今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

百貨店の終焉

2010年01月31日 | 時事
有楽町西武の閉店がニュースになっている。
(愛知では松坂屋岡崎店の閉店がニュース)。
開店当時の話だが、有楽町西武の書籍売り場は、広くないが選書が気に入っていた。
ニュースでは百貨店(デパート)の終焉というニュアンスだが、
もうひとつ、銀座への敗北ともいえる。
そこで気になるのは、ニュースで有楽町西武の場所を「銀座」と称していること。
築地や新富町が銀座でないように、外堀通りの内側のあそこは”有楽町”、せめて”数寄屋橋”であって、
決して銀座ではない。
万世橋を越えたら、たとえ電気屋があっても、もう秋葉ではないようなもの。
街(町)の境界とはかくも明瞭なのだ。

一方、銀座のデパート(≒松屋)は健在。
銀座は、その周辺に構えた東急も西武もつまり電鉄系の新参者を駆逐してしまった
(西武と一心同体の阪急もそのあおりを受けること必至)。
街には歴史と個性があり、そのような街との共存を拒否する店は、
客からも素通りされるわけだ。
秋葉のヨドバシが、新参のくせに、街の主(ぬし)のような存在になれたのは、
街の個性と合っていたため。

日曜のあんかけスパ

2010年01月31日 | 名古屋周辺
週末の多くは、帰省か旅行に出ているので、日曜を名古屋宅ですごすのはめずらしい。
しかも何も用事がない。
まずは蒲団干しにシーツ類の洗濯を目論んでいたが、雨が降りそうな曇天なのであきらめ。
長大な時間を費やした採点も終わり、会議を要する懸案事項もほぼ解決し、2月提出の書類もメドがついた。
なので、家でやる作業もない(あるとすれば掃除)ので、昼前に外食に出る。

私が名古屋で外食するときの第一候補は常に「あんかけスパ」。
せっかく名古屋にいて「あんかけスパ」を食べないのは、
浜松にいて浜松餃子を食べないようなもの。
つまりこの地でしか食べられないもの。
だから私は、名古屋で外食に出る時は、本場イタリアのパスタ店にも、
東京で有名なラーメンの名古屋店にも目もくれず、あんかけスパの店に行く。

もちろん地元名古屋人もこれが大好き。
11時開店のカウンターだけの店に入ると、もう15分後には外に待っている人が出る。
なので、開店時間にあわせて行く必要がある。
ほとんどの客は1.5(倍)を注文する。
私もそうしたいのだが、万年ダイエット中なので、涙をのんで1.0(一人前)でガマン。
1人前は1人前なので客観的には少なくはない。
ただあんかけスパは、トッピングがたっぷりなこともあり、豪快に食べたくなるのだ。
だから同じあんかけスパを出す店でもイタリアン風にお上品な店だと、
量も1人前しかないので、物足りなさが残る。

あんかけスパのレトルトソース(ヨコイのソース)は普通にスーパーで売っているので、
自宅でも作ろうと思えば作れるが、なぜか家で作る気がしない。
700円くらいなので、外食用に丁度いいのだ。

ちなみに栄にヨコイの本店があるし、名駅の地下街にも専門店(あんかけスパはたいていそれ専門)があるので、
名古屋に来た人は、きしめんや味噌煮込みよりもマイナーなこの地元料理をぜひおためしあれ。
二度食べたら好きになると思う(一度目は違和感出まくり)。

iPadは革新的か

2010年01月29日 | 時事
アップルから 新製品iPadが発表された。
実物にはまだ触れていないが、
おそらくApple II,Macintosh,iPod,iPhoneに続く革新的な製品となるかも
(Lisa,Newtonなどの失敗作の歴史もあるが)。

