「驚き」、「怒り」、「恐怖」、「愛」、「悲しみ」に続く、感情論の第六弾だ。
執筆期間中も感動を生々しく体験するために、手元にある感動する映画(DVD)を観る。
感動映画は、必ずしも一番好きな映画・傑作と評価する映画ではないが
(逆に一番の映画は感動とは別の価値をもっている)、
とにかく感動するという価値をもっている。
私の3大感動映画は以下の作品。
『カサブランカ』 1943年(主演:ハンフリー・ボガード、イングリッド・バーグマン)。
『マディソン郡の橋』1995年(主演:クリント・イーストウッド、メリル・ストリープ)。
『蝉しぐれ』2005年(藤沢周平原作、主演:市川染五郎、木村佳乃)。。
これらの3本に共通する内容は、成就することのない大人の恋愛、である点。
カサブランカは三角関係で自分が身を引く。
マディソンはたった4日間の不倫。
蝉しぐれは、互いに家族をもった後の再会で、無表情に過去の想いを述べる(言葉に気持ちのすべてを託す)。
そして、いずれも(少なくとも男の方は)長年一途な想いであること。
大人の愛、すなわち家庭をもつ年齢の恋愛は、大人の分別もあり、悲恋になる。
しかし、大人の愛は、一時の熱病のような若い恋ではないのも確か。
その愛は、大人であるゆえに本物であると確信できる。
成就できなかったという不幸をこえて、真実の愛に生きたということが、悲しい幸福感をもたらす。
そこに感動する。
感動は、単純な幸福(ハッピー)感からは生れない。
実際、感動反応自体は、悲しみに近い。
でもその時の気持ちは喜びの方に近い。
悲しみという存在の根源に触れる感情体験が、愛の対象喪失という絶望に向かわずに、
愛が非関係的ながらも実現されることに、感情というより精神的な喜びを感じるのだろう。
残念ながら「感動」の心理学は寡聞にして知らない(愛や悲しみならあるのに)。
なので自分自身の感動体験をベースに、脳科学の研究成果と本居宣長の「物のあわれ論」をミックスして考えることにする
(松阪に出張したのもこの理由でした)。