今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

東京スカイツリー

2010年03月30日 | 東京周辺
冬の気温に戻ったものの、久々の晴天。
私の春休みも明日で終わるので、
蒲団を干した後、東京の桜を見納めに出た。

桜は、早い順に、シダレ桜、ソメイヨシノ、八重桜と
三種類・三回の満開を楽しめる。
今年は、開花こそ平年より早かったが、
その後の寒天のせいか、第一段のシダレ桜すら満開になっていない(通常は3月下旬に満開)。

昨日は、六義園(文京区)のシダレ桜を見に行った。
一本の巨木で、和風庭園の中の美しい枝ぶりだったが、
花自体はまだ三分先。
園内の茶店で「染井桜」という日本酒(うすく桜色に濁っている)を買って、
その晩賞味した。

今日は、舎人線に乗って「尾久の原」(荒川区)に行ってみた。
ここのシダレ桜は、数本しかなく、思ったより小ぶりで、
しかもやはり三分咲き状態なので、残念ながら見映えはしない。
それでも桜の下では、幼稚園児の集団がブルーシートを敷いて花見に興じていた。

これで終わってはつまらないので、
昨日東京タワーの高さを抜いたという「東京スカイツリー」(墨田区)を見に行く事にした。
町屋まで歩いて、そこから地下鉄で北千住乗換で、押上で下りる。
B3の出口に上がったら、そこには人々が立ち止まって、
上を見ながら携帯のシャッターを押している。

彼らの目線を追うと、巨大な「東京スカイツリー」が間近にそびえている(写真)。
まだ予定の半分の高さだが、それでも東京タワーを抜いたわけだ。
京成橋からも全貌が見えるが、さらに川をはさんで真正面にまで近づける道を進む。
先ほどの出口からこの道までもずっとカメラを構えた人たちが歩いている。

私自身は東京タワーが完成した後の者だが、
東京タワーが建築半ばの写真を見たら、
横面積の広さが強調されるそちらの方が風景として異様なすごみがあった。
その記憶もあって、建築中の姿を見たかったわけだ。

ただスカイツリーは単調な塔状なので、
東京タワーの様な裾の脚部が広くなく、完成後とは違う異様さはなかった。

土地受取り

2010年03月26日 | 生活
今回の帰省で最大の行事は、空き家になった隣家の土地購入。
その引渡し手続き(支払いと登記手続き)が今日の午前中に仲介会社内で終了した。
これで私もささやかながら、東京・山の手線内の”地主”になれた。

我が家はずっと借地借家生活だったが
その後、借地面積が半減した母方の現在の実家を半ば買い取る形で相続し、
更に土地も買い取った。
今回私が更に元の1/4の土地を買ったので、
これで祖父母の代が借りていた土地の3/4を買ったことになる。

ゼロから出発してここまでかかったが、素直にうれしい。
大きな買物をしたので、今後は慎ましく生活しなければならいないが、
当然、夜は祝杯。

姪の誕生会

2010年03月25日 | 身内
24日は姪っ子のんちゃんの三歳の誕生日。
原因不明の発達遅滞で、まだしゃべれない・歩けないのだが(身体的には標準の大きさ)、
この子なりのペースでゆっくりと確実に発達しているのは確か。
表情もかなり豊かになってきた。
ママ(義妹)が作った料理(カルパッチョ、ラザニア、スパ、などなど)は大人たちがボトル2本のワインとともに賞味。

のんちゃんはママが作ったラザニアは食べたが、
お祝いのショートケーキは、生クリームがダメなので、他の者たちでいただく。
メッセージが書かれたチョコレートは兄の柊ちゃんが食べた。

