今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

眼圧を下げたい

2016年09月26日 | 健康

白内障が縁で近所の眼科に半年に一度のペースで通っている。

白内障に関しては術後の経過は良好でなんら問題ない。

それだけならもう通わなくていいのだが、実は眼圧が高めで、ボーダーの20mmHgを超えたことが幾度かあり、半年ごとに眼圧検査をやってきたのだ。

今回は両眼ともボーダーには達さず、また視野検査でも前回と比べて狭くはなっていなかった。
でも、眼圧が高くなってから治療を開始するより、そうなることを事前に抑えることを医者は勧める。
そのためには、眼圧を抑える目薬を毎晩点眼することになる。

失明につながる緑内障は私が恐れている病いの1つ。
しかも白内障と違って初期から中期まで自覚症状がないという。
つまり自覚症状が出てきた時は手遅れなのだ。

眼圧は血圧以上に自覚症状がない(しかも家では測れない)。

一瞬迷ったが、手遅れになるよりは予防措置を講じた方がいい。

今日から、私の毎日の服薬に、目薬が加わった。

 


美食週間の締め

2016年09月24日 | 生活

今日は、今週日曜からの美食週間の締めで、
実家の弟と姪(誕生日が1日違い)の誕生会。

私が名古屋で焼き肉パーティ用の松阪牛とその近隣の柿安牛を買っていく。
本当は昨日そうする予定だったが、緊急事態のため今日に延期した。

それが功を奏して、買いに行ったら松阪牛より高価な柿安牛の霜降りのリブロースがちょうどタイムセールでなんと半額!

この偶然を逃す手はなく、その柿安牛を多めに買った。

2歳になった姪もこれら5等級の肉の味が判るようで、次々と頬張る。

焼き肉や鍋って一人で食べても、楽しくはない。
金はかかるが、せっかくならこうやって皆で食べたい。

今週はやたら贅沢な一週間だったが、来週からは自炊生活を再開し、納豆ご飯レベルでつつましくすごす。


解決の日

2016年09月23日 | お仕事

昨日の休日に作った(組織レベルの)意思決定のための会議資料にとんでもないミスを犯してしまい、資料はまったく役に立たず、今日の会議では意思決定ができなかった。
これはひとえに自分のミスで、なんとか来週中に資料の修正版を作り、時間がないので来週早々に事前に配布して皆が集まれる週半ばの昼休みに臨時会議を開くことにした。 

そう決った会議の後は卒論ゼミの授業があって、それを終えた90分後に研究室に戻ったら、大学本部から意思決定は来週の月曜に必要との連絡が入っていた。
土日はもともと会議ができない。
締めの月曜も全員が集まらない。

さて困った。
実は、授業が終わったら帰京するつもりでいた(明日用の松阪肉を買って)。
今すべきことは作業を投げ打って帰京することではない。
実家に電話して、帰宅を明日に延期した。

もちろん今すべきことは、資料の修正版を作ることである。
研究室に籠って集中して修正版を作成し、それを眺めて、意思決定のための原案も考える。

完成したので、会議資料として印刷するために部屋を出たら、会議を構成する教員がだいぶ残っていた。
皆に今空いているか確認すると、あと10分後に出なくてはならないという者がいる。
またさきほどまで在室していたが、今研究室にいない者もいる。
急いで全員招集して、資料を人数分印刷し、緊急会議を開催し、多少の質疑応答や話し合いの結果、原案が承認された。
急転直下、意思決定が解決した!
一部の教員から、私の修正版作成の素早さに称讃が与えれたが、私にとっては、会議メンバーが全員居てくれたことがありがたかった。

結果を伝えに事務室に行ったら、そこにいた別の教員が、私の卒論ゼミで本当は使いたかったパソコン室を使う必要がなくなったので使用権を譲ってくれた。
実は今日から始まった卒論ゼミをパソコンの画面で指導せずにどうやったらいいものか困っていたのだ。
それが解決した。 

ネット経由で、他学部でやる予定の作法の補講用の和室の申込も無事済んだ。

さて、これで事務作業はなくなったが、今一つ懸案事項が残っている。

それは今年度の予算をもらった気象観測研究の常時配信のためのネットワーク設定がうまくいかないのだ(データがサーバにアップロードされない)。
帰京を明日に延ばしたので、時間ができたのを幸い、部屋でネットワーク設定を試行錯誤した。 

ほとんどヤマカンの試行錯誤の結果、アップロードがうまくいった。
これで、今年度の研究作業は順調に進むことになる。

いやー、今日は、懸案事項がとんとん拍子に解決していく。
資料のミスは自業自得だが、結局時間的ロスがほとんどなく解決したし、あきらめていた教室問題が天啓のように解決した。
ネットワーク設定の試行錯誤は来週いっぱいかかると思っていたが、数十分で済んだ。

