今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

寒気の東京はすごい乾気

2020年12月31日 | お天気

日本に大寒波がやってきて、日本海側は降雪に見舞われているが、
太平洋側、とくに関東では、からっ風になって、異常な乾燥状態になっている。

日本海の湿った空気を吸った寒気は、谷川岳あたりの上越国境の山脈に遮られて、新潟側(魚沼地方)で雪を降らせるが、そこで水分を落とした空気は、乾燥して関東平野に降りてくる。
降りてくるので、断熱圧縮で気温が上がる分、寒気は緩む(上州のからっ風がきついのは、風の強さ)。
なので、東京での露点温度の低さ(-10.8℃)は、そのまま相対湿度をぐんと下げる方向に働いた。
東京・本駒の相対湿度は午後2時現在、24%に下っている(以前の「異常乾燥注意報」基準)。

しかも、ここんところ雨がないので、木材の乾燥度の指標である平衡含水率が5.3%と異常に低い(冬場の平均は10%)。
東京はもともと巨大都市のため相対湿度が(名古屋などと比べても)低く、これにこの寒気(乾気)が追い討ちをかけている。

では異常な乾燥空気は何をもたらすか。
まず、平衡含水率に見られるように、木材がカリカリに乾燥しているため、着火しやすい。
なので、火事に要注意(木造家屋はあっという間に火の海と化す)。

つぎに、皮膚が乾燥する(表皮から水分が抜け出ていく)ので、肌荒れに注意(シワになりやすい)。

そして乾燥で俄然元気づくのは、コロナ+インフルエンザのウイルスたち。
東京のコロナ感染者が多いのは、この乾燥のせいもあろうか。
乾燥していると、飛沫も拡散しやすい(蒸発もしやすいが)。
マスクは口まわりの皮膚を乾燥からも守るので、有効度が増す。


年末の大寒波が入ってきた

2020年12月30日 | お天気

連投で申し訳ないが、
わが私設”本駒気象台”(東京・文京区)の観測によると、本日の17:40を境に、気温と露点温度が急降下しはじめた(気圧は上昇)。
そして風速がどんどん増えている(残念ながら周囲がビルのため、風向は正しくない)。

気温は、毎日日没によって下る(日内変動が激しい)が、気圧と露点温度が急変するのは、異なる空気(気団)が入ってきた証拠。
なので、本日午後の露点温度(Dew Point)の経時グラフを示す(図)。

グラフでは、17:40を境に8℃あった露点温度が、20:00の段階で-7℃まで、すなわち2時間20分の間に15℃も下った。
特に17:40-18:00のたった20分間になんと10℃も急降下した。
こんな急降下はめったにない(データは10分間隔)。

露点温度は、大気の水蒸気量を示す指標なので、すごい乾燥空気が入ってきたと解釈もできるが、
もうひとつ、可能な最低気温の指標でもあるので、すごい寒気が入ってきたとも解釈できる。
日本海側に大雪をもたらす湿った寒気なので、後者だとわかる。

くれぐれも、今夜からは暖房を怠らない方がよい。


2020年を私的に振り返る

2020年12月30日 | 歳時

正月準備の合間を縫って、毎年恒例、”今年の振り返り”をやろう。
もちろん、広く世間のではなく、狭く極私的に。

このために今年1年のブログ記事を読み返すのだが、わが記事ながらこれが結構多量でつらい。
読み返す価値のない記事(特に仕事ネタ・時事ネタ)はいずれ削除しようと思う(この手の歳時ネタは1年のまとめ情報となっているので、残しておこうか)。

今年はもちろん地球規模での”コロナ禍”の一年で、私もその影響を被(こうむ)り続けた。

実は何を隠そう、私の2020年は、元日からインフルエンザで丸2日間寝込んで始まった。 
ようやく起き上がれた3日になって口にした”おせち”は、塩の固まりの味がして食べれず、味覚異常を体験した(翌日には解消)。 
6日になって初めて外に出たので、今年は”正月”を体験できなかった。

