今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

台風の間接効果による大雨で注意すること

2024年08月30日 | 防災・安全
前の記事に示したように、南西諸島・西日本に接近する台風の北側に秋雨前線があると、
台風のずっと東側で台風が引き込む南からの水蒸気たっぷりの空気が、その東側にある太平洋高気圧の西の縁で集まって北上し、
その行く手に秋雨前線が立ちはだかっていると、前線の南側(台風からずっと東側の太平洋側:東海〜関東)で大雨が降る。
※:”水蒸気たっぷりの空気”を手っ取り早く確認するなら、気象衛星画像の「水蒸気画像」画面で(動画にするとなおよい)。
これは定型パターンなので、今更不思議がらないでほしい。

昨夜の関東の大雨はそれで、(弱まった)台風本体の雨より強いくらいだ。
今回の大雨をさらに細かく見ると、やや西に傾いた南南西の風が関東に入り込んで西側の丹沢・関東山地にぶつかり、そこで風が収束する(集まる)ため、山地の東麓の上に線状降水帯が発生した。
その結果、山地の東麓にあたる相模平野・八王子・青梅・飯能のライン(線上)で大雨が降り、これらを流域とする河川が増水した。

今後台風本体が東上するにつれ、雨域は変化するが、関東に台風本体の雨がやってくることは必定。
そこで注意してほしいのは、今までの長雨で地盤が揺るんでの土砂災害
先月の愛媛松山での土砂災害も先日の愛知蒲郡の土砂災害も、いずれも警戒区域の外で発生している。
ただし、そこは警戒区域の近くで、周囲は要警戒の場所だった。
ということは、ハザードマップの確認結果で「ウチだけは安心」、というロケーションは危ないということ。
少なくともトバッチリは受ける覚悟が必要(例えば上の地域以外に多摩丘陵にある町田・川崎・横浜あたりも)。

追記:31日は、静岡から三重までの東海地方に南北走行の線状降水帯が発生している。東海道新幹線が終日運休なのもうなづける。

カテゴリーに「仏教」追加

2024年08月29日 | ブログ編集

我がブログのカテゴリーに「仏教」を追加した。

もともと仏教に関心があり、仏像も好きでお寺にはよく訪れていたが、仏教を主題とした記事はほとんどなかった。
ところが、専門の心理学において”スピリチュアル”を解禁し、なおかつ「心の多重過程モデル」の構築を推進していくうち、そのシステム3・4において、教えとしての仏教との接点が増えていき、記事も増えていった(仏教は人の心の高次レベルに対応)。
だが仏教そのものについての記事は、カテゴリーがなかったので「雑感」に入れていた。

自分にとって重要度を増してきた仏教についての記事が「雑感」にくくられるのは不適切と思い、オリジナルのカテゴリーを作った次第。

そうすると、今まで「パワー・スビリチュアル」や「心理学」に入れておいた記事もいくつかを「仏教」に移動となった。
あと「東京周辺」「旅」に入っていたお寺巡り、あるいは仏教美術展の記事も、内容を吟味して、いくつかを「仏教」に移動した。
いわゆる「お寺巡り」の場合でも、神社や他の名所も一緒に巡った場合は移動せず、タグを「#神社仏閣」にしてある。
一番迷ったのは仏教についての「作品・作家評」。
これも仏教に限定したものは「仏教」に移動した。

ということで、私にとっての仏教、すなわち「心の多重過程モデル」から見た仏教(という視点にオリジナリティがあるはず)の記事は「仏教」カテゴリーにまとめられた。

→カテゴリー「仏教」の記事群(降順)


霊に関わる人たちの概観

2024年08月28日 | パワー・スピリチュアル

前稿の「についての概観」の続編で、次に霊に関わる(影響を与える、受ける)人たちを分類してみる。
もちろん今回も霊が存在するという心霊論的立場での記述である(私が信じているわけではない)。

これら霊に関わる人たちを、霊能者、霊媒(と審神者)、霊感者、霊障者の4種に分けることができる。
それぞれについて説明する。


1.霊能者
霊能者は、霊に対して働きかけ(制御)ができる人。
より具体的には、霊視すなわち、霊を直観的・抽象的形態で認識できる(霊視認ではない)。
そして霊に対して、口寄せ・除霊・浄霊ができる人。
口寄せは、霊を呼び出して、言いたいことを語らせること(人間を媒介させるのが霊媒)。
除霊は、強制的に霊を取り除くこと。
浄霊は、供養しながら霊に離れてもらうこと(納得ずくめ)で、霊格の向上も可能にする。
このように霊能者は、霊が”視える”よりも、”祓える”ことを要件とする。
また霊の憑依を制御し、憑依を防御したり、他者についた霊を自分に憑かせたり(自分で処理するため)することができる。
生霊に対しても、送ってくる念を遮断できる。
これらのパワーは基本的に霊能者自身の念の力をもってする。
※:念の力については、記事「心理現象としての宗教:システム4」。私が真に興味あるのは、こっち。

