今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

館山旅行:洲崎と富士

2023年08月30日 | 

例年、8月は旅行を控えるのだが(暑いし、高いし、混んでるので)、
8月も押し詰まった30日に南房総(千葉県)の休暇村館山に一泊した。
休暇村はこの数日間”オフピーク”割引なので、「高い・混んでる」が緩和され、
さらに自分の職場の共済の関係の休暇村割引を加えると3000円引となる。

休暇村を使うにしても、夏ならもっと遠出ができるのに、隣県のここを選んだのは、なんか遠くに行くのが面倒だったから。
ただ隣県といっても、房総半島の先端なので、旧国でいえば武蔵から下総と上総を横断しての安房となるから、それなりに遠い。
JR東のジパング倶楽部の会員なので、管内の鉄路で200kmを超えると運賃が3割引となる(館山だと往復で該当)。
というわけで割引づくめの旅ともなった。

宿は東京湾の入り口に面しているものの、湾奥の都市部(千葉〜東京〜横浜)は水平線の向こうで見えず、見えるのは安房の山(天気が良ければ見える富士山が遠望)と水平線なので転地効果抜群の地。

それに南房総には、心残りが2つあった。
1つは、漫画家つげ義春の聖地(代表作「ねじ式」ゆかりの地)である外房の太海(ふとみ)に行っていない。
ただし残念ながら、今回のジパング倶楽部の往復きっぷでは途中下車できないので立ち寄れない。
もう1つは、優先順位の低い趣味である「岬巡り」の中で、房総半島では洲崎(すのさき)行き残している。
房総半島の岬といえば、まずはその北東の付け根にある犬吠埼。→記事
これは房総半島というより本州の東端という重要な岬で、なんと地球が丸いのがわかる。
そして南に突き出た房総半島の南端にあたる野島崎。→記事
さらに、東京湾に細長く突き出た富津岬。→記事
これらは訪れたが、鳥の形の房総半島の嘴の先にあたる洲崎が残っているのだ。
実は洲崎の岬は、嘴の下側中央にある宿から近く、それらを結ぶバスの便がある。

ということで、まずは館山から路線バスに乗り、宿を通り越して、洲崎のさらに南(相模灘)側にある洲崎神社前で降りる。
※:JRバスなのにSuicaに対応しておらず現金のみ(千円札可)。
山側の長い石段の上に社殿が見える。
洲崎神社は安房国一の宮の1つ(もう1つはさらに南にある安房神社)。
盛夏の日差しの中、長い石段を登り切って、拝殿で参拝し文化財の本殿の写真を撮って、急いで石段を降りて、海岸に向かう。
関東大地震(震災)の際に隆起した岩浜には、鳥居が立てられた「御神石」があり、これも御神体といえる(写真。背後の山の中腹に神社)。

これらを急いで巡って丁度バスの時刻になり、それに乗って、本日の宿・休暇村で降りる。

露天風呂の目の前が海で、潮騒を聴きながら温泉に浸かる。
海以外の景色としては、半島北部で安房の国境を画す鋸山(329m)と岩井の双耳峰・富山(とみさん:349m)が目につく。
※:岩井は小学校の時の臨海学校先。大学でのサークルの合宿にも使った。
温泉の泉質はナトリウム塩化物泉で、海水起源といえるがしょっぱくはない。
温泉だから、一泊で4回入る。

夕食はビュッフェバイキングで、海産物や地元千葉の豚肉や野菜など、種類は多くはないが、ちゃんとした料理になっていて、いわゆる安宿チェーン(伊東園、湯快リゾート)のビュッフェよりはレベルが高い。

翌朝、窓のカーテンを開けたら、なんと夏なのに富士がくっきりと海の向こうに見えるではないか(写真)。
季節柄、期待していなかっただけに意外感を伴って嬉しい。
それに考えてみれば、海を隔てて見る富士って珍しい構図(北斎の「神奈川沖」のように海上からの富士は別)
そういえば、東海道線の根府川付近から、目の前に広がる相模湾の向こう側の水平線上に、房総半島の先端部が見えるのだから、館山から相模灘を隔てて富士・箱根が見えておかしくない。

