今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

小倉の旅3:小倉の印象

2006年02月28日 | 
小倉の街を歩いてみた。
九州って独自な文化があるから楽しみ(過去に来訪したのは唐津、博多、熊本、鹿児島、霧島、阿蘇、屋久島)。
昼の外食先を探して目につくのは「うどん」(もちろん都市部ではバーガーや牛丼も普通にある)。
私は九州に行くとどうしても「丸天うどん」を注文する(大昔に幾度も読んだ松本零士のマンガ「男おいどん」の影響也)。
丸天とは丸い天ぷら(本州での「薩摩揚げ」)のこと。
うどん屋では天カス(関東での「たぬき」)は卓上においてあって自由に盛れる。

でかいダイエー系のスーパーにビールを買いに行ったがビールが無い。
発泡酒はふんだんにある。
確かに私も発泡酒や第三のビールの方がのむ回数が多い。
それはただ安いから。でもやはり旨いのはビールでしょ(飲み比べれば一目瞭然だよ)。それならと「酒店」で買おうとしたら、どうも店内の様子がへん。
中では数人の男が立って酒を飲んでいる。
つまり「酒店」とは九州では仕事帰りに一杯ひっける焼酎のスタンドバーの事なのだ。
小売もやっているようだが、缶ビールを買って帰りたい自分が場違いな感じがして入れなかった。
そしてやっと東京資本のコンビニ「セブン・イレブン」で発泡酒に押されて端の方にビールがあるのを発見した(沖縄ならオリオンビールが本土のビールに負けじとばかりに並んでいるのに)。

それからスーバーでは「豚足」が当たり前のように肉売り場に置いてある。
それだけ台湾に近いってことだ。
一方当然だが、中部日本なら普通にある「蜂の子」や「イナゴ」は見当たらなかった。
また「九州納豆」なるものが茨城のおかめ納豆に負けずに置いてあったのも驚き(名古屋にも地元の「糸引き納豆」がある)。

また小倉が焼きうどん発祥の地だと知った。もちろん食べた。
それからチャンポンのバリエーション化も進んでいる。
チャンポンの具と汁のままで麺をうどんにした「和風チャンポン」はうどん屋の人気メニュー。
さらに中華の店でも麺を春雨にした「太平燕」なるもので低カロリー・野菜豊富なヘルシーなものに仕上げている。
実はチャンポン・皿うどんは私の1番好きなメニューであるだけに、チャンポン化の拡大はうれしい。

小倉の人たちは、風貌も熊本や鹿児島のような、いかにも九州!って感じではなく、言葉もこてこての九州弁でまくし立てることもない。
店や訪問先で接した人はおおむね親切で、事務的でそっけないということは全然なく好印象だった。

オリンピックでの君が代

2006年02月24日 | 時事
今までトリノ・オリンピックの中継は、時間帯の関係もあってまったく見なかったけど、それを初めて後悔した。
もちろん女子フィギアの荒川静香選手のこと。
変な感情だが、後悔できてよかった。

ついでに国歌ってこういう場面で聴くと本当に感動的(もともと「君が代」の曲は好きだし、演奏もよかった)。
国を代表して競技する場面こそが、そしてその代表した本人こそが国歌を歌うにふさわしい。
国歌とは万感を込めて歌うべきであって、強制されて歌うものではない。
国内の卒業式では校歌だけでいいと思うよ。

豪雪地帯車窓の旅

2006年02月16日 | 
(この紀行は私のHP「山根一郎の世界」の「旅と山の世界」にもより詳しく写真をつけて載せています。)
4メートルというものすごい積雪をこの目で見たくて……、もとい、気象予報士として、「平成18年豪雪」と名のついた豪雪状況を効率よく視察するために、積雪地帯を縦断する列車の旅を計画した。

●ルート選定
目的地となるのはアメダスでいつも日本最深を記録している新潟県津南町。
ここを折り返し点にして上越線と飯山線を結んで行こう。
群馬県ながら積雪2mをゆうに越えている水上(みなかみ)も、鉄道の駅で積雪最深記録(7m85cm)をもつ長野県の森宮野原駅がある飯山線も通りたいから。
時刻表によれば、どちらを往路にしても出発・到着時間ともに変わらない。
でも「国境の長いトンネルを抜けたら雪国だった」という感動を味わいたいので、往きは上越線(新幹線ではない!)、帰りは飯山線にした。

●宿の選定
宿は最初は津南町に決めかけたが、それより北にある松之山温泉の宿を選んだ。
たしか十日町市松之山町といえば、豪雪の新潟でも、とりわけ雪の多い所のはず(アメダスは設置されていないが)。
すなわち人の住む所では新潟一=日本一=世界一積雪の多い所なのだ。

旅のお伴に持っていく本は、この日のために買っておいた鈴木牧之の「北越雪譜」!(岩波文庫版) 
宿で観るDVD(このためにiBook14インチを持っていく)は新田次郎原作の「八甲田山」(「ホワイトアウト」でもいいんだが)。
車窓だけでなく、活字でも映像でも雪にひたろうってわけ。

●往きの列車
さて15日の10時に家を出発。
からっからの上州路を上越線で北上する。沼田を過ぎ、後閑に来てやっと雪が地面に出てきた。
雪の谷川連峰を望む上牧駅に到れば、さらに雪は深くなり、終点の水上駅は2m近い積雪。でも空は青空で、この点は群馬だ。
ここでガラガラの長岡行きに乗り換える。湯桧曽を過ぎると新清水トンネルに入りっぱなし。
そしてトンネルを出たら、灰色の空に電車の窓の上にまでたっする雪の壁。
さすが水上の積雪を大きく上回る。土樽や越後中里のホームは3m以上の雪の壁にかろうじて残っている。
六日町に着いて、北越急行ほくほく線直江津行きに乗り換える。
こっちは更にガラガラ。2両のワンマン電車で直線のトンネルばかり。
まつだい駅に降り立ち。送迎車を待つ。
駅の脇には真の積雪量を残している雪の山があり、4mの厚さのすごさを実感できる。

