今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

レーザー放射温度計のすごさ

2013年05月30日 | 計測
「放射温度計B レーザーポイント機能付」を購入した。
暑くなる時期、室内の鉛直温度分布を座った位置から細かく測定したかったからだ。

この温度計のレーザーはあくまで測定先をピポイントで確認するためだが、
肝心のセンサー部分はどこまで届くのか。
他の赤外線温度計(サーモグラフィ)では、雲底温度も測れるらしい。

この計器ではどうかと思い、
頭上の曇天の雲底に銃口のようなセンサー部分を向けて、
引金状のスイッチを押すと、「17.8℃」という温度表示が出た。
ちなみに地上の周囲の気温は21.5℃。
わが私設気象台の露点温度から雲底高度を計算すれば、
地上から雲底までの気温減率が計算できる。
これは楽しい。

雨が明けた今夕。
頭上の青空に放射温度計を向けてスイッチを入れてみた。
すると値は「-45℃」。
「これはすごい!」と思わず叫んだ。
上空12000mの230hPa面近の温度だ(浜松のエマグラムで確認)。
成層圏近くまでセンサーが届いたらしい(ちなみに測定できる低温限界は-60℃)。

これを使えば山麓から山頂の山肌の温度も測れるかもしれない。
火山も測り甲斐がある。
箱根の大涌谷で測ってみたい(測定できる高温限界は500℃)。

紫外線はいつ強いか

2013年05月26日 | お天気
太陽からの紫外線の人体への影響量の指標であるUVindexの値は、
太陽光の入射角度・日射量と対応している。
もちろん、一年で最もUVindexが強いのは、”理論的”には夏至の日。
ただ、北半球のオゾン層の増減の季節効果があるので、5月より、7-8月の方が紫外線量が多い。
これはUVindexの実測データをもっていないテレビの”気象予報士”には分っていない事。

天気番組では、いまだに「非常に強い」のような定性的な表現をしているが、
放射線量と同じく、人に定量的判断をさせるために、いいかげん数値で伝えるべきだ。
私の私設「ひぐらし気象台」(東京)と「日進気象台」(愛知)ではUVindexを常時配信している
(「星が丘気象台」では故障中)。

それによると、東京でも愛知でも、UVindexの日内最高値は11:30頃となる。
なので、11時と12時の値はほぼ等しく、10時と13時、9時と14時、8時と15時、7時と16時がほぼ等しい。

ということは、朝と昼の間の”午前中”は”日中”と等しく、
午後3時以降は朝の”始業前”に等しい。
なので、夏に向っては、屋外での活動は午後3時以降にすれば、早朝と同レベルの紫外線量ですむので、お勧め。

竜巻から身を守るには

2013年05月23日 | 防災・安全

アメリカの巨大竜巻(トルネード)の被害はすさまじい。
日本も対岸の火事ではなく、2012年の5月につくば市で被害が出た。

テレビでは、気象や防災の専門家が、
竜巻がきたら「家の中の安全なところ、たとえばバスタブに隠れるように」と言っているが、
ちょっと疑問だ。
まずアメリカのバスタブは堅くて重い陶製で、それが地中からの水道管とくっついているが、日本のは違う(上からプラスチックカバーが貼付けてあるので、それと一緒に飛ばされる)。
それに日本の家屋では、トイレや浴室が家の中央部ではなく、壁側にあるため破壊されやすい。
そもそも、つくば市の死者は室内での被害だし、
アメリカでも建物が崩壊して死者がでた。
日本の家に竜巻用の地下シェルターは無い。

竜巻が接近しているのがわかったら、まずは進行方向の直角方向に逃げるべきだ。
つくば市のように南から来た場合は、西か東に逃げる。
実際今回の竜巻では発生からムーア市来襲まで20分以上あり、
多くの住民は竜巻をビデオ撮影する余裕すらあった(つくば市の竜巻の時も同じ)。