もともとあの形態こそパソコンの進化型としてイメージされていたものだ。
Kindleみたいな単機能ではなく、パソコンそれ自体が本というメディアにもなるというのが、
メタ・メディアとしてのパソコンのあるべき姿だから。
つまり本当はiBookがiPadに進化すべきなのだ
だって、ネーミングからして”iBook”こそ”電子書籍”でしょ。
そもそも、ノーパソの台の面は本来は不要、入力自体が画像面でされるべき。
日本語入力ではqwertyも五十音順も親指シフトも、それから私が好きだったNECのM式も
ハードとしてのキーボードではなく、ソフト的に対応すればいい。

情報はそれを運ぶモノ(メディア)とは本来別物で、
その切り離しを実際に可能にしたのがデジタル技術なわけ
(それ以前は情報とメディアは同一視・混同されていた)。
だからパソコンは本来、あらゆるメディアになりうるメタ・メディアであるべき、
と言ったのは、1960年代に「パーソナル・コンピュータ」のコンセプトを作ったアラン・ケイ。

ケイのパソコン観は革新的すぎて、半世紀近く経た今でも実際の製品が追いついていない。
(一番のネックがユーザーインタフェースだった。
ただ表示画面の技術革新によってやっと追いつきつつある)。

ケイのパソコン観に感銘をうけてそれを実現しようとしたのが、
アップル社を作ったスティーブ・ジョブズ。
ジョブズが革新的でありうるのは、パソコンが進化すべき方向を知っているから。
(MacからiPoneにいたるユーザーインタフェースがその方向を示唆している)。

ちなみに、ケイもジョブズもM.マクルーハンのメディア論がベースとなっている。
そのメディア論は、人類の文明を今でいう認知心理学から説いている微細にして壮大な情報行動論である。

話をiPadに戻すと、
音楽が生楽器やCDから切り離されうるように、テキストも紙から分離されうる。
実際、私が得る毎日のテキスト情報は、
いまや明らかに紙よりパソコン画面からの方が多くなっている
(ニュースはネットで得ているので、新聞購読してない。読み終えた新聞紙は邪魔)。

紙媒体の”一覧性”は確かに利点だが、
人間が一度に”読む”ことのできる文字列の範囲は1行以下だから(”見る”範囲はもっとひろい)、
パソコン画面でも実は読むという情報処理行為としては狭くない。

パソコン画面の利点は、視覚による走査にたよらない検索機能。
複数の書類間を検索できるのは、すごい利点。
それを実感するにようになったのは、
富士通のScansnap(連射的スピードで書類をスキャンして自動的にPDFにするマシン)を買って、
書類をどんどんスキャンして、OCR変換を経由してPDFにしてから。

Scansnapに付属されるAdobe Acrobatの製品版は、
ボリュームやフォルダ単位でPDF書類の単語検索ができるのがすごい。
たぶん、これらによるテキストのデジタル化は文献研究に革新をもたらす。

もちろん、今後テキスト情報が最初からデジタルで流通すれば、
スキャンとOCRの過程は不要になる(OCRの精度に限界があるし)。
なにしろMacのSpotlightはボリューム(ディスク)単位であらゆる種類のファイルの単語検索できるから。

宿のサービス

2010年01月25日 | 
ホテル花更紗で三泊目。
夕食は広間でとるのだが、そこに料理を運んできた女性が
「本来は地鶏鍋なのですが、鳥肉が苦手とお聞きしたので、
牛の鉄板焼きにさせていただいたのですが、よろしいでしょうか」と言ってきた。
思わず目を丸くして驚きの声をあげ、礼を言った。

この宿を利用して長いが、私は彼らの面前で「鳥肉は苦手」と言明した記憶はない。
公表しているといえば、確かに自分のサイトの自己紹介欄に嫌いな食べ物に「鳥肉」を挙げている。
そして、そのサイトではこの宿を自分のお気に入りの宿として紹介していることもあって、
宿の関係者が私のサイトに行き着いて、読んでいることも知っている。
そのサイト内の情報が厨房にまで伝わったのだろう。

