今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。どんなヤツか知りたい人はまずブックマーク「山根一郎の世界」へどうぞ

新年度態勢

2008年03月31日 | 東京
今週(私は月曜が週始め)からは、”春休み気分”を終えて、新年度の準備にとりかかる。
まずは自分のMacBookのOSを、Leopard(10.5)にアップ。
以前ためしにアップしたら、大事なアプリが未対応だったため、旧OSに戻していた。
そのアプリの方をバージョンアップして、準備万端。
フリーウェアのアクセサリソフトが一部未対応だが、実用には支障なし。
とにかく見た目はよくなったので(特にドックからのファイル一覧が)、80%の満足。
これで新鮮な気分で新年度の教育・研究ができる。

次に実質的な準備として、久しぶりに広尾の中央図書館に行って、4月から新たに担当する心理学概論の講義ノートの作成にとりかかる。
概論なので、中身は楽だが、どういう順序にするか迷う。
やはりざっとした心理学史から入るべきかな(アリストテレスから)。

これを午後4時前に切り上げ、六本木ヒルズを抜けて、東京ミッドタウン内のサントリー美術館の「ガレとジャポニズム展」を見る。
なにしろキノコが好きなので、エミール・ガレはお気に入りの作家。
今回はテーマ上、蜻蛉などの作品が多く、キノコは「ひとよ茸」だけだったが、それなりに収穫があった。
それにしてもヒルズから東京ミッドタウンの間って、さすが今の”東京”を感じさせる(名古屋にはない)。
このへんに勤務して、谷中あたりに住むと新旧の東京生活を満喫することになるな(片方は実現してるか…)。


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雨の浅草・隅田川

2008年03月30日 | 東京
桜満開の雨の中、半年に一度会合する大学時代の旧友たちと、浅草界隈を歩いた。
私にとって浅草は、半地元なので和装の買物地にすぎないのだが、
隣県に住む友人ら(といっても通勤先は都内)には、東京の観光地であるらしく、ガイドに載っている店をはしごするのが楽しみなようだ。

それにつき合って、まず向った「神谷バー」は混んでいるので”電気ブラン”をあきらめ、次の「並木薮」では並んで蕎麦を食べ(おやじ集団なので、そばの前に酒)、ほろ酔い気分で仲見世を抜けて、浅草寺に参拝し、仲見世脇の甘味処も並んで食べ(私はところてん)た。
さらに雨の中、隅田川沿いの桜並木を歩いて、桜橋を渡り、反対側の隅田堤を歩いて(写真)、「アサヒビール」でまた並んで、ビールとつまみで夕食とした。

桜の季節は、どこも名所に早変わりするから楽しい。
江戸時代の江戸っ子たちの浮かれ気分もよく分かる。

隅田堤(隅田川の左岸・墨田区側)では地元の自治会が出店をやっているので、いわゆる屋台よりずっと安く酒とつまみが手に入り、座席も用意されている。
隅田区側なら、手ぶらで安く花見ができるのを知った。
また、花見用の遊覧船もいいが、こっちは雨の中でも夜まで混んでいた。
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通り魔から身を守るアイテム

2008年03月26日 | 時事
日本での通り魔的殺人事件は、庖丁やナイフなどの刃物が凶器であると考えてよく、
たとえばホームでの”突き落し”という凶器を使わない例もあるが、少なくとも銃や爆弾は考えなくてよいだろう。
ならば、われわれ善良な市民は、自分と同行者の身を守るために、これら刃物に限定した防御を考えておけばよい(というより、考える必要がある)。

ナイフ類は、刀とちがって、”切る”よりも、(特に致命傷を与える場合)”刺す=突く”ことが攻撃動作となりやすい。
突く攻撃は、受け側にとっては動線が最小限の点状で直進してくるので、線状である”切る”よりも防御が難しい。

突く武器に対しては、古典的に有効なのは、その動線を真正面で遮断する”楯”だが、現代人にとって、楯に代用できるのはせいぜいアタッシュケースくらいで(しかも把手の位置から防御態勢はとりにくい)、そのようなものは携行品にはなりにくい。

次善の防御法としては、”払う”がある。
これは突く動線を、まともに受けずに、横から力を与えて変更させるもので、剣術において”突き”に対して使われる方法(体捌きでかわすことが第一だが)。
これなら硬い棒状のものであれば可能だ。
といっても木刀や警棒を携行するわけにはいかない(銃刀法違反だから)。

