今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

守りの温泉旅

2024年06月09日 | 

日曜出勤のため週末は名古屋にいたので、日曜から火曜の午後の会議まで、東濃の温泉旅に出る。

コロナ以降、宿代が軒並み値上がりしている一方、こちらの手取りは下手すると減ってさえいる
※:額面が多少増えても、何かと引かれてしまう。

なので、攻めの旅はできず、財政的に守りの姿勢で旅せねばならない。

具体的には、まず宿のグレードを下げる
以前は自分の標準だった”休暇村”レベルから、”安宿チェーン”に下げる。
これで7000円下がる。
幸い、安宿チェーンの食事がマシになってきたので、不満が減っている。

それと、お気に入りの宿に対しては、思い切って”素泊り”にしてみた。
これで宿代は10000円近く下がる。
お気に入りなのは温泉(浴室)なので、元々宿の食事は私には豪勢すぎて、例えば夕食に5000円以上もかける必要がない(通常は2泊するので夕食2回で10000円以上)。

素泊り可の宿で、室内の冷蔵庫の他に館内に電子レンジやオーブンとスターがあれば、途中のスーパーで弁当と惣菜を買って、冷やしたり温めたりして室内で食べればよい。

前回、元定宿の”ホテル花更紗”で素泊り(8500円)にして、夕食は隣のクアリゾートのレストランで摂ったが、それでもビールとつまみ込で2000円に達した。
今回は、途中のスーパーで缶ビールと弁当(490円)、それにつまみとサラダを買って1000円で済ました(個人的に朝食は不要で、宿を出て早めの昼食をとる)。

一回の宿代を浮かせて、その分旅の回数を増やしたい。

追記:ワンコインレベルの弁当は旅先の食事としてはグレードが低すぎた。もう500円出したい。


売木村に泊まる:追記あり

2024年05月19日 | 

毎年の今頃(と秋)、愛知の屋根・茶臼山高原に2泊する。

今や盛りの芝桜を見るためではなく、長野県側にあるカエル館内のパワースポットでの計測のため。
それについては次回の記事にし、ここでは宿泊先について述べる。


以前は、2泊ともカエル館に近い高原上の唯一の宿”休暇村茶臼山高原”にしていたが、コロナ禍以降、休暇村が強気の料金設定になったので、1泊目は他のもっと安い宿に変更することにした(私の旅の目的が”リッチな気分を味わう”のではないため)。

茶臼山周辺には、まず同じ愛知の豊根村・高原の中腹に民宿”清水館”がある。
ここには宿からのお誘いで泊まったことがある→記事
部屋も広く食事がすごい豪勢で、サウジアラビアからの女子学生の合宿先ともなっている。
また茶臼山高原道路を降りた麓には、山中の一軒家風の民宿”設楽山荘”があり、ここは一応風呂が温泉になっているし、食事も満足。


長野県側の根羽村には適した宿がないが、その東隣の売木(うるぎ)村には宿がいくつもある。
売木村は、南で愛知県豊根村と接する山に囲まれた盆地で、中央に売木川(天竜川に注ぐ)が流れ、村を囲む4箇所の峠のうち、2箇所が売木峠という”売木”に満ちた所。
南信の他の町村と同じく目立った観光地はないが、愛知からは気軽に高原気分が味わえる身近な信州である(豊田市と接する根羽村は谷なので高原気分は味わえない)。

軽井沢や富士見高原と違って東京からは遠いが、村内の名所・名物を歌った「売木音頭」という曲(歌:山門忠司)が発売され、私もここに行く時の車内音楽にしている。


まず、ちゃんとした温泉旅館の”森の宿遊星館”。
ここは目の前に間欠泉を見ることができ、夕食の豪勢な鉄板焼きも評判。

売木村には日帰り温泉”こまどりの湯”があり、さらに村の自然休養村にある”ささゆり荘”も温泉だ。
私が1泊目に利用しているのがここ。
料金が民宿並に安いながら温泉であること、さらに朝食なしでも泊まれるのが大きい(朝早くから豪勢な朝食は不要)。
夕食には地産の素材が使われ、中でも色々な植物・葉っぱの天ぷらが草食系の私には嬉しい。
売木村から茶臼山へは遠くないので1泊目で泊まって翌日もカエル館に気楽に行ける。
売木村には他に民宿やペンションもあるがこれらはまだ泊まったことがない。
2泊目の休暇村が温泉でないので、せめて1泊目は温泉にしたいのが一番の理由。


追記
翌朝、宿をチェックアウトして、売木の集落外れの岡にある宝蔵寺に行った。
ここは百観音の石仏が門の前に居並んでいる。
意外に近代的なお顔があって、十一面観音(写真)は私の美仏リストに登録したい。
また高台から眺める売木の里山風景も落ち着く。
この後、道の駅の食堂で「よりみちカレー」を食べ、茶臼山に戻った。


青森キリストの墓訪問記:2001年

2024年03月20日 | 

※この記事は2024年3月に閉鎖する私のサイトに掲載していた2001年6月に訪問した記録の加筆転載です。


私の祖母山根キクは,昭和12年に『光は東方より』という書で,
かのイエス・キリストの墓が青森県戸来(へらい.現,新郷村にあると公表した。→山根キクの紹介

この書は翌年に発禁となったが(さらにキクは皇統研究をしたかどで不敬罪で逮捕.竹内文献も没収),
墓とされた地元ではおおいに喜び,大々的に観光名所としてアピールした
(さらにアメリカで映画化の話が進んだが戦争となりたち消え).

’キリストの墓’は今でも新郷村の貴重な観光資源となっているらしい.

毎年6月第1日曜に「キリスト祭」が行なわれ,
「ナニャドラヤ」という歌詞(古代ヘブライ語との説あり)の踊りが披露されるという.
どうせ行くならその時期を選んで青森に飛んだ。

以下新郷村に入る所から掲載


十和田湖から新郷村の入り口は,眉(迷)が平(現地ではマユガタイと発音)という山上の平地(別天地)で,
キクが「エデンの
園だ!」と感動した場所(右写真).
でも今は,ドライブインがあり,車のエンジンの園.
山菜取りの基地になっているらしい.
つられて車を停めれば,十和利(とわり)山の登り口があり,そこに鳥居が建っている.
奥には
社殿はないので,十和利山そのものがご神体のようだ.
ちなみにこのあたりの地名・戸来(へらい)は”ヘブライ”から来ているという。

店に入ると,なんと「キリストもち」なる餅が墨の上に櫛にささっている(左写真).
60年の歴史だというから,戦前からだ.
丸餅で,味噌だれの麦80円,蕎麦90円、キリストにしては安いものだ.


