今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

大きなヤマ越え

2018年02月26日 | お仕事

本日、予定通り、勤務先の事務室公認心理師対応の申請書類一式が発送された。

この一年の間この作業を進める委員会の委員長でもあった私は、東京の地で、その報せを受け、胸をなで下ろした。

これで一段落。

もちろん、認可される必要があるので、これで終りではない。

学生でいえば、卒論提出のような段階。

あとは審査側に委ねるだけ。

という事で、勤務先の大学は実質春休みに入ったようなものだし、これからは自分自身の仕事に取り組みたい。

夜はヱビスビールで軽い祝杯。


川越の城館巡り

2018年02月25日 | 城巡り

今年度最大の仕事のヤマである公認心理師資格対応のための申請書類が昨日でほぼ整ったので(東京から勤務先に書類原稿を添付で送信)、今日の日曜は気分転換に久々の武州の城巡りをする。

前回は、源氏の木曽義仲関連(武蔵嵐山)だったこともあり、今回はその同時代の平氏側の河越氏関連にしよう。
平氏といっても坂東の(秩父系)平氏は、多くが頼朝側に与し、この地の領主・河越重頼も娘を頼朝の弟義経に嫁がせた(源氏は坂東武者の棟梁家とみなされていた)。

その河越氏の居館跡(川越市内にある)が国の史跡として公園化されている。

源平・鎌倉の頃の居館の地は、今の川越の市街地、すなわち江戸時代の川越城の城下町からは離れている。
でもせっかく川越に行くのだから、過去の川越訪問では訪れていなかった(改築工事のため)川越城本丸御殿も行きたい。
その間の3kmほどは歩かねばなるまい。

居館跡に最も近い駅は、東武東上線の川越の2つ先の「霞が関」。
ここは便利な快速小川町行きは止まらないので、一つ手前の「川越市」駅で、鈍行の森林公園行きに乗り換える。

霞が関駅に降りたら、歩く前の腹ごしらえに昼食を取ろうと思っていたのだが、居館跡がある側の北口は店らしきものが何もない。
南口に廻ると埼玉ではおなじみの「餃子の満州」があったので、 そこに入り、かた焼そばと餃子を食べる(まぁ日高屋レベル)。
南口からは、東に向って歩行者用のアンダーパスを通ると居館跡までの近道につながる。

居館跡は公園状に整備されて、所々に説明盤が設置してある(写真)。
河越氏は室町初期には没落し、歴史から消え去った。
その後戦国初期、この地は関東管領系の山内上杉氏が、河越(川越)城の扇谷上杉氏を攻めるための陣所になったという。
なので、遺跡は両者が混在している。 
居館跡の外郭には明瞭な土塁も残っており、その上は木々が茂っている。
敷地は平らなので、公園化された続きの広場では家族連れがボール遊びに興じ、地元の人たちが通路として横断していく(夜間は閉鎖される)。
昔から隣接している常楽寺(時宗)には、河越重頼とその娘(京姫)それにその夫の義経の(最近建てられた)供養塔がある(この地には京姫の伝説がある)。

ここから入間川の橋を渡り、川越市街地に向う(小学生の時、地図帳でこの地「入間」を「人間」と読み違え、すごい地名があるものだと感心した)。
道は結構な幹線道路だが、残念ながら路線バスはない。
市街地を画する、そして川越の発展を支えた新河岸川(隅田川の上流)の橋を渡ると、にわかに観光客で賑わいだす。
菓子屋横丁に目をやると、観光客でぎっしり。
実際、川越は観光都市として成功している。 

私は横丁には寄り道をせず、道を直進し、中ノ門の堀跡には立ち寄り、まずは市立博物館に入る。
ここで川越の歴史をざっとおさらいする。
川越城は、あの太田道灌(とその父道真)が造った。
なので道灌関連の展示が充実している。
戦国前期の関東のヒーローである太田道灌は、江戸だけでなく川越の生みの親でもあったわけだ(もちろん河越重頼も忘れてはならない)。
ここにはさきほどの河越館からの出土品(中国の青磁や尾張の瀬戸物)もあった。
市の南、大塚という所に国内最大級の円墳があるのを知った。