棒は長いほど間合いがとれるので、刃物より長いステッキなら申し分ない。
だが、ステッキは今では(チャップリンのような)紳士の道具から脱落し、歩行困難者の補助道具となっている。
つまり健康な者が持つアイテムではなくなっている。
私はステッキの復活が一番有効だと思うが(そもそもステッキは市民男性の防御用具だった)、少なくとも当面はむずかしい(雨天なら長めの傘で代用できるが)。

ではその次にくる対処法はなにか。
払うにしても、長さを犠牲にして、むしろ日常的携帯を主眼においた棒状のものがよい。
しかも武器とみなされずに「銃刀法」にひっかからないもの。
つまり、ステッキや傘のような何かの”道具”であるもの。
それに該当するのは、新選組の芹沢鴨が常用していたあれがある。
それは、”鉄扇(てっせん)”(写真)。

鉄扇は、100%扇なので、武器ではない。
ただ材質が鉄なだけ。
これはもともと簡単な防御のために存在していた。
武士といえども、安易な刃傷沙汰は避けたいから。
なので私は、鉄扇は現代の”脇差”だと思っている。
茶人や町人ではなく、武士を気取って和服を着るなら、ぜひこれを腰に差したい(扇はもともと腹ではなく、腰に差していた)。

標準的な八寸の長さなら一万円前後で買える(たとえば秋葉の「武装商店」、ネット通販でも)。
これより大きいのもあるが、扇としてでかすぎ(道具になれない)、携行しにくい。

鉄扇は扇なので、和服なら、そのまま帯に差して歩ける。
洋服ならズボンの尻ポケット(利手側)に差し込める。
鞄の中にしまっては、いざという時、間に合わない。
ちなみに、鞄は利手でない手で持つこと。

本体は袋に包んでおく(あおぐ以外は開かないので、袋に入れたままで使える)。
袋は鉄扇を買うと、たいていついてくる(写真の鉄扇の下に敷いてあるのが袋)。

あくまで防御用だから、持って身構えることで、攻撃抑止ができれたらそれで充分。
実際の使用法は、『鉄扇術』と題したテキストがあるのでそれを参考にするとよい。
個人的には、『小太刀術』(脇差剣術、あるいは「チャンバラ」)が身体の動きを含めて参考になる(手の延長として使う)。

鉄扇の代わりに、「十手」でもいいが、現代人の携行品としてはちょっと違和感ありすぎ。
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上野動物園

2008年03月26日 | 身内
甥っ子の柊聖(4歳)が祖母(私の母)と上野動物園に行くというので、帰省して暇な自分も同行することにした。
さらに、東大病院で検査帰りの姪の乃の佳(1歳)と義妹(甥姪の母)も加わり、老若男女5人での上野動物園見学と相成った。

私自身は数十年ぶりだろう。
モノレールに乗ったのは更に久しぶり。

上野動物園といえば、昔は狭い檻に入れて見せるだけの「標本」主義だったが、
最近は動物に生活空間が与えられ、昔のように、狭い檻の中を往復し続ける哀れな姿を見る事でかえって心痛めることもなくなった。

パンダが一匹しかいなくなったパンダ館は寂しかったが、かわってレーサーパンダが持ち前のかわいい顔で木の高みにのぼって、終了時まで遠くから見る事ができた。
今や動物園は、パンダだけでなく、トラやゴリラなど、絶滅危惧種の貴重な維持機関になりつつあるようだ(罪深い人類のせめてもの償い)。

それにしても乳・幼児連れだと、昼食も含めて、やたら時間がかかる。
ポイントを選んで見ているのに、ゾウに達する前に終園時間になってしまった。
園外に出たら、20℃を越えた今日の暖かさでか、上野公園の桜が満開。
ついでに花見も堪能した。


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今年はカエル年

2008年03月24日 | 時事
2ちゃんの「ニュー速」を見ていたら、今年は「国際カエル年」だという。
その記事によれば、国際カエル年とは、以下の経緯で決まったという。
「両生類を絶滅の危機から救おうと、2006年、国際自然保護連合(IUCN)や世界動物園水族館協会(WAZA)が中心となり、「両生類の箱舟」(Amphibian Ark)プロジェクトが発足しました。この「両生類の箱舟」プロジェクトが2008年に推進する世界的キャンペーン、それが「国際カエル年」です。」
そしてそれにちなんで、長野市の茶臼山動物園でイベントをやるという(これがニュースの本体)。