霊能者にも能力の差があり、以上の全てができるのが理想であるが、これらの一部が不得意な霊能者もいる。
ちなみに、供養は素人でも可能(除霊は無理)。


2.霊媒審神者(さにわ)
霊媒は、霊が憑く人すなわち憑依ができる人。
レベルに2種類あり、霊の着脱を任意に制御できる人は、職業的な霊媒となれる。
すなわち、シャーマンやイタコである。
着脱が任意に制御できない人は、「霊媒体質」と言われ、霊障を受けやすい。
霊媒は霊の言葉を代弁(媒介)するわけだが、霊が演技したり嘘をつく場合もある。
ということは霊媒を正しく導いて、その言葉を冷静に聞ける人も必要になる。
それを伝統的に審神者(さにわ)という。
審神者は、霊を制御して、思い通りに霊と対話できる人(霊との付き合い方を知っている)で、霊媒の成否を左右する。
御嶽講(普寛系)での「中座」という人がこれに相当し、霊媒に対する霊能者として、霊媒以上の修行が必要とされる。
※:中座による降霊儀式は、木曽御嶽山上でオープンで実施されるので、登山シーズン中、誰でも目の当たりにできる。


3.霊感者
霊に関して、働きかけはできないが、霊を感じる・知覚できる人。
ただ漠然とした”霊感”(感じ)だけだと主観的思い込みとの区別がつかない。

私が命名し、研究対象としている「霊視認者」はこの霊感者に属する。
霊視認者は、覚醒時に明瞭な視覚像で霊を認識(霊視認)する人。
それによって霊の形態(性別・年齢帯、姿勢、服装)など、霊能者の直観的霊視では得られない具体的情報を得ることができる。
私の研究対象とする霊視認者には、必ず視た霊のイラストを描いてもらう。
視認者ならそれが可能だから。
ただし霊能者のように祓うことはできないし、霊と交流することもできない
※:例えば実話心霊コミックの世界でいうと、
霊能者・寺尾玲子氏は、霊視ができるが霊視認は得意でない(できる人にまかせる)。

天宮視子氏は霊視認ができ、霊視もできるが祓う力は寺尾氏より劣るようだ。
伊藤三巳華氏は純粋な霊視認者である(自ら描く)。

霊能力のない純粋な霊視認のタイプ、すなわち霊を視るだけで、音声がなく、コミュニケーションもないタイプを「シャルル・ボネ型霊視認」と名付けたい。
視野欠損による”シャルル・ボネ症候群”の幻視と同質の視認経験だから。
シャルル・ボネ症候群と区別するには、視野欠損がないことが条件となる。
また、その他に統合失調症、薬物依存、てんかんなどの精神・神経障害がない(=幻視でない)ことも条件となる。

一方、覚醒時には霊を感じず、レム(REM)睡眠時に霊を感じる人を「レム霊感者」と名付けたい。
レム霊感者は、レム睡眠という固有の睡眠パターン時に霊を感じる。
レム睡眠は、睡眠の一種だが、覚醒時とは異なる脳の活動状態で、身体は睡眠中だが、自我は目覚めている(意識がある)状態。
ストーリーがあり自己を巻きこむ夢(睡眠後期に多い)を見るのがレム睡眠で、その夢の中に霊が登場する(大抵は悪夢)。
ちなみに、普通の人が見る夢には霊は登場しない(逝去した肉親であっても)。

もう1つは、金縛りで、これは夢見の睡眠とは逆に入眠時に覚醒が残った状態で発生するレム睡眠。
意識は覚醒状態でありながら、身体の筋電位が喪失状態で手足が動かず開眼も発声もできない。
そして五感の幻覚を伴う。
この幻覚がない場合、あるいはあっても霊的な内容でなければ単なる睡眠障害としての「睡眠麻痺」だが、
霊が出てきたり、視覚と触覚の幻覚によって幽体離脱を経験する場合は、霊感とみなせる。
実話心霊コミックの漫画家・山本まゆり氏は長年「レム霊感者」だったが、やがて覚醒時に霊を視て「霊視認者」となった。

身体の睡眠であるレム睡眠は、システム0(恒常性維持御能)が低下するので、元々外邪(外界の邪気)の侵入を受けやすい状態
※:たとえば外邪の1つである風邪(ふうじゃ)の侵入を許すと、「風邪(かぜ)を引く」。さらにレム睡眠時の明け方は心停止になりやすい。
それが心霊的にも当てはまるということだ。

霊視認者がいるなら、霊聴認者もありうる。
すなわち、霊の存在を音でのみ認識できる人たち。
ラップ音、ポルターガイスト(騒霊)が出す音、あるいは霊の声(帰宅音)などがその内容。
もちろん幻聴でないことが条件となる(同席者の確認、録音データが必要)。
そうでない場合は幻聴との区別がしにくく、統合失調症の可能性も否定できない(この患者は幻視より幻聴を経験しやすい)。

上に示したように霊能者はたいてい霊感者でもあるが、霊感者は霊能力を前提としない。


4.霊障者
霊障(霊による障害=不都合)を受ける人。
霊能も霊感もないのに、霊障だけ受ける場合がある(最も多い)。
実は霊に対峙する霊能者こそ最も霊障を受けやすい(そのダメージを乗り越えて能力を高めていく)
※:霊障を恐れる人は霊能者の道に進まない方がいい。

霊障は以下の3つに分ける。
①身体反応
医学的に原因不明の不調で、器質疾患や感染症ではない。
慢性的なだるさ、発熱、不快感などに襲われるが、明確な身体的原因が掴めないので、
医師からは「自律神経失調症」「心身症」などと診断される。
すなわち心因性のストレス障害と見なされ、症状はそれらに準じる。
特定部位の痛みあるいは異常な腫れが起こることもあり、その部位が霊障のヒントになりうる。
ちなみに身体反応は除霊後もしばらく残るという。

