今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

ボクと呼ぶ男

2012年11月30日 | 雑感
あくまで個人的な感想だが
いい歳をした大人の男が、公の場で自分のことを「ボク」と呼ぶことに違和感を覚える。
少なくとも、彼の出身地は東京ではないだろう。

私が生まれ育った東京では、男の子は幼稚園くらいのときは「ボク」と呼ぶ(周囲の大人からもボクと呼ばれる)。
それが小学校高学年くらいになると、仲間うちでは「オレ」と言うようになり(今小3の甥っ子がまさにそれ)、
まだ「ボク」と呼んでいるようなヤツは、ママから乳離れができていないガキ扱いされはじめる。

中学・高校時代は、一番言葉が粗っぽくなる時期で、この頃、周囲で「ボク」と言ったヤツの記憶はない。
そしてハタチ近くなると、さすがに、人前では「私」を使うようになる。
「私」こそ、公的な自称詞だと思っている。
自称詞にジェンダー(性別)は不要だし。

なので、東京の人間にとっては、「ボク」は半ズボンをはいた小さい男の子の自称詞であり、
少なくとも長ズボンで通す年ごろになれば使わない。

ところが、大学に行った時、中国地方出身の男が当初は「ワシャ~○○じゃけん」と言っていたのに、
1年後は「ボク○○だからさー」と喋っていたのには驚いた。

なるほど、幼い時「オラ」とか「ワシ」とか言っていた人たちが、大人になったら「ボク」を使いたがるのか。
彼らなりに”シティボーイ”を気取っているのかな。
私には”幼い”シティボーイに見えてしまうのだが。

作法の講演

2012年11月27日 | お仕事
愛知県内の高校から、講演の依頼が来て、
今日、講演をした。
対象は高校生ではなく、教員と保護者。

作法の模擬授業ならば、実技が主になるのだが、
講演だと当然話だけとなる。
テーマが「公共のマナー」ということと、大人相手ということで、
ともに馴れないので、やりにくさを感じた(大人って作法に興味もたないから)。
それでもプレゼン画面を作成し、いざ本番に望もうと会場に行ったら、
なんとそこは市民小ホール。
舞台があって劇場の造り。
私は1人、舞台に立って、しゃべることになる。
場慣れしないのと、内容が初めての構成のため、
かなり緊張してしまった。
それでも一番心配だった、時間配分はうまくいった。
大学の営業ではない純粋に外部からの依頼なので、講演料もいただいた。

来週は大学での防災の講演。

行きそびれた立川に

2012年11月25日 | 東京周辺

楽しみにしていた高校の同期会に行きそびれた翌日、
早起きして富士山の奥庭に行こうと思っていた今日25日なのだが、
明日が雨ということなので、洗濯と家のイルミネーションの取付けを優先しなければならず、
快晴の午前中は家にいた。
すなわち今日は富士に行きそびれた。

その代りに紅葉でも見に行こうと、
立川市にある昭和記念公園に行った。
ここに行きたかったわけではないが、都内にしても少しは遠出したかったから。

立川といえば、東西に長い東京都(島嶼を除く)のど真ん中に位置する。
しかも中央線と青梅線の分岐点。
秋川高校に居た者としては、ここは一番近い都会だった。
でもついぞ立ち寄ることはなかった…。
そう、実は立川こそ、この数十年行きそびれた街。

昭和記念公園は連休最後の快晴の日曜なので、混んでいた。
銀杏並木は葉が落ちている最中で、都心よりも少々早かった(上写真)。
ただしカエデは半分ほどの色づきでもう少し先の感じ(右写真)。

せっかく立川に来たので、長年行きそびれていた普済寺に足を伸ばす。
中学以来、武蔵野の散策が好きだったのだが、
国宝の六面石幢があるこの寺を含む立川にはこれしかないので、
あえて行くほどでもなかったのだ(国分寺や日野との違い)。

境内奥の崖の上の堂内にあるその六面石幢を外から見学。
国宝というだけに、歴史的価値だけでなく美術的価値も高い。
崖の上からは、真っ白い富士が望める。
少し悔しい。
でも、中学以来40年ほどずっと行きそびれていた普済寺を、
今日訪れたことの方が意味あるかもしれない。