うれしくなって、今宵の夕食はやや特別用の和幸の豚カツ弁当を買い(ミソカツでない)、キリンのハートランド(中瓶)で祝杯だ。


美食週間

2016年09月22日 | 生活

先週は、健康診断を目指して、粗食に耐え続けた。

打って変わって今週は、美食に明け暮れることに…。

まず日曜の晩は、琵琶湖を望む雄琴温泉の旅館で学生時代の友人たちと、近江牛会席。
還暦者がいたので、敬老記念にシャンパンもサービスされた。

次に、水曜の晩は、人生の恩人に当たる人が定年退職を向えたので、その人を名古屋・栄の料亭で接待。
庭付きの個室で、脇息付きの座席に向かい合い(もちろん私が下座側)、日本酒を指しつ指されつ(テレビドラマにある接待のシーンさながら)、次々と皿が替わる懐石料理を賞味。 
エビで秋のトンボを模したり、さまざまな工夫が仕掛けてあった。
たぶん私にとって最初で最後の経験だろう。

 そして来たる土曜の晩、すなわち美食週間の締めは、家族の誕生会として松阪牛パーティ。
私が、名古屋駅の地下街で家族全員が満足する量を買って行く。

なので、今週は体重計には乗らないでおく。
ついでにカードの利用明細も見ない。 

粗食は一人で耐えられるが、美食は一人ではつまらない。
人々がともに在ることを楽しむために、料理は豪勢になっていった。
美食週間は、人との交歓の週間でもあるわけだ。 


湖西の寺社巡り

2016年09月19日 | 

学生時代の友人たちと毎年この時期に旅に出る。
一昨年は出雲、昨年は熊野と充実した旅だったが、今年は一泊しか同行できず、場所も近場の滋賀県の湖西(名古屋から日帰り圏)。
しかもこの連休はほとんど雨天。

宿泊地は雄琴温泉というそれなりに有名な温泉。
有名だが、泉質はアルカリ単純泉なので、少なくとも効能で名を馳せているわけではないようだ。
浴槽での電気電導率(温泉の濃さの指標)は396μSで単純泉としては高くはないが、低くもない。

夕食は豪勢に近江牛の小ステーキにしゃぶしゃぶ(普段の自分の旅とは別水準)。

翌日は、天気が悪いので予定していた比叡山(山麓なのに雨雲でその姿が見えず)をやめて、近くの平地をまわることにする(レンタカーで)。
まず明智光秀の墓がある西教寺に行く。 
この寺は猿が守り神になっているのだが、近ごろは野生の猿の害で困っている様子(墓石を倒したり)。
猿は近くの日吉大社が神の使いとしているので、どちらともその影響だろう。
ただし、この寺は光秀だけでなく、秀吉も使っていた。
秀吉といえば、「猿」と言われていたが、これは単なるあだ名ではなく、尾張の日吉神社の霊験で生れた日吉丸(後の藤吉郎秀吉)は猿神の化身だと親が信じていたのだ(彼の容貌がその信念を強化させたともいえる)。

その日吉大社にも行く。
申年生まれの私にとって、今年この神社に詣でられたのはうれしい。
記念に神猿(マサル)の小さな木彫りを買う。
iPadに入れてある”ばけたん”で霊気を探知すると、西本宮で「守り神の出現に期待していい」と出た。
だが、東本宮では「あまりよくない」と出た。
格は東のほうがやや上のようだが、確かに、西の方が森が近いせいか気持ちがよかった。

次に、比叡山の代わりに山麓の三井寺に行った。
境内のあちこちの堂の本尊や貴重な建築などをじっくり見学。
観音堂では如意輪観音の小さい掛軸を買った(安価な割りに御姿が美しい)。
私はなにしろ、如意輪観音が好きなので…

ちなみに、以上の三ヶ所はともに映画「天地明察」のロケ地になっている。

滋賀では以前に湖東三山と甲賀・信楽には行ったが、琵琶湖周辺は今回が始めて。
滋賀は京都・奈良に次ぐ文化財(特に観音仏)の宝庫で、戦国の史跡も多い。

いつか琵琶湖一周(外周)と湖の船旅(内周)をしたい。  


健康診断前夜

2016年09月16日 | 健康

年に1度の職場の健康診断。

この日があるから、この日の数値を良くしたいから、主観的判断より厳しい客観的判断を強制的に受けるから、健康により気を使うことができる。
この日は確定申告と並ぶ年に一度のブレッシャーだが、その意味ではありがたいイベントだ。 

だから健康診断の前日だけ、すなわち年に1日だけ、私は好きな酒を断つ(普通、一日だけ止めるのを「断つ」とは言わないが、当人にとってはその日は歯を食いしばって”断っている”のだ)。
たった一日の断酒に意味があるかというと、確実にある。
翌日の採血での肝臓のγ GTPの値が全然違うのだ。
すなわちアルコール性肝疾患の疑いを事前に否定できる(慢性化していないということ)。