そして1月末には、日本もコロナ禍に見舞われるが、記事では政府の対応の遅さを嘆いている。 
これ以降、ブログも「新型コロナウイルス」のカテゴリーの記事が続く。
3月は、新型コロナウイルスの恐怖に日本中が巻きこまれていく。

大学でも卒業式は中止(3月)。 
マスク不足の中での志村けんの感染死には私もショック。 
そして入学式も中止(4月)。 
新入生は入学式前のガイダンスを受けただけで、 これ以降は自宅待機。

結局、前期授業は完全に遠隔授業(オンデマンド型)となった。 
私も在宅勤務となり、会議も遠隔。 
在宅勤務といっても決して楽ではなく、日々遠隔授業の教材づくりに追われる。
そして書類に押印するためだけの出校。
授業だけでなく、仕事の在り方も考えさせられた。

第1波の時は、GWが正念場だと思っていた。
この後、いまだ続く”我慢する系”のストレスに耐えることになろうとは…

自分を含めて周囲に感染者は出ていないが、
高血圧の持病を持つ身で、血圧の高止まりが続いた(3月〜)。 
そして、10月に狭心症の発作に見舞われた(今は投薬中で安定)。
母は、5月に軽い脳梗塞を再発し(軽症で回復)、また外出しなくなったせいで長年の膝痛が悪化し、血清療法を試しても効果が出ず、最後の手段の手術をした(12月、年末に退院)。
ということで身体にはコロナの間接的な影響を被っている。

毎月1回は行っていた温泉旅は、アカの他人との接触を避けるため行く気になれなかった。
その中でも定宿としている中津川の温泉宿には例年以上に5回も行った。
こういう時こそ応援したい宿だから。

年2回通っている茶臼山カエル館(真正パワースポット)は例年通りに通い(6月、11月)、オタマジャクシの孵化や水質のデータを得た。

あとは日帰りの小旅行ばかりで、結果的に埼玉によく足を運んだ。
草加(1月)は、ホントに煎餅の町で、手焼きせんべいがおいしかった。 
鴻巣(2月)では日本一の川幅と川幅うどんを堪能。
狭山湖(6月)ではトトロの森で”パワー”を実感した。
高坂(11月)に行って岩殿観音に参拝。

山の方はなんと高尾山(12月)だけ。
あと、しいて上げれば高坂に行った時の物見山(135m)も。
これはコロナ自粛のせいだけでなく、従来の腸脛靱帯炎に狭心症が加わったためで、ますます登山に向かない体になってしまった。

その代わり、近場の寺巡りはコロナ中でも気楽に実行(御朱印コレクションのためではない)
こんにゃく閻魔などの地元文京の寺(3月)、定宿途中の東濃の薬師巡り(4月)、
東京・西大井(6月)、神楽坂(8月)、鶴見の総持寺(10月〕、そして高尾山薬王院に、日の出町の鹿野大仏(12月)。

仏様ついでに、記事にはしなかったが、自室内の仏像が充実した。
今年加わったのは、不動三尊(作家作品)、勢至菩薩・観音菩薩・弁財天(以上は中国製の美しい木造)、軍荼利明王・風神・雷神(以上はリアルな和製フィギュア)。
外出できない間は、室内を充実させたい。
お篭り生活の中で、Amazonでの買い物が楽しみになってしまったためでもある。

来年は、冠動脈と腸脛靱帯をかばいながら、もう少し山に行きたいものだ。


年内の仕事終了

2020年12月28日 | お仕事

職場は冬休みに入っているが、年内締切りの仕事(業務)が残っていて、それを今日終えた。

その仕事とは、研究倫理についてのeラーニング(6単元分)を今月中に受講し、一定の成績を修めて修了証を得ること。
前回は年度(3月)末だったのに、今回は年内、すなわち師走の忙しい時に受講しないといけない。
「前回」というように、数年おきに再受講するのだ。

