今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

2010年を振り返る4:世相編

2010年12月31日 | 歳時
最後に、自分の身辺ではなく、世の中を振り返ってみる。

一言で言えば、日本の”衰退”を痛感させられた一年だった。
高度成長期とともに成長し、大人になって爛熟したバブルを体験した私にとって、
日本が明らかな衰退期に入ったのを目の当たりにするとは、歴史の流れを感じてしまう。

衰退として一番痛感するのは、人材の不足。
人口は多いのに、人材が不足している。
政治家はいうに及ばず(実はこれが悲劇の第一原因なのだが)、
芸能界・スポーツ界においても、リーダー的な実力・人気のある人がいない。

学問の世界では、ノーベル賞受賞者こそ輩出しているが、それは過去の実績の評価であり、
世界をリードしていく躍動感はない。
産業界でも、日本の製造業の神話が崩壊し、ゲーム・マンガ・アニメなどのソフトパワーも失速している。
テレビ(番組制作)などのコンテンツ産業はもう悲惨の一言。

止めようもない変動の波に翻弄されながら、
それを改革しようとすると頑強な抵抗が示される。
その抵抗を突破するだけのリーダーシップが存在しない。
(なんか幕末のドタバタを思い出す。外国の要求と無体な尊攘勢力に挟まれ、
老中が交代しても、体制を支えることに失敗し続ける。)
それが人材不足の一番悲劇的な部分。

就職難は単に不況だからではなく、
企業が求める人材が職を求める人の中に見出せないためでもあるという。
そこで企業は、ガッツのある外国人に目を向けている。
ここで”草食系”という表現は不適当だが、
日本人全体のパワーが減退しているのは否めない。

私は立場上、人材が育たないことの責めを負う側なのだが、
教育界そのものが、社会変動(たとえば学力低下)の大波をかぶっているのも事実だ。
大学自体がサバイバルに専念させられている
(旧体制に安穏としているよりはマシだが、受験生確保に翻弄され、教育的ビジョンがもてないでいる)。

この逼塞状態の原因は何か。
一つには、旧いままの”思い込み”に支配されているためではないか。
戦後の政治体制、産業構造、コンテンツ制作(テレビ番組など)のあり方(理想)に
強い思い込みが支配されているのを感じる。
政治で言えば、(自民か民主かという)「2大政党制」という思い込みから脱しないと、
新たな政治は期待できない。
製造業も、過去の成功体験に縛られて、(世界の)消費者が本当に求めているのを提供していない。
そしてソフト産業も、その轍を踏んでしまっているようだ。
大学も、小手先の改善を続けているだけで、人材の育成に成功していない
(企業が求める人材という意味ではなく、大学自体が理想とする人材)。

ではどうしたらいいのか。
発想の転換、価値観の転換が必要なのはわかるが、簡単な解決策は見出せない。
ただ、われわれが勇気づけられた2つの出来事、”はやぶさの帰還”と”チリの落盤事故の救出”、
にヒントがあるかもしれない。

危急の事態において、人知の限りを尽くすこと。
そして希望を持ち続けること。
希望を持ち続けるには、既存の枠にとらわれない冷静な思考と判断力が必要だということ。

現状を変えるには、現状を冷静に分析すること。
それが”思い込み”から脱する第一歩。
ペリー来航以前に、冷静な洋学者が真っ先に”攘夷”の思い込みを脱したように。

2010年を振り返る3:気象編

2010年12月30日 | 歳時
東京と愛知で3ヶ所の気象観測を実施している私が、
それらの地域の毎月の極値(最高、最低)から、
今年の気象の特徴を述べてみる。

まずは忘れもしない、記録的な猛暑について。
「ひぐらし」(東京都荒川区)では、
5月から10月まで6ヶ月連続で最高気温が30℃を越えた。

過去6年分の記録がある「ひぐらし」では、
10月の最高気温が30℃を越えたのは2005年も同じだが、
6ヶ月連続すなわち半年間も月最高気温が30℃を越え続けたのは初めて。
その中で8月の最高気温は39.2℃であり、これは2007年の 39.1℃を越えて最高記録。
また「ひぐらし」の月最低気温も8月は23 .9℃とこれも記録更新。
8月はほとんど熱帯夜だったことがわかる。
かように今年の”猛暑”はきちんと表現されていた。

