今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

女性の墓に如意輪観音の石仏が多い理由

2024年02月17日 | 雑感

お寺周辺の石仏は、江戸時代の故人の墓であることが多い。
その中で女性(信女、童女)の墓として彫られた石仏は蓮を持った聖観音か、ほおに手を当てた如意輪観音(写真)であることが多い。

観音様が形態的に女性的であることがその原因かもしれないが、もともとの観音菩薩は女性ではない。

観音の変化身の中で”女性”とされているのは准胝観音と白衣観音なのだが、女性の墓として彫られるのは、それらではなく、なぜ特に如意輪観音なのか分からなかった。

本日、郷土博物館巡りで行った青梅市郷土博物館で、その謎が解けた。

市内の如意輪観音坐像の説明によると、
女性は生理や出産などで出血するため、死後に”血の池地獄”に落ちるとされていて、
そこからの救済を説く「血盆経」を女性たちが写経すると、
如意輪観音が現れて、血の池地獄から救ってくれる、
という民間信仰が江戸時代に広まっていたということだ(地蔵菩薩の女性版)。
説明は以上だが、そこから、死んだ女性を地獄から救うために如意輪観音像を彫って供養するという発想につながることが容易に理解できる。

ただし「血盆経」なるものは中国で10世紀頃に作られた偽経なので、
正式な仏教における如意輪観音の役割ではないし、
そう説明する仏教書も見当たらなかった。

郷土博物館ならではの情報だといえる。


これぞ餃子の街の餃子

2024年02月06日 | 雑感

「餃子の街」ランキング(住民の購入額)で今年は浜松(静岡県)が1位になったという。
2位は最近頭角を現してきた宮崎、有名な宇都宮(栃木県)は3位。

ただ、”餃子を食べる街”として成功しているのは宇都宮
ここは歴史的に餃子と縁があり、それぞれの店に個性があり、それらの餃子をいっぺんに食べれる場所もあるし、「宇都宮餃子」は土産にもなって喜ばれる。

それに対し浜松餃子は、一緒にもやしが蒸せられているというだけで、”浜松”としての個性はあまり感じない(浜名湖の宿のビュッフェバイキングで出される浜松餃子を食べる時は、もやしと一緒に食べることで、浜松らしさを味わっている)
もちろん、餃子それ自体で充分美味しいので文句はないが、焼きそばの富士宮やおでんの静岡レベルの個性がほしい(私が浜松でまず食べるのはうなぎ)。

東海地方で個性的な餃子といえば、なんといっても三重県の県庁所在である”津餃子”だ。→リンク
15cmもある揚げ餃子。
これだけで充分個性的。
発祥は津市の小学校の給食というから、まさに津市民のソウルフード。
こういう餃子こそ、”餃子の街”にふさわしい餃子。

残念なのは、これを食べるのに津まで行かねばならないこと。

せめて名古屋には進出してほしい(広義の”名古屋メシ”に加えたい)。
そう願うくらい個性的だ。
※:今は名古屋メシとされる”天むす”の発祥も津だという。赤(八丁)味噌は岡崎で、豪華モーニングは一宮。それらの超ローカルなものが中京(東海の首都)・名古屋に出て初めて全国に知れ渡る。


釈尊が実践した非神話的態度

2024年02月04日 | 雑感

宗教の中で神話的部分が比較的少なく、少なくともそれがその宗教の本質的要素でないのが仏教の特徴なので、21世記の現在、従来の神話的宗教を信じられなくなったヨーロッパ人に受け入れられつつあるのもその理由であろう。

ただ、仏教でも大乗仏教(日本に伝わっている仏教)になると、神話性が全開してくるのは残念だ(日本人が親しんでいる仏教は神話満載)。

そもそもの始祖・釈尊に立ち返ると、輪廻転生など当時のインドで常識化されていたものは仕方ないとしても、自覚的に神話的思考に陥らない態度を志向していたことがわかる。

まず、苦を滅する基本である八正道において、とりわけ重要なのが”正見”であるが、
これはすなわち”正しい認識”という態度である(教えとして後世に固定化された正見ではなく、釈尊自身が実践した開かれた態度が重要)
すなわち、何が”正しい”かは前もって固定せず(先入観に縛られず)、清明な理性による正しいかどうかの吟味を怠らず、それが”正しくない”とわかったら躊躇なく捨て去る態度である。
科学的態度と同じだ。