私からのプレゼントはキティちゃんのオルゴール。
音楽が好きで、キティちゃんが回転するオルゴールに合せて(?)右手を振り続ける。

寄居・鉢形城

2010年03月22日 | 城巡り

今年の日帰り旅のテーマ”埼玉の城跡巡り”の、忍城(行田市)に続く第二弾として、
寄居町にある鉢形城を訪れた。
ここは関東管領上杉氏の家宰・長尾景信の嫡子・景春がこの城で下克上の乱を起こした
まさに関東戦国の幕開けの城。
その後は小田原北条の氏邦(氏康四男)が居城し、北条氏の北関東進出の拠点となった。
だが、戦国時代を終わらせる、秀吉の小田原征伐の折り、前田・上杉ら5万の兵に囲まれ、やむなく開城した。

現在は、曲輪や堀の跡が残るだけだが、歴史資料館が域内にあり、公園として整備されている。

秩父の山から関東平野への境目である寄居は、南関東の大河川・荒川が横切り、
それに沿った地元私鉄の秩父鉄道が横に、JR八高線が縦に貫き、
そして都心につながる大手私鉄の東武線が終点として斜めに入り込む交通の要所。
私は当然、池袋から東武線で行ったが(小川町乗換)、
ディーゼルでボックスシートの八高線はローカル線の風情があるし、秩父鉄道にはなんとSLが走っていた。
次回はぜひ八高線の旅をしたい。

さて、寄居駅に降り立ち、城跡のある南の丘に向って進む。
荒川にかかる橋を渡ると、そこから広大な城跡の敷地が始まるのだが、
正午の合図が鳴った丁度そこにそば屋があったので、地元の蕎麦を賞味
(山里の風情を味わいたいので「きのこそば」)。

まずは城主の館があったという伝御殿曲輪。
高台に立つと、眼下には”玉淀”といわれる荒川の流れ。
寄居の町がある正面は西の秩父から続いた山が尽きる鐘撞堂山。
東北方面には遠く雪の残る男体・女峰の日光連山が連なっている。

歴史館に行く途中には、エドヒガン桜の大木があり、まだ三分咲き程度だが、
でかいので見映えがして、すでにたくさんのカメラのシャッターを浴びていた(写真)。
歴史館では城の復元模型と3DCGの城内バーチャルツアーを楽しんだ。

二の曲輪から秩父曲輪にかけては公園状となっていて、
秩父曲輪には門と簡素な館が復元されている(写真)。
山の上でありながら広大な鉢形城は、武家屋敷も含んでいて、生活空間でもあったわけで、
これでは籠城もしやすいわけだ(城内に川が流れているので、水に不自由しない)。

城跡だけだと物足りないので、氏邦夫妻の墓があるという正龍寺まで足を伸ばす。
途中、玉淀に降り立ち、対岸の岸壁の上にある城跡を見上げる。

正龍寺は曹洞宗の大寺で、墓地の最上段に氏邦夫妻と、義理の両親である藤田康邦夫妻の墓(宝篋印塔が四基)がある。
ここからは鉢形城の丘の奥に外秩父の連山が見える。

寺の東、ちょっと行った所に、氏邦の妻で藤田康邦の娘である大福(おふく)御前の慰霊碑がある。
畑の中のその地に行くと、「大福御前自刃の地」と彫られた大きな自然石の碑があり(写真)、横の石に由来記が彫ってある。
それによると、
五万の秀吉軍に囲まれた鉢形城主北条氏邦の妻大福御前には弟がいて、
その藤田信吉は、皮肉なことに攻撃側の上杉景勝の先鋒であった。
御前は彼を頼りに和睦開城にこぎつけ、数千の家臣の命を救った。
その後、御前はここ正龍寺に薙髪した。
そして千日普門品千部満願の日、庵内で自刃したという。
それから四百年後、御前に命を救われた家臣の子孫たちが、資金を出しあって彼女の慰霊碑を建てたのである。
戦国大名北条氏とはいえ、その分家・支城にすぎないが、しっかりとここに独自の歴史が刻まれているのだ。


中華街で豪食

2010年03月21日 | 生活
大学院までいった大学Bの前に、
一年間しか通わなかった大学Aのサークル同窓(固定メンバー)と、
半年に一度会って旧交を暖めている。

