今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

東日本大震災13年目に思う

2024年03月11日 | 東日本大震災関連

東日本大震災から13年目を迎えた。

13年前の14時46分頃は、私は東京宅の近くのレンタルDVD店内で震度5強を初めて経験した(商品が床に散乱)。

その後数年間は東京での慰霊祭に行ったが、今年は勤務先で会議のため愛知の職場に戻る。
その時刻に研究室で黙祷した。

福島・宮城・岩手の震災遺構に訪れたいと思いながらも実現できずにいる(どうせなら一気に巡りたい)。
なので、せめて、こうして今日くらいは、テレビやラジオと同じく、当地に思いを馳せたい。

震災への思いを新たにすることは、自分たちの防災のためでもある。
「天災は忘れた頃にやってくる」(寺田寅彦)なら、忘れないでおこうじゃないか。

むしろ現実は、復興途中に新たな震災が発生する。
まるで、ゴジラ-1.0だ。

我々は、ひたすら災害からの復興に邁進するしかない。
それは新たな興隆、より安全でより住みよい地にバージョンアップすることだ。


福島原発の処理水騒ぎ

2023年08月24日 | 東日本大震災関連

福島原発の処理水の海洋放出。
それまで安全でないとされていたものを急に安全と態度を180度変えたような政府のご都合主義的対応がそもそもの問題だが、事実問題としての安全性については、 IAEA(国際原子力機関)も承認済みであるから、政治的な意図によるプロパガンダ(中・韓だけでなく日本のマスコミの一部も含む)をきちんと論破してほしい
※:核技術そのものを原理的に反対している人たちは、その存在自体を否定するため、安全性の議論にならない。

少なくとも、福島原発事故、いや広島・長崎の原爆被害を経験した我々日本人は、放射線医学(核物理学ではない)についての基本知識は持っておいてほしい(と福島原発事故の直後から、私はここで散々訴えた)。
※:例えば戦後、広島市出身というだけで結婚を断られたという。この非科学的な般化思考が風評被害をもたらす(中国国内の現状がまさにこれ)。

言い換えれば、世界で最も身近に"放射能"と付き合わされてきた我々日本人くらいは、無条件に「放射能怖い!」という世界共通の素朴な反応レベルからは脱してほしい。

私は毎日、自然放射線のラドン(Rn)ガスを計測していて(例えば本日のわが部屋は20ベクレル/m3、地上に住んでいる人全員がラドンという地中からの放射線(防御できないγ線)をその土地ごとの強さで浴びて生活していることを確認している。→東濃の高放射線帯を走る
※こういう民生用の放射線計測器は日本製がない。福島原発事故当時、私はガイガーカウンタ(米国製)を持っている数少ない民間人だった。ちなみにラドン濃度は、大陸の石造りの家の中が高く、民生用の測定器はその確認のためにある。

さらに、体内の筋肉にあるカリウム40(K40)という放射性物質からα線を内部被曝し続けていることも知っている(筋トレ=内部被曝増強)。
付け加えて、温泉ソムリエの私は放射能泉(ラドン・ラジウム温泉)が好きで、あえて浴びにいくだけでなく、自宅の浴室に購入したオーストリア産のラジウム鉱石5kgを浸している(これらは放射線ホルミシス効果が期待できるため)。

その上、紫外線(広義の放射線に入る)は黒ずくめの完全防御までしないし、アルコールという毒物を(溶液状態で)好んで摂取している。
大量に摂取すると死をもたらす酸素(O2)と(H2O)に至っては、なんと生まれてこのかた切らしたことがない。

安全/危険という二分法(二元論)思考はこの世界を必要以上に単純化するので、この思考で判断すると必ず間違う(しかも認識感度が鈍化するので間違いに気づけない。例えば、"放射能"には過敏に騒ぐのに、防災には手をつけず、ハザードマップすら見ない)。