そして仏教の基本理論である縁起論
すなわち人間の苦を、その在り方・態度の因果関係によるものとし、
それが後に「十二支縁起」としてモデル化された。
言い換えると、宿命論(決定論)や運命論(偶然論)を否定し、事象には必ず原因があるとして、その因果法則を探求する態度である(上と同様、後世に固定化された縁起モデルでなく、苦を因果論的に探究する態度に意味がある)
そしてその原因を除去することで解決となる。
この因果律の探究も科学的態度そのもの。

さらに、この世の果てはどうなっているかなど、実証できない問題について、単なる想像だけを根拠に論議する事は無意味であると、沈黙をもって実践している(無記)。
既知と未知とを峻別して、分かったふりして未知を論じない。
これも科学的態度と同じ。

そして、論理は極端化しやすいという人間の思考バイアスを理解しているため、辻褄合せによる思考の暴走を抑えるバランス感覚(中道)を堅持した。
この態度を忘れると、上の因果思考も極端化する(現代人も怪しげな”健康法”でこれに陥っている)。

上の全てはことごとく神話的思考を防ぐ態度であり、ほとんど現代の科学的態度と共通している。
科学的態度の中で実践されていないのは、客観的・実証的データ収集であるが、釈尊が達した境地は彼の他には体現者がいなかったので、自身(主観)以外からのデータ収集は不可能だった。

このように本来は非神話的教えだった仏教が、次第に神話化していったのは、後継者たちが初心を忘れたからだといえるが、
元来人間は物語を作るのも聞くのも大好きなので、神話化によって広く受け入れられたのは確か。

神話的態度と対立する科学的態度とは、与えられた知(理論)を無批判に前提するのではなく、その知に達した人と同じ位置に立って、その知を吟味する事である。
やはり”禅”の態度(良い意味での”独覚”)がこれに近そうだ。

システム4までの話をして、また神話性の話に立ち戻ったのは、宗教の神話的部分すなわち日常のシステム2レベル(家内安全・商売繁盛を祈るだけ)で満足していると、宗教(霊性)本来の境地であるシステム3以降に進めないから。


宗教でなく理論としての仏教

2024年01月31日 | 雑感

話が前後して申し訳ないが、仏教における神話的要素をドライに排除する根拠を示したい。

仏教を宗教としてではなく、存在論的苦の解決法という実践的”理論”とみなしたいのだ。

絶対的境地からの”教え"(預言)ではなく、学術研究者が構築する理論の1つとみなすことで、聖典や開祖(提唱者)を絶対視する原理主義的固定化が免れ、むしろその限界を乗り越え、発展(精密化、応用化)することが積極的に推奨される。
すなわち釈尊は、ニュートンやフロイトと同じく壮大な”理論”の提唱者という位置づけ(体現者でもある)。

学術理論は常に批判的に再構築されるべきものなので、仏教理論も、前科学的認識に基づく不正確な部分は改め、さらにより説明力の高いものに洗練させて然るべき。

例えば、説一切有部の「アビダルマ」(≒倶舎論)はまさにそれまでの理論統合の成果だし、大乗仏教を切り開いたナーガールジュナ(龍樹)は、その理論をさらに精緻化し発展させたといえる。
すなわち釈尊オリジナルの教え(仏説)から遠のくこと自体がダメなのではない(なので「大乗非仏説」は大乗仏教を否定する根拠とならない。大乗経典が「仏説」と偽っている部分は削除したい)。

批判の対象となるのは、教えに潜む神話的要素である。
神話(物語・作り話)的要素は、事実という観点からは退歩であり、妄想化への逸脱といえるから(比喩としての物語は事実でないにしろ”真実”を語ることはできるが、多くの人は物語の非事実部分を事実として信じてしまう)。
特に大乗仏教は神話的要素に満ちている。

これら神話的要素を取り除いて、残った部分こそが真に価値ある理論の柱といえる。

仏教の柱は神話的要素にあるのではない(「天地創造」や「復活」を柱としている他の宗教とここが違う)。
仏教の真の価値を抽出すべく、内在する神話的要素を批判し除外して、現代に通用するまともな理論として再構築してみたい(この態度に一番近いのはだと思う)。


阿弥陀教というコペルニクス的転回

2024年01月23日 | 雑感

大乗仏教という仏教のバリエーション化(変容)において、阿弥陀如来という、
実在した釈尊ではない仏陀を立てて、それを信仰する阿弥陀教(浄土教)に違和感を抱き続けていた。

神を措定せずに自己の変容によって死の問題を解決させる、人類史的に特異な教えだった仏教が、
絶対的他者を立てて、それを信仰することで天国に行ける、というありきたりな”宗教”に堕してしまった感があったからだ。
言い換えれば、それだったら”仏教”でなくてもいいんじゃないの?という感じ。