ちょっと待てよ。
茶臼山といえば、私が年に1度は行く、愛知と長野の県境にも茶臼山(1415mで愛知の最高峰)があって、その長野県の根羽村側に「カエル館」というカエル専門の水族館があったぞ。
そこには世にも珍しい”ワン”と鳴くネバタゴガエル(天然記念物)がいたぞ。
そのカエル館は現在冬眠中で、今年は4月26日(土)より開館予定だそうだ。

あと、岐阜県の下呂温泉だって、今やカエルをシンボルにしているし、カエルが主祭神の「かえる神社」まで作っているぞ(訪問記事)。
この国際カエル年に、これらの地が黙っていることはないだろう。
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一歳の誕生日

2008年03月23日 | 身内
姪っ子乃の佳(ののか)ちゃんが明日で満一歳なので
今日そのお祝いをした(写真)。
といっても、そもそも予定日より2週間ほど早い帝王切開だったけど。
それに、神経・筋肉の発達が標準より遅れているので、
まだ起き上がれない。
でも歯はちゃんと生えて、離乳食ではなく大人と同じ料理を食べる。
満一歳の誕生日って本人にはチンブンカンプンだけど、
周囲の大人が喜んでいる。
だってこの子、新生児室から救急車で別の病院に運ばれたんだから。

今日は、ママのお手製のラザニアにオリーブオイルたっぷりの野菜料理を堪能(大人たちが)。
お兄さんにあたる4歳の柊ちゃんは、ケーキだけが楽しみ。
ノンちゃんには、GAPで買ったカチューシャ(ヘアーバンド)とおそろいの服をプレゼントした。
髪の毛がふさふさなので、よく似合うと母親が喜んでいた。
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八王子日帰り旅

2008年03月22日 | 東京
八王子の郷土資料館で、「八王子と天然理心流」展をやっているので観に行った(30日まで)。
天然理心流とは、新選組の近藤勇の剣術流派で、沖田総司や土方歳三もその門弟だった実践剣法。
その流派の本拠地はこの桑都八王子であった。
八王子といえば都下で最大の市で、そこらの県庁所在地を凌駕する都市規模を誇っている。
といっても、都区部の人間にとっては、高尾山に行く時の通過点にすぎない。
私も八王子城と陣場山のハイクで立寄っただけ。

せっかく行くのだから、名物ぽいのを昼飯に食べようとネットで調べたら、
「八王子ラーメン」なるものが、いわばご当地ラーメンとしてあることがわかった。
それを出している「でうら」という店が、資料館近くにあったので、まずはそこを目指す。
やはり、店の外にまで行列が。
でもネットでは回転がはやいというので、迷わず並ぶ。
都心では、ラーメン屋に並ぶことは決してしないが、
地方の訪問先では、せっかくだから並んででも食べてみたい気持ちになる。
しかも、せっかくついでに、注文も”並”ではなく”大盛(1.5倍)”にしてしまう。
しかし八王子ラーメンは至って廉価で、並はたいていの店で450円で、大盛でも550円。
八王子ラーメンは、”きざみ玉ねぎ”が入っているのが第一の特徴らしく、そしてそれに合うようにつゆは醤油ベース、麺はそれ用に作られた尾張屋の細麺が定番という。
カウンター越しに確認したら、確かにこの店の麺は「尾張屋」の箱から出されている。
しかも壁のあちこちの貼り物を見ると、主人は大のドラゴンズファン。
なので名古屋人が行っても違和感ない。

店内で並んでいる間に注文をして、給水機から自分用の水を汲んで、指定された席につく。
最初、大盛では多すぎるかと思ったが、簡単にぺろりと平らげた。
タマネギは、ぐつぐつに煮込んではないので、逆に味が生きている。
ただ、箸で取るには小さくて(レンゲはつかない)、つゆにかなり残ってしまうのがおしい(通の人はタマネギをうまく麺にからめて食べるのかな)。
さて、第一目的(いつのまに?)を終え、坂を下って資料館に行く。

ここは入館無料で、目的の特別展は一室にまとめられていた。
近藤勇が発行した許状などもあった。
この特別展用に作られた図録を購入。
天然理心流に関する活字資料って少ないから、この資料を入手するのが第二の目的。
翻刻された増田藏六(流内で実力ナンバー1)の「印可」には、天然理心流の神髄が具体的に記されてあって、とても参考になりそう。
また藏六の弟子の山本萬次郎という人は、天然理心流だけでなく、なんと小笠原流礼法も教えていたというからうれしくなる。

さらに、足を伸ばして、信松院に行く。
信玄の娘松姫が住職をしていた寺で、清楚な墓がある。
地歴部員だった高校時代(現、あきる野市)から行きたいと思っていた所(そう、八王子って近くて遠い地だった)。
これで本日の予定は終わったが、まだ14時台。
帰るには早い。