かように、今の大学教員は、研究倫理やハラスメントについて、学習が求められている。

「そんなこと、常識でわかっている」とうそぶく学習意欲のない者ほど、研究倫理やハラスメント違反を犯すリスクが高い。
なぜなら、年々厳しくなっていくその現状に無関心だから。

最新の研究倫理を学ぶと、昔の自分とその周囲がいい加減だったことが思い知らされる。
それどころが、歴史を画した有名な研究が、今の研究倫理では実行不可能であることが明らか(それゆえのその研究は、追試不可能なので、研究上の価値を失わない)。

昨晩から2日を要して、研究倫理の6単元分のeラーニングを終え、すべてのテストを受けて修了証をゲットした(ちなみに、eラーニングシステムは私も授業の小テストに使っている)。

これで、年内〆の仕事はすべて片づいた。
正月三が日は意地でも仕事しないので、しばらく仕事を忘れることができる。

今日は昼の間に、散髪、門松飾り、お年玉用新札両替、三が日の酒のつまみ調達も終えたので、年内の用事も実家の大掃除とおせち材料の調達だけになった。
これでやっと、のんびり年越しを迎えることができる。


鹿野大仏〜阿伎留台地を歩く

2020年12月27日 | 東京周辺

年末年始の休暇はハナから休息モードなので、日曜くらいはどこかに出掛けたくとも、早起きして山に行って疲れてくるのは億劫だ。
前日の準備も要らず、自然な目覚めで間に合い、少しは歩くものの疲れないという、都合のいい行き先を探して思いついたのは、西多摩の日の出町に2018年に建立された総高18mの鹿野(ろくや)大仏(→サイト)。

最寄り駅からちょっと歩くが、その地はわが高校時代のホームグラウンドなので、当時を思い出して歩きたい。

一応の最寄駅になるJR五日市線「武蔵引田」に降り立つ。
ここから阿伎留(あきる)台地を北に縦断して、青梅側の草花丘陵に向う。

人家はずいぶん増えたが、畑を前景にした主峰・大岳山(1267m)を中心とする伸びやかな奥多摩の山の風景は昔と同じ(写真:風景写真としては凡庸だが、撮影者にとっては大好きな風景)。
この山を見ながら多感な3年間をこの地で過したんだ。

台地を北に下って平井川を越え、丘陵麓の宝光寺(曹洞宗)に達する。
この寺の奥に大仏がある。
本堂に入って本尊を拝み、丘陵の谷に入って奥の大仏を目指す。
山の上の大仏はすでに行く手に見えている。
参道入口で参拝料300円を払い、専用の歩道を進む。
途中、鹿の湯の源泉跡に立ち寄る。
この鹿の湯という温泉跡は、高校1年の時に寮(全寮制高校)の同室の仲間3人で探索に来たことがある。
その時は誰も来ない不気味な廃道を、その頃寮の先輩から、この地の怪談噺(創作)を聞かされていたため、びくびくしながら歩いていると、道の先に、老婆が臥せってい姿が見えた途端、恐怖が絶頂になって、3人で大声をあげながら逃げ帰った(老婆に見えたのは道から出ている岩だった)。
その鹿の湯跡をこうしてきちんと確認できた。

当時とはうってかわって明るい斜面を大仏めざして登る。
体がほてった頃、大仏の足元に達する(写真:台座右下に黒服の人が立っている)。
南に開けた山の上なので、阿伎留台地とその向こうのサマーランドの観覧車も見える(我が高校跡は、尾根の陰になって見えない)。
地平線を画しているのは、景信山から高尾山の山陵(神奈川との県境)だ。

大仏台座の内部に入れて、中の金色に輝く仏様に線香を手向ける。
大仏の御姿は、色も含めて私が持っている鎌倉大仏の模型と似ている(こちらよりは小さいあちらの方が肩が張っている)。
青銅製で山形の鋳物業者が1000年前の技術を用いて造ったという。