この宿は総檜の浴室も恵那山を望むロケーションも気に入っているが、
もうひとつ気に入っているのは、サービスの質の高さである。

質の高さは、量の多さではない。
たとえば和服を着た従業員が出そろって玄関で一列にお辞儀をするような、
これみよがしの”量的”サービスではない。
言ってみれば、提供する側にコストのかかるサービスではない。
コストはかからないがセンス(感性)が求められる。
センスとは個々の客側の視点に立った、通りいっぺん(マニュアル)でない柔軟な配慮。
これで充分なのである。

この宿は中津川市による第三セクターだが、
そこらの民間の旅館・ホテルよりもサービスの質が高い。
もともと中津川は、中山道の中継地として東西の文化交流の地であり、
文化レベルが高かった(藤村の『夜明け前』を読めばわかる)。
その地にふさわしい洗練を感じる宿だ。

ただ見た目の豪華さ・派手さはないので、
一泊して通り過ぎる客にはさほど印象に残らないかもしれないが。

中津川温泉にラドンはあるか

2010年01月24日 | 計測
後期試験も終わったので、締めの慰労として、
定宿である岐阜県東濃の中津川温泉「ホテル花更紗」にいつもより1泊多く3泊した。
ここの湯はナトリウム炭酸水素塩・塩化物泉(美肌の湯)なのだが、
中津川市の多くは苗木花崗岩帯におおわれ、そこから湧く泉は、
花崗岩からの放射線を含んだラドン・ラジウム温泉となる。

前回(昨秋)の利用時は、帯状疱疹の緩和を兼ねて、
付近の日帰りラドン温泉に毎日所を変えて入りに行った。
今回も、同じく中津川のラドン温泉に入るつもりだが、計測オタクと化した私の目的は、
ガイガーカウンターを持参しての放射線量計測(ただし水中は測れず、空気中しか測れない)。

まずは、途中に、苗木城趾の入口にある「ラジウム温泉かすみ荘」に立ち寄る。
ここは民宿なので、玄関でインターホンで要件を告げ、廊下を進んでこじんまりした浴室。
幸い客はほかにいない。
ガイガーカウンターのスイッチを入れ、この機器は水に濡らせないので、片手だけを湯舟から出して入浴。
湯の出口にかざすと最高0.4μSv/hr(マイクロシーベルト毎時)に達した。
ちなみにわが名古屋宅内は0.07μSv/hrなので、その5倍以上
(機器の表示は小数点以下3桁だが、時間変動が大きく測定誤差があるので、
点1桁のみを示す)。

ホテル花更紗にチェックイン。
さっそくここの大浴場に、ガイガーカウンター持参で入る。
といってもここは放射能泉を謳ってはいないので、放射線量は期待しない。
それでも、館内・客室内で0.15-0.2μSv/hrと名古屋宅の倍あるし、浴室内は0.3を越える。
更に露天風呂の外側に配置されている岩(おそらく地元の花崗岩)にかざすと(写真)、最高0.7μSv/hrに達してびっくり。
個別の岩によって値が異なるのは、他の温泉宿で経験済みだが、このような高い値は初めて。
地元の苗木花崗岩なら、この放射線はラドンだろう。

翌日の立ち寄りラドン湯は、坂下町にある「かたらいの里」内の弱放射能泉。
湯舟の縁で0.3μSv/hrだった(あくまで本計測は空気中であって水中ではない)。
なにかもっと高い値を計測したい。
ならば、中津川市営の鉱物博物館に行って、展示されている鉱石を測りまくるとしよう。
苗木地区を走行中も助手席のガイガーカウンターは0.2μSv/hrを越えることもあった。

博物館に入ったが、ガラス越しの石は正確には測れない。
幸い、地元の苗木花崗岩が直(じか)においてあるので、
その上にガイガーカウンターをかざすと、だいたい0.4μSv/hr。
また、ガラス越しだが、展示されていた燐灰ウラン石の前では、0.7μSv/hrに達した。
さすがウラン。

