今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

私の3大感動映画

2009年10月28日 | お仕事
今、「感動」という感情についての論文を書いている。
「驚き」、「怒り」、「恐怖」、「愛」、「悲しみ」に続く、感情論の第六弾だ。
執筆期間中も感動を生々しく体験するために、手元にある感動する映画(DVD)を観る。

感動映画は、必ずしも一番好きな映画・傑作と評価する映画ではないが
(逆に一番の映画は感動とは別の価値をもっている)、
とにかく感動するという価値をもっている。

私の3大感動映画は以下の作品。
『カサブランカ』 1943年(主演:ハンフリー・ボガード、イングリッド・バーグマン)。
『マディソン郡の橋』1995年(主演:クリント・イーストウッド、メリル・ストリープ)。
『蝉しぐれ』2005年(藤沢周平原作、主演:市川染五郎、木村佳乃)。。

これらの3本に共通する内容は、成就することのない大人の恋愛、である点。
カサブランカは三角関係で自分が身を引く。
マディソンはたった4日間の不倫。
蝉しぐれは、互いに家族をもった後の再会で、無表情に過去の想いを述べる(言葉に気持ちのすべてを託す)。

そして、いずれも(少なくとも男の方は)長年一途な想いであること。
大人の愛、すなわち家庭をもつ年齢の恋愛は、大人の分別もあり、悲恋になる。
しかし、大人の愛は、一時の熱病のような若い恋ではないのも確か。
その愛は、大人であるゆえに本物であると確信できる。

成就できなかったという不幸をこえて、真実の愛に生きたということが、悲しい幸福感をもたらす。
そこに感動する。
感動は、単純な幸福(ハッピー)感からは生れない。
実際、感動反応自体は、悲しみに近い。
でもその時の気持ちは喜びの方に近い。
悲しみという存在の根源に触れる感情体験が、愛の対象喪失という絶望に向かわずに、
愛が非関係的ながらも実現されることに、感情というより精神的な喜びを感じるのだろう。

残念ながら「感動」の心理学は寡聞にして知らない(愛や悲しみならあるのに)。
なので自分自身の感動体験をベースに、脳科学の研究成果と本居宣長の「物のあわれ論」をミックスして考えることにする
(松阪に出張したのもこの理由でした)。

道を尋ねられる男:その正体

2009年10月24日 | 

先日、初めて訪れた松阪市内を歩いていたら、
前方から徐行してきた尾張小牧ナンバーの車が止まって、
助手席から女性が、市民文化会館の行き先を尋ねてきた。

私は旅先で歩いていて道を尋ねられることがよくある。
ざっと思い出しても山梨県南アルプス市、福井県三国町、
兵庫県明石市、そして三重県松阪市…。
先の二箇所で尋ねてきた人は地元ナンバーの車だった。

わが居住地の東京と名古屋でも道を尋ねられることはあるが、
旅先というのは、旅の恰好をして、きょろきょろして、たいてい観光マップを手にしており、
どうみても地元の地理に詳しい者の姿でないはず。

それでも道を聞かれやすいということは、私のかもしだす雰囲気が、
いかにもこの付近の道に詳しそうな、自信たっぷりの様子で歩いているからだろうか。
いや、まず思い当たるのは、悲しいかな、いつも一人で歩いているから。
確かにラブラブのカップルや楽しそうなグループに道を聞きにくい。

一人でいる女性なら…、おそらく尋ねない。
尋ねる前に「地図の読めない女」という書名を思い出すだろう。
ただし、家族が旅に出て一人でいる女性に、遠方からやってきた中年男が道を尋ね、
女性の不得要領の説明から、二人の永遠の愛が始まるという
『マディソン郡の橋』のパターンもありうるが。

私が旅先で道をきかれる、もうひとつの理由として、
私は初めての地でも地元の人しか歩かないような裏道を好んで歩くためでもあろう。
確かに、小さい時から地図が好きで、その後も山が好きになり、旅と街歩きが好きだから、
地理には詳しい人間でありたいと思っている。
だから、私が旅先で地理に詳しそうな雰囲気を出しているとしたら、
それは自分の理想の姿を演じていることになる。

そう、私は、旅先では、思わず自我理想を具現しているのかもしれない。
私自身が旅先で、道がわからなくなっても、決して人に道を尋ねないからだ。
つまり、私は「道を聞かれる男」であっても、決して「道を聞く男」にはならない矜恃がある。
地図が好きな私は、自分が「道を知らない男」に堕すことを決して受入れることが出来ないからだ。
私は、男というジェンダーに必要以上にこだわる人間ではないが、
その私でも「道を知らない奴」というのは”男”として受入れられない。

