今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

玉川上水を歩く1:久我山〜三鷹

2017年04月30日 | 川歩き

  GWはたいてい天気も良く、新緑が映え、かといってまだ暑くはないのでウォーキングにはベストシーズン。

まずは足ごしらえに、里川歩き。
野川の残りはお預けにして、今回は玉川上水。
玉川上水は江戸時代初期に、多摩川中流の羽村から江戸府内の四谷まで開削された飲料水用の人工河川だが、前近代の工事なので、
無粋なコンクリ堤防などなく、直線的である以外は自然の里川と変わらぬたたずまい。
そもそも私が里川歩きを最初に楽しんだのが、この玉川上水の小平市周辺部分で、そこは以前から川沿いの遊歩道があって、
三鷹から西武線の「玉川上水」まで、幾度か歩いた。


今回は、その三鷹から先の下流部を歩く。
といってもさらに下流の都市部はずっと暗渠なので、その暗渠が始まる地点を起点に三鷹まで歩く。 
その起点は、杉並区・久我山の中央高速道の真下(高井戸IC付近)で、そこに行くには京王井の頭線の「富士見ヶ丘」で降りる。

駅を降りてまずは神田川にかかる月見橋を渡る。
つまり、昨年10月の「神田川を歩く3」 (高井戸〜井の頭)で通過した道と交差するのだ。
このあたりの神田川は川幅が狭く川床もコンクリで印象に残っていない(上の記事でも記述がない)。

ほどなく中央道の下に達して、そこに玉川上水の暗渠の入口があり、そこから直線状の上流に沿って遊歩道が始まる。
ただ、歩道と川の間には当然ながら柵が続き、深い土手には草木が繁茂して川面は見えない。
それでも歩道は日陰だし、道もコンクリでなく自然状態なので、歩くには快適。
杉並区ではこの遊歩道付近の電柱・電線も地中に埋める工事をしていて、完成したら更に景観がよくなる。

三鷹市との境の牟礼橋は交差する車道の工事中で、道の中央にある名物の大ケヤキには近づけなかったのが残念(写真)。


三鷹市に入ると、杉並区のようなきれいな整備ではなくなり、よくも悪くもほったらかし(自然)状になるが、沿道の家は遊歩道側に意識を向けだして、民家をレストランにして、遊歩者を誘っている。
周囲に畑地が現われて、風情が増し、特に若草橋付近は武蔵野的な雑木が並んでいて思わず立ち止まる(私は”武蔵野”の風情が大好き)。

その先には、農家の私設販売所があったので、土がついている筍3本セット(500円)を購入。

ゆるい段丘があるせいか、川はそれなりに蛇行して北上する。
やがて広い公園(神田川の水源である井の頭公園の続き)に入り、
右岸は「小鳥の森」という自然林になる。
自然林に沿った歩道を歩けるのは、都内の川歩きでは滅多にない。
そもそも自然林を持った公園自体が、都内では数少ない。

里川歩きは、川に沿ってひたすら歩くのが基本だが、周囲に寄り道して、地域を堪能することも楽しみのひとつ。

この小鳥の森の奥に、「ジブリ美術館」があるので、寄り道する。
といってもそこは事前申込が必要で、しかもいつも申込が殺到しているから、予約無しでは入れないのはわかっている。
実際、入り口には「本日の入場分は完売」との表示があり、外国人の親子が立ち尽くしていた。

外から眺めるしかない美術館の屋上には、大きな(実物大?)ロボット兵が見える。
私は熱心なジブリファンではないが、宮崎作品の幾つかは好きなので、いつかローソンで予約をしたい。


さて玉川上水に戻る。
万助橋で、公園から出て、川は人工的な直線に戻り、歩道も堅いコンクリとなる。
道脇に「山本有三記念館」があるので、立ち寄る。

記念館は、大正時代の洋館で、氏が家族とともに10年間ほど居住していたもの(写真)。
山本有三といえば「路傍の石」が一番有名だが、実はそれを幼少時に映画館で観た記憶はあるのだが、
主人公が吾一という名だった以外はさっぱり覚えていない。
映画で感動すれば、喜んで原作を読むのだが、映画を観た年齢が幼な過ぎたのが災いして、
いまだ原作を紐解いていない。
氏の作品はずいぶん映画化され、「路傍の石」だけでも4度も映画化された(昭和30年代だけで3度)。 
氏の作品には無縁でも、この洋館(フランク・ロイド・ライトの影響を受けた部分もある)に入る価値はある(300円)。