②憑依反応
霊の直接憑依(乗取り)ではなく、本人の同一性を保ったままの人格変容として、たいてい負の方向への変容する(人間性の低下、凶悪化)。
※:精神病理としての人格解離(多重人格)は、本人の同一性が保たれず(性別・年齢・氏名などが変わる)、また必ずしも負の方向の人格変容とならない。
ケモノ憑きの場合は、動物的仕草や鳴き声を発する(昭和以前はキツネの鳴き声(「コーン」)を発した例が多かった)。
これ以外の精神反応(抑うつ、不安、妄想、感情鈍麻など)は精神疾患との区別がつかないため、
精神科では確実に精神疾患(うつ病、統合失調症など)と診断される(憑依現象は、精神医学で認められていない)。
これらの反応が霊障で疾患でないなら、除霊後に消失する(疾患だと消失しない)。

③事故・不幸な出来事が続く
同じ種類の事故・不幸が本人あるいは関係者の間で続く(有名なのは「ツタンカーメンの呪い」)。
ただし客観的(統計的)には、偶然である可能性があり、また共時性(意味のある偶然)の可能性もある。
あるいは霊障とは別の理由で運気が低迷する場合もある。


霊障の判断
実はこれが難しい。
事象が霊障であるかの判断は、客観的な基準がないため、霊障者自身は判断の手がかりがない。
判断が可能なのは霊視ができる霊能者なのだが、霊能者の力量によって判断が異なり、その霊能者の力量は霊障者側で判断できない。

なので原因帰属に対する不合理な心理バイアスが発生する。
すなわち、霊障を気にしている人は、なんでも霊障だと思い込むことになる。
そのため自称霊能者が「○○の霊障だ」と自信あり気に断言すれば、それを信じ、
その後に提示される高額なグッズ(壺など)を言われるがまま購入してしまう。
事態はそれで終わらず、その後は雪だるま式に出費が増える。
「霊障」こそ、素朴な素人がカモにされる霊感商法のキーワードなのだ
※:カモにする側の正体はせいぜいケモノ憑きレベルの霊能なので、人間を陥れるのが快感。

まずは「霊障ではない」という前提で対処を試みることを強く勧める。
まともな霊能者なら(たいていの場合)「それは霊障ではない」と言ってくれる(そしてグッズを売りつけない)。
そして本当の霊障だったら、霊能者が祓ってくれる(それができないのは霊能者でない)。
※:確率的に霊障でない場合(因果関係が明確)の方がずっと多いから


実は、ここ数日94歳の母が原因不明のめまい・吐き気で苦しんでいる。
こういうタイミングなので私自身が”霊障”を疑った。
同時期に自室のテレビのリモコンが突然作動しなくなったし(結局買い替えた)
※:電子機器は人より敏感に霊障を受けやすい

ただ、先祖供養は怠っていないし、生霊の心当たりもない(対人関係は良好)。
母のベッドの壁を挟んだ隣の私の部屋では如意輪観音をはじめ吉祥天、薬師如来、不動明王、そして巳年の母の守護神・弁才天を毎朝拝んでいる(それぞれに真言と手印。吉祥天と弁才天は相性の関係で別区画に離している)。
そして仏壇の下に置いてある”ばけたんWARASHI”は、たまに浮遊霊をキャッチする(赤く光る)が、守護霊のキャッチ(青く光る)の方が多い。
めまいで起きられない母は睡眠が多いが、悪夢は見ず、良好で現実的な夢ばかり。
病院でのMRI検査では脳に問題はなかった。
どうやら最大の原因は、水分不足らしい。
そこで、めまいと水毒に改善効果のある漢方薬「五苓散」を与えた。


霊についての概観

2024年08月27日 | パワー・スピリチュアル

実話心霊コミック『魔百合の恐怖報告』25巻を読んだので(記事)、
それに基づいて霊と対峙してきた現場の人による言説から、霊の実態についてまとめてみたい。

ちなみに、これは霊の存在を前提とする心霊論の視点であり、科学的に承認されているものでなく、
私自身もこれを信じる訳ではない(以下、断定的な表現を使うが、私の信念を示すものではない)。


心霊論が存在を前提としているのは、霊だけでなく前世、すなわち死後の転生を認めている。
すなわち人間は死んだ後、霊として存在し続け、時に別の人間として再生する
(人間として再生するかしないかの基準は仏教の六道(ろくどう)輪廻思想で説明できる→人間存在の分かれ道)。
その一方で特定の神・仏の存在は前提されない(そのパワーを借用することはある)。
言い換えれば、霊の存在は、特定の宗教を前提とする理論(観念)的なものではなく(むしろたいての宗教は浮遊霊の存在を認めない)、
リアルな視覚をはじめとする霊との実際の交流を通して得られた経験的なものである(なので理論的整合性は優先されない)。


現在では、霊の正体は、””という心的エネルギーとされる(すなわち物質でない)。
死霊(しりょう)は死してなお残る念、生霊(いきりょう)は生者が発する念、
そして寺社がパワースポットであり続けられるパワーは、宗教者や参拝者による祈りの念の集積による。
念というエネルギー(波動)は物質でない(光を反射しない)ので本来は不可視であるが、
特定の能力のある人(霊能者)はそのセンサーを持っている。
※:量子論的には、波動の方が粒子(物質)よりも根源的存在(状態)。ただし科学的に存在を認定するには波動ならば波長(周波数)、エネルギーならばエネルギー量(Jジュール)が測定されなくてはならない。「エネルギー保存の法則」に従うはずなので、可測的なエネルギーに変換することで間接的に存在を証明できないだろうか。電磁波との相性の良さがヒントになるかも。→霊の音声探知機を購入
ちなみにそのセンサーは宗教的信仰や修行とは無縁である
(無宗教の凡人がセンサーを持つことが多々ある)。
センサーをもっていない大多数の人も、霊からの念の力を悪い方向で受けることがあり、
それが霊障である。
このように心霊の世界は、霊と人の事象とに分けられる。