このような阿弥陀教の存在理由を、あくまで仏教の内なる変容の論理として、
すなわち仏教の1つのあり得る方向性として、考えてみようと思った。

なぜそう思ったかというと、自分自身の中で感じた仏教の本来的困難さ(不可能性)の壁を越えたかったから。


仏教の本質は、菩提心を動機として修行に励み、煩悩を克服して、悟りの境地に達して、
生物として存在すること(生老病死)の苦から脱することにある(らしい)。

実践的ポイントとなるのは、修行による煩悩の克服にある。
すなわち、煩悩だらけの「欲界」に生きている状態から抜け出すことが求められる。

欲界は生存本能に由来する生物の生きる世界そのものであるから、
いわば自己に内在する生物性を否定することである。
性欲はもちろん、食欲も睡眠欲も制限し、そして裕福になりたいための経済活動も否定される。

身体をいたずらに痛めることを自己目的化した”苦行”こそ否定されるが、
リラックスした気楽な生活も否定され、
出家すなわち、家族を中心とした社会関係を頭髪とともに断ち切り、
ストイックな集団生活(サンガ)での瞑想(禅定)修行が求められる。
仏教における悟りの道は、この出家が唯一とされる。

経済活動も子孫の再生産も否定された出家集団は、そうでない欲界にどっぷり浸かって生産・家庭生活をしている人たちの存在(資源の供給元)を前提しないと、
そこからの布施で生きる彼ら自身の生活の維持が成り立たない。
仏教の唯一の道である出家主義はいわば依存的エリート主義である。

この結果、普通に家庭を持って経済活動をしている人たちは、出家を援助する功徳しか積めず、
仏の道は閉ざされる。


市井の(経済活動に従事せざるをえない)一人としての私自身が感じた仏教の壁(困難さ)がこれだ。

仏教にそれなりの救いを求めていながら、どうしても出家生活に踏み込むことはできない。
正直いって、そこまでしたくない(出家したくなるほど在家の生活に”苦”を感じない)。

こう思うのは私だけでなかったわけで、仏教は在家を見捨てない方向に進まざるをえなくなった。
それが大乗(大勢乗せる)仏教であり、菩薩道である。

菩薩道は、自分が悟って仏になる菩提心がありながら、その自分より先に迷える衆生を救済することを優先することを決意した修行者(菩薩)のあり方をいう。

大乗仏教ではまずは菩薩になることが目標化されたことになり、
その結果、菩薩自身の到達目標である仏(如来)の道が遠のき、
仏になるには三劫という無限に等しい時間(人間としての存命中は不可能)が必要とされることになった。

釈尊の時代は生身の人間の弟子たちも悟り(=仏)に達したのだが、
大乗仏教では仏はより深遠な絶対神のような超絶的存在に高められてしまった。
こうなるとまさに仏教の壁がさらに強固になって、人が仏になることの不可能性に陥る(仏教は不可能なのだ)。


この不可能性をうちやるぶるために、大乗仏教の次なる段階において、
誰でもが仏になる可能性を本来内在しているという如来蔵思想が誕生し、
さらに特定の修行法を実践すればその場で仏になれるという即身成仏思想も誕生した。

ただこうなると逆に、煩悩即菩提よろしく、仏になるのに何も特別なことは必要なくなり、今のままでいいじゃん(現状肯定)となってしまい、そうなると仏教そのものが必要なくなってしまう。

つまり、仏教は「不可能か不必要か」というどちらに転んでも不都合な”回避・回避のジレンマ”に陥る。

結局、人間の思考のバイアス傾向である”極論化”が、そのバイアスを戒めて「中道を歩め」とした釈尊の教えの元でも発生を抑えることができなかったわけだ。


仏の道を歩みたい(自分を高めたい)が、在家の生活を捨てることができない、社会の大多数の人たちは、出家以上に困難な菩薩の道を歩むことはできない。

では自分たちは永遠に救われないのか。

待てよ、菩薩の道を歩んでいる人たちが存在してきたなら、彼らは自分が仏になる前に衆生を救おうとしてきたのだから、
菩薩の道を自ら歩めない我々は、その菩薩の慈悲(救済)の対象になるはず。
我々は衆生のまま、すなわち現在の社会生活を維持したままでいるからこそ、慈悲(救済)の対象になれる。