ここから「風の散歩道」と名のついた道路の中央部分(川の部分)を歩いて三鷹駅に向かう。
途中、むらさき橋で、川を見たら、大きな黄色い鯉が悠然と泳いでいて、
川岸には甲羅の直径が30センチはありそうな大きな亀がいた。
この付近はすっかり街中だが生存に適した環境らしい。 

玉川上水は、 JR中央線の三鷹駅の下をそこだけ暗渠になって斜めにつっきっている。
なので駅の反対側に出て、川が地上に出る所を確認して、今回の終了とした。

ここまでの玉川上水は、川幅が狭く川岸が深いため、遊歩道からはほとんど川を見ることはできなかった。
ただ国指定の史跡になっていることもあって、遊歩道がきちんと続いて、車道を歩くことがないというのも珍しかった。 


さらば都立中央図書館

2017年04月29日 | 東京周辺

私の東京での昼間のサテライト書斎は国立国会図書館(新館)だが、祝祭日は休館なので、
GW初日の今日(昭和の日)は、以前それに利用していた都立中央図書館(普通の公立図書館と同じく祝祭日は開館)に行く。
今まで東京での日曜は仕事を休んでいたので、久々の再訪だ。 

これら大きな図書館は、館内に食堂があるので、そこで早めの昼食をとって仕事にとりかかる。 

そのつもりで、麻布十番の商店街を素通りして中央図書館に到着(真の最寄り駅は日比谷線の「広尾」)。
4階のテーブル席に道具を置いて席を確保し、空腹を鳴らしながら(あくまで文学的表現)5階の食堂に向かった。

そうしたら入り口に「休止」の張り紙。
3月末で業者が撤退し、次の業者を探しているとのこと。
一階にも軽食スペースがあったのだが、そこも同時に撤退した。

祝祭日は開いていても食堂がないなら、格下の区立図書館と同じだ
(午前中からずっと作業を続けるので昼食休憩は必須)。
財政豊かな首都東京の一番メインの”中央”図書館、
なんなら国立図書館と張合ってもおかしくないレベルの図書館が、この有り様とは情けない。
以前は、国会図書館とどちらがいいかを多方面から比較していたが、もう比較する対象(ライバル)ではない。 

あえて腹を空かしてここまでやってきた私は、がっかりして4階の席にもどったが、
これ以上ここにいても意味がないように感じ、退館することにした。
受付カウンタには「周辺のランチマップ」が置かれていたので、それを取って外に出て、
せっかくなのでその地図に載っている近くの蕎麦屋に入り、空腹を癒した。

GWの休日は国会図書館が休みなので、ここに通いづめる予定でいたが、
そうしたい理由がなくなった(自宅から遠いのでなおさら)。
パソコンを持ち込めるもっと近場の区立図書館で済ませることにしよう(その近所で昼食を摂ればよい)。 


GW突入

2017年04月28日 | 生活

本日の授業と会議を終えて、いよいよ明日から私もGW。
新年度のバタバタが一段落して、ちょっと疲れが出た頃にこのGWというのがありがたい。
今年は休日の配分がありがたく(4月29日だけが残念)、中1日の出勤日(東京から名古屋往復)を挟んで、週末と合せて10日ほどになる。

といっても毎度のように、この期間は泊り旅には出ない(どこに行っても混んでいるし、割高)。
むしろ集中して時間をとって仕事(講義準備、会議資料作成)に励む。
私にとっては GWは仕事の稼ぎ時なのだ(特に前半を仕事優先にする)。
とはいうものの、授業も会議もないので、自分の時間がずっと保てることの気楽さ・楽しさはある。
せっかくの新緑の時季なので、2回ほど日帰りで歩きに行きたいし、 夜は借りたDVDで映画三昧といきたい。