ここではまず、霊側についてまとめてみる。

霊は、上述したように人間の肉体以外の念に相当する部分であり、
それは本体の生命状態を基準に死霊生霊に分けられる。
ただし霊は必ずしも人間に限定されない。
人間とは無縁で、はるか昔から存在している自然霊がある。
最高格の自然霊はと呼ばれ、空を渡る光の線(龍道)として視覚される
(龍は伝説的なあの形態を示さない)。
人間はそのパワーの恩恵を受けるとよい。
自然霊でずっと格下なのは魑魅魍魎(ちみもうりょう)で、
下手にちょっかいを出さなければ問題はなく、神社の祭りの時に人間と交流する。

人間にちょっかいを出してくるのは低級霊の動物霊で、日本ではキツネで代表されている。
動物は元々は人間より数が多かったが、その多くが人間によって殺された。
なので、人間に怨みをもって悪さをしてくる。
霊として生身の人間よりはパワーがあるので、新興宗教の教祖に憑いて人間を騙したりする。
すなわち霊としては低レベルのパワーを発揮して、素朴な素人を手品的に煙に巻くのが得意(素朴な素人は、同じ人間の振り込め詐欺にも騙される)
動物霊は固有のしつこさと動物臭があり、ちゃんとした霊能者なら見破れる。
※:日本の民間信仰には、この(眷属)レベルの”神様”が多い。

人間の死霊は、世代が進むと先祖霊となり、子孫に対して守護霊の立場にもなる。
それは霊としての成長(浄化)であり、霊格が上がるのが霊の本来進むべき道である。
子孫たちの先祖供養がそれを助ける(先祖霊は守護霊として子孫を助けので互助的関係)。

ただ一部の死霊は自分の死を受け入れ難く、またこの世に執着していて、
霊格を上げることに関心がない。
これらの霊が生きている人や土地に憑いたりして、人間にとって不要の交渉をしてくる。
これら浮遊霊は、仏教的には「未成仏霊」といい、霊能者による浄化が必要となる。

この未成仏霊がたくさんいる場所がある。
古戦場、大災害や空襲のあった所、大病院(特に軍関係)のあった所、自殺者が多い大規模団地などである。
すなわち遺体の霊的処理(供養)が充分でなかった地。

またこれら霊が大勢通る道があり、それを「霊道(れいどう)※という。
※:「霊道」は寺尾玲子氏の命名
霊道は上のような場所や火葬場から寺・墓地に続くことが多いが、
その途上の家の中を通ることがあり、その家では不特定多数の霊が目撃される。
霊能者に頼めばその霊道を移動させることができる。

以上のように、我々は、先祖霊や守護霊だけでなく、
自分と無関係な霊とも接触する機会がある。


それだけでなく、生きている他者から、怨み・嫉妬や羨望の念を受けてしまうこともある。
これが生霊だ。
生霊は、必ずしも本人が意図的に念を送る(呪詛する)場合だけでなく、無自覚の場合もある。
生霊の元は生者なので「浄化」の対象にならない。
また念のパワーは死霊より強い場合が多い(エネルギーがたっぷりあるから)。
心霊的方法でパワーを遮断することも不可能ではないが、
対人関係の調整という非心霊的方法で収めることも可能である。
ただ生霊の発信者は性格的に歪んでいる人が多いので、
むしろ関係を遮断したい相手であることが多い
(「ストーカー」は本人が生霊と化してしまった恐ろしい例)。
※:生霊はSNSを通じても繋がってくるので、文字通りブロックした方がよい。

以上が、霊側のまとめ。
これら霊に対する人間側の影響・対応については次の記事で。→霊に関わる人たち


台風から東に離れた豪雨に注意

2024年08月27日 | お天気

台風10号が九州・南西諸島にゆっくり接近して、そちらの警戒が喚起されているが、
実際には東海地方に線状降水帯が発生しつつある。

これは、台風の東側かつ太平洋高気圧の西側の領域が、南からの暖湿空気(水蒸気を多量に含む)の流入路となっており、
それが北日本にかかっている秋雨前線に向かって吹いているからで、これで秋雨前線(水蒸気が結露する)が南下すると、
2000年9.11の「東海豪雨」時の気圧配置となる。

今回は、秋雨前線が北に離れているので、それに匹敵する豪雨にはならないだろうが、
ポイントは台風からかなり離れた東側で台風の雲とは別の線状降水帯が発生する状態になっていること。
すなわち、愛知・静岡あたりが要注意だ。
九州・山陽新幹線以前に、東海道新幹線が運休になる可能性がある。

追記:上の警告を発した当日の夜、愛知(蒲郡)で土砂災害が発生してしまった(死者3名)。

 


国会図書館で25冊読み通したコミックは

2024年08月26日 | 作品・作家評

この8月、国会図書館に通って、今携わっている「霊視認」研究の参考のために、毎日コミックを読み通してきた。
なにしろ霊視認という現象は論文はもとより、活字本でも扱いが少ない。
一方、コミックだとかなり資料がある。
その元となっているのが、『HONKOWA—ほん怖—』という実話心霊コミック誌らしい。
もちろん霊の存在を前提とする「心霊科学」(と称する心霊論)についてはいくつか目を通して来たが、
本来的に幽霊話(怪談)は好きでない(映画もホラーは絶対観ない)。
個人的に恐怖を楽しめない私は、上のコミック誌を手にしたことはなかった。
※:そのくせ、楽しまれる恐怖の論文を書いて、注目された(雑誌掲載、テレビ出演)ことがある。