こういう博物館では、地元の歴史情報に満ちた冊子を買い求めることにしている。
今回は、「川越の伝説」を購入。

さて、道路の向い側の本丸御殿に入る(靴を脱いで)。
この一帯が川越城の跡地なのだが、残っているのはこの御殿の一部だけ(写真)。
残念ながら、中は狭く、往時の規模をしのぶほどではないが、唯一庭園の眺めが現在を忘れさせてくれる。
向いの三芳野神社も由緒があり、あの不気味な童べ歌「とおりゃんせ」の発祥の地という。  

後は帰途につくだけ(喜多院など他の観光地は訪問済み)。
巡回バスの便が合わないので、駅まで歩く事にした。
川越は観光スポットである旧市街が駅から離れているのが難点。

途中、中央通りの中原町で、お面のミニチュアを買った(前回はおかめとひょっとこで、今回は小面と翁)。
そして前回同様、川越駅の1つ先の「川越市」駅に着く。
ここの方が、中心街に近く、しかも帰りは座れるから(西武新宿線の「本川越」の方が近いが、都心へは遠回り)。 

やっぱりずいぶんと歩いた(12km以上、1万6千歩)。


坂下の3神社のパワーを探る

2018年02月15日 | パワー・スピリチュアル

中津川温泉でのお篭りの2日目。
昼前後は、昼食を摂らない代りに、夜食・みやげの買い出しを兼ねて気分転換に車で外出。
計測機器を車に積んできたので、ついでにパワースポットの計測を試みる。


近場で、パワースポットとされているのは、旧坂下町(今は中津川市に編入)にある出雲福徳神社。
ここは出雲大社の末社で、宝くじなど金運に御利益(ゴリヤク)があるこというとで人気らしい。

町中の高台にあり、細い道を車で上がり、境内に車を止める。
今日は参拝者は他にいない。

ここは3つの神社が隣接している。


まずは地元の鎮守・坂下神社。
その参道脇に、京都伏見から勧進した中山稲荷神社。
その隣りに、出雲福徳神社である。
社務所に人がいて、お札などを販売しているのは、3つめの神社だけ。

さて、”パワースポット鑑定士”を自認する私は、車のトランクから、磁力計と静電位計を取り出し、
上の順番で参拝がてら、計測を開始する。
すなわち、宇宙にあまねく存在する4つの力(パワー)の1つである「電磁気力 」をまずは計測するというもの。
通常の地磁気(直流磁気)とは異なる値が出れば、客観的なパワースポットと認定できる。
だが、いずれも地磁気はノーマルだった(静電位も)。 

車に戻って次に取り出したのは、L字型ダウジングロッド 。
そう、次は左右二本のロッドを平行に持って、ダウジングの反応を見る(反応主は私の潜在意識)。

坂下神社の拝殿の前では、左のロッドが開いたので、そちらを見ると摂社の「天満宮」がある。
その天満宮に行ったが、ロッドは無反応(平行のまま)だった。

次いで、中山稲荷。
そもそもここだけ雰囲気が違う(写真)。
ここの拝殿前ではロッドが見事に左右に開いた。 


最後に、福徳神社。
いつの間にか、長野ナンバーの車が止まっており(中津川に近い南信地域なら松本ナンバー)、中年の男性が熱心に参拝していた。
彼が売り場に移動するのを待って、拝殿前でロッドをかざすが、無反応。
真新しい恵比寿・大黒像の前ではそもそも計測する気になれず、陽根が祀ってある金精社の前も無反応。
そういえば勧進元の出雲大社でも、いい結果がでなかった。
俗世的御利益が期待される所は、参拝者の私欲の念が集合する場になってしまうため、
それらが境内に蔓延しているのだと思う。

