今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。どんなヤツか知りたい人はまずブックマーク「山根一郎の世界」へどうぞ

富士見坂からのダイヤモンド富士

2013年01月29日 | 東京
都内で唯一本当に富士が見える谷中の富士見坂から、
山頂に日が沈むダイヤモンド富士を見た(写真)。

年に2回拝める風景だが、新宿区の大久保に建てられる高層ビルによって、
ここから富士が見えなくなるという。
昔はあちこちから普通に富士が見えていたが、ビルがどんどん建てられて
今ではうちの近所から辛うじて見える場所はここだけになっていた。

「富士見坂を守る会」がこの眺望の保存を訴えている。
富士見坂通信
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八甲田雪中行軍遭難を思う

2013年01月27日 | 歳時
1月下旬は、統計的にも一年で一番寒気が強い時期。
たとえば日本最低温記録の旭川の-41.0℃は、1902年(明治35年)の1月25日だ。
実は、丁度その時、青森の八甲田山に青森5連隊が、雪中行軍を挙行し、
猛吹雪の中、山中を数日間彷徨し、210名中199名が死亡という、大惨事を起こした。

この大遭難事件は、山岳小説家・新田次郎の手によって『八甲田山死の彷徨』としてまとめられ(氏名は変更)、
それを原作とした映画『八甲田山』もヒットした。

私は、毎年この頃に映画『八甲田山』のDVDを観ることにしている。

以前青森に旅行した時、遭難者の墓地がある向畑の記念館やその他で現地の資料も入手した。
また初夏のレンタカーであるが、道を失うまでの行軍ルートも通ってみた。

まず、よりによって100年に一度以下の稀なる大寒波の中、生を拒む領域に入った事自体が、
当時の気象情報レベルから言って不運だった。
そして、”冬山”というものが、どういうものか、
アルプス由来のスポーツ登山が定着していない時代だっただけに、無知に等しかった。
すなわち無謀の一言。
もちろん、山中で彷徨してしまう行動自体、登山の常識を無視している。
逆ルートを通った弘前31連隊は少数精鋭のためほとんど無傷で走破したのと対照的で、
この2隊の行動の違いが、新田次郎の作品でも対比的に描かれている。

それと、危機に陥った時の心の弱さ(自暴自棄になる)
が指導者に現れてしまったのが悲しい。
この弱さは残念ながら日本人のメンタリティとなっている。

どんな絶望的な状況になっても、冷静になって生き抜いていくという
タフさは、むしろ江戸時代の海洋遭難者の中に見つけることができる。

たとえば、無人島に漂着し、その十数年間のうち1年強をたった1人で生き抜き、
生環した土佐の長平のように(吉村昭が『漂流』で小説化した)。
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モラルハザード促進の愚策

2013年01月25日 | 時事
退職金が減額されるので、その前に退職した教師が、文科省やマスコミから批判されている。
自己都合で退職しても退職金が減額されないっていう制度も問題だが、
社会科学的には、モラルは社会的方向づけによるものであり、個人の倫理の問題ではない。

すなわちモラルハザードを促進させる政策を施行すれば
人は合理的判断によって、正々堂々とモラルを捨てる。
人間とはそういうものだ。

最低賃金が生活保護費を下回る事態なら、その賃金で働くより生活保護を選ぶのは”合理的”だ。
だから生活保護の見直しをしているはず。

職務を全うすると、正当に得られる額が減額されるということは、その間の職務は費用を支払って遂行するのと同じ。
それを他者に要請できる人っているのか?

対象者の行動を正しく予測できずに、予想外の悪い事態を招く政策を、世間では”愚策”という。



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私の卒論指導って

2013年01月23日 | お仕事
授業のない補講期間なので、研究室に篭って作業をしていると、
卒論ゼミの学生の一群がやってきて
卒論指導のお礼にと、プレゼントの箱を持ってきてくれた。
紐と解いて中を開けると、キノコとカエルの置物。
両方とも私の好きなもので、室内をそれらで飾っている。

このようなことが慣習的になされている訳ではない。
学生たちの自発的な厚意だ。
ありがたく頂戴した。

業務とはいえ、自発的に感謝してもらえる程度の指導はやった訳か。
正直言って、私が卒論指導にかける時間は、他の誰よりも群を抜いて多いと自負している。
私の卒論ゼミは、4年間で最もハードな授業なのだ。
このようハードな指導は、それを望む気力さえあれば、充実感が得られるだろう。
ただ、そうでない学生にとっては、一番遠慮したい対象でもあるだろう。