知りたいのはホラーではなく、あくまで実話としての霊現象なので、
それに相応しいコミック(掲載済みの単行本)をまずは読むことにした。
読んだ順に示すと、
永久保貴一『阿闍梨蒼雲 霊幻怪異始末』全6巻、
同『密教僧秋月慈童の秘儀 霊験修法曼荼羅』5巻、
伊藤三巳華『視えるんです。』全7巻、
山本まゆり・寺尾玲子『会社員だけど霊能者修行始めました』5巻,
これらを電子書籍版で購入して読んできた。
※:「全」がついているのは終結した作品、それ以外は読んだ巻数

これらの中で霊視認者自身のものは『視えるんです。』だが、
より広く実際の霊の挙動や霊能者による霊に対する対応例を知りたかった。


そこで霊能者・寺尾玲子氏の心霊相談を描いた『魔百合の恐怖報告』シリーズ(山本まゆり画)を読みたくなったのだが、
量(巻数)の多さに怖気付いて個人購入は諦め、国会図書館での閲覧と相なった。
この本は、上の雑誌に掲載された作品を後年になって編集したもので、
国会図書館にある蔵書は2009年から2023年までの分。
その量全部で25冊!
どれもが1冊400ページ強、もちろんコミックなので、ページあたりの文字数は少ないが、
それでも昼前から夕方までの図書館内で1日あたり3冊読むのが限度だった
(本編に付随している関係者(登場者)たちの裏話である「TeaTimeTalk」もとても参考になった)。
研究の参考として読むのだから、漫然と読むのではなく、私のいつもの読書パターン通り、
ワードのアウトライン画面で、構造的に記録すべき内容を抜き出す(書き写す)。


一番参考にしたコミックが、購入せずに図書館で閲覧しただけというのも申し訳ないが、いかんせん購入するには量が多すぎた。
そしてこの25冊をその場で無料で読めるのだから、国会図書館ってほんとにありがたい。

これを読んでいる期間中は、頭の中が心霊現象で充満した。
せっかくなので霊視認者を含めた霊の在り方・関わり方を整理してみる。
霊についての概観


「霊が視える」現象を研究

2024年08月25日 | 心理学

私は昨年から「霊が視える」という現象を研究対象にしている。
その視覚現象を「霊視認」と命名した。
既存の用語に「霊視」という表現があるが、そこで使われている「霊視」は必ずしも視覚像を前提とせず、
直観的に霊を感じることや、霊能力を使って時間や空間を超えた状態を探る意味にも使わているので、
これとあえて区別するために「霊視認」という言葉を作った。

上の意味での「霊視」ができるのは霊能者(祓える人)であるが、霊視認ができる人(視える人)は必ずしも霊能者ではない。
また霊能者は霊の感知はできるが、明確な視覚像を得るわけではない。
例えば、霊能者・寺尾玲子氏は霊視ができるが霊視認はあまり得意でない。
霊視認者として活躍しているのは、霊視認コミック『視えるんです。』の作者伊藤三巳華や吉本芸人シークエンスはやとも氏などである。
※:霊視覚者自ら視た霊を描画している点が貴重。ただし創作物・エンタメ商品でもあるのでそのまま研究的資料にはならない。


私が研究対象にしているのは、霊視認(者)である。
霊視認者は、自分とは無縁の霊を生活空間で第三者的に視認(目撃)する。
心霊スポットや墓地ではなく、普通の街中で人々に混じった霊を目撃するのだ。

私は、その霊がどのように見えているのかを事例的に収集している。
面白いことに、(霊)視認者に目撃された霊は、他の人たちには気づかれなかった自分が見られていることに気づいて慌てるという。

ただし霊視認者は、霊との間に能動的関わりができない。
それゆえに、普通の知性・科学的常識を持った彼らは自分の経験が”幻視”である疑いを捨てきれない。

実際、シャルル・ボネ症候群という視野欠損疾患では、欠損部分に幻視を持続的に見てしまう。
そしてその対象と能動的関わりができない。
すなわち、この症候群の幻視と霊視認とは視覚経験としてかなり共通している。

ただし私が調査した霊視認者は、視野欠損は見られず、また他の幻覚症状を示しうる統合失調症・薬物依存・てんかんなどは持っていない。
すなわち視覚系・中枢系に関して全くの健常者である(近視など屈折異常は持っている)
※:視覚系・中枢系に特定の疾患を持たない健常者の中に幻視経験をしやすいタイプがあるのかもしれない(医学的には未確認)。
そもそも誰の脳でも入力刺激がないと幻覚を作って自己刺激をする。毎晩見る夢がその例。


霊視認者の出現率は、勤務先の学生(全員♀)を使った調査では、見た「経験あり」と回答した段階では9%もいたが、
実際に面接して視認内容を詳細に確認できたのは1%であった。
※:調査結果については現在論文作成中。
ただ調査対象の霊視認経験者のほとんどは視覚回数が1〜数回程度であり、しかも最近は経験していないという。
すなわち、ほとんどは子供の時に1,2度経験した程度であり、日常的に「視える」人はさらに少ない。

ついでに、霊視認者は、霊以外にオーラ視ができる比率が高く、霊視認とオーラ視の経験が相関している。
霊視認のトレーニング法はないが、オーラ視のトレーニング法は書物になっている(オーラ視は経験しやすい)。