最後に、館前にある大きな苗木花崗岩のペグマタイト(花崗岩の粒が粗いやつ。晶洞という結晶の洞窟ができるのが特徴)
の浅い晶洞にガイガーカウンターを立て掛けたら、
いっきょにガリガリ音が激しくなり、0.9μSv/hrを越えた(残念ながら1.0越えには至らず)。
これ、いままでの計測で最高値!
さすが苗木花崗岩。満足。

実は、ホテル花更紗の露天風呂の岩で0.7μSv/hrを出したのもペグマタイトで浅い晶洞もついていた。
ちなみに博物館に載っていた中津川温泉(つまりホテル花更紗)の成分分析では、
ラドンが58.7(×10のマイナス10乗)キュリーあり(≒0.87μSv/hr)、
ラドン温泉と名乗る最低ラインの30(×10のマイナス10乗)キュリー以上をクリアしており、
泉質として「弱放射能泉」でもあることも示されていた(平成11年調査)。
ホテルがそれを名乗らないのは、その後泉質が変わったためか(ホテル内の成分表は平成19年)。

ナトリウム炭酸水素塩泉として膚つるつるが効能の中津川温泉は、総檜の浴室Aが気に入っているのだが、
もう一つの岩風呂と称する浴室Bはタイルの浴槽なのでありがたみに乏しく、
こちらがメインの日にあたるとハズレ気分だった(その日は併設のスパ施設を積極利用)。
この浴室Bをラドンを放出する苗木花崗岩による真の”岩風呂”にすれば、
本来ある弱放射能泉を強化することになり、2種類の浴室があることの積極的意味がもてるというもの。
ちなみに浴室Bの露天風呂にも0.7μSv/hrを出す岩がある。

ただし真のホルミシス効果(低レベル放射線による総合的生体調整作用)を期待するには、
これの10倍のラドン濃度が必要で、
しかもまじめにホルミシス効果を期待する湯治は温泉療法医の指導のもとですべきである(オーストリアのハイルシュトレーンのように)。
まぁ観光地の温泉としては、若干のラドンがある程度でいいのでは。
私自身、この宿の利用目的は医学的湯治(数週間必要)ではなく、
精神的な気分転換(リラックス&リフレッシュ)だから、2-3泊でいいわけ。

ところで当地の温泉に詳しい読者なら、なぜこの付近で最高濃度の「湯の島ラジウム温泉」(ローソク温泉)を計測しないのか、疑問に思われるだろう。
あそこはちゃんと宿泊して、日帰り客で混雑しない夜間に複数の源泉をじっくり計測したいのだ。

参考資料:中津川市鉱物博物館常設展示解説書(平成11年)

ねぎらいの言葉

2010年01月23日 | 生活
知人にメールを書いてふと戸惑った。
いや、実は前々から戸惑っていた。
ねぎらいの言葉をかけたいのだが、
「お疲れさまでした」「ご苦労さまでした」の2種類以外に思いつかない。

「お疲れ」と「ご苦労」は同義語の和語と漢語の違いにすぎないから、
「お疲れ」は目上用で、「ご苦労」は殿様が使っていたから目下専用
という主張には賛成できない。
後者は漢語を好む武家語であり、武家は支配階層だったから、
頻度的に格下への表現として使われたにすぎない。
(殿様本来のねぎらい表現は「大義であった」)。
ただ、どちらも「疲れ」「苦労」という否定的表現が気に入らない。
だから、どちらも使いたくない。

「ありがとう」という礼辞も可能だが、伝えたいのは自分が受けた恩恵ではなく、
相手の行為に対するねぎらいなので、ちょっと違う。

「お手数をおかけしました」は、否定的表現がない分好ましいが、
ビジネスライクで儀礼的すぎて、気持ちが表現されていない。

ずっと目下なら「よくがんばったね」とかでもいいが(気持ちはこれに近い)、
上から目線なので大人相手には使えない。

ねぎらいの気持ちと合ってしかも否定的ニュアンスのない表現はないものか。

口内乾燥を防ぐ

2010年01月19日 | 健康
冬の朝は、口の中がカサカサに乾いてしまう。
なぜなら、 REM睡眠で口が開いてしまい、そこに極度に乾燥した空気を吸い込み続けるからだ。
筋肉が弛緩するREM睡眠は明け方ほど長くなるので、明け方に口が開くのは防ぐことができない。
乾燥した口からは、菌やウイルスが入り込みやすい。
第一、口腔内の乾燥はとても不快。
目が覚めると、かろうじて湿り気が残っている舌で口の中を湿らす。