湯島聖堂孔子祭に行く

2017年04月23日 | 歳時

わが小笠原流などの武家礼法の大本は儒教の「礼」である。
その本場の礼がいかなるものか知りたい(『儀礼』に詳細な記述はあるが実物を見たい)。

日本の儒教の本山ともいえる湯島聖堂(文京区)では毎年4月の第四日曜に孔子を祀る釈奠(せきてん)
今風に言い換えて「孔子祭」が開催され、参加自由というので行ってみた。


聖堂の本殿ともいえる大成殿には木造の孔子像が本尊として祀られている(写真右。まだ扉が閉じている)。
開始の午前10時直前に行ったが別段混雑はしておらず、一般見物人は、来賓や斯文会員の椅子席の後ろで立ち見。
式の最中も写真撮影はOK(左の人が進行役)。

まず神主が3名入ってきて、堂内の四方で幣(ぬさ)を振って修祓をする。
彼らは神田明神の神職だという。
これ以降、彼らが儀式を執り行う。
すでに着席していた神職衣裳の3名の楽師が雅楽を奏でる。
すなわち、儀式は神道式になっている。

孔子像に供物を供える奠饌の儀こそ、爵という古代中国由来の青銅器(私も持っている)を用いているが、
お辞儀は和風。

この釈奠は、聖堂を開いた林羅山が最初に実施して、明治維新で途絶えたというが、
もしかしたら最初からそのやり方までは日本に伝わらなかったのかもしれない(日本の儒は文献研究だから)。 

次の献茶は、煎茶の家元によるもので煎茶用の小さい天目茶碗が供された。
古代の団茶(中国では現存)ならぬ、そして抹茶よりも新しい煎茶というのも不思議。
煎茶は江戸時代に日本に広まったので同時期に始まった釈奠に適合しているといえるか(抹茶だと日本では仏教儀式になる)。

次に祭主や来賓が拝をする。
拝台(写真中央やや右)には鼎(かなえ)型の香炉とその右横に抹香が置いてあり、
祭主(聖堂を管理する斯文会理事)は仏式のように焼香する。
仏式と異なるのは、合掌せずにお辞儀をした点。
ところが、来賓の台湾の経済文化代表所代表は、焼香をせず、三回拝をし、合掌して、再び三拝。
三拝は儒教的だが、こちらは合掌が仏式だ(非仏式なら拱手)。

う〜ん、どちらも純粋な儒教作法とはいいがたい。
以前、正月にここの孔子像を参拝した際、そのやり方に戸惑ったのだが、
今回の儀式によれば和式のお辞儀に仏式合掌でかまわないようだ。

神職たちが退席した後、「講経」として日大の元教授が、論語の一節について、あちこちから語意を引用しての解説。
仏式の法話に相当する部分だが、論語の中身なので人生訓として価値がある。
それを聞いて改めて思うのだが、
釈迦よりもさらに古い時代の人の言行録が現代にも通用するのだから、やはり孔子様はすごい。

その後は、二松学舎大付属高校生たちによる「孔子頌徳の歌」の斉唱(昭和2年作)。
 仏式の和讚・キリスト教の賛美歌に相当。
入り口で受け取った式次第の紙に五線譜付きの歌詞が載っているのでそれを見ながら私も歌う。

以上でおしまい。
しめて1時間。


昼食時になったので、聖堂にちなんだ聖橋(ひじりばし)を渡ってお茶の水(千代田区)側の中華レストランに行く。
釈奠の祝宴のつもりで、青島(チンタオ)ビールとつまみのザーサイ、そしていつも通りの五目焼そばを注文。
さっそく撮影した釈奠風景をカメラの液晶で確認していたら、
水を運んできた中国人の若いウエイトレスがその画像(上の写真)に目を留めて、それは何かと聞いてきた。
上の写真にただならぬものを感じたのはさすが儒教の母国の出身者
(日本人だったら、質問まではしなかったろう)。