というわけで、世間的評価とは異なり、私の結果では、
3つの神社の中でパワーが一番あるのは中山稲荷となった(ただし客観的なパワーは確認されない)。

もちろん、偶然を有意味化した結果の世間的御利益と、私が測定したいパワー(神威)とは根本的に別物だ(だから私がパワーを認定したとしても、それは御利益を保証するものではない)。 


究極のアイテム③:腕時計編

2018年02月12日 | 生活

今の時代、正確な時刻はスマホなどで確認できる。
それなのに腕時計が外せない。
なぜだろう。

正確な時刻をすばやく・手軽に確認したいからだ。
マクルーハンによれば、人間の能力の拡張である"メディア"は人間と一体化(身体化)するのが進化方向だ。
なので腕と一体化(ウエアラブル)した腕時計こそ、人間との関係においてはスマホよりも進化した状態を実現している。

マクルーハン理論によれば、スマートウォッチこそスマホの進化形だし、文字盤のデザイン・情報を選択できるので期待しているが、そのデザインがこれから挙げる条件に達していないので、今は普通の機械式時計から選びたい。

さて腕時計に求められる時刻確認の即時性を充たすには、表示の視認性がポイントとなる。
その点なら、表示はアナログよりデジタルが優れている。
ところが"究極"になるには、デジタルではダメ。
なぜか。
われわれが時刻を知りたいのは、単に"現在"を知りたいだけでなく、あとどれくらいかかるか、あるいはどれくらい経過したかという未来や過去との間隔、まさに"時間"を知りたい場合が多いためだ。
むしろ過去-現在-未来の流れこそ、(ハイデガーのいう)本来的な時間体験であるとすらいえる。
この時間体験者にとっては、時の"間"を空間として表現しているアナログ表示の方が優れていることになる。
ついでにアナログ表示の時計は、方位磁石の代りにもなるので、アウトドア志向の私にとってはもうアナログで決まり。

さら時刻の視認性は、デジタル表示がそうであるように、Iの本数を数えるローマ数字より、一瞬で数が判るアラビア数字が勝る(しかも12の時刻すべてに数字が表記してほしい。たまに4時と5時、7時と8時を見間違えるから)。

視認性の点でコントラストは高いほどいいので文字盤と文字は黒と白
時刻以外の情報として日付はどうしてもほしい(仕事している身では曜日は不要だが、あって邪魔ではない)。
もちろん時計としての精度は高いにこしたことはない。
入試の試験監督をするので、秒まで合っている必要がある。
となると秒針も必要。 

これら表示デザインの条件を基準にすると、幸か不幸か、高級時計はことごとく選択肢から外れる。
ついでにいえば男物の時計はバカみたいに図体のデカイ傾向にあるが、あれは邪魔。
一方、女物の時計は小さ過ぎて視認性が犠牲になっている。
大きさはその中間のユニセックスがいい(時計にジェンダーは不要)。

そこでまず候補として挙げたいのが、カシオのMQ-24。 
売値はなんと千円でおつりが来る。
この製品は数字の書体と背景のオフホワイト(白過ぎない)が実にいい。
この時計で時刻を見ることが快感にすらなる。
こんな底辺的な安物になぜこのような良質のデザインが採用されているのか不思議。
大きさもユニセックスで丁度よく、入試監督をやっていると、受験生(♀)たちにも人気があるのがわかる。
ただし日付・曜日がなく、バンドも壊れやすい(バンドの買い替え料金でこの新品が買えてしまう)。
あと精度が若干劣る(実用範囲内だが)。
なので、持ってはいるが、使用していない。
この時計に日付表示がつけば、究極の一品になるのに…

そういえば、電池交換が面倒だから、交換不要な動力にしてほしい。

なので現実的な選択肢は、シチズンのQ&Qシリーズの品で、こちらは3千円台。
大きさがメンズタイプだが、他の条件は一応充たしている。
ただ厳密に言うと、3の数字が日付表示に取って代わられているため、時刻の数字が12個揃っていない。
文字盤にメーカー名などを表示する悪習が災いしている(メーカー名などは裏面にすべて刻印されているし使用者には情報的価値がない。この悪習から脱しない限り、真にユーザー志向のデザインは実現できない)。
書体は可もなく不可もないので愛着はもてない(特に文字盤上のQ&Qの表示が余分)。
精度は上のカシオより高いのはありがたいが。