竜巻は目視できるし、進行方向は一直線であることが多い(たとえ曲ったとしても直角には曲らない)。
それに竜巻は被害の幅がすごく狭い
(多重渦はそれなりに広いが、それでもハリケーンや津波に比べれば極端に狭い)。
なので遠方ではなく同じ地域内で避ける事が可能だ。

逃げる際は、何も持たずに、車ではなく走ったほうがいい。
もちろん、発見が早いほど、安全に逃げられる。
なので竜巻発生時の情報システムが重要だが、最終的には目視に頼る。
目で竜巻の動向を確認しながら逃げるように。
いろいろ飛んでくるし。

家の中でやりすごすのは、もはや逃げる余裕がない、最後の手段だ。
家が崩壊するのを覚悟すること。
まずなんらかの方法で頭を保護する(防災用のヘルメットが最適。しっかり顎紐で固定する)。
窓際と階上は危険。
鉄筋・鉄骨なら一階中央部のできるだけ低い位置、
木造なら周囲が柱に囲まれたトイレや浴室(ただし一階)に身を潜めるしかない。
注意してほしいのはで、窓から窓枠ごと竜巻に吸い出されるおそれがある。
室内の固定物に体を結びつけるとよいのだが。

ちなみに、トルネードのリアルな映画はなんといっても『ツイスター』だ(愛すべきトルネード・チェイサー!)。
今回の竜巻は、まさにこの映画並の巨大さだった。


パワースポットの計測限界

2013年05月21日 | 計測
南信濃の遠山郷から帰路の途中、再び茶臼山に立寄って、
残ったポイントの計測をした。
まず、矢作川水源
地磁気はやはり43μT(以下同単位)、水の酸化還元電位は+270mV(以下同単位)。
ちなみに一昨日測った休暇村茶臼山高原内の浴槽は+550だった。

カエル館上の「最強のパワースポット」という岩
岩に手をかざすと、いつものようにビリビリくる。
だが岩の上に立って測った地磁気は周囲と同じ43。

カエル館奥の湖畔の湧水
地磁気は43,酸化還元電位は+270。
以上のすべての地の静電位は0kV。

すなわち、いずれも地磁気は正常で、静電位もなし。
ビリビリ感じるのに、客観的な変化は確認できなかった
(以前の計測ではガイガーカウンターで若干の高い値が出た)。
客観的に最強のパワースポットは、どうしてもカエル館内の東隅になってしまう。
物理的計測はもうお手上げ。

ビリビリ感じるという体験的事実に注目するなら、
生体反応を計測する手がある。
私に可能なのは、脳波と唾液アミラーゼ(ストレス指標)だ。
できたらサーモグラフィ(赤外線温度センサー)で皮膚温を測りたいのだが、
先立つモノが…


磁気異常地帯を訪れる:追記あり

2013年05月20日 | 計測

前の記事の続き。
翌日、雨で何も見えない愛知の屋根・茶臼山を後にする。


今回の旅の目的は、1つにはカエル館の再計測だが、もう1つあって、

それは茶臼山の真南の東栄町にある地磁気異常地帯に入り込み、
自らの手で地磁気を計測することである。
そこは愛知県内で唯一同心円状に磁気が高い場所で(右図:産総研の空中磁気異常図を階調反転して見やすくした)、
そういう場所は通常は火山などの山体に沿ってあるのだが、
ここはむしろ谷あいで、地形とは無関係の分布。
地質とはやや対応があるものの、地質のせいとはいえない※
※:詳細な地質図を参照できたので追記する(2022.6.19).
同心円状の磁気異常(減少)地帯は、爆発的噴火による火砕流の地層にほぼ対応していることがわかった。その噴火はやや北にある大峠(954m、玄武岩質)によるものである(中・後期中新世(1500万〜700万年前)。茶臼山火山と同時期)。同心円の中心部は火砕流が一番厚い層なのだろう。

下界に降りると、雨は上がっており、晴れ間さえ覗いている。
津具の町から目指す地帯を横断する県道80号線に入る。
山中の渓流沿いの一本道で、人家はなく、車もほとんど通らない。
磁気等高線の頂点部にさしかかった所で車を止め、計測に入る。