私が考えた対策は、マスクを口にして寝ること。
鼻はあけておくので、小さめの古典的なガーゼマスクがいい。
高い加湿器を買う必要なく、2枚で105円ですむ。
このマスクを下顎側につけて、鼻は通りのいいように点鼻薬をつけて寝た。

翌朝、みごとに口は湿り続けていた。

小牧に一泊

2010年01月12日 | 名古屋周辺
正月明けの連休に名古屋宅にこもりっ放しというのもつまらないので、
名古屋の北隣の小牧市にある「キャッスルイン小牧」に泊まりにいった。

ここは年1回は利用しているビジネスホテル。
もちろん私はビジネス用途ではない。
温泉用途。
ここはビジネスホテルのくせに、天然温泉なのだ。

大浴場や人工温泉つきのビジネスホテルは数あれど、
天然温泉つきはめずらしい(名古屋市内にもあるが)。

あとここを気に入っている点は、
夕食に同じビルの居酒屋を使え、しかも中ジョッキ付きだから。
日頃居酒屋に行く機会(相手)のなくなった、居酒屋好きの私にとっては、
久しぶりに居酒屋料理を味わえる貴重な機会。

ビジネスホテルだから、LANも使えるし、ベッドはセミダブルで広いのもいい。
しかし一番の利点は、安さと近さ。



正月太り解消へ

2010年01月09日 | 生活
正月三が日は、昼間から酒をのみ、おせち食べ放題を続けるだけでなく、
湖池屋の「のり塩」のビッグサイズを寝る前に食べる、食欲開放状態にするので、
あらかじめ年末に、体重を71kg(通常の-1kg)に落としておいた。

そして松の内が開ける、というより「人日(じんじつ)の節句」の1月7日、
名古屋に戻って体重計にのったら74kgをゆうに越えていた。
つまり正月太りは3kg以上。

8日の初出勤では、昼食抜きを敢行し、会議を続けて夕方帰宅。
体重計に乗ったら、73kgちょい。
本日9日の帰宅後は72.5kg。

昼食抜きを続ければ、すぐにもとの体重(72kg)に戻せるな。

鷲宮神社

2010年01月07日 | 東京周辺
今晩から名古屋に戻り、しばらく関東とはおさらばになるので、
いまひとつどこかにお参りに行きたい。
すでに川越に行ったので、同じ埼玉方面を物色した結果、
関東で最古という鷲宮町の”鷲宮(わしのみや)神社”に決めた。

ちなみに鷲宮神社は、一部の萌え系オタクにとっては、
「らき☆すた」とかいうマンガ・アニメの”聖地”(作品に登場する土地)
として人気があるらしいが、
オタクでない私は、もちろんそちらの関心で行くのではない、つもり…。

東武線を乗り継いで「鷲宮」駅に降りる。
駅構内も駅前も地名・駅名の元となっている神社の案内などもなく、
さっぱりしていて、華々しく出迎える雰囲気はない(やや拍子抜け)。
でも神社の森が見えるので、それを目指して静かな住宅地の中を進む。

神社入り口の鳥居の前、木造の店のある通りに出ると(上写真)、
どうも見覚えのあるなつかしい風景なため、
思わず肩を前後に振り・膝を伸ばして気取って歩きたくなったが、
参拝にきた自家用車が列をなし、誘導係のおじさんも張り切っているので、
そのまま普通の歩みで鳥居をくぐる。