暖房時にはサーキュレーター

2012年11月21日 | 生活

冷房時にサーキュレーターで室内を撹拌することはかえって逆効果であることは、
このブログで詳細な実測(室内のあちこちに設置した温度計と電力計による)にもとづいて立証済みのことだが
(実測にもとづかない理屈だけの反論は無意味)、
同じ論理で、暖房時にはサーキュレーターを使わないことは著しい非効率であることも言をまたない。

すなわち冷気が逃げない足下を暖めるために、必要以上にエアコンの設定温度を高くして、
天井部を不必要に高温にしてエネルギーを浪費している。

私の部屋では、天井近くにあるエアコンの暖房(450W前後)の設定温度は18℃にしてある。
それをONにして、サーキュレーターを使わないままだと、
エアコン吹き出し口近くと、自分がいる場所の床から20cmの所(以下、居場所)の温度差はあっという間に3℃になる
(同時に二ヶ所測れる温度計による)。

そこで床に置いてあるサーキュレーターのスイッチを入れる。
風向はエアコンの口に向けている。
ただし風の強さは最弱(20W)。

まずはエアコン口の温度が下がっていく。
床付近の冷気がエアコン口に向かっている証拠だ。
そして時間はかかるが次第に、居場所の温度が上がっていく。

最終的に、エアコン口も居場所もともに20℃を越え、ほぼ等温になる。
室内の撹拌が成功した証拠。

生気象学的に、室温を20℃以上にする必要はまったくない
(不必要に室温を上げると、不必要に乾燥を促進する)。
エアコンの設定を18℃にしたのは、室内の居場所の気温を20℃に保つための試行の結果。

エアコンの稼働はサーモスタットにより最小限となり、サーキュレーターもつけっぱなしだが最弱なので、
消費電力はたいしたことない(エアコンの1/20以下)。
サーキュレーターを使わずに、エアコンの設定温度を上げて暖房をガンガンかけるより、ずっと消費電力が少ない。

この事実は、夏の冷房にサーキュレーターの併用がかえって無駄になることも証明している。
ちなみに使用しているサーキュレーターの価格は2500円程度。

※2018年現在、同じエアコンの暖房で、風向を真下に、風速を自動にするだけで、部屋の撹拌ができてサーキュレーターは不要になった。
というこでサーキュレーターは夏はもちろん冬も要らない。 


小牧の温泉にいる

2012年11月19日 | 温泉

推薦入試で日曜出勤した昨日から、小牧市の温泉ビジネスホテルに泊まっている。
この書き方は、まだホテルに居ることを意味しているわけで、
なんと出張でもないのに二泊するのだ(月曜は出勤予定なし)。

もともと、論文原稿の仕上げのための”お篭り”予定で予約したのだが、
早めに仕上がったので、お篭りではなく”慰労”に名目変更。

慰労ならちゃんとした宿にしたい気持ちもあるが、
今回の論文のお篭りだけで、浜名湖、恵那峡と二ヶ所泊まった(計3泊)ので
(しかも恵那峡では松茸と飛騨牛)、
近場で安いビジホながら、まったり天然温泉に浸かって(等張性なので浸透性がいい)
労を慰めたい。
ということもあり、狭いシングルより、ちょっと広めのダブルを独り占め(1泊につきほんの500円増し)。

ここはビジホだから食事なし、というわけでなく、
夕食こそ居酒屋で注文だが、
朝食はその店でのバイキング(それなりに種類がある)。
夜の居酒屋も当然ながら料理の種類が多いし、普段は1人で居酒屋に入ることのないこともあり、これはこれで楽しい。


付け焼き刃の作法:椅子はどちら側から入る

2012年11月18日 | お仕事
推薦入試2日目。
今日は、公募制推薦。

採点項目ではないが、受験生の作法で気になった点は、
入室して椅子に座る時、わざと遠回りして、あえて”左側から”入ろうとする受験生が複数いたこと。

この動作の根拠は知っている。
以前、推薦入試で入学した学生に尋ねたら、高校の先生から「椅子は左側から入るもの」
と教わったという。

そのような作法は、作法書をくまなく探すと見つかる。
テーブルマナーの所に。
正餐会の長ーい食卓に座る時は、左から入ると書いてある。
着席するためにテーブルにしまってある椅子を引く必要がある
(椅子を引いてくれる給仕がいない前提)。
片手で椅子を引くためには、体を椅子の真後ろではなく、左右のどちらかに立つ必要がある。
ある人は右、隣の人は左に立とうとすると、体がぶつかってしまう。
なので、互いにぶつからないように、皆同じ側に立つことにする。