朝食のビュッフェ(やはりちょっと種類が少なめ)を取り、朝風呂に入り、チェックアウトして、再びバスに乗って洲崎の岬に行く。
洲崎の岬と灯台は昨日行った神社とは少々離れていて、戻るバスまでの30分間ではいっぺんに周りきれなかったので、神社と灯台と2回に分けての岬巡りとなった。
洲崎灯台前でバスを降り、オートキャンプ場敷地内の洲崎(房総半島最西端)に行った。
見える海の向こうには、富士から伊豆半島、そして伊豆大島が意外に近く・大きく見える。
実際、ここから大島までの直線距離は熱海からより近い。

展望台もある高台の灯台にも立ち寄り、引き返してきたバスに乗って「渚の駅たてやま」で降りる。
ここには館山市立博物館分館があり、館山の漁業についての展示がある。
数年前に訪れた館山城趾にある本館は里見氏まつわる展示だった。
ここからも、館山湾の奥に富士が見える。
そう、館山からは海越しに真正面に富士が見えるのだ(ここからの富士は富士見の名所の一つに入る)。
冬だったらもっとよく見えるだろう。

帰路は、ゆったり外房線回りにしようかとも思ったが、1時間も余分にかかる上に途中下車できないので往路(内房線)を引き返すことにした。

実は明日9月1日から房総半島フリー切符が発売される。
唯一残った心残りの「太海」は、いつかこのフリー切符を使ってでのんびり行くことにする。


高校部活の仲間と飲む

2023年08月26日 | メモリアル

高校時代の部活のメンバーから、飲み会の誘いを受け、久しぶりに同期および1年後輩の面々と飲んだ。
そのうち一人とは、卒業以来の再会。

高校生活は自分の人生でとても思い出深いものだったが、対人関係的には、大学に入った時点でほぼ断絶してしまった。
それが長い年数を経て、細々であっても復活できるのは嬉しい。

高校時代の彼らとは、寮生活に加えて同じ部活(ワンゲル)で、山で一緒にテントに泊まる仲の”近さ”だったが、
こうして久々に会うと、お互いの現在があまりに別々な方向に進んでいて、その距離の”遠さ”(接点の無さ)を痛感してしまう。
しかも、一人名古屋に移ってしまった私だけ、彼らの間のより日常的な付き合いの輪から外れている。

趣味の話になっても、残念ながら互いに”山”が共通項でなくなっている。
彼らの現在の趣味は世間的に認められて話の種としては面白いが、
私の関心の方は、山との関係も含みスピリチュアル(霊)的になっているので、語って引かれずに済むのが難しい。

数年後には名古屋を引き払って完全に東京に戻ってくることは確定しているから、こちらの足場も固めておきたい。


福島原発の処理水騒ぎ

2023年08月24日 | 東日本大震災関連

福島原発の処理水の海洋放出。
それまで安全でないとされていたものを急に安全と態度を180度変えたような政府のご都合主義的対応がそもそもの問題だが、事実問題としての安全性については、 IAEA(国際原子力機関)も承認済みであるから、政治的な意図によるプロパガンダ(中・韓だけでなく日本のマスコミの一部も含む)をきちんと論破してほしい
※:核技術そのものを原理的に反対している人たちは、その存在自体を否定するため、安全性の議論にならない。

少なくとも、福島原発事故、いや広島・長崎の原爆被害を経験した我々日本人は、放射線医学(核物理学ではない)についての基本知識は持っておいてほしい(と福島原発事故の直後から、私はここで散々訴えた)。
※:例えば戦後、広島市出身というだけで結婚を断られたという。この非科学的な般化思考が風評被害をもたらす(中国国内の現状がまさにこれ)。

言い換えれば、世界で最も身近に"放射能"と付き合わされてきた我々日本人くらいは、無条件に「放射能怖い!」という世界共通の素朴な反応レベルからは脱してほしい。

私は毎日、自然放射線のラドン(Rn)ガスを計測していて(例えば本日のわが部屋は20ベクレル/m3、地上に住んでいる人全員がラドンという地中からの放射線(防御できないγ線)をその土地ごとの強さで浴びて生活していることを確認している。→東濃の高放射線帯を走る
※こういう民生用の放射線計測器は日本製がない。福島原発事故当時、私はガイガーカウンタ(米国製)を持っている数少ない民間人だった。ちなみにラドン濃度は、大陸の石造りの家の中が高く、民生用の測定器はその確認のためにある。