●宿
宿はシーズンオフの平日なので客は自分を入れて4組。
それでもいい方で、温泉街の他の宿では客なしの所もある。豪雪地帯の温泉は穴場だ。
翌朝は雨。それだけに寒くはない。
持ってきた厚手のセーターは不要で、綿シャツにパーカーだけですむ。

●帰り
今日は、ほくほく線で十日町で降り、飯山線で長野まで行く。
こちらも2両連結のワンマン。終点(乗り継ぎ駅)の戸狩野沢温泉まで(写真)、2両目は私一人。
豪雪情報で有名な津南、そして森宮野原を通り、乗り換えて、飯山まではずっと3m以上の積雪。飯山からはどんどん積雪が減って、豊野では地肌の方が多くなり。
雪国ではなくなる(先週行った松本は積雪なし)。長野で新幹線に乗って帰ってきた。

最後に、豪雪地帯車窓の旅の印象…雪しか見えなかった。

昔の8ミリ映像を

2006年02月14日 | 身内
2日間、家にこもって、昔の8ミリ映像(ソニーの8ミリビデオでなく、映写機フィルムの8ミリ!)をDVDに再編集した
(といっても数年前に8ミリをVHSに変換してそれをデジタルデータにしていた)。
昔ってそれは昔の自分が幼稚園の頃の映像!(もちろん父が撮影) 
簡単な解説やBGMをつけながら、自分や家族だけでなく、すでに他界した親族の若かりし頃の映像をみて、一人懐かしさにひたった。
もう8ミリフィルム自体は材質が劣化して映写機にかけられない(映写機にかけるだけでフィルム自体がくしゃくしゃに壊れてしまう)。
こうやってデジタル化して残しておくのが一番。

赤羽

2006年02月04日 | 東京周辺
わが実家からさして遠くないのに赤羽(北区一の繁華街)はとんと行かない街だった。
なにしろ一応は山手線の内側に居るので、買い物といえば、池袋・新宿、あるいは秋葉原・銀座になってしまう。
品川の住人が蒲田に行かない(おそらく)ようなもの。
そのような私が赤羽にはまってしまった。

というのも100円ショップの最大手「ダイソー」の最大級の店があるから。
地下から5階まで全てが100円ショップ!
しかもダイソーの品揃えはとてもきめこまかく、絶対お得なものが多い。
度数0.5の老眼鏡(普通の人でもパソコン作業に目にいいらしい)や、1000円してもおかしくない外国語学習のCDとテキスト(イタリア語やインドネシア語もある)などが揃っている(もっとも食品に関しては「ショップ99」に負けるが)。
ここなら電車賃使っても行く価値がある。

駅の反対側には「ユニクロ」もあるし(結局ユニクロから脱せない。
だってコーデュロイのパンツが特価で1000円だもん)、ときたま安く買い出しに行くのにいいようだ。
食事の店もけっこうある。
またちょっと歩けば、薬湯の日帰り湯(温泉ではない)もある。

今日は、まずは高校時代から行きたいと思っていた太田道灌ゆかりの静勝寺(稲付城趾)に行き、ダイソーに向った。
寺でもらったパンフレットによれば、寺にある道潅木像は毎月26日に拝見できるという。なら、つぎは26日だ。

節分の日

2006年02月03日 | 歳時
今日帰京したら、丁度、鎮守「諏方神社」の節分祭が始まる時刻だったので、見に行った。

●諏方神社の節分祭
最初社殿内で神楽の神の姿のような人がおごそかに舞っていて、やがてそれが鬼だとわかり、周囲の人はいっせいに豆を投げる(写真)、という筋書きらしい。
その後神楽殿から、年男?らが袋に入った豆やビニール製のカラーボールなどを投げる。後ろで撮影していた私もいつしか、手を伸ばして本気になって取ろうとする。
でも投げる人が年寄ばかりなので、こっちまで届かない。横のおばさんたちは「こっちへ投げて!」と大騒ぎ。
幸い豆の袋を1つゲットしたこともあり、これ以上強欲な集団心理の中にいたくないので、大騒ぎの神社を後にした。
家に換えれば、丁度宅配便の車が来ていて、不在なのでまさに帰ろうとした所。
運良く私宛の宅配便をゲット。

●節分再考
とタイミングのいい日だったが、それにしても節分って、少々考え直したらいいのではないか。
というのも「鬼は外」の豆まきって、大晦日の追儺(ついな)・鬼遣い(おにやらい)の行事が由来なのだが、陰陽の呪術的で現代人の感覚に合わない(夜実家で私に豆まきの担当を強いられたが実にこっぱずかしかった)。
ヒイラギやイワシの頭を飾るのもバカらしいし、最近では、恵方巻きを食べるという関西地方の百年たらずの風習が、コンビニやスーパーの無節操な宣伝戦略に乗らされた人の間で広まっているらしいが、これはなおさら恥ずかしい。
節分の現代化をするには、上のような呪術的要素は不要。
節分の本質は「冬を送り、春を迎える」のであるから、やはり迎春という「旧正月」の祝いとすべきで、季節感を大切にしたい。東アジアでは日本だけが無視している「旧正月」の復活こそ伝統からみて本筋だと思う(礼法は民間習俗とは違うのだ)。