資料館でもらった観光地図によると、天然理心流の村田藏六の碑のある善龍寺がここから近い。
せっかくだから天然理心流の史跡も廻ろうと、善龍寺へ向う。
善龍寺の前の道路は「秋川街道」で、戸吹(とぶき)を通るバスが走っている。
戸吹には、天然理心流初代と二代の墓があるのだ。
八王子は次にいつ来るかわかららない。
またまたせっかくついでに、バスに乗って戸吹に降り立つ。

滝山街道沿いのここ戸吹は、実は私にとって懐しい。
我が高校(全寮制)時代、学期の前後などに実家から母が運転する車で通過した所。
この戸吹を過ぎると、道は峠を越えて秋川の谷に下り、高校がある秋留台が一望となる(峠の手前にあった「へそまんじゅう」の看板は今でもあるのかな)。
なのでここ戸吹は、厳しい寮生活に戻る時あるいはそれから解放されて実家に戻る時の、気分的な境界地点だった。
天然理心流流祖の墓のある桂福寺の二階建ての鐘門は(写真)、その頃から素通りしながらも印象的で目に焼き付いていた。
その寺を、今回初めて訪れるわけだ。
新選組のベースとなった天然理心流への思いに、自分の高校時代の思い出が加わった境内で、流祖近藤内蔵助と二代目三助の墓を詣でた。

初めての「八王子ラーメン」から始まり、最後は高校時代の思い出にひたれて、
思いの外、充実した八王子の日帰り旅だった。
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伊豆長岡から韮山まで

2008年03月21日 | 
伊豆長岡から韮山にかけては、北条氏の本拠地で、頼朝挙兵の頃の史跡がある。
それに室町末期の堀越公方・北条早雲関係、幕末の名代官江川太郎左衛門関係の史跡が重なっている。
長岡駅で自転車をレンタルすれば、これらを一気に廻れるが、そうすると今後、長岡に湯治に来ても、時間をつぶす所がなくなるので、小出しに見ていく事にする。

まず今回は、鎌倉時代を生んだ北条氏関係。
長岡温泉から狩野川の堤防に出て、富士はもちろん、まだ雪が残る箱根と天城を左右に見ながら、千歳橋を渡って北に進む。

国道136号線に平行した住宅地の裏道を通って、まず最初の寺は曹洞宗信光寺。
ここには清和源氏で鎌倉初期の甲斐武田の武田信光の供養塔(五輪塔)がある。
信光は小笠原長清らとともに「弓馬四天王」と言われたという。

信光寺前の細い道を北上すると、広い道に交差し、その道を左折すると天台宗願成就院。
北条時政の開基といい、跡地には南塔跡の土盛りがある。
今の願成就院は、荒れ果てた寺を、浅草の人たちが講を組んでバックアップして、再興したもので、
本堂には重要文化財の阿弥陀如来がある(庫裡に頼めば、300円で宝物殿とともに拝観可能だが、入り口から見えるし、なんかめんどうなのでやめた)。
ここには北条時政の墓があり、あと北条早雲に攻め殺された最後の堀越公方・茶々丸の墓がある。
境内には現代人を彫刻にした羅漢像が並んで、独特の雰囲気を出している。

この寺の奥、守山の中腹に守山八幡神社があり、頼朝が挙兵した地となっている。
長い石段を上ると、江戸時代の社殿が残っている。
左右が杉林の石段から見下ろす舞殿が、質素だが気品ある鎌倉武士の雰囲気を感じさせる(写真)。

さらに北上し、光照寺は拝観不可なので素通りし、その先に北条氏の末裔が住職をしている浄土真宗成福寺がある。
ここには北条時宗一族の供養塔(五輪塔)がある。

このルート最北の長徳寺の門前で、地元野菜の無人スタンドがあったので、
新鮮野菜を実家のみやげにと、シイタケと青菜の一種(洋名で名を忘れた)を買った(名を忘れた菜は、初めて目にしたのだが、今日の夕食時に母がオリーブオイル+塩コショウで炒めた。皿に山盛りだったが、おいしくて空になった)

国道136号線を渡って、東に進めば韮山駅。
韮山で昼飯をとろうと思ったが、駅前にはその手の店がないので、
三島に出て、駅そばでも食べようと思ったが、
駅前を歩いていたら気が変って、期間限定発売の駅弁「アジ寿司」を買って、新幹線内で食べた。
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またも弘法の湯

