今日の昼、新幹線で名古屋に帰ろうとしたら、とんでもない事に遭遇した。
正直言って、死ぬ思いをした。
会議専用日の火曜の今日だが、月末週なので会議がない。
なのでゆっくり名古屋に帰れる。
10:50の広島行きに間に合うが、次の11:00発のぞみ225号新大阪行きにしたほうが空いていると思い、あえて1本遅らせた。
乗るのはいつもどおりの1号車(自由席)。
これが運命の選択になるとは…
東京駅では空席が目立ったが、品川駅でかなり乗客が増えた。
でも二人掛けの自分の隣席は空いているので、その席側にキャリーバッグを置き、買ってきたサンドイッチを頬張った。
新横浜でまた人が乗ってきた。
席は8割方埋った。
新横浜を出てから、身なりが他とは違う小柄な初老の男(後に71歳と判明)が通路を往復した。
身なりが他と違うというのは、新幹線の乗客は会社員か観光客なので、それなりによそ行きの格好と大きめの荷物をもっている。
ところがその人は、室内着のようなラフな格好で、新幹線で遠方に行くとは思えない姿だった。
もっとも私はiPadの地図を見入っていて、彼を注視したわけではない。
ただ、 席を探すでもなく通路を往復しているのが少し気になった。
新幹線は時速250kmを超えて相模平野を疾走している。
そしてある時、1号車の私より前方の席に座っている人たちが、一斉に通路に出て、我先に後方へ走り出した。
「油をまいた」とか「ガソリンまきやがった」とか叫びながら。
iPadを見ていた私も立ち上がり、前方を見ると、さっきの初老の男が1号車の前側のデッキドアに背を向けてこちらをむいて立っていて、白いポリタンクから液体を肩にふりかけている。
咄嗟に「新宿バス放火事件」を思い出し、 身の毛がよだつ思いをしながら、素早く1号車の後ろのデッキドアに逃げた。
我に返ると、大事なキャリーバッグを持っていなかった(カメラや名古屋に持ち帰るべきものがたくさん入っている)。
この男がガソリンをまき終わって、自分に火をつけようとしているのがわかった。
今が、その一瞬の間(ま)だ。
私は躊躇せず、キャリーバッグを取りに席に戻った。
キャリーバッグに手をかけた瞬間、前方のデッキドア付近から大きな火の手が上がり、男の姿はオレンジの炎の中に消えた。
目の前全部が炎になった。
こういう時、火と自分の荷物と避難先しか 目に入らない。
あと何人1号車に残っていたのか記憶がない。
私の後ろの席が派手に弁当がちらばっている風景だけが印象に残った。
キャリーバッグを持った私は他の乗客と一緒に2号車に逃げ込んだ。
今、この緊急事態を知っているのは1号車の乗客しかいない。
新幹線は通常走行している。
1号車と2号車の座席間にはトイレや洗面所があり、1号車の惨状は2号車の客にはわからない。
1号車から殺到した乗客たちに唖然としている2号車の乗客に対して、
事態を説明する余裕がない私は、ただ「逃げて、逃げて」としか言えなかった。
2号車の乗客も逃げ始める。もちろん避難路は中央の通路しかない。
途端に通路は人でいっぱいとなり、避難の速度が停滞する。
そこに背後から熱風と猛烈な黒煙が追いかけてきた。
あっという間に2号車は黒いススを含んだ煙で充満した。
熱く、息苦しい。
新幹線だから窓が開かない。
後ろで、幼児をかかえた若い父親が「子どもだけでも通してください!」と叫ぶ。
でも私を含めて、この黒煙と熱風から逃げるのに必死で、しかも思うように身動きがとれない(ただし、列を乱す人はおらず、いわゆる”パニック”には至っていない)。
この2号車を抜ける間が一番苦しく、つらかった。
2号車を抜けると喫煙ルームがあった。
その扉を開けると空気清浄機が作動している。
後ろから来た幼児連れを入れた。
3号車に入ると、乗客はもうすでに後ろの車輌に避難したらしく、ほとんど空席だった。
そして煙も熱もほとんど来ていないので、横の座席に入り、周囲の大人たちにも脇へ入るよう促し、子供連れの避難を優先させた。
ここにきて初めて他者を優先する余裕ができたわけだ。
気づいたら列車は停まったようだ(後で確認したら、この間は2分らしい。小田原の平地に出る弁天山トンネルの手前。トンネル内を避けて停車したという)。
私は5号車まで達し、ホントは指定席だが、空席に腰を降ろした。
何が起こったんだろうという感じの人と、命からがら逃げてきた人が同席する。
この後、やっと本格的な救助が始まる。
消防と警察が来た。
報道ヘリが飛び交う音が聞こえる。
ここでやっと東京の実家に携帯をかける。
もうこの件はテレビで臨時中継されているらしい。
ただ、情報不足なようで、車内から出火して、臨時停車しているという程度の認識らしい。
車内は停電しているので、暑苦しく、息苦しいため、開いたドアに行き新鮮な空気を吸う。
少々煙を吸ったのでちょっと咳込む。
消防士が具合の悪い人がいないか探し回る。
精神的ショックで気分が悪くなった女性が出る。
2号車の方から ぐったりした女性がかかえられて来る(自殺者の他に、女性客が1号車で死亡したのは後で知った)。
ここかしこに、顔やシャツがススで黒ずんで、トリアージタッグをつけた人がいる。
近くにいた消防士の1人に、1号車に荷物を取りに行きたい旨を話すと、先導してくれた。
消防士に先導されて1号車に入ると、室内が異様に熱く、窓も座席もススで真っ黒になっている。
さっきまで自分が居た車内とは思えない。
人間が生存できる場所ではなくなっていた。
自席付近で持ち忘れた充電器を拾う。これもススで真っ黒になっている(後で確認したら、使えなくなっていた。私にとってこれが実質的な被害)。
自席の後ろの席にはスーツの上着がかかっていたが、一部が黒焦げになっていた(マスコミに画像が出ている)。
あの瞬間、キャリーバッグを取りに戻って正解だった。
14:20、列車がゆっくり動き出す。
小田原について、全員降ろされる。
ホームに降りると、待機していたマスコミのシャッター音を浴びる。
そしてホームで警察の事情徴収に応じる(1号車にいたので)。
自分の心拍数を測ってみたら100になっていた。
自分の普段の安静時は50だから(ちょっと徐脈気味)、2倍になっている(2時間以上たっているのに)。
もちろん、この間新幹線は不通だった。
われわれが乗った事故車がゆっくり発って、やっと不通が解除される。
でも小田原だから、「こだま」しか停まらないのか。
名古屋まで行くのはたいへんだ。
幸い、復旧最初の2本の「のぞみ」は小田原に臨時停車してくれた。
名古屋に停車する2本目の「のぞみ」に乗るが、さすがに今回は”1号車”に乗る気になれないので、
2号車の後ろのドアから乗ったが、超混雑していて足の位置もずらせない。
その態勢でずっと立ちっ放し。
不通は解除されたが、事故車が前を走っているので、三島までは超ゆっくり。
なんとか18:25に名古屋に着いた。
ここにもマスコミが大勢いた。
東京駅から7時間半かかった。
心身ともに疲れた。
自分がいた同じ車輌で2名が死亡したのだ…。
今、こうしているのも、命がけで脱出できたからだ。
たいへんな一日だったと、一人、名古屋宅で振り返る。
誰かに話さずにはいられない気分なので、さっそくこうして記事にする。