丁度そこは東栄町の”花祭り”発祥の地である白山神社への入り口であり、
幸いなことに入り口の箱に「古戸散策マップ」が用意されていた。
この古戸(ふっと)という地磁気異常地帯は、
まさに案内マップができるほどの隠れた観光地だった!
後で知ったことには、この地は鬼が主役の「花祭り」の聖地だった。 

近くに「遥拝場」の小さな看板があり、マップの説明によれば、
白山神社に行けない人や動物のためのものだという。
遥拝場に登り、地磁気を測ると43μT(以下同単位)、標準的値だ。

その地図を頼りにさらに等高線の頂点域内を進むと、
道脇の沢に御滝・山の神の祠がある。
マップでは「霊感のあるスポット」とあるが、ちょっと陰湿な雰囲気。
地磁気はやはり43。
山の神の祠は信仰施設で、何がしか感じる所があったので、iPadの「バケタン」(お化け探知器)を作動してみる。
すると、「良くない状態」と出た。
なんか、そんな気がしたんだよな。
滝の下で水を採取して、酸化還元電位を測ったら+220mV(以下同単位)。

さらに進むと集落の中心部というべき普光寺と鎮守の八幡神社がある。
階段上の八幡神社で専用機で地磁気を測る(下向きの鉛直成分を360°回って最大値を計測値とする)と、
なぜか北向きではなく西向きが最高値となり40。下の寺の広場では45。
こんなに近くでこの差は大きい。
さらに、等高線の頂点域 からは外れるが、
花祭りの最初にお参りするという「みるめ様」に向かう。
山の中の狭い道を走って最後は車を置いて徒歩で登る。
竹林の中に鎮座するみるめ様の祠はけっこう大きく、
下から見上げた時は威厳を感じた(右写真)。
地磁気は43。
感じるところがあったのでバケタンで探知した結果は、「守り神の出現に期待」と出た。
さすが「みるめ様」。

車の所まで下り、「宝篋印塔」という案内板があったので、廃屋を抜けて、
薄暗い不気味な岩肌に宝篋印塔(昔、僧が教典を埋めたという)があった。
もう誰も世話をしていない雰囲気で、バケタンの結果は、「良くない状態」。
やっぱり。
最近、バケタンの探知前に、自分でも霊感がはたらくようになってきた。
幾度にわたるバケタンでの探知経験のおかげだ。
以上、古戸の地磁気異常地帯を計測した結果は、それほどの異常値とはいえなかった。
もっとも地図では0.1μTレベルの違いなので、私の計器では誤差の範囲内となってしまう。

なにしろ、昨日カエル館内で1桁の数値を見たばかりだし。

2泊目に泊まった宿は、信州の遠山(現飯田市)にある「島畑」
実は最初は静岡の佐久間あたりも計測で行く予定だったので、
秋葉街道沿いの手ごろな宿が静岡県側にはなく、
本当なら休業の日なのだが、たまたま他の都合で開いているというので受け入れてもらった。

この宿、以前の秋葉街道や信玄南進の旅の時にも泊まったことがある。
部屋は民宿レベルだが、野草の天ぷら・鹿肉・猪肉・山女魚の串焼きなどの囲炉裏料理がいい。
食事をしていると、主人が私の写真を撮り、食事中にプリントしてくれる。
写真と一緒にライター型の楊枝入れと、スズメバチが入ったウイスキーを猪口程度のグラスに注いでくれた。
今ではワインですら水で薄めて飲んでいる身に、何が入っていようとアルコール40°以上は強烈。
唯一困ったのは、気さくに旅の目的を尋ねられた事。
ばか正直に「地磁気の計測」ましてや「霊の探知」と言うわけにはいかず、
「ドライブの旅で」と言葉を濁す。

ちなみに地磁気の地図によると、ここ八重河内は、
東栄町古戸とは逆の値が高い尾根になっているが、
測ると42。
蛇口から取った水の酸化還元電位は+720と高かった。