ちなみに霊視覚視認者は、自分の経験を不快と思っており、それを楽しんではいない(あなたは幽霊を見たい?)。

霊と積極的に関わる生き方を選ぶには相当の覚悟がいるようだし(寺尾玲子氏はそれを勧めない)、
過去の霊視認経験も人生の1エピソードとしてそのままにしておいていいと思う。

シャルル・ボネ症候群などの幻視については、O.サックス『幻覚の脳科学』(早川書房、現座は文庫版)が参考となる。


名古屋宅に戻る

2024年08月20日 | お仕事

大学のスケジュールでいう「夏季休業」の真っ盛りの中、18きっぷで名古屋宅に戻った。
夏季休業中なので、出校すべき業務があるわけではない。

わが愛車のエンジンを作動させれるため。

以前なら、休業中の丸々1ヶ月間、名古屋宅を空けていた。
ところが、一昨年と昨年、そのようにして、1ヶ月ぶりに車を使おうとしたら、エンジンがかからず、仕方なく任意保険契約で利用できるレッカー業者を呼んだ。
より正確には、バッテリーは反応する(電気系統は作動)のだが、エンジンをかけるパワーに達しない状態だった(なので業者のバッテリーですぐ始動)。

もちろん、不在の間はバッテリーのケーブルを抜いて放電を抑えている。

このように苦い経験をしたので、今年は長い休業の中間点で名古屋に戻って車を作動させることにした。
冬休み・春休みの2週間だと大丈夫とだとわかっている。
それに夏の高温も車にストレスを与えるだろうから、ボディカバーをして帰った。

今回のブランクは17日なので2週間よりちょっと多め。

久しぶりに名古屋宅に戻り、早速バッテリーのケーブルを繋いで、キーを回した。
少し間が置かれたものの、なんとか無事にエンジンがかかった。

明日は、バッテリー充電を兼ねて大学に出校し、たまたま必要になった作業をこなす。
往きは18きっぷの鈍行旅だったので、帰りは新幹線にする。


台風接近中,東博の神護寺展に間に合う

2024年08月16日 | 作品・作家評

台風7号が関東に接近中の16日の朝。
未明に強い雨が降った形跡があるが、外は曇り空で風も大したことない。
公共交通機関や海沿いの施設は”万全の対応”を敷いているようだが、午前中の今は普通に外出できそう。

ただし今日は午後に歯科の予約が入っているので、国会図書館に行くのは時間的に中途半端。

そこでチケットを買っていた東博(東京国立博物館)で開催中の特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり(9/8まで)を見に行くことにした。
京都の神護寺は、平安彫刻の代表作品である薬師如来立像が有名で、私もかつて高山寺とともに訪れたことがあるが、国宝の高雄曼荼羅などは寺よりも博物館でこそじっくり見れる。

台風接近中なので、東博もいつ閉館になるかわからないため、まずはネットで本日の開館を確認(ただしいつ閉めるかわからないと書いてある)。
風雨のない今のうちに行った方がいい。


こういう天候なので、閑古鳥が鳴いていると思ったら、東博全体は予想以上に人出があり、特に外国人観光客が目につく。
急遽、屋内で時間を過ごせる場所としてここが選ばれたのだろう(もちろん日本文化を知るには最適な選択)。

展示の花の1つである「源頼朝の肖像画」は、会期の前半で寺に戻ってしまったが、江戸時代の絵師による精巧な模作があって、それを見ても鎌倉時代の原画がいかにハイレベルな絵画であるかがわかる。

あとここの空海の肖像画も有名で、さらにこの寺が空海と最澄(平安仏教の二大巨頭)の交流の場であった証拠となる両者直筆の文書(もんじょ)も歴史的意義がある(空海の書は鑑賞的価値もある)。

高雄曼荼羅とそれに付随する展示は、両界曼荼羅の構造が頭に入っていないと充分な鑑賞ができないことを痛感(館内に簡単な説明の動画があるが)。
せめて各仏がはっきり描かれる胎蔵界だけでもその構造の(描かれている仏の同定ができる)資料を持参すべきだった。

第二会場では、あの薬師如来を中心とする仏像群(日光・月光、十二神将、四天王)が展開。
二天門の二天(増長天・持国天)が唯一撮影OKだった(写真:左が増長天)。

ちなみに東洋館の地下で『空海—祈りの形』というVR映像が鑑賞できるのだが、開演時刻にギリギリ間に合わなかった。


観終わったのが正午だったので、のんびり帰宅して、歯医者に備えた。

その後、この記事を書くために東博のサイトにアクセスしたら、なんと「台風の影響により臨時休館」したとの表示。
ラッキーだった。


失言バッシングの風潮

2024年08月15日 | 時事

本日のテレビ朝日の「モーニングショー」で、スポーツ選手へのパフォーマンスへのネットでのバッシングと、最近話題の芸能人の失言へのバッシングとが共通の問題として取り上げられていた。
このようにバッシング対象を類別すると、見る側にもその視点が刺激される。

というのも、失言バッシングの対象なら、芸能人だけでなく、政治家もその対象だったと思い付かせてくれるから。
いやむしろ、そもそも政治家、とりわけ閣僚級の人たちの、国会答弁や記者会見ではなく、内輪の地元懇親会での、リップサービス的な”軽口”を、鬼の首でも取ったかのように、というよりこれを材料に閣僚としての首を取らんとする勢いで、猛烈に批判する風潮というのが、一般人のネットバッシング以前から、醸成されていたのではないかと、気づかせてくれた。

まず、一般庶民の浮世床談義レベルにおいては、贔屓チーム選手のエラーと政治家の失策は、同列に悪口の対象となる。
なぜなら、怒りの”程度”がほぼ等しいから。
言い換えれば、政治家だけが特別というダブルスタンダードではない。