そこから車でどんどん下って,集落となり,大石神ピラミッドへの道を分けると,
まもなくキリストの里公園
駐車場に車を置いて緩い坂を登ると,ここの地主でキリスト塚の墓守の家系である沢口家の墓所がある.
墓石の紋章はダビデの紋章✡️に似ている.

その上の階段を上がると立派な2つの盛り土(土まんじゅう)がある.

ここある2つの盛り土は,昔から埋葬者不明ながら存在を知られていて,
墓所館(ぼしょやかた)と言われていた.

地主である沢口家が代々「殿様の墓を守れ」と言われてきたという.
それをキリストの墓,すなわち「十来塚」(写真奥)と,弟イスキリ(身代わりで十字架に架けられた)と父母(ヨゼフとマリア)の分骨の「十代墓」(写真手前)と断定したのは,
竹内巨麿と酒井勝軍(かつとき)※らであり,翌年,キクが詳しく調査してその話を上の本として世に出した.
※:ピラミッド日本起源説・日ユ同祖説の提唱者。戦前に日本人とユダヤ人が同祖であるというこの説がある程度広まっていたせいもあって、
 日本人はナチスのユダヤ人迫害には同調しなかったと言われている。

ちなみに『キリストは日本で死んでいる』(昭和35年)では,キリストは十和利山に埋葬されていると書かれている.

今では両方の塚に立派な十字架が建てられて,すっかりキリスト教的な雰囲気.
ここは高台にあり,しかも周囲は明るい木々に囲まれているので,とても気持ちが落ち着き、このままずっと居たい気になる.

墓所の奥に沢口家と新郷村の第三セクターによる伝承館がある.
受付の婦人は,沢口家の分家だそうで,祖母の『キリストは日本で死んでいる』を読んでいる最中だった.
そこへ著者の孫が忽然と目の前に現れことになる.

館内には,新郷村の習俗も紹介されており,この地では赤子の額には十字を入れていたという祖母の記述通りの展示があった(写真)

※この伝承が本当にキリストにまつわるものだとすれば、私は”かくれキリシタン”がかかわるのではないかと推測する。
 諸星大二郎の作品「生命の木」のように(「奇談」というタイトルで映画にもなった)。戦国時代の津軽氏はキリシタン大名だったし。


キリスト祭り

伝承館受付の女性から,祭り関係者や村長にも紹介してもらった.
そして急きょ,翌日のキリスト祭りの来賓席に坐るはめとなった.
正装で名札を下げたいかめしい来賓の面々の中に,ポロシャツにVTRカメラを持った私の姿は場違いだが,
まぁ,縁故がある人間の一人(他に墓守の子孫沢口氏も列席)だからいいだろう.

祭りは,けっこう儀式的で,村長挨拶から始まって,地元鎮守の三嶽神社(?)の神官が重々しい祝詞を唱える.
墓前のキリストを神道の神主が祈祷するというおかしな風景
(竹内文献によればおかしくないし、神道の寛容さの現れでもある→関連記事).
※:竹内巨麿の神社に代々伝わる文書で、世間では「竹内文書」、山根家では「竹内文献」。→山根キクの紹介内に解説

次いで村長から始まってお歴々(地銀の支店長やJR東日本の駅長までも)の玉串奉奠.
さらに地元の獅子舞奉納.

そしていよいよ,キリストの墓前でのナニャドラ踊り
とても単調なメロディの繰り返しで,南部地方(岩手〜青森東部)一帯に拡がった踊りの原形である雰囲気.
「ナーニャードヤラー,ナーニャードナァサァレノー ナーニャードヤラー」と歌っており,
土産の湯飲みにもそう書いてあるが,
正確には「ナーニャードヤラヨ,ナーニャードーナァサァレダーデサイ ナーニャードヤラヨ」という.
この意味不明な歌詞は,川守田という神学博士によれば古代ヘブライ語で,
「御前に聖名をほめ讚えん 御前に毛人を掃蕩して 御前に聖名をほめ讚えん」という意味なのだという.

ちなみに南部地方の伝説では,この歌はこの地を訪れた南朝の長慶天皇が作ったともいわれている
(南朝伝説も竹内文献と無関係でない).

こんな短い歌詞の単調な繰り返しだから,どうやって終わるのかといえば,
祭りの進行係の人が太鼓のたたき手に「そろそろ」と伝えると,太鼓が音を抜く,それでちょっと遅れて踊りが終わる.

この後、酒井勝軍が発見したという大石神ピラミッドにも車で立ち寄った(現地に解説板がある)。
道路標識に「キリストの墓」「ピラミッド」とそれぞれ表示されているので迷わないが、ここが日本の気がしなかった。


熱海に泊まり伊豆山に行く

2024年03月19日 | 

職場の大学の卒業式も終わって春休みに入ったので、年度末の慰労に、昨年行った熱海のホテル大野屋に泊まった。

ここは安宿チェーンの伊東園系列ホテルなので、宿代が安く・夕食は食べ放題に飲み放題がつく。
昨今の情勢に応じた値上げをしていないのが嬉しい。

ただいくら安くても、部屋や料理が貧乏臭くて気にくわなければ利用しないが、
この宿を再訪したということは、”気に入った”ことになるのかもしれない。

まず、最安値のシングル部屋(そこしか空きがなかった)は、ベッドの足元の壁面にテレビが掛かっている作りで、
ビジネスホテルの”狭めのシングル”だと思えば我慢できる。
少なくとも、部屋の作りは新しい(特に洗面所・トイレ)ので不快でない。
そもそもここの宿の売りは客室の居住性ではなく、籠っての原稿執筆が目的ではないから、寝れればいい。
そうそう、昨年と違って、今年は客室にWi-Fiがつながっていた。

料理は、昨年の記事にあるように「伊東園の中ではいい方」という評判。
少なくとも、同じ系列で「次回はない」と思った宿のレベルではない。

元々安宿チェーンのバイキングに豪勢さは期待していない。
平凡な料理でも、自分の好みであれば喜んで食べる。
実際、マグロの刺身、えび天とエビフライ、牛の焼き肉、浜松餃子、タケノコの煮物、
五目煮、それに小皿のフェットチーネ(具・ソースは3種類から選択)を堪能した。

嬉しいのは飲み放題で(他の安宿チェーンはここまでやらない)、ワインや日本酒・焼酎などがある中、
バイキングでガツガツ食べ・グイグイ飲むならやはりビールが合う。

そして風呂。
大野屋ならではの売りは巨大なローマ風呂だが、男女入れ替えのため、
4回の入浴のうち寝る前の1回しか入れないのは残念(早起きすればもう1回入れるが)。
いくつかある貸切風呂は、予約なしで空いていたら入れて、そこは唯一源泉掛け流しで、
ここの源泉本来の濃さ(高張性!)を堪能できた
(この濃さを堪能しないとここに泊まる意味がない。同じ熱海でも宿で泉質が異なる)。
この他に、真鶴岬を眺めながら入れる露天風呂もあるが、湯はぬるめで薄い(加水)。
ローマ風呂は露天より濃いが源泉よりは薄い。