2008年03月20日 | 
2月に行った伊豆長岡の「弘法の湯・長岡店」が気に入ったので、1ヶ月後の今回は、同じ温泉地にある同系列の「弘法の湯・古奈本店」に泊ってみた。

長岡温泉は東京から気楽に行けるのがいい。
新幹線を使えば、東京から三島まで60分で、プラス伊豆箱根鉄道で30分弱。
在来線のグリーン車と較べて(ロングシートの普通車両に乗る気はしない)、こだま自由席だと、700円ほど高くつくが、席の快適度は同じで、所要時間は半分で済む(=家を出る時刻を1時間遅くできる)。

おっと、比較したいのは「弘法の湯」の方だった。
両店とも、料金・風呂の種類・入浴時間・食事などの基本的なサービス内容は同じ。
室内にある利用案内を開いたら、「特にお願い」事項として、従業員に付け届けや土産類は御遠慮願うという注意書きがあった。
この宿は連泊者向けだから、それだけ、人的サービスのよさ(むしろ控えめなんだが)が身にしみるのだろう。

だが、私にとっては、長岡店とは歴然と差がついてしまった。
まず客室。
ネット予約の際、本店は1人客用が4畳半とあったから、(狭い部屋は嫌なので)500円ほど上乗せして、あえて広めの部屋(6畳)をとった。
それでも長岡店の8畳+椅子の間には及ばない。
室内の洗浄器つきトイレや空の冷蔵庫などは差がないが、畳はイグサでない安物で、テレビも16インチと小さい。

長岡店は、既存の(廃業した)旅館を再利用したようで、客室もちゃんとした旅館のそれだが、こちらの部屋は、事務的な部屋を客室にしたらしく、情緒もへったくれもない(公的保養所によくある雰囲気)。

浴室もこちらは浴槽が1つしかない(別に混んでなければそれでもいいが)。
なんといっても私の評価に響いたのが、「ストーンセラピー室」利用が別途有料とのこと(1回500円)。
あの部屋で居眠りするのが楽しみだったのに…
また、無料のマッサージ機は日帰り客の休憩室にあるため、夕方までは混んでいるし、そのうち2台は故障気味だった。

こちら店の利点は、長岡駅に近いことくらいか(逆にバス停には遠いが…)。
基本サービスは連泊湯治向けでリーズナブルなので、最初に本店を使えば、こちらのリピーターになるかもしれないが、私はあっちにする。
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18000円のくず入れ

2008年03月19日 | 東京
我が実家近辺は、”江戸指物(さしもの)”の地。
去年の9月に地元の伝統技術展を見に行って、江戸指物の屑箱をほしくなっていた(その記事へリンク)。
でも5万円もしたから手が出なかった。

今週いっぱい谷中の”木楽庵”で江戸指物展をやってるというので見に行った。
そしたら、屑箱が17800円で売っているではないか。
展示会だからちゃんとした作者付きの品で、
材質・色合いや木目などは指物らしくてOK(写真)。
二もなく買い求めた。
これで我が部屋に一生物のゴミ箱が置かれることになる。
次は文机(ふづくえ)かな。
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卒業記念パーティ

2008年03月17日 | お仕事
今日は、卒業記念パーティ。
場所は名古屋駅の高層ビルのホテルアソシア。
学生たちはめいっぱい着飾ってくるので、私も年に一度の礼装で応じる。
若い時にバブルを経験した身なので、そのあたりの出で立ちには抵抗ない。
スタンドカラーシャツにボウタイ・カマーバンドをつけ、タキシードにポケットチーフをあしらう。
ふふ、我ながらキマったと満足し、パーティ会場についたら、後悔。
だってホテルの従業員に溶け込んじゃうんだもん。

以前(東京時代)、やはり卒業パーティの時、ホテルのエレベータを待っていたら、知らないおばさんが近づいてきて、「新館へはどう行ったらいいんですか?」ときかれたっけ。
それ以来、オーソドックスな礼装ではなく、あえてどこかを崩すようにしているが、それでも副支配人って感じになってるかも。

パーティは始まったが、同じ学科の男性教員がほかに来ない(女性教員はいる)。
他学科の教員になんで来ないのか尋ねたら、「だって心理やる人って、こういう大勢の中って苦手でしょう」。
なるほど、確かに自分もその部類だが、巣立っていく卒業生たちを見送る側がいないのも問題だろう(そういう自分も大学院の卒業記念パーティは欠席)。
もっとも、出席した教員は、ただ学生たちの記念撮影に加わるしかする事がなく、たのしくおしゃべりするわけでもない。
でも最後に壇上で花束を贈呈され、一言送る言葉を求められた。
「四年間の一番の収穫は、今ここに一緒にいる友だちだよ」と言っておいた。