科学(定量・実証)的な”安全”基準こそを、”安心”という感情の根拠とするのが冷静な人間の態度であってほしい。


12年目の3.11

2023年03月11日 | 東日本大震災関連

東日本大震災から干支が一回りの12年目を迎えた。

この日は勤務先で会議が2本あり、そのあとは用事がないので、年度末慰労の温泉旅第四弾に出た。

14時46分になった時は目的地近くを車で走行中だったため、いつもする黙祷ができなかった。

かくして、この日もすっかり”日常”の中に埋没した感がある。

宿についてテレビをつけると、年に一度の特集をやっている。
当事者でないと、日頃は忘れてしまうのは、致し方ない。
忘却は PTSDを抑制する適応反応だから。
ただ完全に忘れていいものではない。
だからこそ、こうして年に一度は思い出す(思いを馳せる)日を設けるのだ。

それは心の中の記憶を活性化させること。

ある人の魂とは、残された他の人々の心(記憶)の中に在る、というアフリカの言い伝えが好きだ。
その人を思い出すことは、その人の魂を活性化することになる。
それをスピリチュアル(システム4)的に表現すれば、”念のエネルギー”の供給である。

せめて、年に一度はこの震災を思い出し、受け止め直したい。


震災10年目の日に18きっぷで帰京

2021年03月11日 | 東日本大震災関連

本日、18きっぷで帰京。
例年3月11日は、仕事がない日が多く※、昨年も今年も東海道線の旅客(18きっぱー)となっていた。

※2011年3月11日のあの時も、東京宅近くのビデオショップにいた(ビデオが床一面に散乱)。

いや休みなのは私だけでないようで、車内にはがっしりしたスーツケースを引きずる若者の姿が目立った(ただし静岡空港の最寄り駅では降りずに、東京行きの車両に乗っていく)。

言い換えると私も東京に帰るのが精いっぱいで、東北にまで足をのばす余裕がない。

東海道線の片浜−沼津間の車中で迎えた14時46分。
ロングシートの座席に座ったまま手を合わせて1分間黙祷した。

それだけでは足りないので、早川(小田原の1つ手前)で途中下車して、駅から見える高台にある東善院の大きな魚籃観音と、線路沿いの早川観音(真福寺)を参拝し、早川観音では本堂の本尊(聖観音)の前に正座して、犠牲者の冥福を祈った。

なぜ私が、こうするのか。
それは私にとっても最大の心の傷だから。

本当なら、全線開通している常磐線に乗って、福島第1原発近くに行きたいが、コロナ禍もあってなんか行きにくい。
いっそ各地の震災伝承館(いわき、双葉、気仙沼、陸前高田)をぐるっと巡りたい。


震災を忘れたくない理由

2019年03月11日 | 東日本大震災関連

震災8年目の今日、私は明日の仕事のため、
18きっぷで6時間かけて帰名(名古屋に帰ること)の途についた。 
帰宅したら、一昨日岐阜を震源とする地震(名古屋で震度3)があったので、
飾っていた円空彫りの不安定な仏像が倒れていた。 

ここ数年、被災地との接点をまったくもっていない。
仕事が忙しくなり、遠出もままならないし。
これを”風化”というのだろう。
時間の法則だから致し方ない。 
むしろ、被災地の地元では「忘れたい」という人たちもいる。 

それでも、私にとって人生でもっともショックな出来事であったのは確か。
せめて今日3月11日くらいは、勝手ながら、あの日を思い出し、
被害に遭った方々に思いを馳せたい。

東日本大震災を題材にした本はたくさんあるが、
映画(自主映画的なドキュメンタリーではなく、商業ベースに乗った作品)は意外と少ない。
レンタルショップで借りられるのは、 津波被害では『遺体』、原発事故では『太陽の蓋』くらいか(原発事故の被害としては完全なフィクションだが『希望の国』)。
『遺体』は被災地以外の人に観てほしい(被災地の人は辛い過去が再現されてしまう)。 
→関連記事「わすれたい映画」 

東日本の太平洋沖では相変わらず地震が多いが(エネルギーは小さいので内陸への影響はほとんどなし)、
最近は南海トラフ内側(中央構造線の南側)の地震も多くなっているのが不気味だ。

