今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

無節操の罪

2006年01月26日 | 作法

ホリエモン的な生き方を支持している(いた)人がいるようだが、
「法に違反していなければ何やってもいい」という生き方自体が、まっとうな人たちに損害を与えてしまうことを知ってほしい。
たとえば、「ご自由にお取りください」というサービスでティッシュを置いていたとする。
するとホリエモン的人間はそれを全部一人で持っていってしまう。
するとそれに懲りた提供者はサービスをやめてしまう。
あるいはちょっと気分をハイにしてくれるナチュラル・ドラッグを、法で規制されていないからといって、摂りすぎて大暴れして、社会問題化させて、結局法で禁止にさせてしまう。

人の節度を無視する無節操な輩によって、サービスは低下し、法規制が厳しくなる。
つまり人々の自由は狭められ、善意・厚意の行為がバカをみる。
このように、世の中を住みにくくしている社会的な罪を犯しているのだ。
この点で自販機を荒らして、町から自販機を撤去させる犯罪者と同じ。

健全な資本主義(というのがあるとして)において、前提とされるのは、公共意識をもった市民としての「節度」である。
何を隠そう作法(マナー)が求めているのも、この節度である。
法に違反していなくても、マナー(節度)に違反してはいけない、というのが伝統的社会の掟だったのだ。

節度があるからこそ、法的規制に縛られず自由を謳歌できるんだから(孔子が理想としたのはそういう社会)。
無節操な輩は、性悪説(韓非子)に立って国民をガチガチに法規制するファシズム強権を呼び寄せてしまう。
だから彼らは金融資本主義や規制緩和のヒーローなんかではなく、そこにいてはいけない存在なのだ。


帰国しました

2006年01月04日 | 生活
予定通り2日の夜に帰ってきた。
その晩はうどんを食べて、風呂に入った(この日本的な生活がうれしい)。
3日は昼過ぎまで寝て、夜元気になってから再び一家が集まって正月祝いをした。
4日も昼過ぎまで寝てしまい、まだ時差ボケから回復していない感じ。
午後は目黒の五百羅漢寺にあるわが家の霊廟に帰国報告と正月参拝。
明日は名古屋に帰る日。それ以降は日常の日々が始まる。
イタリア旅行がすでに過去になっているとは…。時がたつのが早すぎるなぁ。
イタリア滞在記は名古屋に帰ってからまとめる。

イタリア滞在記9:元日

2006年01月01日 | 
2006年1月1日。雨
イタリアで向えた正月。元日はこちらでは大晦日のパーティ後の寝坊する休日で、もう2日から平常に戻る。
われわれも今夜から2日の夕方(日本時間)まで機上の人となるので、元日・2日はあってないようなもの。

せっかくだから正月の朝は日本式でやる。
日本からもってきた日本酒でお屠蘇の儀を式三献(三三九度)で行なう。
また日本から持ってきた餅で、これまた日本から持ってきた椎茸入りのすまし汁の雑煮を杉箸で食べる(写真:ダニエレとブルーノも箸を使える)。
次に出てきたのはイタリア人も日本人も大好きな「明太子スパゲティ」という折衷料理(明太子はイタリアでは貴重品)。

べつに年賀状も来ないので、あとすることは荷造りしかない。
この家からの土産にグラッパとオリーブオイルと家でとれたアーモンドなどをもらった。これらのもらった物や買った物を入れても、行きの味噌・醤油・餅などがないので荷は軽くなった。

外は雨なので少し早めに皆で空港に向かう。
途中事故渋滞に巻き込まれたが、空港に着いて、チェックインをすませ、カフェで時間をすごす。
「次回は家の整備もすむのでゆっくりできるよ」と言われると、あちらの甥っ子ダニエレは「今度は僕らが日本へ行く番だ」と反論。
彼は日本食が大好きで秋葉原でゲームソフトを見るのが楽しみなのだ。
そう、ここのメンバーは互いに行ったり着たりしているので、年に一回は誰かとは顔を合わしている。

あとは、出国手続きの前でさよならするだけ。
お世話になった感謝の気持ちを口で表現しきれない。
一人一人をハグして別れの挨拶。この時になってはじめて柊ちゃんがブルーノのスキンシップを難なく受け入れた。
その後柊ちゃんは、日本に帰ってから「ブーチャン」と言い続けた(寝言でも)。
あと1日でもイタリアに居れば…、いや、今度会う時は、大丈夫だ。
そちらを楽しみにしよう!