眺めも大仏も堪能したので、山を降りる。
寺の近くに、福生や五日市に行くバス停があるが、まだ13時なので、台地を越えて駅まで歩くことにする。
ていうか、ここに来て我が母校跡を素通りする訳にはいかない。

平井川を越えて再び阿伎留台地に上がり、高校の跡地に向う。
この付近の道は高校時代にすべて通ったので、歩けば当時の風景を思い出せる。

当時、台地中央には菜の花畑が拡がっていたが、今では巨大なイオン・モールになっている。
その正面に、我が都立秋川高校跡があり、柵に囲まれて立ち入り禁止となっている。
その内側には、成長したメタセコイアの並木だけが、当時の名残りとして気高く存在感を示している(写真)。

わが秋川高校の校歌は、こうはじまる。
「阿伎留台地、日差しあまねく、新芽(にいめ)かおるメタセコイア」
この一節が心の中で鳴り響く。

この地に立つ時の私の心中は以前に記した→「秋川高校跡を訪れた時の気持ち
今回は、鹿野大仏への観光で来たのだが、またしてもその気持ちにさせるこの地(阿伎留台地)は、私にとって特別な場所。


賀状書き

2020年12月26日 | 歳時

12月25日は我が甥っ子の誕生日。
なので東京宅では、クリスマスパーティは事前に済ませ、25日はイエス様でない誕生パーティ。
これで我が家もホリデー週間に突入。

26日の今日は、気分一新、賀状書きにいそしむ。

はっきり言ってめんどくさい。
いっそ”賀状じまい”にしたいのだが、今年は普通に会う人とも会えなかったから、延期する。

すでに作っていた賀状の原稿を、年に一度の稼働となる実家のプリンタ(hp)でハガキ印刷すると、なぜか印刷位置がずれてしまう。
その調整(プリンタ本体での印刷位置調整と紙送りガイドの掃除)をして、やっと正常位置に印刷できるようになる(これを毎年繰り返す)。
ただ、カラーインクの出が悪いので、インクジェット対応の賀状なのに、写真の印刷は大昔のプリンタのように横に帯が入る。
裏面と表の自分の住所氏名を印刷したら、次は手書き作業。

私は、表の住所・宛名は手書きにしている。
そうすることで、相手をしっかり心に思い浮かべることができるから。
そして、思い浮かべたその相手に向って、裏の余白に、手書きで一言書き添える。
相手の住所氏名を印刷で、しかも裏も100%印刷だと、そりゃ楽だろうが単なる流れ作業になってしまう。
それこそ無意味ではないか。

ただ、書き添える一言が思い浮かばない相手には困る。
何しろ、たった一回会っただけで賀状のみの関係でしかないと、顔すらまともに浮かんでこない。
日頃顔を合わせる職場の同僚との賀状も意味ないと思うが、このような相手もほとんど意味がない。
ただ、昔の知り合いで、いまや賀状だけが唯一の接点となった相手には、それこそ年に一度だけ心に思い浮かべて、今どうしているのか思いをはせる。
といっても浮かんでくる一言は、「お元気ですか?」以外に出てこない。
会う気がないのに「久しぶりに会いたいですね」と書くのも白々しいし(男同士の定型的挨拶で「今度飲みましょう」というやつと同じ)

印刷した裏面には、毎年旅先の写真に解説をくわえている。
定型的な賀詞ばかりでなく、個別情報(近況)を加えた方がいいと思っているから。
もらう側としても、凝ったイラストなどよりも、その人ならではの情報があった方がいい。
だから家族写真も歓迎(毎年、子どもの成長がよくわかる。ただ子どもが成熟すると、家族写真そのものがなくなる)