だが、健康診断の前夜の禁欲(断酒)はそれなりにつらい。
一日の終わりを美酒でのストレス解消で終えることができず、夕食の後は淡々と眠りにつくのを待つだけとは、なんと楽しみ・喜びのないつまらない生活だろう。

といっても第三者的には、こんな思いは、習慣化した行動ができない違和感にすぎないともいえる。
たとえば、一日三食を必然視していた頃は、忙しくて昼食をとる時間を逸すると、午後が異様に苦痛に感じたものだ(昼食を摂らない今ではなんともない)。 
今の私は、食を1回抜くことは平気なのだが(食は1日1回でもいいと思っている)、酒を1日抜くことはイヤなのだ。 

つまり、酒を毎日たしなみながら健康に気を使う、という芸当をやってのけている。

さて、健康診断を受ける。
検査するのはあちら側で、こちら側はただ言われたことに従うだけで流れ作業の対象となる。

体重は、今週の歩行と粗食の甲斐あってか昨年より1kg近く減った(この値に減ったのは前夜)。
だが、腹囲は昨年と同じ値(メタボ基準超え)。
ということは今年の体重減少分は、腹回りの内蔵脂肪ではないのだ。
いったいどこが減ったのだろう。
減ったといえば、身長が0.1cm減ってしまった。
ダイエット・シェイプアップすると、私の場合は内臓脂肪ではなく背が減るのか?

胃検診(前の晩から絶食絶飲を強いられ、放射線を浴びまくる)は今年もパスしたので、難なく終わった。
あとは後日の血液検査の結果が気になる(尿、胸部レントゲン、心電図は異状ないはず)。 

さあ、これで今晩から丸一年の間酒が飲め、粗食からも解放される。

 


粗食週間

2016年09月15日 | 健康

今週月曜に、神田川沿いを歩いたのは、今週金曜の”健康診断”に備えるためだ。

もちろん、1日だけでは効果はたかが知れている。
かといって、火曜以降勤務先での業務が始まったので、運動は無理。
となるとあとは食をセーブするしかない。

なにをそんなに気にしているかというと、”メタボ検診”。

すでに高血圧は投薬治療中。
コレステロール(LDL)はずっと高め。
これらは簡単には解決できない。

問題は、腹囲だ。

男性の基準が85cmと厳しいので、これが最近クリアが困難になっている(腹囲が漸増中)。
内臓脂肪は有酸素運動で落ちやすいというので、歩きで効果をあげたいのだが、それがなかなかむずかしい。

となると入りを制限するしかなくなる。
ということで、今週は食の楽しみをお預けして、粗食に耐えることにする。

アルコールは前日の晩のみ控えれば肝臓の数値はOK(のはず)。

かように、年に一度の健康診断は準備を要する。


ジャージの二人・三人:映画と小説

2016年09月14日 | 作品・作家評

「ジャージの二人」という映画は、すでに私の”夏用映画”(毎年夏に必ず観る)のリストに入っていた。

北軽井沢の別荘(本人たちは”山荘”と言っているレベル)でジャージを着て涼しい夏をすごす50代の父(鮎川誠)と30代息子(堺雅人)の話なのだが、この映画はほとんどのシーンが群馬県の嬬恋村なので、てっきり地域の宣伝を狙った村おこし映画の類いだと思っていた。

実はそうではなく、長嶋有という芥川賞作家の小説が原作だったのに気づいたのは今年になってから。

確かに、地域宣伝映画としては、室内にカマドウマ(便所コオロギ)が跋扈するし、携帯の電波は届かないし、散歩に出たら道に迷ったりして、なんかこぉー、どう見ても”あこがれの別荘ライフ”にはなっていない。

ただ、キャベツ畑を前景にした浅間連峰の風景は美しく、そのシーンだけはうっとりする。

映画としては、ストーリーを追う内容ではなく、それぞれ夫婦関係がうまくいってない父と息子の別荘内でのぎこちない会話が続いていく。
彼らの周囲の人たちもまた対人関係につまづいていたりしているのだが、それらが解決したり、さらに込み入ったりするわけでもない。

映画内で唯一解決するのは、ジャージに張ってある「和小」(小学校のジャージ)のロゴの読み方が判明することだけだ(まさか「わしょう」じゃないよね。という所から出発する)。

このまったり感がなんともいえず、一度レンタルしてすぐに「毎年、夏になったら観る映画」のリスト入りを果たしたのだが、今年はロケ地の北軽井沢で(持参して)観たせいか、やけに心に染みてしまった(作品への距離がぐっと近づいた感じ)。