なので有名人(政治家や芸能人)の失言は、辞任に追い込むまで糾弾していいものだ、という堂々とした先例を目の当たりにすると、自分もその轍を踏んでいいものと思うのは、人間の学習行動としてノーマルといっていい。

失言の内容や程度という差異に忖度しないのも その影響だろうか。
私個人は、人に向かって「死んでください」という最悪の発言(文脈によっては”殺意”の認定になる)と、「男性の体臭が苦手」という個人的好悪を一般的価値として論じる失礼な思い上がり(ハラスメントに通じる)と、槍投げ女性選手の寝そべった姿を「トドみたい」という例えの不適切さ(視覚印象的には妥当でも、マイナスのイメージが付着している)とでは、失言の深刻さの程度が異なり、私自身の許容度も異なるので、このへんはもう少し、反応が細分化されてもいいと思う。

ということで、あの番組はなかなかいい切り口で問題を扱ってくれる。


山の日・お盆休みは完全休養

2024年08月12日 | 歳時

「山の日」を挟む三連休にお盆休みが続く。

観光地は掻き入れどきのはずだが、北日本は台風上陸、そして東海以西は「南海トラフ臨時情報」いわば”巨大地震注意報”発令中で、客足が鈍っているらしい。
※:15日17時まで有効。
前者はいたしかたないが、後者は発生確率が1%から1.5%に”上昇”した程度なのだが、
日頃から防災を謳っている者として、立場上これを冷笑するわけにはいかない。


ただJR東日本管内の東海道線大磯—熱海間が徐行運転とは、相模トラフの危険性は上がっていないのでやり過ぎだと思う。
徐行ないし運行停止は駿河湾(沼津)以西の南海トラフの地震が発生してからで済むことで、震源域外で何もないのに徐行運転する必要はない。
これも”やってますよ”的対応なのだろう。

大磯—熱海間では、南関東大地震(関東大震災)の時、根府川駅の鉄橋に土砂が来てちょうど通過中の列車が海中に転落して多くの死者を出したというトラウマがある。
でもこれはほぼ直下の相模トラフの地震であって、駿河湾以西の南海トラフの地震だと揺れはもっと小さいし、津波も時間差がある。

ただ18きっぷで根府川の前後、すなわち早川から真鶴までの車窓から見る、海に落ちる山腹にへばりついている民家を見ると、相模トラフの地震が来たらひとたまりもないことは容易に予想できる
(平野部の少ない日本にはこういう危険な立地の家屋が多い)。
なのでまず必要なのは家の耐震強化なのだが、簡単にできる備蓄品の買い出しで”やった気になる”。
とうことで、皆が防災演技にいそしんでいるわけだが、それとて”防災訓練”として無駄とはいえない(非経済だが)。


私自身は、せっかくの「山の日」前後だが、地震以前にこの猛暑で外出する気になれず、
あえてこの時期に山や旅に行く強迫観念からも解放されているので、
のんびり家にいて(近所の買い物はする)、冷房の効いた室内で読み残した『大菩薩峠』を読み進めることにする。


南海トラフ地震が”迫っている”理由

2024年08月11日 | 防災・安全

日向灘の地震で、南海トラフの地震の危険性が高まり、 NHKの画面を見てわかる通り、多分ここ1週間は”警戒体制”を続けるだろう。
ただ、この1週間が無事に終わったら安心か、すなわち警戒を解除していいかというと、台風一過のようなわけにはいかず、危険性はその後も漸増し続ける(ただし天気予報並みの”その日に発生するか”という確率では1%以下のレベル※)。
※:地震はデータの蓄積がある降水現象と違って発生確率(=予測)の計算はほとんどできない(できたとしても数十年単位)。なので地震の確率の数値自体厳密に考える必要はない。
すなわち、今のようなお役所的やってます感を全面に出す必要はないが、警戒体制は維持し続けなくてはならない(経済活動を制限するほどではない)。

そもそもなぜ、南海トラフの地震の危険性が高いのか。
情報を整理してみよう。

元々は南海トラフの東端の”東海地震”(駿河湾震源)のみの危険性が言われていた。
なぜなら、前回の東海地震は幕末の1854年で、昭和の終わり頃には周期の100-150年に達していたから。
それに対し、東南海地震と南海地震は、終戦前後(1944,46)に発生したので、東海地震の危険性が言われ出した頃は、次の周期に時間があった。

ところが、本来ならすでに発生しておかしくない東海地震が、周期を過ぎても発生しない(2024年で170年目)。
それはいいことかというとむしろ逆で、東海地震の震源域のエネルギーがかつてないくらいに溜まっていることになる。
すなわち次に発生する東海地震は、今までの東海地震よりエネルギー(マグニチュード)が強いことが予想される。

そして、悪いことに、実は東海地震は、今まで単独で発生したことがなく、必ず東南海・南海地震と”連動”していた。
例えば1854年の東海地震は東南海地震と連動し、その32時間後に南海地震が起きた。
ということは、最も発生確率が高い東海地震が発生すると、周期のすでに半分を超えた東南海・南海地震をも連動させる可能性が出てきたのだ(100年周期とすると2040年以降に起きると予想)。
しかも、前回の東南海・南海地震は、エネルギーを出し切っていない規模だったので、2024年現在、周期以上にエネルギーが溜まっていると思われる。
とうことで、前々回の南海トラフ地震の宝永地震(1707年)以来の最悪の”3連動”地震(M9)になる可能性があるということだ。
ちなみに、宝永地震の後、トラフの延長上にある富士山が噴火し、巨大な宝永火口ができた(御殿場は死地となり、江戸に降灰があった)。
富士山も、これ以降噴火を休止している。