以上を堪能して、1万円でお釣りが来る(しかも2ヶ月以内利用で1000円の割引券をくれる)
諸物価高騰の折り、高張性の温泉+飲み放題付きでこの値段は貴重。

客層は、この宿だけでなく熱海全体で、若い学生グループ(男女別)が目立った
(私が学生の頃は、「温泉なんて年寄りの行く所だろ」って思ってた)


さて今回は、チェックアウト後、熱海温泉街の北に隣接する伊豆山を訪れることにした。

熱海は小学校の頃から家族旅行で”通って”きたが、伊豆山にはついぞ足を運ばなかった
(下に記すように石段がきつく家族向きではない)。
歴史に興味があって初めて伊豆山に関心をもつことになった。
そう思っている間に、2021年7月、あの土砂災害(土石流)が発生。→記事

しばらく行くことがためらわれた(実際、現地では興味本位で立ち入らないでほしいという看板がある)。

伊東園の送迎バスで熱海駅に着いて、そのまま路線バスのターミナルに行き伊豆山神社にを通る4番で待つ。

伊豆山は、独立した山ではなく、山の急斜面なのだが、
※:急斜面で土石流が作った地形。本来的には人が住むには向かない。
地面に湧出してる温泉(走り湯)で、歴史的にも熱海より古く、
宗教的にも箱根・三島と並ぶ格の高い神社(元は”権現”で神仏習合)であり、
関八州(伊豆も関東)の総鎮護とされてきた。
熱海温泉は、ここの参詣の湯治場として発展したのだという。

そもそも”伊豆”の名は、ここ伊豆山(寺の山号?)が発祥という。
ということで、伊豆の玄関・熱海に行ったらむしろ最初に訪れるに値する所だ(特に関東人は)。

熱海から乗ったバスは急勾配の細い道を唸りながら登り、
そして道が水平になって山ひだを進むと、あの土石流の現場(再建中)を通過し、
その少し過ぎたひだの峰の所が伊豆山神社のバス停。

ここから170段あまりの参道の石段を登って(この石段の登りがこたえた)、
途中、役小角(えんのおづぬ)の木像(写真)がある堂を見て、
伊豆山神社がある広場に着く。
※:修験道の行場であったことがわかる。
ここから初島・大島、伊東の小室山などが見渡せる。

境内には、源頼朝と北条政子が逢瀬(デート)で座った岩(ちょうど2人がけの椅子状態)があり、ハート型❤️のオブジェもあって今では、修験道ではなく縁結びの霊験の地となっているらしい。

社殿の奥に郷土資料館👍があり、鎌倉時代の精巧な銅製の神像などが展示されている。

社殿のずっと山の上に本宮があるのだが、片道40分の登りなのでそれは諦め(十国峠・岩戸山からの下りに使える)
むしろここから参道の石段を海岸まで降りて(837段!)走り湯に向かう。

走り湯は、海岸近くの洞窟内に湧出している横穴式源泉(写真が入口:入浴はできない)。
でも「走り湯」という名称から、以前はもっと高所に湧出して、急斜面を走るように流れていたのではないかと思ったら、
走り湯の説明でそれが正解だった(今は送湯管で再現しているとのこと)。
そういう神秘的な自然現象こそ、本来の御神体に値する。

石段とは別の道で斜面を上がって娘・大姫の延命祈願として母政子が建立した逢初(あいぞめ)地蔵を見て、(土砂が流れた)逢初橋からバスで熱海に戻る。

かように、熱海の周辺部は頼朝・北条氏にまつわる史跡・伝説が豊富。
温泉で泊まる以外にもこうした訪問先が豊富なのも熱海の強み。

ちなみに、帰宅後、地元スーパーの階段を降りる時、左脚の腸脛靭帯が痛んだ。
837段の下りが響いたか。


コロナ後の安宿チェーンに泊まる

2024年02月09日 | 

コロナ後、宿の宿泊料金が軒並み値上がりし、私が「安宿チェーン」と分類していた湯快リゾートもその例にもれず、
4桁では泊れなくなった(税別ではギリギリ4桁だが、我々が支払うのは例外なく税込み額)。

といっても最低ラインが上がってしまったので、同じく値上がりした他の宿というわけにもいかない。

大学の用事がほとんどなくなった2月の週中、久しぶりにこのチェーンの1つ恵那峡国際ホテルに泊まった(この宿については過去幾度も記事にしている)

部屋は最安値のエコノミー・ツインはもとより泊まる気がせず、かといって以前は2000円足しで泊まれた2部屋続きの豪華な部屋はバカ高くなった。
どうせ4桁では泊まれないので下から2番目のスタンダード・ツインにした(12000円)。

ここの売り(私のお気に入りポイント)はなんと言っても温泉そのもの。
泉質はナトリウム・カリウム塩化物泉と平凡ながら、濃度が抜群に濃い”高張性”で、
これに分類される温泉は日本では少ない(ほとんどが低張性)。
そんな貴重な温泉が”安宿”価格で堪能できるのだ。

この宿のもう一つの売りは、ビュッフェバイキング。
尤も安宿なので、私がよく利用するグリーンプラザ(特に軽井沢)には質・種類とも及ばないが、それなりに努力していて、ガッカリ感はない。

今回は、普通のビュッフェの他に焼肉セット(ガスコンロと鉄板)がついていて、獣肉だけでなく、頭付きの海老やイカもある。
私は好みでシーフードと野菜を主に焼く。
あとは刺身、天ぷら、握り寿司などで、サラダは食べるがご飯類とデザートには手を出さない(たらふく食べながらも摂取カロリーを控えるため)。
トレイを複数載せられるカートが導入されたのは、幼い子連れや足腰の悪い人にとってありがたい。
ついでにレストランの客を仕切っている女性従業員が小気味よくテキパキしていて、
各テーブルに客のスマホでの記念撮影のシャッター押しに廻り、一人客の私の所にも差別なく来た(記念撮影は断ったが)。

あと、無料だったマッサージチェアがグレードアップして有料(300円)になっていた。
私の知っている宿で、マッサージチェアが無料で使える宿はこれで0になった。


東海道新幹線から見る南アルプス

2024年01月27日 | 

東海道新幹線の東京—名古屋間の車窓から見える山々のうち、山に関心のない人にとっては、認定できるのは富士山くらいだろうか。

実は冬の晴天日に二人掛けの窓側の席で車窓から目を凝らして遠方を見ていると、富士に次ぐ日本第二位の高峰である南アルプスの北岳(3193m)、そして今や北アルプスの奥穂高岳と並んで第三位ともいえる(あい)ノ岳(3190m)※も見えるのだ(富士のように存在感はないのでボーっとしていると見えない)。
※:南アルプスは隆起している最中なので、期間をおいた再計測で標高が上がる。