それで、原作の存在を知ったのでさっそく読んでみた。

原作は「ジャージの二人」と「ジャージの三人」の二部構成(この二部がともに映画に対応)で、合わせて文庫本になっている。

原作を読んで、不思議に思ったのは、普通なら書かないような日常の動作があえて丁寧に記されている点(これは映画になかった)。

たとえば、パンを食べたあと立ち上がる時、服に着いたパンの粉を払うとか、車の助手席に乗った時、シートベルトの差し込み口を探すとか、確かに日常なにげなくやる動作だが、文学的記述として、何かの布石や暗示、あるいは人物の性格や他者との関係性の描写としての意味があるなら分るのだが、それがまったくないのだ。

この点が不思議で、このような一見冗長な記述にどんな文学的効果があるのか気になってしまった(気になったのは私だけではないようで、文庫本解説の柴崎友香氏も問題にし、解釈している)。

それに一人称で書かれている主人公が作家志望だったり、実際この著者は北軽井沢に別荘(というか山荘・山小屋)を持っていたりするので(別の著作で知った)、小説(創作)というより、作家自身の随筆か日記を読んでいる感覚になる。

だからどうでもいい身辺雑記がそれなりに存在感をもってくる。
これがあの記述の効果なのか。

われわれの日常は、それぞれが有機的に繋がってなんかしておらず、先の用事と後の用事がそれぞれに別個に存在するのだ。
その非連続の事象にそれぞれ律義に対応して生きるのがリアリティ(別荘での生活)なのだ。

文学とは、そのような生(セイ)のリアリティを表現すればいいのであって、なにも人工的な「物語」を作る必要はないといえる(この態度はつげ義春の漫画に通じる)。 

われわれはある事をする時、その周辺の些事もやらざるをえないのだ。
読者はどうでもいいと思っていても、作者がそれをどうでもいいと思っていないなら、 その作者の意図を理解することが読書だ(おおげさに言えば、他者の視点の獲得)。

これにインスパイアされて、私も最近のブログをあえてそのように書いてみた(どの記事でしょう)。

かように原作は原作として味わえた。

ただこの作品は、映画にしてこそ、価値が発揮される。

なぜなら、二人がずっとジャージを着ているのは映像でこそ継続的に表現されるが、テキストだと「ジャージ・ジャージ・ジャージ」って書き続けないと、二人がジャージを着続けていることが失念されてしまうからだ(作者がどうでもいいとみなしているように思えてしまう)。
実際、映画に比べると、原作でのジャージの存在感は小さかった(タイトルが「ジャージ」でなくてもいいくらい)。

だから逆に、映画を先に観ると、原作を読んでいる時も、父(鮎川誠)と息子(堺雅人)はずっとジャージを着続けていた。 


神田川を歩く:河口から馬場まで

2016年09月12日 | 川歩き

体重を減らすため、長距離の歩きに出たい。
その実益に趣味を重ねるため、どうせなら歩き甲斐のあるルートにしたい。
東京の平地なら、都内の川に沿って歩くというテーマがある。
前回、善福寺川を完歩したので、次はその善福寺川を支流とする本流・神田川の番だ。

江戸っ子にとって、川といえば隅田川ではなく、神田川。
隅田川は江戸においては境界の川であって、神田川こそ府内を流れる内なる川なのだ。

その神田川は武蔵野の”井の頭池”を源流として、江戸城の北側を廻って両国橋の所で隅田川に合流する。
全長24.6kmあるので、一日では歩き通せない。
川歩きは、源流から下流に向かうより、源流を目ざして遡上した方が気分的に盛り上がることがわかったので、今回はまず河口から歩き始めることにする。
ただ河口はダウンタウンの産業地域なので風情もなく、今時分はアスファルトの照り返しが強そうで魅力に乏しいのが意欲を削ぐ。
でも始めるなら、河口からでなくては意味がない。

というわけで、神田川の河口を目ざして、総武線の「浅草橋」で降りる。
外国人観光客も幾人か降り立ち、つっ立ったまま地図とにらめっこしている。
「浅草」に行くつもりでこの駅に降りたのでなけばよいがと勝手に心配する。

 さて神田川に向かう。
あえて川筋に向かわず、裏道を通って神田川の河口にかかる「柳橋」に出る。
もちろん、”河口から”歩き始めるためだ。
この付近の神田川は、屋形船が両岸に繋留されており、夜の宴席の場となっているようだ。

船は木造なので、それなりに情緒がある(夜なら提灯が灯ってなおさらだろう)。
柳橋の袂(タモト)には名物の佃煮を売っている船造りの店がある(写真)。

こういう江戸情緒を堪能できるアイテムがあるのだが、いかんせん周囲は無粋なビルばっかり。
そもそも肝心の神田川自体が、深緑に濁り、流れていない(流れがないのは河口だから仕方ない)。
一旦、隅田川にかかる両国橋に行き、隅田川側から神田川の合流部を眺め返す。 
柳橋という地名と屋形船だけは江戸情緒を残すが、それ以外は全て現代の人工物に覆われた景色と濁って淀んだ神田川の姿は、この川に関心を失った別の文明世界に属している(私は江戸時代の江戸にタイムスリップすることが夢)。