もちろん、実際には初めての地で私の頭の中に正確な地図ができているわけではない。
私ができないのは、道を知らないことに恥じることなく他人に道を聞くこと。
道を見失っていながら道を進んでいるということは、
漂流船の船長のごとく、絶対他人に知られたくない恥なのだ。
自分が進むべき道を他人に尋ねるという依存性が容認できない。

だから、実際に道に迷った時も、通行人に尋ねることはせずに、
自分で四苦八苦して道を探すことを選ぶ。
どんなに苦労しても、正しい道は自分で見つけだす。
道に迷い続ける時間的損失があっても、わが恥を人にさらすことを回避できるからだ。

ここで、最初の話に戻ると、
かくも「道を知らない男」を受容できない私に、あちこちの旅先の地で、
私を選んで道を尋ねてくる人が行く手をふさぐのだ。
これは、神が与えた試練、いや意地の悪いいたずらか。

自分の行き先がわからなくなっても、わかっているフリを通すことは容易だ。
でも、自分が行ったこともない場所のルートを質問され、
その場で解答を求められるのだ。
これは絶体絶命。

「道を知らない男」に意地でもなれない私は、
「地元の者じゃないので、わかりません」とは言いたくない。
それは相手に対する親切心ではなく、自分のアイデンティティのためだ。
そもそも、初めての地に地図も持たずに歩くという愚行を、
「道を知らない男」に堕す危険を、
この私がするわけがない。

観光地なら、たいてい観光マップを手にしている(しかも数種類)。
その観光マップをちらりと見て、地元の人間のような顔をして、
「あ、それならこの道を…」と指で示しながら道を教える。
松阪の市民文化会館への道も、丁度道路の向かい側だったこともあり、
いとも簡単に教えた(三国町で「一番近い酒屋」という難問を尋ねられた時は、さすがに降参した)。

観光マップのない、普通の市街地ならどうするか。
たとえ地元の都市(東京・名古屋)でも、歩き慣れない地を行く時は、
私はハンディナビ(GPS)を携帯する(今使っているのはGARMIN社のnuvi250)。
東京・六本木で道を聞かれた時は、そのナビをonにしていたので、
相手の行こうとしていた先を「そっちじゃない方がいい」と躊躇なく別の道を案内することができた。

もし皆さんが旅先で道に迷い、そこに自信あり気な私と出くわしたら、遠慮なく道を尋ねてほしい。
ただし、私の手に観光マップかハンディナビがあることを確認してから。


松阪出張2:街歩き

2009年10月19日 | 
松阪駅の西側の旧市街に行く。
週末の日中だが、駅前のメインストリートは人影もまばら。
仏壇屋があるせいか、ただよう香のかおりが、外からやってきた者に街の匂いを印象づける。
目につく方は、「松阪肉」の文字。
この文字を掲げるのは、大は有名な「和田金」・「牛銀」から、小は小売の肉屋・弁当屋まで様々。
人も車も少なく、店も個人経営が多く、落ち着いた風情ともいえるが、
大都市の隣県の県庁でない小都市の旧中心部にありがちな停滞感、
いやむしろゆるやかな衰退感を感じてしまう。
大都市へのストロー現象と、小都市内部のドーナツ現象が重なっているのだ。

裏通りに入ると、松阪商人の家が、公開されている小津家以外にも並んでいて、小江戸的風情を感じる。

松阪城趾の石垣の間を登っていくと、町を一望に見渡せる高台に出る。
そこには梶井基次郎の文学碑がある。
梶井は、この地に滞在し、しょっちゅうここに上がって、町を眺めるのが好きだったという。
それが『城のある町にて』という作品になっている(ダイソーの100円文庫で読んだ)。

だが、今の風景では彼も作品にはしなかったろう(写真)。
あちこちに突出している四角い鉄筋のビルのなんと無粋なこと。
マンションや役所だけでなく、自分が泊まっているホテルも風景の無粋化に貢献している。
それに対して、民家の瓦屋根は、三角形という基本を保った中にも、
入り母屋・寄棟・切り妻とそれぞれ意匠を異にして個性を出している。
四角柱だけのつまらないビルと違って、柱形の上に錐形の屋根が乗るという四角と三角の組合せがいい。
四角い案内板にも三角の屋根がついているるだけで、味わいがでる。

城内にある「鈴屋」旧宅はもちろん、その隣の建物も民俗資料館も、木造建築として文化財的価値があり、
そのまま明治村にあってもおかしくない。
本居宣長記念館では、宣長が勉学に疲れた時、気分転換のために作ったという「柱掛鈴」の小型版を購入。
部屋に飾って学者宣長をしのぶことにする。