自分の勤める店のすぐ近くで、日本で唯一の孔子様の祭りが行われたことに彼女は驚き、
その行事をどうやって知ったのかさらに聞いてきた。
湯島聖堂のサイトでは公表しているのだが、確かに一般には知られていないよな。
儀式に関して言えば、かように儒教は消滅に瀕しているわけだが、
道徳としての儒教はわれわれの心の中には依然しっかり根を張っているのも確かだ。 


クレカが不正使用された

2017年04月21日 | 失敗・災難

ネットでの買い物と旅行の宿代、それにいくつかの使用料金はクレカで支払っている。

先日、ネットでの買い物で登録しているヨドバシのゴールドポイントカードで払おうとしたら、使用不能になっていた。
へんだと思いながら、とりあえず別のカードで決済し、そのままにしていた。

するとヨドバシのカード会社から携帯に幾度も電話がかかっていたことが分った(携帯は鞄に入れっ放しで通話にはほとんど使わない)。 

カード会社からなのでこちらから電話してみると、実は私のカードが不正使用された形跡があったので、使用不能にしたのだという。
その不正使用(15回もの連続使用)は、私には被害は及ばず、カードは自動的に再発行されるという。

不正使用された原因の可能性を尋ねると、ランダムな検索で偶然ひっかったか、買い物先のセキュリティが甘かったためという(これは今後注意していきたい)。

いずれにせよ、私本人が気づく前に半ば自動的に使用停止してくれたのはありがたい。
不正使用された点は不安だが、その後の対応の迅速さには却って信頼感が増した。 

ちなみに、母の知人宅(高齢者)に、やはり同様の主旨の電話がかかり、カードを再発行するために暗証番号を尋ねてきたという。
こっちは明らかに振込め詐欺。

カードにはこのような危険もあるが、セキュリティ機能と補償機能があるので、結果的には安心できる。
少なくとも高額な現金を持ち歩くよりは安全だろう。 


武力攻撃事態への対応

2017年04月20日 | 防災・安全

過去に拉致やテロを指導してきた(”イスラム国”並みの)地上最悪の独裁国家によるミサイル開発を放置してきたツケで、
わが国にも武力攻撃の危機が迫っている(その危機は米軍基地があるためというのはあまりに短絡的)。

では武力攻撃に対して日本はどう法的に対処するのか(「シン・ゴジラ」を思い出す)。

災害事態での災害基本法に対応する法律として武力事態には
「国民生活保護法」と「武力事態対処法」(それぞれ略称)がある。
すなわち法治国家であるわが国は、緊急事態においても法律に基づいた対応が求められる。 

それによれば、その事態になれば内閣総理大臣が対策本部長となり、
具体的な対応措置は地方公共団体の長が責務を有するという。
あなたの在所の知事さんは大丈夫だろうか(”安全”より”安心”を優先するようでは心許ない)。

やはり国民は、自分たちで自分の命を守るべきだろう。

私は「危機管理主任」なる資格をもっているが、
この資格の対象は自然災害だけでなく武力攻撃も含まれる。

防災マニュアルとして定評のある東京都作成の『東京防災』にも、
テロ・武力攻撃に対する対処が載っている(p164-167)。

それによれば、弾道ミサイルに対しては、
近所の頑丈な建物(鉄筋・鉄骨)や地下街に避難する。
ちなみに、地下街(地下鉄の駅構内)は、往年の東宝の怪獣映画(たとえば「サンダ対ガイラ」)でも都民の避難先に使われた。