ここから神田川に沿って西へと歩きたいのだが、川べりはビルが川に背を向けて並んでおり、そのビルの外側の舗装道路を歩くしかない。
川に面することができるのは、川を渡る橋の上だけなので、橋ごとに川を渡り返すことにする。

それぞれの橋は、江戸時代からの由緒あるもので名前だけは風情がある(浅草橋、左衛門橋、美倉橋、和泉橋)。
あと、近代建築特有の装飾が残っている橋柱があると少しは救われる。

そうやって浅草橋→秋葉原→お茶の水を通過する。
途中の万世橋(駅)の煉瓦造りの建物や、昌平橋聖橋にある湯島聖堂などは初めての人なら立ち寄る価値はある。
お茶の水橋付近では神田上水の遺跡の碑があった。

水道橋に達し、固有の繁華街を形成している後楽園(遊園地、東京ドーム)の横を通りすぎる。
実は、秋葉と後楽園には神田川に船着き場があった。
それは防災用で、江戸・東京が歴史的に幾度も経験してきた大規模火災の避難路として使われる(大地震の時は津波が遡上するので使えない)。 

飯田橋に達すると、神田川は大きく北寄りに流れをかえる。
神田川は江戸城の外堀と別れ、ここから純粋な川になるのだ。
ただ川は広い車道の中央にあり(川沿いには歩けない)、川の上には首都高速道路が覆いかぶさってる。
神田川は江戸時代には水運にも使われていたのだが、現代の東京では邪魔者でしかないようだ。 
その上、川の屈曲にそって幹線道路も湾曲が強いられる。
その名も「大曲り」を経て江戸川橋に達する(川は神田川なのに)。 

ここから、神田川は水源地のある西方に再び向きを変え、そして丘陵麓の左岸(北側)が公園となり、初めて川べりの遊歩道が始まる。
川に沿って、椿山荘・芭蕉庵・鉄砲坂・水神社と風情ある景色が続く(写真)。
川をみると、なんと水が澄んで、川底が見える!
しかも、大きな鯉の群が悠然と泳いでいる。

ここより下流の総武線に沿った域での濁りは皇居の外堀から来ていたようで、
神田川自体はこのような都会の清流だったのだ。
神田川の歩きを、河口からの完歩にこだわらず、ただ楽しむなら、江戸川橋からスタートすることを勧める。

文京区・豊島区・新宿区の境目あたりをひたすら西に進む。
途中、「東京染ものがたり博物館」という染め物工房に併設された資料館に入る。
そこで知ったことには、神田川沿いにはその”清流”を利用した染め物業が今でも盛んだという。
こういう川と向き合った姿に出会うと嬉しくなる。

道が工事中のため、一旦川沿いから離れ、また遊歩道に戻る。
すると「山吹の里」という如意輪観音の石仏が彫られている碑があった。
最初に江戸城を造った太田道灌(徳川家康の150年前)にまつわる碑だ。
その碑の前にかかる橋は「面影橋」。
文字だけなら、風情たっぷりなのだが、実際には、山吹の里の面影はまったくない。
ただ、橋から見下ろす神田川は透明できちんと流れている。
東京の山手線内なのに、川床も川の周囲の木々も自然が勝っており、江戸川橋から下流に比べれば別世界だ。

 都電の線路を渡って、高田橋から下を見下ろすと、神田川がなんと瀬音をたてている。
川床は人工的だが、この付近は落差があるのだ。 

さらに進んで、西武新宿線の鉄橋が見えてくる頃、川に面した親水広場があるのだが、柵に覆われ「閉鎖」の看板が…
それによると、ここで近所迷惑な行為が続いたため、止むなく閉鎖にしたという。
マンションなどが並んでいる中で、夜に酒を飲んで花火でもやって騒いだのだろう。
都心部にいて川と直に接する貴重な空間が奪われた代償は大きい(私のような川歩き愛好家にとっても残念至極)。

さて、神田川は戸塚の神高橋から先は、鉄道の下を通っているのだが、そこだけ両側が側壁となり川幅が狭くなっており(沢登りでいう「ゴルジュ」)、そこに沿う道がない(写真)。
その橋の隣に新宿区の施設があり、中に神田川コーナーがあるというので入った。
つまり、ここにいたって川沿いの遊歩道がなくなり、川のまとめの情報が得られるということなので、どうしても川歩きを切り上げる気分になる。
2時間で8キロ強歩いた。 
時刻的には、まだ余裕なのだが、久しぶりに歩いたせいか、臀部の筋肉が痛く、靴もまだ足に慣れていないので両足の指先が痛い。 
ということで体の限界なので目の前の高田馬場駅から帰路についた。 
今回で河口から1/3を歩いたので、あと2回続きをやる。 

この続き(馬場から下高井戸)


