今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

南相馬市の悲劇

2011年09月30日 | 東日本大震災関連
南相馬市の緊急避難措置がやっと解除された。
線量的には、それに値する地域ではなかったのに、原発からの”距離”だけで判断された結果だった。
線量的には、南相馬市は、福島市や郡山市並かそれ以下だ。
4月に南相馬市街にボランティアで入った人によれば、当時でもう空気中は1μSv/hを下回っていたという(市の南西部だけは値が高いが市街地からは遠い)。
本来なら津波被害からの復旧が急がれるべきなのに、強制的に”死の町”にさせられたのだ。

逆に、原発から北西に離れた飯舘村の南部は、緊急避難に値する線量であったにもかかわらず、距離だけで判断された結果、高い放射線量の中、5月末まで野放しにされた
(今日のニュースで飯舘村の土壌からプルトニウムが検出されたという)。

3月の事故当初は、確かにチェルノブイリと同じく距離による判断しかできない。
しかし、その後は実際の線量によって”正しく”判断できたし、すべきだった
(この疑問については5月くらいからこのブログで論じている)。

”計画”に則って、原発が"冷温停止"状態になるのを待っていたのだろうか。
官僚思考の人たちが責任を取りたくなかったのだろう。
その半年間の無為無策のツケは、生活の破壊という形で福島県民にのしかかった。

それにしても、除染が遅々として進まない。
というか悠長に構えすぎ。
放射性セシウムによる汚染下では、年間被曝量が増え続ける一方なのに、
なんで除染計画が”年”単位なのか。

これは地元自治体や東電に責任を押しつけることで、迅速に解決できる問題ではない。
”国土”の問題だ。
日本全体の技術力・財力を動員すべき問題だ。
それは被災地のみを利するために、他地域が犠牲になることではない。
国を挙げての”復興”(大規模公共事業)こそ、我が国全体の景気回復の起爆剤なんだが。

本の”自炊”始めました

2011年09月28日 | 生活

iPadを電子書籍の閲覧に使わないと、図体のでかいiPodtouchでしかなくなる。
iPadの大きさと重さがプラスの価値を持つのは、電子書籍の閲覧に使ってこそ。
分厚い専門書群がことごとく、iPadで読めるのだから。

ただ電子書籍の流通量はまだまだ少ない。
とりわけ専門書(分厚く、高価)は皆無に近い。
そこで自炊ですよ。

”自炊”とは、紙の書籍を分解して、自分で電子書籍化すること。
この作業には、紙を次々とpdfファイルにしてくれる”ページスキャナ”というマシンが必須。
私は富士通のScanSnap1500Mを愛用。
ただしページスキャナに読み込ますには、本を完全に1枚ずつの紙状態に分離する必要がある。
この作業が心理的にも物理的にもネックだった。

心理的ネックは、本が解体されることで、本として存在しなくなる覚悟。
物理的ネックは、本をきれいに分解する作業が、手ではやりにくいこと(不可能ではないがすごい手間と慎重さが必要)。

自炊代行業に頼むと、原本が処分されてしまうので、なんか喪失感があるし、自炊のしなおしができない。
自分でやれば、解体した本は残るので、必要なら再書籍化すればいい(専用の器材が必要だが、勤務先にある)。
それで心理的ネックはなんとかなる。

物理的ネックの解決には裁断機が必要。
本を一度に裁断する機械がいいかと思ったが、ネットで調べたら、オフィスにあるような数十枚分の普通の裁断機でいいという。
その分工程が増えるのだが、手間としてはたいしたことないという。むしろでかい裁断機を購入・保管するデメリットがあるという。
この情報を得て、気が楽になり、さっそく本の表紙と裏表紙を引きはがし、
さらに数十ページごとに本を手で分解したあとは、
それらを共同研究室の事務用裁断機をつかって、カットする。
その後は、ページスキャンであっという間(というほどではないが)に、電子書類に早変わり。

これらを自分用のネットサーバーにアップしておけば、
家や職場、あるいはネットにつながるどこからでもiPadにダウンロードできて、
その場で閲覧できる(いわゆる"クラウド”的使い方)。
すなわち、読んでいる本以外はiPadにいれておく必要もない。