さて、夕食だが、
こう「松阪肉」の看板を見せつけられると、せっかく地元なので奮発してみるか、
と気も誘われるのは確かだが、
一食1万円以上の特別料理を、一人で黙々と食べるのもかえって空しさが増すもの。
実は、先月、実家の家族で松阪肉+類松阪肉(こっちがメイン)パーティをやったばかりで、
さらに今月は、同じメンバーで松茸パーティもやった(いずれも家族の誕生会を兼ねて)。
なので食の贅沢にあえてこだわる気もなく、
むしろ商店街の大衆中華料理屋のメニューに載っていた好物”カタ焼そば”に心引かれた(650円)。
帰りに駅の売店で、「松阪肉入り」というレトルトカレー(1050円)を買って、
地元で松阪肉を買ったことする。
今では100円ショップで買えるレトルトカレーだから、1000円というのは超高級品。

松阪といえども、そうやたらと本物の松阪肉が使われているとはかぎらない。
使っている場合はきちんと「松阪肉」と銘打ってある。
そうでない場合は、たとえ「松阪名物」とあっても「黒毛和牛」という表示になる。
土産を買う時は、よく確認しよう。

松阪出張1:アプローチと宿

2009年10月17日 | 
授業のない週末を利用して、三重県の松阪市に出張した。
しかも一泊。
目的は、本居宣長記念館に訪れて、既刊の書物にない本居宣長の情報を入手すること。
なんでこの私が本居宣長を調べるのかって?
確かに作法とも気象とも防災とも関係ない。
実は本業の心理学と関係がある。
その訳は、実際の論文で披露することにして、
ここでは旅行記に絞る。

名古屋に赴任してから伊勢や志摩には幾度も足を運んだが、この松阪は素通りしていたように、
松阪は観光地でも温泉地でもなく、しかも名古屋からなら日帰り圏。
そのような地にあえて宿をとるのは、どんな資料と出会うかわからないため。
日帰りで行って、すごい資料の山を見つけて、時間切れで空しく帰る、ということはしたくない。

そもそも私の旅は、「+1」(プラスワン)の原則、
すなわち日帰り圏は1泊、1泊圏は2泊するようにしている。
もちろん旅先の地を充分に味わうため。

松阪の宿はビジネスホテル。
でも居住性にこだわる私はユニットバスの狭いバスタブではなく、
手足を伸ばせる大浴場に入りたいし、ベッドはセミダブル希望。
松阪にはよく使う「ルートイン」のホテルもあるが、
「ホテルAU」というのが、大浴場に本物の”温泉”を使っているのが気に入って、
そちらにする(朝食付きで5000円)。

宿の次は、交通手段。
行く当日になっても、車か電車か決めかねた。
車なら、往復とも高速1000円。荷物も好き放題運べる。
電車なら、荷物がかさばるが、往復の間に読書や食事ができる。
結局、現地は徒歩で回れるのと、来月同じ高速道を使う予定なのが決め手となり、
電車に決定。

次の選択肢は、近鉄かJRか。
運賃的には近鉄だが、 JRの「快速みえ」(ディーゼル)も全席ボックスシートで所要時間も短くすて難い。
結局、往きはJR、帰りは近鉄(急行)にした。

宿としたホテルは、駅の南側の踏み切り沿いにあり、駅に近いのもいい。
部屋は、テーブルも広め、ベッドもセミダブルでゆったりしている。
椅子も一人用のひじ掛けソファ風で座り心地がいい。
ただ室内照明が分散し、スタンドもないため、読書するには照度が不足気味。

大浴場は榊原温泉隣の「白山温泉」(ナトリウム温泉)とかいう所の湯をもってきているという。
でも入浴時間が18時からで朝は8時までなので、チェックイン後のひとっプロと朝湯ができない
(私は8時まで熟睡、目覚ましで起こされたくない)。
この点で連泊向きではない。
料金に含まれている朝食(パン、サラダ、飲物)は、
最上段のレストラン(夜食も可)で景色を眺めながらなので気分がいい。

松阪の町の探訪は次回の記事にて。

大学院を目指す社会人

2009年10月16日 | お仕事
今日は大学院の学内選抜、すなわち、大学内部のみの選抜試験。
書類選考の一次審査は一週間前に終えて、今日は小論文と面接。
両方の合計点で合否が判定される。
3回やる試験の総定員は10名なのだが、臨床心理士の受験資格が取れる臨床心理領域なので、
今回の学内選抜だけでも16名の志願者がいた。
かように、臨床心理学領域は毎年倍率が高い。
もちろん、「臨床心理士」という資格の力。

