、あえて明るい表情をすると気分が明るくなることも可能なわけ(絶大な効果は期待できないが)。意識して表情をつくると、そのような気分の自分が頭をもたげる。
だから表情が固まっている人は、役者が日頃やるように、表情筋のトレーニングをするといい。
つまり眉・眼の周囲・口元の筋肉をそれぞれ大きくいろいろな方向に動かしてみる。
そして色々な表情を鏡の前でおおげさにやって、表情筋を動かしやすくするのだ。
さらにブロマイド写真を撮られることを想定して、自分のいちばんいい笑顔をパッと作れるように練習する。
その時、気分も多少は明るくなるはず。

対人関係場面では、相手の話の内容に応じて、意識して表情で反応するようにする(表情以外に声の調子も一緒に変化させる)。
これは共感性のトレーニングなのだが、驚く・感心する・笑うなどを豊かに演じてみるわけだ。明石家さんまのように。

と、この程度のアドバイスをしたかった…

卒業式でなぜ国歌?

2006年09月22日 | 時事
学校の行事で国歌斉唱時に起立しなかったため、処罰を受けたことに対する、都教員の訴訟が地裁で認められた。
すかさず、政府側それを批判し、都知事は控訴を決める。

私は、この争いの文脈がおかしいと思う(つまり双方に反対だ)。
まず、私は君が代・日の丸を拒否するサヨクには同調できない。
君が代・日の丸は国歌・国旗として問題ない。
国歌・国旗は国民のものであって、国家主義者の所有物ではない。

でも、なんで公立学校の卒業式で国旗を掲げて国歌を歌うのか、それがわからない。
理屈でいえば、市立学校なら市歌、県立学校なら県歌を歌うべきじゃない?
長野県人以外で、自分のふるさとの都道府県の歌を歌える人いる?

国歌とは国を讚える場面にこそ歌うもので、オリンピックやワールドカップのような国という意識が明確になる場面でこそふさわしい(実際、サポーターは自発的に歌っているでしょ)。
県立高校の卒業式は国を讚えるべき場面だろうか。その高校を存立させたのは県だよ。
これでは、地方自治を認めない国家絶対主義ではないか。
必然性のない場面で強制することは、かえって国歌・国旗に対する敬意を損ねないだろうか。

首相をはじめとする国家側では、国歌を歌わないのは愛国心のない者という発想をもっている。
私は、サヨクと違って、(現在の)国歌・国旗を拒否しているのではない。
それにふさわしくない場面で歌わせることの不合理が問題なのだ。
私は国旗を見つめ国歌を歌う時は、万感を込めて歌いたいのだ。
サッカーワールドカップで日本が優勝すれば、一緒に歌う。

愛国心がない人間などいない。
国家権力が愛国心(という名の政府への隷属)を強制することに反対なだけ。
愛国心は政府への支持ではなく、自然な郷土愛から生まれるからだ。
そして歌は心から歌うもの。
郷土レベルの行事なら、郷土の歌をまずは歌おうよ。
都知事なら、都立高校は卒業式に都歌を歌えと主張すべき。
この考えって突飛だろうか。

※補足、この理屈からいえば、国立学校なら、卒業式で国歌を歌うのは当然の理。国技大相撲での国歌も同じ。
あと、コメント氏やテレビでも言われていたけど、じゃあいつ国歌を教えるのかという問題は、正規の授業で教えるべき。国歌って卒業式で歌うためにあるわけじゃないでしょ。

胃検診

2006年09月20日 | 健康
自民党総裁の投票があった今日、職場では健康診断だった。
健康診断といえば、その前日は年に一度の半強制的休肝日となる。
胃検診のため、前の晩9時以降から絶食絶飲(検査時まで)という修行をさせられるから(それに前の晩飲むと血液検査でガンマGTPが高く出て、酒の飲みすぎと診断されてしまう。
もっとも前日の禁酒で数値が下がらなければ、本当に飲みすぎなんだろうけど)。

でも胃検診て、バリウム飲まされてあちこち幾度もX線を浴びせられる。
紫外線さえ浴びないようにしている自分としては、これはかなり嫌な体験だ。
ネットでの情報によると、胃検診で浴びる放射線量は自然に浴びる年間量の2倍。
ということは胃検診を受けた人は受けない人より、年間で3倍の放射線を被曝することになる。
これが毎年続くとなると…。