自炊した電子書籍は、ただ閲覧するだけに終わらない。
ソフトによっては、色の線を引いたり書き込みもできる。
さらにパソコンで開けば、書籍内どころか書籍間の単語検索ができるので、文献研究そのものが可能。
つまり電子書籍をデータベース的に使える。
研究者にとってはこのメリットが大きい。

裁断した元”本”は、再電子化(やり直し)する可能性がある間は、
ページ順に綴じた状態で、段ボール箱に保管しておく。
それががなければ処分していい。
少なくとも本棚にはどんどん空きができる。

一度しか読まないような小説などは、自炊作業までして電子化する必要はない。
何度も参照するような価値の高い本や、屋外など外出先で参照したい本(図鑑など)、
重くて持ち歩きたくない本などが電子化に向いている。

あと小さい活字の昔の文庫本も、老眼気味の私は電子化して拡大して読みたい。


彼岸まで

2011年09月23日 | 歳時
秋分の日の今日、やっと気温的にも”秋晴れ”となった。

「暑さ寒さも彼岸まで」とは、けだし名言だとつくづく思った。
9月なのになぜ暑いという先日までの疑問は、「だって彼岸前だから」という答えで済んでしまう。

そんな秋分の日にして3連休の初日、私は旅行にも東京の実家にもいかず、名古屋の棲み家に篭っている。
こんないい天気なのだから、日帰り旅でもすればいいし、少なくとも栄などの繁華街に出て行くものいい。
だが、そんな気分にはなれないのだ。
頭が完全に仕事モードになっており、これから本格的に始まる後期授業の準備以外、する気がおきない。

実は、今年度から、講義はすべてiPadかiPodtouchでプレゼン画面(使用ソフトはKeynote)でやろうと思っている。
プレゼン画面は一度作ってしまえば、板書がいらないし、視覚資料を画面に呈示できるので授業がしやすくなる。
板書作業がないぶん、授業の進度も若干アップする(学生はノート筆記に忙しそうだが)。

でも最初の制作にすごい労力がかかる。
後期に担当する科目の数だけ、ことごとく制作しているので、その労力は並でない
(しかも新しく担当する講義もある)。
今がその時期に当たるのだ。
幸い、授業の進度を見越して自転車操業的に数回分だけ作ればいいから、なんとかなる。
でも、遊ぶ暇はない。

台風の2つの顔

2011年09月21日 | 防災・安全
台風15号の接近で、後期授業初日なのに休講。
もちろんずっと自宅にいた。
ただ、雨は昨日にくらべればまったくたいしたことなかった。
なぜなら、台風はにわかに移動速度を上げたため、強い雨が持続的に降らなくなったから。
つまり台風本体の雨雲だけならば恐るるに足らず。

台風がほとんど停滞してしまうと、12号の時のように、甚大な豪雨被害をもたらす。
ところが、台風の移動速度が速くなると、雨雲の移動も速くなり、結果的に総雨量はたいしたことにはならない(100ミリ単位にとどまり、1000ミリには達しない)。

台風が速度を上げて関東に接近すると、今度は、関東で強風被害が出てきた。
台風の移動速度は、台風自体の風の力を更にパワーアップするのだ。

そして台風の移動に伴って風向も変化する。
昨日は、ずっと南風だったが、今日は東風になり、午後は北風になった。
つまり、反時計回りに半周したわけだ。
風速では大雨の時の南風は弱く、東風と北風の時が強かった。

台風には2つの顔がある。
ほとんど停滞している時は、広範囲に大雨をもたらす”雨台風”となり、
すばやく移動する時は、強風をもたらす”風台風”となる。
もっとも、雨・風ともに強いのが台風の本質であるけど、どちらにより警戒すべきかは判断できる。

名古屋に戻ってみれば

2011年09月20日 | お天気
生暖かい風が吹いているが雨とは無縁の浜名湖から、大雨で遅れたというJR東海道線に乗って名古屋に戻ってみれば、どしゃぶりの雨。
夏に東京で体験したような、”道路が川”状態。
なので帰宅した時は、自分も旅行用バッグもずぶ濡れ。

今から2つのキャンパスでの会議に行かなくてはならないが、
愛車で川状態の道路を走る気がしない。
地下駐車場に留めている間に冠水するかもしれないし。
なので、公共交通機関とスクールバスを使って、キャンパスを行き来した。

そうこうしているうちに、名古屋でなんと”100万人”が避難勧告。
名古屋の人口の半分近い。
幸い、勤務先も名古屋宅も(本物の)川から遠く、低地ではないので、心配はない。
でも庄内川が氾濫した模様。