さらに、体内の筋肉にあるカリウム40(K40)という放射性物質からα線を内部被曝し続けていることも知っている(筋トレ=内部被曝増強)。
付け加えて、温泉ソムリエの私は放射能泉(ラドン・ラジウム温泉)が好きで、あえて浴びにいくだけでなく、自宅の浴室に購入したオーストリア産のラジウム鉱石5kgを浸している(これらは放射線ホルミシス効果が期待できるため)。

その上、紫外線(広義の放射線に入る)は黒ずくめの完全防御までしないし、アルコールという毒物を(溶液状態で)好んで摂取している。
大量に摂取すると死をもたらす酸素(O2)と(H2O)に至っては、なんと生まれてこのかた切らしたことがない。

安全/危険という二分法(二元論)思考はこの世界を必要以上に単純化するので、この思考で判断すると必ず間違う(しかも認識感度が鈍化するので間違いに気づけない。例えば、"放射能"には過敏に騒ぐのに、防災には手をつけず、ハザードマップすら見ない)。

科学(定量・実証)的な”安全”基準こそを、”安心”という感情の根拠とするのが冷静な人間の態度であってほしい。


慶応を応援した理由

2023年08月23日 | 時事

甲子園の決勝戦がある今日は、自宅の居間のテレビで観戦していた。

仙台育英の連覇ではなく、慶應義塾高等学校(昔から”塾高”って呼ばれているので以下そう呼ぶ)の優勝を期待して。
実力は仙台育英の方が上だと思っていたが、先頭打者ホームランがあったように、塾高の勢い(打力)が優っていた。

なんで自分が地元でも母校でもない塾高を応援するのか、説明しにくいが、気持ちがそうだから仕方ない。

あえて説明するならば、まず横浜の日吉にある塾高は神奈川代表だけど、慶應義塾って本拠地は東京の三田(中等部もある)だし、実際東京から通っている生徒も普通にいるはずだから、心理的距離では私の地元の東東京代表と同じ。

それに甥っ子が現在慶大生で日吉に通っている(塾高出身ではない)。
私と慶應の今の接点はこの程度。

あと個人的な思い出で、東京六大学野球の早慶(慶早)戦で、あえて慶應側の応援席に座って観戦していた時(チアは慶應女子の高校生だった)、慶應の応援歌(若き血)や塾歌を一緒に歌った記憶が呼び覚まされたから(今でも歌える)。
甲子園での慶應側の応援が高校離れしていたのも、六大学野球での慶大の応援に倣っているから(応援はともに内野と外野の2箇所でやるので四方から響く。ただ、応援の騒音で仙台育英の外野手2人がフライを取る役割確認ができなかったのは可哀想)。

それにヘアースタイルに象徴されるように、超古豪ながら野球スタイルが新鮮なのがいい。

結局、塾高って神奈川のローカルな高校ではなく、慶應義塾系列として、東京も含んだより大きな存在だから、私のような部外者も巻き込まれるのか。
こういうのって、塾高が実現しているブランド性なんだろうな。

こういうブランド(影響)力のある高校が、高校野球を現代化してくれることも期待したい。


山岡荘八『徳川家康』第1巻を読む

2023年08月21日 | 作品・作家評

8月中の業務・仕事を終えて、気分転換にと手にしたのは、山岡荘八の『徳川家康』第1巻。
この作品、世界最長の小説で、全26巻ある。

なので私も多くの人と同様、第1巻を開くことに並々ならぬ勇気・覚悟を要した。
もちろん、一旦読み始めたら、いつ終わるかわからない話に延々と付き合っていかねばならないから。
本作品は新聞小説だったこともあり、著者が書き上げるまでに18年を要したという(第1巻あとがきより)。

こういう常軌を逸した大長編は、日常生活下ではなく、長期入院用にふさわしい。
それ用にまずは中里介山の『大菩薩峠』が候補だったが、せっかく長期間付き合うなら、架空の剣豪ではなく、日本史上最大の傑物たる徳川家康の方がいい。