一方、化学兵器や生物兵器に対しては、逆に屋外のしかも風上に避難する
(オウムテロのサリンは被害を拡大するため地下鉄内で撒かれた)。

かように、攻撃手段によって対処が異なることを心に留めておきたい。

それとスマホで Jアラートを(プッシュ型で)受信できるようにしておこう(「Yahoo! 防災速報」など)。

理想はかの国の武装解除だが、そこに至る過程を交渉等で平和裡に進めることは、
過去の歴史からみても不可能といえる。


葉桜の目黒川を歩く

2017年04月16日 | 川歩き

帰京した後の日曜、桜を愛でながら川歩きをしたい。

桜並木沿いの川とくれば、目黒川だ。

都心部の川なので、川そのものは人工的様相だろうが、桜の季節なら歩き甲斐がありそう。


もちろん河口から歩き始めるので、羽田空港行きモノレール駅の「天王洲アイル」に降り立つ。
河口部に当たる東京湾岸は、殺伐としたビル群で道路は広く、人通りは少ない。
人工島の天王洲から目黒川の河口部に行くと、
ほとんど黒の深緑によどんだ水に、桜の花が群となって浮いている。
この付近には桜がないので、上流から流れてきたのが溜まっているのだ。
いかにも桜が豊富な目黒川らしい河口だ。
といっても都市部にある河口の川は死相を呈して、見るに忍びない。 
先を急ごう。


品川区の運動場から歩道の橋で目黒川の河口(写真)を眺めながら渡ると「東品川海上公園」となる。
その名の通りここはまだ臨海部だが、目黒川の桜並木はここから始まる。 
残念ながら、数日遅く、葉桜になっているが、その分緑が多いので春の気分となるには不足はない。
目黒川はこの河口部から川沿いの歩道が両側にあり、しかも桜並木になっている。
品川区のこの姿勢は、川に背を向けている神田川の河口部(中央区) とはおおいに異なる。
川沿いに歩いて橋の中央に和風の屋根付きベンチのある品川橋に達する。

そこはなんと旧東海道の橋。
橋の北側は旧東海道の品川宿の町並みになっている。
町中の無料休憩所脇では地元の主婦たちがなにやら小麦粉を練って料理の仕度中。
街道歩きの人たちが橋を渡っていく。
そうか、川歩きの他に街道歩きという手もある(東海道も中山道も名古屋からの方が楽しめるが)。
街道歩きの楽しみは数年後に預けるとして、
今回は東海道と直交する目黒川歩きなので、宿場風情を堪能せずに先を急ぐ。

すぐ上流にある地元の鎮守・荏原神社に詣で、鳥居前の赤い欄干の鎮守橋を渡り、
京急線の下をくぐり、第一京浜の広い道路を渡って、
東海橋沿いの三重塔のある本光寺に立ち寄り、対岸の東海禅寺(沢庵和尚の寺)にも立ち寄る。


JRの鉄橋(京浜東北、東海道、山の手)を次々くぐって、
品川御殿山のビル群を行く手に仰ぎ、川沿いの道は大崎ニューシティという高層ビル群沿いになる。
同じ都市的風景でも人工島の湾岸沿いの殺伐さとはうってかわって、
この一帯は、高層オフィスだけでなく高層マンションが建ち並んで人の生活感があり、
しかも並木の緑も豊かで職住近接の快適なアーバンライフが送れそう。
といっても目黒川自体は、両岸はコンクリート壁で、川も深緑によどみ、魚影も鳥の姿もない。
御成橋脇にあった説明板によれば、以前の目黒川は下水がそのまま入って悪臭を放っていたという。 
今では水質が改善して鮎も遡上しているとのこと。
でも川は透明でないけど。 

五反田の国道1号(現東海道)を渡ると、桜並木の密度が増してくる。
葉桜の中に満開になっている桜があったので、咲き遅れた木かと思ったら、八重桜だった。
ソメイヨシノは葉桜だが、この八重桜やピンクの濃い関山桜の満開は楽しめた。


東急目黒線の鉄橋を過ぎると、ここから先が桜の名所として有名な地帯となる。
うちの菩提寺である五百羅漢寺に行く時いつも通るから知っているのだ。
ここまで来てその五百羅漢寺に立ち寄らないと、霊廟で眠っている父に申し訳ないので、
羅漢寺に立ち寄って屋内の霊廟を開けて線香を立てる。

ついでに親戚が供えたままの缶ビールを拝借(酒類は持ち帰るのが原則)。 

対岸の目黒雅叙園の桜の並木が川にせり出して、目黒川ではいちばん見ごたえがある風景を作っている。 
川には立ち漕ぎサーフィンで川を遡上している人たちがいる。
波がなく、流れもゆるいので楽しそうだ。 