久々の栄・大須

2016年09月10日 | 名古屋周辺

ある人を接待しようと思い、候補にした店を実際に見るため、名古屋の繁華街であるに行った。
名古屋にいても毎日東端の棲み家と市外の勤務先の往復だけなので、他の街にはとんと足を運ばない。

栄に降り立った(ここに行く公共交通機関は地下鉄だから正しくは「登り上る」)のも1年以上振りになってしまった。

街の一画に存在感のあった明治屋は閉店し、「明治屋ビル」だけが残っている(地下街から行ける成城石井に客足を奪われたか)。
その隣の丸善(本のデパート)はなんとビルごとなくなって広い駐車場になっていた。
うーん、この変化は”発展”とは言い難い(”新陳代謝”とは言えるか)。

裏通りに入ると、夜の街の昼の姿。
夜のバーやスナックの妖艶な女性の、昼のスッピンでラフな姿のように、夜には隠されるアラがあらわで不必要な生活臭が漂う。

目当ての店に達する。
初見なので軽くランチで味見をしようと思っていたら、そのランチは平日のみだった。

この店のやや向いに、あんかけスパ発祥の店がある。
名古屋で外食するなら、まずはあんかけスパを選ぶのが私だ。
なので迷わず、店への階段を上がり、入口に板書されたメニュー(品名だけ)を眺める。

すると中から扉が開いて、中に詳しいメニューがあるからどうぞと招き入れられた。

12時の15分前なので、昼の混雑直前の時間だ。
人差指を立てて1名と名乗ると、招き入れた年配の女性は、店内を一瞥して、私を窓側の4人席に案内してくれた。
店の中側には半分の机の2人席が空いているし、さらには一人用のカウンタ席もあるのに。

メニューをもってきましょうかと言うので、お願いした。

あえてそれを聞くということは、この店に来る客の多くは、あんかけスパの常連で、 メニューなどいらないのだろう。
そんな中、入口で中に入らず、文字だけのメニューを眺めていた私は、あんかけスパが始めての観光客風情に見えたようだ。
比較的よい席に案内してくれたのも、それで納得できる。 

実際、私はこの歳になってもこの世界に馴染めず、いつまでたっても初心者のように自信なさげでいるのも確かだ。

本当は、私はあんかけスパの店には数えきれないくらい入っており、注文するのもミラネーズ、ミラカン、カトールフィッシュ、シャンピニオンのどれかから選ぶのでメニューはなくてすむ。

でもせっかくなので、期待にこたえて初心者を演じるため(演じ慣れている)、メニューをじっくり見て、そのあげく最初に目に入った本日のランチの「エビフライ+ミラカン」を指さした。
名古屋に初めて来たので”エビフリャー ”を食べてみたい、という観光客を演じ通そう。

あんかけスパ(あるいはスバゲッティ)とエビフライという組合せは初めてで、スパが盛られた皿の上の方にエビフライが一尾載っている。

いつものようにあんと具とパスタをフォークにからめて食べる。
この店にはあんかけスバ店によくあるパルメザンチーズが卓上にない(発祥の頃はなかったのか)。

半分ほど食べて、エビフライに手をつけていないことに気づいた。
さてエビフライはどのタイミングで食べたらいいのか。
そもそも最初に食べるべきだったか。
いや、私はあんかけスパを食べたかったのだから、食べたいものから始めてよいはずだ。
実際、皿が供された時、エビフライは目に入ったが、私の食欲は100%ミラカンに向っていた。
この選択肢はもとよりありえない。  

ではスパを食べ終わった最後にするか。
それだとせっかく特注のエビフライが、余り物の位置になってしまう。
それではあえて自ら率先して「エビフライ+」を注文した理由がなくなる。

そこでスパを半分食べた今こそが、エビフライを食べる時だという結論に達した。 
そしてエビフライを一口かじった。
サクッと一口分だけ口に入った時思った。
何もここで一気にエビフライを食べなくても、しばらくはスパとエビフライとを交互に食べればいいのだ。
そうやってミラカンとエビフライを無事に食べ終え、店を出た。

すこし街を散歩して昼時をずらして、さきほどの接待用の店に入って、夜の利用について問い合わせた。
これで栄に来た用は澄んだ。

でもせっかく来たので、すぐには家に戻らず、しばらく歩くことにした。

まず向ったのは、大きな銀色の球が目立つ名古屋市科学館。
ここのプラネタリウムを一度観たいので、空席を期待したが、受付にある空席情報が表示されているモニターを見ると、午後ずっと遅くでないと空きがないので諦めた(いつまでたっても人気が衰えない)。

科学館のある白川公園には市立美術館もあり、東京の上野公園に対応する(規模はかなり小さいので”匹敵”はしない)。
名古屋が東京より規模を誇れるのは都心部の道路くらいかもしれないが(片側4車線)、東京でも皇居前は道路幅が広い。 