今回は、横浜中華街。
しかも、お大臣となった主催者の”ご招待”。
しかも、中華街の中でも高級なビルの店で、コース料理。
胡弓などの生演奏を聴きながら、たっぷりのフカヒレスープやら、燕の巣やら、
話には聞いていた高級食材を目の当たりにして、
紹興酒を飲みながら、ありがたく賞味する。
(翌朝の3回ものトイレがもったいなく感じた)。

せっかくの長い人生、
一度くらいはこういう贅沢な体験をするのもいいものだ。
とっても自腹ではその気すらおきなかったが。
持つべきものは、”金持ちで気前のいい友人”、ということか。

ほんとは、友人関係としてアンバランスな”ご招待”の申し出に、
異議を唱えたのだが、
招待者の我々に対する”気持ち”だというし、
他の同窓は素直に喜んだというので、
私も遠慮なく厚意を受けることにした次第。

ラドン濃度の東・名差

2010年03月20日 | 計測
名古屋宅に設置していた室内用のラドンガス濃度測定器RGD-PS3(写真)を
春休みの帰省に合わせて東京の実家に持ってきた。
丸二日のデータ収集期間を過ぎると、一時間間隔で七日間平均の計測値を更新する。
名古屋宅では、この半年は40~86Bq/m3(ベクレル)の間で、3月は70(以下同単位)を越えていた。
東京宅では、同じ3月だが6~10と断然低い(写真での表示は09=9)。

関東は地層の関係で値が低いことは知られていたが、これほど差があるとは思わなかった。
ちなみに、室内の世界平均は46、日本平均は16。
室内ラドン濃度の影響因は、一番は地層、二番は室内壁面の材質。
東京宅は沖積層で、関東ローム層、木造(ツーバイフォー)。標高9m。測定場所は2階(標高11m)。
名古屋宅は濃尾平野の東端で、三河山地との接点(亜炭など産出)。いちおう鉄筋。標高55m、測定場所は3階(標高60m)。

岐阜や福井はもともとラドン濃度が高い地域で知られているが、
愛知はそれほどでもないはず(舘野之男『放射線と健康』岩波新書)。
するとコンクリートの壁面の効果かもしれない。

問題は、ラドン濃度の値が高いのと低いのとどっちが健康にいいのかということ。

浴びる放射線は0であるほどよいという単純な「直線モデル」によれば、
迷うことなく東京の方がいいことになる。
でも直線モデルは、放射線防御の指針ではあっても、低線量域では科学的根拠がない。
実際のデータに近いのは、一定水準以下の線量は影響がないという「しきい値モデル」と、
一定水準以下の線量はかえって耐性を増進して健康に良いという「ホルミシスモデル」。

実際の動物実験や高濃度地域に居住する住民の健康調査によれば、
ホルミシスモデルの方が支持されるようだ(低線量のホルミシス効果は、
紫外線-実はこれも放射線-についてもあてはまるのは周知の事実。
更にアルコールやカフェインにもこの効果が認められる)。
ラドン温泉が世界中で健康増進に人気があるのも偶然ではなかろう。
すると、世界平均よりも高い名古屋宅は、かえって健康にいいという可能性がある。

私の頭の中は、多くの人と同じく「直線モデル」が強制的にインプットされているが、
同時にラドン温泉が好きで、ホルミシス効果に期待する心があるので、
名古屋に軍配をあげたい。

というわけで、ラドンがほとんどない東京宅には、
ラジウム原石1kgを浴槽に入れて、ラドン浴ができるようにした。

卒園式

2010年03月19日 | 身内
6歳の甥っ子・柊(しゅう)ちゃんは本日幼稚園の卒園式。
まずは3年間の幼稚園時代をクリアした。
午後、私に「卒園証書」を見せに来た。
その証書には七千番台の通し番号がふってある。
この番号のはるか彼方、たぶん2桁前半に私の卒園番号があるはず。
まだまだかわいい盛りだが、着々と成長の時を刻んでいく。
卒園式を終えての感想は、「さびしい」とのこと。