自分が大学を卒業した時の記念パーティは、(陸の孤島だったので)なんと大学の学食でやった。
しかも自分は4月からは大学院であと5年ここにいることが決まっていたので、卒業は単なる折り返し点にすぎない。
それに仲のいい友人たちもこぞって院進学だったから、「別れ」の実感がなく、ちっとも感慨がわかなかった。
でも、パーティの風景は今でもありありと思い浮かぶ。

卒業記念パーティって結局は「別れ」の儀式だから、パーティそのものは陽気でも、終わった後は、寂しさがこみあげてくる。
笑顔で「卒業おめでとう」とは言うものの、少なくとも送る側にとっては、もう顔をみることがない、永遠の別れなんだから。
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財布を落とさない方法

2008年03月16日 | 失敗トラブル
財布をバッグのチャック付きポケットに入れるという今までの方法の欠点は、
財布の出し入れに毎回チャックを開閉する面倒さ(開けたままにしておく誘惑に駆られる)と、バッグを持たないちょっとした外出時に実行できないという点だった。
それと落とした時にわかるために鈴を付けたが、ヘッドホンつけて外出する自分には効果うすいことがわかった(それに鈴はうるさいしみっともない)。

そこで、これらの欠点をもたない方法に替える事にした。
実は携帯電話を買った時、精密品であるこれを落としたらいけないと思って、バネ状で伸縮する紐のストラップを買った。
紐の先はカラビナ状のワンタッチで止めるリングがついている。
これを携帯電話に取り付けていたが、そもそも歩きながら通話することがなく、ワンセグも見ないので、この紐をつけてもあまり意味がない感じだった。

なのでそのストラップを財布に着けてみた(財布内のチャックの把手の四角い穴に通す)。
紐の取付けリングはバッグのベルトにもズボンのベルト通しにもワンタッチでつけられる。
伸縮するから、支払の時も紐が伸びるだけ。
ズボンのベルト通しに取り付ければ、危険な「尻ポケット」に入れても、これなら落としたり、スられることもない。
セット(着脱)の一動作が余分だが、バッグのチャックのように出し入れのたびに動作は増えない。
そしてもバッグを持たない場合でも使える。
落ちないから、鈴も不要。
今考えられる、最善の方法だ。

これも多様な携帯電話ストラップが出てきたおかげ。
不可能を可能にしてくれる「道具」というのはありがたい。
携帯用の方は、紐状ではなく、輪状のものにする。
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なぜ落して帰ったのか

2008年03月14日 | 失敗トラブル
さて昨日の一件は、善意のおかげで無事にすんだが、きちんと反省しなくてはならない。
そもそも「不死身の財布」といっても、それに頼って何も策を講じてこなかったわけではない。

初期の数回の紛失は、上衣の内ポケットからの脱落だったので、
まず、通勤などの乗り物を使う時は、衣服のポケットに入れることをやめ、鞄や小バッグのチャックで閉じるポケットに入れることにした。

それでも近所の買い物などは、バッグを持ちようがないので、やはり上衣の内ポケットに入れるしかなく、それで落したことがあった(落としたのが家の玄関前で、拾われて交番に届けられた)。

そこで今年から、財布がスルリと抜け落ちても、落下した音でわかるように、見た目を犠牲にして、主婦のように財布に鈴をつけることにした。

今回は、外出用の小バッグをたすき掛けにして、財布はそのバッグの服側のチャックで締めるポケットに入れていた。
ところが、そのチャックをなんのはずみか、面倒がって締めなかった気がする。

車を運転する時、シートベルトを締めるのが面倒になる時がある。
でも、シートベルトを締めない時に限って事故るかもしれない、という気がして、結局締めることにしている。
そのような、思いが今回たまたま欠けていた。

では財布につけた鈴の効果はどうだったのか。
最近はちょっとした外出時は、iPodでポッドキャストを聞くのを楽しみにしている。
だから、両耳はずっとヘッドホンをしたまま。
さらにそのヘッドホンは、お気に入りのノイズキャンセリング(騒音カット)タイプときている。
つまり、財布がスリ落ちても、落下音がわからない態勢に自分でしていたのだ。
ここまでくれば、自業自得ってことがわかる。