というわけで、私にとってこれら究極に近い時計は5千円でおつりがくるのだ。
私にとっては、高額な時計は、まずは上の基本条件を満たしておらず、その金額に見合う付加価値を備えていないから。


究極のアイテム②:靴編

2018年02月10日 | 生活

靴は畢竟、立位姿勢を見せるためではなく、歩くためにある。
となると、究極の靴は屋外での歩行機能で選ぶべき。

実は、私にとって一番履き心地のいい靴は、ビルケンシュトックの靴で、長年この靴ばかりを履いていた(今でも6足持っている)。
だがそのため、幅広靴信仰が強まり、実際には開張足が促進された気がする。
また、履いているだけならいいが、底(アウトソール)が平らで薄く、ヒール部分がないため、長距離歩行には向かず、もちろん全天候型でないので、これ一足あれば足りるという意味での”究極の靴”にはなれない(だから6足も必要)。

では、その意味での究極の靴にはどの機能が必要か。

まずは材質。
幸い、スーツが前提されない仕事なので、革靴を前提としなくてよい。
となると底(ソール)は革ではなく、歩行に向いたゴムで、もちろん悪路でも安心・雪道でも滑らない「ビブラムソール」。
一方、アッパーは、防水性が第一で、しかも通気性も確保したい。
となるとここでも革ではなく(革は好きなのだが機能重視でいくと)「ゴアテックス」。

次は形態。
理想の靴は足をしっかり包み込み、足の動きにシンクロするべき。
余計な隙間ができると靴の動きと足の動きがずれるため、歩行動作がおかしくなり足の構造に悪影響をおよぼし、爪や皮膚を傷つける。
私自身、”余裕のある靴”信仰から脱するのに時間を要したが、
今では足のサイズ通りの靴にし、日本人向けという”幅広”を無視する。

動きのシンクロを実現するには紐付きがいいのだが、日本では着脱頻度が高いので、ここは日常用として着脱の容易さを優先する。
つまり「紐なし」。

以上の3点(ビブラム、ゴアテックス、紐なし)を充たしているのが、メレルの「ウォーキングシューズ カメレオン5ストームモックゴアテックス」。
その名が示す通り、 機能追究のウォーキングシューズである。
歩く目的ではこれが究極の靴(ただし靴が足に順応するまで数ヶ月かかる)。

同じメレルの人気商品「ジャングルモック」は、履きやすく歩きやすいが、底がビブラムでないので滑りやすく、アッパーがゴアッテクスでないので防水性が劣り、夏は蒸れて履けない。
究極の靴が「カメレオン」である限り、私には2万円以上する靴は無縁となる(山靴は除く)。

ただしこの靴、選択肢としては一択だが、100点満点とはいかない。
ゴアテックスといっても底は厚いゴムなので、足底(足裏)の通気性が無い。
この点は放熱できる革底に負けるが、防水性・すべりにくさ・歩きやすさを優先すれば致し方ない。
なのでインソールを通気性の良いものに替えている(さすがに盛夏はこの靴よりサンダルが快適)。
またアッパーが通気性のある布なので冬の防寒性も劣るが、東京や名古屋の冬なら屋外でも足が冷えることはない。
むしろ突然の降雪でも濡れないし滑らない強みが発揮された。

あとアッパーが布なので耐久性はどうしても革に劣る。
しかもオールシーズン・全天候対応なので、年中毎日履けてしまうため、それだけ消耗が烈しくなる(布靴は革靴のようなメインテナンスがしにくい)。
それを避けるには色違いを複数そろえればいいのだが、デザインがいまいち垢抜けてない(ウォーキングシューズなので致し方ない)ので、買い足したいという気持ち(所有する喜び)には達しないのが残念。
デザインが洗練されたバリエーションが出るのを期待したい。 