こういう日本最大級の大変動がやってきそうだということ。


防災の優先順位:備蓄は最後

2024年08月09日 | 防災・安全

南海トラフ地震のリスクが増した、と報道された途端、店から水や備蓄品が売り切れたそうだ。

こういうパニック的行動って、株価が暴落した時のパニック売りと同じ、素人的な馬鹿げた行動。

私は防災の授業で、以下の防災行動の優先順を質問している。

a.水・食糧の備蓄 
b.家具の転倒防止 
c.建物の耐震化 
d.避難用具の購入

さぁ、上のa-dのどれから手をつけるべきか。

優先基準を生命>財産>生活の質とするなら、優先順は耐震化>転倒防止>避難用具>備蓄の順となる。

それに対し、実行しやすさは、備蓄>避難用具>転倒防止>耐震化の順。
すなわち、多くの人は、備蓄をしただけで”安心”し、耐震化まで至らない(=備蓄品たっぷりの家の下敷きになって圧死)、という問題点を話している。
※:株価下落のパニック売りと合わせると、この種の人たちは(不安-安心という)感情原理で行動していることがわかる。すなわち動物的なシステム1で行動して、理性的なシステム2に準拠していない。システム1の特徴は反応は早いが不正確なこと。この不正確性を是正するために人類にシステム2が創発されたのに。

まさに”多くの人”はこの通りの行動をしているようで、こういう人たちと異なる行動をした方が正解と言えそうだ。

追記:この記事を書いている最中、神奈川内陸で震度5弱の地震があった。広い意味ではこの地震もフォリピン海プレートの沈み込みによるものなので南海トラフと無関係でない。
それにしても、震度とマグニチュードの対応(ともに5)は直下型の今回も該当した(昨日の日向灘の海洋の地震だと内陸の震度6<震源のマグニチュード7となる)。


南海トラフ地震の切迫性アップ

2024年08月08日 | 防災・安全

今回の日向灘のM7.1の地震。
 南海トラフの想定震源域内(トラフそのものではない)で起きた。
この地震そのものは陸地で震度6弱で、今のところ人的被害は慌てた人が怪我をするレベル(震度5以上で毎度発生)で済んだ(正確な被害状況は翌日にならないと判明しない)。
問題なのは、この地震によって、南海トラフ全体の巨大地震の切迫性がさらに高まったということ。

いよいよ”トラフが活動を開始した”(余震)、と解釈できるから。

気象庁の会見はそういう趣旨で、「皆さんいよいよ本気で対策してください」ということだ。
ちなみに、対策の中身は、私が大学の防災の授業で課題とした内容で、受講生は対策済み。

改めて言う。
最大級のM9.1(三連動)の場合、想定される死者・行方不明者は32万3千人と、スマトラ沖地震の(数カ国分の)死者(20万人)を上回る空前絶後の大災害となる。
駿河湾と遠州灘沿いの静岡県、それに紀伊半島の南半分と四国の南半分は壊滅。
東海道(新幹線・東名高速)も寸断。
名古屋や大阪にも津波がやってくる。

さらに、この巨大地震によって、本州内陸部にストレス(圧)がかかり、富士山の噴火(京浜地方に降灰)、愛知の猿投-高浜断層の地震(東海地震より愛知の被害想定大)、大阪中心部の上町断層の地震(想定死者4万人)を誘発する可能性がある。
※:フィリピン海プレートが本州を押している力
我が国開闢以来の国難ともいっていい。

読者の皆さん、まずは居住自治体のサイトを開いて、「防災」のページに行って、ハザードマップでの自宅の災害危険性※、最寄りの避難所を確認し、ついで地域固有の防災対策を参照しましょう。
※:津波、浸水、土砂災害、液状化は同じ自治体内でも危険度は地域によって異なる。


国会図書館のマクロビ弁当

2024年08月08日 | 東京周辺

かのカール・マルクスが大英図書館に通って『資本論』を書き上げたように、日本の国立国会図書館も最大級の所蔵資料を誇り、また持参ノーパソの執筆空間も広く確保されていることから、私も夏休みはここに通って論文執筆にとりかかる。

6日の記事に記したように、ここは昼食を数ヶ所で摂れるので、毎日通っても飽きることがない。
私の目下のお気に入りは、旧館2階の「ノース・カフェ」で、その名の通り北海道の野菜などを使ったパスタやカレーが売りで、またサラダ付きのホットドッグ(500円)も軽い昼食に使える。

ただしこれら食堂は11時開業なので、それより早く食べたい時は旧館6階の売店で弁当を買う。
実はここの弁当は種類が多く、また健康にこだわりを示してくれている。
たとえば今日食べたのは「マクロビ日替わり弁当」という、マクロビオティック食事法(動物性蛋白質を使わない)によるもので、主義ではなく嗜好としてベジタリアン(肉類が苦手)な私にはとてもうれしい。
なにしろ、近ごろの弁当って、メインの惣菜が何であれ、まるで義務のように鳥の唐揚げが付いている。
肉類の中で一番苦手な鳥の唐揚げが入った弁当は当然選択肢から外さざるをえない。
その点、マクロビ弁当だと、一見鳥のソボロに見える”肉片”も大好きな大豆なので、中身を精査する必要なく、無作為に選べる。
カロリーも500Kcal未満。
値段が異なる数種類あり、それぞれ日替わりなのでこれを選び続けてもいい。