すなわち自分の努力(自力)によって悟りの境地に達するのではなく(不可能か不必要)、他者である菩薩・仏の力(他力)によって、自分たちが救済される道があった。

この立ち位置の転換は、大乗仏教における救済する側からされる側への、まさにコペルニクス的転回だ。

経典によると、そう誓った菩薩は法蔵菩薩であり、この菩薩はすでに悟りに達して阿弥陀如来という仏になっている(という)。
ということは、我々衆生は、阿弥陀如来の慈悲によって救済が約束されているのだ。

その救済とは、苦に満ちたこの世から、阿弥陀如来が管轄する「極楽浄土」に往かせてくれることで、その浄土で我々は阿弥陀如来に見守られながら快適に悟りへの修行に励むことができるのだ(往生=浄土に往くこと、が本来目標ではない)。

なので、今の世で出家してストイックな修行に打ち込む必要はなく、
この世(欲界)での真っ当な社会生活が終了したら、極楽浄土に往ってそこであくせく欲界的活動に追われることなく、すこぶる快適な環境下で瞑想修行に専念すればいい。

唯一必要なのは、我々をそのようにしてくれる阿弥陀如来の慈悲にひたすら感謝して、人の道を踏み外さなければいい。
踏み外すと、業(カルマ)という自己責任メカニズムによって極楽ではなく、地獄に往ってしまう。


こういう教えが、例えば法然上人から説かれることで、出家することも寺に寄進(という功徳)もできない、日々の活動にいそしむ一般庶民の間に阿弥陀信仰が広まった。

如来蔵思想に甘えず、欲界に生きる凡夫であることを自覚しながらも、現世ではなく来世まで視野に入れて仏の道をより快適に歩むことができると確信することで、(悟りを目指す)仏教徒であることが維持される。

確かに、この自力から他力への転回によって仏教徒であることのハードルは下がった。

ただし、この教えは、阿弥陀如来と極楽浄土の存在が前提となっており、その前提の存在証明は科学的にはなされない。
ということは実証的根拠なしに信じるしかないという意味で、既存の宗教と同趣の神話(物語)に依存していることになる。

そもそも阿弥陀信仰も含めた仏教全体が前提としている”六道輪廻”自体が物語(空想的構成物)といえる。
この部分を解決しないと、現代人にとっての仏教は、他の宗教と同じく、
人間の心(システム2)によって構築された物語(神話的宗教)の1つにすぎなくなる。
真の問題は解決していない。


小学生の夏休みに宿題は不要

2023年07月23日 | 雑感

小学生に課す夏休みの宿題が減少傾向にあるという。
いい傾向だ。
小学生、とりわけ低学年は、夏休みは思いっきり遊んでほしい。
そして忘れられない思い出を作ってほしい。

課せられた宿題ではなく、自分で興味を持ったことに集中して取り組んでほしい。

私が小学生の時は、ドリル(問題集)を早々に片付け、あとはうっちゃってた。

夏休みは、「休み」む権利があるものとして、その権利の行使を最優先した。
なので「自由研究」については、”やらない自由”もあるとうそぶいて、全く手をつけなかった。
当然、1日だけある意味不明の「登校日」とやらも無視。

休み明けには、他の児童たちの立派な自由研究の展示会があったが、そこで綺麗に飾られた昆虫標本を見ても、残酷な遺体展示にしか映らず、無益な殺生をしない自分の方がマシだと思った。

小学生の時から、私は自分が納得しない決まりには従わなかった。

学校ではシャー(プ)ペンの使用が禁止だったが、納得いかないので、小学3年生の時点で鉛筆を使わずシャーペンを使い続けていた。
そのシャーペンはコンパスにもなっているので、コンパスとして使うためとして堂々と筆箱に入れていた(なんでコンパスはよくて、シャーペンはダメなの?)。

6年生になると、校内や登下校時に名札をつけている意味を感じないので、わざと「沢田研二」と書いてつけていた。

今から思うと、時代感覚が早すぎたようだ。
幸い、私の勝手な振る舞いを担任の先生に叱られた記憶はない(通信簿の評価は悪かったが)。

ただし、給食を残すことだけは、厳しく指導され、肉類がダメな私は平日の毎日が地獄だった(だから尚更、夏休みは天国)。


人類はなぜ右利きが多いのか、私の仮説

2022年02月09日 | 雑感

人類はなぜ右利きが多いのか。
発掘された石器などはすでに右手用なので、手が自由に使える状態になってから、すなわち直立してから後に右利きになったらしい。
ただ、なぜ右利きが主となったのかは不明だという
※:加藤俊徳『すごい左利き』ダイヤモンド社(この本は10分で読み終えた程度の内容だが、この記事のアイデアを思いつかせてくれた。ただし内容的に参考にしてはいない)。