ただし、近所の小用につっかけるのなら、ビルケンのサンダルでいい。

追記:上のカメレオンの靴は、生産停止となり、店頭から姿を消した。
一番履く頻度が高かったので消耗も早く、2022年の段階でアッパーの一部が破れ、底もすり減り、防水も効かなくなった。
2022年の段階で紐なし・ゴアテックスのアッパー・ビブラム底の3条件が揃っているのは、ノースフェースのエクストラフォームという靴(19000円)のみ。
私はノースフェースはロゴがデカすぎ、しかも遭遇率が高いので極力避けていたが、こればかりは仕方ない。
幸い、ロゴも靴の中敷にあるので(ノースフェースにしては控え目な措置)、宣伝しなくて済む。


言い間違いという本音

2018年02月09日 | 心理学

フロイトが指摘したように、錯誤行為にこそ、抑え込まれていた本心が思わず表現される。

たとえば開会式を「閉会式 」と言い間違えた場合、それは「こんな退屈な開会式、早く終ってほしい」とか「まるで閉会式のような雰囲気」という思いが思わず出てしまったと解釈できる。

そういえば昔、紅白歌合戦のトリとつとめた都はるみに対して「美空…」と 叫んでしまったNHKのアナウンサーがいたが、彼はその時、都はるみは美空ひばりを超えた!と感じたということだった(後日談)。
やはり、心の中の叫びが、つい口に出てしまったわけだ。 

いやー、失言て恐ろしい。


瞑想の2種類:多重過程モデルによる

2018年02月07日 | 心理学

私が向おうとしているサイキック・スピリチュアルな領域は、既存の「二重過程モデル」(システム1とシステム2)では説明できないが、その拡大版である「多重過程モデル」(私の最新論文(2018)では「四重過程モデル」と称しているが、さらにサブシステムが増える予定なので、数を限定しない名称にする)では、説明可能であることがわかってきた。

ただしこの話題は、まだ前学問的なレベルなので学術論文にはできない
そのため、本ブログで、その幾つかを紹介する。
※→論文にしました!「心の多重過程モデル」(2019)
まずはこの領域の基本である「瞑想」から。 

瞑想は、通常の意識状態ではない覚醒状態、すなわちシステム2主導ではない心の状態を実現するものである。
意識(システム2)とその補集合(システム1)しか想定していない従来の心理学(二重過程モデル)に対して、私の「多重過程モデル」ではシステム2の意識に代わる状態を複数示すことができる。
すなわちシステム1(無意識)とシステム3(メタ意識)である。
いいかえれば瞑想を、システム1的瞑想システム3的瞑想とにきちんと区別できるところがミソである(→文末に追加情報)。 

●システム1(潜在意識)志向の瞑想は、変性意識状態(トランス)を目指す。
システム2(意識)の活動水準を低下させて、潜在しているシステム1を解放するためである。
これは自己催眠状態であり、まさに睡眠時の夢見と同じく潜在意識の活動が主体となる。
ただそこでの異様な体験は、夢でのそれと同じく、潜在意識内の幻影(脳内再生)現象にすぎない。
夢がそうであるように、それは自我で制御できない妄想的体験である。
なので、この体験だけで自己超越ができたと思ってはならない。

オウム真理教で信者が懸命(強迫的)にやっていた瞑想はどうやらこのタイプである。
システム1の体験を受け取る(解釈する)システム2がそもそも妄想的思考に陥っていれば、妄想の悪循環に陥る。
このような悲喜劇はオウム真理教だけではない、今後も繰り返されるだろう。

●一方、システム3(メタ意識)志向の瞑想は、マインドフルネス(気づき)を目指す。
システム2が主体であることを降り、システム2(思考)を眺める高次の視点を実現する(もちろん、システム2が無視していたシステム1もシステム0も眺めの対象となる)。
この瞑想では、意識水準が通常以上にクリアになる(ハイパー覚醒)。
すなわちシステム1的瞑想とは逆方向の状態である(この違いが重要)。
ただし思惟されるのではなく観照されるのみである。
システム3はシステム2の妄想的思考から自由になり、八正道の「正見」を実現することにつながる。
それを実現できた者を「覚者」(buddha)という。