ただ文庫本でも26冊揃えるのは場所を取りすぎ(幾度も読む本なら本棚にしまう価値があるが、この小説は一生で2回は読めない)。
この理由だけで、この作品を読まないことを正当化できたが、今では電子書籍になっているので、この理由は使えなくなった。
それに、この世界最長の大長編を読んだとすれば、それだけで人生の思い出になり、他人に自慢もできる(暇人と呆れられるかも)。
という幾つかの理由もあって、とりあえず第1巻だけ、電子書籍で購入していたのだ。

読んでみた第1巻は、主人公の”前史”にあたる父母の時代の話が中心だった(主人公も誕生するが、まだまともに喋れない)。
特に家康の母である於大の方(おだいのかた)が主人公扱いで、これは私にとっては嬉しかった。
数ある戦国武将の中で、その母親に存在感があるのは珍しい(今川義元の母は別格)
しかも家康を産んでまもなく離縁されて、我が子との関係が一旦は断たれる。
その不幸な顛末がこの巻の主な内容だ。

ということでそれなりに満足して第1巻を読み終えたが、問題は第2巻に進むかどうか。
歴史小説として、登場人物の内面なども描かれていて、その点は”文学”として読みでがあるが、一方で史実でない人物を登場させるなどのフィクション性があるので、”歴史”を味わうには不要な部分がある(これは他の作家作品でも同じ)。

煎じ詰めれば、学術書と違って、小説を読むのは”暇つぶし”だ。
長大な時間を費やすことがわかっている1つの暇つぶしに取り掛かるのは、今の時点でも勇気・覚悟がいる。
そもそも研究者として現役のつもりなので、読むべき学術書だけで目白押しで、気分転換こそあれ、つぶすべき”暇”などない(はず)。
今回の気分転換もこの1冊分で終わる。
でも人生で1回経験できるかどうかの挑戦の機会でもあるし…
まだ迷っている。

後日追記:1巻を読み終えた段階で、2巻に手を伸ばしたくなったが、26巻まで手を伸ばし続けるには、時期が熟していない。長期入院という機会も訪れる保証はないので、とりあえず定年退職後という機会を待つことにした。


酷暑を快適に過ごす

2023年08月20日 | 生活

8月の業務(採点)と仕事(論文)をやり終えて迎えた日曜。
羽を伸ばしたいところだが、相変わらずの35℃超えの酷暑なので、趣味の”ウォーキング”は御法度。

せめてもの気分転換に、近場の町中華でお気に入りの”五目焼きそば”を食べ、その足で山手線に乗って御徒町で、就眠儀式である映画を見ながらの酒のつまみを買い、ついでにユニクロで、室内着のシャツを買った。

数ある夏の室内着の中で、最も快適なのは、ユニクロのドライEXのシャツとステテコだ(シャツはドライEXライト)。
これらはポリエステル80%以上(ライトは100%)なので、薄く軽く、通気性がよく、体温をよく放散し、肌触りがよい。
いわゆる綿の Tシャツなどとは涼しさが違う。
ユニクロは、衣服内環境を向上する新素材を手頃な値段で提供してくれるところがありがたい。

日中に帰宅したが、この往復だけで汗びっしょり(日傘はさしているが、気温が36℃超え)。

シャワーで汗を流し、早速買ってきたドライ EXライトのシャツを着て、
冷蔵庫からノンアルコールビールを取り出し、冷房の効いた部屋で、渓流の 環境 CDをかけながら、保温グラスについで飲む。

ノンアルコールビールは、ビール固有の爽快感を、アルコールなしで味わえるので、こうして真っ昼間から遠慮なく飲める(私は正月三が日以外は昼酒は飲まないことにしている。酒好きがアルコール依存にならないためには、飲むTPOをわきまえる自制力が必要)
サントリーなどはノンアルコールビールの健康効果(内臓脂肪を落とす)を謳っているが、確かにビールは本来は薬用だった。
ただアルコールの毒がその薬効を台無しにしていたのだ。
だからノンアルコールビールこそ、ビール本来の効能を健康的に堪能できる価値ある飲み物だ。
昼に飲んでもアルコール入りのビールと違って眠くならないのがいい(ビールより安いし)。

この後は、眠くならないので、買ったままにしておいた歴史小説を読むことにする。


論文書き終えた

2023年08月19日 | お仕事

8月に入って、10日以上もブログ記事を書かなかったのは、その間論文の執筆に集中していたから。

7月までの授業期間中は、授業と大学運営、すなわち給料をもらうための”業務”を優先せざるをえない大学教員にとって、
夏休みは、本来の”仕事”である論文執筆に集中できる貴重な期間。
そもそもこの”仕事”こそが、授業を含む大学教員としての価値の根拠になるのだから、これをおろそかにできない。