「天災は忘れた頃にやってくる」という寺田寅彦の格言に頼って、
「忘れない」ことで次の天災を防ぎたい。 


震災6年目

2017年03月11日 | 東日本大震災関連

東日本大震災から6年目を迎えた。
このカテゴリーの前回の記事は、「震災5年目」。
私自身、年に一度のイベントとなってしまった。

 今日あたり、常磐線で浜通りの行ける所までいこうかと思っていたのだが、個人的都合で遠出が無理になったので、いつも通り国会図書館に行く。

午後2時46分に、中庭に出て、黙とうをした。
同じ目的の人がもう1名いた。

16時半になったので、国会図書館を後にし、2ブロック先の国立劇場に行く。

政府主催の慰霊祭の会場だ(ほぼ毎年行っている)。

花をもらって祭壇に献花する。
いつも通り、こみあげてくるものがある。

6年たっての復興の遅さに、疑問・不満を禁じ得ない。

ただ、自分も含めて、できることの限界を感じている。 
被災地があまりに広大なのだ。 

そう、自分自身、被災地のほんの一部しか訪れていない。
今年は、久々に訪れてみよう。


震災5年目で思うこと:悲しみをどうするか

2016年03月11日 | 東日本大震災関連

東日本大震災から5年目を迎えた。

正直、5年たてば復興は終わって、”遺構”とされたもの以外は、すべて新しくなっているものと思っていた。

この遅れはなぜなのか。
日本の歴史でみられた”東北地方に対する冷遇”の結果だとは思いたくない。
客観的に見ると、関東大震災の復興も神戸の復興もそれなりに達成できたのは、面積が限定されていたためといえる。
それに対して東日本大震災は、千葉から青森までの広大な面積。
しかも、倒壊した跡地の復興だけでは済まず、津波で洗われた敷地全部の復旧と、新たな防波堤の建設、市街地全体のかさ上げ、住宅地の高台移転も含まれる。

それだけでない。
原発事故による除染は、結局、広大な山林にも及ばないと、住民は生活できない。
そもそも福一敷地内の作業も、もっとスムースに行くものと期待していた。
日本の原子力工学、ハイテク・ロボット技術のレベルって高いものだと思っていた。
最初から事故を想定しない原発技術だったから、お手上げなのか。
アメリカ、ロシア、中国だと住民が使えるガイガーカウンターが市販されていたが、日本製は事故前には存在しなかったくらいだし。

私がこの復興に力を貸せるとしたら、雀の涙の寄付くらいか。

そして、死者の数倍におよぶ人たちが、悲しみを背負ったままでいる。
私が気になるのは、ヘタに臨床心理学などを学ぶと、愛する家族を失って(対象喪失)悲嘆にくれる状態を「不適応」とみなしてしまうこと。
実際、最新のDSM-5(アメリカ精神医学会の診断マニュアル)では、2週間以上続く悲嘆は「うつ」と見なされるようになった。
この診断基準を、震災で家族を失った人に機械的にあてはまめるべきではない。 

自然死によらない異常事態での死別は、一般的基準で判断すべきものではなかろう。 

私にとって救いになるのは、儒教の喪礼だ。
親が死んだら3年は喪に服せという(『礼記』三年問:武田信玄の遺言もこれによる)。
2週間ではない、3年もの間、悲嘆に浸るのが子の礼だという(「喪礼は唯哀を主と為す」(『礼記』問喪)
そして、その後(たとえば5年後であって)も親を思いだしたら哭す(泣く)べきとされる(『儀礼』士喪礼)。
つまり、子の親に対する気持ちは赤子のごとくあれ、というのが儒教の親子観なのだ。

逆に、子が死んだ親に対する喪礼はない。
もとより、親より先に子が死ぬのは、最大の”不孝”であって、親に対する道徳違反である。
もちろん子だって好き好んで死ぬのでないので、仕方ない。
でも親にとってわが子の死は、最大の”不幸”なのだ。
だから親は、礼によらずとも、自然の感情で※、死んだ子を思うといつでも哭す。 

※むしろ、自然の感情(誠=赤心)こそが礼の基本である(論語、荀子、礼記)。

悲しみはいつまでも癒えない。
癒すべきものでないのかもしれない。
ただ、悲しみをどう生きるか、すなわち悲しみに対する態度や行動は変化できる。 
悲しみを背負って、前に進むことはできる。 


