世界最長の小説と謳われる中里介山著の『大菩薩峠』全41巻を、本日読了した。
これを読み始めたのは、今年の2月下旬→『大菩薩峠』を読み始める
その間、「18きっぷ」での東名間の片道6時間の鈍行車内を読書空間としたので、春・夏あわせて10往復すなわち60時間をこの読書に充てた。
今までの『ドグラマグラ』、『死霊』、『カラマーゾフの兄弟』などは、この18読書で間に合った。
ところが『大菩薩峠』はそれではとうてい足りず、ちょっとした電車やバスの車内でもこの読書に充てた。
言い換えると、通常の時間は、仕事や研究に関するするものに充てるので、暇な時間専用としたのだ。
さて、世界最長の小説を読破した、ということは果たして自慢になるか。
いや、日本文学に一定の知識ある人たちからは、「なんと、暇なこと」「ほかに読むべきものがあるだろう」※とあきられること必定。
※:例えば『旧約聖書』『史記』『源氏物語』などが該当しよう。
確かに、これを読まずして「日本近代文学は語れない」というシロモノではなく、たぶん高校の”文学史”でも素通りされているだろう。
では、10000ページ、500万字を越えるという長さだけが取り柄なのか。
まず話の時代は安政5年(1858)から慶応3年(1867)年までの幕末の10年。
その10年を介山は30年以上かけて記した。
なぜ書く時間の方が長くなったのか。
それは、主役級の人物がどんどん増えていき、それでも当初は、それらの人びとが、不自然にも同じ地域に集まって出会っていたので、場面は1つで良かったのだが(→『大菩薩峠』を読んでみたら)、
その不自然さにきづいたのか、いやむしろ物語の自律性でそれぞれの主人公がそれぞれの人生を歩みはじめて離散していったため、主人公ごとの記述を、時間を重複してそれぞれ語り尽くすことになってしまったためだ。
言い換えれば、冒頭の大菩薩峠上で邂逅する、机竜之介と、彼に祖父を斬り殺されたお松と、お松を助けた七兵衛の3名を中心とした話で進まずに、彼らはその後出会う人たちの主人公群に埋没していく。
悪く言えば、収拾がつかなくなってしまった※。
その結果、1つの物語としての終結(落とし所)を見失うことになるわけで、
結果的に最長の小説、しかも作者の死によって未完となった訳だ。
なので実際、41巻目の最後の記述も、終息を示していない。
その意味で読後感はすっきりせず、読み終えたという達成感も得られない。
※:ただしこの拡散事態は、ある意味必然で、致命的欠点とはしたくない。その理由は次の記事で。
正直、読破して一番不満に思ったのは、表題の大菩薩峠(1897m)が、初回の竜之介の刃傷場面と、後にそこに地蔵を安置する場面しか登場しなかった事。
表題に惹かれて読んだ者として、これは裏切られた感が強い(介山自身は決して山岳に無関心な人でないのに)。
ならなぜ介山はこの表題をつけたのか。
ウィキペディアによると、介山が実際にこの峠を訪れたのは、執筆開始後12年経ってからという。ということはこの峠に特別な思いがあったわけではないようだ。
挿入追記:小説とは別の介山の『峠』という一文(青空文庫所収)によると、峠の原音は「たむけ」で、越える人が行く道・来た道に手をあわせる場所だという(柳田國男の説)。
すなわち、峠は上りと下りの中間にあり、象徴的には天上と地獄との間の人間の立場、更には上求菩提・下化衆生の菩薩の地位を示すという。
人生は旅であり、旅では峠を越える。
そこは回顧の場であり、希望の場である。
すなわち、峠こそ人生そのものを象徴しているという。
そして菩薩が遊化に来、外道が惑わしに来る場。
介山が前者への期待を込めるとすれば、なるほど『大菩薩峠』という表題が最も相応しい。