なら右と左、どちらがいいか。
どちらでもいいのだが、
どうせなら椅子を引くのは利き手(作法では”右手”が前提)だから、体は左側に立つのが自然。
そういう理由で、テーブルマナーの箇所に、左側から入ると書いてある。
決して、面接の場面にではない。

作法とは、作法学の用語を使えば、
条件+行為+機能+評価の4項の特定の連結からなる命題で、
条件が変われば、他の3項も別個の項目が選択されるもの。
つまり「いつ何時も」という作法は存在せず、「時宜によるべし」が実体なのだ。

作法的行為を固定化するのは、作法を無機能(無意味)な単なる”形式”だと思っている人。
内心で作法を軽蔑している。
本当の作法を理解していない自分に気づかずに。

自分用の1脚だけしかない椅子に座る場合、
どちら側から座るか、
出入口から近い方、すなわち下座側から座る。
オフィスや学校では自然とそうしているはず。
すなわちデフォルトの所作なので、作法書にはあえて記す必要がないわけ。
そもそも面接会場の椅子は、引く必要がない!

だから、先生はまったく別のシーン(条件)から作法を探してくる必要はなく、
むしろそうすることは作法的に間違いをおかす危険を知ってほしい。
結婚式での作法を、葬式の所から見つけるようなものだ。

そもそも、「私は作法通り振る舞っていますよ」ということをアピールするために、
不自然に余分な動きすること自体が、かえって不作法であることを
作法を付け焼き刃的に身に付けた人に対する警句として、小笠原流礼法は次の歌で教えている。
「躾けとて、目に立つならばそれも不躾」

必要最小限の動きこそ、美しい所作だという美的視点を、まずは取り入れてほしい。

これが正しいお辞儀姿勢

2012年11月17日 | 作法

推進入試では面接を担当する。

受験生は、高校で指導を受けた付け焼き刃の作法で入室する。
でも、それが間違っているんだよな。
つまり高校の先生の作法の知識が付け焼き刃。

正しいお辞儀を明確に示した作法書を紹介する。
小笠原清忠氏の『小笠原流礼法入門』 (ハースト婦人画報社)。
表紙がいい(下に示す)。

皆さんだって、実は、下図左側の正しいお辞儀を学校(たとえば小学校)で習ったはず。
「気をつけ、礼、休め」という朝礼での号令がそれ。
礼(お辞儀)は”気をつけ”の畏まった姿勢でするもの。
手を重ねた”休め”の姿勢でやるものではない(下の×印は、通常の休め姿勢。両手を背後で重ねるのは軍隊式の休め)。
簡単な文法でしょ。
学校の先生は正しいお辞儀を教えられる位置にいるのだが…

それをどこぞの作法知らずの「ビジネスマナー」が下図右側の誤った姿勢でのお辞儀をひろめている。
それをひろめた人はまともな立礼姿勢(気をつけ)ができなかったのだろう。
悲しいことにNHKのニュース番組のオープニングに女性キャスターがこの姿勢で礼をしていた(NHKは食事の時に”合掌”もさせている)。

今日の受験生で、正しいお辞儀ができたのは1人だけだった。
浅薄な世間に惑わされない家庭の品性がうかがわれる。


今年度の”仕事”完了

2012年11月16日 | お仕事
論文原稿を提出した。
年2本という自分に課したノルマを達成したので、
これで今年度の研究者としての”仕事”は終わり。

もちろん、教育者としての業務は残っている。
というより、今後はそちらに専念。
なにしろ、卒論指導が山場にさしかかっているし。

そして業務上の懸案事項も次々に解決している。
すなわち、プレッシャーがたまりかけて減っていく。

今後は、自分の教養の裾をひろげる読書にいそしめる。
読みたい本が列をなして待っている。
まずはそれらを電子化しなくては。

おっと、その前に明日から推薦入試2連チャン。

新酒祭に乾杯

2012年11月15日 | 歳時
生きることとは、時を堪能すること。
人間は、時の節目を儀式で迎えることで、時とともに在ることを感謝してきた。
とりわけ、われわれの生存価を高めてくれる飲食物の収穫は、もっとも感謝に値する。
それが新酒となれば、祝祭の高揚感は更に高まる。