茶臼山高原の最強のパワースポット

2013年05月19日 | パワー・スピリチュアル

愛知県の最高峰茶臼山(1415m)はその9合目あたりが広い高原となって、
高い山のない愛知県民にとっては唯一の雲上の別天地となっている。
ただし山の北半分を有している長野県にとっては、その程度の山など掃いて捨てるほどあり、
霧ケ峰や美ケ原よりはるかに狭く、上高地よりも低いここなど観光スポットとはみなされず、
県民には「茶臼山高原?なにそれ、おいしいの?」とけんもほろろの態度で見向きもされない。

そこで長野県側の地元根羽村では一念発起して、
カエルのくせに「ワン」と鳴く地元産のネバダゴガエルを展示する「カエル館」を高原に開いて気を吐いている。
さらに、館長の努力などで茶臼山中に”気”をビリビリ発する岩が多数見つかり、
今や南信に分散するパワースポットの1つとして売り出そうとしている。

確かに、私自身その岩を触るとビリビリする(自分で気を出せるから、気特有のビリビリ感は経験済み)。
ただ、いやしくも研究者のはしくれ、そういう主観的体験だけでパワースポットと認定したくない。
客観的な計測による証拠がないと、私の知性は納得しない。

実はカエル館内の東寄りの隅に、方位磁石が異常反応を示すスポットがある(以下”スポット”)。
館長は、そこを館内の「パワースポット」と一応のアピールをしているが、
本心は、壁中に磁化された鉄板などが埋まっているに違いないと、いたって冷静。
あちこちで電磁界を測っている私にとっても、その仮説は一番妥当性が高いと思われる。
昨年、カエル館を訪れ、ガイガーカウンターとiPadの地磁気計ソフトで計測した私にそう語っていた。

”計測マン”を自認する私としては、この”スポット”の正体がずっと気になっていたので、
壁内の金属や電線を探知する金属探知器を購入し、満を持して一年後にカエル館を再訪した。
満を持してと豪語するのは、今回は、金属探知器のほかに、
iPadの地磁気計、専門の地磁気計、静電位計(ロケーター)、たくさんの方位磁石(磁界分布の空間的把握用)、
交流電磁界計(トリフィールドメーター)、電圧電流計(テスター)、そして液体検査用の酸化還元電位計とフル装備で訪れたからだ。

受付で一年ぶりの館長に来訪の目的を伝えると、館長は我が名を覚えていてくれていた。
それなら話が早い。さっそく問題の”スポット”に向かって計測を始める。

まず方位磁石を”スポット”から西側に直線上に並べると、1m以上離れた場所では、
その”スポット”は正しく東南東方向を示すのだが、近くでは南(S)、他の方角に置いても、そこに向かって強く南(S)を指す。
すなわち、”スポット”は強いN極の磁界をもっている。
そして金属探知器を壁面にかざしまわると、あにはからんや、反応無し(念のため外壁側からもかざしたが同じ)。
壁内に金属はなかった。
最も妥当だった仮説が否定された。

次にiPadの地磁気計測ソフト(Tesla Meter)で測ると、通常の電気のない空間では40μT台なのだが、
この付近だけ、ぐっと低くなり、9.6μTにまで下がった(上写真とはやや異なる位置)。
”スポット”の近くに置いてある茶臼山の(パワーがあるという)石の影響かと思い、
どけてもらったら20台にまで上がったが、まだ周囲から低すぎる。
ちなみに館内の他の場所では、いずこも通常の値。

トリフィールドメーターでは電界も磁界も当然ながら無反応。
すなわち、交流電気による電磁界は存在しない。
(※電気の世界では「電場」「磁場」より「電界」「磁界」が一般的なので、ここでもその表
現を用いることにする。個人的には「場の理論」が好きなのだが)。

静電位計をかざす。
そもそもこの計器は普通の空気中では誤差範囲内ともいえる0.1kv程度の反応しか示さない。
ところが、”スポット”の前に置くと-2.8kvを示した。
館内の他の場所(陳列してあるパワーがあるという各地の石群を含む)ではいずれも0kvと無反応。