雨は断続的で、ずっと降っているわけではない。
ただその雲がテーパリング雲状態に細長く、短時間強雨をもたらす。
今日だけで200ミリ以上降った。
しかも、これは台風の雲ではななく、その外側の湿った空気が北の秋雨前線に吹き込む雲。
明日、台風本体の雲がやってくる。
本番は明日なのだ。

それにしても1泊だと、全然気分転換にならない。


浜名湖畔に泊まる

2011年09月19日 | 
三連休の中日の日曜に大学公開の仕事が入った。
私大として生き残るために力を入れざるをえない対外的な行事は(昔の大学では無かった)、
土日が使われるので、下手すると休みなしの週も出現する。
幸い、後期授業は水曜からなので、今回はセーフ。

もともと先日の論文提出の慰労と、そしてこれからはじまる後期授業の英気を養うため、
連休最後の晩を、浜名湖の準定宿・グリーンプラザ浜名湖に予約しておいた。
そこの部屋でこの原稿を打っている(イー・モバイル持参)。

名古屋から浜名湖へは、東名高速を使えば1時間ちょいで行けるのだが、
宿が天竜浜名湖線の駅から近いので、最近はずっとローカル線での”のんびり旅”。

ここは温泉ではないが、湖が一望の大浴場が気分いい。
なにより楽しみなのは、ズワイガニを中心とした夕食のバイキング。
日頃はなかなか食べないカニを、ここでは飽きるほど食べる。
B級的だが、浜松餃子や静岡おでんも人気。

部屋も和洋室でゆったり使え、全室浜名湖のオーシャンビュー。
和洋室だと、パソコン打ちの仕事は和室の広い座机でこなし、寝るのはベッドなので、どちらも快適。
この環境を、会員価格により、ビジネスホテル程度の料金で得られる。

今年度の後期は、”学科主任”の任期のしめくくりとなる仕事がすでに目白押し。
今までのように、毎月2泊の旅行は無理そう。
せめて月に1泊でもして、ストレスを溜めないようにしたい。

祝杯の理由

2011年09月16日 | お仕事
今日は2重の祝杯。
まずは論文が仕上り、提出した。
研究者としての職務は、自分の研究の最前線を推し進めることである。
自分の社会人としての最もコアな部分が進展したのであるから、祝っていい。

もう1つは、職場の年に一度の健康診断が済んだから。
なぜこれが祝杯かといえば、
健康診断には、血液検査があり、γ-GTP が検査項目にあるからだ。
つまりこのアルコール性肝障害の指標を安全値にするには、
数日前から禁酒が必要なのだ。
今回は前日は全面禁酒、2日前は部分禁酒(?)の苦行を強いた。

それが終わったのだ。
これこそ祝杯にふさわしい!

職場帰りに、近所の”やまや”で、
キリンの「ハートランド」(500mlのラベルのないシンプルな瓶)を買い、
自宅で、つまみとともに、瓶から口飲みで祝杯。
ハートランドは、バリ島で飲むビンタンビールと同じく、焦げ味(濃い味)系なので気に入っている。
そして、瓶ビールは口飲みがおいしい!(500mlだから可)。

この祝杯は、幸福感が相乗的に高まる構造をなしている。
すなわち、幸福な出来事を祝して、酒を飲むわけだが、
酒が飲めること自体が幸せであり、さらにその酒がまた旨いので、
幸福が昂進するのだ。

ゼオライトの除染効果を試した

2011年09月14日 | 東日本大震災関連
5月に飯舘村から採取してきた土の上にゼオライトを捲いて、除染効果を試した。
厚さ8cmほどのその土は、表面が2.2μSv/h(以下同)、底面が0.14。
それを上下混合した結果、表面が0.35になった。

まずヒマワリの種を蒔いた。
まもなく発芽して、二段目の葉まで出たが、ほどなく枯れてしまった。
その時点で0.31。
8月2日に土の上にゼオライト・セラミック((株)アルコスからネットで購入)を土の面を覆うほど捲き(約200g)、
そのまま放置。
9月15日に除去して、土から2cmの高さで放射線量を測った。
結果は0.3前後と、ほとんど差がなかった。
ただ捲いたゼオライトだけを取り出して測ると、未使用のものにくらべて、二倍ほど高かった(0.27,0.13)。
ゼオライト側が若干吸収したことはわかる。