ただし愛知(「星が丘」「日進」)ではそれほど記録的ではなく(特に8月)、
年最高気温は9月の 38.3℃だった。
8月より7、9月の方が月最高気温が高かったのはめずらしい。

ただ8月以外の月最低気温は他年より高いということはなかった。
経年的にみても気温の上昇傾向があるとはいえない。
すなわちここ6年は、温暖化もヒートアイランド現象も進行していないようである
(これらの現象は最低気温の上昇として現れるという。
ただし大都市での観測値は両者の現象の区別ができない。また気象庁の平均気温であは0.85℃の上昇という)。

東京の”気温”は異常だったが、”UVindex”は例年並で、6月に最高値を示したのはめずらしい
(理論的には6月下旬の夏至に最高値になるものだが、実際には7、8月に最高値になる)。
これは梅雨空が続かなかったためだろう。
それに対して、「日進」(愛知県日進市)では8月に 14.5 という観測上の最高値を記録した。
「日進」は「ひぐらし」や「星が丘」(名古屋市千種区)より空気が澄んでいるせいか、
いつも一貫してUVindexが高めだが、こんな高い値は初めて。

観測値で経年傾向がみられるのは、「ひぐらし」での”最低湿度”の低下傾向(年平均で20%を割り、18%)。
東京の一年を通じての”乾燥化”は、気象庁のデータでも確認されている。
湿度が低いと、夏は体感気温(不快指数)が上がらないが、冬は火災とインフルエンザの危険が増す。

愛知の2ヶ所は、それぞれ3年分のデータしかないが、
その間、一貫して最低湿度の年平均値が上昇している。
すなわち、東京とは逆に”湿潤化”が進んでいる
(年平均30%を越えた、すなわち最低湿度は東京より10%以上高い)。
ということは、愛知は東京に比べて、夏は気温の割りに体感気温(不快指数)が高く、
冬は火災とインフルエンザの危険は低いことになる。

あと面白い傾向として、日射量の増減とUVindexの増減とが対応しないこと。
たとえば「星が丘」では最大日射量の年平均値は増加傾向にあるが
(今年は太陽黒点が皆無になったのに)、UVindexは逆に減少傾向にある。
「日進」や「ひぐらし」ではこのような逆相関性は見出せないが、相関性も見出せない。
つまり地上に達する有害紫外線は増加してはいない。

あと日射量とUVindexとの関係から、夏は冬よりも日射量の割りにUVindexが高い、
すなわち短波長の紫外線の割合が強いこともわかった。
夏は紫外線対策が必須であるといえる(特に、東京から南の大都市外の地域)。

私の2010年を振り返る2:旅・人・物

2010年12月29日 | 歳時
前の記事の続きで、今年の自分の生活を振り返る。

【旅行】
温泉旅には相変らず毎月行っているが、新たな地には行かず、
夏の遠出も秋田の玉川温泉の再訪となった。
温泉旅の目的が、新鮮な体験ではなく、リラックスしたいから。

そんな中で新たな事としては、ガイガーカウンターを持参して、ラドン計測にいそしんだ点。
なので東濃(恵那市・中津川市周辺)に分布するラドン温泉に入りまくった。
その中では”湯の島ラジウム温泉”が、日帰りの10分ほどの入浴だったが、
その温泉力(湯あたり)に圧倒された。
といっても計測された放射線量は、秋田の玉川温泉の岩盤地帯が群を抜いていた。
あそこは強酸泉と岩盤浴とラドン浴の3つとも日本一の凄い所と痛感。

【人】出会い・別れ
仕事と生活が安定していると、かえって対人関係に変化がなくなってしまう。
その中で、高校の同窓会活動が活発になったのはうれしい。
ワンゲル部の同窓会が発足し、GWには高校の同期の数人とハイキングした。
そして11月末には恒例の同期会。