まずは手水で手と口を清め、ついで本殿に参拝。
縁起物の売り場で「冨久福さま」という恵比寿顔の願掛けの小面を記念に買った。

たくさんの絵馬が掛けてあるところに行くと、
「らき☆すた」のキャラを描いた絵馬が並び、それぞれ願い事を書いてある。
今年の元日に”100拝目”を達成したという一部で有名な”も”氏の絵馬もある。
描かれているキャラを見ると、
ここ鷲宮神社の宮司の娘という設定の「柊かがみ・つかさ」の双子姉妹が最も多いが(写真)、

勉強関係の合格祈願だったら、
ドジっ娘ながら成績優秀な「高良みゆき」を描いた方がいいと思う。

昼時なので、参道の屋台で何か買おうかと思ったが、
せっかくなので当地の名物を味わいたい。

蕎麦などを出している鳥居前の店に入ると、
店の人が私の姿を見て「住民票ですか?」と聞いてくる。
なんとなく「ハイ」と答えると、
舞衣装のかがみとつかさのイラスト入りクリアファイルである鷲宮町の”住民票”を出してきた。
実は鷲宮町は今年3月に久喜市に合併され、町がなくなるので、
”鷲宮町”の住民票は記念品となるのだ。
そういうわけで、300円払ってクリアファイルを受け取る。

私の後から店に入ってきた年配者に対しては、
店の人は「お食事ですか?」と聞いてきた。
どうやら私は他人には萌え系オタクに見えるらしい。
まぁ、クリアファイルは仕事でも書類を入れるのによく使うから、
いくつあってもいい。
さっそく店の前に置いてある埼玉新聞・鷲宮特別版
(泉こなたの声役・平野綾のインタビュー記事)をファイルに入れた。

さらに通りを進み、駅方面に右折する十字路を越え、
閑散としかかっている商店街を進む。
すると「らき☆すた神輿」があった。
これは、鷲宮神社の2009年9月の祭りに、地元の人がかつぐ神輿とは別に、
全国から集まる「らき☆すた」ファンが担いだオタク専用の神輿なのだ。
あまりの人気・盛り上がりに、今年も使うらしい。
この神輿の前には賽銭箱も置いてある。

さらに進むと、店頭で弁当を売っている魚屋があり、
その先にある学校用制服店には、
「らき☆すた」のコスプレともいえるセーラー服が飾ってある。
写真はご自由にという貼紙があったので、せっかくだから写真を撮る(写真)。


魚屋に戻り、弁当を買うことにする。
なにしろこれこそ当地オリジナルだから。
弁当は二種類あり、柊つかさ(妹)の「きちんとしている弁当」(600円:写真左)と
柊かがみ(姉)の「とっても質素なお弁当」(500円:写真右)。

ツンデレキャラに弱い私としては、一瞬、”かがみん”のを食べたいと思ったが、
やはり食べるなら、料理が苦手なかがみんではなく、
料理大好き典型的女の子キャラのつかさの弁当だろう。

もっとも、リッチで舌が肥えた私としては、
卵にウナギを挟んだ高良家の豪華な弁当も食べてみたいのだが、
それは置いていない。
魚屋だから素材的に出せないこともないはずだが、
形に残らない物には出費をしないオタクたちには
許容範囲外の価格になるのだろう。
それなら彼ら用に、泉こなた好みのチョココロネでも置いておくといいかも
(どう食べるかは自由)。

買い物をしたら、「らっきー☆すたんぷらりー」というスタンプ用紙もくれたので、
これもクリアファイルにしまう。

つかさ弁当はちゃんとした弁当なので、どこか暖かい場所で座って食べたい。
電車で一駅先の乗換駅久喜のホームの待合室で弁当を開けた。
キャラ絵の描いてある包み紙と箸袋は、折らずにクリアファイルに入れた。
クリアファイルを買ってよかった。