幸い、今年からか、胃検診は強制ではなく任意となった(胸部は強制)。
胃ガンが発見される確率と、確実に増える放射線被曝量。
ガンを発見するか、ガンになる確率を高めるかの二択だ。
どちらもその確率は低いが、確実性が高いのはどっちだろう。
検診が任意となったことをうがってみると、放射線を多量に浴びる危険をおかしてまで、ガンが発見されるメリットがたいして高くはないということか。

絶食に備えた夕食(2,3人分のゴーヤチャンプルー大盛に発芽玄米160g)を摂りながら、
テレビを観ていたら、「本当は怖い家庭の医学」で鈴木宗男氏が胃ガンになったという逸話をやっていた。
もちろん検診でガンが発見されたのだろうが、
その主原因は野菜不足だという。
自分は野菜は好きで食べているし(ゴーヤはビタミンCたっぷり)、ビタミンのサプリも毎日摂っている。
きっと大丈夫だろう。
今年はどうせ発見されないだろうという方に賭け、胃検診を受けるのをやめにした。

飲んだら乗るな?

2006年09月14日 | 時事
悲惨な事故を受けて、飲酒運転に対する(自治体などによる)厳罰化の機運が高まっている。
少数、いや単数意見として言わせてもらえば、事故の直接原因はわき見やスピード違反などの業務上過失(注意義務違反)そのものであって、
飲酒それ自体は本来は罪ではなく、罪を起こす可能性を高めることに過ぎない(睡眠不足や体調が悪い状態で運転するのと同じ。飲酒という行為自体ではなく、酩酊状態が問題)。
道交法では飲酒での運転(正しくは、血中アルコール濃度を測定された”酒気帯び・酒酔い”の運転)だけでも単独に”罪”となるから、その罪の発覚をおそれるために、
飲酒を伴った人身事故が被害者にとってはさらに危険なひき逃げに発展してしまう。
でも、無節操(無作法)な輩が起こす悲惨な事故によって、厳罰化の声が高まるのを抑えることはできない。

この話題をアップしようとした矢先、痴漢行為で捕まった人が「酔っていたのでわからない」と、よくある弁解をしているという(その後、「でっちあげ」に変更)。
記憶がなくなるほどの泥酔なら、まともに電車に乗ないはずなんだが、とにかくその本人が酒のせいにすることで、
「また酒か」という印象を世間に与える事は確か。
こうなると厳罰化の世論はさらに強まり、酒を「飲んだら電車にも乗るな」と言われそう。
2ちゃんねるではさっそく「禁酒法を制定しろ」という声もあがっている。
作法的に言えば、”無節操”(飲酒でいえば酔払い)が本質的問題であって決して酒が悪いのではない。
と言いたいのだが、この主張は全米ライフル協会の銃規制反対の言い分にそっくりなので、声高にできないのがつらい。

法律でかんじがらめにしないと、人は無節操になってしまうものなのか。
人間には、貴重な自由を満喫するために、自己規制するという礼節(節度を保つ=中庸=中道)能力があることは2500年前に発見されているはずなのだが。
人間て進化しないもんだなぁ。

肉の蝋人形

2006年09月07日 | 作品・作家評

8月24日のブログ「人類SOS」で、題名不明の気になる映画で『マネキン人形館』としていた作品は、
コメント氏の指摘通りヒッチコックの作品のようだ。
タイトルは『肉の蝋人形』。
子供の時は蝋人形なんて知らなかったので、デパートにあるマネキン人形だと思ってしまった。
それが、DVD発売されていることをネットで知った。
ホラーは元来は好みでないが、これは買おう。

案山子の映画の方は、ヒッチコックではないようだが、ネットで検索しても、
該当作品には出会わない。
他の案山子ホラーの作品がヒットしたが、ネットでの情報からみて観たいと思わない。
ミステリーゾーンのシリーズDVDも発売されていて、こっちは観たいのだが、枚数が大杉。

ついでに、レンタルDVDの自分の選択傾向から、自分の好みがはっきりした。
私の一番好きなジャンルは、”自然災害もの”。
その中では彗星や地震より(大津波のシーンは好きだが)、火山・竜巻がお気に入り。
「ツイスター」が一番かな。