昨年は2名の親類が鬼籍に入ったが、今年はそのような別れはない。
ただし高校の同期で2人目が鬼籍に入った。

【買物】
今年最もインパクトのあった買物は、なんといってもiPad。
業務書類の電子化、ノートパソコンの代替(授業)、クラウド化の呼び水にもなった。
電子書籍市場がまだまだなので、
自前の電子書籍化のためにページスキャンと組み合わせての使用が前提となる。

思いの外お気に入りとなったのは、
ブログでは初登場の木製の腕時計 Tense(カナダ製)。
なにしろ木製だから軽くて、肌触りがいい。
ただし、防水性に劣るため、シャワー程度ならいいが、浴槽には浸せない(壊れはしないが)。
実はこれ、自分の持ち物を木製化する計画の一環。
失った物は、前の記事に記したが、その中の愛車のハンドル・シフトレバーも木製だった。

あと秋葉で何の気なしに買ったオモチャのアコーディオンが面白くなり、
教本まで買ってしまった。
久しぶりに楽器に接している。

【お仕事】研究活動
毎年2本の論文執筆というノルマは今年も達成できた
(それ以上にはいかないのも毎年のこと…)。
ただいずれも作法関係で、1つは小笠原流礼法の古文書翻刻(共同執筆)、
もう一つは中世ヨーロッパ作法書のテキストマイニング分析。
本来なら、1本は必ず心理学の論文にしているのだが、準備不足だった。
テキストマイニングという新しい分析手法に着手できたのは今年の収穫。

私の2010年を振り返る1:出来事編

2010年12月28日 | 歳時
今日、実家の掃除と障子の張り替えを手伝って
今年の用事をすべて終えた。
あとはのんびり正月を迎えるだけ。
そこで、恒例の”今年を振り返る”。
もっとも自分のブログなので、あくまで”自分”の一年。

今年最大のイベントは、実家の隣接地の購入(2月)。
これは定年後の自宅のためであり、今すぐに家を建てる予定はない
(その間、固定資産税を払い続ける)。
ぜいたくと言うなかれ。
もとは祖父母の土地だったので、買い戻したのだ。

テレビ出演を果たし(5月)、新聞取材も受け、写真入りの記事が載(9月)。
いずれもネットによる情報発信が目に止まったわけ。
ほかにもテレビ番組からのネット経由での取材もあった。

失った物もある。
まずは、サブプライムショックとリーマンショックを経た投資資金の損切り確定(10月)。
土地の購入は資産としては等価交換といえるが、こちらは明確な損失。
ただ単なる数字上の変化で実感に乏しいこともあり、
心理的ショックはない(諦めの心境)。
残額はさっそくより安全な投資先に移した。

VTRデッキやお掃除ロボットなど家電が相次いで壊れた。
特に後者は便利だったが、5万の値段に怖じ気づき、買い替える気がおきないまま。

そして今年のしめくくりに交通事故に遭った(12月)。
ここ数日の交通事故のニュースを見ても、
若者は車のスピードを出しすぎる!
私もそのあおりを食らったのだ。
幸い軽傷で済んだが、ボディが大きく凹んだわが愛車とは
お別れの気配(年明け早々に決断)。

こうしてみると、得た物より失った物の方が多い一年だったなぁ。

年末の温泉旅:軽井沢

2010年12月27日 | 温泉

年末の慰労の温泉として"グリーンプラザ軽井沢"(写真)に行ってきた。
ここは、同じグリーンプラザでも”箱根”よりもかなり安く泊まれ、
天然温泉とちょっと高級なグリルビュッフェが気に入って、年に2回ほど利用している。

軽井沢駅から送迎バスの便があるが、
軽井沢自体が新幹線でしか行けないのが玉に瑕
(往きは新幹線でもいいが、帰りはあっけなさすぎる)。
そこで今回は、仕事の慰労に加えて、連日のパーティとこれから迎える正月太りに対処するため、
帰りは軽井沢から横川まで旧国道を歩いて下ることにした(2回目)。