以上から、システム1の潜在意識を解放するには、それを受け取るシステム2が正しく作動していることが必要となる。
そのためにはシステム2を客観視できるシステム3の作動がまた必要になる。
言い換えれば、あやふやなシステム2下での安易なシステム1瞑想は危険ですらある。
回り道のようだが、釈尊(ゴータマ)が示したように、システム3瞑想を先に修得した方がよい。

ただし既存の(仏教的、認知行動療法的)「マインドフルネス」は、システム3の実現が目標で、システム1の解放には関心を示さない(気づくだけのシステム3では解放・開発という能動性は示せない)。
それに対して「心」の十全な活性化を目指すわが「多重過程モデル」では、われわれが本来備えている心の能力であるシステム1(潜在意識)の解放・開発も目標のひとつである。 

ということは、システム間の相互作用も考慮する多重過程モデルでは、システム3瞑想とシステム1瞑想は背反的なものではなく、それぞれが目的・役割の異なるともに必要な瞑想で、むしろその使い分けこそが必要なのだ。
その使い分けの原理は、システム3すら対象化するさらに高次のシステム4にある。
ただしシステム4については論文にしておらず、きちんと説明していない(本ブログには言及してある)。
実はシステム4の探究のため、サイキック・スピリチュアルな領域に向っているのだ。

追加: D.クリーガー『セラピューティック・タッチ』(春秋社)に附録されている実験論文によれば、瞑想には従来知られていたα波・θ波主体の瞑想(変性意識状態)があるが、実験の被験者となったクリーガー自身によるセラピューティック・タッチ施術中の脳波は、β速波主体であり、これはセンタリング(意識集中)というもうひとつの瞑想状態によるものであるという。これはシステム3の瞑想(ハイパー覚醒)に相当する。


究極のアイテム①:バッグ編

2018年02月06日 | 生活

長年モノを試行錯誤して使ってきた結果、これぞ究極!といえるモノに達したのが幾つかある。
それをシリーズで紹介したい。
ただし具体的な製品ではなく、モノのジャンル、すなわちアイテムとして紹介する。 

その第一弾はバッグ(鞄)。
物を入れて運ぶアイテムであるバッグ(鞄)の基本形は”手提げ鞄”であるが、これは初歩形であり、進化すべき前提のアイテムだ。
なにより体幹から離れるため、力学(テコの原理)的に筋肉に必要以上の重さを与えて、不合理である。
更に片手が常に使用されるので不便だ。
現代人にとっては、手提げ鞄をもったままでは、スマホはいじれても、本は読みにくい(私はiPadmini)。 

力学的に合理的なのは体幹に密着した背負い型(リュック)。
しかも両手が自由に使える。
その意味ではリュックがすでに究極の一端に達している。
実際、最近の学生はリュックが多い。
ただし残念ながら実用上の欠点がある。
それは歩行中に荷物の出し入れがとてもしにくいこと。
それに後方に出っ張るので混雑した空間では邪魔になる。
なのでリュックであるだけでは究極には達しない。 

歩行中にも出し入れするには、使う手が自由で(≠手提げ)、しかも手の届く範囲にバッグの口がほしい。
これを実現しているのが”肩掛け型”。
肩に掛けるのであればいわゆるショルダーでもいいのだが、その改良型といえるトートバッグの方が出し入れ口が近いし広いし、大きい荷も入る。
実際、トートバッグは最近まで私のお気に入りアイテムの座を占めていた。
だたし片荷になるので重い荷には向かない。
仕事柄、書籍などを入れるのだが、バッグの中が重いと肩が痛いし、 姿勢が不均衡なので見た目も苦しい。

つまり、単独ではどの型も欠点が残る。

そこで欠点を補い合う両用型にすればよい。
そう究極のバッグは、リュックとトートバッグが合体した「トートリュック」。
運ぶだけのときはリュックとして背負い、出し入れをするあるいは混雑した空間ではトートに切り替える。