弁当はおかず部分とご飯が別の器になった二段式で、
ミニハンバーグ3つ・卵焼き3切れ・そら豆とタマネギのベーコンソテー・
アスパラとニンジンのふり塩などおかずもたっぷりあり、
日頃おかず食いの私でもご飯だけ余るということがなかった。
さすがつかさだ。

満腹となり、いろいろグッズも手に入り、写真も撮ったので、心も満足。
あれ、今日の目的は何だったっけ。

仕事はじめ

2010年01月05日 | お仕事
今日は、自分も仕事始め。
中央図書館に行って、8日締切の論文のゲラチェックと同日締切の原稿を仕上げた。
仕事終わり。

この図書館の4階はイヤホンをつけて作業していいので、
いつも持ち歩いているaudio-technicaのノイズキャンセリングイヤホン(インナーイヤー型)をつけて作業しようとしたら、
片耳側しか聞えない。
昨日の川越では問題なかったのに。

帰宅してネットで製品コメントを見たら、
買って1年で片耳しか聞えなくなるというコメントが複数。
さっそく私もその旨をコメントした。
コンパクトさと性能が気に入って、
ほぼ毎日外出時に使っていたので、
寿命1年というのは短すぎるわけではないが…。

※後日談
同じイヤホンをまたネットで購入した。
なにしろ6700円代の安さだから。
Boseの4万円以上したノイズキャンセリング・ヘッドホンももっているが、
それに較べれば消耗品扱いできる。
ただし今度は、コードの弱い部分に最初からテープで補強した。

川越に初詣

2010年01月04日 | 東京周辺
近所の氏神以外の初詣として、今年は埼玉県川越市の喜多院に行った。
ここは人間味のある五百羅漢の石像が有名で、それを見たい。

喜多院の本堂は参拝者の行列がやたら長いので、
羅漢さんの所に直行(拝観料200円)。
石の羅漢像は摩耗がすすんでいるが、
目黒のきまじめな羅漢さんとかなりちがって、
居眠りしたり(写真)、おしゃべりしたり、リラックスした姿がおもしろい。

入口近くの売店には、仏像やお面やら売っていて、
仏像は持っているものばかりなので、「お多福」の小さいお面を買った(店の女の子には「おかめ」と言っても通じなかった)。

成田山別院正面の歴史博物館に立ち寄り、
江戸時代の捕縛具や戦国時代の鎧兜を見て、
次の目的地である本丸御殿は23年まで改装工事中なので見れず。
あと川越城の堀も復元工事中だった。
市役所前には太田道灌像がある。
そう、ここ川越は太田道灌ゆかりの地でもある。

時の鐘付近の蔵造りの通りは電線・電柱もなく、
川越観光の中心地としての顔を担っている。
ここの商店街で「大笑い」と「ひょっとこ」の小さい面を買った
(紙細工の面が川越みやげらしい)。
本丸御殿の改修やお堀の復元なども進めて、
小江戸川越は(埼玉の数少ない)観光地として発展していく意気込みを感じた。

安全な餅の食べ方

2010年01月03日 | 防災・安全

正月になると、餅を喉に詰らせて死亡するニュースが流れるが
今年も例外でなかった。
めでたい団欒の場面が一転して地獄絵図になるとは…。

餅が喉につまるのは、歳とって嚥下能力が落ちたせい、という以前に、
”食べ方”がまず問題。

テーブルマナーには、食べる作法というのがきちんとある。
しかも餅に限定しない一般則が。

大口を開けて、食べ物をつっこまない。
一口分に分けて食べる。

中世ヨーロッパの作法でも、大口を開けて、口いっぱい食べ物を頬ばるのは、
動物的でみっともないとされていた。

食べ物をかっ込むという行為は、文化を超えて下品とされているのだ。

餅なら、歯で一口分(弱)に切断し、それを呑込むまでは、次を口に入れない。
少量ずつ、落ち着いて食べる。
少量ずつ食べていれば、口にしたものが異常な場合でもすぐに吐き出せる。
作法通り食べていれば、品性だけでなく安全も確保できる。
というより、作法の第一義は安全の確保なのだ。
考え抜かれた作法とは、多重の価値をもっているのだ。