2日前に軽井沢までの長野新幹線の指定席は予約してある。
東京駅で新幹線の自動改札口に切符を入れ、そのまま取り口にある切符を取って、
乗車するホームに上がる。
乗る予定の長野新幹線「あさま」はすでにホームに入っている。
予約席を確認するために切符を見たら、
なんと、私の手にしている切符は、いつのまにか行き先が「新潟」になっているではないか!
これ、別路線の上越新幹線(軽井沢は通らない)の切符。
この切符では自分の予約席もわからず、そもそも目的地へ行けない。
発車まであと10分を切った。どうする?

謎のすり替わり事件は、さっきの自動改札口で起きたに違いない。
のんびり階段を下りる家族連れをなんとか追い越し、改札口に駆け寄り、
どうでもいい用事で駅員と話し込んでいる新幹線素人の客に割り込むように、
自分のトラブルを話した(ちょっと強引だが、緊急事態なので…)。
駅員(♀)が自動改札の蓋を開けて、切符をチェックするが、見当たらない。
発車時間が迫ってくる。
駅員も事情を知っているだけにあせりを示し、
改札口そばで他の駅員に相談している女性客の切符を覗く。
するとその客が私の軽井沢行きの切符を持っていて相談していたところだった。
無事に切符を取り戻し、予約した席に座る。
今後は、予約した席番号は控えておこう。

思わぬアクシデントを乗り越え、無事、軽井沢駅に着いた。
気温は3℃。
軽井沢の”駅前スキー場”以外は雪はないが、
標高1000mの星野温泉付近から雪が目につき、グリーンプラザのある北軽一帯は真っ白。

さっそく温泉に浸かり、思い切り手足を伸ばす。
ボーッとすることで、今年一年の精神的疲労までも消え去る
(幸い、ここ数年は、肉体疲労すなわち肩や腰の痛みから解放されている)。

夕食は、たまには通常のバイキングにするつもりだったが、
やっぱり今回もグリル・ビュッフェにした。
こちらは料理の品数こそ少ないが、リッチで凝った料理なので食べ甲斐がある
(メイン料理以外はバイキング形式。グリーンプラザの通常の”バイキング”は浜名湖で堪能しているし)。
それにこっちは客がぐっと少なく、子供連れもいないので静かな雰囲気。
従業員も余裕があるので、一人客の私に話しかけてくる。
こちらも心地よくなり、ワインを2杯も飲んでしまった
(普通のバイキングでは、余分な液体を胃に入れたくないので水以外は飲まない)。

食後は、部屋のテレビで「坂の上の雲」を(ワインのせいで)半分居眠りしながら観て、
退屈しのぎ用に持ってきたお勉強の本からノート作りの作業
(つい仕事を持ち込んでしまう)。

その作業を夜10時前に終え、3回目の入浴の後は、
就寝前のお楽しみタイム=酒とつまみと家から持ってきたDVD観賞
(このためにノートパソコン持参)。
旅宿ではいつもこれを楽しみとしているので、その前にあえて仕事タイムを設けて、
気分のメリハリをつけるわけ。

そして自然に眠くなったら寝て、
目覚ましをかけずに目が覚めたら起きる。

朝風呂に入り、朝食のバイキングを平らげ、のんびりチェックアウト。
そして予定通り、軽井沢から旧国道18号を長い下り道を13kmほど歩いて、
横川駅に降り立った(途中、峠の湯に入浴)。


12/25の誕生会

2010年12月25日 | 身内
わが甥っ子柊聖(しゅうせい)は、その名が示すように12月25日に生れた。
今年で7歳。
昨晩はクリスマス会で、今日は柊ちゃんの誕生会。
彼は二日連続でプレゼントをもらうわけだ。

私は秋葉で買ったジャンク品のミニ・アコーディオンで”ハッピバースデー”の伴奏をする。

母である義妹の料理は、昨晩はイタリアレストラン風だったが、
今日は柊ちゃんの大好物の”餃子”。
しかも他の大人たちも好物なので、合計100個もの餃子を作る羽目に。
好物いえども主役はまだ7歳なので、15個余りでダウンしたが、
残りは大人たちが平然と平らげた。
餃子にダウンした柊ちゃんだが、”まぁる”のバースデーケーキは別腹。