いずれ、虚礼部分は廃止して、年に一度顔を思い浮かべたい相手だけのやりとりにしたい。


年末年始の寒気予想

2020年12月25日 | お天気

年末年始にすごい寒気が来ると予想されている。

その根拠が、マスコミベースでは示されないので、ここに開示する。

気象庁がスーパーコンピュータを使っての数値予報という方法で、192時間後の高層天気図を描いている。
天気予報は、地上天気図ではなく、高層天気図(気象予報士のアンチョコ)を用いるのだ。

その850hPa面の図を紹介する(一部拡大)。
850hPa面とは、地上が仮に1000hpaとすると、上空1300mくらいの高さにあたる。
その面で、1月1日21時において、−12℃の等温線(点線)が中国地方から関東にかけて横断している。
これを地上に降ろすと、−3℃ほどになる。
東京〜大阪間でも氷点下になりそうだ。
それと850hPaが−6℃以下の所は、雨が雪になる(冬型の気圧配置なので日本海側は大雪となろう)。

この寒気の本体は、もっと高層の500hPaにあって、それを見ると関東が本日の樺太上空に等しい状態になっている。

おそらく今年の大晦日は、出歩く人は少なかろうが、くれぐれも例年にない強い寒気に注意してほしい。


会食がやめられない人

2020年12月25日 | 新型コロナウイルス

感染者がいっこうに減らないのは、それなりに理由があるはず。

以下、人を性格で分類したがる心理学者の悪癖として軽く読み流してほしいが、

この期に及んで、あえて会食をして感染する人って、そうせざるをえない行動癖があるためかもしれない。

一人で食事をすること(”孤食”)を異常に寂しい行為だと思う人がいるようで、たとえばかつての職場で、昼食の時、一緒に外食に行く相手をずっと捜し回る人がいた。

私は、昼時くらい、一人になって食事をしたいと思う方なので、社員食堂などでも平気で一人で食べていた。

簡単に言えば、常に他者を求めるのは外向性、ソロ活動が好きなのは内向性。
この向性というパターンは、性格分類基準の一番基本となるもので、ユングが提唱して以来、様々な性格スケールに取り入れられ、最新のBig5にも入っている。

そういうわけで内向的な自分にとっては、感染リスクを厭わず会食する人を、自分とは対極側の人と理解する。
いいかえれば、性格傾向にもとずく行動であるため、こちらの価値観で断罪することはしない。
このタイプの人たちは、楽しい会食ができないことは、人生の楽しみを奪われたに等しい、つらいことなのだ。

ちなみに私は、大学では学生と距離をあけて対面授業をし(もちろん互いにマスク)、一人で新幹線で東京-名古屋を往復し、東京では買物や散歩ついでに一人で外食をする(外食そのものは全く怖くない)。
密になる相手もおらず、マスクを外しての会話は一切しないので、感染リスクが低いと判断できるから。

そういえば、どこかで聞いた事がある。
社会性に乏しい内向的な人が常に一定数いるのは、そういう人たちはこういう危機(集団感染)状況に強いからだという。


冬至の年筮2020

2020年12月21日 | パワー・スピリチュアル

本日締切の卒論提出を、指導学生全員分無事に見送ったので(提出には、指導教員の押印が必要)、
やっと自分のことができるようなった。
そこで、易学研究会の顧問として、研究室に置いてある筮竹で、冬至の今日、来年の年筮(来年一年の運気を占う)を執り行なう。

年筮は、来年の社会全般が対象なので、読者の皆さんにも当てはまることになる。

中筮法で得た卦は、「兌為沢(だ・い・たく)で4爻が変爻。
なので後半は「水沢節(すい・たく・せつ)になる。

兌(沢)は悦ぶの意で、それが重なっているので、悦ぶ結果すなわち亨(とおる)、うまくいくという。
多くの人の笑顔が見れ※そうだ。

※:私は確信犯的”ら抜き”主義者。表現の一義性を推進するため、”可能”と”受け身”を別表現にすべきという信念(当然、”尊敬”にもら行は使わず、一義的な敬語表現を使用)。