期待したほどの効果がなかったのは、
捲いたゼオライトは球状なので接地面積が小さいことも影響していたかもしれない。
なので今度は、土中に埋めてみることにする。

『福島原発事故 放射能と栄養』…内部被曝を防ぐ食べ方

2011年09月13日 | 東日本大震災関連

実りの秋。
キノコが大好きな私は、毎年買っているかの地方産のマツタケが気にかかる。
周辺地域では外部被曝の危機は去ったが、まだ内部被曝の危機が残っているからだ。

そんな時、満を持して出版されたのがこの本。
『福島原発事故 放射能と栄養』(白石久仁雄 宮帯出版社) 890円+税
なにしろ発行は2011年9月13日(その数日前に入手)。

著者の白石氏は放射線医学総合研究所の内部被曝研究室長にして、
原発事故における放射線と食品の関係を世界最初に扱った『チェルノブイリ事故 放射能と栄養』の翻訳者。
放射線と健康の問題は、その道の専門家の具体的なアドバイスを受けよう。

ウクライナでは、汚染土壌のキノコを食べたり、汚染した牛からの牛乳を飲んだりしたための健康被害が有名だが
(これは事故の隠ぺいの結果である)、
それ以外でも、汚染した食物を避けるため輸入品にたよった結果、栄養のバランスがくずれたり別の毒素の摂取によって、
健康を害した人が増えたという。

まず内部被曝をできるだけ防御する食品の扱い方が紹介されている。
放射性セシウムは水溶性だから、水洗いと煮出しをすれば、摂取量を1/10に落せるという(もちろん煮出したお湯は捨てる)。
酸性の水分にも溶けるので、酢の物にしてもいい(酢は口に入れない)。
果物などは、水洗いして皮を丁寧にむく。
肉類(魚肉)は食塩水にしばらく漬ける。

ついで、内部被曝に対抗する食品・栄養素が紹介される。
たとえば、放射性物質を他の毒素と一緒に包み込んで排出する食物繊維や、
内部被曝によって発生する活性酸素を抑えるビタミン類の摂取が推奨されている。
リンゴなどに含まれるペクチンは放射性セシウムを排出し、昆布などに含まれるアルギン酸は放射性ストロンチウムを排出するという。
つまり、内部被曝に対する”内部除染”が可能なのである。
とりわけ、動物実験だろうが、完全なたんぱく質を摂取すると、高線量(6~8Sv:ヒトの致死量)を浴びても、
かえって寿命が伸び、癌の発生も低いというすごい研究結果には驚いた。

ただし、これらは万能ではないので、汚染された土地や海からの食品は避けるよう勧めている。

一般論に終わらずに具体的なレシピが紹介されているのもいい。
風評被害には乗りたくないが、でも正直心配、という人にお勧め。

かの地方のマツタケは、網焼きはあきらめ、水洗いして酢であえるか…


半年後を見てきて

2011年09月11日 | 東日本大震災関連
昨日の南三陸の被災地巡回をまとめたい。
通りすがりの印象なので、表面的で間違っているかもしれないが。
南三陸町・気仙沼市・陸前高田市の3ヶ所の違いとして、復興度合いがあげられる。

気仙沼は、人口が多く、しかも津波で主に被災したのは港湾付近であり、
産業基盤もあるので、3ヶ所の中では一番復興が進んでいる印象だった。
なにより港の市場が再開されているのが心強い。
ただ被災地の中心部は地盤沈下もあり、手が付けられない状態。
産業・雇用の糧となる工場地域の復興もまだまだ。
でも自力のパワーを感じるので、なんとかなりそう。

南三陸町は、市街地がほぼ壊滅状態だが、
その中心部でも、瓦礫の中で営業を再開している店が複数あり、
まるで戦後のバラックの中での立ち直りを感じる。
トラックも行き来し、ボランティアもバスを連ねてやってきている。
「これから」という感じ。

陸前高田は、破壊がいちばん酷く、そして静かだった。
人はおらず、車もこの地を素通りしていく。
気仙沼も南三陸町も近くに高台があるので、着の身着のままで逃げることはできた。
でも平原が拡がるここは逃げ場がなかった。数棟のビルを除いて。
無人の平面が続くこの地に立つと、私でさえ、ぼう然となる。
「いまだに」という感じ。