この表題は人生そのものを意味し、単なる固有名詞のあの峠を限定したものではなかったのだ。
筋(ストーリー)を追うことに意味がないならば、この小説を読む意味は那辺にあるか。
実はこの読書と一時期並行して読んだ本に、宮崎哲弥氏の『教養としての上級語彙』(新潮社)がある。
その書で紹介されている語彙に、『大菩薩峠』からの引用例があった。
それに触発されて、『大菩薩峠』で使われていて、私が意味を把握していない語彙を抜き出していったら、出てくるわ出てくるわ。
元々、専門の学術用語以外の語彙を増したいと思って宮崎氏の本を読んだのだが、その目的なら『大菩薩峠』こそぴったり(う〜ん、この場で自分の語彙力不足を痛感)。
電子書籍なので、表記された単語はその場でネット検索でき、やってみるとネット辞書にもない語彙がずいぶんある。
もちろんその時代(明治〜戦前)を反映しての事情もあろうが、さらにネット検索して使用例を探すと、なんと『大菩薩峠』だけが使用例、という語彙の多いこと。
中には『大菩薩峠』での使用例のみで、意味の説明がないものも複数あった。
介山は作家デビューの前は小学校の国語教師をやっていて(ただし大学は出ていない)、その後新聞記者になったので、面目躍如というところか。
この小説は、発表当時、世間的に注目されたものの、”大衆小説”として文学作品の”格”が一段下に見られていた点で、介山は不満だったようだ※。
※:同じ青空文庫に『余は大衆作家にあらず』という一文がある。
介山自身の学歴コンプレックスもあって、あえて語彙力を衒(てら)ったのかとも思ったが、むしろ介山の語彙力を総動員した結果というべきだろう。
ちなみに、本書で使われた語彙・成句の中で、私が思わず膝を打ったものを紹介する。
まず「後ろ弁天前不動」。
これは後ろ姿が弁天様のように美しい女性を見て、期待して前にまわると…という場面に使う成句。
次に「一瓢を携えて」。
これは瓢箪に酒を入れて外出し、行き先でそれを味わう楽しみを含意している表現。現代人の行動表現には使えなさそうだが、実は瓢箪好きな私は、酒を入れて携帯できる瓢箪を入手しているので、これをぜひ実行して、ブログでこの表現を使ってみたい。
その他として、愛知県の”愛知”の由来は高尚な「フィロソフィ(知を愛す)」ではなく、年魚市(あいち)だということ。
そして名古屋は都会なので「名府」とも表現できること(これも使ってみたい)。
さらに、「天下の興行は名古屋から出で、名古屋の興行は女流から出でるという歴史が作られる」と介山に言わしめている点も、かの地で女子教育に携わっている身として励みになった。
あるいは「火事の時は、明るい方へ逃げないで、暗い方へ逃げるもの」という教えは夜間の宿泊ホテル火災時に役立つ。
面白いと思ったのはオノマトペ(擬音語・擬態語)で
戸を叩く音はトントンではなく「ホトホト」(安普請の薄い戸だとこっちの音に近いか)。
硬いものが触れる音はカタカタではなく「戞々(かつかつ)」。
ゆっくり歩くのは「ホクホク」。
よろめきながら歩くのは「タドタド」(ドタドタとは正反対の様態で、「辿々しい」から来ているようだ)。
あと自分が今まで勘違いしていた言葉として
飯事(ままごと):幼児とりわけ女児の遊びの「おままごと」は、ママ(母)の真似をすることかと思っていたが、ちゃんとした日本語で、飯(まま)即ち食事の真似事ということだった。「まんま」という表現もここから来ているようだ。
ふり(振り)の客:フリー(無料:買い物をしない)の客という言葉ではなく、これも歴とした日本語で「紹介や予約なしに来た客」という意味。
かように、長くつきあっただけに、出会った語彙も多く、語彙収集という思わぬ余禄にあずかることができた。
語彙を増やしたかった私に、渡りに舟だった。
→『大菩薩峠』を薦めるか