そこで私なりに考えてみた。
私は世間の数多の説とは異なり、使うではなく、直立した身体そのものに原因を見出す。

そもそも、人体は基本的には左右均等・対称だ。
まず消化器官は、胃・腸を中心に口から肛門まで正中線に沿ってある。
膀胱や子宮も正中線。
それから二つある肺や腎臓、卵巣・精巣も正中線を軸に左右対称に位置する。
もちろん、目・耳、そして脳(左右脳)も正中線を軸に左右対称にある。

ところが、直立した場合、1つしかない内臓で正中線に配置できないものは非対称的な位置になった(といっても四足歩行の場合、それらの非対称性は、重量バランス的にあまり問題にならない)。
まず心臓は中心よりやや左側に位置している(完全に左側にあるのではない)。
本来は正中線上にあるべきだが、同じ場所にある胸骨が心臓の拍動の邪魔になる(それに食道とも位置が重なる)。
その脇の肋骨なら骨が動くし、しかも隙間があるので拍動の邪魔にならない。
そこでやや左にずれた(右にずれてもよかったし、ごくたまに右側に心臓がある人も支障はない)。

そしてそれを受けてかは知らないが、内臓で一番重い肝臓が右側に配置された(大きいので脾臓や膵臓のように胃の後ろとか胃腸の間には入れなかった)。
これが問題だ。
一番重い臓器なので、身体のバランスに影響する。
すなわち、右半身が重くなり、左半身が軽くなる。

となると、むしろ左半身の方が使いやすくなり、人類はむしろ左利きになっておかしくなかった。

ところが、身軽さにまかせて左利きになると、左右のアンバランスが増幅されて、
たとえば左足が右足よりアンバランスに優位になると、歩行が右回転気味になって、直進すら難しくなる。
骨格・筋肉はもともとは左右均等についているのだから、これでは資源の無駄になる。
そこで、重い側の右をあえて優位に使う事で、左右の運動的アンバランス化を抑えることができる。

つまり、人類の直立直後においては、左利きは自然な状態だったのだが、身体行動的には右利きの方がバランスがとれるので、長い目で右利きの人類が優位になった。
というのが私の仮説。
利き手は遺伝するため、世代を重ねるにつれて右利きが多くなった。

さらに、右利きがデフォとなると、大脳皮質も右利きに対応する左半球が優位になる。
その優位性によって、その後に人類が獲得した言語(さらには文字)は、すでに優位脳であった左脳に中枢が備わった。
それによって右利きの優位性はさらに強化されて、現代に至っている。
同時に骨格・筋肉が直立二足歩行に適応してきたため、アンバランスは事実上問題なくなった。
ただ本来的には左利きがありうるので、先祖返りの左利きも一定割合出現する。

その後、人類の文明は右利き優位でできあがったため、今では生活動作が右利き前提で、かえって左をアンバランスに使わなくなり(左脳偏重)、逆に少数派の左利きの方が右手を使うことを強要されるため、両脳のバランスを回復できるようになった。
私のような生まれ持っての左利きにとってはもちろん左半身の方が身軽なのだが、右利きの人にとっても身体の重心的には、左半身(特に足)の方が身軽なはずである。

人は本来は直立した状態では左利きであっておかしくなかったのだが、左右のバランスを確保するために、直立二足歩行の段階で右利きに傾いた、というのが私の仮説である。
直立直後は、足のバランスが重要で、手が自由に使えるようになるのはその後のこと。

以上、確たる証拠はなく、バランスが重要という価値観が論拠になっている。
あえてこのような仮説を提出するのは、既存の発想とは別の発想の選択肢を提示するため。


本日の外出目的

2019年08月19日 | 雑感

明日からわが勤務先が業務再開ということなので、東京にいる私も今日が休業最終日のつもり。
その今日の予定は、秋葉のパナソニック修理工房に行ってカメラ(Lumix)の故障(シャッターがおりない)を診てもらうこと。
あと、帰りに近所で時計の電池交換も頼みたい。

まずは、修理工房でのカメラ修理の見積が思ったより高かったので(購入価格の半値近く)、カメラは研究の備品ということもあり、自腹は痛いので、研究費で賄うことにして修理はペンディングにした。
ついでに大黒屋で来週使う新幹線のチケットを買おうと思ったが、先客に時間がかかっており、また店内を覗くと私がほしいチケットは空のようなので、御徒町のチケットショップで買おうと1駅分歩くことにした。

御徒町でチケットを買い、ついでに二木の菓子で、チータラを買おうとしたら、売り切れ。
なら近くの多慶屋で買おうと思って、御徒町のガードをくぐって、多慶屋に向った。
すると、私を呼ぶ声がする。