そして、これらの間に位置する地にも、上下にひっくり返ったような家があり、
また「1分でもいいから」と壁に貼り紙をし、ボランティアを募っている家もあった。

ただ、いずれの地でも瓦礫は一次的な集積中であり、根本的な処理に至っていない。
それと、家や職をなくした被災者の二重ローン問題や雇用問題など、これからの問題も山積。

このような状態だからこそ、地元の人にとっては、
ボランティアが一番嬉しいだろうが、観光でも来て欲しいという。
一番おそれているのは、”忘れられる”ことだから。

外部の者にとっても、現地に行くことによって、
被害のリアリティを実感し、心に焼き付けられる。
それによって、なんらかのアクションにつながるだろう。

気仙沼には新幹線が停まる一ノ関からの鉄道の便があり(大船渡へはまだ不通)、
一人客も泊まれる「休暇村」が営業している。

旅行に行くなら、今年は東北へ!
私も今回の地のほかに、宮古・石巻・名取・相馬にも行きたい。

南三陸の被災地を巡回

2011年09月10日 | 東日本大震災関連
ホテルでの朝食を済ませ、早速、駅前のレンタカー(ヴィッツ)で出発。
カーナビだけだと、どのあたりが被災地なのか見当がつけにくいので、あらかじめ購入していた『復興支援地図』(昭文社)を助手席に拡げる。

これから廻る地の被災者の気持ちを理解しておこうと、前日に、陸前高田市長・戸羽太氏の『被災地の本当の話をしよう』(ワニブックス)を読んでおいた。
そこでは、次第に被災地のニュースが減ることで、復興が順調に進んでいるかと思われてしまうことが心配されていた(問題は山積のままなのだ)。
だから、私なりに半年たった今の姿を発信したい。

南三陸町
死者・行方不明者:1183名(『地図で読む東日本大震災』(成美堂)より)。
津波の高さは志津川で15.8m
岩手と宮城の県境の山から下って、山の谷がだんだん開けてくると、つぶれた車が集められていたり、建物の土台しか残っていない地が増えていく。
そして、海に開けた平地に着くと、それらが一面に拡がっている。

土台しか残っていない所の隣に、バラック建てのコンビニが営業している。
赤い鉄骨だけが残った3階建ての防災対策庁舎が、モニュメントのように目立つ。
その入口だった所に、祭壇が設けられている(写真)。
この建物から避難を呼びかけ続けて津波の犠牲になった遠藤未希さんのためだ。
津波は避難先と認められていた3階建てのビルをも呑み込んだ。
そばには自動車の残骸がそのまま放置されている。車の残骸すら集積が完了していないのだ。
もちろん、復興支援の他県ナンバーのトラックが忙しそうに走ってはいるが…

コンクリの小さな陸橋がポツンと大昔の廃線跡のように残っている。
その上に上がると線路はないし、陸橋に続く部分もない。
もちろん廃線跡ではない。現役のJR気仙沼線だ。
津波で線路ごと流されてしまったのだ。
この後、気仙沼へ向かう途中も鉄路は至る所で破壊されていた。

車を止めて写真を撮っていると、学校帰りなのだろう、制服姿の女子中学生が2人歩いてきた。
彼女らに、当時の様子を聞きたくなったが、遠慮した。
半年前にどんな心の傷を受けたかわからない。
絶望の縁に立ってなんとか踏ん張っている人には、とおりいっぺんのねぎらいや励ましはとてもできない。
でもほかの言葉がみつからない。
せめて、地元の人たちが自ら「頑張ろう!」と奮い立っているのを、なんらかの形で応援するしかない。

爆心地のような中心街(があった所)から離れた道脇の空き地には、
ボランティアツアーのバスから降りたボランティアの若者たちが大勢、野外で昼食をとっている。
周囲には、人手で集められたらしい瓦礫(中には大切な物もあろうが)がまとめられた袋が、道路の脇に点々と置かれている。
彼らの姿は頼もしいが、半年後でまだこの段階。
人手がまだまだ足りない。

道路沿いにかかる「ありがとう」の横断幕を横目に気仙沼に向かう。

気仙沼
死者・行方不明者:1489名。津波の高さは7.7m。大規模な火災も発生。
海から距離のある市街地は一見なんともない。
イオンも営業を再開し、ここは元気を回復したように見える。
ところが、港へ向かうと、風景は一変する。
3月11日、津波が道路からあふれ出てきて襲いかかる映像が思い出された。
鉄筋の建物が多いので、かえって当時の無残な姿をそのまま残している。