東京から名古屋への下り列車の場合(進行方向右側)、まずは多摩川を渡る鉄橋から、北岳・間ノ岳・農鳥岳(3026m)の"白峰三山"が多摩川上流方向に見える。
多摩川は東京都と神奈川県の境を画す川だが、東京側の六郷土手上からも見えるので、一応「東京から南アルプスが見える」ということになる(尤もこれを発見したのは、明治時代の登山家木暮理太郎なので、都内の山ヤの間では周知の話)。


新幹線が三島から愛鷹山の裾を通過して新富士に向かう間、富士山(3776m)が裾野から全貌を表す。
世界的に有名な日本一の富士が裾野から山頂まで全部見える東海道中最高の見所で、新幹線の車内でも富士が右車窓からよく見えることを日本語と英語で紹介される。

乗客は一様に富士にカメラを向けるが、私は富士からずっと左側に離れて連なる、富士と同じく雪を頂いた白い峰々を見つめる。
それらは南アルプス南部の(ひじり)(3013m)赤石岳(3121m)荒川岳(3083m)・悪沢岳(3141m)で(遠望の微かな姿なので、意識集中した視野では明確に見えるがカメラのレンズ経由だと確認しづらい。なのでアプリ「スーパー地形」の展望地図を右に示す。上記山名は付け直した)、さらに列車が進むと南アルプスの中央部の塩見岳(3052m)が独立峰のような姿を現わし、富士川の鉄橋を渡る手前で、さらに北にある(多摩川鉄橋でも見えた)白峰三山がつかぬまの姿を現わす(特に北岳は一瞬)。
すなわち、新富士—富士川鉄橋の間に南アルプスの3000m峰が、唯一仙丈岳(3033m)を除いて全て拝めるのだ。
私にとっては、富士よりこちらの眺めの方が嬉しい。


静岡駅付近でも、悪沢・赤石の両雄が望める。
ここから先は、前山に隠れてしまうが、愛知県に入って豊橋駅付近では、北の谷奥に白い三角錐の山が見える。
聖岳だ。
新富士以降の静岡県で見る聖岳は、南面のテーブル状の山陵だが、豊橋からの西面の聖岳はヒマラヤのような天に向かって尖った姿になっている。


濃尾平野に入ると下りでの車窓では、白い壁のような中央アルプス(最高峰が木曽駒ヶ岳2956m)と煙を出している木曽御岳(3067m)が主役となるが、
実は上り(名古屋→東京)での同方面の車窓では、名古屋駅から出て程なく天白川を渡る付近の車窓のやや行く手側に赤石と聖が見えることに最近気づいた(右図:やはり聖は尖っている)。
※:名古屋—東京間を30年以上も往復しているのに、最近になってやっと気づいたのは、今までボーっとしていたから。

すなわち、名古屋は、木曽御岳と日本アルプスのうち中央アルプスと南アルプスの2つが見える山岳展望の200万都市だった(さらに鈴鹿山脈・伊吹山・白山も見える)。

ついでに、上りで豊橋駅にさしかかる手前で、上述の聖から右に離れた前山の上に白い山頂が見えた。
これは富士の山頂部だ。
愛知県の平野から富士山の頂が見えるのだ。
結局富士は豊橋—東京の間、断続的に見え続ける。


観光客完全復活

2023年11月21日 | 

旧定宿の近くに木曽路の入口である馬籠(まごめ)宿があり、必ず立ち寄って、旧街道の宿場風情を堪能し(毎回訪れているのに一向に飽きない)、木曽漆器などを買うようにしている(私の食器・カトラリーは木製で揃えている)。

昨日月曜の午後、いつもの馬籠館の無料駐車場に車を止めようと思ったら、満車。
その先の無料駐車場も満車で、仕方なしに馬籠上の休憩所の駐車場に1台分のスペースがあったのでそこに止めた。
そこからは恵那山から伸びる冠雪した稜線が望め、目の前の黄・紅葉と季節の対比をなしている(写真:iPadで撮ったので発色が不自然)。

毎年( GW,夏以外に)数回訪れている馬籠で、平日に駐車場が満車で入れなかったことは、記憶にない。

馬籠内を歩くと、外国人も大勢来ていて、特に西洋人は、木曽街道を歩き通すきちんとした格好をしている。
実際、馬籠の南の荒町から落合宿に向かう石畳を車から見ると、西洋人が幾人も歩いている(団体ではない)。
また中津川から路線バスに乗ってくる。
一方中国人系はバスでの団体旅行で、食べ歩きをしながら土産物店に入ってきて、店員に注意されている。

もちろん、駐車場に止めているのは日本人。
かように、馬籠の賑わいが戻った。

2泊旅から帰る本日、阿木の長楽寺の大銀杏(樹齢1100年)の黄葉を見に立ち寄った(写真:これもIPad)。
中津川に通い慣れた私でも初めて訪れる隠れた名所で、さすがに観光客は私の他2組だった。

さらに恵那市の道の駅おばあちゃん市・山岡(日本一の水車がある)に立ち寄ると、昼時であったためかここも満車で、これも初めて。
平日の火曜なのに。

どうやら、紅葉のシーズンでもあることが混雑に拍車をかけているようだ。
いずれにしても、あちこちで観光客の足が戻ったのは確かだ(この分だと、愛知一の紅葉の名所・香嵐渓も大混雑に戻ったろう)。


私の旅装備

2023年11月20日 | 

毎月泊り旅をしていると、それなりに装備が決まってくる。
長年の試行錯誤を経てほぼ固定したので、それを紹介する

旅行用キャリーバッグ(機内持ち込み用サイズ)。
重くても車輪がついているので、車でない旅行にも移動が楽。
絶対条件として、2輪ではなく4輪(方向転換がスムースで、後ろではなく真横で引ける)、外にポケットがあること。
日頃は使わない旅行専用の小物(フック、懐中電灯や錠剤ケースなど)はそのポケットに入れっぱなし。

肩掛けバッグ
肩掛けの紐がついた大きなバッグには、カメラ、筆記具、家の鍵(バッグ内で別収納)、予備ティッシュ、iPad、行先で得たパンフや買った物などを入れる。
このバッグのポケットには、さらに買い物用の手さげ袋も入れてある。
実際には肩にかけるのではなく、身体バランスのためにたすき掛けにする。
旅先の訪問先では、このバッグを持参する。
日帰りの小旅行は、この肩掛けバッグだけで済ませる。