ボジョレー・ヌーボーの栓を地球で最初に開けることができる今日
はるばるフランスから来た新酒を堪能する。

ワインが日常の酒となった今、
というか、赤ワインが最もおいしい酒であるという結論に達している私にとって、
日ごろは安い国産のテーブルワインで満足していても、
この日はおおいに便乗して楽しみたい。
おいしく酒が飲めることがうれしい。



祝杯の理由

2012年11月12日 | 生活
先月から週末ごとに私を懊悩・呻吟させていた論文の原稿が仕上がり、
後は印刷して提出するだけの段階までもっていった(締切一週間前)。

理論的探求なので、
主題だけを決めて書き始め、結論は未定で”論理”の展開にまかせる。
目的地を定めない船出のようなもの。
これが懊悩・呻吟の原因。
実際、袋小路に陥ることもあった。
しかし、”論理”は、私の思考の不備を明らかにし、また予想しなかった方向にもっていってくれる。
それによって、理論がより洗練され、新しい視野さえ開けてくる。

このような作業によって仕上がった原稿は、思考の苦闘の結晶。
苦しかっただけに、達成感よりも、解放感の方が強い。
なにしろ今年最大のプレッシャーから解放されたから。
今年度の後に残るは、定型的(思考を使わない)な”業務”だけ。

そして今日は、10日ほど入院していた5歳の姪(乃の佳)が退院した。
昨日、原稿のメドがついたので、初めて見舞いに行ったら、とても喜んでくれた。

さて、原稿を仕上げた国会図書館を日中に出て、秋葉で買物をし、
駅構内のQBハウスで散髪して、頭も気分転換。

空の雲がなくなったので、近所の谷中富士見坂に「ダイヤモンド富士」を見に行くことにした。
昨日と今日は、ここから見える富士の山頂に陽が沈むのだ。
昨日は雨天だったが、今日は夕方になると雲がなくなるほどの晴天になった。
これはラッキー。

富士見坂の上は人でぎっしり。
私が着いた時は、ひと足遅く、日没直後だった。
でも富士の輪郭が金環食のようになって輝いていた(上写真)。
いいものを見ることができた。

ということで、今夜はエビス・プレミアムで祝杯!

日本にとってのオバマ再選

2012年11月07日 | 時事
オバマ大統領が再選された。
そのNHKでニュースが流されると、その続きに、
福井県小浜市の歓喜の映像が流れた。

”市民の会”とかが、大喜びしている。
そして”オバマまんじゅう”が振る舞われたとか。
笑いを通り越して、悲しくなった。
小浜市民にというより、NHKに対して。

日本人にとってオバマ再選の、これがニュースになる反応なのか。
シャレですますべきことは、少なくとも全国ネットでのニュースではないでしょ。

完成のメドが立つ

2012年11月05日 | お仕事
週末帰京して連休中も図書館に通い詰め、ひたすら論文の原稿を進めた。
本来なら秋の行楽シーズン、富士の「奥庭」に紅葉と新雪を見に行く予定だったが、
論文に手間取っていたので、それは延期。

この論文、浜名湖と恵那峡の2ヶ所の宿を使っての
懊悩・呻吟しながらの”お篭り”でも埒があかなかった難物。
手間取った理由は、
①2本目の原稿なので、1本目の原稿が仕上がってから着手するため準備期間が短い事。
②執筆期間と授業期間が重なっているので、平日はまったく手がつけられない事。
③そして内容的にも、機械的作業部分が皆無で、
0から文章・論理を展開しなくてはならない手間もある。

今回の図書館通いでも埒があかなかったらたいへんだと、
3度目のお篭りを今週末に計画し、
といっても旅費を使いすぎているので今回は名古屋近辺のビジネスホテルなのだが、
2泊の予約まで入れた。

でも、今日、なんとか原稿の末尾まで、一通り書き上げた。
すなわち、論文としての論旨(序論、本論、結論)が通ったアウトラインが仕上がった。
どうなるか自分でも予想できなかった”結論”に達することができた。
午前中からやり始め、最後は夕方5時を過ぎて、頭がクラクラ。