その広い道路を渡って、大須に達した。
栄に来ると、どうしても大須にまで足を伸ばしたくなる。 

大須に達したら、まずは大須観音に参拝する(ようにしている)。
先を急ぐので賽銭はなしだ。

観音近くにあった古書店は見当たらなかった。
けっこう楽しみだったのに。

大須に来たのも久しぶりなので、店がずいぶん入れ替わっていた。
私が大好きだったエスニック・グッズの店がほとんどなくなっていた。
趣味性の強いインテリアや小物なので、そうしょっちゅう買いに来ることもないしな。 

でもバリ島に行くたびに食べていたミーゴレン(日本のカップやきそばの味)の即席麺が売っていたので種類の違う2袋を買った。
これで大須に来た意味があった。

大須の東側のアメ横ビルの方もだいぶ変化して、電気街的雰囲気はなくなっていた(師匠クラスの秋葉もそうだが)。
でも携帯充電器を探すとちゃんとあって、秋葉と値段も変わらないので買った。
これで大須に来た意味が増した。
実は帰京したら秋葉に寄って買うつもりだった。
そう、帰京すると毎回秋葉や池袋には足を伸ばす。
なのに名古屋ではめったに街に行かない(休日は名古屋にいない時が多いから)。

ここから広い道路を渡り返し(広すぎるので中央の公園部まで来て赤信号になってしまい、一度に渡り切れない)、矢場町を抜けて、パルコの前を通り(このあたりはおしゃれな繁華街)、パルコ正面の古書店はまだ健在だったのでひやかしに入って、さらに栄に北上して、地下鉄で帰った。 

用があって栄に行っても、買物をするのは大須というパターンは今回もだった。 


地震速報はどこが早いか

2016年09月07日 | 防災・安全

関東で13時28分に震度4の地震があった。

その時、国会図書館(新館)で作業していた。
国会図書館しかも新館は横に広い重厚な鉄骨造りだが、建物枠が揺れる音とともにはっきりと振動を感じた。

作業をしている周囲の人たちも顔を上げて、地震の成り行きを見守っている様子だった。

振動が納まったので、すかさずiPadのアプリとパソコンのブックマークから、地震情報を探った。

その結果、直後で、震度の分布情報がずらりと出たのは「ゆれくる」というアプリだけだった
(東京千代田区は震度2と発表されたが、3でもおかしくない)。

他にインストールしてた「見える地震」と「地震情報 Lite 」はこれの前の地震情報しか出てない(3つとも無料版)。

ネットサイトでは、「AQUA地震速報」はさすがに震源地とマグニチュードの情報が出ている。
ただこのサイトは震度分布がもともとない。
ウェザーニュースの「地震情報」サイトも関東で震度4の地震があったとことは伝えているが、
震度分布はしばらくでなかった(出ても「ゆれくる」より図の表示密度が粗い)。

以上から、私の手近なアプリ・サイトでは「ゆれくる」の速報性が すぐれていることがわかった。


昔も左利きが認められていた

2016年09月03日 | 作法

昔(明治以前)の日本では左利きの存在は認められていないと思っていた。
「左手は不浄」というような積極的否定こそされなかったものの、存在を無視されていた印象だ(今でも)。

たとえば、弓術(道)では左利きは認められていない。
また佩刀も左利き用は認められていなかった(刀は右手で抜くため左側に差す)。 

日本の伝統とりわけ武家文化に関心がある私も、左利きとしてのアイデンティティの方が重要なので、これを否定する習い事には一切手をつけない(剣術は両手を使うので、管楽器と同じく左利きのハンディはない)。

ところが、長野の上田城跡公園にある上田市立博物館に行って驚いた。

なんと、左利き用の火縄銃と短筒が展示してあるではないか。
ようするに、火縄の取付口が右ではなく、左側面に出ている。
左手で引きがねを構え、左目でねらいをつけるためだ。

つまり、火縄銃の使い手(銃士)においては左利きの存在が認められ、左利き用の銃が上田藩によって製造されていたのだ(展示の説明による)。
上田藩ということは、真田氏か仙石氏か松平氏だ(真田神社に奉納されていたということなので真田氏かもしれない。あの真田氏ならありえる)。

実践的な武器から儀式用に追いやられた弓と違い、その弓に取って代わった銃に対しては、儀式的な所作は不必要で、合理的な対応をしやすかったのだろう(弓や刀はもともと左右対称な作りなので、左利きでもそのまま操作できるのだが)。

左利きの存在が認められていたことが歴史的に確認できてうれしかった。
やるなら銃だな。 


最後でなかった北軽井沢

2016年09月02日 | 

2012年12月末の記事で「最後の北軽井沢」と題して、北軽井沢の温泉ホテル、実は「グリーンプラザ軽井沢」、を今後は利用しないつもりの記事を書いた。
勤務先の共済の会員期限が終了したからだが、このグリーンプラザは個人会員になれることを知り、そうすることによって利用を再会した(主に浜名湖)。