【服装】ついでに服装では以下が私の定番
メッシュのベスト
これはポケットをたくさん使うためで、財布、車のキー、スマホ、ティッシュなど移動中も使用するものを入れる。
メッシュなのは夏でも着用できるため。
ポケットが上下左右に6つほどあるいわゆる「釣り用ベスト」に違和感ある場合、例えば街中を歩く場合は、よりファッショナブルな2つポケットの目の細かいメッシュベストにしている。
ただしポケットには中の物が落ちないようにチャックか蓋は必要で、その点やはり釣り用がベスト(best)。
もちろん、街中ならポーチやミニバッグでいいが(私の東京での外出はミニバッグ)、泊り旅行の場合は肩掛けバッグも併用するので、ミニバッグ類は邪魔になる。

にもこだわりがある。
旅先では、寺や古民家など、靴を脱いで入る所があるので着脱しやすいよう紐なしが前提。
それでいて未舗装の悪路を歩くこともあるので、底はビブラム
アッパーは皮だと夏暑いので、通気性と防水性を兼ね備えた材質(ゴアテックスなど)がいい。
この条件を満たす靴はかなり限定されるがないことはない。

【バッグ内に入れているもの】
さて、キャリーバッグの中には何が入っているか。
まず、泊まる場合は、旅先での仕事とメールチェック、寝る前の映画鑑賞のためにノートパソコンは必携(もちろん電源一式も)。
嬉しいことに、最近はWi-Fiのない宿がないので、旅先でも仕事の書類を勤務先に提出できる。
ノートパソコンは15インチなので映画鑑賞の画面としても不満がない。
音声は、肩掛け式のスピーカから流している。

旅先の宿では、歯ブラシ・タオル・バスタオル・ひげ剃りは供給されるので、それらは入れない。
必須なのは電源ケーブル延長コード・分配器・USBケーブル・USBアダプタだ。
ここで思い出したが、肩掛けバッグにもUSBケーブル・USBアダプタ、それに充電用バッテリもミニポーチに入れてある。

●着替え
常用している下着(ふんどし)とくるぶし丈のアンクルソックスは、何泊しても1セット分の用意。
これらと今着用している分を合わせて2セットを、毎日、洗面所で洗って交互に使用するから。
洗うタイミングは、チェックイン後の最初の入浴後。
ふんどしとアンクルソックスは、元より乾きやすいので室内干しで翌朝には乾く(部屋にあるタオル干しの余った欄干に干す)。
下着のシャツは、スポーツ用の速乾性のものを着用すれば、2泊程度なら予備は不要(宿にいる間は浴衣で過ごすため、シャツを着ない)。
シャツを予備で持っていく場合、洗濯して干すための折り畳みハンガーも持っている。

宿の室内では裸足ですごしたいが、カーペットが古い場合などは、備えつけのスリッパより、自分用のスリッパがいいが、そもそもスリッパ自体の履き心地が悪く(携帯用のスリッパは尚更)、またかさばる。
なのでネットで買った足半(あしなか)を持参する。
足半は、文字通り長さが半分なのでスリッパよりかさばらないし、足の裏の肌触りがいい(もちろん室外の館内移動には備え付けのスリッパ)。

●充電式ランプ
客室内が暗い場合(私はそれが好きなのだが)、紙の本を読むのに暗すぎる。
そこで充電式のランプとそれを吊り下げる鉄棒のスタンドも装備している(いずれもネットで購入)。
洋室だとベッド頭側のスタンドで間に合う場合もあるが、読書用には高さが合わない場合が多い。
この手のランプは、他のUSB機器の充電用バッテリとしても使えるから便利。
もちろん夜間停電時の室内灯としても心強い(携帯用の懐中電灯は別用途)。

●飲食の補助
私は朝はコーヒーを飲みたいのだが、宿だとお茶しかないし、朝、食堂で飲めても、部屋で飲みたい(休暇村だと食堂のコーヒーをカップに入れて部屋に持っていける)
そこで、ドリップコーヒー数袋と金属製のカップも入れている。
カップはビールや寝酒(焼酎の水割り)にも使う(金属の方が陶器より軽くて割れない)。
アウトドア用の5〜10徳ナイフがあれば、栓抜き、ワインコルク抜き、それに寝酒のつまみに食べる魚肉ソーセージを切るナイフ、さらにはフォーク・スプーンも使える。

最近は、チェックイン後の一番風呂の湯上り用に、ノンアルコールビール(350ml缶)を持参する。
ビールは風呂上りの爽快感を高めてくれるありがたい飲料だが、夕食前の明るいうちからアルコールを飲むのは気が引けるし、もしかしたら運転する必要が発生するかもしれない。
なので、ほとんどビールと思える味に進化したノンアルコールビールがちょうどいいのだが、宿の自販機にはほとんどないので、持参するしかない。
最近の宿は空の冷蔵庫があるので、着いたらまずはそこに入れておく。

●衛生用品
宿でも借りれるが、自前で持っておきたいのが爪切り絆創膏テープ
あと毎晩使っている睡眠中に口を閉じるためのサージカルテープも入れている。
ヒゲ剃りは、宿の備品を1回で捨てずに使い回すので、溜まっている。
でも時に顎の皮膚を切ったりするので(出血した顔で朝食に臨むハメに)、それに懲りて携帯用の電動ひげ剃りを買った(電池式)。
電池はもちろん充電式を使っているので、USB接続の電池充電器(単三・単四併用)も入れている。
あと幸い一度も使ったことはないが、洗浄器付きトイレでなかった場合の備えとして、手動洗浄器のセットも入れている。

●便利な小物
ルームキーをかけておくためのフック。
ルームキーは室内で見える場所に置かないと、探すはめになる。
一番いいのは、ドアにぶら下げておくことだ。
そこで、そのためにフックを揃えた。
ドアが金属用のマグネットのフックと、非金属用の吸盤のフックの二種類だ。
これらは100円ショップで買える。
滞在中は、このフックをドアに付てそこにキーを下げ、チェックアウトする時に外してキャリーバッグの外ポケットに入れる。

●防災用品
旅先の宿で一番怖いのは、就寝中の火災だ。
部屋が階上だとなお怖い。
まずは懐中電灯
客室に備え付けてある宿もあるが、ある宿では電池が切れていたので、持参すべき。
手に持たずに着用できるタイプがいい(私は首に掛けるタイプ)。
乾電池よりも充電式がお勧め(寝る前に充電状態を確認)。