斜めに倒れたり、一部がひしゃげた建物がそのまま残っていて、
あちこちの地面は地盤沈下による潮の流入で池状になっている。
そのせいでカモメが我が物顔でたむろしている。

近くの高台にあがると仮設住宅が公園と中学校の校庭にずらりと建てられている。
高台上のもとからある住宅地は無傷。
高台の上と下とで運命がこれほどまでに違うとは。
この高台に貝塚の碑があった。
大昔はこの高台から下は海だった。

港の市場は再開されており、白い漁船がいくつも係留されていた。
コンビニもきちんとした建物で営業されている。
破壊された区画は、南三陸町よりは狭いようだ。

フェリー港を越えて魚の加工工場の火災跡が拡がる市の北側(鹿折地区)に入る。
そしてその一画に、巨大な船が海辺から遠い(海が見えない)陸地に横たわっている。
遡る川もないほんとに陸のどまん中に大きな船。
このありえない配置は、映画『未知との遭遇』でしか見たことなかった。

陸前高田
死者・行方不明者:2149名。津波15m。
南三陸町よりも広い平原に何もない。あまりに何もない。
ただ不自然に平らな地面が、そこに何かがあった痕跡をかろうじて示している。

江戸時代に防波林として植えられた松原のうち一本だけ残ったと聞いたが、見つけることができなかった。
(※よく見たら、気仙大橋から撮った写真に写っていた!その拡大部分→)

海岸沿いで残っているのは、ホテルと道の駅の建物だけ。
もちろんそれらも一階は破壊されている。
あたり一面何もないのは、いまだ瓦礫の撤去段階にすぎないからだ。

震災後半年を経た今、復興の槌音があちこちに響いて…という状態ではまったくない。
福島と異なり、接近をためらう要因は何もないのに。
このまま北国は寒い冬を迎えるのか。

そしてこれらの市街地の間には、小さな集落あるいは一軒家があり、同じように被災していた。
これらの地も忘れてはならない。

沿岸から長駆1時間半かけて戻り、世界遺産となった中尊寺に立ち寄った。
金色堂の阿弥陀如来に、今日訪れた地の犠牲者の冥福を祈るために。

一ノ関の一夜

2011年09月09日 | 
東京から新幹線で二時間半、岩手県一ノ関に着いた。
思えば大学時代に平泉を訪れた時以来(当時は夜行列車)。

宿は駅前の「東横イン」。
ネットで予約したが、他のビジネスホテルを含めてほぼ満室だった(復興作業関連の利用か)。
東横インは初めて利用するが、ベッドはセミダブルで、室内も圧迫されるほどの狭さでない。
ただLANは有線のみ(自分のイー・モバイルを持参)。

夕食のために外に出る。
街のメインストリートは地方都市の例にもれず、シャッター・空き店舗が散見(住宅地は周辺部に移っているのだろう)。

持参したガイガーカウンターのスイッチを入れる。
すると表示は0.24μSv/hを越えた。
ちなみに、一ノ関までの途上の値は、新幹線車内での計測だが、
那須塩原~白河:0.2μSv/h(以下同)
須賀川~郡山:0.3
本宮市(通過中):0.43…ルート上で原発に一番近い地点
福島:0.3
それ以外(宇都宮以南、宮城以北)は多くて0.1程度

すなわち関東のホットスポット那須塩原と同じくらいを示した。
地表の値が気になったので、計器のβ線シールドを外し、地上1cmのβ線込みの値を測ると、0.8を越えた。
やはり、岩手のホットスポットといえる(γ線のみなら0.3程度)。

通りの店は居酒屋が多く、定食屋が見当たらない。
一人での夕食時にアルコールは1杯程度でいいので、居酒屋には入りづらい。
あと「ホルモン」の店も多いが、それは苦手。
ここまできて、ラーメン・餃子というのも…。
結局、地元資本のスーパーで、惣菜売り場の半値になったにぎり寿司などを買い(だし巻き卵に「がんばろう」の刻印)、
ホテルに戻って、室内で食べることにする。
ついでにスーパーで寝る前の酒とつまみも買う。
いつもならこれらは家から持ってくるのだが、少しでも地元に金を落すため現地調達とした。