「好事魔多し」というが、ちょっと気が弛むと、それを狙ったかのように、すかさず失敗するものなんだな。
「常事魔多し」と考えるべきだ。
「常に気を抜かない」、これが武家礼法の極意なのに…まだまだ修行が足りんな。
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どん底気分

2008年03月13日 | 失敗トラブル
外出から戻り、家で下の「VIP気分?」の記事を書いていた。
すると愛知の勤務先の事務助手の人からメールが来て(メールが来ると自動的にパソコン画面に表示するようにしてある)、「財布を落としていませんか? 東京の上野警察署に連絡してください」とのこと。
えっと思い、いつも財布を入れているバッグを見ると、確かにあるはずの革の財布(札入れ)がない。
まず勤務先にお礼の返信をして、上野署に電話した。

そもそも、なぜ上野署が私の勤務先へ電話できたかというと、
まず私は銀座で下の記事の用を済ませた帰り、御徒町で途中下車して、多慶屋で買物して、アメ横を通り、上野駅横の古書店で本を一冊買って、上野から山手線で帰ってきた。
財布を落としたのが上野駅近辺だから、届けれくれた最寄の警察署は上野署となる。
そして私の財布の中には、自慢の銀行カード2枚のほかに、運転免許証、勤務先の身分証明書、それに自分の名刺を数枚入れていた。
その名刺に勤務先の連絡先が印刷されてある。
なのでこの財布から、持ち主とその連絡先まで判明する仕組みになっていた。

ついでに財布にはその他に、クレジットカードや帰り用の名古屋までの乗車券、それに現金が4万円ほど入っている。つまり、無くしたら金銭的にも情報的にも損害はとっっても甚大だった(名古屋のユリカカードや伊東屋のメルシー券も)。

次に、その財布を落としたのをなぜ自分で気づかなかったのかといえば、上野で最後の買物をした後は、すでに財布を落としていた時に駅ではSUICAを使ったから。
だから、「財布をどこかに落としてしまった!」という落胆・あせりを体験することなく、財布が届いた安心感が先に来てしまった。

でも、今手元に財布がないし、中身もどれほど無事かわからない。
第一、このままでは自分にはSUICAを使うことしか経済行為ができない。

上野署に電話をして、財布の落とし主であることを告げる。
「受取りに来る時は本人を確認できるものをもってきてほしい」と言われたが、それらもいっさいその財布の中にあるというと、「確かにそうですね」といって、印鑑の持参だけでOKしてくれた。
ただ受付は午後6時までだという。
腕時計を見ると、午後5時35分をまわったところ。
電話の向うの人は、明日以降に来てほしい口調だが、
こちらとしては一刻も早く、わが財布を戻したい。
今から急いでそちらに行くと言って電話を切り、地図で上野署の在りかを確認して、駅から近いからなんとか間に合いそうとふんで家を出る。
玄関の外で帰宅した母と出くわし、「財布を落としたので、取りに行く」というと、「また?」といってあきれられた。

上野で降りて、駅の浅草口から出る。
ところが、こちら側の駅前は横断歩道がなく、歩行者は2階の高さにある長大なループ(円環)状の歩道橋を通って向う側に行くしかない。
実は上野駅のこちら側は行きつけないので、道の見当がつかない。
浅草署のある浅草通りは、どのあたりでループから降りればいいのかわからないのだ。

付近の人に道を尋ねるという選択肢を元来もたない私は、自分で見通しをつけて、
通勤帰りの駅に向う歩行者をかき分けて一人走り出す。
もう5時50分をまわったので、歩いてなんかいられないのだ。
ループを半周したところで歩道橋を駆け降りて、広い通り沿いの歩道を走る。
すると前方に昼間みた多慶屋のネオンが。
違う!ここは昭和通りで、この道では御徒町にいってしまう。
引き返して、階段を駆け上がって、また歩道橋のループに戻り、別の分岐を目指して走る。

こんなに走ったのはひさしぶり。
でも幸い、息もあがらず、足も動く。
ただ、どの道を目指せばいいのか、依然としてわからない。
時計の針は5時55分を過ぎようとしている。
階段を下りて見当をつけた別の大通りに出て、直進しようとした所に幸い、付近の地図の看板があった。
上野署へはこの道を直進するのではなく、右に伸びる通り沿いだとわかった。
また間違えるところだった。
右折して通りを走ると、すぐに上野署があった。
5時58分。間に合った。