同日、来年度の卒論生のリストが届いた。
たった3名!
今年の1/4に激減。
さきほどまでの充実感がふっとんでしまった。

来年の卒論ゼミは人数が少なくてとっても楽になるなぁ。
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『夜明け前』ゆかりの地

2013年01月21日 | 
わが定宿・ホテル花更紗は、恵那山麓の谷あいの”湯舟沢”という地にあり
(恵那山の岐阜県側は、東日本の”沢”と西日本の”谷”が混在している境界域)、
そこは神坂(みさか)峠を越える古道・東山道(とうさんどう)と
木曽谷を縦断する中山道(なかせんどう)との分岐となる所で、
北西に斜面を上がればそこは木曽の馬籠(まごめ)宿である。

木曽十一宿の最南にある馬籠宿は、山深い信州の木曽から、
美濃の明るい平野に降りる斜面上にあり、
宿場の中央を走る街道は長い坂で終始している(上写真)。

私は湯舟沢に投宿するたびに、この馬籠にも毎回訪れ(ここも飽きない)、
タイムスリップしたような宿場風情を堪能しながら、地元製の木の器などを求めることにしている。

気まぐれに訪れる観光客なら、宿場の中をそぞろ歩きするだけでも”行った”事になると思うが、
この地をじっくり味わうなら、
馬籠出身の作家・島崎藤村の『夜明け前』を読むことは外せない。
この作品、文学史上の衝撃性では同じ藤村の『若菜集』や『破戒』に譲るが、
小説としての充実度の点で、彼の最高傑作といえる。

ちなみに”夜明け前”という表題、
未読の人には、明治史観がそうしたように”旧弊の江戸時代”を指しているものと誤解されるだろうが、
この作品では、明治維新の方を指している。
すなわち明治維新に対する痛烈な皮肉なのだ。

馬籠宿の本陣庄屋の主である青山半蔵(藤村の父・島崎正樹がモデル)は、
幕末の流行思想である平田国学に心酔し、その立場から王政復古を理想の実現と期待した。
しかし、維新を迎えて後、新政府の圧政と洋化政策に失望を重ね、
次第に気を病んで菩提寺に放火し、家族に幽閉されて狂死する。

時代の思想とリアルな政治に翻弄された、
あまりに真っ直ぐな心根だった草莽(そうもう)の民の精神的悲劇が、
何しろ我が故郷と実父がモデルなだけに、他の追随を許さぬ迫真性で描かれている。

幕末維新というと、龍馬や薩長、あるいは幕閣や会津・新選組などの”最前線”の活動だけを見て
理解しているつもりになってしまうが、
彼らの活動を支え、時代の大変動の根幹を構成していたのは、”半蔵”のような一定の知性をもった草莽の民であった。
これは中津川にある「中山道歴史資料館」 を見学してもわかる。
『夜明け前』は、そのような草莽の民の激動の人生の記録であり、
正当化された歴史観への疑義である。

この作品は、馬籠が舞台であるから、隣の湯舟沢はもちろん、
中津川から妻籠(つまご)あるいは木曽福島までの地が登場するので、
この地一帯の歴史的読み物としての価値もある。
この作品を読めば、妻籠に向かう馬籠峠の手前にある「峠」という小さな集落も、
歴史的事件ゆかりの地として、素通りできなくなる。

ただ文庫本で4冊分と大著なので、読破するには覚悟が必要(私は馬籠の民宿に泊まって読んだ)。
実は『夜明け前』には新藤兼人製作、滝沢修主演で映画化されており、140分の長さだが、
それでも原作に比べてかなり端折っていて、ストーリー展開がせわしない
(若き大滝秀治が端役で出ている。氏の「おじいさん」でない映像は貴重。
同じく出演している宇野重吉に地声の悪さを批判されたのは有名)。
この映画、VHSビデオで販売されていたのを書店のガレージセールで偶然見つけ、
自分でDVD化した(レンタルビデオには出回っていない)。

この映画作品は、もちろん地元馬籠でのロケが中心で、
宿場の建物や道路は今と違っているが、恵那山の風景はいまでも変わらない。
湯舟沢に泊まるたびに、地元を訪れた楽しみとしてDVDをパソコン経由で観ることにしており、
投宿第一夜の昨晩も、酒とふんだんのつまみをかかえて部屋の大きな液晶テレビに接続して鑑賞した。

そして翌日は、久しぶりに馬籠の藤村記念館を見学した。
ここは、藤村の生家であり、その家も一部残っており、また映画にも使われていた。
丁度、企画展で『若菜集・破戒・夜明け前』の3大代表作の特集をやっていた。
馬籠に隣接する永昌寺(「夜明け前」では「万福寺」)にも足を延ばし、
藤村とその父正樹(この寺を放火した)の墓に詣でた。
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夢分析