目黒通りを渡ると、右岸が公園続きとなり、そこに腰を下ろして、さきほどの缶ビールの栓を抜く。
川歩きでは完歩後にビールを開けることにしているのだが、
今回は桜の花見が目的でもあるので、こうして花見らしいことをするのだ。

白く高い煙突が目立つ目黒清掃工場付近の桜もきれいで(写真)、
中目黒公園付近の風情も川への愛情を感じる。

船入場広場に達すると、歩道は川から離れ気味になるのだが、
川には人工的な石が置かれて、川の様相が一変する。
河原が中途半端な公園風になるのだ。 
といっても人が降りることはできない。
その代り、サギが数羽たむろして、鴨の群も見える。
河口から遡行して、はじめて生き物に出会えた。

駒沢通りに出て正覚寺に立ち寄り、公衆トイレを借りる。
目黒区の目黒川沿いにはトイレの案内が随所のあるがのありがたい。
目黒川が下流からさらにこの先の上流までずっと桜並木だから、歩く人が多いのだろう。


周囲にしゃれた店が増えてくると中目黒駅。
ここから目黒川もぐっと狭くなり(両岸が接近し)、親しみやすくなる。
川をみると、なんと水が透明になっている!
しかもしっかり流れている。
さきほどの鳥がいた船入場から変わったのだろう。 
ただ川床は昭和初期の改修による、コンクリートの人工的凹凸。
当時はあえてそうすることがかっこよかったのだろう。

中目黒から先は、川沿いにしゃれた店や出店も立ち並び、吉祥寺的雰囲気となる。
こういう道は歩くだけで楽しい。
それがずっと続いて、右手に円形状の大きな建物が見えて、その先で目黒川は暗渠となる(写真)。


暗渠となる池尻大橋(国道246上)が目黒川の終点。
円形状の建物は首都高の大橋JCTで、その最上部は「天空庭園」となっているので、行ってみた。
屋上の庭園からは本来なら目黒川が一望のはずだが、風景はビルだらけ。

ここから先は目黒川は2つに別れてその両方とも暗渠の上の緑道となる。
つまりその2つの川(烏山川と北沢川)が合流してここ池尻から目黒川になるのだ。 

目黒川は河口からここまで、ほとんどが桜並木で遊歩道がついている。
川そのものは都市部の人工的な川で見映えがしないが、桜の時季なら最高に楽しい川歩きができる。 
次回は、ぜひ満開の時に歩きたい。 


大学生の遠足

2017年04月08日 | お仕事

新年度の最初の怒濤のような一週間の締めくくりは、大学新入生の遠足

私が新入生の頃を含めて、以前は泊まり込みでの合宿だったのだが、最近は授業回数確保のため余分な日数を使えず、また参加者全員が疲労困ぱいするため、日帰り、しかも近場の遠足に落ち着いている。
わが心理学科は、例年通り「博物館明治村」。
明治建築は心理学とは直接接点はないが、全員が収容できる大食堂を借り切れ、距離的にも手ごろなので、他に選択肢がない。

私は教員の一人として、担当班の学生たちを引率し、明治村のベスト2であるザビエル天主堂とフランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテルを案内。
道すがら明治建築の特徴をひとくさり説明。
さらに駄菓子屋に連れて行き、学生たちに買物時間を与える。
まるで、ツアーの添乗員だ(駄菓子屋からリベートはもらっていない)。

午前中に見学を終えて、昼は大食堂で食事をし(学生たちは皿に盛られた料理よりデザートのケーキ類に群がる)、全員でゲームをやって帰途につく。
今日は、桜こそ満開だったが、今にも降りそうな天気で、食堂を出たらかなりの雨だった。
村内見学中は振られなかったのが幸い。