受付で担当部署を聞き、3階に行くと、窓口ではもう私に渡す準備(終業時間だもんな)。
書類に住所・氏名を記入し、捺印すると我が財布を渡してくれた。
カード類だけでなく、現金もそのままだった。
拾ってくれた人の名を聞き出すと、名は伝えたくないとのことで教えられないという。
お礼の気持ちのもって行き先がなくなったので、窓口の人にお礼を言って、帰宅する。

実はこの財布、今まで5回くらい外で落とした。
でも毎回、中身も含めて無事にもどっている。
だから私は「不死身の財布」と名づけている。
もちろんこの財布にその力があるのではなく、この財布を拾ってくれた人が、毎回善良な人だったという幸運が続いたわけ。
無くしたショックを経験することなく、無事に戻ったという嬉しさだけを味わうことができた(といっても金銭的にはプラマイゼロなのだが)。

帰宅途中、(特別な時用の)エビスビールを買って、夕食時に、財布を拾って届けてくれた見知らぬ人用のグラスを用意して乾杯した。
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VIP気分?

2008年03月13日 | 東京
最近の銀行は、一定額以上の預金者には別個のサービスを提供する傾向にある。
たとえば、振込手数料や送金が無料とか、あるいは繁華街で専用ルーム(以下VIPルーム)を使えたりする。
私はなぜか2つの銀行のVIPルームを使う権利を有している。
せっかくなので、ためしにそれらのVIPルームを使ってみることにした。

まず外資系のC銀行では、私は「ゴールドメンバー」。
新宿東口にそのスペースがあるので、ふらりと行ってみた。
ビルのとあるフロアの入り口で金色の銀行カードを通すと、ドアがあき、受付で氏名や口座番号などを記入して中に入る。
白い壁のいたって質素な室内で、長いソファや向かい合わせの椅子とかが点在し、セルフサービスでコーヒーや缶のフルーツジュースを飲める(缶ジュースは持ち帰り禁)。
パソコンもセットされているが、使用するには届けが必要。
壁の一面には、液晶テレビが掛かって、字幕つきの洋画が音声を落して流れている。
最初は他に客はいなかったが、坐ってコーヒーとジュースを飲んでいるうち、2人ほど入ってきた。
携帯電話は禁止で、小さなBGMの外には音はない。
新宿東口での買物ついでに、喫茶店での休憩がわりに使えることを確認できた。

一方、一応邦銀のS銀行では、私は「プラチナメンバー」(ゴールドより上!)。
こちらは、銀座にメンバー専用ルームが用意されている。
ただし前日の予約が必要。
電話で予約をとろうとすると、来店時間を決め、利用目的も言わねばならない。
面倒になったが、ものはためしで体験したいので、思いつきで12時半の予約を入れた。
さて、当日、銀座で昼食をすましてから行こうと思ったが、出発が遅れ、その時間をとれない。
でも腹をすかせたままでVIPルームにいてもリラックスできまい。

そこで駅のコンビニでおにぎりを2つ買った。
飲物を買わなかったのは、C銀行で味をしめて、今回も期待したから。
でも考えてみたら、豪華な応接セットのあるVIPルームは食事禁止かもしれない(食べ物を持ち込むことなんて想定外だろう)。
たぶんそうだろうから、先におにぎりを食べて、その直後に入室して(当然出されるはず)のコーヒーなどを飲めばいいや。
と思い直して、おにぎりを食べる場所を探す。
さすがに銀座の中央通りでは無理なので、ブルガリとルイ・ヴィトンとカルティエとシャネルの4つの店舗が構成する十字路を越えて、裏通りの四つ角で、石に腰掛けてコンビニのおにぎりを頬ばる。
こんな貧乏くさいことやってる男が、今から銀行のVIPルームのソファに身を沈めるとは誰も想像できまい。

モノが腹に入ったせいで落着きが出て、銀座4丁目の交差点すぐのそのビルに入り、7階で降りる。
受付で予約した旨を伝えて、中に通される。
こちらはソファも調度品も豪勢で、雑誌なども多種おいてあり、また四方の液晶テレビからは経済情報が音をおとして流れている。
窓の外は和光の時計台が正面で、銀座の表通りを歩く人々を見下ろせる。
他に客はいない。
ソファに腰掛けていると、受付の女性が、冷えたお茶をもってきて、腰掛けている私の横で、膝まづいてテーブルに置く。
確かに設備的・人的サービスはC銀行より上だが、飲物はお茶一杯だけか…。
どうやらここは休憩というより、投資相談などをする所みたいだ。
雑誌に目を通し、一杯の茶を飲めば、あとはすることがない。
居心地はいいが、時間予約が必要な点で、ここは”銀ぶら”には使えないことがわかった。
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