次に緊急脱出用の体重を支えられるロープを20m分。
二重にして使う(強度が2倍)ので、使用時の長さは半分の10mを想定。
10mあれば2階下に降りれる(そのためのロープワークは習得済み)。
体重を支える強度が必要なので、それなりの店(ハンズでOK)で買う※。
あと防煙マスクも一緒にキャリーバッグにしまってある(備付けのタオルを濡らして使ってもよい)。
※:このロープ装備は一番ハードルが高いと思う。ロープがない場合、部屋にあるシーツを全て結べば、同じ用途に使えることは知っておいてほしい(ホテルニュージャパン火災の時、そうやって助かった泊り客がいた)。

これらは、宿でもらう(宿の名の付いた)ビニールのカラー袋に分類して入れておく。

●時々持っていくもの
頭の先から足先まで支えてくれる折りたたみ式のリラックスチェア(なぜか現在では販売していない)が、ハンモックのようにとても心地よいので、旅先でリラックスしたい時にはこれを持っていく。
ただし重さが6kgあり、しかもかさばるので、車に積んでいくことが前提。
といっても、浜名湖グリーンプラザに電車で行く時もこれを担いで(袋がショルダー式)、和洋室の室内だけでなく、浜名湖畔の木陰で使ってとてもいい気分になれた。

茶臼山に行く時は必ずだが、他の旅先では目的に応じて、計測機器を持参することがある。
測るのは、空気中なら、地磁気、静電位、放射線。
温泉なら、電気伝導度(温泉の濃さ)、酸化還元電位(温泉の鮮度)、 pHなど。


リフレッシュ温泉旅

2023年11月19日 | 

土日の連続出勤を終え、その足(車)で、旧定宿の中津川温泉に投宿。
※:もう「旧」を外してもいいのだが、宿のスタッフに顔馴染みがいなくなったので、「定宿」という特別な称号は与えにくい。今回も受付スタッフは外国人になっていた。

中央アルプスの恵那山と中山道の馬籠宿の麓という転地効果抜群の地ながら、名古屋宅から目の前の高速(東名→中央)に入れば1時間で来れる。

明日の月曜は元々出勤する用事がなく(そういう場合、大学教員は無理に出勤しなくていい)、明後日の火曜もこの週に限って会議がないので、2泊のリフレッシュ(気分転換)を堪能できる。

その間、作業は論文原稿の校正だけで、あとは仕事を忘れて気分転換と温泉三昧といきたい(まずは併設のクア施設バーデゾーンの水圧で筋肉をほぐす)。


18きっぷで乗ったJR東海

2023年09月04日 | 

9月10日まで使える青春18きっぷで名古屋に戻った。
JR東日本はとにかく毎日ダイヤが乱れる(とりわけ横須賀線の神奈川県内での踏切トラブルが多い)。

そのあおりで熱海着が数分遅れた。

熱海から先の東海道線はJR東海管轄なので、以前は熱海着のJR東日本の便が遅れても、熱海発のJR東海の列車は冷たく定時に出発したが、今回はなんと待ってくれていた。

変化はそれだけではない。
熱海発沼津行きの便の1車両が、まるで特急列車かグリーン車のような豪華な車両で、二人掛けのふかふかな座席になっていて、窓も大きい(写真)。
二人掛けの座席は、豊橋以西の快速と同じく、手動で背もたれを方向転換する方式なのだが、地元の乗でも慣れていないとみえて、折り返し便の方向転換をせず、後ろ向きの座席のまま座っている。

昨年までは、 静岡県内の普通車両は、盛夏の中、無冷房車のロングシートを配置するというJR東海の静岡県内の冷たい仕打ちを痛感したが、今回はずいぶん待遇が改善しているようだ。

この流れでJR東海と静岡県知事は仲良くしてほしい。


館山旅行:洲崎と富士

2023年08月30日 | 

例年、8月は旅行を控えるのだが(暑いし、高いし、混んでるので)、
8月も押し詰まった30日に南房総(千葉県)の休暇村館山に一泊した。
休暇村はこの数日間”オフピーク”割引なので、「高い・混んでる」が緩和され、
さらに自分の職場の共済の関係の休暇村割引を加えると3000円引となる。

休暇村を使うにしても、夏ならもっと遠出ができるのに、隣県のここを選んだのは、なんか遠くに行くのが面倒だったから。
ただ隣県といっても、房総半島の先端なので、旧国でいえば武蔵から下総と上総を横断しての安房となるから、それなりに遠い。
JR東のジパング倶楽部の会員なので、管内の鉄路で200kmを超えると運賃が3割引となる(館山だと往復で該当)。
というわけで割引づくめの旅ともなった。

宿は東京湾の入り口に面しているものの、湾奥の都市部(千葉〜東京〜横浜)は水平線の向こうで見えず、見えるのは安房の山(天気が良ければ見える富士山が遠望)と水平線なので転地効果抜群の地。

それに南房総には、心残りが2つあった。
1つは、漫画家つげ義春の聖地(代表作「ねじ式」ゆかりの地)である外房の太海(ふとみ)に行っていない。
ただし残念ながら、今回のジパング倶楽部の往復きっぷでは途中下車できないので立ち寄れない。
もう1つは、優先順位の低い趣味である「岬巡り」の中で、房総半島では洲崎(すのさき)行き残している。
房総半島の岬といえば、まずはその北東の付け根にある犬吠埼。→記事
これは房総半島というより本州の東端という重要な岬で、なんと地球が丸いのがわかる。
そして南に突き出た房総半島の南端にあたる野島崎。→記事
さらに、東京湾に細長く突き出た富津岬。→記事
これらは訪れたが、鳥の形の房総半島の嘴の先にあたる洲崎が残っているのだ。
実は洲崎の岬は、嘴の下側中央にある宿から近く、それらを結ぶバスの便がある。

ということで、まずは館山から路線バスに乗り、宿を通り越して、洲崎のさらに南(相模灘)側にある洲崎神社前で降りる。
※:JRバスなのにSuicaに対応しておらず現金のみ(千円札可)。
山側の長い石段の上に社殿が見える。
洲崎神社は安房国一の宮の1つ(もう1つはさらに南にある安房神社)。
盛夏の日差しの中、長い石段を登り切って、拝殿で参拝し文化財の本殿の写真を撮って、急いで石段を降りて、海岸に向かう。
関東大地震(震災)の際に隆起した岩浜には、鳥居が立てられた「御神石」があり、これも御神体といえる(写真。背後の山の中腹に神社)。

これらを急いで巡って丁度バスの時刻になり、それに乗って、本日の宿・休暇村で降りる。

露天風呂の目の前が海で、潮騒を聴きながら温泉に浸かる。
海以外の景色としては、半島北部で安房の国境を画す鋸山(329m)と岩井の双耳峰・富山(とみさん:349m)が目につく。
※:岩井は小学校の時の臨海学校先。大学でのサークルの合宿にも使った。
温泉の泉質はナトリウム塩化物泉で、海水起源といえるがしょっぱくはない。
温泉だから、一泊で4回入る。