以上の計測の結果、館内のこの”スポット”は明らかに静電位・地磁気に異常を示した。
静電位が示した負の値は、マイナスイオン(陰イオン)を出す電気製品と同じだった。
一方、陳列してあるパワーがあるという各地の石群は、計測上異常を示さなかった
(その中で茶臼山産の石だけ、手をかざすと軽い温感とビリビリ感があった)。

ということは、客観的な計測の結果では、カエル館内の東隅の”スポット”こそ、
やはり最強の”パワースポット”ということになりそうだ。
ただ、電位が高く磁気が少ないという現象は私にとっては却って謎が深まった。
ここには何がある。でもそれが何か解らない。
ガイガーカウンターは昨年計測済み(もちろん平常値)。
あと、わが武器で使用していないのは、
心霊スポット用の「バケタン(お化け探知器)」だけとなった…。

☞次の記事『茶臼山のパワースポットを生体計測』へ


私の不可解な行為

2013年05月13日 | 雑感
誰しも、合理的でない不可解な行動傾向の1つや2つはもっている。
いちおうは心理学者である私とて例外ではない。

国会図書館などに行って、メニュー豊富な食堂で昼食をとる時、
さっとサンプルを見て半ば直観的に食べるものを選ぶ。
そして食べ終わって、帰りしな、
もう一度ショーケースの前に立ち止まって、自分が本当に食べたいものを時間をかけて探しはじめる。
毎回、この行為がちょっとした楽しみになっている。

食べ終わった後に、食べたいものを探すという行為は、
本来的には不可逆的である、行為の時間連鎖構造を逆転させた、
少なくとも時間が一方向に流れるこの世では無意味な行為である。

なぜそのような事をするのか。
少なくとも予想しうる答えは、”合理的”なものではなかろう。

当事者に言わせれば、食べる前は、早く食べたいという気の高まり(ある種の切迫感)と、
注文の列に並んでいる他者たちが気になって(意識集中の阻害)、落ち着いて選べないのだ。

そして、食べ終わった後なら、目標となる行為が済んだため、
心に余裕ができて、しかも食事直後でまだ食べ物に関心が残っている状態なので、
食べたいものを落ち着いて選ぶ気持ちになれるのだ。

もちろん、そこで選んだとしても、私の次にする行為は、食堂から出て行く事以外にない。
すなわち、ここでの選択行為は、次の注文行為につながらない。
ということは、これは選択に至らない選択であり、
実的行為としての価値をもたないという意味で、”無意味”である。

ところがこの行為を毎度繰りかえす。
食べるための選択ではなく、選択のための選択を楽しんでいるからだ。
もちろん、「次に食べる時のための選択だ」と強弁することもできる。
だがしかし、実際の次なる時に、今回の選択が記憶されて、再現される実績はない。
そもそも、その時にはメニューが入れ替わっているのだ。

ただ、食後に選ばれたものが、今さっき自分が食べたものと異なったからといって、
後悔という不快感情に支配されることはない。
食前に自分が最適な選択をしそこなったので、
事後的ながら、最適な選択を完遂したいのである。
自分の真の心を知りたいのである。
だから、むしろ自分が食べたもの以外に、もっと食べたいものを事後的にでも発見した時の方が、
後悔どころか、この行為をした充実感を得る。
この行為の完遂傾向をなんとか心理学で説明するなら、
「ゼイガルニク効果」という名を紹介しよう
(その効果も含めて、心的緊張の解除というK.Lewinのパーソナリティの力学モデルで説明可能)。

私のこの行為は、結局、合理性よりも、その場の感情の満足に従っているわけだ。
合理性によって得られるはずの今は見えない満足には思いをはせず、
今したい事をすることの可視的な満足を優先している。
無駄な事をやって満足する。
げに感情とは、かくも論理を平然と無視する。
人間の心理の秘密は感情にあるようだ。