2013年01月20日 | お仕事
定宿(中津川温泉のホテル花更紗)に泊まり込んで、後期授業の提出物のチェックをしている。
その1つは夢分析のレポート。
心理学科の1年生に、「心理学概論」という授業で夢の話をした後、
自分の夢を分析させる課題を出した。
そのレポートを見て、期待した以上に深い分析をしてきた例がいくつもあった。

そもそも夢の解釈に客観的な”正解”はない。
それでも夢を分析することに価値があるのは、
自分の心との腹蔵のない対話がなされるため。
すなわち、ある1つの夢について、連想し解釈を加える過程で、
心の防衛が解除されて、自分の無意識(無自覚)に気づき、
あるいは今の自分の心の在り方が投影されて自覚される。

たとえば、”怖い”という印象しかなかった夢が、
精細に分析することによって、別のより深層の主題が見えて
その夢を”怖い”と体験させた意味(心)が理解できるようになる。
逆に、ストーリー的には怖いはずなのに、ちっとも恐怖を感じなかった夢も、
分析することによって、その理由(心)が見えてくる。
学生は自分の夢を分析することで、驚きをもって自己との対話を深めることができた。

また、ある学生は母の夢を分析することで、その母が決して口にしない本心に接し、
母への理解を深めた(他者の夢を解釈する場合、夢主の連想についての質疑応答が必要)。

夢分析は、自分の本心を知りたいという思いで自己防衛を解除できれば、
真の自分に触れることができる。
そのためには、「夢辞典」的な参考書は不必要。
夢は自分自身の意味世界の表現だから。
自分自身の”連想”を深めることがポイント
(誰もが見る定型夢に限って、人々に共通する意味がある)。
まずは、過去に見て忘れられない”怖い夢”を分析してみよう。
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中津川の定宿に居る

2013年01月19日 | 
センター試験初日の今日から、私は岐阜県中津川にある、
わが定宿「ホテル花更紗」に滞在する。
センター試験の監督が割当られていないのを幸い、後期授業終了の”慰労”の温泉旅といきたいのだが、
実際は、宿に篭っての、後期中の提出物の総チェック作業。
頭がクラクラするつらい集中作業なので、
温泉宿で入浴と食事以外の時間をこれに充てるのだ。
そうだからこそ、お気に入りの定宿ですごしたいわけ。

この宿は、最近でこそ年2回(前期・後期終了時)の利用に減ったが、
ある期間、春夏秋冬、季節ごとに利用していた(今では準定宿が数ヶ所できたので分散)。
数えきれない回数の利用となるのだが、決して飽きない。
湯こそ源泉掛け流しではなく塩素循環だが、
浴室、料理、サービス、そしてロケーションに満足している。

(この宿が気に入ったことから中津川という地が気に入って住みたくなり、
宿の奥の霧ケ原にある別荘地に興味をもったが、
別荘暮らしをすると、この宿に泊まらなくなるというデメリットに気づいた。)

これだけの回数だから、むしろ訪れるたびに”帰ってきた”という感覚になる。
スタッフの人ともとっくに面識あるし。

なにより、ここに居る時、「今、自分はここに居る」という、”存在”の実感を味わえるのがいい。
この実感、登山に夢中になった中学時代、苦しい登りの最中に味わう感覚だ。
他の場所、すなわち日常の生活空間や他の旅先ではこのような実感は得られない。
その意味でも私にとって重要な”居場所”なのだ。
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二段落

2013年01月18日 | お仕事
今日で後期の授業が終わった。
すなわち、今年度の授業そのものが終了。
試験・採点・入試が残っているが、とりあえず一段落。

授業後、愛車をディーラーに走らせ、その場で車検を終えた。
10万キロ近く走っているローバー・ミニだが、オイル交換後は走りも快調。
私事ながら、こちらも一段落。

明日から大学入試センター試験で、わが勤務先も試験会場なのだが、
幸い私は試験官の役から外れている。

というわけで、今晩はのんびりと祝杯。
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東京タワーに行く

2013年01月15日 | 東京
東京を雪国に変えた翌日はほぼ快晴。
しかも今日もまだ東京に居る。
雪景色の東京を俯瞰しようと、スカイツリーに行こうかと思ったが、
今日は芝の増上寺で歴代将軍の墓所が公開される日だと、自分の予定表に入力されている。
芝なら、東京タワーがあるじゃない。