立ち止まって振返ると、なんと愛知の職場の元同僚(♀)!
彼女は首都圏の大学の職を得て沿線の足立区に住んでいる。
人口の少ない町村なら、道ばたで出くわすことも珍しくないだろうが、
ここは大東京の繁華街。
お互いに家の近所ではない、買い物先の歩道で邂逅したわけ。
しかも私は、本来予定になかった行き先に向っていた。
この偶然感はすごい!
驚いた後は、互いに近況を伝え合って別れた。 

こういう”偶然”てごくたまにある。
高校時代、北アルプスの涸沢で高校の同輩と遇ったり、大学時代、甲府の街でサークルの同輩と遇ったり。
べつに「シンクロニシティ」(意味ある偶然) と解釈するほどのことでもないが、相手に象徴される何かが今の私にとって必要なのかもしれない。

ちなみに、チータラは多慶屋でも売り切れだった(結果的には彼女と出くわす道を行く必要はなかった)。
そして、帰りがけに電池交換をたのもうと思っていた店も今日は休みだった。

こうして振返ると、新幹線のチケットは買ったものの、 本日目的とした2つの用事はいずれも達成されなかった。
むしろ結果的には、元同僚に遇うために外出したといってもよいことになる
(ついでに、チータラは近所の店で同額で買えた)。 


いつものように図書館に通う日

2019年07月29日 | 雑感

ここ数日は東京も熱帯夜(25℃以上)で、今日は日中に35℃を越えた。
こういう日こそ、冷房の効いた図書館ですごすに限る。
なにしろ、今週締切の書類作成に追われる身、自宅のエアコンをオフにして、税金を払っている国民の一人として堂々と国会図書館を利用する。
通い馴れたる身、館内の入場ゲートの前に立つ警備員さんと挨拶を交わす。
昔は警備員さんと目を合わすと、かえって怪しまれ、許可ギリギリサイズの私のバッグをじっと睨まれたものだった。
後ろめたくはないし、立っているのが仕事の人をモノ扱いせず、きちんと挨拶をする。 

持参したノートパソコンを開いて数時間すごしていると、手足が冷えてきた。
以前だったら、省エネ温度の28℃に設定されていたので、やや暑かったが、今では冷房大サービスになって、かえって長時間いるのがつらくなった。
18きっぷの鈍行旅と同じく、長袖・長ズボンを標準装備とすべきなようだ。

自宅に戻り、いつものように夕食前に風呂に入る〔寝る前ではなく、汗を流すため帰宅直後に風呂に入る) 。
風呂から上がり、さまざまな計測値が表示される体重計に乗ったら、なんと今まで同じ数値だった年齢が1つ増えていた。
ああ、また1つ歳をとってしまったか。  


紅の豚のパイロットジャケットと

2018年11月02日 | 雑感

私は、格別「ジブリ」ファンというわけではないが、『紅の豚』の主人公ポルコ・ロッソのパイロットジャケットを模したジャケットを持っている。
ただ、まったく同じではないこともあり、本人はポルコ・ロッソを気取っていても、周囲の人が気づくことはないと思う(もう少し太ればそれらしくなるか)。

そのジャケットを買ったのは、たまたまデパートで見つけて衝動買いしたのだ。
この作品、ジブリ(宮崎)映画に珍しく成熟した男が主人公だからか、もともと他の作品よりは親近感をもっていた。

そういえば、もう一着、誰ぞやの服を模したものを持っている。
それは戊辰戦争時の箱館で撮った写真の土方歳三が着用しているフランス風のベストを再現したものだ(前のボタンが14個もある)。

両人(?)とも私にとってカッコいい男なのが共通点。

そもそもベスト自体が好きなこともあり、このベストを着て大学で授業をしたら、学生にズバリ当てられたことがあった。
歳三ファンにはバレてしまう。


地震の夢を見た

2017年08月27日 | 雑感

昨晩、地震の夢を見た。

夢の中で、何の前触れもなく、突然激しい揺れを感じた(その直前の夢の状況は覚えていない)。
地震だ!ということで、急いでタブレットの「ゆれくる」という、実際に地震速報に利用しているアプリを開いたら、
なぜか動画映像が出て(実際は動画配信はない)、実は今の大きな揺れは、突然の強い火山噴火によるもので、
真っ赤なマグマが黒煙とともに激しく噴き出している生々しいシーンがアップで映っている。
それは鹿児島の桜島だとわかった(なので正しくは地震ではなく、火山性振動)。 