ただ、4爻目が陽から陰に変わるので、年の後半に「沢」から「節」になると解釈。
年の前半に比べてやや停滞気味になる。
「節」なので節度を保つことが必要なのだが、年の後半に該当するのは節の上(外)卦なので、むしろ節度の行きすぎに注意が必要。

以上、今年の「沢雷随」(自分勝手に動かない方がよい)よりはマシな感じ。

更に昨年の「水山蹇」の流れから見ると、”水気”の中で運気は上昇局面といえる。


名古屋宅の大・大掃除

2020年12月20日 | 生活

勤務先の大学では、明日21日が卒論提出の締め切り。
毎年、締め切り直前の週末は、私が付きっきりで指導するが、本日の日曜はそれができない。

それに年末の名古屋宅での日曜は、年に一度の大・大掃除だいおおそうじ)に充てなくてはならない。

本日、卒論生から昨晩メールに添付された原稿を添削して返信し、
まずはウォーミングアップとして、洗濯と布団干し。
そしていよいよ意を決して(意を決する必要がある)、居間の掃除にとりかかる。
まずエアコンを切って窓を全開して、マスクをつけ(昨年まではマスクが手元になかったので手拭いを口にまいた)、化繊のハタキで家具の上についたホコリを払う。
次に、フローリングの床にちらばっている大小の書物を整理(一箇所に集める)。
書物以外の散らばっている小物類を手に取って、不要な物がありすぎることを実感。

ゴミの掃除は、今年買ったハンディ掃除機のおかげで簡単(昨年まではミニ箒でミニちり取りに集めて、毎回ゴミ箱に捨てていた)。
あらわになったフローリングにぞうきん掛けをする。
これで居間は終わりだが、ここで休むと腰が重くなるので、続けてキッチン周りにとりかかる。
床の掃除は、ロボット掃除機※にまかせる。

※居間をロボット掃除機にまかせなかったのは、書物や小物などで散らかりすぎていたため。

昨年買っておいた100円の「すきまブラシ」が蛇口周りの掃除に便利だとわかった。
あと、洗剤の代わりに、クエン酸液(これも100円)でもそれなりに落ちる(泡はでない)。
床をぞうきん掛けして、キッチン周りもおしまい。

そして、服を脱いで、浴室内の掃除に取り掛かる(服を脱ぐのは、シャワーで天井から浴室内を洗うため)。
ここでも「すきまブラシ」で蛇口周りの水あかを落とす。
浴室は、入浴から出る時に、毎回シャワーで室内を洗浄するので、たいして汚れていない(これが習慣化する前は、浴室の大掃除がたいへんだった)。
最後のトイレも、床はロボット掃除機にまかせ、便器内外と床を丁寧に拭く。
そして、最後の仕上げにフローリングをハンドモップでワックス掛け。
以上、11時に始めて、昼食抜きで終わったのが15時すぎ。

足の踏み場に困っていた居間が、すっきりして、見た目にもとても気持ちいい。
掃除をすると、このような快(心理的報酬)が得られるのに、
いっこうに習慣化しないとは、心理学的に不思議だ。

ちなみに、寒空(最高気温7℃)の下に干した洗濯物は、夕方になっても乾かなかった。
今の時期は、温度の高い室内に干した方が乾燥しやすい(空気中に含みうる水蒸気量が多いため)。

事後、スマートウォッチを確認すると、部屋から一歩も出ないのに、目標歩数の8000歩を超えていた。
さらに、入浴後の体重計に乗ると、昨日よりも減っていた(これは昼食を摂らなかったためでもある)。
大掃除って、部屋がきれいになって、いい運動になることがわかった。
こんないいことなのに、いっこうに習慣化しないとは…

後になって判明した事:エアコンのファイルターとそれに接しているエアコン側を掃除したら、温風の量が格段に増え、消費電力も減り、暖房効率が格段に上がったので、設定温度を下げた(さらに消費電力も減った)。かくも掃除はすべきである。