私からのプレゼントは、クリスマスはおもちゃだったが、
誕生日はお勉強になる絵本(評判のいい『しごとば』ほか計2冊)。

2日続けておいしい料理をたらふく食べたので、少しシェイプアップが必要だな。

クリスマス会

2010年12月24日 | 身内
24日は、弟一家とクリスマス会。
元気いっぱいの小学一年生・甥の柊(しゅう)ちゃんがいるので、
子供のためのパーティとなっている。

大人たちが楽しむ料理は、義妹が腕を振るって、イタリア風に。
子供たちには分厚いラザニア(余りは大人たちに)。
大人向けには、スズキのカルパッチョ、フロフキダイコンのオリーブオイルあえ、
クリームパスタ、焼きポークにビネガーソースなど、レストラン級の味を堪能。
シャンパンで乾杯し、それが空いたら赤ワイン。
ケーキは我が家族御用達の”まぁる”のショートケーキ(クリスマスバージョン)。

そして柊ちゃんが待ちに待ったプレゼントタイム(ただし親サンタからは寝た後)。
DSや Wiiのゲームが一挙に手に入り、ご満悦。
私はお菓子の入ったサンタの長靴もあげている
(スーパーで売ってるものではなくネットでの注文品)。

3歳の姪・のんちゃんは、ラザニアを食べた後は、
柊ちゃんの大騒ぎをものともせずに、椅子の中で定時の睡眠に入る(写真)。

今年最後の授業

2010年12月22日 | お仕事
冬至の今日、今年最後の授業を終えた。
そもそも冬至は、北半球に住む人間(いや大部分の生物)にとって、生命エネルギーが最小値になる時期。
だからこそ、クリスマスという本来は”冬至の祭り”で、陽気にはしゃぐ必要がある
(クリスマスを脱キリスト教、正確には、クリスマス~正月(冬至~新年)を一緒くたに祝うアメリカ発の運動に賛成)。

今年の授業日程は25日まであるのだが(大学の授業日程の厳正化の流れを受けて)、
私自身の授業は今日で最後。

名古屋宅の分散した大掃除(正しくは、年に一度の”普通”の掃除)も終り、あとは冬休みを迎えるだけとなった。

というわけで、授業終了時には「皆さん、よいお歳をお迎えください」と締めくくり、
帰宅しては、まずはユズ湯の代わりの炭酸湯に浸かり、赤ワインと生ハムで慰労の祝杯。
明日から2週間ほどはすべての時間を自分の思うように使える。
締切が迫る原稿もないので、勉強のための読書がたっぷりできる
一番気楽な冬休みが始まる。
なにしろ、夏休みは論文原稿の締切が迫っているので、ほとんど原稿執筆に費やされる。
また春休みのように、新年度開始の”鬱”が待ちかまえていない。




 

卒論という通過儀礼

2010年12月20日 | お仕事
本日、卒業論文の提出締切日。
ウチの学部はかように締切が早い(他学部は年明け)上に、
基本的に、文献を読むだけでなく、データを取って分析する手間がかかり、
提出時のチェックが厳しく、1人あたり5分を要する上に、
先週までの提出者が50名で、今日だけで残り70名の提出が見込まれる。
しかも、締切は16時といつもより早い。

かようなタイトなスケジュールの故に、今日は相当な混乱が予想されたが、
少なくとも本日提出する予定の卒論は、ほとんど受理できた。

私のゼミの学生も、途中で挫折した一人を除いて全員提出した。

今年から学科主任でもある私は、受理業務を最後まで見届ける義務があるので、
他の用事はないまま、ずっと居残っていた。

伝統社会では、若者が大人になるために試練を与えられる”通過儀礼”というものがあり、
成人式とは本来それを意味する。
現代では、卒論こそ、長い学生時代から社会人になるための通過儀礼としての”試練”に相当する。
私は、そのつもりで厳しく接している。
だからこそ、なおいっそう、「おめでとう、よくやった」と心から祝福できる。