学部の心理学科に特徴的なのは、
仕事をやめて、大学生になって大学院を目指す30代以上の社会人が目につくこと。
自分の目指すキャリアを実現するためには、年齢の壁に縛られない。
20歳前後の女の子に混じって、授業を受けるのも平気。
そのために仕事をやめる大胆さは女性の方があるのかもしれない。
もちろん、目的意識が明確で強固だから、
高校あがりの(勉強に飽きた)若い学生より、はるかに勉強熱心。

今年の健康診断結果

2009年10月13日 | 健康
帯状疱疹になる前に受けた健康診断の結果をもらった。
数値が一覧表になって、AからIまでのランク判定がついている。

その内容をブログで公表するなんて、究極の露悪趣味だが、
ここ最近、病いの話ばかりだったので、自分の健康状態の客観的数値もお知らせしたい。

まずメタボ検診(BMI,腹囲)は無事パス。
特に腹囲は漸減傾向。

血圧は今年から降圧剤を服用しているので、数値的には問題ない。

血液検査結果では、γGTPが標準より高目だが、経年的には下っている。
酒とともに肝臓をいたわる薬も飲みつづけよう。

昔からずっと高値安定なのは総コレステロール。
これだけは一度も標準域にならない。
昔は高かった中性脂肪も、今年は2年前の半分の値でもちろん標準域。
これは、ダイエット効果によるもの。

LDLコレステロールは標準域に回復。
HDLの方は、昔から標準域。

血糖値は、漸増して100を超えたが、一応まだ標準域内。
父母双方系に糖尿病者が発生しているので今後注意は必要だな。

尿酸値も漸増して、こっちは標準域上限を超えた。

心電図にも一昨年と同じ異常が出たが、支障ないとの評価。
胃検診は面倒なので受けなかった(ポリープはそのままだろう)。
聴力は高周波(4000Hz)が相変らず左右ともダメ。

というわけで、新たな問題はなく、まぁ昨年並の健康状態ってとこ。

帯状疱疹完治

2009年10月11日 | 健康
諸方に御心配をかけた帯状疱疹がようやく完治した。

痛みだしてから3週間、点滴治療(抗ウイルス剤+痛み止め)を開始してから2週間を要した。
その点滴は、ほぼ毎日やったので左右の腕の内側には内出血の跡が痛々しい。
点滴は木曜に終了し、その後は内服薬に。
今はもう痛みはなく、痛みの起点である背中の疱疹が、小さな出来物に縮小し、痒みのみが残っている。
これ最初の状態と同じ。

医師が言うには、昔は治るのに半年かかったというが、
今は抗ウイルス剤の点滴を集中的にやって数週間で治るという(疱疹部分への塗り薬も併用)。
実際、そうなった。

最悪期には、毎晩、刺すような痛みで夜中に目が覚め、
思わずうなり声をあげるほどで眠れない状態だったが、
幸い昼間は痛みがひいたので、仕事に支障はなかった。

その最悪期に点滴治療を中断して温泉旅行に行ったが(医者にあきれられた)、
体を温めると痛みがひいて、少なくとも滞在中は悪化せず、
むしろ軽快した(ただし治りはしない)。

治療開始が一週間遅れたが、疱疹そのものが重症ではなったのも幸いした。
疱疹は右背中に大きなのが一箇所だけ。
それでも痛みは帯状(神経沿い)に右胸前まで達した。

原因は不明。
きっかけとなるストレスも格別なものはないのだが…。

次は新型インフルエンザに注意しよう。

台風18号にわが気象観測器討死?

2009年10月08日 | お天気
大学の屋上に設置してある、わが私設”日進気象台”の観測器(VantageProPlus)は、
地元愛知に未明に上陸した台風18号の強風いや暴風に耐えつつも、
午前6時00分頃の2度目の25m/秒の暴風を最後に、
風向・風速の記録が途絶えた(その20分前の一度目の25m/秒の暴風には耐えたのだが)。

こいつが送りつづけていたネット配信を見ているので、それらが遠くにいてもわかる。
観測器が強風で倒されたのだ。

高価な観測器を保全したければ、台風が来る前に安全な所にしまっておけばいい。
だが、それでは肝心な時の気象観測の責務が果たせない。
私は涙をのんで、わが観測器に、台風の中での観測の継続を命じたのだ。