ホテルで、持参したMacBookAir(今この原稿を打っている)から、室内の液晶テレビにHDMIケーブルを繋いで、
テレビ版の『壬生義士伝』(渡辺謙主演)を観る。
南部藩出身の新選組隊士吉村寛一郎を主役としたドラマだ。
南部弁がふんだんに使われるので(原作も)、この地で観るのに最適かなと思って持ってきた。
といっても一ノ関は南部藩ではなく、伊達藩領だが…。


南三陸に行く

2011年09月09日 | 東日本大震災関連

野田総理が連日被災地を視察している。
実は私も、今日から南三陸の被災地へ旅に出る。
震災以来、福島原発事故の方ばかりにかかわっていて、
そこから北に拡がる津波被害についてはノータッチだった。

せめても、夏の旅先を被災地方面にしようと思ったが、
今年起きた津波被害を間近にして、のんきな温泉旅をする気にもなれない。
せっかくなら、被災地をこの目で見て、被害を少しでも実感したい。

というわけで、急ぎ足だが、南三陸町から陸前高田市にかけてレンタカーで”見学”する。
後期授業に防災関連のものがあるので、教材にしたい。

日帰りではきついので、あらかじめ一ノ関(レンタカーを借りる地)に宿をとる。
ついでながら、一ノ関は、放射線のホットスポットでもある。
なので放射線計測もする。


ある訃報

2011年09月07日 | 雑感
高校の同期生の訃報が一斉メールで届いた。

わが高校(すでに廃校)は全寮制でしかも1部屋8人暮らし。
訃報の主は3年間のうち2年間も私と同室だった。
こういう相手は他にいない。
親友ではなかったが、結果的に同期の中では近しい間柄といえる。

卒業後は連絡をとらず、また同期会でも顔を見せない彼だったが、
改めて訃報に接すると、ショックだ。

なにしろ、われら高校の同期は、いちばん多感な時期に
同じ釜の飯を食べ、一緒に暮した”仲間”だから。
なので、親族が逝った時のような喪失感がある。

同時に、なにしろ彼と同年齢なので、
自分がそういう危険な年齢にさしかかっていることを痛感させられる。
これから訃報が増えていくのだろう…。

まずはさておき追悼の返信(一斉)を出し、
そのままでは気がおさまらないので
家の仏壇に向かって手を合わせた。

リアルタイムの防災情報はネットから

2011年09月05日 | 防災・安全
台風12号がもたらした惨禍、そのほとんどは避難のタイミングを逃したことによる
(そうなると避難不可になる)。
豪雨の直撃を受けている地域は、今後避難する必要があるか否か、判断を迫られる。
その一番の任は自治体にあるのは確かだが、
自治体は、地域を大ざっぱに判断するので、
たとえば自分の家の裏山や近所の川があぶないかどうかまでは、判断してくれない。
そこで住人は、豪雨のさなか、様子を見に家を出る。
そして、帰って来ないことに…

避難の判断のためには、リアルタイムで精度の細かい情報が必要なのだ。
それはテレビ・ラジオでは無理。
様子を見に行く前にネット情報にアクセスしよう。
具体的には、まずは国交省の「川の防災情報」というサイト(携帯電話にも対応)。

トップページは全国だが、地域を選択していくと、雨量と河川の水量がより細かく表示される。
どんどん地域表示を拡大して、自分の家の近くの河川観測点をクリックする。
そうするとその河川の水位の変化状況が数値とグラフで表示され、「避難判断水位」に近づいているかどうかがみてとれる(表示の時間間隔を「10分毎」にしてみる)。
雨量は同じサイトのレーダーエコーで判断できる。
雨量の場合は、今後も大雨が継続するかがポイントなので、「履歴」画面にして、エコーの変化を確認すること。実は、この情報部分は気象庁のサイトの「レーダー・ナウキャスト」で「地方」を選択し、「1時間前から1時間後まで」の動画を見た方が、雨雲の停滞具合の予想までできるからお勧め。

以上のサイトは、私のサイト「山根一郎の世界」内の「気象の世界」内の「防災情報リンク」ボタンからも行ける。

そのほか、自治体によっては、独自に河川や雨量の観測情報をリアルタイムで配信している所もある(映像付きで)。これは自治体(市町村レベル)の防災サイトから行ける。

今や、ネット情報なくして防災はありえない。