夜は、家で巻き寿司パーティでお祝い。
大人たちに混じって柊ちゃんも「お子様ビール」で乾杯(写真)。
幼稚園の思い出話を語り合った。

ひさびさの箱根

2010年03月18日 | 
今年に入って、年度の”締め”の温泉旅が続いているが、
3月後半の今回こそ、本当の”締めの締め”。

年度末の慰労として、リッチに行きたいのはやまやまだが、
しばらく慎ましく生きなくてはならないので、
東京から近場である箱根にしかも一泊。
でもさすがにロングシートの通勤電車というわけにはいかなので、
往復は小田急ロマンスカー。

今回もガイガーカウンターを持参したのはいうまでもない。
まずは大涌谷で計測開始。
といっても、ぐつぐつ湧いている所でも、0.14μシーベルト(以下同単位)。
それ以外の所はその半分の値なので、宅地並。
かえって大涌谷駅構内の方が0.16あった。
宿の温泉も0.13程度。
要するに、箱根火山は放射線とは無関係ということ(当然也)。

宿は会員料金で泊まれるホテル・グリーンプラザ箱根。
しかもそこの一番安いプラン(夕食の品数が少ない)にしたのだが、
私的にはそれなりにリッチ感を得られて満足(朝はビュッフェバイキング)。
ここの露天風呂は、真っ白い富士が見える
(写真:私が入る露天風呂ではベスト1の眺め)。

宿がロープウエイの姥子駅そばにあるので「箱根フリーパス」を使った。
せっかくなので翌日は芦ノ湖遊覧船に乗り、元箱根からバスで湯本に。
湯本では土産を買うのが毎回楽しみなのだが、
名物「てりふり人形」を置いていた店がなくなっていた。
全般的に箱根細工を扱う店が減り、蒲鉾類の店ばかりになっている。

フリーパスを使えば三島に下りることもできる。
次回は伊豆長岡温泉と合せてみるか。

卒業式・修了式

2010年03月15日 | お仕事
今日は大学の卒業式と大学院の修了式。
いつも借りる国際会議場が使えないので、
各人に渡す証書授与式はいつもの教室を使用。
式典の雰囲気はでないが、学生最後の日を通い馴れた”学舎(まなびや)”で過せるのもいいもの。

夜は大学院の記念パーティ。
こちらは「おめでとう」を言う側だが、「ありがとう」と言われる側にもなる。
「おめでとう」と言える相手から、「ありがとう」と感謝されることを仕事にできている我身は、幸せなのかもしれない。

『新平等社会』 山田昌弘

2010年03月13日 | 作品・作家評
時事問題を扱った社会科学系の本は、
出版されてから少し後に読むと、本当の値打ちがわかる。
予想が当たったか外れたかが判明するから。

『パラサイト・シングル』で一躍現代若者論の第一人者になった山田昌弘氏は、
『希望格差社会』(2004年)で、現代日本の”格差”の本質は、単なる金銭的な収入格差ではなく、社会心理的な”将来への希望”の格差であることを指摘した。
そして、このままだと、希望を失ない自暴自棄になった人が「不幸の道連れ」として死刑になるための凶悪犯罪が発生することを懸念し、その2年後の2006年に出した『新平等社会』でも同じ警鐘を鳴らした。
そしてその懸念は、果たして2008年6月の秋葉原を中心に的中してしまった。

さらにその年の秋に始まったリーマンショック以来、日本の状況は改善されるどころか、
悪化して、格差は拡がる一方。
2010年、大学生の内定率は80%と最低ライン。

この格差拡大は、なにも小泉政権から始まったのではなく、1990年後半から始まった世界的・構造的変化であるという。
少子化の原因もこの希望格差で説明されている。
この構造の現状分析としては、『希望格差社会』で充分でもあるが、
どうすればいいのかという提言を知りたいなら『新平等社会』(2009年に文春文庫版)がいい。