ということで、夏休みに入って、まずは前期試験の採点という業務を仕上げた後は、論文執筆に集中し、
幸い、今回の論文は前もって進めていたので、締切りまで1ヶ月以上残して、仕上がった。
※:内容は「霊が見える」事例の批判的・現象学的検討。予定通り投稿すれば来年3月に発刊。

もっとも、提出するまでの間に、表現レベルの推敲は重ねるが、これに昼間の時間を費やす事はなくなる。

この間、集中しすぎたせいと老化の進行のせいで、夕方になると眼鏡をした状態でパソコンの文字にピントが合わなくなった。

そういうこともあって、慰労・気分転換といきたいが、まだハイシーズン中なので、温泉は月末に予約した(まだ35℃を越える外に出たくないし)。

まずは好きな本を読んで気分転換をしたい。


ネッククーラーよりいい

2023年08月08日 | 生活

暑さ(熱中症)対策として、身につけるグッズは何がいいか。

私は長年、吸水ポリマーの首巻き(キャンドゥで110円)を愛用していて、基本的にそれで満足していたが欠点もあった。→吸水ポリマー首巻きの進化

それは、ポリマーが膨らむまで充分に吸水させるのに時間がかかり、外出時につけていこうと思いついても間に合わないこと。

今夏になって、流行りの「ネッククーラー」(Ω状の首巻き)なるものを買ってみた(買ったのは1000円近いもの)。
これはいわゆる冷凍物で、氷枕と同じく、人肌で常温に温まった後は無意味という欠点が明らかになった(いっときの冷感を味わえるだけで、屋外での長時間時の熱中症予防にならない)。
なので私にとっては使用価値なし。

自然界における冷却効果は、水の蒸発による気化熱に勝るものはない(人体も冷蔵庫もエアコンもこの物理現象を採用している)。

すなわち、氷(固体)ではなく、水(液体)として持続的に蒸発し続ける状態が理想。

吸水ポリマーは一応それを満たしているのだが、吸水状態の維持がまさって、蒸発力が弱いので、持続性は抜群なのだが、表面が乾燥してしまうと冷却効果が弱くなる。

吸水ポリマーの欠点を持たないのが、クール・タオルだ。

これもキャンドゥで110円(税込)なのだが、水にさらっと浸して、その場で絞って、首に巻くだけ。
吸水させる時間が不要で、すぐに使える。

そして、意外なことに、一向に乾かず、湿った状態がずっと維持される。
なので、肌から気化熱が奪われ続けるのだ(昇温を抑え続ける)。
しかもタオルだと面積が大きいので、装着面が暖まったら、他の面を当てれば冷たく、これを繰り返せる。

タオル型とバンド型があり、前者を首に粗く巻いていたら知らぬまに落としてしまった。
その点バンド型だと、首にも額にも付けられて落ちない。

冷たさとその持続時間、手軽さ、そして価格の総合評価でこれが一番(首と額の二箇所に巻くと気持ちいい)。


介護体験学生の巡回

2023年08月07日 | お仕事

前期最後の業務として、教職を取っている学生に課せられる「介護体験」の巡回に出た(今年度は教職課程の委員を担当したので、この仕事が回ってきた)。

従来、教職(教員免許)課程の実習は、学校現場での教育実習のみであったが、それに加えて、学校教育とは無縁の高齢者や障害者に対する介護体験の実習も必須となった。

そうなると、学生を派遣する側の大学において、実習先の巡回(指導)も学校だけでなく介護施設も加わる。

教育実習は、教員を目指す学生にとって本業につながる実習なので、その意義は実感するが、介護実習は、本業につながらない、いわば単位を取るためだけの実習となり、そのため実習生を受け入れる施設側にとっても受け入れる意義が見出されず、やる気のない素人を数日間だけ仕事に就かせなければならない、余分な作業となる可能性がある。

