今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

距離感の不確かさ

2011年03月30日 | 東日本大震災関連
放射線の危険性について、「有り/無し:危険/安全」という定性的判断でなく、
測定された放射線量をもとに、危険度も定量的に考えるという習慣が、
多くの人に身に付いたようで、喜ばしいことだが、
人間の思考における定性的バイアスは、なかなか強固。

たとえば人が感じる距離感は、実際の客観的な距離そのものを反映しない場合が多い。

飛散する放射線物質の量は、距離に比例して少なくなるものだが、
関東の人間にとっては、白河もいわきもいっしょくたに「福島県」内として、危険地域と見なしてしまうし、
西日本の人間にとっては、東京も福島と同じ「東日本」に入れて、やはり危険地域と見なしてしまう。
そして海外の人間にとっては、福島のある「日本」そのものが、等しく危険地域に見えてしまう。

この発想は、広さのある地域をカテゴリーとして均一化して認識する定性的思考による。

もう一つは、距離が遠くなるほど、遠方の2点間の距離は小さく感じられてしまう、という距離感の錯覚にもよる。
東京から見ると、ワシントンとニューヨークは隣同士に感じられる。

そのため、西日本の人にとっては、東京は福島第一原発の近くにあると感じているのかもしれない。
その実際の距離(230km)は、大阪市と金沢市、広島市と明石市、福岡市と鹿児島市の距離に等しいのだが。

ついでに名古屋から、東海地震想定震源域上にある浜岡原発は127km、定常風の風上にある美浜原発は105km。

どうせなら、福島第一原発を中心に、等放射線量(より正確には、放射線の減少分)=等距離とした地図を作ってみるといいかも。