たとえば、家族のあり方の変革も必要という。
具体的には、「育児期の女性が共働きをして、そこそこの生活費を稼ぎ出すという状況を推進すること」
であるという(”そこそこの”に注目)。
これは、男性一人が家庭を経済的に支えるという古い形態からの脱却を意味する。
氏は明確には述べていないが、これは正社員の賃金の抑制をも意味する。
夫婦が広い意味で”ワークシェアリング”することで、女性の社会参加を促進しながら、同時に人件費の高騰を抑制して、雇用者数の拡大と産業の空洞化を抑えることにもつながる。
このためには、家族関係の意識変革も必要で、家計は男性(夫)が支えるものという、
女性が捨てたがらない性役割期待を改める必要があるという。

そのほかに、所得税の累進度の引き上げを主張している。
同じ税率でも「公平」は実現されているので(「平等」なら同じ税額)、
課税の累進性は、持てる者に対してのみ負荷される社会的負担を意味する。
富の社会的再分配が促進されるので、文句はいわない。
ただ、寄付金控除をもっと大きくして、持てる者からの寄付をもっと促進させることも有効だと思う。

心理学は、個人の行動をパーソナリティで説明しようとするのに対し、
社会学は、社会的状況が個人の行動を規定するという視点をもつ。
個人の希望や生きがいというものは、社会との関係が前提とされる。
心理学の視野の外にある社会学の面白さを実感した。

ではこの問題に、大学としてどう対応したらいいのか。
大学が大衆化している現在、大学が育成する人材は、
需要の極端に少ない「知的エリート」ではなく、最も需要のある「スキルをもった社会人」である。
人が大学に進学する理由は、学問のためではなく、キャリアアップのためなのだから、
そのニーズに応えるのが今の大学の社会的機能となる。

ただ、普通の文系学部では、資格に直結するようなものはこれといってないし、
その資格自体が、就職を保証するものにはなっていない。
(今では、司法試験に合格しても安定した弁護士職に結びつかない)

本書から読み取ると、大学生が身につけべきる能力は、
定型的事務能力ではなく、創造性と論理性を兼ね備えた情報創造能力。
私が情報系の学部でずっとやってきたマルチメディア教育は、
いわゆる「コンピューター・リテラシー教育」ではなく、
人間の認知能力をメディアを使って強化するためであった。
それに加えて、いまいる学部のモットーである「人間関係力」を加えれば、
社会に出す人材として文句はない。
特定の学問領域の習得ではなく、このような能力の育成を目指したカリキュラムにしていくことが必要だろう。

パソコン講習受講

2010年03月12日 | パソコン・メディア

勤務先が教職員対象に主催した、3日間のパソコン講習(ワード2007応用、エクセル2007応用)を受けた。
2003から2007(ほんとはMacユーザーなので2004から2008)へのドラスティックなメニューの変更にあきれて、2007(Macは2008)を使わないでいたのだが、
学生の論文指導の手前そういうわけにもいかないので、渡りに船のこの講習会を申し込んだ。
ちゃんとした外部の講師で、毎日ワードに2時間半、エクセルに2時間半、計5時間の講習に、 FOM出版の市販のテキスト(2000円×2)を使用するのだが、”社内研修”なので無料。
すごい得した気分。
受講者に教員は私だけであとは職員・助教(旧称”助手”)ばかり。

でも、ほんとに勉強になった。
独学だと自分が使いたい機能だけを選んで学ぶだけだが、
応用クラスの講習会だと、思ってもいなかった機能を知ることができる。
ワードやエクセルは敷居は低いが奥深いソフトなので、勉強しがいがある。
講習によって、”わかったつもり”のレベルで満足していた
(受講しなかった教員はほとんどこのレベル)自分を脱することができる。
これでやっとわがMacにも2008をインストールする気になれた。

