ホリエモン的な生き方を支持している(いた)人がいるようだが、
「法に違反していなければ何やってもいい」という生き方自体が、まっとうな人たちに損害を与えてしまうことを知ってほしい。
たとえば、「ご自由にお取りください」というサービスでティッシュを置いていたとする。
するとホリエモン的人間はそれを全部一人で持っていってしまう。
するとそれに懲りた提供者はサービスをやめてしまう。
あるいはちょっと気分をハイにしてくれるナチュラル・ドラッグを、法で規制されていないからといって、摂りすぎて大暴れして、社会問題化させて、結局法で禁止にさせてしまう。
人の節度を無視する無節操な輩によって、サービスは低下し、法規制が厳しくなる。
つまり人々の自由は狭められ、善意・厚意の行為がバカをみる。
このように、世の中を住みにくくしている社会的な罪を犯しているのだ。
この点で自販機を荒らして、町から自販機を撤去させる犯罪者と同じ。
健全な資本主義(というのがあるとして)において、前提とされるのは、公共意識をもった市民としての「節度」である。
何を隠そう作法(マナー)が求めているのも、この節度である。
法に違反していなくても、マナー(節度)に違反してはいけない、というのが伝統的社会の掟だったのだ。
節度があるからこそ、法的規制に縛られず自由を謳歌できるんだから(孔子が理想としたのはそういう社会)。
無節操な輩は、性悪説(韓非子)に立って国民をガチガチに法規制するファシズム強権を呼び寄せてしまう。
だから彼らは金融資本主義や規制緩和のヒーローなんかではなく、そこにいてはいけない存在なのだ。