そんな心配の中、自分が巡回を担当した施設に、事前に訪問の予約を入れ(それが今日になった)、大学が用意した手土産を持って、暑い中上着を羽織って訪問した。

そこでの実習はデイサービスに来るお年寄りの世話で、尤も福祉免許ではなく教員免許の一貫なので、本格的な介護の補助ではなく、お年寄りとコミュニケーションをとるレベル。

その様子を見ていると、実習生は、退屈そうにしている車椅子のお年寄りのテーブルに率先して近づいて、身を屈めて膝をついて、お年寄りと目線を合わせて、笑顔で会話をしている。

相手と目線の高さを合わせることは、施設側が初日に指導したという。
後は自発的に実習生が話しかけて廻っている。
ここに通い慣れたお年寄りにとっても、若い実習生との会話が新鮮なようだ。

その姿を見て、これからの教師に必要な実習であることを痛感した。

今までの学校教師は、生徒に対して、上から目線で、管理者・権力者になっていた。
個々に様々な問題を抱えている生徒に対して、それを無視して、強圧的に指導してきた。
それによってどれほどの生徒が、教師に傷つけられてきたことだろう。

これからの教師は、生徒をケアする三人目の親となるべきなのだ。
しかも自発的な愛情に頼るのではなく、プロとしての職業意識・技術に基づいて。
そのための貴重な体験ができるこの実習の意義を痛感し、笑顔で率先してお年寄りに接している実習生を見て喜ばしくなり、この実習の機会を与えてくれた施設に改めて感謝の念を持った。

初めての介護施設の巡回なので、かように私にとっても新鮮だった。


水に沈まない方法

2023年08月01日 | 防災・安全

8月を迎えて、水の事故が増える時期になった。

水の事故の多くは溺死なので、まずは溺れない方法を示そう。

頼もしいことに、人間は、本来的に、溺れずに浮くことができる。

水死体が浮くのがその証拠。

そう、水死体が浮く方法を教えている。

①体を仰向けに水平にすればいいのだ。

その理由を力学的に述べる。
ポイントは”浮力”。
浮力は、空気より遥かに密度の高い水中ならでは発生する、重力に抗して水の中で下から上に働く力。
この浮力によって、文字通り”浮く”ことができる。

逆に絶対に沈む姿勢は、垂直に立つこと。
垂直に立つと、浮力が作用する面が足の裏だけとなり、そこに重力(体重)が集中する。
すなわち、人体の単位面積でみると、重力が最大で浮力が最小になる姿勢。

水平に横たわると、下からの浮力が作用する面が最大となり、しかも重力はその広がった面に分散される。
なので、人体の単位面積で見ると、重力が最小で浮力が最大となる。
今仮りに、両足裏の面積が水平に横たわった人体面の1/10とすると、垂直姿勢から水平姿勢に変化することで、単位面積にかかる重力は1/10に減り、浮力は10倍になる。
その結果 人体では重力<浮力になるので、必ず”浮く”。

②さらに、浮力を増加する方法がある。
単なる水平姿勢ではなく、胸を反らせる(その分、頭部が下がるが心配不要)。

この姿勢によって胸郭が広がるため、肺に入る空気量が増える。
肺は、魚類の浮袋から進化したもの。
そう、肺は自前の”浮袋”になるのだ。
胸部が浮くことによって、そこに近い頭部下部(鼻と口)も水面に出る。
なので、単に浮くだけでなく、呼吸も自由にできるわけだ。

この姿勢をまずはプールで体現しよう。

この姿勢になるには、慌てずに、力を抜いてリラックスし、息を大きく吸うこと。
心理的に慌てると、筋肉が緊張して、もがいてしまい、この姿勢が取れなくなってしまうので、”慌てないこと”が何よりのコツとなる(自らいち早く水死体のようになってしまえ)。

このように”本来的には浮くんだ”ということを実感できたら、慌てずに済む。

③ただ、川で流された場合は、頭を先頭にしないことも重要(頭部が岩に激突する)。
人体の形状は、何もしないと頭が先頭になってしまう。
両手を舵がわりにして、思い切り開いて(岩を掴めるかも)、水平のまま方向を調整し、足を先頭にしよう。

④海の場合は波が大きいので、水平姿勢だと呼吸しにくい。
完全水平ではなく、手足を動かすことで(イカ泳ぎ)、沈み込みを防ぐ。
海は強い塩分のおかげで川より浮力が効く。

関連記事☞なぜ人は川で沈むのか