後は、細部の文章の推敲ですむ。
ここまでくれば、お篭りは必要ない。
早速、ネットで予約をキャンセル。

むしろ今週末はビジネスホテルの外食ではなく、
再び帰省して、ちゃんとした手作りの夕食を食べたい
(可能なら「奥庭」にも行きたい)。

地上天気図ではわからない

2012年11月05日 | お天気
中国万里の長城で日本人観光客の遭難事故があった。
場所は、標高2000m級の山岳地帯。
当日は、北京など季節外れの大雪。

事前にわかっていたら、強行しなかったろう。
問題は、事前にわかるすべ。

今回の大雪、季節によっては異なる現象になるので、
一般に「擾乱(じょうらん)」という。
この擾乱、地上天気図だけでは絶対に予測できない。

まず、事故後の本日の天気図を掲載する(右図)。
渤海湾付近に1012hPaの小さな低気圧がある。
その東の1014hPaの低気圧には前線があるので、
こちらはそれなりに影響がありそうだが、
1012hPaの低気圧は、前線もないのでたいしたことなさそう。

ところが上空300hPaと500hPaの高層天気図をみてほしい(図:原図はもっと大きい)。

渤海湾の上に、巨大な低気圧がある。
実は地上の1012hPaの低気圧は、上空の巨大な低気圧の痕跡にすぎない。

この上空の強い低気圧を「寒冷渦」(かんれいうず)という。
中心に寒気核があり、かなり閉じた円になっているため。

この寒冷渦があると、地上は大荒れになることがわかっている
(寒冷渦が東進して、日本も荒れた天気になるぞ)。
ただ、「わかっている」のは、気象関係者だけ。
だから、天気予報では荒天とされるはずだが、
地上天気図は読めるが高層天気図は読めない登山愛好家などは、
ちょっと天気が悪化する程度でたいしたことなかろうと自分で判断してしまう
(今回の遭難者はツアーなので、ツアー側が判断すべき)。

高層天気図は、ネットのサイトで誰でも見ることができる。
iOSアプリでいえば「気象天気図」がお勧め。
なので、誰でも、知識さえあれば、判断することができる。
機会あるごとに、高層天気図の重要性を訴えていきたい。

電子書籍リーダーをチェック

2012年11月03日 | 時事
秋葉のヨドバシに、電子書籍リーダーを見に行った。
すなわち、タブレット端末でない、単機能としてほしい。
なぜなら、今持っているiPad2は閲覧専用としてはパソコンよりいいのだが、
リーダーとしては重くかさばるので、専用機がほしくなったから。
ちなみに私は自炊派なので電子書店は不要で、
自炊したpdfがクラウドから読めればいい。

まずは、ソニーのReader。
軽く小さいのがいい。
だがそれなりに画面も小さく、表示範囲は文庫本1ページ弱。
これでは画面切り替えが頻繁になるが、
その切り替え機能がiPadユーザーからみると侘びしすぎ。
それに思っていたより文字が見にくい(期待が高かっただけにチェックが厳しい)。
値段も安くなったので、第一候補だったのだが、ちょっと躊躇。

その並びに楽天のkobo(最安値)があったのだが、なぜか画面を触っても操作できない。
見た目はソニーのと変わらないのに、これでは候補にできない。

次にNexus7を触った。
価格.comで高評価だったヤツ。
期待は高かったのだが、
可もなく不可もなく、まったく無個性。
3歩あるいたら、存在を忘れそう。
逆に言えば、こいつを評価の基準にしていいかも。

そしてiPadmini。
一番の人だかり。
これまで見てきた機種より重さはある。
だがネックになるほどではないかも(長時間持ち続けて評価すべき)。
なにより、機能はiPadと同じなので、何ができるかわかっているのがいい。
画面はRetinaではないが、解像度はiPad2より高いので文字は見にくくはない。
画面が7.9インチあるので、横置きにして2ページ見開きも可能。
やはりアップル製品は所有欲を駆り立てる。

最後に新しいiPodtouch。
今使っている旧機種より画面が縦に広がり、
Retinaになったので、それなりに閲覧もしやすくなった。
表示範囲はソニーと大差ないかも。
もしかして私にとってはこいつがベストチョイスかな。
iPad並の多機能でしかも軽い。

専用機だと持ち運ぶ機種が1つ増えてしまうが、touchだと増えないし
(もともとiPadは持ち運ばない)。