一口分に自然に切断する食べ方


正月の読書

2010年01月02日 | 作品・作家評

正月休みはテレビなぞ見ないで歴史本を読むことにしている。
昨年は幕末(勝海舟)だったので、今年は関東戦国史の太田道灌。

黒田基樹氏の『図説太田道灌』(戎光洋出版 1800円)は、
江戸城の創設者太田道灌についての最新の研究成果と、
関連史跡・史料の写真や図版、子孫が語る太田道灌、
そして史料的価値のある「太田道灌状」の翻刻原文と現代語訳がついている。
太田道灌関連の書はほかにいくつも出ているが、この書は基本文献となろう
(読むのに時間はかからない)。

道潅の有能さは充分承知しているが、むしろ読んでいて気になったのは、
道潅の主人筋の関東管領上杉氏と対立した古河公方・足利成氏(しげうじ)の強さ。

関東公方であることを将軍家から否定された成氏より、
室町将軍とつながっている関東管領側の方が
権力的にも名分的にも有利かと思いきや、
だいたいの戦いで成氏側が勝ってしまう。
なんでだろう。

兵器や軍略に明確な差はなかったはずだから(道潅の軍略は別)、差があるのは兵の数と志気だろう。
つまり、在地の武士団・領主たちにとっては、遠い京の権力の代弁者(上杉)より、
自分たちの棟梁(鎌倉府)をかつぎたかったわけだ。

これは平将門以来の、京権力に対して自立志向の強い坂東武者の伝統。
上杉氏の家宰筋・長尾景春の乱が広範囲に拡がったのも、在地の長尾氏への支持が強かったから。

だから同じ長尾でも越後の長尾景虎(上杉謙信)が、
圧倒的な強さと関東管領の威を将軍家から借りて、関東に君臨しようとしても、
関東の武士は面従腹背だったわけだ。

関東制覇に4代を要した後北条氏も、関東の主権を正当化するには、
西国から来た伊勢氏のままではだめで、
鎌倉執権北条氏の後裔を名乗ることが効果的だと判断したわけだ。


わが家の元日風景

2010年01月01日 | 歳時
実家では弟一家4人もまじえて正月の祝いをする。
母の手作り料理が混じる”お節料理”の大皿が用意されると(写真:重箱でなく大皿の方が見映えがする)、
烏帽子に直垂(ひたたれ)姿の私が現れ、朱塗りの三つ盃と銚子(提子)を卓上に置き、
リモコンで背後のオーディオのスイッチを入れて
雅楽「越天楽」が流れる中、”屠蘇の儀”を列席者全員に”式三献”(三三九度)にて執り行う。
今年は、金箔入りの酒を用いたので、盃に金箔が現れれば大吉とした(けっこう盛り上がる)。

厳粛なる屠蘇の儀を終えれば、六歳になったばかりの甥っ子柊ちゃんが薬玉を割って「おめでとう」と挨拶。
私も烏帽子をはずし、料理に舌鼓。
丁度音楽は、箏曲「春の海」にかわる。
二歳の姪っ子のんちゃんは、前々から「お姫さま体質」だと言われていたのだが、
箏曲が流れるとニコッと笑って琴の音に合せて体を動かす。
どうやら筋金入りのお姫さまかもしれない。

二人の幼な子に”お年玉”を渡し、大人たちは酒を飲む。
音楽が陽気な江戸囃子になった頃、”獅子舞”の人形(口がパクパク開くやつ)を取りだし、幼子たちの頭部をパクパクする。

食の最後は”雑煮”で締めて、宴を終了。
私と睡眠中の姪以外の者は、
氏神の諏方神社に”初詣”に出かける(私は午前中に済ませたから子守役)。
帰ってきたら、年末に買っておいた”福笑い”をやる。

かようにわが家は日本の古き良き正月を堪能。