みんな大好き!あんかけスパ

2010年12月19日 | 名古屋周辺
土曜の夕方まで残って、やっと学生達の卒論提出のメドがついた。
指導に奔走した自分への慰労として
本当だったら、三河湾を望む温泉に一泊するはずだった快晴の日曜。
愛車が使えない状態なので、泣く泣くキャンセルした。

車もなく、原稿も授業準備も事務的書類作成も済ませた我が身に、
今の時期することといったらアレしかない。
年末の大掃除。

まずは蒲団を干し、シーツ類も洗濯して干す。
ここから先のキッチン・風呂・トイレ掃除は、朝飯前ではできない重労働なので、
まずは腹ごしらえ。

駅近くの「あんかけ家」に名古屋名物”あんかけスパ”を食べに行く。
東京では、外で昼食をとるとき、何にしようか迷うが、
名古屋だったら、迷わず”あんかけスパ”。
迷うのは、メニューを見てから。
「シャンピニオン」にするか「ミラカン」にするか、
そして1倍にするか1.5 倍の大盛にするかだ。

前回は定番"ミラカンの1.5"にしたので、
今回は、卵ベースの黄金焼きにしてみる。
実はこれ、初めて食べるので1倍に抑えた(普通の男は1.5を食べる)。
名古屋に来て初めてあんかけスパを見た時、まるで”天津丼”だと思ったが、
この黄金焼きこそその第一印象に近い。

店はカウンターのみだが、11時開店の20分後に着いたら、もう満席。
東京の人気ラーメン店でも、この時間だったら空いているのに。
そして私が食べていると、まだ12時前なのに、店の外まで行列ができる。
だから、開店直後に来るようにしているのだ。
これだけ、あんかけスパは地元名古屋で人気があるわけ。

味のベースとなる「ヨコイのソース」は、
そこらのスーパーで売っているのだが、
家ではなかなか店の味が出せないのだ。

店内であんかけスパを食べている時は、
スパと一緒に”名古屋にいる幸せ”を噛みしめる。
イタリアンスパなら世界中で食べることができるが、
あんかけスパはほとんど名古屋オンリーで、
市内ならたいてい徒歩圏内に食べれる店があるから。

事故後一週間の心境

2010年12月17日 | 失敗・災難
先週土曜の交通事故をブログに発表してから、
あちこちの人からお見舞いのメールをもらった。
もちろんそれぞれお礼の返信をしたが、他に心配をしてくれている読者のみなさんにも
この場をかりて”お礼”を申し上げる。

事故直後からずっと愛車の心配をしている自分だが、
それが可能なのも、実はわが身の被害が少なかったためだ。
私の車ではなく身体ばかりを気づかうお見舞いのメールをもらって、それに気づかされた。

事故後一週間目なので、仕事帰りに病院に行った。
右側頭部は通常は痛みはないが、触ると違和感が残っている程度。
医師は、通院は不要という。
ただ、自覚症状だけでなく、周囲から見て、性格が変ったなどの変化があったら再受診するようにとのこと。
そうか、これをきっかけに性格が変れるのもいいなと思ったが、
こういう場合、怒りっぽくなるなど持ち前の性格がさらに悪くなる変化なんだろう。
相手側の保険会社との話しがついているらしく、会計は不要だった。

こちらには法的な非がない”もらい事故”だったので、
悪いのは相手側で、自分には反省すべき点はないと思っていたが、
それなら犯罪被害や被災だって”もらい災難”だ。
つまり自分が悪くなくても、被害には遭ってしまうのだ。

そう考えると、被害に遭わないためには、ただ遵法していればいいのではなく、
災難を予想して、より慎重に振る舞う必要があるのだ。
いくら金銭的に賠償を受けても、こちらが受けた身体的苦痛や生活の不便は取り消すことは出来ない。
”防災士”でありながら、交通安全に対しては、道交法に従っていればいいと思うだけで満足し、
咄嗟の異常事態に対処する慎重さが足りなかったようだ。