グリーンプラザ軽井沢は、7名定員のメゾネット(寝る場所が2ヶ所に分散できる)を定員未満でも使え、またバイキングの質が高いのも気に入っていた。
そしてなにより天然温泉である。
軽井沢駅から送迎バスもあるので、鉄道を使って老母を連れていける。

というわけで、どこにも行かなかった”8月の温泉旅”のつもりで母を連れて久しぶりに利用した。

バイキングは期待通りで、とにかく地元嬬恋村の新鮮な野菜がおいしい。
名実ともに”草食男子”の私は、美味しい野菜料理が幾つもあればそれで満足
(ただし、「浜名湖」のカニ食べ放題、「伊良湖」の大アサリ食べ放題は大好き)。

その中でも、生でたべれる※トウモロコシがここの人気。
もちろん、今回もそれを堪能。
日ごろは食欲不振の母も、この時ばかりは皿を次々交換していた。 

夜、寝酒の供としてノートパソコンで観る映画は、境雅人・鮎川誠の「ジャージの二人」。
ここ嬬恋村がロケ地なのだ。

 たった一泊の温泉旅だが、翌日は、チェックアウト後のバスツアーで上田城跡公園を往復する。

※「られる」は可能・受け身・尊敬と多義的であることが言語としてあるまじき欠点であるため、この用法は受け身だけに限定し、可能はら抜き、尊敬は正式な敬語表現を用いる。そうすることが日本語を正しく・機能的にする方法であると思っている。


自主避難判断の基準を考える

2016年09月01日 | 防災・安全

岩手県岩泉町のグループホームの洪水被害は、
前の記事に示したように、その避難判断の難しさが浮き彫りになった。

つまり、町は避難勧告を発令していなかったのだが、
その理由は、小本川の観測所の水位情報が、ずっと「氾濫注意水位」のままで、
この水位基準は「避難準備情報」に相当し、それはすでに発令していたからだ。
いいかえれば、避難勧告の発令基準である「避難判断水位」には達していないという水位情報のままだったのだ。
すなわち、町が非難される理由はない。
私は前の記事で、水位観測所の水位情報の基準がおかしいと指摘したのだが、
実際の観測点では(事故現場から4km下流)、川床がずっと下にあって妥当なものかもしれない。
ということは、上流の地域にとっては、この川唯一の水位観測所の情報はそのままでは使えないことになる。

これは重大な問題だ。

そもそも防災は、最終的には自主判断が求められる。

自主判断というのは、行政の指示を待つのではなく、行政と同レベルの情報によって同レベル判断をすること。
防災士である私自身、人々が自主判断できるように、防災情報の活用を訴えてきた。
河川増水に対するもっとも有効な情報が、国交省が出している河川水位情報で、
これは10分間隔で水位をネット配信している。
このサイトを観ていれば、自分で川の状況を見に行くというそれ自体が防災に反する行為をしなくてすむからだ。
ネット配信なので、たとえ停電中でも、スマホやタブレットのバッテリ駆動で確認できる。

この河川情報に、雨量の水位(過去の水位は河川水位に反映されているので、
今後の雨量傾向をレーダーナウキャストの動画でさぐる)を合せることで、水位の変動を予測できる。
この2つが自主判断の基準になるのだ(あと居住地域の土砂災害の危険性も事前に把握しておくこと)。 

つまり自主判断には、判断基準が必要で、その基準に水位情報が必須なのだ。
その水位情報が信頼できないとなると自主判断の基準が動揺する。
だから重大な問題なのだ。

なら、どうれすればいいか。
岩泉町のグループホームを基準にして考えてみよう。
 小本川下流の水位観測所で、17時すぎには「氾濫危険水位」に達した。
その時、大雨が続いているから、今後この川はさらに増水すると予測され、実際にそうなる。

「氾濫危険水位」は「避難準備情報」の発令基準で、
その情報の意味は、障害者など避難に時間を要する人は率先して避難を始めることを促すものだ。
つまりグループホームの入所者に該当するものだ。
実際、17時半には現地で 浸水が始まっている。
なのでこの時が、避難の最終タイミングであったことになる
(入所者の状況とスタッフのマンパワーを考えると、
現実にはこれでは遅すぎで、もっと前に避難を開始するしかなかった)。
すなわち、水位情報はそれなりに使えたことになる。

言い換えれば、健常者対象の「避難勧告」は、そもそも入所者の避難判断には使えない。
それを待っていては遅すぎるのだ。
「避難準備情報」「氾濫危険水位」を判断基準にする。
そして今回のグループホームのように、川べりにある所なら、
河川の状況はリアルタイムに判るわけだから、より迅速な判断も可能であったはずだ。

他所の災害被害は、他山の石として、自分の防災の参考にする。
 被害者の死を無意味にしないためにも。