夢の中での触覚体験はないことはなかったが、皮膚感覚ではなく、地面の強い揺れを感じたのは初めて。
しかも鮮明な色彩が後続する。

ちなみに、就寝中に実際に地震があったか、起床後「ゆれくる」で確認してみた。
午前3時34分に福島県沖でM4.2の地震があったものの、私が寝ていた東京は震度0(無感地震)。
なのでこの地震が夢に影響を与えたとはいえない。 

私は予知夢を見る能力はないので、鹿児島の人は心配しなくていい(たぶん)。
意識レベルで、鹿児島の錦江湾に弱い地震が続いているのが気になっていただけだから…
何しろ、錦江湾周囲は、巨大カルデラがひしめいていて、もともとカルデラ中央火口丘の桜島が活発な上に、別の地震が続いたのが気になって…。 


干支を一巡

2016年07月29日 | 雑感

温泉から戻ると、仕事たちが手ぐすね引いて待ちかまえていた。
リフレッシュした元気を糧に、それらを必死にさばいて、とりあえず前期の最終日を迎えた。

懸案事項をできるだけこなして、後は締切まで余裕のある成績つけや報告書だけを残すようにした。

なのでもう頭はフラフラ。

そんな今日が、干支を一巡した 自分の生誕日。
干支の一巡は、その思想によれば、生命の一巡を意味する。
人生の後半どころか、終焉を意味している。
なので、一巡したら赤児としての再生の儀式をしたものだった。

実際には、歳をとれば時間を短く感じてしまうこともあり、
「これまで長く生きたなぁ」という実感はまったくない。
むしろいまだ若輩レベルに留まっている感がある。

でも、確かに身体は老化が進んでいる。
一昨年は白内障の手術をし、昨年は顔のシミのレーザー治療をした。
眼鏡は老眼対応だし、難聴も進んでいる。
膝の痛みで下山ができない。 
ただし、これら部分的老化は、上に示したようにテクノロジーで対応できる。
すなわち、私の右目の人工水晶体は赤児レベルの新品だし、皮膚の再生機能を使えば、表皮の老化も局部的にはリセットできる。 

ようするに、身体は経年劣化が進んできたのに、精神は若輩のまま。
これは良い意味での「若い」 ではなく、悪い意味での未熟性を意味している。

これだけ生きてきても、いまだにこの世に慣れず、馴染めない。
失敗や戸惑いが相変わらず多く、いくつになっても生きることの難しさを痛感している。

だからこそ、生きる(在る)ことを大切にしたい。
 生きるとは「在り続ける」という存在論的・時間的営為であり、 少なくとも「在り続けようとする」動機をもっている生物にとっては、在り続けることをヨソから否定される筋合いはない。

在る者はひたすら在り続けようとすればいいのである。
それが類い稀な現象である「在ること 」の体験なのだから。

かように、人生を達観する境地には全く至っていない。

精神の成熟がなかなか進まない者にとってはなおさら、在ることを味わうには、動物的寿命では短過ぎるくらいだ。
もちろん、同僚の幾人かが見舞われている”初老期うつ病”とは無縁な気質のせいでもある。

動物はエネルギー代謝が高いので、処理器官が酷使され劣化がすぐ訪れる。
私も人生の”終焉”ではまだないだろうが、後半の後半にさしかっていることは確かだ。 

動物より1,2桁寿命が長い樹木の生命力が羨ましい。
一生身動きができないのは辛そうだけど。 


ドローン(マルチコ)操縦第二段階

2016年05月25日 | 雑感

我がおもちゃであるドローン(手動操縦なので正しくはマルチコプター、略してマルチコ)は去年の今ごろ購入して当初は熱中していたが、
初の屋外飛行で、彼方に飛んで行ってしまったため(即座に再購入)、屋外での操縦に二の足を踏んで、室内操縦に飽きるとそのままになっていた。

先日、茶臼山の矢作川源流で久々に飛ばした。
ところが、本体内部が断線してしまい、一時使用不能になっていたが、おととい、暇にまかせてハンダ付けをして直した(今後は自分で直せる自信がついた)。

本日、仕事帰りに近所の公園で、わがドローンを飛ばしてみた。

そもそも、初心者がまずやるべきはホバリング(空中の停止)。
これで操縦桿の微調整を学ぶ。
それができたら、前進・後退。 
そして次の課題が、方向転換。
ここで、方向を操縦者の視点ではなくドローンの視点になって方向を切り替える認知的訓練が必要となる。
私はここで終っていた。