夕食はビュッフェバイキングで、海産物や地元千葉の豚肉や野菜など、種類は多くはないが、ちゃんとした料理になっていて、いわゆる安宿チェーン(伊東園、湯快リゾート)のビュッフェよりはレベルが高い。

翌朝、窓のカーテンを開けたら、なんと夏なのに富士がくっきりと海の向こうに見えるではないか(写真)。
季節柄、期待していなかっただけに意外感を伴って嬉しい。
それに考えてみれば、海を隔てて見る富士って珍しい構図(北斎の「神奈川沖」のように海上からの富士は別)
そういえば、東海道線の根府川付近から、目の前に広がる相模湾の向こう側の水平線上に、房総半島の先端部が見えるのだから、館山から相模灘を隔てて富士・箱根が見えておかしくない。

朝食のビュッフェ(やはりちょっと種類が少なめ)を取り、朝風呂に入り、チェックアウトして、再びバスに乗って洲崎の岬に行く。
洲崎の岬と灯台は昨日行った神社とは少々離れていて、戻るバスまでの30分間ではいっぺんに周りきれなかったので、神社と灯台と2回に分けての岬巡りとなった。
洲崎灯台前でバスを降り、オートキャンプ場敷地内の洲崎(房総半島最西端)に行った。
見える海の向こうには、富士から伊豆半島、そして伊豆大島が意外に近く・大きく見える。
実際、ここから大島までの直線距離は熱海からより近い。

展望台もある高台の灯台にも立ち寄り、引き返してきたバスに乗って「渚の駅たてやま」で降りる。
ここには館山市立博物館分館があり、館山の漁業についての展示がある。
数年前に訪れた館山城趾にある本館は里見氏まつわる展示だった。
ここからも、館山湾の奥に富士が見える。
そう、館山からは海越しに真正面に富士が見えるのだ(ここからの富士は富士見の名所の一つに入る)。
冬だったらもっとよく見えるだろう。

帰路は、ゆったり外房線回りにしようかとも思ったが、1時間も余分にかかる上に途中下車できないので往路(内房線)を引き返すことにした。

実は明日9月1日から房総半島フリー切符が発売される。
唯一残った心残りの「太海」は、いつかこのフリー切符を使ってでのんびり行くことにする。


青春18きっぷで帰京

2023年07月29日 | 

前期授業が終り、夏休みまで残すは試験週間だけとなった。
私の授業はレポートとネット経由の筆記試験で教室での筆記試験はしないので、私自身は実質的に夏休みに入ったようなもの。
すなわち、会議等もふくめて出校する必要がなくなり、この後の提出物の採点と成績登録はすべてネットで済ませられる。

ということで、例年通り、「青春18きっぷ」を使ってのんびり鈍行で帰京。
6時間かけて300kmの列車の旅をするので、これだけで夏の旅気分としても満腹になる。

世間(高校まで)はすでに夏休みに入っていることもあり、またコロナ禍も峠を越したので、コロナ前のように東海道線は”18きっぱー”が大勢乗り込んでいる(みんな大きめの荷物を持って同じ便に乗り継ぐ)。
といっても通勤時間帯でないので、のりかえる電車すべて座席を確保できる。

最初に乗換える豊橋では、やってきた浜松からの電車の中で、若い女の子が倒れていた(母親らしき同行者が介護)。

静岡県内の東海道線は、昨年まで平気で”無冷房車”が走っていたが(もちろん車内は30℃超え)、少なくとも私が乗った車両は冷房車だった。

また昨年まで購入して携行していた「小型時刻表」が廃刊となったが、ネットの「乗換案内ジョルダン」画面が18きっぱーの行動にきちんと対応しているので(乗換え駅が、乗換え元の便の終点駅ではなく、乗換え先の便の始発駅で示されるので座席が確保できる)これで足りる。

また6時間以上となる乗車時間は、貴重な読書時間となるのもうれしい(この時間をスマホいじって暇つぶししているのはもったいない)。
しかもこれで片道8000円浮く。


夏至の水辺旅3:帰途・松平郷

2023年06月20日 | 

夏至間近の水辺旅も、最終3日目の浜名湖からの帰途につく。
宿のすぐそばを走っている東名高速を使えば、東名名古屋インター近くの名古屋宅へは1時間少しで着くが、急ぐ用事がないので、ここは三河高原を横断してゆっくり帰りたい。

浜名湖から西北に上がって、東名高速と峠を越えて愛知県に入り、新城市から本宮山麓の坂を登って標高500mの三河高原に達する。
旧・作手(つくで)村の道の駅で休憩して、ビールの空缶で作った風車(400円)を買い、向い側の慈昌院(臨済宗)に行く。
ここも臨済宗ながら弘法大師を祀っている。
由緒を見ると、寺域は奥平氏の石橋城趾で、謀反の戦さによって城を守る衆は全滅したらしい。
土塁が残っていて、土塁の遺体を埋めた跡地に石祠がある。
梵鐘があり、念を入れて撞いていいというので、一回撞いて鐘の音を響かせた。

ここから高原上の国道を快走し、豊田市に入って峠を下ると「松平郷」に出る。
徳川家の元である松平氏の発祥の地だ。
ここは再訪だが、その時は資料館だけ訪れたのだが、国指定の史跡になった今回は丁寧に家康産湯の井戸(写真)のある産八幡宮や、松平氏累代の墓所・高月院にも足を伸ばした。
松平氏の始祖である親氏(ちかうじ)は、上州(群馬)の出の遊行僧なので、群馬にも徳川家発祥地がある。
親氏の妻側がこの地の豪族(在原氏)で、親氏がこの松平の地を名字の地として名乗った。
そして松平から徳川と改姓した家康も、ここの産湯が使われ、また若い時に高月院に植えた木が現存している。
高台にある高月院に親氏の墓があり、本堂に上がれて本尊の阿弥陀如来を間近で拝め、ここでも梵鐘を撞いて、音を松平郷に響かせた。

遊歩道沿いにある立派な造りの親氏の銅像が、遊行僧から武士になる過程の姿を表している(写真)。

郷内には小川が流れて、途中に氷を掻き出した池がある。
この地で小川と池を歩いたので、海・湖に続く”水辺の旅”の続きといえる。

そして、今回最後に立ち寄ったこの地は、渡辺崋山豊田佐吉以上の、日本の歴史上で最高の偉人(と私が認める)徳川家康公にゆかりの地。
ということで、今回の旅は水辺の旅とともに地元愛知に関係する偉人を巡る旅ともなった。