今まで東京と名古屋の往き来には、ノートパソコンを運んでいた名残でキャリーバッグを使っていた
(キャリーバッグなら、車輪が2個ではなく、方向転換が自由な4個つきを選ぶべし。4個型なら後方に引きずらずに、手元から垂直の位置で運べる)。
重い荷物にはこれが便利。
でもキャリーバッグ自体が重いし、かさばるし、駅構内では通行人と接触しそうになることしばし(他人からすれば通行の邪魔)。

キャリーバッグに次いで、重さを感じないのがリュックだ(だから登山はリュック)。
そこでキャリーバッグをLLビーンの大きめのトートリュックに切り替えた。
駅構内・車内ではトートにし、その他の場面ではリュックにする。
切り替えてまず痛感したのは歩行速度が上がったこと。
キャリーバッグは歩行を遅くするのだ。
リュックとして背負えば荷の重さも気にならない(むしろ階段ではキャリーバッグに圧勝)。
それとトートバッグは雨傘の中に収まるため、防水性というか雨に濡れない度合いはキャリーバッグに勝る。

かくして仕事用も街歩き・買物用もすべてトートリュックに切り替えた。
内ポケット以外にペットボトルや折畳み傘などを入れる外付けのポケットがあるのもいい。
選ぶなら、リュックのベルトはそれなりに頑丈で、しかも使わない時は収納できるタイプがお勧め。
街歩きに使ってたショルダーでは、行き先で買物をしたモノの多くがバッグに入らなかったが、トートリュックの容量なら問題ない(現地の地酒720mlを買ってもリュックにすれば重くない)。
トートの時は出し入れを最優先するため、口を開けたままにし(上に開いているので安全)、リュックの時は出し入れをしないので口を閉じる(純粋なトートバッグは口を閉じれない)。 

とにかく実用面では文句なし。
唯一の欠点は、カジュアル感が強過ぎて高級感がないことくらいか。 

かくも究極のバッグなのに、残念ながら、街の店ではトートリュックの種類は少ない。
2ウェイバッグは多くあるものの、リュックと手提げの組み合わせが多く、次いでトートとショルダーの組み合わせ。
3ウェイバッグも、手提げとショルダーとリュックの組み合わせだったりする。
確かに、リュックは本来的に縦長志向、トートは横長志向であるため、両者は1つのモノとして両立しにくい(間をとって正方形にすればよい)。 

なので形状・素材・機能 すべてを満たす究極のトートリュック(これぞ真の究極)に出会うのは難しいかも。
現在4種類ほど所有しているが、これがお勧め!という商品を挙げられないのが残念。
上で紹介したLLビーンの製品も旅行用の大きさなので、仕事・街歩き向きではない。 

→追加記事:「トートリュックの欠点を補うグッズ


わが家の節分会:恵方巻きは食べない

2018年02月03日 | 歳時

実家で迎えた節分。

3歳の姪は、桃太郎の話が好きで、鬼退治に憧れているので、近所の神社での豆まきに連れて行った。

連れて行こうとすると、鬼がいると思い躊躇していた。

神社の豆まきは、氏子の年男・年女が上からお菓子を放り投げる。

下で構えているのだが、大人までが本気になって取ろうとするので、幼児には近づかせず、母(姪にとっての祖母)と遠くで見守る。
私は、菓子の1つを素手でキャッチ。

幼児には、特別に箱入りビスケットが配られた。

家に帰って、玄関に鰯ならぬ煮干しを飾り(飾り用の鰯が売っていないので)、玄関で再び豆まき。
今度は私が鬼の面をかぶる。

姪にとっては初めての節分行事を楽しんだようだ。

夜に名古屋に帰るので、私は早めの夕食。
母はスーパーで巻き寿司を買おうとしたのだが、割高の恵方巻きしかおいてなく(しかも山積み)、ばからしいので、刺し身を買ってきた。

国民の多くは実はシラケている愚かしい「恵方巻き」狂騒曲 。
食べ物の無駄でしかないので今年の在庫の山を最後にしてほしい。