今朝起きた、取手市の無差別傷害事件を知ってなおさらそう思った。

師が走る

2010年12月15日 | お仕事
12月20日の卒論締切が迫り、個々の学生の論文作成指導に、
研究室やパソコン演習室を走りまわっている。
しかもまだ授業もあるので、授業前や後、それに昼休みを完全に指導に費やす。
もともと昼食をとらない生活なので、昼休みの1時間がフルに使える 。

原稿の入力はさておき、データの分析部分は私がほとんどパソコンの横について指示する。
もちろん出力結果の解釈も。
原稿も、論文の日本語になっていないので、論理構成から語句の選択まで全面的に指導する。

もっと手を抜いて学生にまかせてもいいのだが、長かった”学生時代”最後の課題なので、
こちらもできるだけ時間を割いて、完璧をめざしたい。
これが教員の仕事だと思うから。

さらに授業と指導の合間には、交通事故の示談(保険会社におまかせ)の経過も電話で確認する。
なので、帰宅するとヘトヘト。
事務的な仕事も残っているのだが、帰宅するともう何もやる気が起きない。
今週は土曜まで、こんな状態が続く。
事故での怪我の経過を見てもらいに、病院にも行く暇がない。

交通事故に遭う

2010年12月11日 | 失敗・災難
土曜は授業がなく、出校する用事はないのだが、
今は卒論のヤマ場なので、学生の指導のために出向く。
急ぐこともないので徒歩でもいいのだが、夕方に一雨来そうなので、車で行く事にした。

いつも通る路を、いつもと変らずに運転していく。
大通りを抜け、片側一車線道路に入ると、
目の前を一台のバイクが一時停止もせず猛然と横切って行く。
危ないなーと思いながら、そのバイクが出てきた小さな十字路にさしかかると、
そのバイクと同じ方向から、今度は車が一時停止せず、左右の確認もせずに突進してきた。
車は私の車の右前方(運転席側)に衝突し、そのまま双方の車が止まった。

互いに車の中から顔を見合わせた。
相手はまだ若く二十歳前という感じの男。
相手が車から降りてきて私に大丈夫かと聞いてきた。
言われてみると、頭の内側が全体的に痛い。
でも意識は明瞭なので、とにかく助手席の方から出た。

私の車の前輪部に、相手の車の左前角がぶつかった状態。
わが愛車は、右前輪が傾き、ボディが大幅に凹んでいる。
ガラスなどの損傷はない。オイル漏れもなく、エンジンもかかる。
それぞれの車を押して道の端まで移動した(通行中の車の人が手伝ってくれた)。

私にとっては、事故というより
わが愛車のトラブルという思いになって、いつもの癖で真っ先に損保会社に連絡した。
本当なら、警察署に連絡を先にすべきだったが、損保会社のやりとりがなかなか終らないので、
相手の携帯で警察に連絡してもらった。

互いに免許証から氏名などを写し合っていると、パトカーがサイレンを鳴らしてやってきた。
まずは交通整理の担当で、実況検分担当は前の事故で手間取っているという。
私に対しては簡単な質問ですんだので、車の中で休ませてもらった。

そこではじめて気がついたのだが、自分の右側頭部が盛り上がって痛みがある。
口を動かすと、顎関節周囲も痛い。
きっと衝突の衝撃で、私の頭部が車内で激しく動いたのだろう。
相手の第一声が私の容体の確認だったのも、そのためか。
それを警官に訴えると、救急車を呼んでくれた。

今度は救急車がサイレンを鳴らしてやってきた。
救急隊員に意識水準などを確認されながら、首全体を覆うガードをはめられ、ストレッチャーに乗せられる。
救急車に収容される時、レッカー車がやってきた。
本当は愛車を載せたレッカー車に同乗しかった私の思いを残して
救急車はサイレンを鳴らして現場を後にする。
自分が救急車の”正客(メインゲスト)”になるのは幼稚園以来の2度目。