鯛めし弁当

2006年09月05日 | 
”青春18きっぷ”5回目の使用で帰名(名古屋に帰ること)した。
18きっぷで東京から名古屋に向う時は、最初の乗換駅の”熱海”で駅弁を買うことにしている。
ここ最近は,ちりめんじゃこを飯の上にちりばめた「じゃこめし(弁当)」にしている。この駅の弁当の中で一番少量で(もちろんダイエットのため)一番安いから。
今回もそれを買うつもりで売店の駅弁群を眺めていた(ここでさっさと買っていれば、以下の展開はなかったはず)。

そしたら店のおばさんが、私が駅弁に迷っている客だと思ったらしく、「一番人気のある弁当がどれで、2番目は『鯛めし(弁当)』ですよ」とよけいな情報を言ってくる。
ただ、それを聞いて、「じゃこめし」より50円ほど高いだけで、量も同じくらいの「鯛めし」もいいな、と思ってしまった。
しかし、店の人に言われてそれに従うような主体性のない”御しやすい客”になりたくはないという反発心も出てきて、私は”自分が買いたいのはそれらじゃないんだ”と主張するように、「じゃこめし」をじっと見つめる。
一応、おばさんの助言も考慮にいれながら選んでいる、という素振りをみせる意味でもある。
でも、それがかえっておばさんに誤解を与えたようだ。
いまだ自分の食べる駅弁を決めかねて迷っている、優柔不断な客にみえたのだろう。
三番人気の弁当(キンメダイ寿司)を挙げてきた。

実は10日ほど前の前回の名古屋行きの時は、なんの躊躇もなく「じゃこめし」を買ったのだ。
だからこそ、同じ弁当を2回続けるよりは、今回は趣向を変えて、
量的にも価格的にも大差ない「鯛めし」にしようかという気持ちに傾いてきたわけだ。
しかも「鯛めし」は熱海を代表する有名駅弁であることも、子供の時分からこの温泉地に親しんできた者として、身をもってわかっている。
ただ、偏屈な自分としては、俗世間の人気番付などにはまったく興味がなく、その人気につられて買うなんて無思想な行動は断固したくないわけで、あくまで自分の内面的基準で駅弁を選びたいのだ。
しかし、おばさんの発した「鯛めし」という名に、次第に影響を受けつつあることはどうしても否定できない。

結局私は、2番目に人気があり同時に2番目に安い、その「鯛めし」を指さした。
敗北感を味わいながら。
なぜ敗北感かというと、自分の行動として、今回は「じゃこめし」ではなく、「鯛めし」にした方がいいことは確かであり、
それを気づかせてくれたのは、確かにおばさんお余計な言葉だったから。
この私が、おばさんの言葉にモロに影響を受けたしまったから。
これは自我の敗北である。
おそらく、おばさんは私のことを、優柔不断でたやすく言いくるめられる、主体性のない客の一人と思ったことだろう。

その敗北感にひとり苦笑しながら、鈍行列車の座席で「鯛めし」をかかえた私は(列車が動き出す前に弁当は開けない)、
次第にある種の心地よさも感じはじめていた。
敗北による心地よさが苦笑の本当の意味だった。
個人の内部でなされる思考というものは、
外部の他者の思考と共同でなされてしまうものなのだ、という、
いわば’思考の開放性’に今さらながら気づき、感心してしまったからだ。
自我にこだわるなんて、自分にとって狭量なのかもしれない。

列車は動き出した。
背後に消えていく熱海駅とともに敗北感は消え去り、
むしろ共同の思考によって、最適な駅弁選択ができたことに満足しながら、
私は、二番人気の熱海名物「鯛めし」を、思えば久しぶりにほおばった。

山根青春18きっぷの旅へリンク

9月の紫外線に注意

2006年09月03日 | お天気
9月になって、少しはすごしやすくなった気がする。でも最高気温は30℃を越える。
さて紫外線はどうかというと、私設「ひぐらし気象台」(東京)での2年間の10分おきの観測によると、
9月10日頃までは、UVindexが8.0(外出を控えるべき値)を越える可能性がある。
9月になると太陽の角度は4月から3月下旬並みに下がるけど、
上空のオゾン層が一年で一番薄くなる季節に入るので、
地上に到達する紫外線量は、太陽高度が同じ春よりも多いのだ。
夏が終わったと思って、ケアを忘れないように。