今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

富士山記念登山2

2006年07月31日 | 山歩き

生誕半世紀記念の富士登山。

そもそも富士には大学山岳部の時、冬に登った。
冬富士は南極の気候となる。
人間を吹き飛ばすものすごい突風と、滑落したら一巻の終わりのカチカチに堅い蒼氷(あおごおり)の大斜面、それに高度の影響で全員のろのろ歩行となったのを覚えている。
今回は誰でも登れる夏富士。

●五合目へ
新宿から富士山五合目までの直行バスは2600円と格安。ただ途中休憩がないのでトイレは直前にすませておくこと。満席なのでデパ地下で買った豪勢な弁当がかえって食べにくかった。

五合目に着くと、頭上に夏富士が顔を出している。雪がない富士は巨大な地面の出っ張り。
まずは小御岳神社に詣でる。なにしろここは富士山の2代前の最古の火山の頂上だから。
それにしても富士は外人が多い。
世界的に有名な山だから、京都に興味はなくても、ここに来て、あわよくば登ってみようという気にはなろう。
六合目までは平坦で、そこから登りが始まる。

●七合目へ
火山灰土なので決して歩きやすくはないが広く平な道。
吉田大沢からの落石防御壁の連なりが威圧的。

快調なため、予定より早く七合目についた。
ここの小屋に今朝予約を入れたのだが、明日の登頂を考えると、できるだけ上にいっておきたい。
心配だった右膝もなんともなく、高山病の兆候もないので、予約をキャンセルし、八合目に向った。
標高3000m近くなると、道端には高山病でゲーゲーやっている人、倒れたように身動きしない子供、足が進まなく、紐で引っぱられて進む人などがでてくる。

●登山のコツ
登山のような長距離歩行では、力の6割りくらいで歩くといい。
そうすれば疲れがたまらないので休む必要もなくなって、フルパワーで急ぎ足に追い越していった人が疲れて休んでいるのを、そのうち追い返すことができる。
まさにウサギとカメの競争。
それにゆっくりだと高度にも馴化し、高山病も予防できる。

●今夜の泊り
そのようなペースでゆっくり登って、へばり気味の人を追い抜きながら、だんだん調子もでてきた。
八合目の小屋(七合目とほとんど続き)に着いても、時間的・体力的にまだ行けるので、そのはるか上の本八合まで行くことにした。

本八合の上にも小屋がある。
いっそ頂上の小屋まで行ってしまおうかとも思ったが、
本八合の小屋に着いたら、中ではもう夕食を食べている。
いまチェックインしないと、夕飯にありつけないと思い、あわててチェックインした。
今日はたまたまシーズン中にしては客が少なめの日で、就寝スペースも1.5人分とれてゆったり。

日没前、富士のシルエットが雲海に富士形の影をつくる「影富士」がみれた(写真)。
夕食は、定番のカレーライスだが、カレーの部分が少ないので、おでんを追加注文。
山では夕食が終わると就寝タイム。
それに慣れない外人カップルは出入り口の明かりの下でトランプをやっている。

●いびきオヤジの不安
山に足を運ばなくなった理由の一つに、山小屋での熟年男性客のいびき問題があった。
泊る小屋にたいてい一人はいるんだな。
疲れた体に寝る前に酒を飲むのでますますいびきがひどくなる。
本人だけいい気で熟睡して、小屋中の客は眠れない。これは深刻な問題だ。
熟年登山の流行で、山小屋に泊ると、このような不快な体験はほぼ確実当たる。
だから山小屋泊りの山行は遠慮するようになった。

ただ富士山はいくら簡単といっても、標高が高くハードなので、登山客の年齢構成は若めにシフトしている。
また小屋も多いので、いびきオヤジも分散される。
私の隣が熟年男性だったが、運よくいびきはなかった。
でも、蒲団が暑いのと、高度の影響でか動悸がして興奮状態となってかなりの時間眠れなかった。
…「前の記事へ」続く。


富士記念登山3

2006年07月30日 | 山歩き

●翌朝
多くの客は、山頂で御来光を拝むため3時台に起きて、出て行った(だから就寝が早いわけ)。
標高3400mの本八合では小屋の前からご来光を拝めるし、第一睡眠不足なので、私はそれにつきあわず4時すぎまで寝て、小屋の前からご来光を拝んだ。
でも山頂にも下界にも雲がかかって、昨日よりも眺めはない。