”振り出し”の高尾山

2020年12月13日 | 山歩き

東京八王子の高尾山(599m)といえば、ケーブルカーが麓から中腹に架かっていて、子どもでも登れる行楽地。
都内の小学生ならまず遠足に行くところで、私も小学校4年の遠足ではじめて登った、都民にとっての”振り出しの山"。

私にとっては、中学で山をやってからは、陣馬山からの奥高尾縦走の最終通過点の位置に甘んじるようになったが、
高校の時は大晦日の夜の初詣警備のためボランティアで山中を巡回し、
その後も、暇つぶしの足慣らしに通ってきた(このブログでも記事多数→カテゴリー「山歩き」)。

近年、左脚の腸脛靱帯(腸骨=骨盤から膝に達する長い靭帯)を痛めて、山の下りで歩行困難になったので、リハビリ登山を高尾山から始めて、徐々に高度を挙げて1200m台の丹沢大山まで達した。
そこにコロナ禍が来て、外出そのものが抑制される事態に。
そして、その間に、狭心症に見舞われてしまった。
登山にとって致命的なことに、下半身の脚部の障害に加えて、上半身の心臓にもトラブルが追加されたことになる。
山を歩けない人生など考えたくもない。
ならば、この二重苦をなんとか克服するしかない。

ということで、その狭心症からのリハビリ登山を、またまた高尾山から始めたい。
かくも高尾山は、私にとって3度目の”振り出しの山”に選ばれたのだ。

高尾山は、都心から距離が近いだけでなく、登り口まで新宿から直通電車が通っているので、早起きせずにフラリと行ける。
山中の幾本もある道はすべて頭の中にはいっており、山麓・中腹・山頂に食事を摂れる店があるので、装備も楽(昼食の装備不要)。
かように東京近郊で一番気楽で便利な山だから、振り出しの山となるのは必定。

循環器の担当医からは、運動の許可を得ている。
もちろん、発作が起きた時用に処方されたニトログリセリンの錠剤をポケットに忍ばせる。
そして腸脛靱帯を支える専用サポーターも装着して出発。

登りは、あえて傾斜のきつい直登の琵琶滝コースを選び、久々の運動による汗をかく。
心拍は70台で、冠動脈に違和感はない。
斜面を登りきって、ケーブル山上駅付近に達し、そこからはケーブルからの観光客と合流して、ほぼ平らな1号路(メインストリート)に沿い、木漏れ日が差す薬王院への参道を進む(写真)。
マスクをしている人もいるが、していない人もいる。
山の上なので基本マスクは不要で、私もマスクを顎に下げる。
高尾山を修験の場とする薬王院の本堂・飯縄権現堂・不動堂、そして最奥の富士浅間社(北条氏康建立)を次々と参拝し〔高尾山は関東有数の霊山)、正午前に山頂に達した。

山頂にはそれなりに人がいるが、昨年までの休日のような腰を下ろす余地すらないほどの混雑ではない。
そいうこともあって山頂の茶屋で山菜そば〔900円)を食べる(日曜の昼時に並ばずに入れるなんてラッキー)。
隣の卓では田楽を肴にビールを注文していて、一汗かいた山頂なので私も咽喉が鳴るが、山ではこれから待つ”下り”こそ危険度が高いので、山中ではアルコールは摂らず、持参した水道水で咽喉を潤す。

山頂は、南側の展望が開けているが、高尾山より千メートル以上も高い丹沢山塊を見上げる形になり、さらにその奥の富士をさらに見上げる(写真:富士左の三角の山は丹沢の大室山1588m)。
言ってしまえば、ここは富士や丹沢大山というより高い霊山の遥拝場ともいえる(12月下旬だと、ここから富士山頂に日が沈む)。