東京を俯瞰するのが目的だから、スカイツリーでなくてはいけない理由はない。
しかも、スカイツリーに上る前に、お世話になった東京タワーに上るのが礼儀だと思っていた。

というわけで、地下鉄神谷町から東京タワーに向う。
上るのは中学1年以来かな。

東京タワーの入口に入ると、制服姿のスタッフの多さが目立つ。
それだけ客が少ない。
まず高さ150mの大展望台に行き、そこから250mの特別展望台に上る(ちなみに料金は合わせて1420円)。
大展望台は今となっては、周囲の高層ビルが邪魔となって”俯瞰”できない。
ここだけなら金払う価値はないだろう。
それと大展望台から特別展望台へのエレベータまで階段で上るのも、時代遅れの設備。

特別展望台からは、さすがに大展望が拡がる。
東京湾も富士も見渡せる。
足下の増上寺は箱庭のよう。
ただ、スカイツリーに見下ろされているのは残念(上写真)。
ちなみに、日中だと、冬でももやがかかって、東京湾や富士など薄くなる。
どうせなら、夕方日の入り頃がいいかも。

タワーから降りて、土産物のビルに出る。
ずらりと並んだ土産物店に、訪れる人はまばら、
昨年までは東京観光の中心の1つだったのに、
悲惨な状況に突入したばっかりで、過酷な”整理”をまだ迎えていない、
というタイミングの風景を堪能する。
せっかくなので、東京タワーの置物(金色ではなく、正しい赤白カラーのヤツ)と、東京土産を買う(〆て千円)。

タワーから出て、向かいの増上寺に行き、
歴代将軍の墓所を見学。
もとは屋内の霊廟にあったという墓塔だが、
いずれも威厳がある。
皇女和宮の墓塔もあった。

東京タワーと徳川将軍が眠る大本山増上寺。
このペアなら観光的に可能だろう。
ただスカイツリー+浅草寺のペアには負けるが…。
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雪のどんど焼き

2013年01月14日 | 歳時
今日”成人の日”(ハッピーマンデーw)の東京は一面雪景色。
昨日の気温が高かったので、雨になると思っていたのだが、気象庁ともども外してしまった。
南岸を通る低気圧の発達度合を見誤った。
幸い、多くの人とともに私も買物を昨日のうちに済ませていたので(繁華街は大混雑だった)、
今日は在宅の予定。

といっても今日は、地元鎮守の諏方神社でどんど焼きには往く予定だった。
雪の中で餅を食べるのも一興と、雪が降りしきる中、思いきって行ってみた。
さすがの天気なので、参加者は少ない。
凍える中、祝詞の最中に、雪の重みと北風で高い木の上から大きな枝が落ちてきた。

そして雪の中、竹竿に餅を差して、どんど焼きが始まる。
降雪のせいで、火の勢いが強まらず、
寒空の中、じっと餅が焼けるのを待つ(写真)。
まるで雪国のどんど焼きの風景。

やっと焼けた餅を食べ、お神酒を2杯いただき、帰宅。
家の植木が積雪の重みで傾いているので、それを直し、
樹木に積もった雪を払い、道の雪かきをする(雪国用の雪かき器がある)。
思わぬ肉体労働。
雪国の人は、これを毎日やるのか…。

頭上と足下で雪と格闘したので、防寒着ながら全身ずぶぬれ。
風呂に入り、温まる。
今夜は、雪見酒といくか。
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四條流包丁儀式を見る

2013年01月12日 | 歳時
上野の報恩寺で「俎板開き」を見学した。
四條流の包丁儀式という作法を見たいから。
10時から始まるというので、ちょっと前に着いた。
普通の寺で、予想外に空いている。

まず、鯉を捌くこの儀式がなぜ寺でなされるのかの説明があった。
結論から言うと、殺生をして生きていかざるをえない人間存在の矛盾、
すなわち”悪人”であることが原点という浄土真宗的認識のため。

包丁人は烏帽子・直垂という正装で、鯉を捌くのだが、
右手に包丁、左手にさえ箸という、いわば両手利き的な操作。
しかも、踊るような滑らかで大胆な動き。
これだけでも、相当な修業が必要。

また儀式であるだけに、所作は統制され、すべてに意味がある。
私は、その所作の細かいところを見たいので、デジカメでずっと動画撮影。
包丁さばきだけでなく、俎板への進退歩行などもチェック。

礼法だけでなく、こういう所作が数百年間も伝承されているのが日本文化の凄さだ。


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平時に戻る

2013年01月08日 | お仕事
二週間ぶりに帰名し、
平時の仕事モードに戻る。
会議を3つこなし、
また明日までの授業関係の作業も2つこなした。
仕事は片づければ次のがやってくる。
まぁ、それだから勤務が続けられるわけでありがたいけど…