朝食の弁当を小屋で食べて(お茶は有料なのでペットの水を流し込む)、5時に出発。
山頂をめざす。
高度の影響からか、初っぱなから登山者の足取りは重い。
少し歩いて立ち止まり、息を整える。
私はずっとカメ作戦なので、息も上がらず、どんどん人を追い抜いていく。
ゆっくりした歩速で一歩一歩登っていく。

●人生は登山
登山とは、このような小さな作業の積み重ねで山頂に辿り着く。
自分の人生のピークはあと少し先だろうが、やはりこのような毎日の小さな作業の積み重ねの結果によっている。
なるほど人生は登山だ。

などと思いながら登っていくと、コースタイム100分のところを60分で山頂に着いた。
長年の登山で培われた脚力・心肺能力いまだ衰えず。安心。

●山頂にて
しかし山頂はガスの中。山頂部は小屋が並び、平で広く、いままでの急登がうそのような開けた雰囲気。
ここは富士山頂部の一部なので、お鉢巡りをして最高地点の剣が峰をめざす。
剣が峰には閉鎖された気象庁の観測ドームがあり、峰の片側を人工物でおおっている。
3776mの最高峰には今回の登山で初めて立った(写真)。
高度計で、おそらくこれ以上の値を示す事はない数値を確認(航空機内では気圧調整で2000m以下になる)。
奥には展望台のような所があって、麓の大沢や毛無山が望めた。
でも山頂に雲が覆っていて展望はこれだけ。
御殿場方面の下山口についたのが8時。
山頂部には2時間いたことになる。

●下りのコツ
富士山の下りは、登りとは逆に、踵着地で大胆に大股でスタスタ歩く。
浮き石なんかも気にする必要なし。
初心者はこわごわカメのように慎重に降りているが、私はウサギのように跳ねながら降りていく。
地面が火山灰土なのでクッションとなり、心配の膝も痛めない。
登りと下りとでは歩き方を替えるのがコツ。

宝永山に寄り道し、そこから巨大な宝永火口を見物して、大砂走りに突入。
周囲は霧のため、360度見えるものはすべて砂の大斜面。
その中をすっ飛ぶように駆け下る。
いくら走っても風景が全然変わらないので、立ち止まる。
まるで大沙漠の中に一人いるみたい。
やっと平坦になる五合五勺が近づいてきたが、今度は傾斜が緩くなり過ぎて、歩くたびにブレーキがかかり、とても歩きにくい。
しかたなしに、走り気味に歩く。
このへんの裾野は実に広大。
でも火山の荒れ地なので自衛隊の演習場くらいしか使い道がない。

●登ってみて
富士って東京から気楽に行けて、一泊でこんなに充実できるなんて、いままで気がつかなかった。
日本一デカイ山なので一度行ったらおしまいとするにはもったいない。
いろいろなルートをまわってみよう。
裾野だけでもあちこち逍遥する価値がありそう。

それに問題だった山小屋のトイレも急速に改善され、垂れ流しはほとんどなくなった(有料なのも納得)。
あと驚いたのは、登山道にゴミがまったく落ちていなかったこと。
ボランティアによる掃除もされているためもあろうが、毎日できるはずもない。
マナーが向上しているのはうれしいことだ。

●長い下山道
やっと10時半に太郎坊のバス停に着いたのだが、次のバスまで1時間半もある。
タクシーを呼ぶ手もあるが、もともと早く着いたのにさらに早く帰る必要もない。
1時間半待つ気もしないので駅までの道を歩くことにした。

途中BOAC機遭難碑を見て、自衛隊東富士演習場の中を通る道をひたすら歩く。
自衛隊の戦車が走るのを見、銃声も聞く。
でも車道歩きが長い。バス停も全然ない。
平地の歩行で大臀筋が痛くなってきた。
やっと演習場を抜けて青年の家に達する時、前を歩いていた(はじめて見る歩行者)老人登山者と話して、青年の家でタクシーを呼ぶことにした。
1時間半歩いても御殿場まで半分の距離。

その人と御殿場線に乗って国府津まで一緒に帰り、国府津で別れて、駅弁とビールを買って、グリーン車で帰京の途につく。
疲れた体をグリーン車のシートに沈めて、冷えたビールを開ける。

●達成感
このような安楽な生活のありがたさも身にしみる。
でも山でしか味わえない体験・大展望も捨てがたい。
それに登山という行為は、必ず達成感を味わえるからいい。
やればできるんだという自信を与えてくれる。

