エクソンに次ぐ全米2位の位置に立ったという。
長年”日陰者”として細々とMacを使い続けていた私としては、実に感慨深い。
MacintoshSE以来のMac愛用者である私は、その頃から勤務先の大学でパソコンを教えるのも孤然とMacにこだわりつづけ、
その頃は情報教育といえばプログラミング一辺倒だった中、
人間自身の情報処理能力の向上のための"マルチメディア教育"という名目で、
自分の個人研究費を削って教育用のMacを毎年導入し続けてきた。
その孤軍奮闘を認められて情報系の新学部にスカウトされ、その際、Mac専用の演習室を主張した。
ところが、その頃のAppleは瀕死の状態で、大学の管財担当者は、Apple社は1,2年で潰れると主張し、私の提案に難色を示した。
個人的にAppleを応援するため、記念品とされていたApple株券を思い出の品として購入しようかと思ったほどだ(この時ホントに買っておけばよかった!)。
そもそもApple社の生みの親スティーブ・ジョブズは、パソコンのコンセプトの産みの親であるアラン・ケイの影響を受けて、最初の真のパーソナル・コンピュータを誕生させた。
そのアラン・ケイは、メディア論の大家M. マクルーハンの思想に共鳴して、パソコンのあるべき文明論的役割、すなわちあらゆるメディアのメディア(メタ・メディア)であることを看破したのだ。
ジョブズ自身、マクルーハンを読みふけって、パソコンの進化すべき方向(個々人がマスコミと同じことができる)を理解していた。
ポイントは、ユーザーインタフェース(Windows画面の針金のような醜い文字表示と、Macの印刷画面のような文字表示の違いもそのひとつ)。
ただし真にジョブズらしさが実現されるのは、iPhoneを待たねばならなかったが。
マクルーハンのメディア論とアラン・ケイのパソコン論を根拠とした確信的Macユーザーである私は、Macの進化と、共に歩むことをやめなかった。
Apple社に返り咲いたジョブズ(すでにピクサー社のオーナーであった)は、抱負として、この会社をソニーのようなイノベーティブな会社にしたいと言っていた。
この頃のソニーは、そんなカリスマ性があったのだ…。
そういうジョブズはiPodを世に送り出して、先行していたウォークマンを追い越し、
iTunesのビジネスモデルが、ソニーが力を入れていた音楽CDを過去のものにした。
今では逆に、ソニーの方がAppleのマネをしたがって、あがいている(仮に成功しても、日本のみの話)。
Apple社の復活を心から喜ぶ気持ちがある一方、
ガラパゴス的自己満足的端末屋に成り下った日本のメーカーの開発力の衰退に暗然とせざるをえない。
ソニーって、今ではサムスン以下?