棲み家では安物の冷蔵庫の冷凍室にこびりついた氷の壁が
冷凍機能をダメにしており、置いていった冷凍食品がダメになっていた。
氷の壁を、温水をひたして苦労してはがすと、機能は回復した。
こちらでも問題が発生したら、それを一つ一つかたづける。
このような”歯車のような”仕事と名古屋生活が再開する。

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人日の節句をすごす

2013年01月07日 | 歳時
今日1月7日は、さっそく年初の節句である「人日の節句」。
なぜこの日を人日(じんじつ)というかは、
天地開闢して、7日目に人間が誕生したからという伝説に依っている。
その意味では”人類の誕生日”なのだが、
イベント的には「七草粥」を食べるしかないのが寂しい…。

というわけで、行事を大切にするわが家では、
朝食に、母が作ったちゃんと七草が入った七草粥をいただく。
単なる粥だと味気ないので、昆布ダシで餅と卵が入っている。
これなら、味覚的にも食べでがある。

今日の節句をきちんと体験しようと、七草と火焚き祭をやる
芝(東京都港区)の愛宕神社に行く。
巳年にふさわしく長蛇の行列ができているので、
わけもわからず並んでみると、本殿の参拝の列だった。
本殿内で神事の舞があるのだが、まったく見られず。
ただ本殿前にお神酒が振る舞われていたので、頂戴した。

火焚祭が始まるとそれを見物したい人はそっちに集るが、
人日の節句にこだわる私は、七草粥を求める行列に加わる(上写真)。
こちらでもらった七草粥には、七草は申し訳程度で、フリカケがついて味の足しにする。
味覚的にはわが家の方が上だが、神社でいただくのがありがたい。

神社の急な石段を降り、
芝に来たついでに、一等地に広大な敷地の増上寺に向う。
増上寺は寛永寺とともに徳川将軍の菩提寺なので、江戸では最上格の寺だ。
本堂ではちょうど法要をやっていて、
座っているのはビジネスマン的服装の人たちばかりというのは、土地柄といえる。

神仏分離で増上寺から分離させられた、家康公の像を祀る東照宮を詣で、
存在を知らなかった芝丸山古墳という前方後円墳に登る(5世紀のものだと)。

浜松町駅方向に進み、芝大神宮に立ち寄る。
ここはやたら若い女性が多い。
なるほど、縁結びのお守りがたくさんあった。

人日の節句を堪能し、都心ならではの歴史散歩も堪能した。
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道迷い遭難を100%防ぐ法

2013年01月06日 | 時事
年末年始にかけて山の遭難があいついだ。
雪山での遭難は、最初から危険を承知での事、
あえて危険な状況に入り込む事を楽しんでいるんだから自業自得とも言えるが
(といっても、救助にすごく手間がかかっている)、

むしろ気になったのは、低山での道迷い遭難。
低山だと馬鹿にして、地図も持たずに軽装備で入り、
登山道でない、いわゆる”山道”(林業用の道)に入り込んで、
にっちもさっちもいかなくなる。
夜は暗黒なので、へたに動くと滝つぼに落ちる。
たとえ近所の低山であっても、むき出しの自然の中では、人の命なんて虫けらのそれと同然。

道迷い遭難ほど、初歩的で馬鹿らしい遭難はない。
道迷い遭難は、最初のちょっとした誤差が、進むにつれてどんどん大きくなる。
登山をやっている者は、それを知っているので「引き返す」勇気があるが、
シロウトで気楽に低山に入る人にはそれがない。
なので、どんどん事態を悪化させる。

私は、必ずハンディナビ(SONYのnav-u)を携帯する。
地図と違って、いつでも現在位置が確認できる。
というか、現在位置を確認しながら歩く。
なので、最初のちょっとした誤差段階で道迷いに気づける。
これなら100%道迷い遭難を防げる。

スマホのマップもあるが、山では電波が届かない
(第一、地形図がない)。
アウトドア用なので、省電力モードにすれば、一晩はもつ。
ハンディナビは街歩きにすら必携だ。
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ひと仕事終える

2013年01月06日 | お仕事
さっそく1つの仕事を終えた。
実家に籠って明日締切の原稿を書き上げ、ファイルをネットで送付した。
昨年やった防災の講演の原稿化で1万字程度。
量は少ないが、講演では触れなかった問題を新たに書き足したので、意外に難儀した。
でも、松の内に仕上げられたのは嬉しい。

いつもの原稿書きなら、昨日のように図書館で進めるのだが、
自宅に籠った理由は、ほかでもない、
気分転換の休憩時に、クラリネットを吹きたいから。
幸い実家は1人で留守なので、思いきり吹けた。
提出後も、また吹く。

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