私を乗せた救急車がすぐ近くの病院に着いたらしく、
病院の急患用簡易ベッドに移される。
看護師が血圧を測ると、なんと上が180。
今朝降圧剤を飲んできたのに…。
深呼吸をして計りなおすと150には下った。
医師がやってきて私の右側頭部をさわって、陥没骨折を疑う(一瞬、海老蔵を思い出す)。

頭部のCTスキャンを撮るというので、ベッドごと病院の待合室を通り抜ける。
仰向けになった私には、聞えるのは移動するベッドの車輪の音と、待合室のざわめき、
見えるのは病院の天井の模様が流れて行くだけ(なんか映画のシーンみたいだ)。

CTスキャンて放射線量がやたら多いから嫌なのだが(ラドン温泉は大好きなくせに)、 
CT分の発ガンリスクの上昇と、やらないことによる脳内出血が見逃されるリスクとを比較すると仕方ない。
でも2年連続して頭部にCTを浴びることになる。

1分ほどのスキャンが終って救急用の部屋に戻されている間、
携帯電話で大学の事務室に”交通事故で行けなくなった”旨を学生に伝えてくれるように頼んだ。
学生も卒論指導が突然キャンセルさせて困っているだろう。

自分のCT写真を見ながら医師の診断を受けると、
脳内に出血はみられず、側頭部の骨も折れていないという。
「頭部外傷」で1週間の経過観察でよいという。
ただ、診察代はCT分も含めて保険がきかない。
持ち合わせがないので内金だけ支払った。

現場に戻ると、レッカー車が出発するところだった。
現場検証もすんで、パトカーの中で正式な事情聴取。
私が先にお役御免。
自宅まで歩いて帰った。
今日もいつもどおり”歩き”にしていれば、と思っても後の祭り。
昨日はうれしい茄子日、今日は悲しい事故日。
「人間万事塞翁が馬」

幸い明日は日曜だから、安静にできる。
今晩は、風呂も酒もダメ。

茄子日

2010年12月10日 | お仕事
卒論の締切が迫り、学生だけでなく指導する側の私もカリカリすることが多い昨今。
今日の私はどことなく機嫌がよく、心なしか指導も懇切だったかもしれない。

数日前から、近所のスーパーの惣菜売り場で「麻婆茄子」を探していたが、
計7店まわった結果、できあいのそれはどこにも置いてなかった
(今の時期、置いておけば、売れる気がするんだが)。
仕方なしに、「麻婆茄子の元」と茄子を一袋、今日のために買っておいた。

今日は、”麻婆茄子”(マーボーナス)を食べる日だからだ。
晩酌はいつもの第三のビール(350ml)ではなく、エビスビールの500mlにして、
サカナの代わりに、”賞与”の明細書を眺めながら…

日頃、やりたくもない仕事まで余分にさせられている給与生活者が、
今日はその身分にありがたみを感じる、年に二回の二回目の日。

支給される金額欄だけを見る分にはうれしいが、
天引きされる税金欄に目を移すと、自分が働いた分なのに、何でそんなに持って行くの?
と嘆きたくなる。

税金の無駄遣いは絶対許さないと、改めて誓う日でもあった。

海老蔵記者会見

2010年12月08日 | 時事
別にどうでもいい事だが、市川海老蔵の謝罪(?)会見を見た印象。
役者だけあって、”深く反省しています”という演技ができているが、かえって演技が見えてしまっている部分も。
まぁ、歌舞伎役者だから、ナチュラルな演技っていうのは無理かな。

酒飲みがよくやる弁解は、「酔っていたので覚えていない」。
これ、ウソだから。
泥酔していても、記憶が飛ぶことはほとんどない。
だから翌朝、バカなことやったなと激しく後悔する。
ホントに記憶ないなら、「○○はやっていない」とか、「××はやった」とか断言できるのはおかしい。
これらの自己弁護が、反省の仕草とそぐわないのが痛かった。

でもお辞儀の形は良かった。
特に両手の位置がキマまっている。
ここで私は大声をかけたい。
「成田屋!」