夏至の水辺旅2:伊良湖岬から浜名湖

2023年06月19日 | 

夏至の水辺旅の二日目。

休暇村を10時にチェックアウトして、まずは渥美半島の突端である伊良湖岬の”恋路が浜”海岸に行く。
半島の突端は、海に囲まれた陸という独特の風景。

太平洋に面して、椰子の実が流れ着いたというその浜からは、伊良湖水道を行き来する大型貨物船が途切れる事がない
日本の工業貿易の中心地・名古屋港に向かう船だ。
伊良湖水道の奥には、三重県の神島が聳え(写真)、その奥には古代日本の中心部であった紀伊半島がある。
目の前に島があれば人は渡りたくなる。
そうやって古代日本人は紀伊半島と渥美半島を往来した。

そもそも旧石器時代に当時陸続きであった大陸から日本に人がやってきた。
当時の人口密度からいえば、その地を離れて渡来する必要はなかったはず。
人は仕方なしに移動するのではなく、あえて移動したがるのだ。
川の向こう、山の向こう、海の向こうに行こうとするのは、人どころか移動を旨とする動物の本質的志向性とさえいえる。
なるほど、私が何かと理由をつけてこうして旅をするのもむべなるかな。

ここから太平洋側の海岸沿いに渥美半島の付け根まで進む。

途中、港がある赤羽根の道の駅で、地元産の大型にんにくや青さ粉を買う。

道は内陸に入り、愛知を出て静岡に入ると、白須賀宿という旧東海道の宿場を抜け、本日メインの立ち寄り地・豊田佐吉記念館に着く。

ここは今を時めく世界のトヨタの元である豊田自動織機の発明者・豊田佐吉の生家などがある。
そう、トヨタ発祥の地は、愛知県豊田市ではなく、県境を越えた静岡県湖西市なのだ。
まずは佐吉が発明した自動織機の数々が並ぶ。
佐吉の業績はビデオで説明される。
来館者の芳名録を見ると、トヨタのあちこちの関連会社から団体で来ているのがわかる。
トヨタ全社が創業の精神・原点、そして誇りを忘れない姿勢を示している。

敷地の最奥の山に進み、佐吉も立ったという生家奥の展望台に立って浜名湖を望む。
生家には、発明した織機を触る母と佐吉の木像が当時の一場面を再現している(写真)。

ここから浜名湖の西側を北上し、浜名湖に突き出た半島部にある宇津山城址に向かう。
こういう(駅から離れた)立ち寄り先は、電車旅では行けない。

城跡直下の正太寺(曹洞宗)の駐車場に車を止め、境内の百観音の石仏を拝み、案内板通りに山上の城跡への散策路を進む。
その道は、弘法大師像などが番号に沿って並んで、四国八十八箇所霊場巡りにもなっている。
頂上には大きな大師像と、城跡の説明板がある。
この平らな頂上も城の曲輪の一部だとわかる。
ここから振り返ると、目下の浜名湖が海のように広い(写真)。
さらに踏み跡を進むと、石垣がでてきた。
この城跡は、今川→徳川と持ち主が代わり、武田勝頼の勢力の増減に合せて価値も変わった。

往路を下り、寺に戻ると、丁度本堂を掃除していた住職がいたので、挨拶がてら、曹洞宗なのに弘法大師を祀っている理由を尋ねた。
住職が言うには、八十八箇所の霊場としたのは先代の住職で、弘法大師は宗派を越えて崇敬されているので問題ないという。
確かに、私自身も旦那寺の宗派にこだわらず弘法大師を崇敬している。

ここから湖畔の道路を走って、浜名湖北辺にある本日の宿・グリーンプラザに着く。


夏至の水辺旅1:渥美半島

2023年06月18日 | 

一年でもっとも日が長い夏至(6月22日)と、その直前に訪れる日射最大の日(6月15日)は、日本では幸か不幸か毎年梅雨のさ中なので、それら"陽気"の極日を実感できないが、
※:陰陽循環理論では、夏至は陽気が極まる日であるから、冬至の”一陽来復”に対応して、陰気が復活しはじめる日でもある。

できたら夕日を日の長さを最大限に味わえる水平線で見たいという思いがあって、この時期の旅は海辺にしている。
愛知でそれにふさわしいのは、渥美半島の先端・伊良湖岬

もっとも伊良湖岬だと日の入りは伊勢湾を挟んだ紀伊半島の山の陰となるが、伊勢湾・三河湾・太平洋に囲まれたこの岬は、県内で海を味わうには最高の所。

実は先週夏のボーナスが支給されたので、それを祝した2泊旅も兼ねている。
なので、今晩は伊良湖に泊まって、明日は浜名湖に泊まる。
そう、先月は茶臼山・前回は東濃という山側の旅が続いたので、今回は海と湖を巡る水辺の旅とする。

伊良湖も浜名湖もどちらか一方に行く時は、公共交通機関(船、ローカル線)を使って旅情を楽しむのだが、両方を結ぶ今回は、車を使って、両者の間にある立ち寄り先いきも廻ることにする。

まず、本日の伊良湖行きには、渥美半島の付け根の田原市にある笠山に立ち寄る(写真)。
笠山は、隣接する蔵王山のような観光地ではないが、蒲郡付近を走る新幹線の車窓からも確認できる神奈備型の小山で、渥美半島で行きそびれいた。
麓に駐車場があり、そこから山頂まで一直線の石段。
神奈備型の小山だけに山頂には笠山神社の祠があり、雷神を祀っている。
79mの山頂からは、渥美半島の付け根である蒲郡湾が一望。

ここから、田原市街の田原城趾にある市博物館に行く。
ここは以前も訪れたが、今回も田原藩出身の渡辺崋山が展示の中心。
儒学者から洋学者に転じ、当代一流の画家でもあった(作品が国宝になっている)多彩な崋山は49歳の若さでこの地で自刃した。
さらに、渥美半島中央部にある渥美郷土資料館にも立ち寄る。

これらでわかるのは、渥美半島は旧石器時代から人が住み、平安・鎌倉期には渥美産の焼物が盛んだった(渥美半島は伊勢・奈良と東国とを結ぶ最短路でもある)。
また江戸時代の有名人では、今までは崋山一色だったが、新たな地元の推しとして糟谷磯丸という庶民俳人が挙げられている。
そして明治になって豊川用水が引かれてからは農業が盛んとなり、メロンなどが名産となる豊かな地になった。
それに渥美半島自体が天然の防波堤となって、南海トラフ地震の津波から愛知を守ってくれる。

泊まった宿は休暇村伊良湖で、温泉ではないが炭酸風呂が気に入っている。
ビュッフェバイキングで地元産の食材を堪能した(数年前までは三河湾名物・大アサリが食べ放題だったが、今ではふつうのアサリのみ)。
夕食後(日没前)に屋上に上がって、夕靄にかすむ伊勢湾と、あいにくの雲間から夏至近い夕日を眺めた。