半日行程なので、疲れもせず終了(なので研究室に直行し、仕事をこなす)。
来週から、 通常の忙しさが始まる。 


新年度の授業開始時の気分は

2017年04月05日 | お仕事

本日から、新年度の授業が始まった。
今年は、ものすごく久々に早々の1限目から授業を担当する。
早起きに慣れなくては。

いざ、授業を始めると、始業前までの憂鬱感など吹っ飛んで、いつもの気持ちの張りが戻っている。
仕事ってそういうもんで、ある種の戦闘モード(交感神経興奮)になれるため。
この交感神経興奮状態にもっていけない人が、本当の鬱になるんだな。 

私はもともと気分障害タイプでないので(どちらかというとシゾイド)、鬱気(うつっけ)は状況次第で簡単に吹っ飛ぶ。

これからしばらくは、自分の研究を忘れて、教育業務に専心しなければならない。
それはいわばルーティン・ワークなので、論文を書く時の懊悩呻吟の苦しみから逃れられる期間でもある。

もちろん業務は業務で時間と作業に追われてストレスとなるが、定型処理的に突破できるので、月に一度温泉に行けばすっきりする。

自分の真の仕事である研究論文の生みの苦しみは、業務から解放される”夏休み”にお預け。
つまり、それぞれ別の時期に取り組むので、ストレス過剰にならないで済むのだ。 

ということはストレスから完全に解放されるのは、年度末の春休みだけなのだが、
だから春休みの終わりは、(会社員にとっての”日曜夕方”と同じで)憂鬱になってしまう。

気分転換は必要だが、完全に別世界に行ってしまうと、実世界に戻るだけでもつらくなってしまう。


権現山・刈安城趾

2017年04月03日 | 城巡り

恵那峡温泉旅の帰途、時間があるので、東濃(岐阜県南東部)の山城巡りをしよう。
恵那から近いのは、中山道脇の権現山の頂上にある刈安城趾

そもそもこの権現山は、東濃で3番目に目につく山(1番は恵那山、2番は笠置山)だったので、前から行きたいと思っていた。 
つまり山登りと山城巡りの両方の趣味が満たされる(記事のジャンルを「城巡り」か「山歩き」か迷った結果、上位概念である「旅」にした)。

その権現山は、恵那市の大井宿から木曽川を離れて丘陵地帯を横断する旧中山道沿い、大湫(オオクテ)宿の手前にある。
大湫宿前後は旧街道の面影が残っている街道歩きの人気スポット。
この旧中山道は以前の車(Rover Mini)で大湫〜細久手〜御嵩を走破した。
その時、気づかずに権現山の登り口を素通りしてしまったのだ。

もちろん今回も車なので、近い所まで行きたい。
登り口に近い大久後立場の駐車場までのルートは、ナビアプリだと木曽川沿いの国道19号の南から上る道しか出ないが、経験から、旧中山道は私の車ならなんとか走行できる細い道なので、むりやり恵那市側から作業用の林道と旧中山道を通って東から大久後立場に出て車を停めた。
ここから徒歩で中山道を5分ほど上ると、右側に権現山に登る分岐の指導標があり、登り口だけ石段になっている。
山頂は城跡でありながら今は刈安神社となっているのだ。
城の方が古いのだろうが、「権現」という名から神仏習合を前提にした神社であり、実際山道に古い石仏があった。

登山道は竪堀をそのまま使っているので、見事な直登。
ゆっくり登っても汗が出てくる。
稲荷と金毘羅の石祠を脇に見れば、ほどなく社殿のある広い頂上に出る (写真)。
広く平らになっていのはここが曲輪(クルワ)だからだ。
ただ周囲の樹林が伸びているので展望はない。 

社殿の上には烏帽子岩が覆いかぶさっているので、最高点のそこをめざして這い上がる。
烏帽子岩のてっぺんに立つと、木曽川を隔てた恵那山が望める。
北側には樹林の間からだが、純白の中央アルプス核心部も望まれる。
権現山は、591mの標高点が西側の山陵にあるのだが、それは最高点ではなく、最高点である烏帽子岩のてっぺんの標高はスマホアプリのGPS高度計によれば 613m。