今回、第二段階に達した。
四角飛行、八の字飛行ができたのだ。
これは前進のままにして、本体の向きを右向き・左向きに直角に替えて操るもので、本体の主な調整を第1段階の前進・後退・右傾・左傾のレバーから、本体の向き替えるレバーの方の方に移すことを意味する。

これができれば、自分の歩行移動にドローンを同行させることができるようになる。

屋外で操縦するメリットは、壁にぶつからないので、羽根の損傷がまったくなくなること。
デメリットは、風の影響をもろに受けること。
なので樹木に囲まれた公園がおすすめ。
ただし、頭上高く上げてしまうと、操縦不能になってしまうので、高度は控えめにすること。 


自宅で準決勝を観ながら

2015年08月19日 | 雑感

今日は私の帰京中の仕事場になっている国会図書館が休館で、
しかも高校野球の東・西東京代表の2チームがともに準決勝に出るというので、
いっそのこと在宅日に切り替えた。

といってもテレビの前に陣取っていては作業が進まない。
自室パソコンの27インチ大画面を作業用とし、13インチ小画面にネット配信の実況中継画面(と音声出力)を出して、ネット中継をチラ見しながら作業をすすめた。

試合結果は、ご存知の通り、実力差通りになって、ともに完敗。
2試合ともに序盤で決着がついたので、幸か不幸か、中継を見入る時間も少なく、思ってた以上に作業が進んだ。 
そして明日も、清宮とオコエの打席が気にならなくなったので、仕事に打込めるはず。

応援する立場では残念だったが、ともに準決勝まで勝ち残った点ではよくやったといえる。
なにしろ抜きんでた選手が1人いたところで、いい投手のいる総合力が高いチームには勝てないものだ。 

というわけで、今日は一歩も外へ出なかった。
体重が0.4kg増えた。


ドローンの身になる

2015年06月03日 | 雑感

我がドローンもどき(マルチコプター:以後マルチコ)の操縦練習に励んでいる。

全自動の本物ドローンとちがって、マルチコは手動操縦なので、業務用ではなく完全な趣味のものだ。
操縦して自在に操る楽しさは、勝手に飛んで行く本物ドローンでは味わえない。
問題はその操縦技術が難しいこと。
といっても今までのminiヘリに比べればバランスがいいだけにかなり楽なので、なんとかなりそう。

超初心者の時は、機体の正面と自分(操縦者)の正面を同方向にして(操縦方向と運動方向が一致)、それでホバリングができたので、屋外デビューをして、機体を空に見失った。
機体の水平での向きが変化すると、もう操縦が混乱してしまった。

そこで、機体の水平の向きのいかんにかかわらず、自由に操縦できる必要を感じた。

だが、これが難しい。
たとえば、機体の向きが自分と向かい合わせの時は、前進後退、左右の移動の操縦が操縦者の視点とはすべて逆になる(前進は後退、左は右)。
さらに機体が自分と直角の向きの時は、操縦者の視野と前進後退と左右の移動が入れ替わる(機体が右向きの時は、前進は右、後退は左、そして機体が左向きの時は…)。

これらの4方向のそれぞれの変換式を頭に入れるだけでも混乱するのに、機体の向きが勝手に変化してしまうともう頭がパニック。

機体の向きを操縦者と同方向に固定すれば簡単だが、それでは前方についたカメラの撮影が制限される。
撮影するには、機体の正面を自在にして操縦したい。
それがドローン(マルチコ)の楽しみだからだ。

そこで思いついたのは、人間だけができるワザ。
自分が機体の身になることだ。
操縦者の視点ではなく、機体の視点で方向を判断すれば、前進はいつも前進ボタンでいい。
たとえ操縦者からは、それが右方向であっても 。
すなわち操縦者の視点を忘れて、ひたすら機体の視点を操縦者が取り入れる。
これは実際には、二重の視点になるので、その混在はどうしても整理する必要がある。

そこで、機体が右に行きたいときは、心の中で「右」と言語化することで、自然に作動する操縦者の視点(システム1)より、意識的に採用した機体の視点(システム2)を優位にして、その指令を動作化する。
言語による脳の支配力はかように強い。 

こうすることで、複雑な変換式をそのつど当てはめるよりは、ずっと直感的に操縦できるようになった。

これが人間だけができるワザというのは、他人の身(視点)になれる能力そのものだからだ。
この能力は、対象が人間である必要はない。
モノでも単なる空間でも可能(自分を天井から見下ろす視点)。 

 安永 浩(精神医学者)の理論で説明すると、本来の主体たる極自我と視点の立脚点である現象学的自極、この2者は通常は一致しているのだが、それを意識的に分離できるのが人間なのだ。