これで、秘かな記念行事は無事完遂した。
自分の夏休み(レジャー)もこれで終わりでいい。


今日で半世紀

2006年07月29日 | 生活
自分がこの世界に生き続けて、今日7月29日で半世紀になった。
その手前の歳で死んでしまった織田信長や上杉謙信よりも長生きした事になる。
自分を生かし続けてくれた、この世界に感謝。
誕生日って、大人になってからは、自分が周囲に感謝する日にしてもいい。

幸い、昨日で大学の前期の用事は終わり(採点のみ残っている)、昨晩は部署内で打ち上げ(私は新人扱いなのでご招待)をした。
そして今日は、そういう日なので、いつもなら18きっぷで安く帰京する所を、あえて新幹線のグリーン車を使った(ただ博多発の列車だったので混んでいた)。

そして、私の帰省を迎えたふるさと東京では、私の生誕日を祝して隅田川で盛大に花火を打ち上げてくれる。
今さら都民の盛大な祝福を受けるのも気が引けるので、
近所の高台からこっそり見物することにしよう(上の写真はデジカメの望遠で撮ったもの)。

BOSEのサービス

2006年07月25日 | 雑感
ノイズキャンセリング・ヘッドホンに目がない私は、その最高峰ボーズ社の QuickConfort2を一番愛用していた(我がHPの「おれんちの世界」>「イチ押し製品」参照)。

でも屋外で持ち歩くヘッドホンとしては耐久性に欠け、頭にかぶせるプラスチックのアーム部分が力に負けて破損。
テープで補修していたが、それもダメになって、もうイヤーカップがぶらぶら状態。
これじゃ使えない。4万円もするのでそう簡単に買い替えるわけにはいかない。
修理できるかどうか確認しようと、土曜に秋葉にあるボーズのショールームに持ち込んでみた。
見せたら、修理可能だという。
でもとっくに保証期間はすぎているので、有償を覚悟。

火曜の朝、ボーズ社からの宅配便が届いた。
開けてみたら、外見が違う。頑丈になった最新製品に取り換えられていたのだ。
そして輸送費はもちろん、修理費・部品代も無料。
本来、製造上の問題であったともいえるが、太っ腹のサービスの良さにうれしくなった。
これでまた、リスニングルームを持ち歩ける。

気象予想が外れて

2006年07月21日 | お天気
先月末に「猛暑の予感」をここでしたのだが、いっこうに梅雨は開けない。
これはひとえに前線を北へ押し上げる小笠原高気圧が弱いため(Nステの予報士は、
前線の北側にブロッキング高気圧が停滞しているために前線が北上できないと説明していたが、押し上げる方の問題が根本的原因)。
そもそも猛暑予想の論拠は、上層のチベット高気圧が東に発達して、
日本の南にまで達していることだったが、これが予想に反して地上の高気圧を強化しなかったわけ。

なんで小笠原高気圧が弱いのか。
私だけでなく、情報元の気象庁もその原因は不明だという。
予報士の説明を聞いたFキャスターは「地球温暖化のせいでは」と安易に言うが、
科学的には温暖化の影響はもとより、温暖化のメカニズムすら確証されていない
(二酸化炭素排出量が増えると温暖化するというのは仮説の1つにすぎない)。

科学のスイを尽しても、自然現象の具体的な予測は難しい(地震予知も)。
予想がはずれるたびに、自然の複雑さ(=神秘)について謙虚になる。
やっぱ長期予報は、カオス理論によって「不可能」と証明されているだけある。

A級戦犯合祀問題から

2006年07月20日 | 時事
昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀に不快感をもち、それ以降参拝しなかった、というメモが公開された。
これで戦犯分祀について、素直に受け入れるには抵抗ある「中国の意向」とは別の根拠ができたといえる。
日本人はいいかげん、第二次大戦についての日本の問題を自分自身で客観的に(連合軍の立場でもない)論じる必要がある。あの戦争を現在の繁栄のもととなったという無理な意味づけは断じてできないが(軍国主義体制を倒したという意味では繁栄の元だが、戦場に駆出された人はそれを守らせるためだったでしょ)、かといって、極東軍事裁判による戦犯の決めつけに無批判になるのもいけない。
ムッソリーニを倒したイタリア国民のように、日本国民自らの判断をすべきだ。それができないからマッカーサーに「日本人は12歳」とバカにされた。
あの戦争は侵略戦争であったと同時に植民地解放戦争の面も確かにあったし、残虐であったと同時に虐殺されもした(沖縄戦では米軍に火炎放射器で焼き殺された)。原爆だけでなく米軍の空襲やソ連のシベリア抑留も戦争犯罪として問題にすべき。
もっとも私自身は、日本の帝国主義化の遠因である「明治維新」から問い直したいんだけどね。