私の仕事は、研究(探求すること)と授業(教えること)だが、
やはり”学ぶこと”が一番楽しい。
前2者は予定調和的世界だが、後者は新鮮な発見が続くから。
なるほど、学校はすたらないな。


釈然としないつけ麺

2010年03月07日 | 生活
「つけ麺」ってけっこう流行っているようだ。
でもなんか釈然としないので、あえて食べようとは思わない。
先日、近くにつけ麺が売りの店しかなかったので、しかたなく食べたが、
やはり食べてて釈然としなかった。
それは、言ってみれば”本来的でない”と思うから。

私にとって”食事”として取る中華麺は、野菜中心の具がどっさりの「五目そば」か「五目焼そば」が標準。
その基準からすると、つけ麺は、やたら濃いめの汁に、具がほとんどなく、
麺ばかりの状態が釈然としない。
実際には、ラーメンと具の量では差はないようだが、
見た目の一覧性に乏しい点で損しているのかもしれない。
そして、麺だけを濃い汁につけて食べるやり方が、
中華料理特有の豪華感を与えず、なんかわびしい。

もちろん、私は蕎麦を食べる時は、「せいろ」が基本。
質素簡潔が江戸っ子の気風に合っているためか、具など要求しない。
それは文化的形式の違いともいえるが、
それだけでなく、蕎麦と中華麺との栄養学的差でもあると思っている。
私にとっては、栄養素としての評価は、
蕎麦>中華麺=うどん

だから、うどんも質素すぎる「釜揚げうどん」には釈然としない。
といっても、蕎麦だけのせいろは、私にとっては”食事”には値せず、
小腹が減った時の”間食”にすぎない。
(”食事”として蕎麦を食す時はてんぷらをつける)。

食の本来的意義からして、栄養学を無視した食ははありえない。
すなわち”非本来的”。
だから炭水化物だけの偏頗(へんぱ)な組合せ、たとえばコロッケ定食とか、ラーメンライスとかは愚かしい。
麺の歯触りと濃い汁の味だけが売りのつけ麺には、その不完全さがあるのだ。

ビジネスホテル新用途

2010年03月07日 | 
今、愛知県半田市の「カンデオホテルズ半田」の客室にいる。
別に半田に用があるわけではない。

今月から生活が苦しくなるので、
今までのように”名古屋の週末は愛車で温泉連泊”というわけにいかなくなる。
でもせっかくの週末を狭い部屋に篭っていてもつまらない。
その妥協点となるのが、近郊の大浴場つきビジネスホテル。

最近のビジネスホテルは、寝に帰るためだけの独房のような部屋ではなく、
快適な居住空間を備えた客室を増している。
ベッドもシングルではなく、セミダブル。
そして風呂は部屋のユニットバスではなく、大浴場(日本人はここにこだわる)。
そうすると、その地に用事がなくても、そこに泊まるのが目的の利用が発生する。
私のように。
(他にカップルがツインの部屋をラブホ代わりに使う用途も)。
これなら、交通費もかからず、一泊5千円ほどなので、
軽くなった我財布もさほど痛まない。

該当するホテルで一番のお気に入りは、天然温泉と居酒屋がある「キャッスルイン小牧」。
ただ、ここはイの一番の1月に行ったので、今回は二番目の半田のカンデオホテルズ。

ここは大浴場がまったく温泉ではないが(鉱石を入れて人工温泉風にしてくれればなおいい)、
浴槽が2つあって、その1つは半露天で、
ビジネスホテルの大浴場としては二倍の収容力。
全体が新しいこともあり、客室の雰囲気が落ち着いていい。
ここの利用は二度目で、
今回は朝食抜きのプランにして、好きなだけ寝られるようにした(チェックアウト11時)。
このプラン、クオカード500円分がついて、5490円。
つまり実質4990円。
室内は、広めのテーブルにLANがついているので、こうしてパソコンで作業ができる。
共同大浴場つきの広めの個室レンタル・オフィスを一晩借り切ると思えば、かなりお値打ち。
仕事で篭るのにもいい。