ちなみに刈安城は、城主が諸説あって明確でなく、15-16世紀に存在し、関ヶ原の戦いとも関連しているという言い伝えもある。

登り口からの距離は短いが、急坂なためか、下山中に左脚の腸脛靭帯が痛みだしたので、左脚の外側ではなく内側に負荷がかかるように、足を左斜めに向けて降りた。
さらに車での下山は、国道19号への南ルートで降りた(こちらの方が道が広い)。 
実は東濃の19号沿いには他にも城跡が点在している(小里城は行った)。
これらも温泉旅の行き帰りに立寄ることにする。


英気補充の温泉旅

2017年04月02日 | 

いよいよ新年度。
教員にとっては、過去一年間の仕事の成果がご破算になって、また一からやり直し、という感に見舞われるので、
一年で一番心が重い時季。

といっても新入生に対する行事が多いので、そのような気分はおくびにも出せず、むしろハイに振る舞わざるをえない。

その英気を養うため、毎年授業開始前に、一泊だが温泉旅に出ることにしている。

慰労ではなく、元気をつけるのが目的なので、リラックスよりリフレッシュ。
刺激的な濃い湯がいい。

そこで、名古屋宅から車で気楽に行けてしかも転地効果のある東濃(岐阜県南東部)の、湯が気に入っている「湯快リゾート・恵那峡国際ホテル」に投宿。

ここはその名が示す安ホテルチェーンなので、設備は推して知るべしなのだが、
温泉の浸透圧が貴重な”高張性”で、これだけで温泉好きには価値があるというもの
(皆さん、温泉は泉質以上に浸透圧が大事なのですよ。たとえ白濁していても浸透圧が低ければ、
入浴剤入りの家の風呂と同じだから。日本の温泉の大部分は実は”低張性”)。

居住性や食事の良さではなく、湯そのものの刺激が欲しい時はここにする(同じ恵那峡でも、お籠りで居住性を求める時は、別の宿にする)。

といってもバイキングの夕食は、質はわかっているものの、それなりにワクワクしてしまう。
安宿といえど、料理はテーマを決めて定期的に替えており、今回は九州料理。
好物の辛子レンコンがあったのはうれしい。
私はバイキングにおいては、満腹をめざしながらも糖質は極力控えるので、皿うどんも「うどん」なしで食べる。
でもエビの天ぷらをいくつも食べるので、カロリー的にはそれなりになる
(つまり多種類あるおかずを優先したいから、ご飯・麺類は後回しになる)。

カロリーを気にせず満腹にするために、ふんだんに食べるのは野菜料理。
もともと野菜好きだから、無理しているのではなく、好きな食事を楽しんでいる。
ビールは中瓶1本(ジョッキでなく瓶)。 
1500円で飲み放題もあるのだが、私は夕食後も作業をし、寝酒派なので、中瓶1本が空いたら、あとはウーロン茶。 

今は春休みのため、家族連れが多い(見渡したところ、一人客は私だけ)。
子度向けの餅つき大会などで食事会場を盛り上げる。
安宿なのでコストは抑えざるをえないが、就業中の人員を使った付加サービスで客の満足感を高める工夫はいい。

またここはマッサージ機が無料で使えるのがありがたい(安い宿泊料以外に追加料金を課さない態度は立派)。
マシンを30分使って風呂上がりに固まった筋肉をほぐす。

ただ、古い建物のため、ツインの洋室は狭く居住性が悪いので、
パソコンを使った作業は、広いロビーのソファに身を沈めて、行き交う宿泊客たちの姿や声をバックに(狭い部屋で一人で作業するより気分がいい)、持参したMacBookProを叩く(といってもやっていることはこのブログ)。

ここは 館内全部でwifiが使えるようになった。
今、日本の宿のサービスポイントはこのwifiの拡充にある。
それと、ここも浴室の入口でスリッパ対策がなさている。
そう、スリッパ対策(自分のスリッパを他人に履いていかれない対策)も重要なポイント。

廃業したホテルを買い取ったゆえの建物の古さは不満だが、
安い宿泊料(年間同一料金)を維持してしかもサービスの工夫・向上を怠らない姿勢には好感が持てる。
サービス合理化のため客室のお茶菓子がつかなくなったのは許容するとしよう(他の宿でも同傾向)。