下りは、これもいつも通り、一番長距離の稲荷山コース。
ストックを右手に持って、左脚の腸脛靱帯をかばいながらスタスタ下る。
斜面に対して足先を左斜めに向けることで、左外側の腸脛靱帯をかばうことができる。
そうやってスタスタ降りて、ケーブル駅のある登り口に降り立った。

結局、冠動脈も腸脛靱帯も静かだった。
これで”山”の最低ラインを突破できたことになり、次のより高い山に行くことができる。
ありがとう、わが”振り出し”の高尾山。


感染予防の行動パターン

2020年12月12日 | 新型コロナウイルス

新型コロナウイルスがいままでになく市中に拡がっている第三波の中にあって、
一年弱もつきあってきたおかげで、どう感染を防ぐかは、およそ見当がついているはず。

それでも感染者が減らないのは、その行動をしない人たちが一定数いるからだ。

日常的に対面授業と名古屋−東京の(感染地の)新幹線往復をやっている身なので、あるていど自信を持って自分の感染予防行動パターンを述べてみる。

まず、公共交通機関での移動そのものは、ちっとも怖くない。
全員マスクをして、おしゃべりをせず、しかも車内はしっかりした換気ができているからだ(特に換気量は自宅にいるよりも大)。

新幹線内では飲食もする(空いているので一人掛け状態)。
その際、除菌シートでまず口元を拭き、次に両手、特に食べ物を持つ指先を拭く。
ついでに、手が触れる座席まわりを拭く。
そして、マスクを顎にずらして飲食をする。

 GOTOトラベル自体は感染拡大の”原因”ではない、という見解はデータ的にも正しい。
もっとも、あえて今、旅行を”推進”する必要はまったくないので、GOTOは中断した方がいい。
宿もきちんと対策しているから、あえて行きたい人は通常料金で行けばいい。

学生との対面は、互いにマスクをした状態で、窓を開けている教室内で1m以上空けて話す。
マスクをして繁華街に行って買い物も普通にやるし、一人で外食だってする。
人と会う時は、使い捨ての不織布マスクをし、買い物だけなら、洗える布マスクにする。

一方、絶対しないのは、会食・飲み会。
特に不特定の人が出入りする空間での会食、すなわち他者と卓を挟んでの会話と飲食は、今年の2月以来やっていない。
もちろん、職場の忘年会も、毎年11月にやる高校の同窓会も中止。
親しい知人との定例の飲み会も中止。
飲み会をしなければ、その後のカラオケにも行かないですむ。
いずれも、病院以外のクラスター発生地なので、足を踏み入れない。

外を歩いている時は、マスクをずらして、鼻呼吸を楽にする(雑踏の中でない限り、マスクは不要)。
帰宅したら真っ先に、丁寧な手洗い。
当然、外出着から室内着に着替える。

まぁ、常にソロ活動だから、以上の行動パターンを楽々堅持できるわけだ。
寂しくなんか…。


以前に戻った新幹線

2020年12月08日 | 新型コロナウイルス

膝の術後入院をしている母を見舞うため、毎週末帰京している。
名古屋と東京の往復を毎週繰り返していると、乗るたびに新幹線の乗客がどんどん少なくなっていくのが実感される。

言い換えると、私自身は、感染者が多い地域の往復という、感染リスクを背負った行動をしているわけだ。

ただ、電車内からクラスターが発生しないのは、皆マスクで沈黙をして、換気もそれなりにされているからだろう。

新幹線はガラガラだから安心だが、母の病院に行くために乗った都内のJR在来線は通勤・通学客でラッシュ、すなわち三密状態だった(もっとも全員マスクで沈黙)。

職場の大学では、会議・授業ともに、威勢よく喋らなくてはならない。
もちろん互いの距離を開けて、窓も開けて換気をしている。
不敷布マスクだとやはり音がこもる。

このように、東京や名古屋にいても、3密を避けて、マスクをして、手指消毒もすれば、感染を防げると思う。

もっとも、一番安全なのは、面会客を制限している入院中の母だ。