細かい配慮として、卓上に皮のマウスパッドが置いてあるのも嬉しい。
オリジナルの室内着もいい感じ(12600円で販売)。
名鉄知多半田駅から近く、大きなスーパー(ピアゴ)も近いので買い出しは便利。
夜はゆったりしたジャズボーカルのBGMの中で、最上段の浴場から半田の夜景を眺めるのも、
シティホテル的で落ち着ける。

欠点といえば、夕食に使える店が近所に少ない点くらい。
スーパーで弁当を買うという手もあるが、シングルルームで弁当食べるのはわびしい。
今回は一番近い”轍”という店でつけ麺。

確定申告

2010年03月03日 | 生活
3月3日の”上巳の節句”(俗称”桃の節句”)の今日、
確定申告書類を提出してきた。
この数年は、国税庁の作成画面で作っているので、
計算ミスの心配はない(あったとしたら国税庁の責任)。

だからこそ、今回の納付税額の多さを、
計算ミスのせいにできずにがっかり。
昨年との収入の伸びにくらべた納税額の伸びの比率は数倍。

しかも今月は土地代を一括で支払うので、その工面だけでたいへんなのに、
来月は納税額がこれまた一括で引き落される。

昔のワープア時代のように(私は真性ワーキングプアだった)、
貯金残高を気にしながらの生活が続きそう。
ちなみにワープア時代は確定申告の還付金が楽しみ(救い)だった…

でも年に一度の大仕事が終わったので、
今日はとりあえず祝杯!

津波警報の誤差

2010年03月01日 | 防災・安全
チリ地震による津波の数値的予想が外れた(特に”大津波警報”)。
一部地域は別として、日本の多くの地域が過大な予想値のため、
鉄道は運休になり、多くの人が影響を受けた。
(東京マラソンは平常通り挙行された)。

翌日、気象庁の地震津波監視課長は
「津波の予測が過大であったこと、警報・注意報が長引いたことをおわびしたい」と述べ、
”被害がなかったのだから、文句を言うな”的論理は通さなかった。
防災における”より安全”という一見正しい態度より、
”正しい情報を”という態度が優先されていることに安心した。

なぜなら、被害を0%にしようとするあまり、
危機をあおり、結果的に正しくない情報ばかりをながすと、”狼少年効果”をもたらすから。
そうなると、今後「警報」を出しても、人は勝手に少なく見積もってしまい、
避難行動を起こさせず、実質的に警報の効果がなくなり、被害を増大させることになる。
実際、今回ですら、避難勧告に従わなかった人が多かったのは、
過去の空振りした津波警報の影響だろう。

実は、暴風警報・大雨警報など気象警報についても、すでに”狼少年”化していると思える。
警報とは、”重大な被害が予想される時”出されるものだが、その”重大”というのがおおげさに響く。
注意報が”被害が予想される時”なので、今の警報は注意報的価値しかなく、
大雨警報の上の基準である「記録的短時間大雨情報」は、
これこそ”重大な被害が予想される”ので、危険度的に”警報”に値する。
(読者のみなさんは、この「~情報」御存知?)

予想される最大値を基準にすべきなのは、事前の備え段階の話。
実際に災害に直面するときは、情報の正確さが一番重要。
今避難したほうがいいのか、逆に避難しない方がいいのかは、
この情報の正確さが判断基準となる。
その判断が誤って、避難することでかえって被害を大きくしたのが、
昨年の兵庫県佐用町の水害。

同じ情報を流し続けないで、刻々と変化する状況に即して、
つぎつぎに微修正をしてほしい。

そのためには、より広範囲で密度の高い観測網が必要。
広域の津波なら、衛星画像の高精細化が一番手っ取り早いが、
配信間隔の問題など、津波の実況にどれほど有効かはわからない。
ただ、このへんの予算はどうか仕分け対象にしないでほしい。