福島原発作業員が白血病に

2015年10月20日 | 東日本大震災関連

福島原発事故の健康被害については、まずは(元)住民への影響が気になるところだが、一番心配だったのは、敷地内での作業員の人たちだった。

なにしろ、敷地内はμSvではなく,その千倍のmSvが使われる世界(竜田一人のマンガ『いちえふ』に詳しい)。

そして、このマンガの頃は作業員の線量管理が厳重になったようだが、線量がもっと高かったその前は、線量計をつけなかったり、値をごまかしたりして、その結果、正確な被曝量がわからなくなっていた。
だから、健康被害が出るとすれば、作業員からだと思われた。
とうとうそれが現実になったしまった(詳細は知らないが、厚労省が認定したのだから確かだろう)

作業員の防護装備(全面マスク、タイベック、ゴム手など)は、β線やα線(内部被曝)を防ぐためのもので、空気中の線量で測れるγ線による外部被曝は身体に筒抜けである。
すなわち、mSvがレベルの所に居れば、その量の外部被曝にさらされ続ける。 

だからこそ、厳重な管理が必要なのだが…
本来防げた、いや防ぐべき被害なのに…

※わが愛読書『エビデンスで知る がんと死亡のリスク』(安達洋祐著)(中外医学社)には、核施設従事は白血病のリスク要因としてすでに挙げられていた。

 


震災から4年目

2015年03月11日 | 東日本大震災関連

昨日、東日本大震災関連の記事を久々に書いた。
ブログのカテゴリーをチェックしてみると、その前の記事は昨年の3月11日だった。

つまり、この1年間、関連記事を全く書かなかった。
私の中でも風化しているのだ。
ただ、風化は自然の理であり、致し方ない。
逆に言えば、「記念日」が、年に1度でも思い出させるための手段になっている。

昨晩は、パソコンで映画『遺体』を見た。

この映画は2013年3月のロードショーで観たが、その時より昨晩の方が心に染みた。
1万8千人余の死者がいたということは、その数倍の数万人の遺族の悲しみがあったのだ。

われわれにとって経験できる死は、まずは「他者の死」だ。
この映画は、遺体安置所においてなされる、災害死という突然の他者の死の体験を描いたもの(原作:石井光太)で、このブログで記事にした「死の直視」の観点からも見直した。

このようにせめて年に一度は東日本大震災に思いをはせたい。

3.11の今日は、郵便局に義援金を送りにいった。
復興の遅さにやきもきしているので、今回は赤十字ではなく、県の災害対策本部でもなく、特定の市町村宛に現金書留で送った(振込用紙では不可)。

郵便局に行って、義援金の対象リストのファイルを見せてもらい、その中から(他の災害もリストにある)送りたい先の自治体を選んで、住所などを書留に記入する。
現金書留なので封筒代が1通あたり21円かかる。
かように手間と費用がかかるが、 どうせなら(些少だが)広く薄くよりもピンポイント的に使ってほしい。

他の被災地には申し訳ないが、被害が甚大で財力の乏しい、かつ個人的に訪問した所を東北3県から各1つの自治体を選んだ。

新たな震災関連本も読みたかったので、『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記』(竜田一人)のキンドル版をダウンロードした。
私が一番知りたい人(真に日本を救っているヒーロー)たちの当事者として実態を描いたマンガだ。

そして2時46分、テレビでの慰霊の式典に合わせて、黙祷をした。 


放射能汚染の予測に消極的な理由

2015年03月10日 | 東日本大震災関連

3.11が近づいたので、久々に震災関連の記事を書きたい。

次に原発事故が起きた場合(福1でも起こりうる)、政府(政権党が違っていても)はまたもや住民避難を誤りそうだ。
なぜなら、避難判断にモニタリングポストの実測値だけを使い、SPEEDIなどの数値シミュレーションを採用しないという決定をしているから。