紫外線に注意する時

2006年07月14日 | お天気
7月14日午前11時56分、我が私設星が丘気象台でUVindexが9.6に達した。この値は、外出そのものを控えるべき数値。この頃、あなたは無防備で外出していなかったよね。
紫外線量は、午前中にどんどん上がり、午前11時台に最大になり、昼過ぎると減少していく。午後3時には安全圏に近い3に下がった。だから夏の外出は午後遅くがおすすめ。
紫外線についてはあれこれ言われているが、実際の観測値の情報がないので、今どうしたらいいのかわらないだろう。せめて名古屋付近の人は、星が丘気象台の観測値を参考にして。

あと我が私設ひぐらし気象台(東京の田端・西日暮里)では最高気温が今年最高の36℃に。千代田区大手町では35℃だった。夏の東京では海風で熱が北に運ばれるので、大手町より北の方が気温が高くなるのだ。

体感温度に注意

2006年07月13日 | お天気
7月13日、午後3時30分、私設”星が丘気象台”(名古屋市千種区)で気温33.4℃、熱指数が39.4℃に達した。
熱指数(Heat Index)とは、湿度を考慮して、蒸し暑さ(皮膚からの蒸散のしにくさ)を表現する体感温度。これが41℃になると熱中症の危険値。
自分の気象感測によると、熱指数が30℃を越えると、蒸し暑いと感じる。たとえば気温27℃でも、湿度が65%になる場合だ。
冷房を控えるあまり、熱中症にかからないように(最悪、死亡する)。
名古屋付近の人は私のサイトから、気温だけでなく、熱指数もチェックしてほしい。

七夕復活委員会

2006年07月07日 | 歳時
わが七夕復活委員会(正確には「五節句復活委員会」の下部組織)は、
「七夕」の盛り上りを願っている。

●パッとしない七夕
伝統的な節句の一つの七夕(しちせき)は、年中行事の中でいまいち振るわない。
実際、新暦だと梅雨のまっさかりで肝心の星が見れないので気分がでない。
本来なら旧暦でやるべきなのだが、せっかくの7月7日でなんとかしたい。

振るわない一番の理由は、天候よりも商業・イベントと結びついていないためだろう。
街には笹飾りがポツンとあるだけで、その他に何をしていいかわからない。
小学生だけの行事になってしまった。
それは七夕行事の知識がきちんとつたわっていないためにもよる。

●七夕で何をするか
1.七夕には、まず素麺を食べるのが伝統だ。
スーパーこれをアピールして七夕セットなるものを売り出せばいいのに、七夕の伝統風習を知らないので、何もしていない。ビジネスチャンスを逃している。
2.女性は織り姫に(裁縫を中心とした)技能の向上を願う(乞巧奠)。
願う相手は棚機(たなばた)織りの姫だからそれ以外の願い事は無意味。
虫のいい願い事ではなく、自分の努力・向上を誓うためのものだ。
でも「恋の成就」ならOKか。
そう、年に一度の恋人の逢瀬を祝うのだから、これを使えば、若者か参加でき、バレンタインなみに盛り上がれるはず。

今年は、七夕を記念して浴衣を着て授業に出る大学があるそうだ。和服業界が協賛して、「浴衣を着る日」にしてもいい。私もこの日(くらい)は浴衣を着て講義したい。
またここ数年、旧暦の日だが星を見るためライトダウンする街が出てきた。
七夕盛り上りの機運は高まりつつある。
恋人たちが、浴衣を着て、素麺を食べる。これが七夕の理想の風景…でも梅雨の末期の大雨の時期というのが気になる。

●五節句復活の主張
ついでに、わが「五節句復活委員会」は、明治政府の文化破壊政策によって廃止された奈良時代以来の日本(というより東アジア全体)の伝統な祝日「五節句」の以下のような復活を主張している(現行政府は明治政府の負の遺産をまだ後継している。靖国神社もその一つ)。

1月7日「人日の節句」の祝日にして、松の内は基本的に連休に。バカンスのない日本は、松の内・GW・盆の3期を休暇期間としよう!
3月3日を「桃の節句」(本当は「上巳の節句」)の祝日に。
5月5日を「子どもの日」ではなく本来の「端午の節句」に戻す。それによって、女の子の祝いと男の子の祝いが等しく祝日になる。
7月はとってつけたような「海の日」を廃止して、7月最大のイベント「七夕の節句」を祝日に。
9月は「敬老の日」を廃止して本来の「重陽の節句」(重陽は長寿祝う)に。