小田晋と夏八木勲を悼む

2013年05月12日 | 時事
精神科医の小田晋先生が亡くなった。
テレビや本などで有名なだけでなく、個人的にもお世話になった。

大学の学部時代には、「狂気」についての講義を聴き、その博識ぶりに驚いた。
大学院時代は「精神病理学」のゼミを受け、私は現象学派(ビンスワンガー)の発表をした
(皮肉な事に、この発表が現象学派から一時期遠ざかるきっかけとなった)。
院生が発表している間、先生は目を閉じて、うつむいて動かない。
まるで居眠りしているようで、心配になる。
でも発表が終わると、おもむろに目を開け、適切なコメントを下さる。
院生に対しても、「先生」という敬称をつける。

院を出た後、定職がなくて苦境に陥っていた時、
精神病院への照会状を書いていただいた。
残念ながら、病院が求めている人材でないため、
そこに勤務することはなかったが。

小田先生は、自分は幻聴がすると公言していた。
対面すると、一種異様な雰囲気(プレコックス感?)を感じさせた。
自身にある強い”狂気”に屈する事なく、
それさえ糧にするさらに強い精神力をもった精神科医。

それでいて病者に対する過剰な同情をせず、社会秩序の維持を優先するので、
正義ぶった側から厳しい攻撃を受けた。
それに屈しなかったのは、狂気を他人事ではなく、
内なる現象として常に抱えながらもまっとうに生きている者として
精神病者といえども、本来社会秩序の中で生きていく能力があることを
すなわち、責任能力があることを確信していたからかもしれない。


俳優の夏八木勲の訃報もショックだった。
風貌からして味、いや凄みのある俳優で同期の原田芳雄とともに好きだった。
硬骨感の役柄にピッタリの人で、
私は、三谷幸喜の大河『新選組!』の続編の『土方歳三 最後の一日』での
箱館山で息子ともども散った中島三郎助の役が印象に残った。
男の生き方(死に方)を演じるなら彼こそ最適の人だ。

基本スタンスは”名脇役”だが、
最も最近では、主演(やはり硬骨感)した原発映画『希望の国』。
最後の彼の主演は、われわれへの遺言として受けとめたい。

自分に厳しい男たちが、逝ってしまった。合掌


水防訓練と神田明神

2013年05月11日 | 東京周辺
今朝、荒川区の都立汐入公園に、区の水防訓練を見学に行った。
区内の消防署員と消防団員による、浸水対策の土のう造りや救出訓練(上写真)などで
私などのヒラの区民は、区議会議員などがいる来賓席の後ろで見学した。
あいにく雨天の中だが、そもそも大雨に対する訓練なので、むしろ臨場感が増すというもの。
いわゆる市民参加の防災訓練でないので、見学者が参加することはないが、
さまざまな工法による土のうを見て回った。

区には消防団の他に、区民による災害時支援ボランティアや区民レスキュー隊が組織され、
公助と共助の連携ができていることがアピールされた。
確かに、町角のすべてに消火器が設置され、また災害時要援護者を救援するボランティアも組織されている点など、名古屋周辺よりは防災対策が進んでいる
(というより、名古屋とその周辺が明らかに遅れている)。

見学者には、お茶のペットボトルが供され、また展示コーナーでは、ホイッスルやトートバッグなどをもらった。

11時に終わったので、つくばエクスプレスで秋葉に出て、ちょこっと買物をして、神田明神に向った。
今日は大祭だから。
あいにくの雨天なので、神輿を見る気になれないが、
本殿で、この時だけ開帳される平将門の木像を拝観した。
江戸時代の作というこの像、絵と同じく顎じゅうから髭を長くのばした怖い雰囲気を出している。
この像、神田明神の宮司と縁がある平田篤胤が所持していたもので、
篤胤は将門を崇敬していたという。