これに対して日本気象学会は、数値モデル予測値を活用すべきと学会誌上で提言している(『天気』2015年2月号)。

日々の天気予報は、アメダスの実測値だけでは無理で(単純な線型予測しかできない)、地形などの複雑なパラメータも使った数値シミュレーションを使って実績をあげている。

福島第1原発事故の時、当時の政府は原発からの”距離”で同心円状に避難措置を講じた。
情報が何も無い場合は、そうするしかない。
だが実は、SPEEDIで風向風速を考慮した拡散シミュレーションが、放射能汚染は同心円状ではなく、北西部に集中することを予測していた(事後になってそれが公表された)。

ところが当時の政府はその結果を公表しないどころか、まったく活用もせず、同心円状の措置を続けた。

その結果、浪江町の海沿いの住民を、もっとも汚染が濃い北西部にあえて避難させ(不必要な被曝をさせ)、
その北西先の飯舘村にも汚染が拡がっているにもかかわらず、30km圏外のため住民をそのままにした。
一方ほとんど汚染がなかった南相馬市の漁港では、津波被害が甚大で、救助を待っている被災者がいるにもかかわらず、距離的に近いがために無理やり住民を避難させたため、救助されない死者を増やした。 

関東への汚染は、放射性プルームが風向や降水によって帯状のエリアを移動した結果だ。
この動きは雨雲の移動予測と同じ技術で可能。
だから大雨警報と同じく、「放射性プルームがあと2時間後に上空に達するから、外出を控えるよう」警告を出せる(出せた)。
4年前の3月15日と21日に関東でも不必要に放射能を浴びたした人たちが大勢いる(健康被害の量ではない)。 

たぶん、政府は放射能汚染の”予測”情報が出ることそのものに怖れを抱いているのだろう。
そりゃ予測だから実測値のように正確無比ではなく、外れることもある。
正しくない情報を出した場合(=空振り)の”責任”をこそ、何をおいても回避したいのか。
へたに情報を出すとパニックになるという誤った「パニック神話」にとらわれているのかもしれない。
情報は正しい対処を導き、情報の隠蔽がパニックあるいは逃げ遅れによる実害を助長するのに…。


集団移転という最善策が最難関

2014年03月11日 | 東日本大震災関連

3年目の3.11。
今回は大学で会議の日に重なったので、2年連続行った東京の九段の慰霊会場に今年は行けない。
なので、名古屋の地から、あえて冷徹な第三者的視点で記す。

福島原発の周辺自治体の復興という以前に住民帰還の問題がそろそろ大詰めになっている。

ただ、若い人を中心に、帰還を諦めている人が増えている。

本当なら、皆で一緒に他の土地へ集団移転するのがいいのかもしれない。

ただ、現代市民社会で”集団移転”という政策は、元の居住地が物理的に居住不可能でない限り、難しい。

江戸時代なら、壊滅的被災地は「死地」とされて、お上の命令で住民は集落単位で集団移住したのだが。

現代では、幾度も津波被害に見舞われた三陸地方でさえ、沿岸から高台に移転させるのに手間取っている。

ましてや福島原発の周辺地域では、まずは自治体そのものが住民の帰還を切望している。

故郷に戻りたいという気持ちがあることは、同じ人間として重々分っているが、
原発周辺の自治体については、自治体レベルの集団移転こそ、すなわち、故郷そのものの移転こそ最善策(というよりそれしかない)であると、ホントはわかっているはず(代替地をどこにするかという難問はその次の問題)。

そもそも除染の着手が遅すぎたわけだが、除染した残土を域外に拡散するのでなく、むしろ集中させて管理すべきであることも、自分の故郷の問題としてでなければ、皆わかっているはず。

復興がなかなか進まないのは、個人、自治体、国の間でのそれぞれの利害、優先順位が異なっている点もある(総予算が足りないわけではないが、配分が問題)。

むしろ、このままではなし崩し的に”故郷”が消えていってしまう。だって故郷(双葉町、大熊町、浪江町の一部)は実際には「死地」だから。

故郷が死地でしかないなら、絶望しかない。希望は、死地以外の所にしかない。

集団移転が無理なら、しばらく故郷はバーチャル化して心の中に閉まって、

実際の故郷の地には、セシウム137の半減期を頼りに数十年以上かけて年配者から戻ってくるようにするしかない。
今年来年のうちにメドなんてありえない。それも本当はわかっているはず。