幸い、わが観測器は”討死”ではなく、倒れただけのようだ。
なぜなら、風以外の情報(気温、湿度、日射量など)は発信されつづけている。
倒れてもなお、可能な限りの職務を果たそうとしている。

暴風警報が解除された昼前(午前中は休講)、出校してさっそく屋上に行って見た。
観測器はコンクリート製の台座もろとも倒れて、屋上の内壁によりかかっていた。
猛烈な敵襲にあって塹壕の中で息も絶え絶えの兵士のようだ。

プラスチック製の風速風向計も破損していなかった。
屋上面に防水シートが敷かれていて柔らかかったのも幸いした。
きちんと設置しなおして、台座にさらにコンクリートの重しを追加した。
これで今後は風速25mでも倒れないだろう。
11時20分から正しい計測が再開された。

ちなみに校舎内のここそこに、窓から雨が漏った跡が散在し、廊下が湿っていた。

ラドン濃度報告

2009年10月05日 | 計測

ラドンガス濃度測定器(RGD-PS3)を買って、名古屋宅の室内で計測している。
測定値は7日間の平均値で、1時間ごとに更新される。

先週まで、ずっと40Bq/m3(ベクレル)だったが、週末の雨天から下り始め、
今日の夜は30Bq/m3にまで下った。
一般傾向として、ラドン濃度は雨だと下がり、
気圧が上がっても下がる(あと部屋の窓を開けて風を通すと下る)という。
確かに今日は雨気味ながら気圧は上昇気味。

室内のラドンガスは肺ガンの原因の1つとも言われるので、
少ないほどいいらしい(日本の木造家屋は低めで欧米の石・鉄筋造りは高め)。
でもラドン温泉のホルミシス効果は研究者間でも認められている…
つまりは、ラドンガスは、肺ガンのリスクは高めるが、
それ以外に(アトピー、喘息など)効果があるということらしい。
ラドンと健康についての研究レポートはこちら(pdf)
追記:こちら(E&Sのサイト)の情報のが新しそう。

それに、ラドンガスの異常な変動は地震予知にもつながるという。
というわけなので、日常的な変動傾向をまずは把握していく(東海地震予知も兼ねて)。


点滴生活

2009年10月04日 | 生活
週末帰省の予定をキャンセルして、帯状疱疹の治療に専念する事にした。
治療は、毎日、近所にあるクリニックに行って40分ほどの点滴を受けること。
しかも休診日の日曜も点滴を受け付けてくれる。
毎日点滴なので、針を注入する箇所をかえるため、腕の左右を日替わりで交換する。

最近は、やっと右胸部の痛みも緩和してきて、刺すような痛みよりもしびれた後のあの異様な敏感状態が前面にでてきた。
治療は点滴だけなので、休日のあとの時間は、快晴の秋空の下、ベランダにリラックスチェアを出して、iPodで音楽を聴きながら論文資料を読み進める。

授業が始まったので、読書に集中できるのは休日だけとなった。

新たな失政

2009年10月03日 | 東京周辺
2016年のオリンピック開催地が、予想通りブラジルのリオに決まった。
都民を差し置いて、強引に立候補した石原知事の面目丸つぶれ。
敗者にむち打つことはしたくないが、一都民(住民票上)として、首長たる者に文句はいいたい。

”都市博”開催を拒否した都民が、一時的なお祭りイベントなんぞ求めていない(もっと地に足がついた都市の整備を期待)のはわかっていたはず。
※大声では言えないが、もっと正直に言うと、東京は、都市の”格”としてニューヨークと同じ世界最高レベルにあるという(幻想的)意識があるため、”国際イベントを必死になって招致したがる都市”レベルに成り下るのはみっともないという感覚がある。
その感覚では、リオやシカゴやマドリードと(いう国際地方都市と)同列になって争う事自体がプライドに傷がつく。

そして、日本で開催するとしたら、一度やった東京ではなく、別の都市にすべきと思うのは日本国民の総意(JOCとの相違)。
福岡が無理なら、名古屋や大阪に再挑戦してもらえばいい(在名の私としては、名古屋イチ押し。名古屋を元気にしたい河村市長、どう?)。
私ほどの年齢の者には、”東京オリンピック”は1964年の思い出で充分。

そして、2008年北京でやったし、次次回の2016年はアジアではなく、初めてとなる南米がいいと思うのは、国際的な流れ。

誰もが理解するこの3重の論理を強引に無視して、150億円もの運動資金を浪費したのは、ひとえに、自らの失政を挽回し、都知事としての自分の歴史的”記念碑”がほしかっただけのことに思えてしまう。
新たな失政が誕生し、むなしさと財政負担だけが残った。