境内の売店で扇(末廣)を買った。
アルバイトとはいえ、巫女姿の若い女性から購入品を渡される際、
「ようこそお参りくださいました」と言われるのは気分がいい。

見沼田んぼ

2013年05月05日 | 川歩き

晴天が続くGW後半、今日あたりに富士五合目に行って残雪の「奥庭」の散策を画策していたのだが、
世界遺産登録祝いで混雑すると思い、
こちらもいつか訪れようと思っていた「見沼田んぼ」に行き先を変更。
山歩きもいいが、川歩きも散歩気分で楽しい。
だいいち装備もいらず早起きしなくていい。

見沼は、主に今の”さいたま市”を中心に利根川から荒川を結ぶ水路として江戸時代に開鑿された農業用水路で、
それ以前は「見沼」という大きな沼があった。
実質的な首都である江戸の水害対策と食糧供給のために、
幕府は南関東(利根川以南)に広大な土木事業を施した。
前近代的ながら、当時の最高技術で、世界最初の閘門型運河(パナマ運河方式)をここに作った。
とまぁ、歴史の講釈はほどほどにして、むしろ本来は水が豊かな関東平野を偲ぶ地として、ここを歩きたかった。

地元さいたま市にとっても市民のいこいの場にして、あわよくば観光地として整備中(未完成)。 見沼田んぼは大宮の北から、正確には利根川沿いから始まっているが、
今回は下半分を歩こうと、「さいたま新都心」駅から南下した。
江戸時代に作られた代用水に沿った並木道を東へ進む。
周囲の低地が見沼田んぼの跡で、宅地開発はせずに今では広大な家庭菜園の地となっている。
道は平坦だが、用水に沿っているので、地形に沿った曲線となり、距離はかせげない(上写真)。

あまりに大回りな所はショートカットして、氷川女体神社へは近道を選ぶ。
結構な名称だが、女神を祀る訳で、社務所脇には、巫女の人形がずらりと並んでいる(中写真)。
願いが叶ったら服を着せて奉納するのだそうだ。
見るからに女性用だが、私はこの手の守り人形は迷わず買う事にしている(1200円とちと高い)。
ここからは南に方向を変え、武蔵野線の東浦和駅を目指す。
途中、大回りして民家園を巡り、 更に大回りして唯一「見沼」の名残といえる調整池を遠望する(下写真:近くには行けない)。

池の南端で非正規ルートの踏跡を通って武蔵野線を渡り、木の橋を渡って駅に向う。
途中、道上でカモの番いがのんきに日向ぼっこをしていた。

平坦だがほとんど休まずの10kmほどの歩行は、それなりに疲れた。


祝! 富士山世界遺産

2013年05月01日 | 時事
富士山がやっと世界遺産への登録が認められる見込みになった(正式承認はまだ)。
ただし、自然遺産ではなく、文化遺産としてである。

まずは”自然”としては、世界遺産としての価値が認められないほど荒れているのが悲しい。
自然遺産でないだけに、観光客を誘致することで美しい自然が破壊されることに鈍感になってしまうことをおそれる。
そして文化遺産として、それにふさわしい文化(人間活動)が継承されているのかが気になる。
信仰の山としての。

今や壊滅的な「富士講」。
今時、富士を訪れるのは観光客ばかり。

講の強さとしては木曽の御嶽講にはるかに負けている。
3000mを越す大きな山がその麓から独得な雰囲気を漂わせている点で、
文化遺産なら御嶽山こそふさわしい気がする
(日本アルプスの紹介者W.ウェストンも御嶽信仰の実地調査をしている)。

まぁ、富士も御嶽も信仰内容は日本人のメンタリティに合った神仏習合なので、
不自然な神仏分離を継続している現代日本ではその”文化”をアピールしづらいかもしれない。
(その証拠に御嶽神社も各種御嶽講とは距離をおいている)。

私からみれば、寛容な2つの宗教の出会いによる神仏習合こそが
宗教的反目が絶えない世界にとって貴重な”文化遺産”だと思うが
(「本地垂迹」などの附会的理屈は本質ではない。神も仏もどっちでもいいという八百万の神による曼荼羅の汎神論的感覚こそが本質)。