一方、津波の常襲地帯である三陸の岸辺は、漁業基地としての利用以外は、定住はすべきでない(気仙沼に行ったら、縄文時代の住居跡は高台にあった)。

高台の宅地化という大規模工事が必要。


福島市の今の線量ってどうか

2014年03月07日 | 東日本大震災関連

今年の3.11が近づいてきたせいか、ここ最近は、テレビでも被災地の現状がよく紹介されている。

たとえば、今日のNHK「あさイチ!」で、福島市の線量が0.20μSv/hで、市民はもう気にしなていないという内容(一方、二本松市では気にする母親グループの紹介)だった。

0.2μSv/hという値は、原発事故直後の東京の最高値(私の実測)に等しく、また日本の高放射線帯である東濃(岐阜県多治見市~中津川市)の私の実測値にほぼ等しい。
もちろん、当時の私の判断で東京の値は逃げるには値しなかった。

東濃はもちろん原発事故とは無関係で、地中からのラドンガスが太古の昔よりずっとこの値を出し続けている(いずれ福島市はここより下回る)。
ラドンガスの危険性を高く評価するなら、肺がんの死亡率が高くなるはずなので、東濃住民の「悪性新生物」による自治体単位の最近数年分の死亡率を、岐阜の他地域と比較したが、特に高いという結果ではなかった。
すなわちこの値は健康被害を心配するには及ばない。

ただし、重要な点が等閑視されている。

この値は空気中のγ線であり、地表のβ線(α線も)の存在が無視されているのだ。

東濃と東日本との違いは、このβ線にある。

すなわち、空気中の値は東濃と福島で差がないが、セシウムなどが付着している福島の地面のβ線はずっと高いはず。
β線の汚染分布は非常に複雑で、一軒の家の周囲でも異なり、いわゆるマイクロスポットを形成する。
場所によっては空気中(地上1m)より10倍は高い(地表1cmでの値)。
β線が高い所では、地面に触れた部分は空気中より汚染される。
地面に触れた手が口内に入ると体内でα線による内部被曝の恐れが生じる。

二本松市のグループの人も、γ線の評価だけで、β線・α線に対しての懸念がなかった点が気になる。

逆に言えば、建物も透過して防ぎようがないγ線と違い、透過性が極端に低いβ線・α線被曝は自覚すれば服一枚で防げる(白い防護服はこのために着ている)。
だから、小さい子を裸足で歩かせない、地面を素手でさわらせない、風の強い日は土ぼこりを吸わないようマスクをさせるなど、きちんと”自覚”して対応することが必要なのだ(内部被曝の”恐怖”をいたずらに煽られないように)。

ホントは、自宅周辺・生活圏で地表のβ線を計りまくり、マイクロスポットを確認しておけば、そこ以外では神経質にならないですむ。
γ線しか測れない線量計ではこれができない。

追記:よく考えてみれば、福島県民は放射線と健康について専門家のレクチャーを受けていないはずがない。γ線とβ線の区別がつかないのは在京マスコミだけなんだろう。


北三陸鉄道の枕木に

2013年09月12日 | 東日本大震災関連
9月12日の「あまちゃん」を見ていて、
ふと思い出した。
私は、震災後の2011年10月から始まった「三陸鉄道復興支援」に協力し、
その結果、北リアス線の枕木に私の名前が刻印されたプレートが設置されているのだ
(上写真が証明書の一部)。
もちろん、「あまちゃん」での”北三陸鉄道”である。

「あまちゃん」の中では、私は、震災後の北三陸鉄道を応援していたことになる。
登場シーンはないけど。

福島第一原発を観光地に!?

2013年04月30日 | 東日本大震災関連
荻上チキのポッドキャスト番組「Session-22」の4月29日の放送は
「原発事故から27年。チェルノブイリの現在」というテーマで、
ジャーナリストの津田大介氏を迎えて、チェルノブイリ原発が観光ツアーの対象になっている話だった。
日本では子供たちの甲状腺ガンの悲劇ばかりが伝わっているのだが、
現地ではいたってクールに原発とつきあっているのだという。

当然話は、廃炉まで何十年もかかる福島第一原発もそれは可能かということになる。
この福島第一原発観光地化計画のアイデア元は哲学者の東浩紀氏らしいのだが、
原発事故といつまでも向き合う、廃炉作業を見守り応援するための真摯な目的である。
哲学者だけに、観光=見世物+金儲け=不謹慎、という通俗的反応から自由なわけだ
(通俗思考を論拠にしてしまう心理学者には無理)。
ただし、それが実現するには、国民の冷静な「放射能リテラシー」が必要になる。

私自身、福一には冷静な態度を保っていたつもりだが、観光地化までは思い至らなかった。
チェルノブイリをかかえたウクライナの人びとのように、
冷静に「放射能リテラシー」を高める施策として、なるほどそれも有りかと思った。

原発事故を経験した日本は、当然リテラシーを高める機会を得ているのだが、
「放射能怖い!」という脊髄反射的反応が、意図的にかまだ続いている。

実は、広島・長崎の原爆被害の実態調査も、放射能リテラシーを高める貴重なデータなのだが、
”原爆の悲劇”を訴える以外の視点はタブーとされているためか、国民に知られていない。

その一方で、各地でラドン・ラジウムの放射能泉が愛好されているのだから、
その現実からリテラシーを高めるのもいいかと思う。
私自身、”恐ろしい放射能”が入っている温泉をなぜ喜んで入るの?、体に害はないの?
という素朴な疑問が、ガイガーカウンターを買って計りまくるきっかけだった。

わすれたい映画

2013年03月29日 | 東日本大震災関連

先日、東京の写真美術館で『わすれない ふくしま』という、
福島第一原発事故に関するドキュメンタリー映画を観た。
自分も2011年5月に行った美しい飯舘村が舞台というので、映像に期待していた。
確かに放射能汚染の被害を受けた飯館村民のドキュメンタリーなのだが、
まぁ良くて、民放の通俗番組レベル。
決して、「NHK特集」には達せず、
まして1800円の金を払ってわざわざ観に行くには値しない。
その金を飯舘村に寄付すればよかった。
映画好きの私にこうまで言わせるのは珍しい。

避難先の小学生に「誰が悪いと思う?」という質問や
自殺した男性の幼い子どもに「お父さんいなくてどう思う?」
とかいうバカなテレビリポーターばりのインタビューにまずあきれた。
幸か不幸か、当の子は期待された回答をしなかった。
後者においては、幾度もしつこく聞いたので、
幼いながらも子どもの方が察して「さびしい」という期待された回答をやっと発した
(このあたりは観ていて苦笑する)。
ここだけでも、子どもの心の現実を描こうとはしていないことがわかる。
要するに制作者がハナから「原発なくせ No Nuke」と叫びたいだけの映画。
「こりごり」という”気分”に支配されているだけ。

事故直後ならそれも許容されようが、
丸2年もたった現在では
陳腐な切り口ゆえ情報量ゼロ。
観る者に新たに考えさせる要素がない。

「放射能で体こわした人がいる」事を避難先の子ども(医者ではなく!)に言わせるなど
放射能の素朴な恐怖を扇情的に描くことが、
被災地へのいわれなき風評被害や差別を助長することには無頓着。
その一方で、子どもが山林の落ち葉や土を素手やほとんど素足で触れるシーンは、
α線・β線被曝の懸念があるのに
(防護服を着る理由はこの被曝を避けるためなんだけど)、
平気でカメラを回している。

震災被災者のリアリティを知りたいなら、
津波被害の方だが『石巻市立港小学校避難所』や『遺体』を勧める。
原発被災者なら、フィクションだが『希望の国』が真に迫る。
原発問題を考えさせるなら、『100000年後の安全』を観るべき
(これこそ大人が作るドキュメンタリー)。

福島第一原発は、なぜ同じ被災地域に建つ
福島第二原発や女川原発で免れた事故を起こしたのか、
これを冷静に検証せずに、”こりごり”という気分だけで「原発なくせ」というのは、
国家100年の計で政策を選択したい”大人”の国民にはなんら説得力がない。